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星野一義の情報 (ほしのかずよし)
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【9月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

星野一義の情報(ほしのかずよし) レーシングドライバー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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星野 一義さんについて調べます

■名前・氏名
星野 一義
(読み:ほしの かずよし)
■職業
レーシングドライバー
■星野一義の誕生日・生年月日
1947年7月1日 (年齢77歳)
亥年(いのしし年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
静岡出身

(昭和22年)1947年生まれの人の年齢早見表

星野一義と同じ1947年生まれの有名人・芸能人

星野一義と同じ7月1日生まれの有名人・芸能人

星野一義と同じ出身地静岡県生まれの有名人・芸能人


星野一義と関係のある人

鈴木亜久里: 翌1986年、テスト中の事故で死去した萩原光の後任に指名され、ニスモにとって初挑戦となるル・マン24時間レースに星野一義・松本恵二とのトリオで初挑戦(結果はリタイア)。


生沢徹: 1977年には全戦表彰台に立ち、星野一義を1点差で上回り富士GCシリーズチャンピオンとなった。


エディ=アーバイン: 全日本F3000時代の経験から星野一義に一目置くようになり、F1初優勝時のレース後記者会見で「日本にはホシノっていうバカっ速いドライバーがいて、なかなか勝たせてくれなかったんだよ」「今ここに自分が居られるのはホシノのおかげだ」と語り、2位入賞で同席していたハインツ=ハラルド・フレンツェン、3位のラルフ・シューマッハ(同じく日本での星野と戦ったキャリアがある)もその言葉を聞いて同意し頷いた。


松本恵二: カーグラフィック誌での対談企画で、星野一義は松本と出会った第一印象を「恵ちゃんは当時まだツーリングカーでカローラに乗っていて、背が高くてかっこいいし、見た目は負けるけどコースでは絶対に負けねぇと勝手に意気込んでたら、喋ると京都弁で顔のイメージと違ってて驚いちゃったね 笑」と述べている。


服部尚貴: 2001年に免停処分で出場ができなかった星野一義の代役としてホシノレーシングに一時的に加入。


ケケ=ロズベルグ: 」と述べ、「どんなに優れていても、例えば私は星野一義の日本での速さをよく知っている。


中嶋悟: ヒーローズでは先輩・星野一義と同等の争いを展開し、中嶋は「ナンバー1ドライバーは二人いらない」としてヒーローズからの離脱を決める。


ケケ=ロズベルグ: 初めての鈴鹿サーキット走行だった全日本選手権スポット参加の際、同レースに参戦していた星野一義はロズベルグが高速左コーナー「130R」を全開で走っている音を聞いて驚愕したと述べている。


星野一樹: 現・ホシノインパル代表、Team IMPUL総監督を務める星野一義の長男。


ローランド=ラッツェンバーガー: 全日本F3000選手権等で対戦した星野一義は、アイルトン・セナの事故死についてコメントを求められた際、「自身としては、セナ以上にラッツェンの死がショック。


ブノワ=トレルイエ: 2002年は母国フランスでの活動が多く、日本では全日本選手権フォーミュラ・ニッポンや全日本GT選手権にスポット参戦する程度だったが、2003年には星野一義率いるホシノインパルと契約を結び、フォーミュラ・ニッポンと全日本GT選手権にフル参戦を開始した。


長谷見昌弘: 1992年のデイトナ24時間レースにおいて、林義正と水野和敏が率いる日産ワークスで、星野一義、鈴木利男と共に日本人ドライバーによる日本車初優勝を成し遂げる。


松本恵二: 1985年 - 星野一義、萩原光とともにマーチ・85G/日産をドライブしてWEC-JAPAN優勝。


高木虎之介: 第8戦の富士スピードウェイでは「日本一速い男」星野一義をホームストレートでかわして優勝。


マイク=サックウェル: 8月の第6戦富士スピードウェイでは中嶋悟、星野一義を寄せ付けない完勝劇を見せるなど活躍、ランキング5位を獲得した。


片山右京: 第5戦で2勝目を挙げるなど常に上位争いに加わり、着実にポイントを稼ぎライバルであったロス・チーバー、星野一義、小河等、エディ・アーバイン、フォルカー・ヴァイドラーらを下して、最終戦の富士スピードウェイにおいてシリーズチャンピオンとなる。


片山右京: マシンは前年に星野一義が使用していたものであった。


エディ=アーバイン: 1993年の全日本F3000開幕戦で3位となり、2位の星野一義と共に会見での質問に回答した際に通訳が「すみません、彼(アーバイン)の英語はレロレロで、7割くらいしか解らなかったんですが」と前置きしたところ、隣にいた星野が「英語の東北弁なの?」と尋ねた言葉の内容を察したアーバインは、「ノー、ノーエイゴ! (私は)アイリッシュ!」と反応しコントのような問答になったことがある。


森脇基恭: 以後ノバ・エンジニアリングの技術部長として、長谷見昌弘・星野一義・高橋国光らと組む形で全日本F2選手権や全日本耐久選手権などに参戦する。


ミハエル=シューマッハ: 浜島曰く「テストドライバーとしてシューマッハに匹敵する能力を持つのは星野一義とデビッド・クルサードくらいである」元F1ドライバーのヘルムート・マルコは、シューマッハはテスト走行が無制限であり、タイヤメーカーと密接な協力関係を築くことができた時代背景から恩恵を受けていたと指摘している。


長谷見昌弘: 「長谷見とトミカ」は、「星野一義とカルソニック」「中嶋悟とEPSON・PIAA」と同じく、長年のパートナーとして広く認識されている。


高原敬武: マーチ・742で全日本F2000に参戦、星野一義と同点ながら総合2位。


高橋国光: 日産ファクトリーでの後輩となる星野一義は、「僕は昭和22年生まれで、日産に1970年(昭和45年)に入って以後は昭和15年生まれの国光さんと、昭和16年生まれの北野元さんというお二人の背中をずっと見てレーシングドライバーとして育ってきた。


片山敬済: 泉は1978年に、ヨーロッパのF2に参戦していた星野一義から「片山さんは、どうやってヨーロッパで戦っているんですか?」と尋ねられたことがある。


鈴木利男: 世界三大レースの一つに数えられるル・マン24時間レースにもワークスやプライベートで多数参戦し、1999年には総合2位を獲得したほか、1992年のデイトナ24時間レースでは、林義正と水野和敏が率いる日産自動車ワークスにて、星野一義と長谷見昌弘と共に日本人ドライバーによる日本車初優勝を成し遂げた。


高原敬武: チームメイトはヒーローズレーシングを「(星野一義と)自分の二人のNo.1ドライバーはいらない」と飛び出し移籍してきた成長株の中嶋悟となった。


星野一樹: 2023年シーズンより星野一義前監督からバトンを受け継ぎ、株式会社Team IMPULの代表取締役、SUPER GTおよびスーパーフォーミュラチーム監督(一義は総監督となり一歩引いた立場で引き続き帯同)、ホシノインパル製品の企画開発統括責任者となった。


中嶋悟: 実質的に中嶋に対抗出来た日本人レーサーは星野一義のみとなっていた。


松本恵二: 緻密さと大胆さを併せもったレースぶりで、国内レースで星野一義や中嶋悟と並ぶトップ・ドライバーだった。


本山哲: 2月の日産の体制発表記者会見で行われた引退セレモニーでは、師匠である星野一義や後輩ドライバーから花束が贈呈された。


星野一義の情報まとめ

もしもしロボ

星野 一義(ほしの かずよし)さんの誕生日は1947年7月1日です。静岡出身のレーシングドライバーのようです。

もしもしロボ

現在、父親、結婚、事故、引退、家族、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。星野一義の現在の年齢は77歳のようです。

星野一義のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

星野 一義(ほしの かずよし、1947年7月1日 - )は、日本の元レーシングドライバーである。現在は株式会社ホシノインパル代表取締役会長。静岡県安倍郡玉川村(現・静岡市葵区)出身。血液型:A型。現役時代は「日本一速い男」と呼ばれた。

レーシングドライバーの星野一樹は長男。

生家は生菓子の製造・販売業を営み、周囲と比して裕福な家庭に育った。野球少年だった星野は、父・又平が道楽で何台も自動車を所有していたこともあり、乗り物好きでもあった。中学生の時には無免許にもかかわらず、父親からオートバイを買ってもらい、それを乗り回したり改造したりしていたという。この頃には「オートバイ」や「モーターサイクリスト」などのオートバイ雑誌を読み漁っては、マン島TTレースやロードレース世界選手権(WGP)に参戦している北野元や高橋国光が駆るホンダのマシンに思いを馳せていた。

星野は東海大学第一高等学校(現・東海大学付属翔洋高等学校)を1年生の1学期が終わったところで中退し、しばらくは静岡市内のオートバイ販売店で働くが、ほどなくして当時東海大学に通っていた兄・幸雄を頼って神奈川県に移り、カワサキワークスライダーだった安良岡健に弟子入りを志願、安良岡の同僚だった三橋実が率いるカワサキ系モトクロスチーム「カワサキ・コンバット」に加入した。16歳になった星野は、ここで後に一緒にホシノインパルを立ち上げることになる金子豊と出会っている。しかし、1964年のデビューレースでは転倒し脳震盪のため搬送され入院というデビューだった。

