広澤克実の情報(ひろさわかつみ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
広澤 克実さんについて調べます
■名前・氏名 |
広澤克実と関係のある人
河野博文: 1984年度ドラフト会議で日本ハムファイターズから広澤克実の外れ1位指名を受け、入団。 ボブ=ホーナー: 広澤克実は、ヤクルト時代の殆どテイクバックを取らずにスタンドインを連発するパワーを若い頃の松井秀喜のようだと評したが、インコースだけは苦手であった(MLBより球審にインコースのストライクゾーンが広めに判定されるという事情もあった)。 上岡龍太郎: だが、芸能界引退を目前としていた2000年に、読売ジャイアンツを自由契約になった広澤克実の阪神入団が決まった際に、球団が背番号31(元ミスタータイガース掛布雅之の付けていた番号)を与えたことに激怒し「陰のオーナー辞めます」と宣言した。 郭泰源: ロサンゼルスオリンピックにおいて郭との対戦経験を持つ広澤克実は「(郭の)当時の速球は、(セーブ数の日本タイ記録を残した)2007年頃の藤川球児にも劣らない」、正田耕三は「(郭の速球は)今までに見たことのないものでした。 加藤博人: 1989年のユマキャンプに打撃投手的な役割で連れていった所、広澤克実・池山隆寛ら主力打者がカーブを空振りした事から一軍に抜擢。 山本泰寛: 2リーグ分立後(1950年以降)のNPBにおいて、巨人から阪神へ直接移籍した選手が移籍後の巨人戦で本塁打を放った事例は、広澤克実(巨人からの自由契約を経て移籍)が移籍1年目の2000年に記録して以来2人目である。 広沢好輝: また、入団後は同姓の広澤克実の表記が「広沢克」となり移籍後も登録名を変更している。 野村克也: ヤクルト時代の教え子で、巨人退団後野村が獲得した広澤克実は「2000年の阪神はヤクルトが最下位争いしていた時代と同じ色がしていた。 桧山進次郎: 2003年の日本シリーズでの広澤克実(41歳6か月)の記録を更新するポストシーズン史上最年長(44歳3か月)本塁打となる2点本塁打をライトスタンドに放つ。 斉藤宜之: 初出場:1997年4月6日、対ヤクルトスワローズ3回戦(東京ドーム)、7回裏に広澤克実の代走として出場 八重樫幸雄: チームの後輩の広澤克実は「オープンスタンスの走り」と評しており、槙原寛己は「八重樫さんがもうちょっと打ってれば、もうちょっと早く世間に…」と打撃面で大成しなかったことを惜しんでいる。 湯浅明彦: 2015年6月2日の阪神対千葉ロッテマリーンズ1回戦(いずれも阪神甲子園球場)では、9回表に呉昇桓が角中勝也に逆転満塁本塁打を浴びたシーンを、「前に来ていた!前に来ていた!前に来ていたー!」「嘘だろ!?嘘だろ!?これが現実です!」と実況した(両試合とも広澤克実が解説を担当)。 土橋正幸: 投手陣は荒木と、彼の同期でもある阿井英二郎が台頭、野手では新人の広澤克実を我慢して正一塁手として起用し続け、主力打者に育てた。 下柳剛: ひょうきんな一面もあり、飲み会では伊良部秀輝や広澤克実とトリオ漫談をすることもあったという。 善波達也: 4年時には主将を務めて同期の竹田光訓とバッテリーを組み、同じ学年に4番の広澤克実、1学年下に福王昭仁がいた。 片岡篤史: 関西テレビの『ぶったま!』では、阪神の一軍打撃コーチに就任した広澤克実に代わりレギュラーコメンテーターを番組終了時まで務めていた。 鴨田勝雄: 檜山進次郎: 2003年の日本シリーズでの広澤克実(41歳6か月)の記録を更新するポストシーズン史上最年長(44歳3か月)本塁打となる2点本塁打をライトスタンドに放つ。 西川佳明: 在学中のリーグ戦の対戦相手は同期の明大福王昭仁や1学年上の竹田光訓投手と広澤克実、同期の早大足立修投手や1年下の石井浩郎、最上級生だった1985年秋に優勝をさらわれた慶大の1年生志村亮投手、相場勤などがいた。 猪俣隆: 2年時の1984年秋、4年広澤克実や福王昭仁擁する明大2回戦で完封勝利し、さらに3回戦でも法大が勝利し明大から勝ち点を挙げながら、優勝を明大にさらわれた。 平田勝男: なお、4年時の大学選手権優勝以来同校はこの大会でのタイトルから遠ざかっていたが2019年に優勝すると当時1年生であった善波達也明大監督(広澤克実らと同期)が優勝インタビューで平田を含む当時のメンバー9人の名前を挙げた。 園川一美: 同年の明治神宮野球大会では、2回戦でエース竹田光訓や広澤克実擁する明大を破り優勝候補と目されたが、準決勝でエース佐々木修を擁する近大工学部に敗退。 関根潤三: 広澤克実は関根潤三監督に長嶋一茂を代打に出されて憤慨したという話を様々な場所で披露しているが、実際にはそのような事実はない。 鴨田勝雄: 右に宮本和知、上田和明、広澤克実、秦真司、和田豊ら 槙原寛己: 広澤克実も同様の証言をしており、「癖を見抜いても必ず打てるわけではないが対戦する側としては楽。 小川博: 同年はオールスターゲームの全パ・リーグ代表にも選出され、阪急西宮球場で開かれた第1戦でヤクルト・広澤克実ら5人から5者連続奪三振を記録したほか、同年10月19日に本拠地・川崎球場にて近鉄バファローズ相手に繰り広げられた伝説のダブルヘッダー「10.19」では第1試合のロッテ先発投手として近鉄打線の前に立ち塞がった。 