山内和宏の情報(やまうちかずひろ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
山内 和宏さんについて調べます
■名前・氏名 |
山内和宏と関係のある人
山内孝徳: 南海の功労者である野村克也元監督が1977年に解任されて以来、解任時の経緯から空き番となっていたが、これは球団が18番の山内和宏(実質同期入団)、20番の山内新一(当時のエース格)と番号を揃えることで「山内トリオ」として売り出すためと、2位指名の事前約束を反故にする形での3位指名だったことで拒否を考えていた山内自身も、空き番を事前に調べて「南海といえば19番だから」という理由で入団条件として要求したこともあり、つけることになった。 トニー=バナザード: 気性の荒さとは対照的に、1989年にロッテのマイク・ディアズがダイエーの山内和宏から死球を受け、乱闘になった際はアップショーと共に暴れるディアズをなだめていた。 福良淳一: 初安打:1985年5月13日、対南海ホークス9回戦(阪急西宮球場)、5回裏に山内和宏から 柳原隆弘: 1984年6月11日の対南海ホークス戦(藤井寺球場)において山内和宏から日本プロ野球史上4人目、パ・リーグでは初となる代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放っている。 マイク=ディアズ: 1989年4月23日対福岡ダイエーホークス戦で、山内和宏から左腰に死球を受けたことに激高、山内を追いかけて乱闘騒ぎを起こして退場処分を受けた。 木村孝: 初安打:1981年8月14日、対南海ホークス後期7回戦(大阪スタヂアム)、8回表に山内和宏から 鈴木慶裕: 初安打:1989年4月9日、対福岡ダイエーホークス2回戦(東京ドーム)、1回裏に山内和宏から中前安打 村田勝喜: 1990年はさらに期待されて背番号15に変更、開幕後に山内和宏が移籍してシーズン中にエースナンバー18を引き継ぐと前年と同じく7勝。 本西厚博: 初盗塁:1987年4月12日、対南海ホークス3回戦(阪急西宮球場)、10回裏に二盗(投手:山内和宏、捕手:岩木哲) 福井優也: 同日に2人の新人が初登板初先発勝利を挙げたのは1981年の杉本正と山内和宏以来、30年ぶりだった。 松修康: ^ 松の入団前は、1989年から1990年途中まで山内和宏、1993年オフまで村田勝喜、1997年オフまで渡辺智男、1998年途中まで吉田豊彦。 和田博盛: 初打席:同上、9回山内和宏から凡打 山内孝徳: スライダー、シュートを武器にする強気なスタイルと制球力を持ち味とし、山内和宏らとともに弱小期南海のエース格として7年連続2桁勝利を上げる活躍をした。 田代富雄: 1500試合出場:1990年8月4日、対中日ドラゴンズ17回戦(横浜スタジアム)、15回裏に新浦壽夫の代打として出場、山内和宏から単打 ※史上97人目 幸田正広: 初打席・初安打:同上、9回表に山内和宏から右前安打 山下和彦: 初打点:1986年4月12日、対南海ホークス1回戦(大阪スタヂアム)、4回表に山内和宏から2点適時二塁打 ドン=ブレイザー: 1年目の1981年はルーキーの山内孝徳、山内和宏2投手が加わり、ベテランの山内新一でトリオ・ザ山内が誕生。 羽田耕一: 1000安打:1982年9月4日、対南海ホークス後期11回戦(大阪スタヂアム)、5回表に山内和宏から中前安打 ※史上126人目 河村英文: 山内和宏にはフォークを習得させ、一気に投球の幅が広がった山内は18勝を挙げて最多勝のタイトルに輝く。 藤本修二: 1987年は15勝を挙げ、両山内と呼ばれた山内孝徳、山内和宏とともに、南海がこの年シーズン終盤まで久々に優勝を争う原動力となった。 小川祥志: 初出場:1990年9月13日、対横浜大洋ホエールズ24回戦(ナゴヤ球場)、5回裏に山内和宏の代打で出場 穴吹義雄: 弱肩の「ドカベン」香川伸行を正捕手と4番に据えてスターにしようとしたり、「西南戦争」と銘打って常勝西武との試合に山内新一・山内孝徳・山内和宏の「山内トリオ」を意図的にぶつけて全精力を傾けたりしたが、アイデアや戦略通りに選手は動いてくれなかった。 柳原隆弘: 代打逆転サヨナラ満塁本塁打:1984年6月11日、対南海ホークス戦(藤井寺球場)、9回裏に大原徹也の代打として出場、山内和宏から。 