1967年に夫人と結婚。翌1968年には同じカワサキ系ワークスチームの「神戸木の実レーシング」(片山義美が主宰)に移籍してカワサキの契約ライダーとなる。同年の全日本モトクロス選手権の90cc・125cc両クラスではチャンピオンを獲得し、タイトル獲得の褒美としてセニア最優秀選手に選ばれ、日本モーターサイクルスポーツ協会 (MFJ) からヨーロッパ視察旅行を与えられた。

星野はモトクロスの危険度の高さに見合った年収が得られないことに不満を感じており、練習場である富士スピードウェイ脇のダートコースから名物の30度バンクを駆け抜ける四輪レーサーを見て憧れを抱いていた。一度は収入面でモトクロス界より安定が見込めるオートレース転向も考えていたが、翌1969年にモトクロス仲間の歳森康師の推薦で日産自動車のワークスドライバーのテストを受け合格したのを機に、二輪から四輪へと転向した。1970年に日産に入社し、東京都大田区大森にあった日産宣伝部の契約ドライバー(俗に「大森ワークス」と呼ばれる)となり、主に当時「マイナーツーリング」と呼ばれた富士スピードウェイでのツーリングカーレースなどで活躍する。星野はスカイラインやフェアレディでのレース参戦を望んでいたが、星野の希望するこれらのマシンは一軍格である追浜ワークスの高橋国光、北野元、黒沢元治らが乗るものであり、日産での二軍に相当する大森ワークスの星野は新開発の前輪駆動(FF)車であるチェリーでの参戦を指示され、FF車が好きではない星野は内心「FFは(星野が嫌いな)アンダーステアも出るし、なんでFFでレースしなきゃいけないんだ」と思いながら参戦していたという。

1974年、大森ワークスの先輩(リーダー)である鈴木誠一と折半で、マーチF3のシャシーを購入し、FJ1300に参戦。エンジンは、鈴木たちが設立した東名自動車(現・東名パワード)がチューニングを手掛けた。星野はFJ1300のデビュー戦で優勝。この頃には第一子となる長女が誕生して一児の父となった。

1975年、国内トップカテゴリーの全日本F2000選手権に第2戦から参戦を開始。参戦した4レース全てでポールポジションを獲得し、うち2勝を挙げてシリーズチャンピオンを獲得した。この王者決定レース後、観戦に来ていた父親を見つけ、それまで観戦したいなどと一度も言ったことのない父が、実は静岡から離れた鈴鹿まで来てレースを見ていたことを初めて知った。その時の父親はチャンピオン獲得した星野を見て感極まっており、その顔を見たことは星野にとって生涯忘れられない記憶になったという。

1976年、ヒーローズレーシングに加入。全日本F2000では2勝を挙げランキング4位となる。10月に富士スピードウェイで行われたF1世界選手権イン・ジャパンにはヒーローズからスポット参戦。マシンは旧型のティレル・007で、決勝レースでは大雨の中一時3位を走行する健闘を見せるが、スペアタイヤが底をつきリタイアした(正確にはタイヤ自体は残っていたが、それを装着するホイールの予備がなかった)。以後、全日本F2選手権や全日本F3000選手権、富士グランチャンピオンレース、全日本FP選手権、全日本耐久選手権、全日本ツーリングカー選手権 (JTC) においてチャンピオンの常連となり、レースファンやメディアから「日本一速い男」と呼ばれるようになる。

1977年にはヒーローズでの2年目を迎え、前年に初の2000ccレース出場で好走を見せた6歳後輩となる新人中嶋悟が加入、星野のチームメイトとなった。F2000で星野は8戦中4勝を挙げチャンピオンを獲得。秋のF1日本GPにコジマエンジニアリングKE009にて参戦、11位完走を果たす。同年10月には第二子となる長男の一樹が誕生した。

1978年、ヒーローズでのNo.1ドライバーは完全に星野だったが、この年のF2000第3戦鈴鹿で中嶋がポール・トゥ・フィニッシュで星野を破って以降、徐々に両者の関係には緊張状態が生じる。同年、中嶋がイギリスF3に参戦するため、競技ライセンスをJAF競技ライセンスからイギリス王立自動車クラブ(RAC)発行のものに切り替えたこともあり、F2000タイトルは星野が獲得することになったが、シーズン終了後に中嶋が「チームにエース2人はいらないよ」とヒーローズから離脱、生沢徹の率いるチームi&iに移籍した。

同年6月、星野曰く「頭の中に常にあった」というヨーロッパ挑戦を実現させ、ヨーロッパF2第6戦ルーアン・レゼサールと第7戦ドニントン・パークの2戦にスポット参戦した。日本で連勝していた体制をそのまま持ち込み、ヒーローズのノバ532・BMW(ケン松浦チューン)にブリヂストンタイヤで参戦したが、ヨーロッパF2で多勢を占めていたマーチ782・BMWとグッドイヤータイヤのパッケージには予選タイムで及ばず、決勝もドライブシャフトのトラブルが立て続き2戦ともリタイア。当初予定では第10戦エンナまで参戦予定だったが、ドライブシャフトのスペアがなくなってしまったためドニントンパークのレースにて遠征を終了せざるを得なかった。この遠征には当時の金額で1,200万円を費やした。以後、星野はヨーロッパへの思いを封印し、国内レースへと集中することを決意した。

1980年、ドライバーとしてはヒーローズと契約更新するが、かねてより考慮していた自身の会社設立に動き、モトクロス時代の仲間である金子豊と共に「ホシノインパル」を設立。星野は当時32歳であったが、先輩レーサーを見ていてその定年が30代半ばで来ると感じ、現役トップの頃に自分で会社を作り、自動車を通じたビジネスを成功できれば、との思いがあった。なお、当初は飲食店での起業も考えたというが、自分には車しかないと考え、まずはホイールからやってみようとエンケイの鈴木順一社長に相談。しかし星野がデザインに携わったインパルホイールをエンケイ工場で試作木型にて立体化してみると、そのデザイン性の欠如と、商品としての魅力を感じないことに星野は愕然とし、目の前が真っ暗になったという。その星野の様子を見た鈴木は資料やデザイン提供などの協力で星野を助け、星野は後年「インパルが成功できたのはあの時鈴木社長が思いやりで僕を助けてくれたから」と感謝を述べている。金子とともに九州から北海道まで全国のホイールを取り扱うショップを巡る営業活動をレース活動の合間に地道に繰り返していたが、インパルのホイールは最初の2年間はヒット商品が出なかった。

創業から2年経過した頃に転機が訪れ、星野自身が参戦する富士スーパーシルエットレースで「シルビア・スーパーシルエット」にインパルのホイールを装着し、そのホイールを元に市販化されたホイール「D-01シルエット」に注文が殺到、生産が追い付かない大ヒット商品となり月に2万本は売れたという。これによりIMPULブランドの知名度は大きく向上し、ようやくビジネスが軌道に乗り始めた。

ホシノインパルの業績が軌道に乗ったのを受け、1983年に自らのレーシングチームとして「ホシノ・レーシング」を設立し、ヒーローズレーシングから独立。全日本F2選手権と富士グランチャンピオンレースおよびスーパーシルエットレースに自らのチームで参戦するようになった。また、同年から始まった全日本耐久選手権にもホシノレーシングから萩原光とのコンビで参戦を開始。6月にはイギリスのドニントン・パークで行われたヨーロッパF2選手権第8戦にスポット参戦(マシンはマーチ832・BMW)し、4位入賞を果たす。なお、この遠征により星野が不在の期間に日本で開催されたスーパーシルエット・レースでは、星野の代わりに萩原がシルビア・スーパーシルエットに乗り参戦した。

1984年4月、IMPUL本社にショールームをオープンさせ、星野も転居し東京が活動拠点となった。同年の全日本F2ではチャンピオンとなった中嶋の後塵を拝しランキング3位に終わり、中嶋が使用するのと同じホンダV6エンジンの搭載を熱望するようになっていた。星野は自身が日産ワークスを離れる覚悟を決めてホンダと交渉、翌年からF2でホンダエンジンを搭載する契約を結ぶ(日産との契約継続の経緯については後述)。

1985年、富士スピードウェイで開催されたWEC-JAPAN(富士1000km)に松本恵二と萩原光とのチームでマーチ・85G/日産を駆り参戦。決勝では雨によるコンディション不良でスタート順延などレース運営の混乱もある中、星野が首位で独走を見せる。チームメイトの松本による「今の路面を一番理解している星野がこのまま交代しない方が勝つ可能性が高まる」との意見もあり、星野が単独ですべて走り切り優勝。日本人として初の世界選手権レース優勝者となった。

1986年4月、弟子として行動を共にすることが多かった後輩・萩原光がテスト走行中の事故で死去する悲劇に見舞われる。2か月後のル・マン24時間レースに松本恵二と、萩原の代役として起用された鈴木亜久里とのトリオで日産・R86Vで参戦。結果はトラブルによりリタイヤだったが、以後1998年まで星野は日産のル・マン24時間レース挑戦の主軸として参戦を続けることになる。全日本F2では中嶋がチャンピオンとなり、星野はランキング2位と敗れる。同年夏には中嶋が翌1987年からフルタイムF1ドライバーとしてロータス・ホンダと契約したことを発表。結果的に星野はホンダエンジンを使用するようになって以後の2年も全日本F2ランキングで中嶋を打ち破ることができなかった。唯一意地を見せる結果となったのは、同年の全日本F2で星野3勝、中嶋は1勝と勝利数で上回った事であった。

