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山口 那津男さんについて調べます
■名前・氏名 |
山口那津男と関係のある人
鴨下一郎: 1993年、第40回衆議院議員総選挙に日本新党公認で旧東京10区(定数5)から出馬し、公明党の山口那津男に次ぐ2位で初当選。 大河原雅子: 2007年、第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区(定数5)から民主党公認(生活者ネット推薦)で出馬し、2位の山口那津男(公明党)に約29万2千票の大差をつけ、約108万票を獲得してトップ当選した。 尾沢敏明: 選挙期間中は、公明党代表の山口那津男らから応援演説を受けた。 小嶋進: なお、喚問前に小嶋が話していた、公明党の山口那津男(現公明党代表)や代表国交省幹部の件は、国交省が、山口側の紹介で、偽装問題公表前に建築指導課の課長補佐が小嶋社長と会ったことを認めているにも拘らず、ほとんど追及されなかった。 橋下徹: 第47回衆議院議員総選挙での維新の対抗馬擁立の動きについて、公明党の山口那津男代表が「そうした挑発的な言動には乗らない。 黒川敦彦: それを後押ししているのが山口那津男(公明党代表)であり創価学会です」などと演説した。 野田佳彦: 政治評論家の筆坂秀世は、この討論での野田の弁論は安倍、国民の生活が第一の小沢一郎代表、公明党の山口那津男代表を圧倒した一方で、安倍は動揺しまともに回答できなかったと評している。 江沢民: 公明党の山口那津男代表は「天安門事件のあと、社会主義における資本主義化を進めて、今日の中国の発展の礎を築いた。 福島瑞穂: 辞任前の日本国会における政党要件を満たす、政党の党首の中では、山口那津男(公明党)や荒井広幸(新党改革)と共に、数少ない参議院議員であった。 小西洋之: 公明党の山口那津男代表は、「真意が全く理解できない。 又市征治: 12月16日には、東京都内のホテルでお別れの会が開かれ、立憲民主党代表の泉健太のほか、与党からも公明党代表の山口那津男ら、親交のあった国会議員や労働組合関係者など約200人が出席した。 山尾志桜里: その直後に公明党の山口那津男代表と官邸で意見交換した。 石井啓一: 党市民活動委員長や政務調査会長代理などを経て、2010年、山口那津男代表の下で公明党政務調査会長に起用された。 東祥三: 公明党の当選同期に北側一雄、山口那津男がいる。 丸川珠代: 2013年の第23回参議院議員通常選挙では、公明党代表の山口那津男を上回る得票数トップで再選された。 松野信夫: 司法修習34期の同期に山口那津男(公明党代表・参議院議員)、伊東秀子(元日本社会党衆議院議員)、谷垣禎一(前自由民主党総裁・衆議院議員)、千葉景子(元民主党参議院議員・法務大臣)。 太田昭宏: 同年9月8日の公明党全国代表者会議において、太田の辞任と山口那津男の新代表就任が正式に決まる。 松本文明: 公明党の山口那津男代表は、「(松本のヤジは)極めて軽率で、許されない。 漆原良夫: 2017年9月26日、山口那津男代表の記者会見の席で、山口から「漆原氏から『後進に道を譲りたい』として、引退の申し出があった」と発表があり、10月の第48回衆議院議員総選挙に立候補せず政界を引退した。 岸田文雄: この時点で、現職の菅義偉が立候補を予定しており、二階、麻生、細田派会長の細田博之、公明党代表の山口那津男らは菅の再選支持を明らかにしていた。 平沢勝栄: 自公連立については、公明党の山口那津男が平沢と同じ東京17区から出馬するため、連立に極めて否定的であった。しかし、平沢は選挙戦中から盛んに公明党を批判し、公明党も同選挙区の平沢を落選させ山口那津男を当選させるべく、猛烈な落選運動を展開した。 早稲田夕季: 関係者への取材により、内閣総理大臣の安倍晋三が公明党代表の山口那津男にその旨を伝えたことが明らかとなった。 山本有二: それが無になるような発言は厳に慎むべきだ」(山口那津男代表)、「問題のある発言だ」(井上義久幹事長)、「激しい憤りを感じる」(大口善徳国対委員長)と非難した。 扇千景: 弔辞は小泉純一郎元首相、尾辻秀久参議院議長、細田博之衆議院議長がそれぞれ述べ、公明党代表山口那津男参議院議員、自民党元幹事長二階俊博衆議院議員、岸田文雄首相らも焼香に訪れた。 前原誠司: 関係者への取材により、内閣総理大臣の安倍晋三が公明党代表の山口那津男にその旨を伝えたことが明らかとなった。 平沢勝栄: 1996年、第41回衆議院議員総選挙に東京17区から自由民主党公認で出馬し、新進党(旧公明党系)の山口那津男を破り、初当選。 |
山口那津男の情報まとめ
山口 那津男(やまぐち なつお)さんの誕生日は1952年7月12日です。茨城出身の政治家のようです。
現在、卒業、事件、家族、解散に関する情報もありますね。今年の情報もありました。山口那津男の現在の年齢は72歳のようです。