安部理: 初本塁打:1987年6月13日、対南海ホークス戦(西武球場)、1回裏に山内和宏から満塁本塁打 黒田真二: 社会人野球では例のない移籍となるため1年間の出場停止となる、しかし1980年には山内和宏と投の二本柱を組み、社会人野球日本選手権に出場。 山内新一: 1981年には、同姓の投手である山内和宏、山内孝徳が入団。 杉浦忠: 1986年オフ、一軍打撃コーチに長池徳士に声をかけ、1987年、佐々木誠、湯上谷宏の1番・2番が定着、藤本修二が15勝、山内和宏が10勝、加藤英司(巨人を自由契約となり、西本が仲介して移籍してきた)の現役生活の最後を飾る奮闘、同年9月初めまで久々の優勝争いを演じ、球団最多の観客動員を記録した。 |
山内和宏の情報まとめ
山内 和宏(やまうち かずひろ)さんの誕生日は1957年9月1日です。静岡出身の野球選手のようです。
卒業、引退、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。山内和宏の現在の年齢は67歳のようです。
山内和宏のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 山内 和宏(やまうち かずひろ、1957年9月1日 - )は、静岡県浜名郡浜北町於呂(現:浜松市浜名区於呂)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 父は遠州鉄道の元車掌(その後遠州鉄道経営のボウリング場の支配人、遠鉄ストアの店長を歴任。和宏という名前は、その父が野球好きであったことから、生まれた当時毎日オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の主力選手だった山内一弘と読みが同じになるように名付けられたという。小学4年生の時からソフトボールを始め、中学で野球部に入部。この当時は内野手だったが、浜名高校入学後の高校1年秋から投手に転向。 高校卒業後は野球を辞めようと思っていたが、父が店長を務めていた遠鉄ストアの納入業者の人の中に駒澤大学OBがいて、そのつながりから、当時駒澤大学硬式野球部監督の太田誠が浜松出身であることもあって誘われたことで野球を続けることとし、高校卒業後は駒澤大学に進学。しかし大学1年生の夏に同じ野球部員で沼津市出身の同級生が寮から逃げ出し、戻ってくるように説得するつもりで追いかけ、沼津でその同級生と話し合ったが、山内自身も寮生活自体が苦痛で気が休まらなかったということから、一転して一緒に辞めることになり中退。その後、フリーターをしながら、千葉商科大学に進学していた高校の野球部時代の同級生が入っていた「市川おはよう野球同盟」という組織に所属する草野球チームでプレーする生活を経て、高校OBの勧めにより社会人野球のリッカーに入団。 1980年には黒田真二と投の二本柱を組み、社会人野球日本選手権に出場。1回戦では黒田をリリーフし新日本製鐵堺に完封勝利。2回戦で先発するが打ち込まれ日本楽器に敗退した。同年の都市対抗にも東京ガスの補強選手として出場。2回戦で札幌トヨペットに敗退するが、2試合で好投し各球団の評価を高める。 1980年、プロ野球ドラフト会議で南海ホークスから1位指名を受け入団。エース格の山内新一、1年遅れで同期入団となった山内孝徳と共に「山内トリオ」として売り出され、背番号も連番だった(本人は18番、山内孝徳19番、山内新一20番)。 1981年は、防御率こそ高いが先発として5勝をマーク。 1982年は、バーニー・シュルツ投手コーチからチェンジアップを伝授され、先発ローテーションに加わり11勝を挙げる。 1983年は河村久文投手コーチからフォークを伝授され一気に投球の幅が広がり、この年は18勝を挙げて最多勝のタイトルに輝く。 1985年まで4年連続の2ケタ勝利投手となる。 1987年にも10勝を挙げて先発の柱として君臨した。しかし、その後は右腕の血行障害に悩まされるなどで成績が落ちていった。 1990年のシーズン途中に杉本正・高島覚との交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍。 1992年に、来季の戦力構想から外れたことにより現役を引退した。 