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獣神サンダー・ライガーの情報 (じゅうしんさんだーらいがー)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【5月19日】今日誕生日の芸能人・有名人

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獣神サンダー・ライガーさんについて調べます

■名前・氏名
獣神サンダー・ライガー
(じゅうしんさんだーらいがー)
■職業
格闘家
プロレス
■獣神サンダー・ライガーの誕生日・生年月日
1964年11月30日 (年齢59歳)
辰年(たつ)、射手座(いて)
■出身地・都道府県
広島出身

獣神サンダー・ライガーと同じ年に生まれた芸能人(1964年生まれ)

獣神サンダー・ライガーと同じ誕生日の人(11月30日)

獣神サンダー・ライガーと同じ出身地の芸能人(広島県生まれ)


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獣神サンダー・ライガー

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獣神サンダー・ライガー(じゅうしんさんだーらいがー)さんの誕生日は1964年11月30日です。広島出身の格闘家
プロレスのようです。

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来歴、人物などについてまとめました。引退、テレビ、卒業、解散、現在、趣味、結婚に関する情報もありますね。現在の年齢は59歳のようです。

獣神サンダー・ライガー(じゅうしんサンダー・ライガー、Jushin Thunder Liger、1964年11月10日 - )は、日本のプロレス解説者、YouTuber。

2020年1月5日の新日本プロレス東京ドーム大会にて最後の試合を行い現役を引退引退式は1月6日に実施された。

息子は歌手でアイドルグループ「Star☆Prince」の一員である桐野貴。

右記のプロフィールはライガーとしてのものである。

ライガーの正体とされるのは、新日本プロレスに所属していた山田 恵一(やまだ けいいち、1964年11月10日 - )で、当時の週刊プロレスでも山田→ライガーの特集記事が組まれたこともあった。しかし、ギミック上はあくまで正体不明であり、ライガーも「山田は死んだ。リバプールの風になった」と発言している。 誕生日は11月30日とするメディアも散見されるが、実際は11月10日生まれである。

一方のテレビ中継では、小林邦昭とのデビュー戦にて、実況の辻よしなりは「あの山田恵一が獣神ライガーの中に入っているのではないかという」「(浴びせ蹴りを出した後に)骨法炸裂、やはり山田か」などと正体を示唆する実況を展開した。その後もしばしば山田の名を出し、1991年のトップ・オブ・ザ・スーパージュニア決勝(対保永昇男戦)では、「山田恵一が獣神サンダー・ライガーになったのは周知の事実」とまで漏らしている。試合中にマスクを剥がされ、素顔が剥き出しとなったこともある。

また、バラエティ番組や対談等の出演時における紹介プロフィールや、自身の経歴として語った若手時代の内容が山田のものだったこともある。さらに、2013年12月発売の『G SPIRITS』誌に掲載された小佐野景浩によるインタビューでは、「素顔時代の自分があるから、その後のライガーがあるわけだし、専門誌に"獣神ライガーに生まれ変わります"って素顔で漫画家の永井豪先生と一緒の写真が掲載されたこともありますからね。本名だって知られてるじゃないですか。隠すものは何もありませんよ」と自ら語った上で、山田時代の活動を回顧しており、正体を隠すことに執着せずギミックに囚われていない。自身のYoutubeチャンネルでは、むしろ「山田恵一」をネタにする場合もある。長州力は永きに渡ってライガーを「山田」と呼んでおり、マサ斎藤に至っては実況解説の際にライガーを「山田」と呼び、ライガー自身も困惑したという。

新日本のLA道場の完成時、練習に遅刻した安田忠夫にドン・フライが激怒して乱闘になった際、山田と思わしき人物が他の選手と共に制止している姿がテレビに映し出された。

漫画家の永井豪は、ライガーの正体が山田であることを『永井豪のヴィンテージ漫画館』にて明記している。また、2020年1月5日、引退試合後に行われたライガー・永井による共同記者会見では「当時の山田選手」という永井の発言があった(ライガーも「もういいだろ?わかってるんだから!」と爆笑しながら語っていた)。

