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永川勝浩の情報 (ながかわかつひろ)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

永川勝浩の情報(ながかわかつひろ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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永川 勝浩さんについて調べます

■名前・氏名
永川 勝浩
(読み:ながかわ かつひろ)
■職業
野球選手
■永川勝浩の誕生日・生年月日
1980年12月14日 (年齢43歳)
申年(さる年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
広島出身

(昭和55年)1980年生まれの人の年齢早見表

永川勝浩と同じ1980年生まれの有名人・芸能人

永川勝浩と同じ12月14日生まれの有名人・芸能人

永川勝浩と同じ出身地広島県生まれの有名人・芸能人


永川勝浩と関係のある人

和田一浩: 7月15日には4年ぶりの20本塁打と自己最多ペースで本塁打を量産し、9月15日には10回表に永川勝浩から決勝の3試合連続本塁打を打った。


山本圭一: 2019年12月26日 ルミネtheよしもと(東京都) 桝本壮志(放送作家) 尾関高文(ザ・ギース) ゴッホ向井ブルー 梵英心(カープOB) 永川勝浩(カープOB、カープコーチ) 磯村嘉孝(カープ) 坂倉将吾(カープ)


梵英心: 永川勝浩とは三次市の同じ少年野球チームに所属した幼なじみ。


河原井正雄: 2002年、山岸穣-加藤領健の2年生バッテリーを中心に秋季リーグを亜細亜大学との同率首位で終えるも、プレーオフで永川勝浩に完封負けを喫し、優勝を逃す。


小山良男: 4年時は主将を務め同期の木佐貫洋、永川勝浩らとバッテリーを組み2002年の大学選手権、明治神宮大会で優勝。


細川亨: 2005年5月28日の対広島東洋カープ戦で延長10回無死満塁永川勝浩から遊撃手の頭上を越えるレフト前を放ち、これがプロ入り初のサヨナラ打となった。


手塚一志: 永川勝浩


田上健一: 初盗塁:同上、8回表に二盗(投手:永川勝浩、捕手:會澤翼)


和田毅: 同年の第51回全日本大学野球選手権大会では決勝で木佐貫洋・永川勝浩擁する亜大に敗れ、第33回明治神宮野球大会でも準決勝で東北福祉大に敗れ日本一は果たせなかった。


山本圭壱: 2019年12月26日 ルミネtheよしもと(東京都) 桝本壮志(放送作家) 尾関高文(ザ・ギース) ゴッホ向井ブルー 梵英心(カープOB) 永川勝浩(カープOB、カープコーチ) 磯村嘉孝(カープ) 坂倉将吾(カープ)


武内久士: 2010年4月14日、抑えの永川勝浩が故障のため、入れ替わる形で、プロ入りして初の一軍登録。


野村謙二郎: 開幕前のキャンプからレギュラーシーズン序盤にかけて大竹寛、横山竜士、マイク・シュルツ、永川勝浩などの主力の故障が相次いだ。


木佐貫洋: 2003年(1年目)は大学から同期で広島東洋カープの永川勝浩とシーズン最後まで新人王争いを演じ、最終的にリーグ最多タイの2完封(共に中日戦)を含むシーズン10勝を挙げ、新人王に選ばれる。


梶本勇介: 初安打:2006年5月4日、対広島東洋カープ6回戦(明治神宮野球場)、8回裏に永川勝浩から左前安打


梵英心: 広島時代のチームメイトで同郷・三次市出身で幼馴染だった永川勝浩も同年に現役を引退していたことから、2人の同級生ら約30人が実行委員会となって2人の引退セレモニーが計画され、2019年12月14日に三次きんさいスタジアムにて開催された。また、同25日には梵の所属事務所・RIGHTS.が主催となってグランドプリンスホテル広島にて「梵英心×永川勝浩スペシャルディナートークショー」も開催され、広島時代のチームメイトで同学年の江草仁貴や鞘師智也、3学年下の天谷宗一郎も参加した。


大島洋平: シーズン終盤の9月21日に館山昌平、23日に永川勝浩、29日にランディ・メッセンジャーと引退試合の投手の最終対戦打者になることが続いた。


堂上隼人: 初打席:2010年6月5日、対広島東洋カープ4回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、9回表に和田毅の代打で出場、永川勝浩から右飛


