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柴田勲の情報 (しばたいさお)
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【4月3日】今日誕生日の芸能人・有名人

柴田勲の情報(しばたいさお) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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柴田 勲さんについて調べます

■名前・氏名
柴田 勲
(読み:しばた いさお)
■職業
野球選手
■柴田勲の誕生日・生年月日
1944年2月8日 (年齢81歳)
申年(さる年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
神奈川出身

(昭和19年)1944年生まれの人の年齢早見表

柴田勲と同じ1944年生まれの有名人・芸能人

柴田勲と同じ2月8日生まれの有名人・芸能人

柴田勲と同じ出身地神奈川県生まれの有名人・芸能人


柴田勲と関係のある人

新美敏: 同年秋にはトレードの噂が飛び交い、スポーツ新聞には「巨人の柴田勲と交換」と書かれた。


高田繁: 準決勝では甲子園で二度敗れている法政二高と対戦し、尾崎と法政二高のエース柴田勲との投げ合いとなり、延長11回の熱戦の末4-2で勝利。


河野旭輝: 盗塁王:3回 (1956年、1957年、1962年) ※両リーグでの獲得は史上唯一、5年のブランク受賞は同賞史上最長タイ(他に柴田勲、高橋慶彦、石井琢朗)


原田治明: しかし高田繁、柴田勲、末次民夫のレギュラー陣には割って入れず、その後は主に代打として出場する。


王貞治: 5年前の新人時代に金田と開幕戦で対決して以来、開幕戦15打席ヒットがなかったが、23歳、6年目を迎えた王はこの日、通算開幕戦16打席目の3回裏二死で一塁に柴田勲を置いて1ストライク3ボールからの5球目真ん中やや低めの直球をライト場外へ2点本塁打(通算116号)を放つ。


古葉竹識: お互いにユニフォーム脱いでから初めて聞いた巨人の柴田勲さんを見て「いいな」と思ったらしいだよね。


渡辺泰輔: しかし決勝では法政二高の柴田勲と投げ合い、延長11回の激闘の末敗れる。


永射保: 初奪三振:1973年5月16日、対読売ジャイアンツ5回戦(後楽園球場)、7回裏に柴田勲から


林千代作: 初出場・初打席:1966年9月25日、対中日ドラゴンズ24回戦(後楽園球場)、6回裏に柴田勲の代打として出場、水谷実智郎の前に凡退


長嶋茂雄: 当時巨人の選手だった柴田勲は、「長嶋さんが引退して森昌彦さん、黒江透修さんも引退し戦力が落ちたのもあるが、コーチ陣を一新したり、一体どういう野球をしたいのかがわからなかった」、「コーチ陣と上手くいっているように見えなかった」と述べている。


佐藤公博: しかし柴田勲に初安打を許し、その後森昌彦に逆転サヨナラ3点本塁打を打たれ、敗戦投手になる。


槌田誠: 1970年には登録上も外野手となるが、ここでも柴田勲・高田繁・末次民夫という不動のレギュラーの壁は厚く、代打出場中心は変わらなかった。


福田昌久: 柴田勲は3m35cm、高田繁は3m5cmといった具合であったが、帽子の庇を利用し、視線と庇の角度で測定していた。


島野修: この頃すでに、前任校で柴田勲を育てた実績のある教師が素質を認めていた。


荒川博: 1967年には、ある日の中日戦で球審の円城寺満に対して判定を不服とし、柴田勲と共に小突き回して判定を変えさせたが退場処分を受けた。


住友平: 2年次の1960年には1年生エース尾崎行雄を擁し、五番打者、二塁手として夏の選手権に出場したが、2回戦で法政二高の柴田勲に完封負けを喫した。


広瀬叔功: 先頭打者の能力を示す指標の一つである「生還率」((得点-本塁打数)÷(出塁率-本塁打数))を見ると、広瀬の通算生還率は.421で、この数字は前述の通算RBAでも挙げた福本豊(.401)、柴田勲(.370)を上回る。


松本匡史: 1980年は9月から中堅手、一番打者に抜擢され、柴田勲の後継と目される。


星野秀孝: 同年6月21日の巨人戦(中日)で初回に柴田勲に本塁打を打たれ、さらに満塁にしたところで降板。


南村侑広: なおこの打率は1966年に柴田勲(.565)に破られるまで日本シリーズ記録であった。


阿部慎之助: 巨人の生え抜きでは1980年の柴田勲以来37年ぶり5人目、また21世紀以降の巨人のドラフト指名選手では初の快挙であった。


島野育夫: 同年の春季関東大会では決勝に進むが、法政二高の柴田勲に抑えられ敗れた。


鶴岡泰: 1年生の時、エース柴田勲を擁し1961年の第43回全国高等学校野球選手権大会に出場。


衣笠祥雄: シーズン打率3割到達経験なしの通算2000安打達成者は柴田勲、田中幸雄の2名のみだが、2000安打達成時点であれば衣笠も含まれる。


宮崎昭二: 準決勝ではこの大会に優勝した法政二高と対戦するが、同じ2年生エースの柴田勲らに抑えられ完封負け。


阪本敏三: 準決勝に進出するが、法政二高の柴田勲・村上雅則の継投に抑えられ敗退。


庄司智久: プロ入り4年目の1975年に代走要員として54試合に出場するも、当時はV9(1965年~1973年)メンバーの柴田勲・高田繁・末次利光がレギュラーとして絶頂期を迎えており、レギュラーはおろか一軍のベンチに定着することも出来ず、二軍生活が続いた。


鈴木尚広: 巨人での通算盗塁数は柴田勲の579盗塁、松本匡史の342盗塁に次いで球団史上歴代3位である。


国松彰: 1963年は柴田勲の台頭で左翼手に回るが、終盤は故障で欠場。


王貞治: 10月16日広島での最終戦では、6回表に王はそれまで4安打1失点に抑えていた高橋里志の投じた2ストライク1ボールでの5球目真ん中高めの直球を打って716号2ランで同点にして、ジョンソンが高橋のど真ん中のボールを叩いて左翼最上段に決勝26号ソロで勝ち越し、さらに河埜和正、加藤初、柴田勲の3連打で加点する逆転劇、守備では加藤初(5イニングを6安打3失点) - 小林繁(4イニングを1安打無失点)のリレーでスコア5-3で逃げ切り、長嶋巨人は前年最下位から優勝を果たし、王は14回目の本塁打王を獲得した。