マット=マートン: 広澤克実は自身のブログで、マートンには体の軸がぶれない他にも彼独特の技術がいくつかあることを紹介しており、「真似しようとしても誰も出来ない、天才型の選手」と評している。 甲斐雄平: プロ入り1年目の2010年4月15日、ウエスタン・リーグの試合前にスイングチェックをしていた甲斐を見て、当日のスカイ・エーの中継で解説者を務めていた広澤克実は「スイングの際に(右足首が早く回って)右のかかとがすぐに上がってしまうため、変化球に対するタメや呼び込みを作れず、速球には強そうだが変化球には弱そうだ」と評した。 福王昭仁: 1年上のエース竹田光訓を擁し、同じく1年上の広澤克実とクリーンナップを組み、3年次の1984年秋季リーグの優勝に貢献。 大豊泰昭: 2000年シーズンには、同じ一塁手の広澤克実が入団したためポジション争いとなるが、広澤が不調だったこともあり大豊がシーズンを通して先発一塁で起用されることが多かった。 |
広澤克実の情報まとめ
広澤 克実(ひろさわ かつみ)さんの誕生日は1962年4月10日です。栃木出身の野球選手のようです。
卒業、引退、テレビ、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。広澤克実の現在の年齢は62歳のようです。
広澤克実のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 広澤 克実(ひろさわ かつみ、1962年4月10日 - )は、茨城県下妻市生まれ、同結城市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投右打)、指導者、野球解説者。 登録名は、1995年までは「広沢 克己」、1996年から1998年までは「広沢克」、1999年以降は「広澤 克実」(全て読み同じ)。愛称は「トラ」など。 ヤクルトスワローズ時代は、池山隆寛との「イケトラコンビ」として、主砲として活躍した。読売ジャイアンツと阪神タイガースの両球団で4番打者を務めた唯一の選手でもある。ロサンゼルスオリンピック野球の金メダリスト。 学生時代は、野球だけでなく柔道も経験しており、中学時代には柔道部で北関東準優勝をしており、有段者であるとのこと。柔道の腕前は古田敦也によると、パウンド・フォー・パウンドなら小川直也にも勝つレベルであったかもしれないという。相撲にも造詣があり、ヤクルト時代はキャンプ中に若手と相撲を取って子供のように投げ飛ばしたという。広澤は野球以外も経験した上でプロ野球選手になったことから、幼少期には様々なスポーツをやるべきだ、将来複数のプロスポーツを掛け持ちする選手が日本にも出て来てほしいと主張している。高校は小山高校に進学し1980年夏の栃木大会決勝に進出するが、黒磯高に完封を喫し甲子園出場を逸する。高校3年時のドラフトにはかからなかったが、巨人とロッテからドラフト外での入団を打診されたことを明かしている。 卒業後は明治大学文学部に進学。同期に竹田光訓、善波達也(東京ガス - 明大監督)がいる。下級生時代は練習の辛さや人間関係から、何度も辞めようと思ったことがあるというが、先輩の平田勝男が悩んでいる広澤を部屋に呼び、蕎麦などをごちそうし、「食べたら街にでも遊びに行って来い、夜まで帰ってこなくていいぞ」と気を遣ってくれて、広澤は涙が止まらなかったという。大活躍へのスタートを切ったきっかけは、紺白戦(明大では紅白戦のことをこう呼ぶ)のメンバーに入れなかった広澤が、島岡吉郎監督の横で監督用の焚き火と焼き芋の番をしていたところ、島岡から「お前打ってみろ」といきなり代打に指名されたことであった。ここで快打を飛ばし、即ベンチ入りが決まった。 東京六大学リーグでは1983年春季リーグで2年ぶりの優勝に貢献し、同年は史上2人目の2シーズン連続首位打者を獲得した他、4試合連続本塁打のリーグ新記録を達成した。翌1984年にはロサンゼルスオリンピックで野球日本代表チームの一員として出場した。決勝戦で本塁打を打ち、金メダル獲得に貢献。また、同年の秋季リーグでも在学中3度目の優勝を飾っている。 リーグ通算69試合に出場し248打数87安打、打率.351、18本塁打、47打点。ベストナイン3回。1983年、1984年には、日米大学野球選手権大会日本代表に選出されている。 1984年のドラフト1位で日本ハムファイターズ、西武ライオンズ、ヤクルトスワローズが競合し、抽選の結果ヤクルトに入団した。契約金7,000万円。 ヤクルトでは大杉勝男の引退後、有望な選手が入団するまで保留欠番となっていた背番号8を与えられた。 ルーキーイヤーの1985年は、4月13日の中日戦でプロ初出場し、6月から一塁手レギュラーとなった。打率.250、本塁打18本、打点52と、ルーキーイヤーから中心打者として活躍した。 若手時代のヤクルトは弱小球団で本人が「5月から消化試合(正式な消化試合ではない)」と表現するほどであり、アマチュア時代はある程度強い学校にいた広澤は「野球ってこんなに負けるんだな」とショックを受けた。 1986年、土橋正幸監督は広澤を我慢して使い、シーズンを通して一塁手レギュラーとして起用され、打率.253、本塁打16本、打点45と、出場機会を増やして規定打席に到達した。 