山口那津男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)山口 那津男(やまぐち なつお、1952年〈昭和27年〉7月12日 - )は、日本の政治家、弁護士。公明党所属の参議院議員(4期)。公明党常任顧問。 衆議院議員(2期)、防衛政務次官(第51代)、新進党副幹事長、公明党参議院国会対策委員長、公明党政務調査会長、公明党代表(第3代)を歴任した。 茨城県那珂郡那珂湊町(那珂湊市を経て、現在はひたちなか市)に誕生、高等学校卒業まで日立市で育つ。父の秀男は日立市天気相談所所長、母の政子は小学校教員だった。日立市立中小路小学校、茨城大学教育学部付属中学校、茨城県立水戸第一高等学校卒業後、一浪を経て1972年東京大学文科一類に入学。弁護士を目指して司法試験の勉強を始める。年齢も入学年度も同じでともに弁護士志望だった魚住裕一郎と親友になり、しばしば喫茶店で社会問題を論じたという。1978年に二留を経て、東京大学法学部を卒業。 1979年、26歳で司法試験に合格する。1982年、司法修習34期を修了し、東京弁護士会に弁護士登録した。司法修習の同期には伊東秀子、谷垣禎一、千葉景子、松野信夫らがいる。1988年3月から日本弁護士連合会調査室嘱託。 神崎武法の誘いで1990年(平成2年)2月、第39回衆議院議員総選挙に旧東京10区から公明党公認で出馬し、初当選。1993年8月の第40回衆議院議員総選挙でも旧東京10区で再選。総選挙後に発足した細川内閣(細川護熙首相)では防衛政務次官に任命された。 1994年12月、公明党解党に伴い公明新党を経て新進党結党に参加。党「明日の内閣」安全保障副担当、党副幹事長などを歴任する。1996年10月の第41回衆議院議員総選挙では、東京17区から新進党公認で出馬したが、自民党公認の新人平沢勝栄に敗北し、落選した。その後1998年1月の新進党分党により、新党平和を経て公明党再結成に参加。1999年、自民党との自公連立政権形成(小渕恵三第2次改造内閣)により、政権与党となる。その翌年、2000年の第42回衆議院議員総選挙では再度平沢に敗北し、落選した。 2001年7月、第19回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から公明党公認・保守党推薦で出馬し、参議院議員として初当選。2003年12月、党参議院国会対策委員長に就任。2004年6月には党参院政策審議会長に就任した。 2007年7月の第21回参議院議員通常選挙で再選。2008年8月、公明党代表太田昭宏の下で党政務調査会長に就任する。 2009年9月8日、民主党への政権交代が起き自公両党が下野した第45回衆議院議員総選挙で落選し党代表を辞任した太田の後任として、(野党第二党の党首として)公明党代表に就任(その8日後の9月16日、麻生内閣総辞職および鳩山由紀夫内閣成立)。なおその20日後の9月28日、同じく総選挙で敗北した自民党の麻生太郎総裁も(太田と異なり、落選こそしなかったものの)引責辞任し、その後継に総裁選挙を経て谷垣禎一が就任した。2010年9月、党代表に無投票再選。2012年9月、党代表に無投票3選。また、同年の自民党総裁選挙で谷垣の任期満了に伴う後継として、安倍晋三が就任。 2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では自民党が第一党に復帰し、公明党も議席を回復。自民党総裁の安倍晋三から自公連立政権の3年ぶりの再樹立を打診されたため、同月25日に安倍と連立合意文書を取り交わす。同月26日に野田佳彦第3次改造内閣総辞職により旧・民主党政権が終焉し、第2次安倍内閣が発足した。これに伴い、山口は与党第二党党首となった。 2013年1月、第2次安倍政権の与党幹部として初めて中国共産党中央委員会総書記習近平と会談し、内閣総理大臣安倍晋三から託された親書を手渡す。同年7月の第23回参議院議員通常選挙に公明党公認で出馬し、参議院議員として3選を果たした。2014年9月、党代表に無投票4選。2016年9月、党代表に無投票5選。2018年9月、党代表に無投票6選。2019年7月、第25回参議院議員通常選挙で4選。2020年9月27日の党大会で、無投票により7選。なお、(安倍首相の発病による辞任表明を受けて)この13日前の9月14日に行われた自民党総裁選挙で菅義偉が選出され、2日後の9月16日に首相就任、(第4次安倍第2次改造内閣総辞職に伴い)菅義偉内閣が発足。 2022年9月、党代表に無投票で8選。山口は同年4月には公明党幹事長の石井啓一について「ぜひ次のリーダーに頑張ってもらいたい。一押しだ」と述べており、代表選に立候補せず石井に禅譲する可能性が取りざたされていたが、第26回参議院議員通常選挙での伸び悩みや安倍晋三銃撃事件・旧統一教会問題を受けての政権基盤の不安定化から、党内では翌年の統一地方選挙に向けて知名度が高く安定感のある山口の続投を望む声が高まっていた。 2024年9月10日、世代交代を促すことを理由に、同月18日に告示される党代表選挙に立候補しない意向を表明した。同月28日の党大会をもって代表の職を石井啓一に交代し、自らは党常任顧問に就任した。 選択的夫婦別姓制度導入に賛成。