柴田勲の情報まとめ

もしもしロボ

柴田 勲(しばた いさお)さんの誕生日は1944年2月8日です。神奈川出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

現在、引退、テレビ、解散、映画、結婚、ドラマに関する情報もありますね。去年の情報もありました。柴田勲の現在の年齢は81歳のようです。

柴田勲のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

柴田 勲 (しばた いさお、1944年2月8日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(外野手、投手)・コーチ、解説者・評論家。現在は日本プロ野球名球会理事、巨人OB会顧問。

高校時代は甲子園優勝投手として名を馳せ、読売ジャイアンツに入団後はリードオフマンとして巨人のV9に貢献した。通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。セ・リーグ最多記録となる盗塁王を6回獲得。セ・リーグ初の外野手部門のダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を受賞している。

小学生時代に当時米軍キャンプの子息らと対戦するために結成されたチームで野球を始め、横浜市立大鳥中学校時代では野球部で投手を務める。当初はチームメイトと公立校へ進むつもりだったが、好投した試合の審判がOBであったことから声がかかって法政二高へ進学後は甲子園に4回出場、甘いマスクもあって人気者であった。

1959年夏の選手権に甲子園初出場。1回戦で西条高に敗退するが、この試合で1年生ながらリリーフとして甲子園初登板を果たす。1960年夏の甲子園県予選は決勝で慶應高の渡辺泰輔と投げ合い、延長11回の激闘の末に辛勝、夏の選手権への出場を決める。大会では順調に勝ち進み、決勝では石山建一のいた静岡高に3-0で完封勝利、初優勝を飾る。

1961年春の選抜は、決勝で左腕エース松下利夫(明大-四国電力)を擁する高松商を4-0で降し、前年からの夏春連覇を達成する。同年夏の選手権にも出場。準決勝で、これまで甲子園で2勝している因縁の浪商と対決、柴田と尾崎行雄との投手戦となり、延長11回の熱戦の末2-4で敗退した。浪商はこの大会で優勝を飾っている。プロ入りした高校同期に三塁手の是久幸彦、中堅手の的場祐剛(大洋)がおり、後に法大監督をつとめる五明公男も右翼手として出場していた。また1年後輩には後に日本人初のメジャーリーガーとなる村上雅則がいた。投手としては直球と小さいカーブがレパートリーだった。

1961年10月19日に投手として読売ジャイアンツに入団。1年目の開幕から一軍に抜擢され、開幕第2戦に先発。しかし、肩の痛みを抱えていたこともあってか、阪神タイガースの村山実と投げ合うが5回途中までに4点を失い降板、敗戦投手となる。5月3日にも広島カープを相手に先発するが、初回に1安打2四球を与え降板。3度目の先発となった8月5日の中日ドラゴンズとの対戦でも長谷川繁雄に本塁打を浴びるなど打ち込まれ、6失点を喫し3回に降板、敗戦投手となる。同年は0勝2敗に終わり「投手失格」の烙印を押された。このため強肩俊足を活かし外野手に転向するとともに、左打ちにも取り組み、日本初のスイッチヒッターとなる。

1963年には5月末から中堅手、一番打者に定着、打率.258(18位)ながら高木守道に次ぐ43盗塁を記録する。

1965年は4月末に故障欠場、2ヶ月を棒に振るが無事に復活した。この年に巨人は日本シリーズを制覇し、ここから1973年までセ・リーグと日本シリーズの双方でNPB最長の9連覇(V9)を達成することになるが、柴田は長嶋と王に並んで、この全期間を通じて野手のレギュラーポジションを維持した3人の一人となった。

1966年には初の盗塁王を獲得。同年の南海ホークスとの日本シリーズでは、全6試合で23打数13安打7打点2本塁打と活躍、また連続打席出塁の記録も達成。シリーズ最優秀選手賞(MVP)、打撃賞を獲得する。

1967年は打撃にも進化が見られ、打率.287(11位)、本塁打18本と好記録を残し、初のベストナインに選出された。

1968年には前年の五番打者であった高倉照幸が故障の影響もあって不振に陥り先発を外れる。このため首脳陣の意向で、打線のアキレス腱であった五番への定着を図るため、長打力のある「右打ち」に特化する。この年のオールスターゲーム第2戦では鈴木啓示から3点本塁打を放つなど、3安打1盗塁の活躍でMVPを獲得した。しかし同年は自己最多の26本の本塁打を放つが、確実性を欠いたフルスイングから三振が急増、三振も自己最多となってしまい、転じて出塁と盗塁機会も減ったことから盗塁王のタイトルも古葉竹識に奪われた。

1969年7月3日の対阪神戦では、当時、破竹の勢いを続けていた相手投手江夏豊への苦手意識を払拭する「刺激療法」として、川上監督は1試合のみ「3番・長嶋茂雄、4番・柴田、5番・王貞治」というクリーンナップで4番打者に抜擢し、見事に本塁打を放っている。

1970年には背番号「7」に変更。

「右打席」専念は数年間の打撃低迷の一因となった。

1971年にはスイッチヒッターに戻し打率.282(4位)を記録。

1972年は自己最高の打率.293(6位)を記録する。同1972年には45盗塁を記録して盗塁王を獲得。

1976年の阪急ブレーブスとの日本シリーズでは、第4戦の9回に山口高志から勝利を決める2点本塁打を放つ。日本一はならなかったが27打数11安打5打点2本塁打と気を吐き、シリーズ敢闘賞、打撃賞を受賞した。

1980年にはロイ・ホワイトの入団、松本匡史の台頭もあって出場機会が減少するが、8月7日のヤクルト戦(神宮)で酒井圭一から巨人の生え抜き選手としては4人目の通算2000本安打を達成。翌8日から1番・中堅は松本で柴田はベンチを温めることが多くなり、10月20日の広島とのシーズン最終戦(広島)は久しぶりに高田と1、2番を組む。引退試合ではなかったが、長嶋がV9戦士の2人に花を持たせた試合になった。柴田は一塁内野安打、四球、中飛、左翼線二塁打で迎えた9回の5打席目に右翼席へ勝利を決定付ける7号ソロ本塁打を放つ。

1980年限りで現役引退することを決意していたが、シーズン終了後に辞任した長嶋に代わって新監督に就任した藤田元司から慰留され、1981年もコーチ兼任として現役を続行した。巨人はその年リーグ優勝と日本一を達成した。日本ハムファイターズとの日本シリーズでは第4戦から先発出場。同シリーズでは通算10打数4安打1打点を記録した。この年限りで現役を引退した。