1987年、関根潤三が監督に就任し、一塁手にレオン・リーとボブ・ホーナーが起用され、広澤は右翼手にコンバートされた。広澤は関根に「全試合に出ろ」と言われ、紅白戦を含めて休みなく、公式戦移動日も猛練習を課された。打率.284、本塁打19本、打点60と結果を残した。 1988年の開幕は6番右翼手だったが、8月以降は4番に据えられた。このシーズン以降、池山隆寛と共に「イケトラコンビ」、または「HI砲」(H=広沢、I=池山)と呼ばれ、ヤクルトの主軸を形成した。打率.288、本塁打30本(キャリアハイ)、打点80と4番に相応しい成績を残し、自身初となるベストナインに選ばれた(外野手選出)。 1989年、シーズンを通してほぼ5番右翼手で起用されたが、打撃成績は打率.270、本塁打17本、打点59と、前年より落としている。池山、ラリー・パリッシュと共に三振を量産し、100三振トリオと呼ばれた。 1990年に広沢好輝が入団したため、1994年まではスコアボード・新聞上の表記が「広沢克」に変更。後年、これが登録名となる。 1990年のシーズンから野村克也が監督に就任。5月からは不動の4番として出場し、以降ヤクルト時代はほぼ4番打者として固定された。中軸打者を務めた時期の間、打順が変わることはあったものの、連続試合出場をし続けた(広沢は1986年10月12日から1995年10月8日まで1180試合連続出場の記録を作っている)。なお、野村の自宅を訪ねた時、広澤が打点王タイトル獲得記念でプレゼントした空気清浄機が古くなっても活用されているのを見てとても嬉しかったとのエピソードを、後年にスポーツニッポンの引退記念コラムで語っている。 開幕は3番三塁手、5月から4番一塁手、6月末から4番右翼手でシーズンを通して起用された。5月30日時点で打率4割を記録しているなど、首位打者を独走していたが、後半失速した。しかし、打率.317、本塁打25本、打点72の成績で、2度目のベストナインに選出された。 1991年はシーズンを通して4番一塁手で固定され、打率.278、本塁打27本、打点はキャリアハイの99となり、自身初のタイトルとなる打点王を獲得している。外野手としては20試合にしか出場していないが、この年も外野手としてベストナインに選ばれた。 1992年は、打率.276、本塁打25本、打点85を記録した。広澤は入団からこの年までシーズン100三振以上を繰り返したが、打率は.250以上を維持している。この年チームはリーグ優勝を果たし、広澤は初めて日本シリーズに出場した。この西武ライオンズとの日本シリーズ第7戦では広澤の本塁スライディングが流れを変えたとされ、今なお様々な意見がある。 1993年は打率.288、25本塁打、94打点で、2度目の打点王を獲得した。日本シリーズで前年に引き続き西武と対戦し、初の日本一を達成した。一塁手としてベストナインに選ばれた。 1994年も打率.271、本塁打26本、打点73と、安定した成績を残した。一方でヤクルト球団社長と待遇を巡って対立があり、オフの移籍に繋がった。 1994年オフにFA宣言し、同年12月5日に5年契約で読売ジャイアンツに移籍。野村は、この移籍には巨人の体質ゆえに反対しており、広澤が巨人を戦力外後に阪神に移籍した時には、広澤は野村が正しかったと認めたことを野村が後のインタビューで明かしている。 巨人初年度となる1995年は、落合博満が不動の4番一塁手だったため、広澤は5番左翼手で起用された。本塁打20本、打点72と長打力は健在だったが、打率を.240に落としている。広澤が打率.250を割ったのはプロ入り以来初めてのことであった。開幕から極度の不振も、連続試合出場のため全試合出場した。 1996年のオープン戦で西武の石井丈裕から死球を受けて骨折したため、開幕に間に合わず、連続試合出場は止まった。この年は、回復後も出場機会が少なく、スタメン復帰は7月以降で、日本シリーズでもベンチ入りできなかった。シーズンオフに広澤自ら自由契約を申し入れたが、フロントに説得されて残留した。 1997年、松井秀喜が中堅手にコンバートされたことから、広澤は左翼から右翼手にコンバートされ、一塁はFA移籍の清原和博が起用された。9月26日の中日ドラゴンズ戦でサイクル安打を達成。打率.280、22本塁打、67打点と、ヤクルト時代の安定した打撃が復活した。翌年からレギュラーを失ったため、シーズン100試合出場はこの年が最後になった。 1998年、外野は左翼に清水隆行、中堅に松井、右翼に大型新人の高橋由伸がレギュラー起用され、広澤はポジションが固定されなかった。少ない出番の中で打率.301、9本塁打、25打点と控え選手として存在感を示した。 1999年、4月29日のヤクルト戦(大阪ドーム)で元同僚の川崎憲次郎から中前安打で出塁したが、二塁への盗塁を試みて右肩を脱臼。これがきっかけでシーズンを棒に振り、同年のスタメン出場は無かった。 広澤は後年巨人での5年間を、マスコミの批判記事が気になり自分を見失っていたと振り返っている。 1999年11月5日に巨人を自由契約となり、同年12月3日に阪神タイガースへ移籍することが発表され、2000年から、かつての恩師である野村の下で再びプレーすることとなった。 