引退後は妻の故郷である広島県福山市に居住し、マスターズリーグでも2002年から2003年と2年連続で最多勝のタイトルに輝いた。 2008年現在は、同市にてビル管理会社経営の傍ら、中学生軟式野球クラブ「FUKUYAMA80」(福山エイティーズ)の代表兼監督として活躍している。 2017年5月3日、社会人野球のクラブチーム・福山ローズファイターズの投手コーチに就任。2024年時点ではコーチ業の傍ら、月1回浜松に戻って母校・浜名高校の野球部で指導を行っている。同時期に南海に在籍していたチームメートの山内孝徳ともども口髭を生やしていた。 娘は宝塚歌劇団星組男役の暁千星である。 各年度の太字はリーグ最高 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更 最多勝利:1回 (1983年) 初登板・初先発登板・初勝利・初先発勝利:1981年4月7日、対近鉄バファローズ前期1回戦(日本生命球場)、6回3失点 初完投勝利:1981年7月18日、対近鉄バファローズ後期2回戦(大阪球場)、9回3失点 初完封:1982年4月12日、対日本ハムファイターズ前期3回戦(大阪球場) 初セーブ:1989年8月6日、対日本ハムファイターズ19回戦(札幌市円山球場)、6回裏から2番手で救援登板・完了、4回1失点 オールスターゲーム出場:3回 (1983年、1984年、1987年) 18 (1981年 - 1990年途中) 46 (1990年途中 - 1992年) ^ 週刊ベースボール 2024年9月2日号 シリーズ連載『レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し 山内和宏・1』(64頁 - 66頁) ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年 ^ “山内和宏 “山内トリオ”の一角は低迷期ホークスのエース/プロ野球1980年代の名選手”. 週刊ベースボールONLINE (2018年9月26日). 2023年12月14日閲覧。 ^ 週刊ベースボール 2024年9月16日号 シリーズ連載『レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し 山内和宏・3』(64頁 - 66頁) ^ “チーム紹介”. FUKUYAMA80. 2011年10月7日閲覧。 ^ 【お知らせ】コーチ2名選任いたしました。 - 2017年5月3日、福山ローズファイターズ ^ 澤宮優『記録より記憶に残る野球狂列伝』河出書房新書発行、2009年3月14日。ISBN 978-4309270760。 ^ 村上久美子 (2017年11月23日). “バウ単独初主演 南海投手父の背に自ら重ね/暁千星”. 日刊スポーツ. https://www.nikkansports.com/entertainment/column/takarazuka/news/201711230000395.html 2019年12月7日閲覧。 静岡県出身の人物一覧 駒澤大学の人物一覧 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧 中日ドラゴンズの選手一覧 個人年度別成績 山内和宏 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan) 表 話 編 歴 1950 荒巻淳 1951 江藤正 1952 野口正明 1953 川崎徳次 1954 宅和本司, 田中文雄 1955 宅和本司 1956 三浦方義 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 小野正一 1961 稲尾和久 1962 久保征弘 1963 稲尾和久 1964 小山正明 1965 尾崎行雄 1966 米田哲也 1967 池永正明 1968 皆川睦男 1969 鈴木啓示 1970 成田文男 1971 木樽正明 1972 山田久志, 金田留広 1973 成田文男 1974 金田留広 1975 東尾修 1976 山田久志 1977 鈴木啓示 1978 鈴木啓示 1979 山田久志 1980 木田勇 1981 今井雄太郎, 村田兆治 1982 工藤幹夫 1983 東尾修, 山内和宏 1984 今井雄太郎 1985 佐藤義則 1986 渡辺久信 1987 山沖之彦 1988 渡辺久信, 西崎幸広, 松浦宏明 1989 阿波野秀幸 1990 渡辺久信, 野茂英雄 1991 野茂英雄 1992 野茂英雄 1993 野田浩司, 野茂英雄 1994 伊良部秀輝 1995 K.