1987年には国内でのホンダF1エンジンのテストドライバーの役割を中嶋から引継ぎ、ウィリアムズ・ホンダでのテスト走行を行ったほか、この年以後日本での開催が復活したF1日本グランプリでスポンサー持込などの条件付きでベネトンなどのF1シートに誘われることも複数件あったが、「プロのドライバーはお金を貰って走るもの。払って乗せてもらうのはあり得ない」という信念を貫き、F1スポット参戦を見送っている。同年より全日本F2から全日本F3000へとトップカテゴリーが再編された。中嶋という最大のライバルがいなくなったこともあり、星野は4勝を挙げチャンピオンを獲得するが、フットワーク/ムーンクラフトとのジョイントにより良い参戦体制を得た鈴木亜久里が台頭し2勝を挙げ、その挑戦を受ける立場となりつつあった。

この時期にはインパルのメインバンクからの勧めもあって東京都世田谷区の環状八号線沿いの土地を購入し、ホシノインパル本社およびファクトリーを三鷹から移転させる計画を進め、1988年4月にIMPUL新本社とショールームが落成し移転が完了した。同年の全日本F3000選手権ではチャンピオンを鈴木亜久里に奪われランキング2位で終える。有効ポイント制だったため、総獲得ポイントでは星野の方が2ポイント上回り、勝利数も同じ3勝と僅差での敗退であった。中嶋に続き鈴木亜久里も星野を破ってF1シートを獲得したこともあり、星野は日本のレース界からF1に行くために越えるべき「最後の壁」としてレース専門誌や東京中日スポーツなどで報じられることもあった。以後1991年の片山右京や、1993年のエディ・アーバインも星野とのF3000タイトル争いを経てF1レギュラードライバーとしてデビューする結果となった。

1990年のル・マン24時間レースでは日産・R90CPで出場し5位入賞を果たす。これを皮切りに海外レースでの実績として、1998年のル・マン24時間レースには日産・R390で出場し、日本人ドライバートリオによる初の3位表彰台に輝いた。他にも1992年には林義正と水野和敏の指揮でデイトナ24時間レースに日産・R91CPで出場し、2位を9周引き離して完全優勝するなどの実績を挙げている。このレースでは他にもファステストラップ1分38秒495や、24時間の平均速度181.923 km/hなど、多くの記録を塗り替えた。

1990年代に入ると全日本ツーリングカー選手権や全日本GT選手権にカルソニックカラーのスカイラインGT-Rで参戦し数多くの勝利を獲得、「カルソニックの星野」のイメージを強くした。

その傍らで全日本F3000選手権にも参戦を続けていたが、1997年シーズン開幕直前に持病の腰痛の悪化のため、国内トップのフォーミュラ・ニッポンからの引退を発表。以降も全日本GT選手権には5シーズン参戦し続けたが、2002年8月に現役ドライバーからの引退を発表した。

引退後は全日本GT選手権(現・SUPER GT)とフォーミュラ・ニッポンに参戦する自身のチーム「チームインパル」の監督を務めている。また、ニスモフェスティバルなどの各種イベントでのデモランや、日産の新型車(主にフェアレディZやスカイライン、GT-Rなど)のテストドライブなどで雑誌やメディアに出演することも少なくない。

2023年3月2日、日本プロスポーツ大賞スポーツ功労者顕彰を受賞した。

自身のドライビングのスタイルを「二輪時代からだけど、フロントが入って行かないクルマだと全然だめなのよ。アンダーステアという言葉は発したくないくらい嫌い。オーバーステアなら何とでもなるけどね」と述べている。また1980年代中盤から全盛となったテレメトリーによる走行データ分析重視が好きではなく「今は昔と違って細かいデータを分析しなくてはいけない時代で、データが頼りのところがある。俺はレースは経験が重要だと思っているし、データが嫌いだから(笑)」と述べている。

盟友である金子豊は「星野はリズムにのった時は速いが、乗れないとわりに焦る。自分の力をもっと信じていればもっと勝ちまくった人だと思う。90年代になってベテランになっても気持ちを高めていくやり方で勝つことがあるけど、そのやり方で失敗するレースも多い。マシンを降りてる時は日本人なんだけど、走ってる時はラテンですね。」と評している。

星野は1970年代半ばから「日本一速い男」と呼ばれるようになったが、これは必ずしも褒め言葉ではない面もあった。一方に「日本一強い男」とでも呼ぶべき高原敬武がいたためである。星野はベテラン勢を差し置いてポールポジションを獲得するのだが、最終的には高原が勝利を得てチャンピオンになるというパターンであった。速さで星野、強さで高原というのが1970年代半ばの日本レース界だった。

エディ・アーバインやジョニー・ハーバートなど、全日本F3000選手権に参戦経験があるF1ドライバーから一目置かれている。中でもアーバインは「ホシノさんは外国人ドライバーにとって“日本モータースポーツ界のゴッドファーザー”だと思っているし、“日本のセナ”だとも思っている。それぐらいの大スターなんだ」と敬意を払っており、F1初優勝を飾った1999年開幕戦オーストラリアGPのレース後TOP3記者会見で「日本にホシノっていうすごく速いオヤジがいるんだけど、彼がブリヂストンで、俺はダンロップだったんだ。日本でさんざん負けたそのBSを履いた初めてのレースで勝てるなんてね。でもホシノは本当に速いんだよなぁ。」と発言。レースでのTOP3がアーバインとハインツ=ハラルド・フレンツェン、ラルフ・シューマッハと全員が日本での星野の速さを知っていたため、アーバインの言葉に同意しうなずくという場面があった。

同じく全日本F3000経験者でJTCCでも星野と戦い、後にル・マン24時間レースを9度制覇するレジェンドとなったトム・クリステンセンは「ホシノさんのスタイルが大好きだった。すごく激しいけど、バトルではとてもフェアだった。フォーミュラだけでなく、グループC、グループAとどのカテゴリーのクルマも乗りこなして素晴らしいと思っていた」と1990年代の星野を讃えている。

1980年代半ばに何度も全日本タイトルを奪っていた中嶋悟は「僕がいくら実績を挙げても、相変わらず“日本一速い男”が別にいるんだよね」とぼやいていたことがある。その一方で「先輩(星野)は富士で特に速い。全く抜けないなと思ったレースがあった」「二人が同じくらい速く走る能力があったのだとしたら、絶対に勝つんだという執念とか執着心は僕より先輩の方が持っていたし、僕に足りないものだったと思う」「星野先輩が争ってくれたから日本でレースをやるモチベーションを保てていた、感謝している点です」と2004年の取材にて星野へ謝意をコメントしている。

1990年代に入るとアーバインやハーバート、フレンツェン、ペドロ・デ・ラ・ロサ、高木虎之介、服部尚貴、中野信治、ラルフ・シューマッハ、本山哲など中年期に達した星野より明らかに速い若手も登場していたが、変わらず「日本一速い男」の称号は星野のものであった。

タイヤテストでのインフォメーション能力を高く評価されており、ブリヂストンの浜島裕英は星野を「ミハエル・シューマッハと並んで極めて高いタイヤ評価能力を持つ」としている。ただし浜島によれば、星野とシューマッハは「前がかなり食いついていないと(=フロントタイヤのグリップが高くないと)だめなドライバー」なため、他のドライバーが同じタイヤを使うと「みんなオーバーステアになってしまって乗れないと思う」という。また、当時の全日本F3000で「ブリヂストンタイヤが最大限に機能するスリップアングルを出すのが一番巧かったのは星野選手」とも浜島が述べている。

現役時代はヘビースモーカーで、ピット内は火気厳禁かつ禁煙にもかかわらず、特に1980年代はピット内でもよくたばこを吸っており、レーシングスーツのポケットにも常に入っていた。好きな銘柄は長年星野をスポンサーとして支援したJTのキャビンだが、それ以前のフィリップモリス社のLARKが自身のメインスポンサーとなっていた1984年頃は吸う銘柄もラークに変えていた。レース前の星野は恐怖感に苛まれ緊張状態になる場合も多いため、これが俺が吸う最後の一本になるかもしれないと思いながら吸う事も多かったという。あるレースでは、レースカー車内でも吸えるように持ち込もうとしたところを、スタッフや本山哲に制止された逸話もある。

    2007年10月、60歳にして禁煙にチャレンジし、長年1日100本吸っていたタバコを止めたとブログにて記している。禁煙後は体重が10kg増加した。

    酒類は好きではなく、飲まない。「たばこはいつ吸ってもうまいから辞めるのに苦労したけど、酒を美味しく感じたことはない」とも述べている。

    豪放な発言も多くあるが、実際には神経の細い部分もあり、現役時代レース当日になると緊張のため食事が喉を通らず、レース当日の食事をバナナのみで済ませることも多かった。ヒーローズレーシングで中嶋悟とチームメイトだった時代、ドライバーズサロンで普通に昼食を食べる後輩・中嶋の姿を見て「レース前なのによくそんなに食べられるな」と思わず声をかけたこともある。現役中はレースがある週に入ると緊張感とストレスから水曜日に全身に湿疹が出はじめ、レース終了後の月曜日になると治っているというサイクルが15年続いた。

    愛猫家である。息子の一樹もおなじくねこ派であると取材で答えている。一樹によると実家には子供のころいつも動物がいて、イヌ、ネコ、ハムスター、インコ、ウサギといろいろな「家族」がいたと述べている。