来歴

ここではライガーの正体とされる山田恵一の経歴も記載している。

広島県広島市中区出身。藤波辰巳に憧れ、プロレスラーを志す。広島電機大学付属高等学校(現:広島国際学院高等学校)在学時からレスリングで頭角を現し、国体にも出場した。低身長を理由に、日本でのプロ入りを諦め身長制限のないメキシコ行きを決断。渡航資金を稼ぐために高校3年間は毎朝、新聞配達をしていた苦労人である(人生で一番頑張ったのはこれで、レスラー生活より上だと自ら語っている)。ちなみに中学時代は水泳部に所属し、背泳ぎで新人賞を獲得している。また中学の友人(野球部)と当時ジムに通いベンチプレス100kgを平気で上げ、三点ブリッジでその友人を上に乗せて首を鍛えていた。背を伸ばすために始めた水泳だったが、プロレスラーになるための練習を並行し身長が止まってしまったと言う(スクワットは最終的には1500回ほどこなし下記の新日本の体力テストにも問題なかったのは確かである)。

高校卒業後の1983年6月下旬-7月上旬のメキシコ滞在中、そこで出会ったグラン浜田から山本小鉄を紹介され、山本によって新日本プロレス入門を許可される(「高校卒業後、新日本の入門テストを受験し、体力テスト等は合格基準を満たしたが、低身長を理由に不合格となった後に渡墨した」というのは誤りで、実際は受験していないどころか、履歴書も送っていない)。1984年3月3日、小杉俊二戦でデビューした。当時の世代で体格的に恵まれないジュニアヘビー級において、ヘビー級のパワーに匹敵したのは山田が初めてといっても過言ではなく、並大抵ではない努力を積み重ねた、努力型の選手として古参ファンから敬服されている。

第1回ヤングライオン杯において決勝戦で小杉に敗れ、優勝を逃す。だが、この頃から若手らしからぬテクニックを見せ、ジャーマン・スープレックスで同じく若手であった橋本真也にフォール勝ちし、海外遠征から凱旋帰国した後藤達俊にもエビ固めで勝利する。さらに異種格闘技戦も経験。ドン・中矢・ニールセンとも対戦し、善戦するもKOで敗れた。第2回ヤングライオン杯での優勝後は海外修業も経験。遠征中は「フジ・ヤマダ」のリングネームを名乗り、ローラーボール・マーク・ロコ(初代ブラック・タイガーの正体)から、オールスター・レスリングで世界ヘビーミドル級王座を獲得するなど活躍した。

当時の新日本ジュニア戦線は、越中詩郎、ザ・コブラ、小林邦昭、ヒロ斎藤、保永昇男、UWFから高田伸彦(現:高田延彦)、山崎一夫、ジャパンプロレスの馳浩、海外からはオーエン・ハートなど錚々たるメンバーが揃う第2期黄金期であり、山田もその一翼を担っていた。その影で山田は、藤原喜明の通称「藤原教室」でカール・ゴッチ源流の関節技を、また同時期に若手の船木優治(現:船木誠勝)と共に、当時まだ馴染みの薄い新進の格闘術「骨法」をいち早く学んでいる。

身長のハンデを埋めるため新日本プロレスでもトップクラスの練習量を誇った。通常の興行が行われる際、若手は雑務に追われることが多い中、会場設営、アントニオ猪木のスパーリングパートナー、藤原教室、グッズ販売、自身の試合、先輩レスラーのセコンド、さらにわずかな空き時間を見つけては階段ダッシュと、7時間以上動き続けることも日常茶飯事だった。

1989年1月のイギリス遠征中に消息不明になったとされている。

1989年4月24日、東京ドームでアニメ「獣神ライガー」とのタイアップ企画により、小林邦昭戦でデビュー。ライガースープレックス(獣神原爆固め)で勝利を収めると、翌月の5月25日には馳浩を破り、IWGPジュニアヘビー級王座を獲得し第9代王者となった。

ギミックのモチーフとなったのは永井豪原作漫画でもある「獣神ライガー」で、当時放映されていたアニメにシンクロして獣神ライガー→ファイヤーライガー→獣神サンダー・ライガーへと変化している。