グロス 1996 K.グロス 1997 西口文也, 小池秀郎 1998 西口文也, 武田一浩, 黒木知宏 1999 松坂大輔 2000 松坂大輔 2001 松坂大輔 2002 J.パウエル 2003 斉藤和巳 2004 岩隈久志 2005 杉内俊哉 2006 斉藤和巳 2007 涌井秀章 2008 岩隈久志 2009 涌井秀章 2010 和田毅, 金子千尋 2011 D.ホールトン, 田中将大 2012 攝津正 2013 田中将大 2014 金子千尋 2015 大谷翔平, 涌井秀章 2016 和田毅 2017 東浜巨, 菊池雄星 2018 多和田真三郎 2019 有原航平 2020 千賀滉大, 石川柊太, 涌井秀章 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 有原航平、伊藤大海 表 話 編 歴 1938秋 鈴木芳太郎 1939 政野岩夫 1940 清水秀雄 1941 神田武夫 1942 神田武夫 1943 清水秀雄 1944 清水秀雄 1946 松川博爾 1947 別所昭 1948 別所昭 1949 柚木進 1950 柚木進 1951 江藤正 1952 江藤正 1953 柚木進 1954 大神武俊 1955 柚木進 1956 柚木進 1957 野母得見 1958 杉浦忠 1959 杉浦忠 1960 杉浦忠 1961 J.スタンカ 1962 J.スタンカ 1963 J.スタンカ 1964 三浦清弘 1965 杉浦忠 1966 森中千香良 1967 皆川睦男 1968 皆川睦男 1969 泉嘉郎 1970 西岡三四郎 1971 西岡三四郎 1972 西岡三四郎 1973 江本孟紀 1974 江本孟紀 1975 江本孟紀 1976 山内新一 1977 山内新一 1978 山内新一 1979 藤田学 1980 山内新一 1981 山内新一 1982 山内新一 1983 山内孝徳 1984 山内和宏 1985 山内孝徳 1986 山内孝徳 1987 山内孝徳 1988 西川佳明 1989 山内孝徳 1990 藤本修二 1991 村田勝喜 1992 村田勝喜 1993 村田勝喜 1994 吉田豊彦 1995 工藤公康 1996 工藤公康 1997 武田一浩 1998 工藤公康 1999 西村龍次 2000 西村龍次 2001 西村龍次 2002 田之上慶三郎 2003 斉藤和巳 2004 斉藤和巳 2005 和田毅 2006 斉藤和巳 2007 斉藤和巳 2008 杉内俊哉 2009 和田毅 2010 杉内俊哉 2011 和田毅 2012 攝津正 2013 攝津正 2014 攝津正 2015 攝津正 2016 攝津正 2017 和田毅 2018 千賀滉大 2019 千賀滉大 2020 東浜巨 2021 石川柊太 2022 千賀滉大 2023 大関友久 2024 有原航平 表 話 編 歴 1位:山内和宏 2位:井上祐二 3位:刀根剛 4位:山田勉 日本の野球選手 駒澤大学硬式野球部の選手 リッカー硬式野球部及びその前身チームの選手 福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手 中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手 最多勝利 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 日本の野球指導者 静岡県立浜名高等学校出身の人物 静岡県出身のスポーツ選手 浜松市出身の人物 1957年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/22 06:25更新
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