    ライバルレーサーの強さを認めると率直にそれを評価することが多い。例として、

      1990年のインタビューで前年の全日本F3000王者に輝いた小河等を「最終的には、小河(等)ちゃんのあのアクセルワークだよ。あの冷静さ、あのハンドリング」と小河のドライビングにこれ以上ない高評価をしている。また「僕のあとは小河クンしかいない」とも発言した。

      1993年、スポーツランドSUGOでの全日本F3000予選中、馬の背コーナーをとんでもない速さで駆け抜けていくハインツ=ハラルド・フレンツェンに衝撃を受け、ピットに戻るとフレンツェンのもとに駆け寄り「お前はこんなところでくすぶってないで早くF1に行け」と言いに行った(星野がライバルを褒めに出向くのは極めて異例)。フレンツェンは翌年ザウバーからF1デビューを果たした。

      1995年、F3000第9戦富士でトップを独走し、トラブルもなかったにもかかわらず、終盤になって高木虎之介にストレートであっさりかわされ2位に終わる。完敗した星野はレース後会見で高木の監督である中嶋悟に「もうティレルでもどこでもいいから向こう(F1)にやっちゃってよ」と漏らした。なお、星野は翌年限りでフォーミュラから引退し、高木は1998年にそのティレルからF1にデビューした。

      自らの引退後、ホシノIMPULで起用したブノワ・トレルイエを高く評価しており、「若い時のブノワをF1に行かせてあげたかった」「人間性から何から全てが素晴らしい」「俺ブノワのファンだから」と公言している。

      1990年代に入りGTマシンでシーケンシャル・シフトが普及してからも星野は従来のHパターンシフトにこだわり、ギアボックスを換装していた。更に、シフトアップ時のフリッピング(アクセルを一瞬戻すことによるロス)を減らすため、当時は珍しかったシフトカット装置を独自に装着していた。

      現役引退後のチーム監督となってからもレース現場では現役時代を彷彿とさせる熱血漢である。レース中、納得できないことがあれば、ピットのサインガードテント内でテーブルを叩く(あるいは蹴る)、物を投げる(主にペットボトル)、声を荒げるなどの感情を隠さないしぐさの他、インタビューに来たテレビ中継リポーターに「映すな」とインタビューを受け付けないなど「日本一熱い監督」あるいは同姓の星野仙一同様「闘将・星野」とテレビ中継内で実況されている。その一方、自チームの選手がマシントラブルや競り合ったためにクラッシュやリタイアをした場合でも、マスメディアなどの取材攻勢から守る、取材に対してレースの結果を選手の責任としない等、ドライバーを最大限擁護する行動をしている。

      プライベートではゴルフ好きだが、自らの熱くなりやすい性格がプレーに出てしまい「(悪いショットの時に)すぐにゴルフクラブを叩き折ってしまう」という。酷い時には「スタート前の練習ですでにクラブを2本叩き折ってしまい、それを見ていた担当キャディーに怖がられてしまい、謝ってからチップをあげてキャディーに付いてもらった」こともあるといい、熱くなりすぎのせいで「一緒に遊んでもらえる友達がいなくなっちゃった(笑)」と述べている。一方でイップス持ちでもある。

      レースを始めるきっかけとなったのは、鈴木忠男(SP忠男レーシングチーム監督/モトクロス全日本チャンピオン)出場のモトクロスレース観戦があったからと言われている。Mr.BIKE(BG) の対談で本人が答えた。以来ずっと鈴木とは信頼関係を持っている。

      日産ワークスに入った時の先輩(7歳年上)である北野元を尊敬し、憧れていた。2輪から4輪に転向という同じ経緯をたどった北野のスピードやその技量の高さだけではなく、人柄に惚れており深く慕っていた。1989年の全日本ツーリングカー選手権には自チームIMPULに勧誘し、北野とコンビで参戦することになった際に星野は「一番尊敬している先輩とのコンビです」と公言している。星野曰く「俺はとにかく練習して練習してレースをしていたが、北野さんは市販マシンでワークスマシンに勝っちゃう人。俺とは全然モノ(才能)が違う」「どの先輩も尊敬しているが、北野さんは(胸の辺りを指して)ハートの部分が一番良い人」と語っている。

      北野と同じく日産ワークスの先輩・高橋国光にも「日産に入って以後は国光さんと北野さんというお二人の背中をずっと見てレーシングドライバーとして育った。このお二人を目標として生き様を見てきて、大恩人ともいえる存在。」と述べ、黒沢元治には「日産三羽ガラス(北野・高橋・黒沢)の中で、開発・セッティング能力において黒澤さんがナンバーワン」とそれぞれの特徴を述べ敬意を表している。

      松本恵二とはライバルであったが馬が合い、「けいちゃん」と呼ぶなど仲が良い。1985年からは自チームに誘い全日本耐久選手権に同チームで組んだが、アンダーステアが大嫌いな星野とは逆に松本は弱アンダーのセッティングを好みドライビングスタイルがかなり違っていたという。2022年9月に脇阪寿一のYouTube企画に出演した際にも脇阪の師匠である松本の話題になった際、「恵二は一番仲良かったからね」と述べている。ほかには同じ日産陣営でもありインパル創立時に事務所から近くに在住だった高橋健二も「ケンちゃん」と呼び親交があった。

      松本との対談においては「鈴鹿の130Rを初めてなのに全開で入って行けたのなんてケケくらいしかいなかったよね」とケケ・ロズベルグに一目置いた発言をしている。一方のロズベルグも「例えば、私は星野一義の日本での強さをよく知っている。彼は確実に欧州で通じる一流のテクニックを持っていた。」と日本での星野の印象を語っている(1992年)。

      中嶋悟がレギュラードライバーとしてF1に参戦していた期間は、悔しさからF1中継や報道を観るのを避けていた。互いに引退後にはサーキットでのトークイベント等で星野が中嶋に「ホンダに5年もF1行かせてもらって本当うらやましいよ」と言うと、中嶋が「でも俺はあっちに行ってて日本のバブルを味わってないんだよ。あの期間に星野さんはビジネスで成功を掴んだ(笑)」と、逆にうらやましく思われる部分もあると知り、同じくF1に行ける世代ではなかった松本恵二と共に「俺たちは日本レース界でバブルを味わえていい時代だった」としみじみ語っている。

      弟子に萩原光がおり、1986年に萩原が事故死した時は大変なショックを受け、告別式ではあいさつに立ったが慟哭し言葉にならなかった。

      本山哲、井出有治や、1984年にカーレーサーを志望し星野に弟子入り志願した歌手の近藤真彦も星野を師とする師弟関係である。近藤にはドライバーにとってトレードマークである星野のヘルメットデザイン(白×黄)の色違い(黒×シルバー)のヘルメットを使用することを許可し、デビューレースからレーシングスーツの胸部にIMPULロゴが大きく配されるなど大きな支援をした。

      息子・一樹のレース時着用のヘルメットデザインは父・一義のものと同じ黄色いラインが受け継がれており、ベース色などアレンジを変更することはあっても黄色いラインは変更しないこだわりを持っている。

      現・シアトル・マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターのイチローは、星野の現役時代からの星野ファンであり、イチローの依頼で星野が経営するホシノインパル製のチューニングカーマーチやシーマ、スカイラインクーペを作ったことがあり、特にマーチやスカイラインクーペはイチローのアメリカでの愛車となった。ほかにもプロゴルファー尾崎将司もシーマ・IMPULスペシャルを所有している。

      1982年には日産・シルビアRS(FJ20型エンジン搭載)のテレビCMに出演。ここでも「日本一速い男」と紹介されている。

      ホリデーオート誌に懇意にしている星野番記者がいたため、1984年6月号と別冊1980年5月号で自宅密着企画が組まれ、入浴時のオールヌードを披露している。印刷所からは「どこまで黒塗りしますか?」と成人誌のような誌面作成作業となった。Option誌でも1984年2月号で自宅の入浴光景とオールヌード(股間を見えないようヘルメットを設置)を披露。「カラダはいたって健康、とくにアソコは自信ある。レース界でトップクラスよ」と得意の下ネタも掲載されたため、年頃となっていた長女に「恥ずかしくて学校にいけない」とお𠮟りを受けた。その一方で同じ記事上で「カネは自分の手で稼ぐしかない。今に見てろと言う一心でここまで這い上がったんだ。」との真剣な語録も残している。

      ホンダからF2エンジンの供給を受けることが内定した1984年暮れ、星野は日産ワークスを辞める覚悟を決め、銀座の日産本社にその報告と最後の挨拶に出向いたがニッサン・モータースポーツ・インターナショナル(NISMO)側が星野の能力を惜しみ、当時ホンダと日産は直接レースで対決することがなかったことが理由となり残留が決まった。星野は日産を辞めると決めていたが、「日産の川合専務から、話は分かった。今までお前にいくら掛かってると思ってるんだ。辞めさせない。F2のエンジンはホンダを使っていいから。俺が(本田)宗一郎に言って話をつけてやるから、残れと言われたんだ。感謝しかなかった。」と述べている。2022年時点で星野率いるIMPULはフォーミュラ・ニッポンにトヨタエンジンで参戦しているが、こちらも日産が参戦していないカテゴリーのため問題視はされていない。加えて、星野と日産の結びつきが強いためNISMOのテクニカルスポンサードを受けており、IMPULのマシンにはトヨタとNISMOのステッカーが両方貼られる希少な組み合わせとなっている。