名球会の会員で引退までシーズン3割未達なのは柴田と田中幸雄のみで、打撃の三冠タイトルを獲得していない数少ない選手でもある。

2000試合出場の記録を持ち、出場数そのものは長嶋茂雄よりも上である。

引退後は巨人で二軍打撃兼外野守備コーチ(1982年)、一軍守備・走塁コーチ(1983年 - 1985年)を務めた。実際に引退してコーチに専念する際、年俸は3分の1に減った。当時の球団は外部から連れてくるコーチには契約金を出すが、元々球団にいた人間には1円も出さず、一度球団を離れて監督やコーチで戻ってくる場合は出していた。おかしいと思った柴田はこうした球団の慣例に一石を投じ、藤田が球団に交渉して貰えるようになった。コーチ2年目で一軍に昇格した1983年からは体調の優れない牧野茂に代わり、三塁コーチスボックスに立って2年ぶりのリーグ優勝に貢献したが、王貞治監督時の1984年と1985年はマスコミから「壊れた信号機」と酷評されることが多かった。巨人は1984年、1985年と連続で優勝を逃し、その責任を取る形で堀内恒夫一軍投手コーチと共に退団。

その後はフジテレビ(1986年 - 1995年)・ニッポン放送(1986年 - 1993年)→ラジオ日本(1998年 - )の野球解説者を務める。また、巨人OBという立場ながら阪神中心のデイリースポーツの評論家を2004年から2006年まで務めた(巨人OBのデイリースポーツ評論家は他にも関本四十四がいる)。1992年にポーカー賭博で松尾雄治などとともに逮捕されるが、釈放後の会見では、ポーカー賭博に対する謝罪会見であるにもかかわらずトランプ柄のセーターを着ていたため話題となった。その後、起訴猶予処分となる。2004年に死去した夫人は広川弘禅・元農林水産大臣の孫。

2008年12月7日、巨人OB会の新副会長に選出された(新会長は王貞治)。2009年12月には前任者である金田正一の退任に伴い、株式会社日本プロ野球名球会の代表取締役社長に就任した(株式会社としての法人は、2011年2月12日の株主総会で解散。2014年12月、巨人OB会の第9代会長に選出された。2019年12月7日、巨人OB会会長を退任し、顧問に就任。

NPBにおけるスイッチヒッターの草分け的存在であると言える。日本プロ野球での通算2000安打達成者の中では、2015年に松井稼頭央が達成するまでは唯一のスイッチヒッターであった。また、奇しくもスイッチヒッターでは安打数一位だったのも松井に抜かれることとなった。194本塁打を記録したパンチ力をもちながらも、左打席での長打力の弱さは度々指摘されており(打席数は左の方が多いにもかかわらず通算の本塁打数は左右で大差がなかった)、左右打席本塁打は1度も記録できなかった。

1968年から、首脳陣から乞われたこともあり、一時的に右打者に専念した。これは、ONに続く5番打者が不在というチームの課題を克服するために、右打席で長打力のある柴田を右打ちに専念させて5番打者として起用したいという首脳陣の意向によるものだった。68年は期待に応え、26本塁打を記録したものの、69年、70年と成績が下降したため、監督の川上哲治に直訴して再びスイッチヒッターに戻った。

スイッチヒッターに最初に挑戦したのは中学時代、メジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースで、スイッチヒッターとして活躍していたミッキー・マントルを意識したものだったが、高校入学後、当時の監督だった田丸仁の「右投げのピッチャーが左打席で右肩にデッドボールを受けたら利き腕がダメになる」と助言を受け、プロ入りし、打者転向まで右打ちに専念していた。また、入団から1969年まで背番号「12」を背負っていた。パリーグには、自身と同じく投手から転向し俊足で鳴らした南海の広瀬叔功も「12」の背番号を背負っていたが、柴田は1970年以降引退までミッキー・マントルと同じ背番号「7」を背負うことになる。

通算盗塁数579はセ・リーグ記録で、NPBの通算でも福本豊、広瀬叔功に次ぐ第3位である。一方で通算盗塁死193も福本と高橋慶彦に次ぐ第3位で、盗塁死の影響を考慮した赤星式盗塁に従うと柴田の順位はNPBで7位、セ・リーグ単独ではこの方式の考案者でもある赤星憲広に次ぐ2位となる。また、下記の通り赤い手袋をトレードマークに盗塁王を6回獲得した。1978年、「34歳で開幕を迎えたシーズンの盗塁王獲得」は現在もセ・リーグ最年長記録である。自己最高は1967年の70盗塁。なお、盗塁は全てサインだったという。

上記の通り、1965年から1973年にかけて巨人が達成した9連覇、「V9」の中で柴田はレギュラー野手として出場を続け、特に1番打者や2番打者で出塁した後に3番の王や4番の長嶋の長打で生還する役割を果たしたため、得点数は継続して多くなった。通算1223得点は現在のNPB記録において第14位、巨人の球団記録では王と長嶋に続く第3位となっている。

柴田は現役時代、「赤い手袋」をはめてプレーしたことで有名だが、松井秀喜、落合博満など、一部を除き、現在では打者のバッティンググローブ着用は珍しくなくなったが、当時、素手でバットを握る選手が多い中、下記の事情もあって、結果としてバッティンググローブ着用者の先駆けとなる。

これを着用し始めたのは1967年からである。巨人はこの年の春季キャンプとして、ドジャースのベロビーチキャンプに参加。柴田は走塁練習中に手を擦り、バッティング練習が出来なくなった。柴田は隣のゴルフ場に手袋を買いに行ったが、柴田の手に合うものが女性用の赤い手袋しかなかったので、やむを得ずそれを買った。その後ナイトゲームに赤い手袋をつけてプレーし、安打と盗塁を記録した。ナイトゲーム下での緑の芝との赤い手袋が映えているようでカッコイイとチームメイトに言われ、日本でも赤い手袋をしたままバッティングするようになった。

そして、柴田に変わって巨人の中堅手のレギュラーを獲得した松本匡史は柴田にあやかって「青い手袋」を着用し、ここから付いた「青い稲妻」が松本の代名詞として定着した。

甲子園での2連続優勝という実績を引っ提げて巨人に入団し、投手としてプロでやっていこうと張り切っていた柴田だったが、プロ初登板となった開幕第2戦では打ち込まれて途中降板し、またその後のピッチングも芳しくなく、柴田は早くも挫折感を味わうことになる。そしてついに投手失格の烙印を押され野手に転向し、二軍生活を味わうことになる。