野村は大豊泰昭と揉めていたこともあり、前年の肩脱臼が完治していない影響で送球に支障があった広澤を4番、一塁手で起用したこともあった。入団後初のお立ち台で「早く六甲おぼし…おろしを覚えますんで、よろしくお願いします」とコメントした。2000年序盤は大豊と一塁争いを続けたが、広澤の調子が悪かったこともあって6月半ば以降は代打中心の起用になった。打率.217、本塁打5本、打点16と、シーズン終了まで復調出来ずに終わった。 2001年、序盤戦の一塁手に主にイバン・クルーズが起用され、広澤は左投手先発の試合で一塁手、右翼手で起用された。6月21日、阪神甲子園球場で行われた巨人戦で代打サヨナラ適時打を打った後、お立ち台で「次サヨナラ打ったら、ここで『六甲おろし』歌いますんで」と公約し、井川慶が完封勝利を挙げた8月29日の巨人戦で6回裏に高橋尚成から唯一の得点となるソロ本塁打を打ち、お立ち台で『六甲おろし』を歌ってその公約を達成した。クルーズが負傷離脱した7月28日以降は一塁のレギュラーとして起用され、打率.284、本塁打12本、打点46と安定した打撃が復活した。 2002年、大学の先輩でもある星野仙一監督が就任した。一塁手はジョージ・アリアスでほぼ固定され、シーズンを通して代打が中心だったが、少ない出場機会で打率.288、1本塁打、11打点を記録した。 2003年もほぼ代打中心の起用だったが、チームが不振に陥った8月16日以降に先発出場している。阪神はこの年1985年以来のリーグ優勝を果たし、打率.306、4本塁打、15打点と優勝に貢献した。この年限りでの現役引退を決意していた広澤は、福岡ダイエーホークスとの日本シリーズで、5打席連続三振というシリーズタイ記録を作ったが、第7戦、9回表二死から矢野輝弘の代打で登場し、当時新人だった和田毅から左翼席へ本塁打を打ち、日本シリーズ歴代最年長(当時41歳6か月)の本塁打を記録(日本シリーズでは1992年と1993年に1本ずつ記録しているので、自身通算3本目である。しかし試合に負けたことで、この打席が現役としての最終打席になった)。日本シリーズ終了後、正式に現役引退を表明。 ヤクルト時代の1992年と1993年、巨人時代の1996年、そして阪神時代の2003年と、巨人では日本シリーズに出場していないが、属した全3球団で優勝を経験した。現役19年間で退場処分を受けたことは一度もない。 日本シリーズの代打本塁打は、2022年時点では阪神の選手が日本シリーズで打った最後の本塁打となっていた。 引退後はNHKとスポーツニッポンの野球解説者に就任した。関西では朝日放送『虎バン』(毎月1回程度)と関西テレビ放送『ぶったま!』(レギュラー)にもコメンテーターとして出演した。 2006年10月17日に阪神の一軍打撃コーチ就任が発表され、4年ぶりの現場復帰を果たした。2007年はチーム打率・得点・打点・安打・本塁打がリーグ最下位に低迷し、2008年は13ゲーム差をつけながら巨人に追い抜かれるという記録的なV逸の責任を取り、監督の岡田彰布、チーフ野手コーチの吉竹春樹と共に辞任した。 2009年からは再びスポーツニッポンの評論家を務めているが、前回と違い放送局との専属での契約は行わず、フリーの立場(主にサンテレビなど関西の放送局でのゲスト解説が多かったが、2012年からサンテレビ・仙台放送解説者となった)での本数契約で出演している。 2011年11月に野球カンボジア代表のコーチに就任した。 2014年に自身のブログで引退後にメニエール病を患っていることが明かされた。2015年に、その詳細を語っている。 所属事務所は株式会社ビッグベンを経て、2019年現在はジャパン・スポーツ・マーケティングがマネージメントを請け負っている。2018年よりABEMA「東京六大学野球中継」解説者を務める。 2018年3月、日本ポニーベースボール協会理事長に就任。 各年度の太字はリーグ最高 打点王:2回(1991年、1993年) 最多勝利打点:2回(1990年、1992年) ※特別賞 ベストナイン:4回(外野手部門:1988年、1990年、1991年 一塁手部門:1993年) 月間MVP:3回(野手部門:1990年5月、1991年6月、1992年5月) オールスターゲームMVP:1回(1991年 第2戦) 報知プロスポーツ大賞:1回(1993年) 初出場:1985年4月13日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤ球場)、7回表に宮本賢治の代打で出場 初打席・初三振:同上、7回表に小松辰雄から 初先発出場:1985年4月17日、対広島東洋カープ2回戦(明治神宮野球場)、8番・一塁手で先発出場 初安打:1985年4月24日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、6回表に益山性旭から 初打点:1985年5月10日、対横浜大洋ホエールズ6回戦(横浜スタジアム)、4回表に金沢次男から 初本塁打:1985年6月5日、対中日ドラゴンズ6回戦(明治神宮野球場)、5回裏に堂上照からソロ 100本塁打:1989年9月27日、対中日ドラゴンズ22回戦(明治神宮野球場)、7回裏に鹿島忠からソロ ※史上156人目 