大竹寛: 2004年は開幕直後は先発ローテーションの一角として5試合に先発したが中継ぎに回り、永川勝浩の不調によりシーズン途中から抑えに指名された。


小山田保裕: しかし春季キャンプ中の首痛の影響で出遅れ、ルーキーの永川勝浩が抑えに起用されたため、セーブは入団1年目以来の0に終わった。


倉義和: シーズン終了後の10月13日に放送された日本テレビ制作の連続ドラマ「ドリーム☆アゲイン」第1話では、反町隆史演じる巨人の打者・小木駿介と対決するという設定で、チームメイトの永川勝浩と揃って冒頭のシーンに登場している(一部の演技をスタントマンが担当)。


中﨑翔太: 最終的に29セーブを記録し、2010年の横山竜士以来となる球団日本人2桁セーブ投手、永川勝浩以来6年ぶりとなる球団日本人20セーブ投手となった。


苑田聡彦: 江藤智、金本知憲、嶋重宣、黒田博樹、大竹寛、永川勝浩らを入団させた。


阿部慎之助: 5月1日の対広島東洋カープ戦では3-3の同点の延長11回一死一塁の打席で永川勝浩からサヨナラ2点本塁打を放ち、5月12日には1998年にマーク・マグワイアが記録した従来の世界記録である「開幕35試合目での20本塁打」を2試合更新した「開幕33試合目での20本塁打」を記録した。


今村猛: レギュラーシーズンは、セットアッパーとして開幕を迎えるものの投球に本来のキレがなく、5敗を喫し終盤にはセットアッパーを永川勝浩に譲るなど悔しいシーズンとなった。


梅津智弘: 2007年には、シーズン序盤からクローザーの永川勝浩につなぐセットアッパーとして頻繁に登板。


藤川俊介: 初打席:2010年3月30日、対広島東洋カープ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、9回表に永川勝浩の前に見逃し三振


荒木貴裕: 初盗塁:2014年5月8日、対広島東洋カープ8回戦(明治神宮野球場)、6回裏に二盗(投手:永川勝浩、捕手:石原慶幸)


武内久士: 目標として挙げる選手には、永川勝浩、藤川球児、マーク・クルーンなど速球派のクローザーが多い。


谷佳知: 1500安打:2007年7月1日、対広島東洋カープ9回戦(広島市民球場)、9回表に永川勝浩から中前安打 ※史上94人目


マーティー=ブラウン: 抑えの永川勝浩も不安定で、接戦を落とす試合が多かった。


永川勝浩の情報まとめ

もしもしロボ

永川 勝浩(ながかわ かつひろ)さんの誕生日は1980年12月14日です。広島出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

卒業、兄弟、引退、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。永川勝浩の現在の年齢は43歳のようです。

永川勝浩のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

永川 勝浩(ながかわ かつひろ、1980年12月14日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。

三次市立三次中学校時代はバスケットボール部に所属しており、後のチームメイトの梵英心は三次市の同じ少年野球チームに所属した幼なじみだった。

3年間のブランクがあったが広島県新庄高校で再び野球を始める。高校の同級生にMEG、2年先輩にCHEMISTRYの堂珍嘉邦がいた。卒業後は亜細亜大学へ進み、上級生になるとエース・木佐貫洋に次ぐ投手として、同じく同期の小山良男とバッテリーを組んだ。4年の大学選手権は準々決勝で先発勝利、明治神宮大会は準決勝で完封し優勝に貢献した。東都大学リーグ通算成績は、15試合の登板で、5勝4敗、防御率2.03。

2002年のドラフト会議において広島東洋カープから球団史上初の自由獲得枠として入団。背番号は、球団として8年間欠番が続いていた北別府学の永久預かり番号である20。

2003年、2000年の苫米地鉄人以来となる新人開幕一軍入り。前年30セーブを挙げた小山田保裕が故障で出遅れるとクローザーを任され活躍。新人としては球団最高の25セーブを記録。オールスターゲームにも出場。41イニングで50三振を奪った。10勝を挙げた木佐貫洋や25本塁打を打った村田修一と新人王争いを繰り広げ、結局、新人王は木佐貫に譲った。