柴田は「練鑑ブルース」の替え歌「多摩川ブルース」を作ったが、その詞が練習場の多摩川グラウンドで巨人の二軍選手が味わう悲哀をよく表現していると評され、巨人の二軍選手の間で長らく語り継がれていった。

セ・リーグへのDH制導入に賛同している一人でもある。

1963年の日本公開映画『白い熱球』では、高校生の柴田が甲子園で投げている映像が使われている。同作に主演した千葉真一は、実際に超満員の甲子園で投球するシーンを撮影できなかったため、柴田のニュース映像を買い、千葉がマウンドで振りかぶって投げに入る瞬間、カメラが引き、その映像に切り替わっていると製作事情を述べている。後年、千葉は柴田にこの経緯を話すと、柴田は知らなかったので驚いたが、間接的にとはいえ、千葉と共演できたことを喜んでいた。

現役時代には歌手の伊東ゆかりとの交際が幾度となく噂されており、そのため柴田が打席に入ると、相手チームの応援団が柴田を揶揄する意味で、伊東の代表曲である「小指の想い出」を演奏するシーンが頻繁に見られた。野村克也もささやき戦術で柴田に向けて歌ったというが、柴田は「野村のささやきを発憤材料にし立ち向かっていった」と、野村死去後にデイリー新潮のコラムで述べている。また、甲子園で優勝した後、デビュー間もない吉永小百合からファンレターをもらったことがあると言われていたが、真相は逆で柴田の方から吉永へファンレターを送ったと週刊ベースボールの取材で述べている。  

後に柴田が明らかにしたところによれば、本当に伊東と1970年頃に交際していた時期があり、一時は当時巨人のヘッドコーチだった牧野茂を仲人として結婚する話まで進んでいたという。しかし当時トップアイドルだった伊東が結婚により収入を減らすことを恐れた伊東の両親が結婚に猛反対したためこの話は流れ、結局交際は自然消滅してしまった。 ちなみに二人は映画「ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗」で共演している。

各年度の太字はリーグ最高

盗塁王:6回 (1966年、1967年、1969年、1972年、1977年、1978年)※6回はセ・リーグ記録、5年のブランク受賞は同賞史上最長タイ(他に河野旭輝、高橋慶彦、石井琢朗)

ベストナイン:4回 (1967年、1971年 - 1973年)

ダイヤモンドグラブ賞:5回 (1972年 - 1974年、1976年、1977年)※1972年は高田繁、山本浩二と共に外野手部門でのセ・リーグ史上初の受賞

日本シリーズMVP:1回 (1966年)

日本シリーズ敢闘賞:1回 (1976年)

日本シリーズ打撃賞:2回 (1966年、1976年)

日本シリーズ優秀選手賞:1回 (1968年)

オールスターゲームMVP:1回 (1968年 第2戦)

初出場・初登板・初先発登板:1962年4月8日、対阪神タイガース2回戦(後楽園球場)、4回2/3を4失点で敗戦投手

初打席:同上、2回裏に村山実の前に三振

初安打:1962年7月19日、対中日ドラゴンズ17回戦(後楽園球場)、2回裏に権藤博から単打

初盗塁:1963年4月17日、対広島カープ2回戦(広島市民球場)、9回表に坂崎一彦の代走として出場し二盗(投手:長谷川良平、捕手:川原政数)

野手として初先発出場:1963年5月11日、対国鉄スワローズ3回戦(後楽園球場)、1番・中堅手で先発出場

初本塁打:1963年5月25日、対広島カープ6回戦(広島市民球場)、4回表に長谷川良平から

1000試合出場:1971年5月23日、対大洋ホエールズ6回戦(川崎球場) ※史上150人目

2000安打:1980年8月7日、対ヤクルトスワローズ17回戦(明治神宮野球場)、4回表に酒井圭一から単打 ※史上13人目

500盗塁:1977年5月3日、対大洋ホエールズ4回戦(後楽園球場) ※史上3人目、セ・リーグ初

550盗塁:1978年8月13日、対横浜大洋ホエールズ21回戦(後楽園球場) ※史上3人目、セ・リーグ初

オールスターゲーム出場:12回 (1963年 - 1968年、1970年、1971年、1973年、1974年、1977年、1978年)

12 (1962年 - 1969年)

7 (1970年 - 1981年)

77 (1982年 - 1985年)

ラジオ日本ジャイアンツナイター

BASEBALL SPECIAL〜野球道〜 - かつてフジテレビ解説者として出演していた中継の現行統一タイトル

プロ野球ニュース

ニッポン放送ショウアップナイター

爆笑問題日曜サンデー(TBSラジオ、2021年9月12日) - ここは赤坂応接間

プロ野球 レジェン堂(2024年4月9日、BSフジ)

アール・エフ(主に健康食品を販売する会社で、柴田は同社の顧問も勤めている)

ペプシコーラ(現役時代に出演)

^ 1994年以降ニッポン放送ショウアップナイターへの出演実績は無い。

^ 1997年以前に野球解説者としてラジオ日本ジャイアンツナイターへの出演実績は無い。ジャイアンツナイターでの初解説は1998年4月8日の巨人対広島戦。

^ NPBでは1975年5月17日にリッチー・シェーン(広島)が初めて記録。日本人選手では柴田の現役引退後の1982年5月15日に松永浩美(阪急)が初めて記録した。

^ パ・リーグで1982年に福本豊、1993年に大石大二郎、2016年に糸井嘉男が並んだ。

^ 東京都大田区にあった練習場。多摩川河川敷の国有地を借用して1955年から1988年まで巨人が使用し、現在は多摩川緑地広場硬式野球場として大田区から委託された公社が管理している。

^ “セがDH制導入案を見送り、原因は他球団の巨人アレルギーか【柴田勲のセブンアイズ】”. デイリー新潮 (2020年12月17日). 2021年1月29日閲覧。