      1980年代後半、全日本耐久選手権、全日本ツーリングカー選手権で日産ワークスに在籍したまま、全日本F2/F3000選手権ではホンダからエンジン供給を受けたことに配慮し、サーキット入りする際にグループC、グループAの開催時は日産車を使い、F2/F3000のときは中立の意味でメルセデス・ベンツでサーキット入りしていた。また、交渉事でホンダ本社へ行くときのためにホンダ・レジェンドも所有していた。

      1985年のWEC-JAPANでは、豪雨と霧のためスタートが3時間遅れるほどの悪天候のため海外のワークス勢がしり込みして棄権するチームが多い中、星野がドライバー交替をせず1人で後続を引き離し独走優勝を果たし、日本人ドライバーとして初の世界選手権優勝者となる。しかしレース後のTVインタビューでは、世界選手権というステージで海外勢に対し姿勢があやふやな運営をした日本のモータースポーツ界に対して怒りを露にし、優勝者インタビューとは思えない怒りのインタビューとなった。

      マシン開発が激化の一途を辿っていたグループCのマシンの走行テストを富士スピードウェイで行っていた際、突然リアウイングが最終コーナーで加速中にへし折れ、コントロールを失ったマシンが空中に浮かんで数回転スピン、コンクリートウォールに激突して停止した。幸運にも怪我なく救出されたが、星野は事故後その恐怖から30分以上全身の震えが止まらなかったという。当時日産はグループCカーとしてマーチやローラ等外部コンストラクターのシャシーを使用していたが、外部メーカー製パーツの品質管理の難しさを痛感。この事故を機にパーツの内製比率を増し、日産・R91CPからは主要パーツを完全自社製とした。

      前記の富士テストでの恐怖は色濃く、雑誌のコラムでも「今まで凄かった車は?」の問いに「日産のグループCカー」と答え「1,000馬力も出たら危ない」と回答。最終的に1250馬力までエンジンパワーは進化し、富士の長いストレートでも終始加速し続けるばかりで恐怖だったと語っており、エンジニアからマシンの改善点を尋ねられても「エンジンはもう何もしないでくれ、これ以上のパワーなんていらないから」と伝えていた。引退後に日産のCカーを回想する際にも「乗る面白さなんて無い、ただただ怖いだけ」と述べた。現役当時は毎レースの予選終了後にチームメイトの長谷見昌弘と顔を合わせて「お互い無事でよかった」と安堵し、Cカーカテゴリーが消滅した際にも2人で「もうこれで死ななくて済む」とホッしたという。

      1990年代、全日本F3000の決勝レースで、若手レーサーのミスに巻き込まれてチャンピオン争い中の星野がリタイヤに追い込まれた。「星野さんに謝りに行ったほうがいい」と周囲に言われてその若手が星野のモーターホームに向かうと、窓ガラスに拳状のヒビが入っており、星野の怒りの大きさにおののいたそのレーサーはその場から退散したという。

      1990年10月、F1のベネトンから、直前にヘリコプター事故に遭い欠場が決まったアレッサンドロ・ナニーニの代役としてF1日本グランプリにスポット参戦しないかという正式オファーがあった。但し持参金として約2,000万円を要求され用意すれば乗れたのだが(盟友の金子豊は星野のF1参戦を叶えたい意向がありこの資金の準備をした)、先述の通り「プロのレーシングドライバーは金を貰って乗るもので、それがF1だとしても自分から払って乗りたくはない。2万円ぽっちでもいいからギャラを払ってほしかった」という主義を貫いたため、この話はロベルト・モレノへと流れてしまった(結果モレノは2位表彰台獲得、ベネトン1-2フィニッシュ)。翌1991年も日本GP前にコローニから乗る依頼が来たが断り、そのあとこの話が行った服部尚貴がそのコローニで出場した(予備予選不通過)。この件に関連して、2003年日本グランプリ金曜フリー走行にて弟子の本山哲がジョーダンF1での出走が決まり、その場に星野も立ち合ったが感動のあまり、「俺はベネトンから2,000万円で乗らないか、と言われて断ったが(こんなにF1が凄いのなら)やっぱり金払ってでも乗ればよかった」と語った。

        ギャラを貰って乗るのがプロというこだわりはF1だけではなくすべてのマシンドライブに共通しており、星野が自分で資金を出して参戦したのは1978年と1983年のヨーロッパF2参戦の時だけだと述べている。

        1991年夏にミハエル・シューマッハが全日本F3000に初参戦した際、コース(菅生)もF3000での実戦も初だったシューマッハが日本の第一人者であると感じた星野のピット付近を訪れると数十分ずっと観察し、星野のマシンの様子などから何か得るものはないか凝視し探っていたという。シューマッハの存在を認識していなかった星野はスタッフに「あれは誰?」と聞き、若いながらもその貪欲に敵を研究する姿が印象に残ったと言う。

        1996年、他力本願ながらシリーズチャンピオン獲得の可能性を残していた雨の富士スピードウェイでのフォーミュラ・ニッポン最終戦において、クラッチトラブルによりピットインしリタイアした際に、星野の姿はTVカメラで終始追われていたが、タイトルを逃したあまりの悔しさと怒りから、ピットでマシンを止めた直後にステアリングを投げ捨て、更にピット内で脱いだヘルメットを思い切り床に叩き付けてしまったその姿もすべて中継で映し出されていた。後日、星野はヘルメット供給メーカーのアライヘルメットの工場を金子と共に訪れ、「(ヘルメットに八つ当たりして)申し訳ありませんでした」と謝罪した。結果として、このレースが星野の国内トップフォーミュラ引退レースとなった。

        1998年のル・マン24時間レースへ参戦する際、THE ALFEEが星野のパーソナルスポンサーとして就くことになった。その際、乗車する日産・R390-GT1のリアタイヤ前方カウルに"THE ALFEE TOSHIBA EMI"のロゴが貼り付けられた。本来数ヶ月掛かるスポンサー契約交渉だが、この際には即断に近い異例の一週間程度で完了した。翌年は星野のレーシングスーツに『THE ALFEE』のロゴが貼られた。

        2001年3月にはスピード違反で免許停止処分を受けたため全日本GT選手権に出場できなくなり、急遽服部尚貴が星野の代わりに参戦した。写真週刊誌には免停講習を受ける星野の姿が掲載され、世間の話題を呼んだ。

        レーサーからの完全引退の後にはエディー・アーバインが「ホシノさんの引退によって日本のモータースポーツが下火になったと聞いている。これは寂しい事だ」と発言するなど、引退を惜しむコメントが多数寄せられた。

        2012年2月の鈴鹿サーキットモータースポーツファン感謝デーにおいて「1980年代末期、日産の承諾を得た上でホンダのF1用エンジン開発にテストドライバーとして参加していた」事を明かした。公然の秘密ではあったが、公の場で述べたのは初だった。このイベント時のデモランで星野はウィリアムズ・FW11に乗り中嶋ドライブのロータス・100Tと共演している。

        2017年の鈴鹿サーキットモータースポーツファン感謝デーにて、中学生の頃からの憧れであったマン島TTレース参戦マシン、ホンダ・RC166とRC164のデモランを担当した。星野は過去の同イベントにて度々レーサーバイクに乗せてほしいと発言しており、また北野元に対しても「(RCに)乗りたい」と訴え続けていたといい、中学生時代からの50数年越しの夢が叶った星野は、走行中に感動し涙が出てきたという。

        (key)

          日本の旗 松本恵二

          日本の旗 鈴木亜久里

            日本の旗 高橋健二

            日本の旗 松本恵二

              日本の旗 和田孝夫

              日本の旗 鈴木亜久里

                日本の旗 長谷見昌弘

                日本の旗 鈴木利男

                  日本の旗 長谷見昌弘

                  日本の旗 鈴木利男

                    日本の旗 影山正彦

                    日本の旗 鈴木利男

                      日本の旗 長谷見昌弘

                      日本の旗 鈴木利男

                        日本の旗 NISMO

                        イギリスの旗 TWR

                          フランスの旗 エリック・コマス

                          日本の旗 影山正彦

                            日本の旗 影山正彦

                            日本の旗 鈴木亜久里

                              日本の旗 長谷見昌弘

                              日本の旗 鈴木利男

                              スウェーデンの旗 アンデルス・オロフソン

                              スポーツカー大百科 監修星野一義(1977年7月、フレーベル館)

                              F1大集合 F1 GRAND PRIX 春山徹久著/星野一義監修(1977年、KKベストセラーズ)

                              星野一義のスイスイ運転術 10の力を5で走れ(1978年、交通タイムス社)

                              頭のいい”ダメぐるま”変身術 (1979年9月、講談社別冊ベストカーガイド)

                              星野一義の2輪から4輪への運転テクニック GT野郎へ!本当の走りを教えよう(1980年10月、講談社)

                              孤独のコクピット 撮影:岩田泉(1980年、グランプリ出版)

                              星野一義 俺だけの運転テクニック ゼロヨン必勝法からチューンドカー乗りこなし術まで(1982年10月、講談社/三推社)

                              クルマはこの手で生き返る 週一カーにパワーと輝きを呼び戻す秘密の方法 星野一義著(1982年2月、CBSソニー出版)

                              最新 頭のいい ダメぐるま変身術 星野一義著(1982年6月、講談社別冊ベストカーガイド)