1990年代前半はIWGPジュニアヘビー級王座を巡り保永昇男、佐野直喜(現:佐野巧真)、ペガサス・キッド、エル・サムライ、2代目ブラック・タイガー、野上彰(現:AKIRA)らと激闘を展開。これ以降、ライガーは日本ジュニア界の中心人物として活躍していくことになる。

当時、新日本プロレスと提携していたアメリカ合衆国のメジャー団体WCWにも何度となく遠征しており、リチャード・モートン、ブライアン・ピルマン、スコッティ・フラミンゴ、ジミー・ガービン、ブラッド・アームストロング、リッキー・スティムボート、シェーン・ダグラスなどと対戦。1992年12月27日にはサウスカロライナ州グリーンビルにおいて、スティングとのシングルマッチも行われた。

また、他団体との交流戦、対抗戦が盛んになると、ライガーも積極的に動いて他団体選手の新日本参戦に尽力する。ザ・グレート・サスケ、ウルティモ・ドラゴン等と団体の垣根を越えて協力し、ついに1994年にスーパーJカップを開催、成功を収めた。ところが、同年愛知にて行われたメインイベント、ライガー&長州力組対ワイルド・ペガサス&武藤敬司組の試合で足を骨折してしまう。

その一方で、ライガーは新日本内部のジュニア活性化も行い、1990年代中頃からサムライ、ケンドー・カシンらと組み、一世代下の金本浩二、大谷晋二郎、高岩竜一らと戦った(もっとも、カシンは一世代下であるがカシンが偏屈な性格であることと覆面レスラーという共通点もあり、ライガー側となっていた。)。特にディーン・マレンコ、ワイルド・ペガサス(ペガサス・キッドから改名)、2代目ブラック・タイガーの4名は「ジュニア・フォーホースメン」(当時WCWで一斉を風靡していたユニット「フォー・ホースメン」にちなむ)と呼ばれ、1990年中-後半のジュニアを牽引する。またWCWにも遠征し、ベルトも獲得した。その出で立ちと実力から人気を博した。

2004年7月3日、大阪プロレスへ参戦し当初はサムライ、金本、井上亘らと共に出場すると思われていたが邪道、外道、竹村豪氏らと出場。以降、ライガーは三人と共にコントロール・テロ・ユニット(Control Terror Unit 略称 : C.T.U)を結成し、ヒールターンを果たす。ライガーも一時、蝶野正洋率いるブラック・ニュー・ジャパン(Black New Japan 略称 : BNJ)というヘビー級の新軍団と合流したが、2006年半ばにBNJが自然消滅になったため、再び独立ユニットとして活動するようになる。

2007年3月26日、ライガーはDRAGON GATEに参戦しドン・フジイの保持するオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦して勝利し、第7代王者に輝いた。4月17日に望月成晃の挑戦を受け初防衛に成功 するが、7月1日にCIMAと対戦して敗れ、王座から陥落した。

6月26日、ライガーは新日本本社にて会見を開き、C.T.Uの解散を発表する。解散の理由として「ユニット結成の目標として掲げていた「ジュニア制圧」が達成し、ユニットに括られて活動するよりも新たな道を個人で進んでいく方がいいんじゃないか」とライガー自身が語っており、プロレスのユニットとしては珍しいメンバー全員の見解が一致した上での発展的解散となった。8月26日にC.T.U解散興行を行い、その後、ライガーは長州、蝶野らが率いるレジェンドに合流した。

2008年2月17日、ライガーはAKIRAとのタッグでプリンス・プリンス(稔&プリンス・デヴィット)が保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦し、デヴィットから勝利を収め第20代王者組となった。4月13日、NO LIMIT(裕次郎&内藤哲也)の挑戦を退けて初防衛に成功 したが、7月21日に前王者組の稔&デヴィット組に敗戦し王座から陥落した。