^ “日本プロ野球名球会の組織概要”. 2022年12月18日閲覧。

^ “6度の盗塁王に輝いた柴田勲氏 「99.9%はサインで走った」”. NEWSポストセブン (2014年8月23日). 2021年1月27日閲覧。

^ “三井ゴールデングラブ賞 歴代受賞選手”. 2021年2月17日閲覧。

^ 早実 王貞治 さんへの憧れ 】 巨人 柴田勲 の〝揺れた進路と決断の理由〟  日本プロ野球名球会チャンネル

^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年

^ “春風吹かせ!:’18センバツ 神奈川の90回/上 元巨人・柴田勲さん 法政二のエース”. 毎日新聞 (2018年3月18日). 2021年1月28日閲覧。

^ 甲子園V投手を“強引”な野手転向で開眼 巨人V9戦士の運命を変えた名将の慧眼

^ プロ野球 名選手列伝 驚きの記録を残したツワモノたち。著者・吉野秀。2008年6月15日。36頁。

^ “村神様の後ろにオスナ様 シリーズ5打席連続出塁に鮮やかタッチアップ シリーズ記録は「10」”. デイリースポーツ online (2022年10月23日). 2022年10月28日閲覧。

^ “今の巨人は勝てる気がしない 今後のシナリオも書き直し【柴田勲のセブンアイズ】”. デイリー新潮 (2022年8月23日). 2022年8月25日閲覧。

^ 柴田勲、右打席専念指令で成績急降下

^ “【野球】子年のプロ野球 巨人&オリックスに縁起よし?”. デイリースポーツ online (2020年1月5日). 2022年6月22日閲覧。

^ 各種記録達成者一覧 2000安打NPB

^ 【私の失敗(5)】柴田勲、選手かコーチに専念すればよかった

^ 近藤唯之 『引退 そのドラマ』 新潮社(新潮文庫)、1986年、137頁。

^ “巨人・坂本 代打で中飛 史上55人目の2千試合出場を達成「これからも全力で」”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年4月19日). https://www.daily.co.jp/baseball/2023/04/19/0016259447.shtml 2023年9月18日閲覧。 

^ https://hochi.news/articles/20240516-OHT1T51222.html?page=1

^ “稼頭央、両打ち2人目2000安打 こだわった「振り切って長打」”. スポーツニッポン (2015年7月29日). 2021年8月28日閲覧。

^ “松井稼がスイッチ打者歴代1位2019安打”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2015年8月19日). https://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2015/08/19/0008319488.shtml 2023年3月23日閲覧。 

^ “「オレの盗塁は全部サインだった」セ界の盗塁王・柴田勲の意外な秘話”. アサ芸プラス (2022年7月25日). 2022年7月30日閲覧。

^ “【私の失敗(3)】柴田勲、一度もなかった打率3割のシーズン”. サンケイスポーツ (2015年8月6日). 2022年12月18日閲覧。

^ 【 巨人 赤い手袋 柴田勲 】〝負ける気がしなかった〟巨人 V9時代の秘話!王さん、長嶋さんのイメージは真逆 < 日本 プロ野球 名球会 > - YouTube

^ 18歳の柴田勲さんは優れた作詞家でもあった 2軍生活の悲哀、憂鬱…「多摩川ブルース」に込めた思い

^ 千葉真一「アクション俳優のレッテル」『侍役者道 〜我が息子たちへ〜』米谷紳之介(第1刷)、双葉社、2021年12月25日、51 - 52頁。ISBN 4575316849。OCLC 1289471537。 

^ 野村克也さんを偲ぶ 私の交際相手の名前も持ち出した「ささやき戦術」【柴田勲のセブンアイズ】

^ 【レジェンドを訪ねる】柴田勲(巨人) インタビュー<1>

^ 東京スポーツ・2010年9月8日付 4面「柴田勲 怪盗紳士の告白」

^ 【8月7日】1980年(昭55) スイッチヒッター初 ケンカで転向した柴田勲 2000安打達成 スポーツニッポン 2010年8月7日

^ プロ野球 レジェン堂 - BSフジ 2024年4月9日

『巨人軍5000勝の記憶』 読売新聞社、ベースボールマガジン社、2007年。ISBN 9784583100296。p.46 通算400盗塁、巨人入団前後の経歴、赤い手袋をはめて塁上にいる写真

神奈川県出身の人物一覧

読売ジャイアンツの選手一覧

読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧

個人年度別成績 柴田勲 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)

金田正一

稲尾和久

小山正明

米田哲也

梶本隆夫

皆川睦雄

村山実

鈴木啓示

堀内恒夫

山田久志

江夏豊

平松政次

東尾修

村田兆治

北別府学

佐々木主浩

高津臣吾

工藤公康

野茂英雄

山本昌広

岩瀬仁紀

黒田博樹

上原浩治

藤川球児

平野佳寿

山内一弘

榎本喜八

野村克也

長嶋茂雄

広瀬叔功

張本勲

王貞治

江藤慎一

土井正博

高木守道

松原誠

柴田勲

大杉勝男

藤田平

衣笠祥雄

福本豊

山崎裕之

山本浩二

有藤通世

若松勉

谷沢健一

加藤秀司

門田博光

大島康徳

新井宏昌

秋山幸二

駒田徳広

立浪和義

鈴木一朗(イチロー)