                              星野一義の高速走行テクニック(1984年2月、講談社) ISBN-10:4061071394/ISBN-13:9784061071391

                              星野一義 Pole to finish(1985年、三推社)

                              星野一義 全開バリバリ運転術(1987年6月、講談社)

                              無敵のスーパードラテク教本 指導・星野一義(1987年10月、講談社)ISBN-10:4063037029

                              300km/hからの手紙 突ッ走れ!(1988年3月、小学館GORO特別編集)

                              星野一義 2輪から4輪への運転テクニック カッコよく走る操作術!(1988年4月、講談社)

                              燃えて走った!日本一速い男と呼ばれて(1988年5月、立風書房)

                              車のパワーがよみがえる 120%の性能を引き出すメンテナンス 星野一義著(1991年7月、ソニーマガジンズ)ISBN:4-7897-0662-1

                              私の愛したレーサー 日本一速い男の舞台裏 星野由紀子著(1991年10月、廣済堂出版)

                              HOSHINO 聖地 星野一義写真集 撮影・岩田泉(1999年1月、三栄書房)

                              星野一義 走りの極意 今だから明かせる”日本一”のテクニック(2000年、講談社)

                              GT-R Never Ends 星野一義写真集 HOSHINO IMPUL OFFICIAL PHOTO STORY (2002年11月、交通タイムス社)

                              星野一義 FANBOOK The Racing Legend 日本一速い男、闘魂の軌跡(2017年、モーターマガジン社)

                              *IMPUL OFFICIAL DVD 星野一義ヒストリー(2004年7月、ジェネオンエンタテイメント)※VHS版も発売

                              「激走」日本一速い男/星野一義(1979年2月、東芝レコード)

                              ストレートビクトリー ~星野一義への挑戦~(1998年、PlayStation用、カルソニック株式会社)

                              激走!ルーベンカイザー(1977年10月~1978年2月、東映、テレビ朝日、大広)※稲垣謙三と共に監修を担当。

                              旭光学工業 カメラ PENTAX ME(1978年)

                              日産自動車(1982年 S110型シルビアRS)(1996年 「この瞬間が日産車だね」R33型スカイラインGT-R)

                              日本ラジヱーター ※現マレリ(1985年 グループCカー)

                              アライヘルメット(1987年)

                              日本たばこ産業(1988 - 91年 CABIN)

                              日本石油 ※現ENEOS(1993年)

                              ブリヂストン(1993年「走る・止まる・曲がる・守る」菊池桃子と共演)

                              ^ 免許がなく、公道を走れない事もあり、リヤカーにモトクロッサーを積んでコースと家を行き来している姿を廃品回収を手伝う勤労少年だと思われ、通りすがりのおばさんに誉められたという逸話も残っている。

                              ^ 金子もカワサキ系モトクロスライダーだった。金子は星野より4歳年上だが、後に星野の妹の夫となったため星野の「義弟」である。

                              ^ 元は桑島正美の車両だった。

                              ^ 当時の全日本選手権では「外国ライセンスのドライバーはポイント対象外」の規定があり、中嶋の後半2戦(第5戦2位・第7戦2位)の成績はポイント対象外となった。

                              ^ 同年は星野と同じくジェフ・リースと鈴木利男もホンダF1エンジンのテストを担当した。

                              ^ 出演したアライヘルメットのテレビCMでは「臆病だよ」と自らを語る場面がある。

                              ^ ボタンを押している間だけエンジンの点火がカットされるため、アクセルを踏みっぱなしでもシフトアップが可能な装置。

                              ^ メーカー契約のない中嶋悟はF2でホンダ、グループCではトヨタから参戦していたが、日産ワークス所属のドライバーは国内他社のマシン・エンジンでのレース参戦は禁止だった(BMWなど外国メーカーのマシンやエンジンを購入してプライベーターとして参戦する場合は許された)。

                              ^ 当時すでにNISMOの社内ではル・マン24時間レース参戦に向けた準備が始まっており、星野はエースドライバーとして内定済。

                              ^ ホンダはフォーミュラカーがメインだったのに対し、日産はグループCで活動していたため。全日本ツーリングカー選手権には両社とも参戦していたが、参戦クラスが異なったため直接対決がなかった。

                              ^ 前述の2012年のイベントの際も、ケビン・シュワンツやワイン・ガードナーのWGPマシンを間近で見ながら「俺も乗ってみたい」「俺は元レーシングライダーだったんだぞ」と発言している。

                              ^ Strada 2016.

                              ^ 貝島 & 田口 2002, p. 146.

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                              ^ Impul Official DVD 星野一義ヒストリー 2004年7月1日

                              ^ Racing on 468, pp. 28–29, 46.

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                              ^ 【星野一義】1960年代から70年代「欧州F2挑戦を糧に国内F2、GCダブルタイトルを獲得」【日本一速い男の半生記③】

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                              ^ 星野一義さんの愛猫と井出有治の相性は最悪だった!? 自動車ニュースメディア クリッカー.com 2021年5月20日

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                              ^ 星野家は小さい頃からずっと動物一家でした 犬 猫 鳥 うさぎ ハムスターetc 星野一樹Instagram 2018年12月9日

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                              ^ 星野一義は本物の剣豪である。 F1っぅ放送作家 高桐唯詩のブログ 2017年4月25日

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                              ^ ベストモータリングビデオスペシャル Vol.17 黒沢元治のドラテク特訓道場PART2

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                              ^ 星野一義がマッチを特訓 3万5400人の観客動員力には脱帽 オートスポーツ400号記念臨時増刊 ザ・タイムトンネル・サーキット 6-7頁 三栄書房 1984年9月30日発行

                              ^ Newヘルメット‼️ 星野一樹オフシャルブログ 2015年3月12日

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                              ^ 星野一義の一日に密着したリアルドキュメント 当時のレース業界を震撼させた超問題記事 稲田大二郎 web Option 2022年2月4日

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                              ^ 夢ではなく、必然だった。日本で頂点を極めた本山哲のF1挑戦【F1“テスト”経験者の追憶】 Motorsport.com 2022年8月4日

                              ^ 舘信秀×星野一義×近藤真彦スーパーフォーミュラ監督対談 前編(3/3) トヨタGAZOO Racing 2014年8月7日

                              ^ 星野一義と中嶋悟がふたたびF1ドライブ“初対決”のマシンでデモラン オートスポーツweb 2018年1月23日

                              ^ 「日本一速い男」が50年越しの夢・ロードレーサーに挑戦 Clicccar.com 2017年3月17日

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                              ^ 【マサタイムズ】星野一義・一樹親子 後編~ホシノインパル~. auto sport SUB Channel. 10 October 2020.

                              ^ 星野一義×鈴木亜久里 『グループC』を語る!. 鈴鹿サーキット. 11 August 2022.

                              貝島, 由美子、田口, 朋典「特集 星野一義 魂の休息」『Racing on』第17巻第12号、ニューズ出版、2002年11月、140-163頁。 

                              定塚, 信行「ジョー・ホンダ レーシングフォトギャラリー 第6回 星野一義 ヨーロッパF2かく戦えり」『Racing on』第17巻第12号、ニューズ出版、2002年11月、143-167頁。 

                              「特集 星野一義 がむしゃらフォーミュラー編 1974-1986」『Racing on』第468巻、三栄書房、2013年11月、8-104頁。 

                              「特集 星野一義 王道と郷愁の箱レース編 1969-2002」『Racing on』第474巻、2014年12月、8-100頁。 

                              「特集 星野一義 宿命のCカーと富士グラチャン編 1972-1992」『Racing on』第480巻、三栄書房、2015年12月、8-96頁。 

                              『Strada』、三栄書房、2016年、ISBN 9784779631368。 

                              モータースポーツ

                              F1ドライバーの一覧

                              鈴木誠一

                              ホシノインパル

                              日本の旗 星野一義

                              日本の旗 金子豊

                              日本の旗 星野一義 (チーム代表)

                              日本の旗 星野一樹

                              19 フランスの旗 テオ・プルシェール / イギリスの旗 ベン・バーニコート(英語版) / 日本の旗 平良響 / オランダの旗 ニック・デ・フリース

                              20 日本の旗 国本雄資

                              12 日本の旗 平峰一貴 / ベルギーの旗 ベルトラン・バゲット

                              20 日本の旗 田中優暉 / 日本の旗 平峰一貴 / 日本の旗 大木一輝 / ベルギーの旗 ベルトラン・バゲット (Rd.2) / 日本の旗 石川京侍 (Rd.2)

                              日本の旗 星野一義

                              日本の旗 萩原光

                              日本の旗 松本恵二

                              日本の旗 近藤真彦

                              日本の旗 中子修

                              日本の旗 高橋健二

                              日本の旗 北野元

                              日本の旗 影山正彦

                              日本の旗 和田孝夫

                              日本の旗 鈴木利男

                              日本の旗 金石勝智

                              日本の旗 高村一明

                              日本の旗 本山哲

                              日本の旗 水野文則

                              日本の旗 黒澤琢弥

                              日本の旗 影山正美

                              日本の旗 野田英樹

                              インドの旗 ナレイン・カーティケヤン

                              日本の旗 服部尚貴

                              ドイツの旗 ミハエル・クルム

                              日本の旗 田中哲也

                              フランスの旗 ブノワ・トレルイエ

                              日本の旗 井出有治

                              日本の旗 星野一樹

                              日本の旗 松田次生

                              フランスの旗 ジェレミー・デュフォア

                              日本の旗 平手晃平

                              フランスの旗 セバスチャン・フィリップ

                              ブラジルの旗 ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ

                              イタリアの旗 ロニー・クインタレッリ

                              イタリアの旗 アンドレア・カルダレッリ

                              日本の旗 関口雄飛

                              イギリスの旗 ヤン・マーデンボロー

                              日本の旗 平川亮

                              日本の旗 佐々木大樹

                              イギリスの旗 ジェームズ・ロシター

                              日本の旗 松下信治

                              日本の旗 中嶋一貴

                              日本の旗 日産自動車

                              日本の旗 ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル

                              日産自動車のモータースポーツ

                              マレリ (日本ラヂヱーター→カルソニック→カルソニックカンセイ)