150本塁打:1991年9月12日、対横浜大洋ホエールズ26回戦(明治神宮野球場)、1回裏に石井忠徳から左越3ラン ※史上93人目 1000安打:1992年9月22日、対広島東洋カープ20回戦(明治神宮野球場)、4回裏に長冨浩志から ※史上168人目 1000試合出場:1992年9月27日、対阪神タイガース23回戦(明治神宮野球場)、4番・一塁手で先発出場 ※史上308人目 1000三振:1993年8月22日、対阪神タイガース18回戦(明治神宮野球場)、1回裏に中西清起から ※史上16人目 200本塁打:1993年9月25日、対中日ドラゴンズ24回戦(明治神宮野球場)、10回裏に郭源治からサヨナラソロ ※史上64人目 250本塁打:1996年7月17日、対中日ドラゴンズ12回戦(東京ドーム)、6回裏に平沼定晴から2ラン ※史上36人目 1500試合出場:1997年6月28日、対中日ドラゴンズ13回戦(ナゴヤドーム)、5番・右翼手で先発出場 ※史上119人目 1500安打:1997年8月10日、対中日ドラゴンズ21回戦(東京ドーム)、4回裏に山本昌から中前安打 ※史上72人目 300本塁打:2001年9月12日、対ヤクルトスワローズ24回戦(阪神甲子園球場)、5回裏に入来智から左中間越2ラン ※史上26人目 1500三振:2002年7月31日、対横浜ベイスターズ20回戦(阪神甲子園球場)、1回裏に吉見祐治から ※史上5人目 サイクルヒット:1997年9月26日、対中日ドラゴンズ24回戦(東京ドーム) ※史上48人目 連続試合出場:1180(1986年10月12日 - 1995年10月8日) オールスターゲーム出場:8回(1987年 - 1994年) 8(1985年 - 1994年) 80(1995年 - 1996年) 10(1997年 - 1999年) 31(2000年 - 2003年) 85(2007年 - 2008年) 広沢 克己(ひろさわ かつみ、1985年 - 1995年) 広沢 克(ひろさわ かつみ、1996年 - 1998年) 広澤 克実(ひろさわ かつみ、1999年 - ) 『HOLD YOUR LAST CHANCE』長渕剛 亀ちゃんのタイガースに檄! - 2009年度からコメンテーターとして出演 サンテレビボックス席 - 2010年度からゲスト解説。2012年より専属解説 スポルたん!LIVE 野球道 (フジテレビ系列) - 2009年にはフジテレビ制作のヤクルト対巨人戦に1試合ゲスト出演。2012年より仙台放送制作の楽天主催カードの解説を担当 S☆1 - 2010年よりプロ野球解説者として準レギュラー出演 侍プロ野球 - 2014年よりCSTBSチャンネルで放送の横浜DeNA主催カード(主に対阪神戦)の解説を担当 週刊タイガースかわら版 - ケーブルテレビ局のベイ・コミュニケーションズが放送 広澤克己のゴルフに夢中(サンテレビ 2022年3月開始) NHKプロ野球 - 最初の野球解説者時代に解説を務めた野球中継番組(2004年 - 2006年) MBSタイガースライブ - 2009・2010年度ゲスト解説 ぶったま! 虎バン 秘密のケンミンSHOW(2011年1月13日) 広澤克実とDr.イトーのレーザー交遊録!(MBSラジオ) ガリレオ 禁断の魔術(2022年9月17日、フジテレビ) - 元プロ野球選手 役 「インパクトから考える新しいバッティング論―弱点を克服!より確実に、より遠くに飛ばせ!」(2012年8月、ベースボールマガジン社)ISBN 4583104588 「広澤克実のフォーカスゾーン打撃理論」(2014年12月、ベースボールドットコム) ^ この時にアメリカ代表チームだったシェーン・マックとは、後に巨人でチームメイトとなっている。 ^ 後年の文献では永久欠番と記述しているものが見受けられるが(ベースボール・マガジン社『週刊プロ野球データファイル』等)、引退表明を1面で大きく扱ったサンケイスポーツ(東京版・1983年11月10日付)では、「球団は「背番号8」を保留欠番とし、来春3月下旬に引退試合を行うことを決めた。」とあり、明らかに誤りである。 ^ その次の打者の沖原佳典が三振に倒れ、ダイエーに日本一を決められてしまった。 ^ 2005年と2014年にも阪神は日本シリーズに出場しているが、阪神の選手は1人も本塁打を放った選手がおらず、生え抜きに限定すると同じ第7戦の関本賢太郎である。2023年も第5戦までホームランが出ず、第6戦でシェルドン・ノイジーがホームランを放つまで日本シリーズ14試合連続ノーアーチのシリーズ記録を更新していた。 ^ 本塁打・単打・三塁打・二塁打の順。この年は三塁打を1本しか打っていない。 ^ 一部BS-TBSでも放送。 ^ “結城紬大使”. 結城市. 2015年4月21日閲覧。 ^ “大学からプロへと神宮に見事なアーチを描き続け、 引退後もファンに愛される好漢スラッガー・広沢克己”. Baseball Crix. 2018年5月1日閲覧。 ^ “広澤克実 プロフィール”. 週刊ベースボールONLINE. 2018年5月1日閲覧。 ^ “中学時代は柔道部 巨人、阪神で四番打者務めた唯一の長距離砲とは | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE (2020年9月26日). 