清原和博

古田敦也

野村謙二郎

石井琢朗

松井秀喜

田中幸雄

前田智徳

金本知憲

松井稼頭央

小笠原道大

稲葉篤紀

宮本慎也

小久保裕紀

アレックス・ラミレス

中村紀洋

谷繁元信

井口資仁

和田一浩

新井貴浩

福留孝介

荒木雅博

青木宣親

阿部慎之助

鳥谷敬

内川聖一

福浦和也

坂本勇人

栗山巧

大島洋平

1950 別当薫

1951 南村不可止

1952 別所毅彦

1953 川上哲治

1954 杉下茂

1955 別所毅彦

1956 豊田泰光

1957 大下弘

1958 稲尾和久

1959 杉浦忠

1960 近藤昭仁

1961 宮本敏雄

1962 土橋正幸, 種茂雅之

1963 長嶋茂雄

1964 J.スタンカ

1965 長嶋茂雄

1966 柴田勲

1967 森昌彦

1968 高田繁

1969 長嶋茂雄

1970 長嶋茂雄

1971 末次民夫

1972 堀内恒夫

1973 堀内恒夫

1974 弘田澄男

1975 山口高志

1976 福本豊

1977 山田久志

1978 大杉勝男

1979 高橋慶彦

1980 J.ライトル

1981 西本聖

1982 東尾修

1983 大田卓司

1984 長嶋清幸

1985 R.バース

1986 工藤公康

1987 工藤公康

1988 石毛宏典

1989 駒田徳広

1990 O.デストラーデ

1991 秋山幸二

1992 石井丈裕

1993 川崎憲次郎

1994 槙原寛己

1995 T.オマリー

1996 T.ニール

1997 古田敦也

1998 鈴木尚典

1999 秋山幸二

2000 松井秀喜

2001 古田敦也

2002 二岡智宏

2003 杉内俊哉

2004 石井貴

2005 今江敏晃

2006 稲葉篤紀

2007 中村紀洋

2008 岸孝之

2009 阿部慎之助

2010 今江敏晃

2011 小久保裕紀

2012 内海哲也

2013 美馬学

2014 内川聖一

2015 李大浩

2016 B.レアード

2017 D.サファテ

2018 甲斐拓也

2019 Y.グラシアル

2020 栗原陵矢

2021 中村悠平

2022 杉本裕太郎

2023 近本光司

2024 桑原将志

1953 簑原宏

1954 大下弘

1955 戸川一郎

1956 稲尾和久

1957 宮本敏雄

1958 藤田元司

1959 土屋正孝

1960 田宮謙次郎

1961 J.スタンカ

1962 吉田義男

1963 稲尾和久

1964 山内一弘

1965 森下整鎮

1966 渡辺泰輔

1967 足立光宏

1968 長池徳二

1969 長池徳二

1970 井石礼司

1971 山田久志

1972 足立光宏

1973 野村克也

1974 高木守道

1975 山本浩二

1976 柴田勲

1977 河埜和正

1978 足立光宏

1979 井本隆

1980 小川亨

1981 井上弘昭

1982 上川誠二

1983 西本聖

1984 山沖之彦

1985 石毛宏典

1986 達川光男

1987 篠塚利夫

1988 宇野勝

1989 新井宏昌

1990 岡崎郁

1991 川口和久

1992 岡林洋一

1993 清原和博

1994 清原和博

1995 小林宏

1996 仁志敏久

1997 松井稼頭央

1998 大塚光二

1999 川上憲伸

2000 城島健司

2001 T.ローズ

2002 A.カブレラ

2003 金本知憲

2004 井上一樹

2005 矢野輝弘

2006 川上憲伸

2007 ダルビッシュ有

2008 A.ラミレス

2009 髙橋信二

2010 和田一浩

2011 吉見一起

2012 稲葉篤紀

2013 長野久義

2014 R.メッセンジャー

2015 山田哲人

2016 B.エルドレッド

2017 宮﨑敏郎

2018 鈴木誠也

2019 亀井善行

2020 戸郷翔征

2021 山本由伸

2022 J.オスナ

2023 紅林弘太郎

2024 今宮健太

1952 与那嶺要

1953 川上哲治

1954 日比野武

1955 飯田徳治

1956 豊田泰光

1957 大下弘

1958 豊田泰光

1959 寺田陽介

1960 金光秀憲

1961 宮本敏雄

1962 吉田義男

1963 城戸則文

1964 山内一弘

1965 森昌彦

1966 柴田勲

1967 森本潔

1968 D.スペンサー

1969 長嶋茂雄

1970 長嶋茂雄

1971 末次民夫

1972 王貞治

1973 末次民夫

1974 有藤通世

1975 大橋穣

1976 福本豊, 柴田勲

1977 張本勲

1978 島谷金二

1979 高橋慶彦

1957 豊田泰光

1958 中西太

1959 杉山光平

1960 近藤和彦

1961 塩原明

1962 岩下光一

1963 王貞治

1964 K.ハドリ

1965 林俊彦

1966 長嶋茂雄

1967 D.スペンサー

1968 柴田勲

1969 足立光宏

1970 黒江透修

1971 黒江透修

1972 長嶋茂雄

1973 高田繁

1974 山崎裕之

1975 中沢伸二, 外木場義郎

1976 B.ウイリアムス

1977 福本豊

1978 若松勉

1979 水谷実雄

1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰

1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正

1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義

1983 田淵幸一, テリー, 中畑清

1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊

1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二

1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実

1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己

1988 清原和博, 森山良二, 郭源治

1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸

1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤

1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎

1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也

1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也

1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦

1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾

1996 大島公一, 鈴木平, イチロー

1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛

1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広

1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司

2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成

2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満

2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之

2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎

2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信

2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁

2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲

2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博

2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広

2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一

2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平

2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩

2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー

2013 田中将大, 銀次, 内海哲也

2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太

2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太

2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔

2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大

2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃

2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩

2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐

2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎

2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆

2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸

2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ

1951 川上哲治, 野口明, 林義一

1952 飯島滋弥

1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男

1954 中西太, 山内和弘

1955 山内和弘, 西沢道夫

1956 森下正夫, 吉田義男

1957 大下弘, 宮本敏雄

1958 宮本敏雄, 中西太

1959 山内和弘, 中利夫

1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲

1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎

1962 ブルーム, 張本勲

1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅

1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ

1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一

1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識

1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男

1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司

1969 土井正博, 船田和英

1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎

1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司

1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩

1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之

1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲

1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博

1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司

1977 若松勉, 野村克也, 王貞治

1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之

1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二

1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊

1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博

1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之

1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満

1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓

1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美

1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章

1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博

1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三

1989 村田兆治, 彦野利勝

1990 R.ブライアント, 清原和博

1991 古田敦也, 広沢克己

1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広

1993 清原和博, T.オマリー

1994 秋山幸二, G.ブラッグス

1995 落合博満, 松井秀喜

1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲

1997 松井稼頭央, 清原和博

1998 川上憲伸, 松井秀喜

1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志

2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博

2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋

2002 G.アリアス, 的山哲也

2003 高橋由伸, 金本知憲

2004 松坂大輔, SHINJO

2005 金城龍彦, 前田智徳

2006 青木宣親, 藤本敦士

2007 A.ラミレス, 阿部慎之助

2008 山﨑武司, 荒木雅博

2009 青木宣親, 松中信彦

2010 阿部慎之助, 片岡易之

2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀

2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼

2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一

2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐

2015 藤浪晋太郎, 會澤翼

2016 筒香嘉智, 大谷翔平

2017 内川聖一, A.デスパイネ

2018 森友哉, 源田壮亮

2019 森友哉, 近本光司

2020 (中止)