2004年は開幕から不調で、4月に4セーブを挙げたものの、5月1日の巨人戦で逆転負けを喫するとクローザーの役割を剥奪され、5月以降は0セーブに終わった。8月に一軍再昇格すると、8月15日の対阪神戦で初先発し、勝利投手になった。この試合は、大竹寛が抑えで登板するという本来とは逆のパターンでの起用であった。先発として球種が足りないためスライダーやカーブも駆使するピッチングだったが、速球で押す本来の良さが消えて長続きせず、右肩痛も重なり再度二軍落ちした。

2005年、クローザーのジョン・ベイルへ繋ぐ中継ぎとして起用された。キャンプで覚えたツーシーム、交流戦終盤から使い始めたスライダーで投球の幅を広げた。8月に右足内転筋を痛め1か月戦列を離れたが、チーム最多、自己最多の57試合に登板し、守護神ベイル不在時はクローザーとしても活躍。狭い広島市民球場をホームにしながら被本塁打は2本、防御率は3.13と好成績を記録。

2006年、投球の2段モーションの規制により投球フォームを修正すると制球が以前より安定しだした。開幕当初は中継ぎとして起用されたが、5月中旬、ベイルが左足内転筋痛により登録抹消されるとクローザーを担当。5月16日の対西武戦で9回一死、8対7の一点差リードで登板し、2者を完璧に抑えシーズン初セーブ。その後も順調にセーブを重ね、リーグ最多の65試合に登板。岩瀬仁紀に次ぐ27セーブを挙げた。防御率も1.66と安定しており、クローザー転向後の救援成功率は79%だった。2度目のオールスターゲーム、オフの日米野球に出場した。

2007年、この年代における広島投手陣のクローザーは小山田保裕や小林幹英のように1年間だけ好成績を挙げるものの、翌年には成績が急降下する例が続いていたが、永川は大野豊以来球団史上2人目の2年連続25セーブ以上・セーブの球団記録更新(31セーブ)を達成。ただ制球力が前シーズンより不安定となり、特にフォークボールが打者の手前でワンバウンドするなどし、当時自己最多の11暴投。与四球率が高まったためストライクを取りにいくストレートを痛打され、WHIPも前年より悪化した。2試合連続でサヨナラ負けを喫するなどセーブ機会を10回以上も失敗し、同点や点差が大きく離れた試合等を含めると16回もチームの逆転負けに関わった。また不調による二軍落ちもあったため、31セーブを挙げた一方で不安定な内容のシーズンであった。この頃から走者を出しても何とか抑える投球内容からファンに「永川劇場」等と揶揄されることとなる。

2008年、前年の不安定ぶりやフォーム改造の遅れの影響で、開幕を二軍で迎えたが、4月下旬に中継ぎで復帰した後、5月からはクローザーに復帰。フォーム改造が上手く行かず投球の大半をフォークに頼る投球を続けるが、結果としてシーズンを通して救援失敗が1度だけという抜群の安定感で、8月には大野豊以来球団史上2人目の3年連続20セーブを記録。9月には2年連続30セーブを挙げ、9月12日には自らの球団記録を更新する32セーブ目を挙げた。最終的に藤川球児と並んでリーグ2位となる38セーブを記録。シーズン終了後には推定年俸が倍増の1億6000万円で契約更改し、この時点でのチーム最高年俸となった。

2009年、5月24日の対西武戦で、大野の記録を更新する球団新記録の通算139セーブ目を挙げ、8月1日の対横浜戦で、史上7人目となる通算150セーブを達成。9月10日のヤクルト戦で、球団新記録となる3年連続30セーブを記録した。しかしこのシーズンは、開幕からたびたび打ち込まれ不安定な投球を繰り返した。特に走者のいない場面で球にバラつきがありクイックの方が安定感があったため、走者がいなくてもクイックで投げる試合もあった。以前からの課題だった四球数こそ前年とほぼ変わらなかったが、生命線であるフォークの落ちが悪く被打率が悪化。特にフォークで空振りを奪えないのは致命的で、奪三振率は7.71(56イニングで48奪三振)と、入団以来初めて9を割り込んだ。開幕から離脱することなく抑えを務め、8月以降は安定感を取り戻しリーグ2位の36セーブを挙げたものの、6敗を喫し、防御率は前年から1近く下げ、WHIPも2007年の水準まで悪化した。同年のドラフトで実弟の永川光浩が育成選手として入団したが、兄弟と球団で話し合った結果、スコアボードの表記名は「永川」のまま変更されていない(弟・光浩は「永川光」と表記)。