2009年1月4日、レッスルキングダムIIIにてデビュー20周年記念試合を行い、かつて幾度も死闘を繰り広げた佐野巧真とタッグを結成し金本浩二、井上亘組と対戦、最後は雪崩式垂直落下式ブレーンバスターで金本からピンフォールを奪った。2月15日には4年ぶりにタイガーマスクが保持するIWGPジュニア王座に挑戦。ライガーも普段見せないムーンサルトプレスやライガーボムなどを解禁し挑んだが、最後はタイガーのデストロイ・スープレックス・ホールドで敗れた。

2010年5月3日、レスリングどんたく 2010にて、ネグロ・カサスが保持するCMLL世界ミドル級王座に挑戦し、空中胴締め落としでカサスからピンフォール勝ちを収め、第16代王者に輝いた。6月よりCMLLに遠征し、同団体が主催するカンペオン・ウニベルサルに参戦。一回戦でカサスを、二回戦でエクトール・ガルサを、準決勝戦でラ・マスカラを破り決勝へと進出した。8月13日、決勝戦にてラ・ソンブラと3本勝負で対戦し、勝負は3本目にまで持ち越されたが最後はソンブラを丸め込み、ピンフォール勝ちを収め優勝した。12月10日、JAPWに参戦し、アゼリアルの保持するJAPWライトヘビー級王座に挑戦。自身の他にケニー・オメガ、エル・ジェネリコ、Bボーイ、バンディート・ジュニアが参戦した6WAYイリミネーションマッチで激突し、最後は一騎討ちとなったアゼリアルからピンフォール勝ちを収め、第25代王者に輝いた。

2011年8月27日、ALL TOGETHER 東日本大震災復興支援チャリティープロレスに登場し、かつて新日本の同期だった船木誠勝、佐野巧真とトリオを結成して鈴木みのる&タイチ&青木篤志組と対戦、最後は船木が青木からギブアップを奪い勝利を収めた。9月よりCMLLに遠征し、11月18日、CMLLミドル級王座の防衛戦の相手としてドラゴン・ロホ・ジュニアと対戦したが、敗戦し王座から陥落した。

2012年よりタイガーマスクとタッグを組む機会が増え始め、ライガーもジュニアタッグ戦線に参入し始める。6月10日、BEST OF THE SUPER Jr.最終戦で組まれた6人タッグマッチに出場し、真壁刀義、タイガーとのタッグで鈴木軍(鈴木&TAKAみちのく&タイチ)と対戦した。この試合でライガーはタイチからマスクを引き裂かれ、素顔を半分まで晒される被害に遭い、最後は鈴木からピンフォール負けを喫した。6月16日、DOMINION 6.16にてタイガーとのタッグで出場し、空位となっていたIWGPジュニアタッグ王座を賭けた試合でTAKA&タイチ組と対戦。ライガーも再びタイチよりマスクを破壊されてしまうが、その下からペイントが施された鬼神ライガーが姿を現し、タイチに対して毒霧、テーブルに向けてのパワーボムで報復を開始、最後はタイガーがTAKAからピンフォール勝ちを収め第32代王者組となった。7月22日、KIZUNA ROAD最終戦にて、フォーエバー・フーリガンズ(ロッキー・ロメロ&アレックス・コズロフ)を相手に初防衛戦に挑んだが、敗れて王座から陥落した。

2013年7月5日、KIZUNA ROAD 2013開幕戦にて棚橋弘至とのタッグでBULLET CLUB(タマ・トンガ&テリブレ)が保持するCMLL世界タッグチーム王座に挑戦。棚橋がテリブレからピンフォール勝ちを収め、第34代王者組に輝いた。一方でNOAHが主催する日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦ではタイガーとのタッグで出場。公式戦を無敗で切り抜け、決勝戦で石森太二&小峠篤司組と対戦しライガーが小峠からピンフォール勝ちを収め、同大会を優勝、同時に第18代GHCジュニアタッグ王者組に輝いた。

9月14日、Road to DESTRUCTIONにて、CMLLタッグ王座の初防衛戦の相手としてトンガ&レイ・ブカネロ組と対戦した。試合終盤で相手側のセコンドに就いていたカール・アンダーソンの介入に遭うと、最後はトンガからピンフォール負けを喫してしまい王座から陥落した。 12月7日、NOAH主催のGREAT VOYAGE 2013 in Tokyo vol.2にてGHCジュニアタッグ王座を賭けた5度目の防衛戦として小川良成&ザック・セイバー・ジュニア組と対戦したが、ライガーが小川からピンフォール負けを喫し王座から陥落した。