2021 菊池涼介, 島内宏明

2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐

2023 柳田悠岐, 万波中正

2024 牧秀悟,佐藤都志也

1950 金山次郎

1951 土屋五郎

1952 金山次郎

1953 金山次郎

1954 吉田義男

1955 本多逸郎

1956 吉田義男

1957 飯田徳治

1958 岡嶋博治

1959 岡嶋博治

1960 中利夫

1961 近藤和彦

1962 河野旭輝

1963 高木守道

1964 古葉竹識

1965 高木守道

1966 柴田勲

1967 柴田勲

1968 古葉竹識

1969 柴田勲

1970 東条文博

1971 高田繁

1972 柴田勲

1973 高木守道

1974 中塚政幸

1975 大下剛史

1976 衣笠祥雄

1977 柴田勲

1978 柴田勲

1979 高橋慶彦

1980 高橋慶彦

1981 青木実

1982 松本匡史

1983 松本匡史

1984 高木豊

1985 高橋慶彦

1986 屋鋪要, 平野謙

1987 屋鋪要

1988 屋鋪要

1989 正田耕三

1990 緒方耕一, 野村謙二郎

1991 野村謙二郎

1992 飯田哲也

1993 緒方耕一, 石井琢朗

1994 野村謙二郎

1995 緒方孝市

1996 緒方孝市

1997 緒方孝市

1998 石井琢朗

1999 石井琢朗

2000 石井琢朗

2001 赤星憲広

2002 赤星憲広

2003 赤星憲広

2004 赤星憲広

2005 赤星憲広

2006 青木宣親

2007 荒木雅博

2008 福地寿樹

2009 福地寿樹

2010 梵英心

2011 藤村大介

2012 大島洋平

2013 丸佳浩

2014 梶谷隆幸

2015 山田哲人

2016 山田哲人

2017 田中広輔

2018 山田哲人

2019 近本光司

2020 近本光司

2021 中野拓夢

2022 近本光司

2023 近本光司

2024 近本光司

 投  小川健太郎

 捕  森昌彦

 一  王貞治

 二  高木守道

 三  長嶋茂雄

 遊  藤田平

 外  近藤和彦 / 柴田勲 / 中暁生

 投  平松政次

 捕  木俣達彦

 一  王貞治

 二  国貞泰汎

 三  長嶋茂雄

 遊  藤田平

 外  柴田勲 / 高田繁 / 水谷実雄

 投  堀内恒夫

 捕  田淵幸一

 一  王貞治

 二  J.シピン

 三  長嶋茂雄

 遊  三村敏之

 外  柴田勲 / 高田繁 / 若松勉

 投  高橋一三

 捕  田淵幸一

 一  王貞治

 二  J.シピン

 三  長嶋茂雄

 遊  藤田平

 外  若松勉 / 柴田勲 / 江尻亮

1972 柴田勲, 高田繁, 山本浩司

1973 柴田勲, 高田繁, 山本浩司

1974 柴田勲, 高田繁, 山本浩司

1975 高田繁, 山本浩二, ローン

1976 池辺巌, 柴田勲, 山本浩二

1977 柴田勲, 山本浩二, 若松勉

1978 J.ライトル, 山本浩二, 若松勉

1979 J.ライトル, J.スコット, 山本浩二

1980 J.ライトル, J.スコット, 山本浩二

1981 J.ライトル, 松本匡史, 山本浩二

1982 北村照文, 平野謙, 松本匡史

1983 北村照文, 長嶋清幸, 松本匡史

1984 長嶋清幸, 屋鋪要, 山崎隆造

1985 平野謙, 屋鋪要, 山崎隆造

1986 平野謙, 屋鋪要, 長嶋清幸

1987 長嶋清幸, 屋鋪要, 山崎隆造

1988 彦野利勝, 屋鋪要, 山崎隆造

1989 栗山英樹, 彦野利勝, 山崎賢一

1990 彦野利勝, 柳田浩一, 山崎賢一

1991 飯田哲也, 前田智徳, R.J.レイノルズ

1992 飯田哲也, 亀山努, 前田智徳

1993 飯田哲也, 新庄剛志, 前田智徳

1994 飯田哲也, 新庄剛志, 前田智徳

1995 飯田哲也, 緒方孝市, 音重鎮

1996 飯田哲也, 緒方孝市, 新庄剛志

1997 飯田哲也, 緒方孝市, 新庄剛志

1998 緒方孝市, 新庄剛志, 高橋由伸

1999 緒方孝市, 新庄剛志, 高橋由伸

2000 新庄剛志, 高橋由伸, 松井秀喜

2001 赤星憲広, 高橋由伸, 松井秀喜

2002 高橋由伸, 福留孝介, 松井秀喜

2003 赤星憲広, 高橋由伸, 福留孝介

2004 赤星憲広, アレックス, 英智

2005 赤星憲広, 金城龍彦, 福留孝介

2006 青木宣親, 赤星憲広, 福留孝介

2007 青木宣親, 高橋由伸, 金城龍彦

2008 青木宣親, 赤星憲広, 鈴木尚広

2009 青木宣親, 松本哲也, 亀井義行

2010 青木宣親, 廣瀬純, 赤松真人

2011 長野久義, 青木宣親, 大島洋平

2012 大島洋平, 長野久義, 荒波翔

2013 長野久義, 丸佳浩, 荒波翔

2014 丸佳浩, 大島洋平, 大和

2015 福留孝介, 丸佳浩, 大島洋平

2016 丸佳浩, 大島洋平, 鈴木誠也

2017 丸佳浩, 桑原将志, 鈴木誠也

2018 丸佳浩, 大島洋平, 平田良介

2019 丸佳浩, 鈴木誠也, 大島洋平

2020 鈴木誠也, 大島洋平, 青木宣親

2021 鈴木誠也, 近本光司, 大島洋平

2022 塩見泰隆, 岡林勇希, 近本光司

2023 近本光司, 岡林勇希, 桑原将志

2024 秋山翔吾, 岡林勇希, 近本光司

VIAF

日本

日本の野球選手

法政大学第二高等学校出身の野球選手

読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手

盗塁王 (NPB)

NPBオールスターゲーム選出選手

NPBオールスターゲームMVP

名球会

日本の野球指導者

野球解説者

神奈川県出身のスポーツ選手

横浜市出身の人物

1944年生

存命人物

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2025/03/31 22:30更新

shibata isao


柴田勲と同じ誕生日2月8日生まれ、同じ神奈川出身の人

村瀬 ひとみ(むらせ ひとみ)
1975年2月8日生まれの有名人 神奈川出身

村瀬 ひとみ(むらせ ひとみ、1975年2月8日 -)は、フリーアナウンサー。元KRY山口放送アナウンサー。 熱血テレビ(テレビ) 県民アワー(テレビ) KRYわくわくワイド“ひるらじ”(ラジオ) …

野並 豊(のなみ ゆたか)
1922年2月8日生まれの有名人 神奈川出身

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安藤 多喜夫(あんどう たきお)
1931年2月8日生まれの有名人 神奈川出身