2010年、前年に引き続きシーズン序盤から抑え投手を任されたものの、調子が上向かずにセットアッパーのマイク・シュルツに抑えの役割を譲る場面も見られた。4月14日には右内転筋を痛め一軍から離脱。5月29日には一旦一軍に復帰したが、内転筋損傷の再発のため6月8日から再び長期の離脱となった。その後は一軍に復帰することはなくシーズンを終えた。結局2010年は10試合の登板に終わり、セーブも1つ記録したのみだった。

2011年は主に中継ぎで19試合に登板したのみでセーブは0に終わり、抑え投手の座を失った。

2012年も調子が上がらず、この年はプロ入り後初めて一軍登板がないままシーズンを終えた。二軍生活の間にフォームの改善やフォーク主体だった投球からスライダー主体の投球への模索し翌年の復活に繋がる。

2013年は新スタイルで挑みオープン戦で9試合を投げ無失点と結果を残し、開幕一軍を果たすも、3月30日の巨人戦の試合中に右手を痛め、右中指腱鞘炎と診断され同月31日に一軍登録を外れた。その後、リリーフ陣の不調により再登録され、後半戦で主にセットアッパーを任され16年ぶりのAクラス入りに貢献した。

2014年8月29日の中日ドラゴンズ戦にて3点リードの延長11回裏に登板し、藤井淳志に2ランを打たれながら1回2失点とし、2010年3月26日の対ドラゴンズ戦以来、4年ぶりのセーブを挙げた。

2017年は左膝痛の影響で5年ぶりに一軍での出場機会が無く、二軍でも24試合で防御率4.85の成績に終わった。10月に膝のクリーニング手術を受けた。

2018年は22試合に登板したもの、2019年は再び一軍昇格の機会に恵まれず、9月6日に現役引退を発表。同月23日の対中日ドラゴンズ戦で引退登板、2004年10月10日の横浜戦以来15年ぶりの先発としてマウンドに立ち、大島洋平を一ゴロに打ち取り現役生活を終えた。

2020年も広島に残り、二軍投手コーチを務めることが2019年10月29日に発表された。

永川が現役引退した年には、元チームメイトかつ同郷・三次市出身で幼馴染だった梵英心も社会人野球から引退を表明しており、2019年12月14日に三次きんさいスタジアムで2人の同級生ら約30人が実行委員会となって2人の引退セレモニーが開催された。また、同月25日には梵の所属事務所・RIGHTS.が主催となってグランドプリンスホテル広島にて「梵英心×永川勝浩スペシャルディナートークショー」も開催。同トークショーには元チームメイトで同学年の江草仁貴や鞘師智也、3学年下の天谷宗一郎も参加した。

2021年は一軍投手コーチを、2022年は再び二軍投手コーチを務め、2024年からは再び一軍投手コーチを務める。

ノーラン・ライアンを真似たという、セットポジションから上げた足(膝)を顎に当てる投球フォームから最速156km/hの球威あるストレートと、大小2種類のフォークボールを投げる。特に空振りを狙うフォークは落差を大きくする。投球の半分以上がフォークで、奪三振率が高い。

一方でフォークの制球が甘い場合には、四死球で走者を溜めてストレートを痛打されたり、四死球で出した走者を暴投や捕逸で進塁させてしまう傾向がある。なおフォークの精度を欠く時には、プロに入ってから覚えたとするスライダーを多投。また、独特な投球フォームを持つため、フォームが崩れた場合に修正が難しいことが指摘されている。