また、「社会や家族の構造が変わり、女性のライフスタイルや価値観が多様化する中、若い世代を中心に夫婦別姓のニーズは高まっている」とも述べている。 LGBT理解増進法案成立に賛成。 受動喫煙防止を目的とした健康増進法改正案に賛成。
2019年の大連立構想について、一定の距離を保つ立場を採った。 2020年9月12日、山口とジャーナリストの田原総一朗の対談を収録した『公明党に問う この国のゆくえ』(毎日新聞出版)が出版される。
野党に転落した第45回衆議院議員総選挙で、8つの小選挙区で同党候補全員が落選したことについては、「やるせない悔しさ」だったと振り返った。年金政策などで「公明党が福祉の党、平和の党と言いながら裏切ったことに批判の大半があった」と分析し、その上で、旧民主党政権で野党にとどまった理由を問われ、「(自身が防衛政務次官を務めた)細川(護熙)政権以来、民主党の人たちの大部分をよく知っていた。忍耐力や協調性に少々欠け、実現性が乏しく見える政策を掲げていた」と説明した。 一方で連立政権を形成する自民党に対しても短所を指摘し、「(年金や失業対策などにおいて)国民の琴線に触れるような、地に足のついたアイデアは自民党からはなかなか出てこない」と苦言を呈している。「口を開けば、『憲法改正、日米同盟、安保法制』だ」とも指摘した。 一方、新型コロナウイルス (COVID-19)の感染で、2020年の全国民への臨時定額給付金を当初の「1世帯30万円」から「1人10万円」に変更させた経緯を「国民の求めに政策が追いついていなかった」と振り返り、同様の主張をした自民党の二階俊博幹事長とは「連携がなかった」と語った。 集団的自衛権についてかつては反対。
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党国会議員の関係について、「社会的に非難されたり、トラブルを抱えたりする団体に関わることは避けるべき」と主張。
2022年8月2日の記者会見では「公明党はほとんど関係を持たないが、自民党の中で関わりを持った人が、まずは説明責任を果たしていくことが大切だ。具体的にどういう関わりがあるのか、個別の状況に応じてきちんと説明すべきだ」と主張した。 政治と宗教の関係について、宗教団体が価値観を政治過程に反映していくのは「民主主義の望ましい姿」と主張。
常任顧問 東京都本部顧問 外交防衛委員会委員 国家基本政策委員会委員 親学推進議員連盟(すでに解散) 東京都葛飾区在住。 野党時代(旧民主党政権下)から2024年まで約15年もの間、公明党の代表を務めていたが、支持母体である創価学会において中枢にいた経験はない。 温厚な性格で知られる。太田昭宏など従来の公明党議員と比べてアクがなくソフトな外面で、これが代表に起用された大きな要因とされる。政治家としては必ずしも長所にはならず、人当たりの良さから「敵はいないが味方もいない」というのが永田町周辺の評である。 中学生時代はブラスバンドに所属し、トロンボーンを担当した。現在でも自宅にマウスピースを保管しているという。また、子供の頃から歌を歌うことが好きで、カラオケでも歌が上手いとされており、フランク永井の『おまえに』『有楽町で逢いましょう』『君恋し』などが持ち歌である。 座右の銘は、出身校・茨城県立水戸第一高等学校の校是でもある「至誠一貫」である。 支持者の間やニコニコ生放送でのニックネームは「なっちゃん」。2001年、第19回参議院議員通常選挙で初めて参院選に立候補した際には、支持者からナツミカンを模した金属製バッジを贈られた。ナツミカンバッジは2013年の第23回参議院議員通常選挙でも装着された。 1991年7月にベトナムとカンボジアを訪問した際、地雷で手足を失った子供たちと出会ったことをきっかけに、ライフワークとして地雷除去支援に取り組んでいる。
日本国外で地雷除去活動を展開する山梨日立建機(現:日建)の代表取締役雨宮清からは「平和や国際貢献を叫ぶ政治家は大勢いますが、『現地の人々を幸せにする』との強い覚悟で一緒に汗を流してくれたのは山口さんだけ」と評されている。 2021年7月1日、結党100周年を迎えた中国共産党に対して祝電を送った。 2005年、「一級建築士らによるマンションの耐震強度偽装問題を事前に知っていたのではないか」とされる疑惑が報じられた。 読売新聞によれば、2005年11月、国土交通省がマンションなどの耐震強度偽装問題を公表する以前に、山口が同省の担当者に対し、「民間の確認検査機関の建築確認に問題があり、耐震強度が不足したマンションがあると聞いた」と話し、開発会社ヒューザー社長の小嶋進から事情を聞くよう求め、同省担当者に仲介を依頼している。この仲介の結果、11月9日、小嶋は同省建築指導課の課長補佐と面会していた。 国交省は取材に対し、山口の紹介で建築指導課の課長補佐が小嶋と会ったことを認めている。それによると、小嶋は11月9日、役員らとともに同課を訪れ、「建築確認は国の仕事であり、建築基準法に合わないマンションができたのは国の責任だ」などといったことを話し、国側を激しく批判したほか、11月15日にも元国土庁長官伊藤公介と面会をしていた。