2014年10月13日、ライガーはKING OF PRO-WRESTLINGにて、NWA社長のブルース・サープにNWA世界ジュニアヘビー級王座の次期挑戦者として指名される形でリングに登場した。この日、ライガーは同王座の防衛に成功したチェーズ・オーエンズに対して「アイム・ベリーストロング」とコメントし、対戦を受諾した。11月8日、POWER STRUGGLEにてNWA世界ジュニアヘビー級王座を保持するオーエンズと対戦する。ライガーはこの試合に勝利を収め、第90代王者に輝いた。ライガーはその後、鈴木軍との抗争に身を投じることとなり、中でもエル・デスペラードとの確執が表面化すると12月19日、Road to TOKYO DOMEにてタイガーとのタッグでタイチ&デスペラード組と対戦した。ライガーもこの試合でデスペラードからピンフォール負けを喫すると、試合後に自身のコスチュームとマスクの角をハサミで切り裂かれる被害に遭った。

2015年1月5日、NEW YEAR DASH !!にて、NWAジュニア王座の初防衛戦の相手としてデスペラードと対戦した。ライガーも鈴木軍のタイチ、TAKAの介入で苦戦を強いられていたが、ライガーの救援に駆け付けたタイガーが二人を排除し、最後はピンフォール勝ちを収めて初防衛に成功した。その後、2月14日、THE NEW BEGINNING in SENDAIで前王者のオーエンズ、3月22日、Road to INVASION ATTACK 2015でタイガー の挑戦を退けて防衛回数を積み重ねていったが、4月13日、アメリカのネバダ州・ラスベガスにて行われたCasino Royale 2015にて、スティーブ・アンソニーに敗れ王座から陥落した。同月29日、レスリング火の国にて新王者となったアンソニーを相手に王座奪還に挑むが、アンソニーのセコンドに就いていたサープに急所攻撃を見舞われ、アンソニーからはNWAジュニアベルトで殴打されると最後はライガーがピンフォール負けを喫してしまい、王座奪取はならなかった。

7月16日、ライガーはWWEの傘下団体であるWWE・NXTの収録において、GMであるウィリアム・リーガルから8月22日に行われるTakeover Brooklynに出場し、タイラー・ブリーズと対戦する事が発表された。新日本プロレスの所属選手でNXTに出場するのは史上初であり、大元のWWEを含めると1985年に新日本プロレスと当時のWWFが提携を解消して以来、約30年ぶりの新日本プロレス所属レスラーの出場となった。試合では序盤より優勢に進めて場外にいるブリーズへトペ・コンヒーロ、そしてリング上でライガーボムを決めて勝利した。

2016年4月10日、ライガーはINVASION ATTACK 2016にてKUSHIDA対ウィル・オスプレイのIWGPジュニアヘビー級王座の後防衛を果たしたKUSHIDAからの次期挑戦者に指名を受け、5月3日のレスリングどんたく 2016にて約6年ぶりにベルトに挑戦した。

2017年のBEST OF THE SUPER Jr.24シリーズで「今シリーズ限りでのBOSJ卒業」を表明した。ライガーもAブロックにエントリーして最終戦まで全敗と苦戦するが、最終戦でタイチから価値ある1勝をもぎ取り、1勝6敗の成績でBOSJに別れを告げた。

2019年3月7日、前日の旗揚げ記念日でのIWGP Jr.タイトルマッチ対石森戦の敗戦翌日に現役引退を表明し、ライガーの引退試合は翌年1月のドーム興行で行われることが発表された。発表直後、日本で関連語句がTwitterトレンド入りし、アメリカでも「Liger」というワードがトレンドに入った。