バッテリーとしては、フォークボールの捕球に優れる石原慶幸と組むことが多い。他の捕手とバッテリーを組んだ場合はフォークを投げる割合が減り、極端に崩れることがある。またフォークを多投するために、2013年から安定感を重視し常時セットポジションから投げ込むスタイルとなった。さらに、これまでカウントを稼ぐ球として投げていたスライダーを、投球の軸の一つとして用いるまで成熟させた。

この選手の人物像に関する文献や情報源が必要です。 出典を明記するためにご協力をお願いします。 (2016年11月)
2007年には日本テレビドラマ「ドリーム☆アゲイン」の第1話冒頭で反町隆史演じる巨人の打者・小木駿介と劇中で対決するという設定で登場している。記録は9回裏二死満塁で空振り三振で勝った。 マウンドでは意識的に恐い顔を作っているという。「抑えはやるか、やられるかのポジション。なめられたら終わり」といい、「恐い顔で得することはあっても、損することは絶対ない」と語っている。結果的に打者を抑えることができても投球内容が良くなければ納得できない完璧主義な性格でもある。 腰痛を持病にもつ。

詳細情報

年度別投手成績

年度 球団 登板 先発 完投 完封 無四球 勝利 敗戦 セ丨ブ ホ丨ルド 勝率 打者 投球回 被安打 被本塁打 与四球 敬遠 与死球 奪三振 暴投 ボ丨ク 失点 自責点 防御率 WHIP
2003 広島 40 0 0 0 0 3 3 25 -- .500 178 41.2 40 3 16 1 2 50 7 1 20 18 3.89 1.34
2004 22 4 0 0 0 3 4 4 -- .429 201 41.2 53 10 30 1 0 48 7 0 39 37 7.99 1.99
2005 57 0 0 0 0 3 5 2 14 .375 311 69.0 72 2 33 2 3 79 6 0 30 24 3.13 1.52
2006 65 0 0 0 0 5 6 27 9 .455 283 70.2 45 5 24 2 0 86 7 0 15 13 1.66 0.98
2007 61 0 0 0 0 4 7 31 4 .364 270 61.2 51 5 33 1 2 74 11 0 28 21 3.06 1.36
2008 56 0 0 0 0 4 1 38 5 .800 239 61.0 33 3 24 2 1 64 3 0 12 12 1.77 0.93
2009 56 0 0 0 0 3 6 36 3 .333 241 56.0 53 3 21 3 1 48 4 0 20 17 2.73 1.32
2010 10 0 0 0 0 1 2 1 1 .333 58 11.1 13 1 9 2 1 10 2 0 6 5 3.97 1.94
2011 19 0 0 0 0 1 2 0 0 .333 99 22.2 25 3 8 1 0 22 2 0 14 13 5.16 1.46
2013 29 0 0 0 0 3 1 0 13 .750 138 35.1 29 3 5 1 2 28 5 0 8 8 2.04 1.02
2014 52 0 0 0 0 3 4 1 15 .429 227 55.2 51 9 13 3 4 48 3 0 26 25 4.04 1.15
2015 26 0 0 0 0 1 1 0 9 .500 119 26.1 27 2 14 0 3 27 0 0 14 14 4.78 1.56
2016 11 0 0 0 0 2 0 0 1 1.000 46 10.0 14 1 2 0 1 8 0 0 7 7 6.30 1.60
2018 22 0 0 0 0 2 0 0 5 1.000 81 18.2 19 2 5 0 1 13 0 0 11 10 4.82 1.29
2019 1 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 1 0.1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 0.00
通算:15年 527 5 0 0 0 38 42 165 79 .475 2492 582.0 525 52 237 19 21 605 57 1 250 224 3.46 1.31
    各年度の太字はリーグ最高

    JA全農Go・Go賞:1回(Wedge Up賞:2006年6月)

    オールスターゲーム新人賞(2003年)

    初登板・初セーブ:2003年3月29日、対ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、9回裏に2番手で救援登板・完了、1回無失点

    初奪三振:同上、9回裏にトッド・ベッツから空振り三振

    初勝利:2003年4月2日、対阪神タイガース2回戦(広島市民球場)、10回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点