また、小嶋は自らの証人喚問の前に、山口の紹介で建築指導課の課長補佐と面会した事実と暴露していたが、証人喚問では小嶋は証言拒否を繰り返し、野党議員も内閣官房長官安倍晋三や小嶋との関係、公明党大田区議会議員と小嶋との関係などに追及の時間を費やしたため、山口と小嶋の関係が取り上げられることはなかった。 『なっちゃんの挑戦―元気な東京元気な日本』(2000年12月、鳳書院、ISBN 4-87122-117-2) 『いま、公明党が考えていること』(共著者:佐藤優、2016年4月5日、潮出版社、ISBN 978-4-267-02050-6) 『公明党に問う この国のゆくえ』(共著者:田原総一朗、2020年9月12日、毎日新聞出版、ISBN 978-4-620-32651-1) 『公明党 その真価を問う』(共著者:佐藤優、2021年3月5日、潮出版社、ISBN 978-4-267-02270-8) 『今こそ問う 公明党の覚悟』(共著者:田原総一朗、2022年4月4日、毎日新聞出版、ISBN 978-4-620-32732-7) ^ 2013年8月、魚住は党代表山口の下で公明党参議院議員会長に就任した。 ^ 2013年3月、習近平は正式に中華人民共和国主席に就任した。 ^ “歴代防衛政務次官”. 朝雲 (朝雲新聞社). オリジナルの2014年4月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140402163333/http://www.asagumo-news.com/techou-pc2013/vip/seimujikan.html ^ “公明の山口氏、外国人入国停止を評価”. 産経ニュース (2021年11月30日). 2021年11月30日閲覧。 ^ “国会議員 山口 那津男(やまぐち なつお)”. 時事ドットコム (時事通信社). https://www.jiji.com/jc/giin?d=bee01aa49de0a9ddfd6ea2a541dc052a&c=san&rel=ja 2017年5月29日閲覧。 ^ “公明党代表に山口那津男氏が就任”. 朝日新聞: 朝刊1面. 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(2015年2月24日). https://web.archive.org/web/20150224073533/http://www.sankei.com/politics/news/150224/plt1502240035-n1.html 2017年5月29日閲覧。 ^ “ジェンダー情報:【国会】参議院本会議で山口議員が民法改正について質問 1月28日」”. 週刊金曜日. 株式会社金曜日 (2016年2月5日). 2017年5月29日閲覧。 ^ “夫婦別姓とLGBT法案で岸田氏孤立? 公明からも「自民は合意を」”. 朝日新聞 (2021年10月18日). 2022年4月26日閲覧。 ^ “屋内禁煙、自民が反発「個々の判断に」”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2017年3月2日). https://mainichi.jp/articles/20170303/k00/00m/010/056000c 2018年5月5日閲覧。 ^ “憲法改正への大連立構想に公明代表「全く聞いていない」:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2019年11月19日閲覧。 ^ “公明山口代表が対談本 「口を開けば、『憲法改正、日米同盟、安保法制』」と自民を指摘”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2020年9月8日). https://mainichi.jp/articles/20200908/k00/00m/010/139000c 2020年9月8日閲覧。 ^ “公明党元幹部 安保強行採決に「公明党の行動は万死に値する」と怒り”. AERA dot. (2015年7月23日). 2018年3月21日閲覧。 ^ “地方議員、旧統一教会系の行事参加 山口公明代表”. 時事通信社 (2022年7月29日). 2022年7月29日閲覧。 ^ “公明 山口代表 旧統一教会めぐり “自民の関係議員は説明を””. NHK (2022年8月2日). 2022年8月2日閲覧。 ^ “宗教団体の政治への関与 公明・山口代表「民主主義の望ましい姿」”. 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2025/01/23 18:51更新
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yamaguchi natsuo
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