                              主要タイトル一覧

                              1987年 日本の旗 星野一義

                              1990年 日本の旗 星野一義

                              1993年 日本の旗 星野一義

                              1995年 日本の旗 鈴木利男

                              2001年 日本の旗 本山哲

                              2003年 日本の旗 本山哲

                              2005年 日本の旗 本山哲

                              2006年 フランスの旗 ブノワ・トレルイエ

                              2007年 日本の旗 松田次生

                              2008年 日本の旗 松田次生

                              2010年 ブラジルの旗 ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ

                              2003年

                              2004年

                              2005年

                              2006年

                              2007年

                              2008年

                              2010年

                              2021年

                              1994年 日本の旗 影山正彦

                              1995年 日本の旗 影山正彦

                              2022年 日本の旗 平峰一貴 / ベルギーの旗 ベルトラン・バゲット

                              1994年

                              2022年

                              1990年 日本の旗 星野一義 / 日本の旗 鈴木利男

                              1993年 日本の旗 影山正彦

                              第1戦のみ参戦。

                              第2戦のみ参戦。

                              第3・4・8・9戦に参戦。

                              第5 - 7戦に参戦。

                              日本の旗 桜井眞一郎 (オーテックジャパン初代社長)

                              日本の旗 難波靖治 (NISMO初代社長)

                              日本の旗 伊藤修令 (オーテックジャパン常務取締役 / NISMOテクニカルアドバイザー)

                              日本の旗 水野和敏

                              No.3 日本の旗 高星明誠 / 日本の旗 三宅淳詞

                              No.23 日本の旗 千代勝正 / イタリアの旗 ロニー・クインタレッリ

                              No.22 イギリスの旗 オリバー・ローランド

                              No.17 フランスの旗 ノーマン・ナト

                              日本の旗 星野一義

                              日本の旗 近藤真彦

                              日本の旗 柳田春人

                              日本の旗 鈴木亜久里

                              日本の旗 松本恵二

                              イギリスの旗 ジェームス・ウィーバー

                              日本の旗 長谷見昌弘

                              日本の旗 和田孝夫

                              スウェーデンの旗 アンデルス・オロフソン

                              日本の旗 高橋健二

                              日本の旗 都平健二

                              オーストラリアの旗 アラン・グライス

                              イギリスの旗 マイク・ワイルズ

                              イギリスの旗 ウィン・パーシー

                              日本の旗 鈴木利男

                              イギリスの旗 ジュリアン・ベイリー

                              イギリスの旗 マーク・ブランデル

                              イギリスの旗 マーティン・ドネリー

                              オーストラリアの旗 ジェフ・ブラバム

                              アメリカ合衆国の旗 チップ・ロビンソン

                              オランダの旗 アリー・ルイエンダイク

                              イタリアの旗 ジャンフランコ・ブランカテリ

                              イギリスの旗 ケネス・アチソン

                              フランスの旗 オリビエ・グルイヤール

                              イギリスの旗 デレック・デイリー

                              アメリカ合衆国の旗 ボブ・エール

                              イギリスの旗 マイケル・ロー

                              ニュージーランドの旗 スティーブ・ミレン

                              オーストラリアの旗 デビッド・ブラバム

                              日本の旗 服部尚貴

                              イギリスの旗 キース・オドール

                              日本の旗 木下隆之

                              ベルギーの旗 ディアク・ショイスマン

                              アメリカ合衆国の旗 ジェフ・クロスノフ

                              日本の旗 影山正彦

                              日本の旗 飯田章

                              日本の旗 福山英朗

                              日本の旗 山田英二

                              日本の旗 粕谷俊二

                              日本の旗 本山哲

                              フランスの旗 エリック・コマス

                              イギリスの旗 マーティン・ブランドル

                              ドイツの旗 ヨルグ・ミューラー

                              南アフリカ共和国の旗 ウェイン・テイラー

                              イタリアの旗 リカルド・パトレーゼ

                              ベルギーの旗 エリック・ヴァン・デ・ポール

                              日本の旗 影山正美

                              日本の旗 青木孝行

                              デンマークの旗 ジョン・ニールセン

                              ドイツの旗 ミハエル・クルム

                              フランスの旗 フランク・ラゴルス

                              オランダの旗 ヤン・ラマース

                              イタリアの旗 アンドレア・モンテルミーニ

                              日本の旗 黒澤琢弥

                              日本の旗 土屋武士

                              日本の旗 井出有治

                              フランスの旗 ディディエ・コッタズ

                              ベルギーの旗 マルク・ホーセンス

                              スウェーデンの旗 フレドリック・エグブロム

                              日本の旗 片山右京

                              日本の旗 田中哲也

                              北アイルランドの旗 リチャード・ライアン

                              日本の旗 柳田真孝

                              日本の旗 山本左近

                              日本の旗 松田次生

                              フランスの旗 ブノワ・トレルイエ

                              スペインの旗 ルーカス・オルドネス

                              ロシアの旗 マルク・シュルジツキー(英語版)

                              イギリスの旗 ハリー・ティンクネル

                              イギリスの旗 アレックス・バンコム

                              フランスの旗 オリヴィエ・プラ

                              イギリスの旗 ヤン・マーデンボロー

                              イギリスの旗 マックス・チルトン

                              フランスの旗 ノーマン・ナト

                              日本の旗 日産自動車

                              日本の旗 オーテックジャパン (1986年-2022年)

                              日本の旗 ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル (1984年-2022年)

                                大森ワークス

                                追浜ワークス

                                日本の旗 ニッサン・ドライバー・デベロップメント・プログラム (NDDP)

                                イギリスの旗 ニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ (NIE)

                                アメリカ合衆国の旗 ニッサン・パフォーマンス・テクノロジー (NPTI)