    初先発・初先発勝利:2004年8月15日、対阪神タイガース20回戦(大阪ドーム)、5回3失点

    初ホールド:2005年4月13日、対中日ドラゴンズ2回戦(豊橋市民球場)、8回裏に5番手で救援登板、1回無失点

    100セーブ:2008年6月15日、対埼玉西武ライオンズ4回戦(西武ドーム)、9回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上19人目(広島投手では3人目)

    150セーブ:2009年8月1日、対横浜ベイスターズ13回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、9回表に6番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上7人目、球団史上初

    500試合登板:2016年4月20日、対横浜DeNAベイスターズ5回戦(横浜スタジアム)、7回裏に4番手で救援登板、2/3回を3被安打4失点(自責点2)※史上95人目

    セーブ王未獲得で通算165セーブ ※歴代最多

    オールスターゲーム出場:3回(2003年、2006年、2009年)

    20(2003年 - 2019年)

    74(2020年 - )

    ドリーム☆アゲイン - 本人役で登場。

    創建ホーム株式会社(広島県竹原市に本社を置く、注文住宅販売会社)2008年の開幕時に大竹寛、梵英心、栗原健太とエキストラの子供たちと共演。

    ^ カープが導入する永久欠番に準ずる制度。前任者が推薦する選手が出て来るまでその背番号は欠番扱いとなる。

    ^ “打線も援護 永川初先発白星”. 中国新聞 (2004年8月15日). 2005年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月28日閲覧。

    ^ “【カープ情報】【検証】野村カープ元年<中>長期離脱 - 中国新聞” (10-10-14). 2010年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月17日閲覧。

    ^ “2013年度 広島東洋カープ 個人投手成績(オープン戦)”. 日本野球機構. 2013年4月21日閲覧。

    ^ “広島 永川勝、栗原らも開幕1軍 菊池は初”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年3月27日). https://web.archive.org/web/20130328234615/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/03/27/kiji/K20130327005489690.html 2013年4月21日閲覧。 

    ^ “永川勝は右中指けんしょう炎…出場選手登録抹消”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年3月31日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/03/31/kiji/K20130331005519380.html 2013年4月21日閲覧。 

    ^ 前原淳 (2018年2月6日). “37歳、「松坂世代」はまだ戦える。広島・永川勝浩はなぜ諦めないか。”. 炎の一筆入魂. Number Web. 2018年6月8日閲覧。

    ^ “広島・永川が現役引退 23日中日戦で引退セレモニー”. Sponichi Annex. (2019年9月6日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/09/06/kiji/20190906s00001173212000c.html 2019年9月6日閲覧。 

    ^ “【広島】佐々岡カープ、新体制を発表 赤松&永川両コーチは2軍担当”. スポーツ報知. (2019年10月29日). https://hochi.news/articles/20191029-OHT1T50083.html 2019年12月30日閲覧。 

    ^ “三次出身・広島カープ永川&梵選手の引退セレモニー、きんさいスタジアムで開催”. 広島ニュース 食べタインジャー. (2019年12月10日). https://tabetainjya.com/archives/carp/post_6261/ 2019年12月30日閲覧。 

    ^ “永川さんと梵さん 三次で引退式”. 中国新聞デジタル. (2019年12月14日). https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=596656&comment_sub_id=0&category_id=112 2019年12月30日閲覧。 

    ^ “元広島の梵&2軍Cの永川が12・25にスペシャルディナートークショー開催”. Full-Count. (2019年12月18日). https://full-count.jp/2019/12/18/post636369/ 2019年12月30日閲覧。 

    ^ “現役引退の元広島・梵&永川イベントにファン感動 同世代カープ戦士らと再会”. Full-Count. (2019年12月29日). https://full-count.jp/2019/12/29/post648477/ 2019年12月30日閲覧。 

    ^ “広島、河田雄祐氏のヘッドコーチ就任を発表 4年ぶり復帰 1軍投手コーチに永川勝浩氏”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. (2020年11月19日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/11/19/kiji/20201119s00001173173000c.html 2020年11月19日閲覧。 

    ^ “広島が来季スタッフ発表 1軍野手総合コーチに東出2軍打撃コーチ/一覧”. 日刊スポーツ. (2021年11月15日). https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/202111150000335_m.html 2021年11月15日閲覧。 