2020年1月5日、レッスルキングダム14、2日目の試合を最後に現役を引退した。ライガーの引退興行では永井が改めて正体が山田恵一であることに触れた。引退に際してライガーは、世田谷区野毛にある寮の管理人として若手選手らのサポートに回る予定が示された。また、テレビ朝日『ワールドプロレスリング』ならびに動画配信サービス『新日本プロレスワールド』における放送席解説は引退後も継続となり、引退から5日後のCMLLファンタスティカマニア大阪大会で『怒りの獣神』が流れる中リングに登場し、引退後初めて放送席に加わった。

2020年3月16日、アントニオ猪木、藤波辰爾に次いで日本人レスラー史上3人めとしてWWE殿堂入りすることが発表された。 理由は日本国内での活躍だけに留まらず、団体枠を越えた後輩や海外レスラーとの交流試合で互いに技を磨き上げてジュニアヘビーという階級自体の再ブレイク、また90年代半ばにはクリス・ベノワ(ワイルド・ペガサス)、エディ・ゲレロ(2代目ブラック・タイガー)、ウルティモ・ドラゴン、クリス・ジェリコ、レイ・ミステリオ・ジュニアら来日していた選手たちがWCWやWWEなど海外でもクルーザー級として大活躍し、中には新たにクルーザー級王座を制定する団体も現れるなどクルーザー級自体のムーブメントを巻き起こし階級そのものを定着させた立役者として、ライガーは日本を主戦場にしながらも、世界中のプロレス界に多大な影響を与えたことが評価された。

2020年3月14日、「獣神サンダー・ライガーチャンネル-Jyushin thunder Liger CHANNEL-」を開設。YouTubeに進出。ライガーは現役時代から饒舌だったが男性にしては高い声で聞き取り易く滑舌も良いので歯切れの良いコーナーとして展開している。芸能活動においては新日本プロレス契約下から引き続きアミューズと契約。YouTubeもアミューズが「チームライガー」として関わり、演出面では坂田栄治(TBS)がセニョール坂田として関わっている。

また、現役時代のマイクパフォーマンスの良さを買ってか試合解説者として、度々メイン試合の解説も行っている。その幅の広さは新日本だけでなく、プロレスリング・ノアでもジュニアヘビー級の試合を、掛け値なしに解説している。

人物

ライガーは、「ジュニアの象徴」と呼ばれ、2011年現在新日本プロレスのジュニアの現場監督でもある。また、ベテランでありながら新日本プロレス選手寮に自身の個室を持ち(会社にはきっちり寮費を納めているという)、東京方面で活動があるときは若手に交じって単身赴任生活をしている。

一方で、ライガー自身の「田舎で子供を育てたい」という要望から、1995年に妻の実家に近い福岡県内に移住し自宅を構えている。2015年にはテレ朝動画『中西ランド』の企画で自宅を公開した。

マスコミ批判・レスラー批判など時に遠慮のない歯に衣を着せぬ発言もするが、個人的感情というよりもプロレスそのものに対する誇りから放たれている。それ故、レスラーの戦い方やスタイルにおいて、一個性として確固としたものがあれば、国内外のメジャー・インディを問わずたとえ敵対関係にあっても寛容な姿勢を見せ、他団体との交流や新日本参戦に自ら積極的に行動して橋渡し役になる場合が多い。他団体のリングに乗り込む際は率先してヒールを演じ、相手側ファンの罵声を浴びて会場の熱気を盛り上げる。ただし、2006年にDRAGON GATEに参戦した際には、ヒールユニットのマッスル・アウトローズの土井成樹とDo FIXERのドラゴン・キッドの抗争の流れからの参戦ということもあり、以前の赤いマスクを付けたベビーフェイスとして登場している(この時、新日本ではC.T.Uとして活動していたので黒マスクを着用していた)。自分の源流である新日本プロレスには強い愛着を見せている。近年、数多く出版されるプロレス暴露本などで新日本プロレスの凋落を批判するOBに対し、本隊から離れている時にあっても「選手は一生懸命やっている。観客が来なくなるような発言は控えてほしい」と述べている。

器械体操をやっていた経験から、シューティングスタープレスなど難度の高い空中殺法を開発したり、小柄な体格にもかかわらず垂直落下式ブレーンバスターを必殺技として定着させたりと、流行技の発信源になっている。