2023年10月4日閲覧。 ^ “広澤克実(ひろさわかつみ)”. 講演会の講師依頼・紹介なら講演会なび. 2023年10月4日閲覧。 ^ “出演者情報 | GAORAプロ野球中継(タイガース) | 野球”. GAORA. 2012年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月4日閲覧。 ^ “アニキ”金本知憲も驚愕した 球界の飛ばし屋とは?【ザ・伝説の野球人大全集】 フルタの方程式【古田敦也 公式チャンネル】 2021/11/09 (2021年8月30日閲覧) ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年 ^ https://www.youtube.com/watch?v=oWnHTYJ3-Ds ^ “広澤克実が語るロス五輪金メダルの真実「チームワークなんてなかった」”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2020年1月26日). 2023年10月4日閲覧。 ^ “過去のドラフト 第20回(1984年) - ドラフト会議”. 日刊スポーツ. 2023年10月4日閲覧。 ^ “【11月19日】1984年(昭59) 竹田光訓は巨人?、広沢克己は西武?…希望通りにならなかった”. スポニチ Sponichi Annex (2018年11月17日). 2019年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月4日閲覧。 ^ “プロ野球選手が陥る税金の罠 広澤克実氏は契約金消えた”. 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BBMスポーツ (2018年11月27日). 2021年9月3日閲覧。 ^ 月刊タイガース 2000年5月号 45p 茨城県出身の人物一覧 明治大学の人物一覧 東京ヤクルトスワローズの選手一覧 読売ジャイアンツの選手一覧 阪神タイガースの選手一覧 読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧 個人年度別成績 広澤克実 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan) 所属事務所(株)ジャパン・スポーツ・マーケティング 広澤克実 オフィシャルブログ 「トラさんのちょっと虎話」 - Ameba Blog(2010年5月1日 - ) ISNI VIAF 日本 表 話 編 歴 太田誠 鴨田勝雄 松田博明 鍋島博 仁村徹 守永紀之 大越健介 河野博文 竹田光訓 石井宏 内田強 吉村康成 白井一幸 銚子利夫 西浦敏弘 広沢克己 山口敏弘 和田豊 阿久根謙司 小早川毅彦 前田誠 岡部明一 横田真之 表 話 編 歴 鴨田勝雄 内田俊雄 松田博明 阿波野秀幸 井口和人 河野博文 竹田光訓 伊藤敦規 西川佳明 三原昇 宮山博 大束二郎 秦真司 善波達也 上田和明 島田茂 広沢克己 村上文敏 山口敏弘 山越吉洋 和田豊 若井基安 伊吹淳一 川崎泰介 古川慎一 湯川素哉 山本貴 表 話 編 歴 30 松永怜一 33 鈴木義信 34 鴨田勝雄 11 米村明 12 吉田幸夫 14 伊東昭光 15 伊藤敦規 16 宮本和知 18 西川佳明 20 嶋田宗彦 21 吉田康夫 22 秦真司 2 正田耕三 3 浦東靖 4 森田芳彦 5 上田和明 9 和田豊 10 広沢克己 23 福本勝幸 7 荒井幸雄 8 古川慎一 25 熊野輝光 27 森田昇 表 話 編 歴 1951 川上哲治, 野口明, 林義一 1952 飯島滋弥 1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男 1954 中西太, 山内和弘 1955 山内和弘, 西沢道夫 1956 森下正夫, 吉田義男 1957 大下弘, 宮本敏雄 1958 宮本敏雄, 中西太 1959 山内和弘, 中利夫 1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲 1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎 1962 ブルーム, 張本勲 1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅 1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ 1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一 1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識 1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男 1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司 1969 土井正博, 船田和英 