                                日産自動車のモータースポーツ

                                主要タイトル一覧

                                1986年 日本の旗 和田孝夫 / 日本の旗 鈴木亜久里

                                1990年 日本の旗 長谷見昌弘 / スウェーデンの旗 アンデルス・オロフソン

                                1991年 日本の旗 星野一義 / 日本の旗 鈴木利男

                                1992年 日本の旗 星野一義

                                1992年(英語版) 日本の旗 長谷見昌弘 / 日本の旗 星野一義 / 日本の旗 鈴木利男

                                1993年 日本の旗 影山正彦

                                1998年 フランスの旗 エリック・コマス / 日本の旗 影山正美

                                1999年 フランスの旗 エリック・コマス

                                2003年 日本の旗 本山哲 / ドイツの旗 ミハエル・クルム

                                2004年 日本の旗 本山哲 / 北アイルランドの旗 リチャード・ライアン

                                2008年 日本の旗 本山哲 / フランスの旗 ブノワ・トレルイエ

                                2014年 日本の旗 松田次生 / イタリアの旗 ロニー・クインタレッリ

                                2015年 日本の旗 松田次生 / イタリアの旗 ロニー・クインタレッリ

                                1993年

                                1998年

                                2001年

                                2003年

                                2004年

                                2005年

                                2014年

                                2015年

                                日本の旗 小嶋松久

                                日本の旗 小野昌朗

                                日本の旗 長谷見昌弘

                                日本の旗 高原敬武

                                日本の旗 星野一義

                                日本の旗 長谷見昌弘

                                日本の旗 高橋国光

                                フランスの旗 ディディエ・ピローニ

                                日本の旗 片山義美

                                KE007

                                KE009

                                KE008

                                KE011

                                KE-FJ

                                KE-FJ1300

                                KE-RE-I

                                カヤバ

                                ガレーヂ伊太利屋

                                  高原車

                                  UNI-PEX

                                    星野車

                                    ヒーローズレーシングからエントリー。

                                    日本の旗 赤城明

                                    日本の旗 萩原任

                                    イギリスの旗 エイドリアン・ニューウェイ

                                    イギリスの旗 イアン・フィリップス

                                    オーストリアの旗 グスタフ・ブルナー

                                    イギリスの旗 クリス・マーフィー

                                    イタリアの旗 チェーザレ・ガリボルディ

                                    イタリアの旗 イヴァン・カペリ

                                    ブラジルの旗 マウリシオ・グージェルミン

                                    オーストリアの旗 カール・ベンドリンガー

                                    日本の旗 萩原光

                                    日本の旗 星野一義

                                    日本の旗 中嶋悟

                                    日本の旗 黒澤元治

                                    日本の旗 関谷正徳

                                    日本の旗 岡田秀樹

                                    日本の旗 田中実

                                    日本の旗 影山正彦

                                    日本の旗 小河等

                                    日本の旗 岡本佳織

                                    日本の旗 岩城滉一

                                    ドイツの旗 クリスチャン・ダナー

                                    イタリアの旗 ブルーノ・ジャコメリ

                                    デンマークの旗 クリス・ニッセン

                                    アルゼンチンの旗 オスカー・ララウリ

                                    イギリスの旗 アンドリュー・ギルバート=スコット

                                    イギリスの旗 ポール・ワーウィック

                                    スイスの旗 フィリップ・ファーブル

                                    イタリアの旗 マウロ・マルティニ

                                    ドイツの旗 フォルカー・ヴァイドラー

                                    CG901

                                    CG901B

                                    CG911

                                    90B

                                    BP

                                    オートグラス

                                    オザマ

                                    ディアビア

                                    イギリスの旗 マーチ

                                    73 日本の旗 黒澤元治

                                    74 日本の旗 高原敬武

                                    75 日本の旗 星野一義

                                    76 日本の旗 高原敬武

                                    77 日本の旗 星野一義

                                    78 日本の旗 星野一義

                                    79 日本の旗 松本恵二

                                    80 日本の旗 長谷見昌弘

                                    81 日本の旗 中嶋悟

                                    82 日本の旗 中嶋悟

                                    83 イギリスの旗 ジェフ・リース

                                    84 日本の旗 中嶋悟

                                    85 日本の旗 中嶋悟

                                    86 日本の旗 中嶋悟

                                    87 日本の旗 星野一義

                                    88 日本の旗 鈴木亜久里

                                    89 日本の旗 小河等

                                    90 日本の旗 星野一義

                                    91 日本の旗 片山右京

                                    92 イタリアの旗 マウロ・マルティニ

                                    93 日本の旗 星野一義

                                    94 イタリアの旗 マルコ・アピチェラ

                                    95 日本の旗 鈴木利男

                                    96 ドイツの旗 ラルフ・シューマッハ

                                    97 スペインの旗 ペドロ・デ・ラ・ロサ

                                    98 日本の旗 本山哲

                                    99 オランダの旗 トム・コロネル

                                    00 日本の旗 高木虎之介

                                    01 日本の旗 本山哲

                                    02 アイルランドの旗 ラルフ・ファーマン

                                    03 日本の旗 本山哲

                                    04 北アイルランドの旗 リチャード・ライアン

                                    05 日本の旗 本山哲

                                    06 フランスの旗 ブノワ・トレルイエ

                                    07 日本の旗 松田次生

                                    08 日本の旗 松田次生

                                    09 フランスの旗 ロイック・デュバル

                                    10 ブラジルの旗 ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ

                                    11 ドイツの旗 アンドレ・ロッテラー

                                    12 日本の旗 中嶋一貴

                                    13 日本の旗 山本尚貴

                                    14 日本の旗 中嶋一貴

                                    15 日本の旗 石浦宏明

                                    16 日本の旗 国本雄資

                                    17 日本の旗 石浦宏明

                                    18 日本の旗 山本尚貴

                                    19 ニュージーランドの旗 ニック・キャシディ

                                    20 日本の旗 山本尚貴

                                    21 日本の旗 野尻智紀

                                    22 日本の旗 野尻智紀

                                    23 日本の旗 宮田莉朋

                                    1985 日本の旗 長坂尚樹/日本の旗 茂木和男

                                    1986 日本の旗 鈴木亜久里

                                    1987 日本の旗 長坂尚樹

                                    1988 日本の旗 横島久

                                    1989 日本の旗 長谷見昌弘/スウェーデンの旗 アンデルス・オロフソン

                                    1990 日本の旗 星野一義/日本の旗 鈴木利男

                                    1991 日本の旗 長谷見昌弘/スウェーデンの旗 アンデルス・オロフソン

                                    1992 日本の旗 長谷見昌弘/日本の旗 福山英朗

                                    1993 日本の旗 影山正彦

                                    1985 日本の旗 辻本征一郎

                                    1986 日本の旗 高杉好成

                                    1987 日本の旗 柳田春人

                                    1988 日本の旗 柳田春人/イングランドの旗 ウィル・ホイ

                                    1989 日本の旗 高橋健二

                                    1990 オーストリアの旗 ローランド・ラッツェンバーガー/日本の旗 中川隆正

                                    1991 オーストリアの旗 ローランド・ラッツェンバーガー/スウェーデンの旗 トーマス・ダニエルソン

                                    1992 日本の旗 茂木和男

                                    1993 イギリスの旗 アンドリュー・ギルバート=スコット/日本の旗 中谷明彦

                                    1985 日本の旗 星野薫

                                    1986 日本の旗 伊東薫/日本の旗 津々見友彦

                                    1987 日本の旗 中子修/日本の旗 岡田秀樹

                                    1988 日本の旗 中子修/日本の旗 岡田秀樹

                                    1989 日本の旗 茂木和男/日本の旗 小幡栄

                                    1990 日本の旗 鈴木恵一/日本の旗 新田守男

                                    1991 日本の旗 中子修/日本の旗 岡田秀樹

                                    1992 日本の旗 中子修/日本の旗 岡田秀樹

                                    1993 日本の旗 服部尚貴/日本の旗 金石勝智

                                    1994 日本の旗 関谷正徳

                                    1995 イギリスの旗 スティーブ・ソパー

                                    1996 日本の旗 服部尚貴

                                    1997 日本の旗 中子修

                                    1998 日本の旗 関谷正徳

                                    1983年 オーストラリアの旗 ヴァーン・シュパン

                                    1984年 日本の旗 長坂尚樹

                                    1985年 日本の旗 高橋国光

                                    1986年 日本の旗 高橋国光

                                    1987年 日本の旗 高橋国光

                                    1988年 日本の旗 岡田秀樹

                                    1989年 日本の旗 高橋国光

                                    1990年 日本の旗 長谷見昌弘

                                    1991年 日本の旗 星野一義

                                    1992年 日本の旗 星野一義(C1部門)・イギリスの旗 ジェフ・リース(C部門)

                                    1971 日本の旗 酒井正

                                    1972 日本の旗 鮒子田寛

                                    1973 日本の旗 高原敬武

                                    1974 日本の旗 長谷見昌弘

                                    1975 日本の旗 高原敬武

                                    1976 日本の旗 高原敬武

                                    1977 日本の旗 生沢徹

                                    1978 日本の旗 星野一義

                                    1979 日本の旗 中嶋悟

                                    1980 日本の旗 長谷見昌弘

                                    1981 日本の旗 藤田直広

                                    1982 日本の旗 星野一義

                                    1983 日本の旗 松本恵二

                                    1984 日本の旗 星野一義

                                    1985 日本の旗 星野一義

                                    1986 イギリスの旗 ジェフ・リース

                                    1987 日本の旗 星野一義

                                    1988 イギリスの旗 ジェフ・リース

                                    1989 イギリスの旗 ジェフ・リース

                                    2003 日本の旗 山崎信介

                                    2004 日本の旗 嵯峨宏紀

                                    2005 日本の旗 石浦宏明

                                    2006 日本の旗 宮川やすお

                                    FAST

                                    ISNI

                                    VIAF

                                    WorldCat

                                    アメリカ

                                    日本

                                    CiNii Books

                                    CiNii Research

                                    星野一義

                                    日本のドライバー

                                    日本のF1ドライバー

                                    コジマのF1ドライバー

                                    全日本F2選手権のドライバー

                                    全日本F3000選手権のドライバー

                                    フォーミュラ・ニッポンのドライバー

                                    全日本ツーリングカー選手権のドライバー

                                    全日本GT選手権のドライバー

                                    全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権のドライバー

                                    スポーツカー世界選手権のドライバー

                                    ル・マン24時間レースのドライバー

                                    マカオグランプリのドライバー

                                    ヨーロッパF2選手権のドライバー

                                    鈴鹿1000km勝者

                                    デイトナ24時間勝者

                                    レーシングチームのオーナー

                                    東海大学付属静岡翔洋高等学校出身の人物

                                    静岡県出身のスポーツ選手

                                    静岡市出身の人物

                                    1947年生

                                    存命人物

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星野 明日香(ほしの あすか)
1986年12月5日生まれの有名人 新潟出身

グラビアアイドルAV女優(2010-2014年) あすちゃんねる 星野 明日香(ほしの あすか、1986年12月5日 - )は、日本のタレント、元AV女優。 所属事務所には変遷があり、アバンギャルド…

星野 悠月(ほしの ゆづき)
1995年12月23日生まれの有名人 東京出身

星野 悠月(ほしの ゆづき、1995年12月23日 - )は、上智大学卒、日本の女性ファッションモデル、女優、起業家である。 東京都出身。スターダストプロモーション所属。Y Plus株式会社 代表取…

星野 みなみ(ほしの みなみ)
【乃木坂46】
1998年2月6日生まれの有名人 千葉出身

星野 みなみ(ほしの みなみ、1998年〈平成10年〉2月6日 - )は、日本の元アイドルであり、女性アイドルグループ・乃木坂46の元メンバーである。千葉県出身。身長155 cm。血液型はB型。愛称は…

星野 光代(ほしの みつよ)
1967年9月8日生まれの有名人 埼玉出身

星野 光代(ほしの みつよ、本名同じ、1967年9月8日 - )は、日本の女優。旧芸名、星野 すみれ。埼玉県出身。トゥフロント所属。 刑事貴族(1990年 - 1991年、NTV / 東宝) - …

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星野一義
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