また、同じく器械体操の経験がある二代目タイガーマスクこと三沢光晴と同じく「高校でレスリングをやったのはプロレスラーに成りたいから」という事も共通しており、アマレス出身で最初からプロレス志望だった稀有な人物である。唯一、三沢と違った面はヘビー級とジュニアヘビー級の違いは別として、山田=ライガーは「生涯マスクマンとして現役を終える」と公言しており、三沢もアニメや漫画のタイガーマスクは好きだったが「自分は佐山聡さんのコピーではない」と強調しており、素顔で戦う道を選んだ。

長年新日本のジュニアを支えあってきたエル・サムライとタッグを組むことが多く、IWGPタッグやジュニアタッグリーグで優勝している。

少年時代はミル・マスカラスの大ファンであった。後にタッグながら対戦している。

マスクはマイナーチェンジを含めて、たくさんの種類がある。また、毎年1月4日に行われる新日本プロレスの東京ドーム興行では、毎年のように配色の異なるコスチュームで登場する。マスクは口元だけが破れやすく、その状態で試合を行うこともある。

プライベートでは大の特撮マニアとして知られる。AKIRAが仮面ライダークウガに出演した際、控え室で野上にいきなりグロンギ語(作品内の架空言語)で話しかけ困惑させたことがある。その他に食虫植物の栽培や工芸なども嗜み、非常に多趣味な人物として有名。釣りも趣味としており、遠征中に事前に調べておいたポイントへ足を運ぶこともある。

手先が器用で、趣味のひとつにゴジラやウルトラマンなど特撮系キャラクターのフィギュア造型があり、石粉粘土を使った本格的なものである。試合や練習、遠征の合間を見つけて作っているため、完成に1年以上掛かることもあるという。本人曰くウルトラマンなどヒーローより敵側の方が好きで、特にゴジラなどの恐竜型怪獣を好んで制作している。

『大改造!!劇的ビフォーアフター』で道場のリフォームを依頼した際、職人から工芸の腕を「プロ並み」と評価され、道場の表門に埋め込むライオンのエンブレムを制作した。

井上や柴田らがデビューしたころから、タイトル戦にあまり絡まなくなり、スーパージュニアなどの大舞台で若手に勝ちを譲る場面もある。

覆面レスラーであることに強い誇りを持っており、練習中も簡易マスクを着用している。また、結婚の際も素顔・本名での披露宴とは別に、マスコミ向けに覆面・獣神サンダー・ライガー名義で披露宴を行っている。

ライガーのマスクを被ってからもアメリカやメキシコへは頻繁に遠征を行っており、海外での知名度も高い。1995年9月4日のWCWマンデー・ナイトロ第1回放送にも登場し、オープニングマッチでブライアン・ピルマンと対戦している。

他団体のスタイルへの適応能力にも長け、みちのくプロレスで年末に行われる興業「宇宙大戦争」に参加した際は、ウルトラマン・ロビンに水やパイをぶつけたり、メカマミーとの対戦では腕を使用したりとコミカルな路線にも対応出来る。

マスクから見える毛はかつて自毛であったが「いろんな理由で」(本人談) 現在はマスクに直接植毛されている。プライベートマスク等では毛がついていないものもある。

近年は『水曜日のダウンタウン』(TBS系列)など、テレビバラエティ番組への出演もこなしている。

『水曜日のダウンタウン』をはじめとする藤井健太郎が手がけるTBS系列の番組 へはたびたびに出演している。田村淳と頻繁に共演する有吉弘行、FUJIWARA、春日俊彰はライガーの「ちょっとした罰ゲーム」を頻繁に受けており、「怒りの獣神」のイントロが流れるとスタジオに緊張が走る。

安田大サーカスのクロちゃんとは同じ高校の先輩後輩である。クロちゃんが『クイズ☆正解は一年後2018』(TBS系列、2018年12月31日放送)のあるコーナーでルール違反をしたため、お仕置きのためスタッフと一緒に自宅アパートを襲撃した際に判明した。