1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎 1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司 1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩 1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之 1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲 1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博 1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司 1977 若松勉, 野村克也, 王貞治 1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之 1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二 1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊 1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博 1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之 1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満 1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓 1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美 1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章 1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博 1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三 1989 村田兆治, 彦野利勝 1990 R.ブライアント, 清原和博 1991 古田敦也, 広沢克己 1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広 1993 清原和博, T.オマリー 1994 秋山幸二, G.ブラッグス 1995 落合博満, 松井秀喜 1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲 1997 松井稼頭央, 清原和博 1998 川上憲伸, 松井秀喜 1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志 2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博 2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋 2002 G.アリアス, 的山哲也 2003 高橋由伸, 金本知憲 2004 松坂大輔, SHINJO 2005 金城龍彦, 前田智徳 2006 青木宣親, 藤本敦士 2007 A.ラミレス, 阿部慎之助 2008 山﨑武司, 荒木雅博 2009 青木宣親, 松中信彦 2010 阿部慎之助, 片岡易之 2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀 2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼 2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一 2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐 2015 藤浪晋太郎, 會澤翼 2016 筒香嘉智, 大谷翔平 2017 内川聖一, A.デスパイネ 2018 森友哉, 源田壮亮 2019 森友哉, 近本光司 2020 (中止) 2021 菊池涼介, 島内宏明 2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐 2023 柳田悠岐, 万波中正 2024 牧秀悟,佐藤都志也 表 話 編 歴 1950 小鶴誠 1951 青田昇 1952 西沢道夫 1953 藤村富美男 1954 杉山悟, 渡辺博之 1955 川上哲治 1956 宮本敏雄 1957 宮本敏雄 1958 長嶋茂雄 1959 森徹 1960 藤本勝巳 1961 桑田武 1962 王貞治 1963 長嶋茂雄 1964 王貞治 1965 王貞治 1966 王貞治 1967 王貞治 1968 長嶋茂雄 1969 長嶋茂雄 1970 長嶋茂雄 1971 王貞治 1972 王貞治 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 王貞治 1976 王貞治 1977 王貞治 1978 王貞治 1979 山本浩二 1980 山本浩二 1981 山本浩二 1982 掛布雅之 1983 原辰徳 1984 衣笠祥雄 1985 R.