2月8日生まれwiki情報なし(2025/04/02 22:47時点)

山本 寛斎(やまもと かんさい)
1944年2月8日生まれの有名人 神奈川出身

山本 寛斎(やまもと かんさい、1944年2月8日 - 2020年7月21日)は、日本のファッションデザイナー、イベントプロデューサー。 寛斎スーパースタジオ会長。別名表記はやまもと 寛斎。神奈川県…

松本 峰明(まつもと ほうめい)
1954年2月8日生まれの有名人 神奈川出身

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祥美 衣(よしみ きぬ)
1964年2月8日生まれの有名人 神奈川出身

2月8日生まれwiki情報なし(2025/04/02 20:10時点)

藤村 直己(ふじむら なおき)
1971年2月8日生まれの有名人 神奈川出身

藤村 直己(ふじむら なおき、1971年2月8日 - )は、広島テレビ(HTV)のエンターテインメントパーソナリティ。 神奈川県横浜市出身(厳密には出生は熊本県、育ちは兵庫県、実家は神奈川県にある)…

松本 有希子(まつもと ゆきこ)
1986年2月8日生まれの有名人 神奈川出身

2月8日生まれwiki情報なし(2025/04/03 04:19時点)

春口 まさ子(はるぐち まさこ)
1962年2月8日生まれの有名人 神奈川出身

春口 雅子(はるぐち まさこ、1964年3月23日 - 2006年6月24日)は、日本の童謡歌手。宮崎県小林市出身。血液型はA型。 1964年3月23日、宮崎県小林市生まれ。 1985年4月、N…

鈴木 光明(すずき みつあき)
1936年2月8日生まれの有名人 神奈川出身

鈴木 光明(すずき みつあき、1936年2月8日 - 2004年11月14日)は、神奈川県横浜市出身の漫画家。 6人兄弟の三男として出生。中学生の頃より漫画家を志す。中学卒業後に職を転々としながら漫…


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柴田勲と近い名前の人


柴田 勲_(政治家)(しばた いさお)
1928年3月8日生まれの有名人 愛媛出身

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柴田 一郎(しばた いちろう)
1968年9月2日生まれの有名人 東京出身

柴田 一郎(しばた いちろう、1968年9月2日)は、日本のドラマー、ミュージシャンである。元ロックバンド・かかし、ゆらゆら帝国のドラマー。また、電子音楽家いちろうでもある。 かかしのメンバーとして…

柴田 理恵(しばた りえ)
1959年1月14日生まれの有名人 富山出身

柴田 理恵(しばた りえ、1959年〈昭和34年〉1月14日 - )は、日本の女優、お笑いタレント。 1959年1月14日、富山県婦負郡八尾町生まれ。鉄道会社に勤務する父と小学校教員の母のもとに1人…

柴田 奈緒美(しばた なおみ)
1978年9月14日生まれの有名人 出身

柴田 奈緒美(しばた なおみ、1978年9月14日 - )は、日本の女性タレント、エッセイストである。埼玉県出身。 この節に雑多な内容が羅列されています。 事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文と…

柴田 淳(しばた じゅん)
1976年11月19日生まれの有名人 東京出身

柴田 淳(しばた じゅん、1976年11月19日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。積極的なインターネット活動から「ブログの歌姫」と呼ばれた。ラジオパーソナリティとしても知られる。愛称は「し…


柴田 阿弥(しばた あや)
【SKE48】
1993年4月1日生まれの有名人 愛知出身

柴田 阿弥(しばた あや、1993年〈平成5年〉4月1日 - )は、日本のキャスター、タレント。女性アイドルグループ・SKE48の元メンバー。愛知県出身。セント・フォース所属。 2010年9月30日…

柴田 亜美(しばた あみ)
1967年5月24日生まれの有名人 長崎出身

柴田 亜美(しばた あみ、1967年5月24日 - )は、日本の女性漫画家・画家である。 1967年、長崎県生まれ。長崎大学教育学部附属小学校、長崎大学教育学部附属中学校、長崎県立長崎西高等学校、武…

柴田 あさみ(しばた あさみ)
1979年4月3日生まれの有名人 埼玉出身

柴田 あさみ(しばた あさみ、1979年4月3日 - )は日本の元タレント、元グラビアアイドル。アバンギャルドに所属していた。 1998年 第3回『ミスヤングマガジン』グランプリ。1998年度のフジ…

柴田 菜月(しばた なつき)
1986年1月4日生まれの有名人 愛知出身

柴田 菜月(しばた なつき、1986年1月4日 - )は、愛知県出身の女性モデル、元レースクイーン。愛称は、Natsu(ナツ)。 1986年1月4日:愛知県にて3人姉妹の次女(姉と妹がいる)として生…

柴田 美保子(しばた みほこ)
1948年5月31日生まれの有名人 大阪出身

柴田 美保子(しばた みほこ、1948年〈昭和23年〉5月31日 - )は、日本の女優。本名、市川 美保子、旧姓名、芸名と同じ。別名義、柴田 未保子、柴田 三保子。夫は脚本家の市川森一。 大阪府大阪…


柴田 時江(しばた ときえ)
1969年4月19日生まれの有名人 東京出身

柴田 時江(しばた ときえ、1969年4月19日 - )は、東京都出身の女優。 10代の頃にアイドル女優としてデビュー。初期の頃はオーソドックスな清純派アイドル女優だったが、90年代の半ばから二時間…

柴田 優子(しばた ゆうこ)
2002年3月8日生まれの有名人 東京出身

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柴田 倫世(しばた ともよ)
1974年12月23日生まれの有名人 福岡出身

柴田 倫世(しばた ともよ、1974年12月23日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント。元日本テレビアナウンサー。戸籍名松坂 倫世。夫は元プロ野球選手の松坂大輔。 福岡県筑紫野市出身。1歳…

柴田 奈津子(しばた なつこ)
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柴田 奈津子(しばた なつこ、1983年12月20日 - )は、岡山・東京で活躍していたアナウンサー。元岡山放送(OHK)および元セント・フォース所属。 愛媛県松山市出身。愛媛県立松山南高等学校、青…

柴田 秀一(しばた しゅういち)
1957年9月2日生まれの有名人 神奈川出身

柴田 秀一(しばた しゅういち、1957年9月2日 - )は、日本のアナウンサーである。 神奈川県川崎市出身。神奈川県立川崎高等学校、日本大学法学部政治経済学科卒業後、1981年4月TBS(東京放送…

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