2017年12月にTwitterを開始した。同僚レスラーの紹介から、食生活に至るまで幅広い書き込みを行っている。

2024/05/17 02:04更新

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1918年11月30日 広島

田川 豊(たがわ ゆたか、1918年11月30日 - 1981年8月22日)は、広島県のプロ野球選手(投手、外野手)・審判員。 呉港中学校時代の1934年捕手として全国中等学校優勝野球大会に出場。…

森田 康(もりた こう)
1924年11月30日 広島

森田 康(もりた こう、1924年(大正13年)11月30日 - 1998年(平成10年)8月26日)は、日本のジャーナリスト、実業家。日本経済新聞社代表取締役社長。 広島県広島市で生まれ、旧満州…

村越 ゆみ(むらこし ゆみ)
1966年11月30日 広島

11月30日生まれwiki情報なし(2024/05/14 00:06時点)

小林 宏(こばやし ひろし)
1970年11月30日 広島

11月30日生まれwiki情報なし(2024/05/13 21:53時点)


獣神サンダー・ライガーと近い名前の人

立花 十四朗(たちばな じゅうしろう)
4月1日 埼玉

立花 十四朗(たちばな じゅうしろう、4月1日 - )は、日本の男性声優。アトリエピーチに所属。埼玉県出身。血液型はB型。勝田声優学院卒業。 暁の護衛(神崎 佃吾郎) 暁の護衛〜プリンシパルたちの…

椿十四郎(つばきじゅうしろう)
埼玉

椿 十四郎(つばき じゅうしろう、1978年4月14日 - )は日本の成人向け漫画家。男性。 高校卒業後、工員やサラリーマンとして一般企業で働いていたが谷口ジローの元で3年間アシスタントを勤めた。…

小林 重四郎(こばやし じゅうしろう)
1909年3月8日 神奈川

小林 重四郎(こばやし じゅうしろう、1909年3月8日 - 1996年6月6日)は、日本の俳優、歌手。本名は小林 義雄(こばやし よしお)。 神奈川県横須賀市汐入町出身。日本映画俳優学校卒業。新国…

南沢 十七(みなみざわ じゅうしち)
1905年3月10日 宮城

南沢 十七(みなみざわ じゅうしち、一部文献にある「なんざわ としち」は誤り、1905年3月10日 - 1982年9月26日)は日本の探偵小説・科学小説家、翻訳家。ペンネームの「十七」は17歳のときに…

中川 充四郎(なかがわ じゅうしろう)
1951年3月25日 埼玉

中川 充四郎(なかがわ じゅうしろう、1951年3月25日 - )は、日本のプロ野球コメンテーター、スポーツジャーナリスト。 埼玉県新座市出身。駒澤大学経済学部卒業。 大学卒業後、内田洋行、日本…

近衛 十四郎(このえ じゅうしろう)
1914年4月10日 新潟

近衛 十四郎(このえ じゅうしろう、1914年4月10日 - 1977年5月24日)は、戦前から戦後にかけて活躍した時代劇俳優。数多くの時代劇ファンを魅了する殺陣は「日本映画史上最も殺陣の上手い役者」…

津村 重舎 〈初代〉(つむら じゅうしゃ)
1871年8月20日 奈良

8月20日生まれwiki情報なし(2024/05/16 12:44時点)

能重 真作(のうじゅう しんさく)
1933年8月31日 千葉

能重 真作(のうじゅう しんさく、1933年 - )は、日本の教育者・教育評論家。 千葉県生まれ。1955年、東京学芸大学国語科卒。中学校教師となる。1979年、非行とその克服の記録『ブリキの勲章…

津村 重舎 〈2代目〉(つむら じゅうしゃ)
1908年9月5日 東京

9月5日生まれwiki情報なし(2024/05/16 10:46時点)

小宮山 重四郎(こみやま じゅうしろう)
1927年9月15日 山梨

小宮山 重四郎(こみやま じゅうしろう、1927年(昭和2年)9月15日 - 1994年(平成6年)11月21日)は、日本の政治家。 衆議院議員(11期)、郵政大臣を歴任。 山梨県甲府市出身。後…

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