バース 1986 R.バース 1987 C.ポンセ 1988 C.ポンセ 1989 落合博満 1990 落合博満 1991 広沢克己 1992 L.シーツ 1993 広沢克己, R.ローズ 1994 大豊泰昭 1995 江藤智 1996 L.ロペス 1997 L.ロペス 1998 松井秀喜 1999 R.ローズ 2000 松井秀喜 2001 R.ペタジーニ 2002 松井秀喜 2003 A.ラミレス 2004 金本知憲 2005 今岡誠 2006 T.ウッズ 2007 A.ラミレス 2008 A.ラミレス 2009 T.ブランコ 2010 A.ラミレス 2011 新井貴浩 2012 阿部慎之助 2013 T.ブランコ 2014 M.ゴメス 2015 畠山和洋 2016 筒香嘉智 2017 J.ロペス 2018 W.バレンティン 2019 N.ソト 2020 岡本和真 2021 岡本和真 2022 村上宗隆 2023 牧秀悟 2024 村上宗隆 表 話 編 歴 1981 佐野仙好 1982 原辰徳 1983 原辰徳 1984 W.クロマティ 1985 R.バース 1986 W.クロマティ 1987 小早川毅彦 1988 落合博満 1989 落合博満 1990 広沢克己 1991 J.パチョレック 1992 広沢克己, J.パチョレック 1993 落合博満 1994 R.ローズ 1995 T.オマリー 1996 T.オマリー 1997 鈴木尚典 1998 山崎武司 1999 R.ペタジーニ 2000 鈴木尚典, 江藤智 1981年から1988年まではNPB打撃タイトル1989年から2000年まではセ・リーグ特別賞2000年限りで廃止 表 話 編 歴 投 小野和幸 捕 達川光男 一 落合博満 二 正田耕三 三 原辰徳 遊 池山隆寛 外 広沢克己 / C.ポンセ / J.パチョレック 表 話 編 歴 投 斎藤雅樹 捕 村田真一 一 落合博満 二 高木豊 三 バンスロー 遊 池山隆寛 外 J・パチョレック / 広沢克己 / 原辰徳 表 話 編 歴 投 佐々岡真司 捕 古田敦也 一 落合博満 二 高木豊 三 山崎隆造 遊 野村謙二郎 外 R.J.レイノルズ / 広沢克己 / 原辰徳 表 話 編 歴 投 今中慎二 捕 古田敦也 一 広沢克己 二 R.ローズ 三 江藤智 遊 池山隆寛 外 前田智徳 / A.パウエル / 新庄剛志 表 話 編 歴 76 王貞治 77 王貞治 78 若松勉 79 掛布雅之 80 山本浩二 81 江川卓 82 中尾孝義 83 原辰徳 84 衣笠祥雄 85 R.バース 86 北別府学 87 桑田真澄 88 郭源治 89 斎藤雅樹 90 斎藤雅樹 91 佐々岡真司 92 古田敦也 93 広沢克己 94 桑田真澄 95 斎藤雅樹 96 松井秀喜 97 古田敦也 98 佐々木主浩 99 上原浩治 00 松井秀喜 01 古田敦也 02 松井秀喜 03 今岡誠 04 嶋重宣 05 金本知憲 06 福留孝介 07 阿部慎之助 08 小笠原道大 09 坂本勇人 10 前田健太 11 浅尾拓也 12 阿部慎之助 13 阿部慎之助 14 菅野智之 15 山田哲人 16 新井貴浩 17 菅野智之 18 大瀬良大地 19 丸佳浩 20-21 中止 表 話 編 歴 1位:広沢克己 2位:秦真司 3位:柳田浩一 4位:増永祐一(入団拒否) 5位:大江弘明 6位:乱橋幸仁 表 話 編 歴 阿部力 安藤政信 池田鉄洋 石垣佑磨 石原颯也 市村正親 市村優汰 井上祐貴 上田堪大 内田朝陽 及川光博 大石吾朗 大貫勇輔 小野田龍之介 鹿賀丈史 柿澤勇人 加藤レノン 風間晋之介 樫尾篤紀 金子隼也 木村了 桑山隆太 駒木根葵汰 斉藤莉生 澤田大樹 迫田孝也 島村龍乃介 白石隼也 須賀健太 鈴木曉 鈴木一真 鈴木亮平 髙橋颯 田口浩正 竹内涼真 武田真治 田代万里生 橘優輝 妻夫木聡 鶴見辰吾 中尾明慶 西野遼 八村倫太郎 平方元基 日向亘 福澤希空 福山康平 藤田悠 藤原竜也 船越英一郎 古幡亮 前田公輝 松下▽ 松山ケンイチ 間宮啓行 森海哉 矢野聖人 山崎裕太 吉村明宏 リンゼイ尊 渡邉蒼 赤澤巴菜乃 秋山陽南 朝比奈エマ 飛香まい 足立梨花 あびる優 綾瀬はるか 安蘭けい 石田晴香 石橋杏奈 石原さとみ 板野友美 市ノ瀬アオ 伊藤かずえ 井上咲楽 井森美幸 入来茉里 上原りさ 内田奈那 大沢逸美 大島麻衣 大野いと 大堀恵 岡部麟 小田愛結 温泉はずき Girl〈s〉ACTRYの元メンバー
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2024/11/22 01:00更新
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hirosawa katsumi
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