    ^ “広島が来季のコーチングスタッフを発表 戦力外の三好匠が内野守備・走塁コーチに就任”. Full-Count (2023年11月24日). 2023年11月24日閲覧。

    ^ “プレーバック'07 2. 永川の不調-代役不在も響く”. 中国新聞 (2007年10月10日). 2010年7月25日閲覧。

    ^ “広島永川勝 3年ぶりつかんだ!開幕1軍”. 日刊スポーツ. (2013年3月28日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20130328-1104060.html 2013年3月28日閲覧。 

    ^ 広島・永川 グランドスラム被弾直後に仏頂面で「500試合登板」花束受け取る 東スポWeb 2016年4月20日

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    個人年度別成績 永川勝浩 - NPB.jp 日本野球機構

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    永川勝浩 (永川勝浩-Official-Katsuhiro-Nagakawa-211425042385073) - Facebook

    25 新井貴浩

    77 藤井彰人(ヘッド)

    83 朝山東洋(打撃)

    89 小窪哲也(打撃)

    80 赤松真人(外野守備・走塁)

    90 三好匠(内野守備・走塁)

    86 菊地原毅(投手)

    74 永川勝浩(投手)

    81 石原慶幸(バッテリー)

    71 高信二(監督)

    85 福地寿樹(打撃・走塁)

    84 新井良太(打撃)

    75 廣瀬純(外野守備・走塁)

    72 東出輝裕(内野守備・走塁)

    87 高橋建(投手)

    82 横山竜士(投手)

    76 倉義和(バッテリー)

    78 畝龍実(統括・矯正担当)

    91 迎祐一郎(野手総合)

    73 小林幹英(投手育成強化)

    11 九里亜蓮

    12 大道温貴

    13 森浦大輔

    14 大瀬良大地

    16 森翔平

    17 常廣羽也斗

    18 森下暢仁

    19 野村祐輔

    20 栗林良吏

    21 中﨑翔太

    22 髙太一

    24 黒原拓未

    26 益田武尚

    28 床田寛樹

    29 ケムナ誠

    30 滝田一希

    34 高橋昂也

    35 赤塚健利

    36 塹江敦哉

    39 長谷部銀次

    41 矢崎拓也

    42 ハッチ

    43 島内颯太郎

    45 松本竜也

    46 河野佳

    47 斉藤優汰

    48 アドゥワ誠

    49 戸根千明

    53 小林樹斗

    65 玉村昇悟

    66 遠藤淳志

    67 内間拓馬

    68 ハーン

    70 日髙暖己

    93 岡田明丈

    98 コルニエル

    27 會澤翼

    31 坂倉将吾

    32 石原貴規

    40 磯村嘉孝

    57 持丸泰輝

    62 清水叶人

    64 髙木翔斗

    00 曽根海成

    0 上本崇司

    2 田中広輔

    7 堂林翔太

    33 菊池涼介

    44 林晃汰

    51 小園海斗

    54 韮澤雄也

    58 仲田侑仁

    61 矢野雅哉

    63 内田湘大

    69 羽月隆太郎

    94 佐藤啓介

    99 二俣翔一

    9 秋山翔吾

    37 野間峻祥

    38 宇草孔基

    50 中村健人

    52 末包昇大

    55 松山竜平

    56 久保修

    59 大盛穂

    60 田村俊介

    96 中村奨成

    97 中村貴浩

    120 杉田健

    122 坂田怜

    125 辻大雅

    126 新家颯

    128 杉原望来

    129 藤井黎來

    127 前川誠太

    130 ラミレス

    121 名原典彦

    131 ロベルト

    自由獲得枠:永川勝浩

    2巡目:吉田圭

    4巡目:鞘師智也

    5巡目:松本高明

    日本の野球選手

    広島新庄高等学校出身の人物

    亜細亜大学硬式野球部の選手

    広島東洋カープ及び広島カープの選手

    NPBオールスターゲーム選出選手

    日本の野球指導者

    広島県出身のスポーツ選手

    1980年生

    存命人物

    野球に関する記事

    プロジェクト人物伝項目

2024/11/07 16:58更新

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