羽仁五郎の情報(はにごろう) 歴史学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
羽仁 五郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
羽仁五郎と関係のある人
羽仁未央: 祖父は歴史学者の羽仁五郎で、祖母は婦人運動家の羽仁説子。 羽仁進: 父は歴史家で参議院議員を務めた羽仁五郎、母は婦人運動家の羽仁説子。 中井正一: 1948年、参議院図書館運営委員長であった羽仁五郎の推薦で国立国会図書館副館長に就任。 鈴木邦男: 竹中労、沼正三、羽仁五郎らと会う。 三島一: 同級生に羽仁五郎がある。 新村猛: この学園の設立に際し、自由学園の羽仁五郎の助言を得て、新村の親友、中井正一(国立国会図書館初代副館長)と羽仁(参議院図書館委員会委員長)との接点もこのとき出来たとされる。 ハーバート=ノーマン: 公務の傍ら、東京帝国大学明治新聞雑誌文庫(宮武外骨が創設)を頻繁に訪ね、近代日本史の研究を深めるとともに、羽仁五郎に師事して明治維新史を学ぶ。 林達夫: 津田英学塾(津田塾大学)講師、法政大学予科英語講師(1934年4月から法政大学文学部講師でフランス哲学と宗教学を担当)も兼ね、教鞭をとる傍ら1927年夏頃から岩波の月刊『思想』、1928年2月から1929年4月まで三木清・羽仁五郎とともに『岩波講座 世界思潮』の編集にも携わった。 羽仁協子: 羽仁五郎と羽仁説子の娘、羽仁進の妹として東京府に生まれる。 後藤田正晴: 「羽仁五郎のように若い過激派をおだてて原稿料を稼ぐやつほど、この世で悪いやつはいない。 五木寛之: 『蒼ざめた馬を見よ』は1966年にアンドレイ・シニャフスキーとユーリ・ダニエルが作品を西側諸国で出版して逮捕された事件に着想を得て、「伝奇小説的なスケールの大きさ」「地理的なスケールをこえて、近来に類を見ない精神宇宙のサスペンス・ドラマ」「詩的で熱っぽく潔癖な文章」(今官一)、「人間の、人間に対する差別、人間に対する侮辱、残酷さ、(略)それを描こうとするあなたの文学を読んでいると、ものすごい未来を感じるんだ」(羽仁五郎)といった賞賛を得た。 羽仁もと子: 長女 羽仁説子 - 婿は歴史学者であり参議院議員として国立国会図書館の設置に携わった羽仁五郎(旧姓森)。 森喜作: 歴史学者の羽仁五郎は叔父。 尾崎秀実: 上海に渡る直前に、一高、東京帝大で同期でドイツ帰りの羽仁五郎から現地の新聞の研究・分析の重要性について教わる。 ベネデット=クローチェ: 『歴史の理論と歴史』(羽仁五郎訳、岩波文庫、1952) 犬塚弘: 在学中は羽仁五郎、神近市子、仁戸田六三郎らの教えを受けた。 五木寛之: 『五木寛之討論集 箱舟の去ったあと』(羽仁五郎、小田実、久野収他) 講談社、1973年 三木清: 羽仁五郎らと雑誌『新興科学の旗のもとに』を起こして、たんなる党派的な教条にとどまらないマルクス主義の創造的な展開も企てたが、1930年、日本共産党に資金提供をしたという理由によって逮捕され、転向をおこなった。 三木清: 歴史の羽仁五郎、経済学の大内兵衛、カント研究の天野貞祐、後にハイデッガーについて学ぶ九鬼周造、哲学家から政治家になる北昤吉、キリスト教史学の石原謙、経済学の久留間鮫造、作家の阿部次郎、経済学の藤田敬三、糸井靖之、黒正巌、小尾範治、鈴木宗忠、大峡秀栄などがいた。 ジョーン=フォンテイン: 羽仁五郎によれば、軽井沢の教会で開かれた別荘住民による音楽会でオリヴィア、ジョーン姉妹が歌を披露したことがある。 |
羽仁五郎の情報まとめ
羽仁 五郎(はに ごろう)さんの誕生日は1901年3月29日です。群馬出身の歴史学者のようです。
エピソード、著作などについてまとめました。現在、卒業、結婚、映画、解散、事件に関する情報もありますね。亡くなられているようです。
羽仁五郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)羽仁 五郎(はに ごろう、1901年(明治34年)3月29日 - 1983年(昭和58年)6月8日)は、日本の歴史家(マルクス主義歴史学・歴史哲学・現代史)。参議院議員。日本学術会議議員。 旧姓は森。群馬県桐生市出身。生家は近江商人ルーツに持ち、地元桐生で桐生織物を取り扱う有力な織物仲買商(現在の森合資会社)であり、父の森宗作(初代森宗作の養子で、2代森宗作、大正14年隠居後は森宗久)は、第四十銀行の創立者で初代頭取、舘林貯蓄銀行頭取、などを務めた。兄晋一郎は森家を継いで3代森宗作を襲名(桐生商工会議所初代会頭)、その次男(羽仁五郎の甥)は世界で初めてシイタケの人工栽培法を発明した農学者森喜作。戦後山形大学学長を務めた森平三郎は羽仁五郎の三番目の兄である。 1913年(大正2年)、桐生北尋常小学校卒業。同年東京に上京して、東京府立第四中学校に入学。厳しい規則と詰め込み主義の学校を批判し、停学処分を受けるなどした。1918年(大正7年)旧制第一高等学校独法科入学、さらに1921年(大正10年)、東京帝国大学法学部に入学。数ヶ月後に休学し、同年9月、ドイツで歴史哲学を学ぶため出国。1922年(大正11年)4月、ハイデルベルク大学哲学科でリッケルトに歴史哲学を学ぶ。留学中、糸井靖之・大内兵衛・三木清と交流し、現代史・唯物史観の研究を開始。「すべての歴史は現代の歴史である」というベネデット・クローチェの歴史哲学を知り、イタリア旅行中に生家を訪れるも扉を叩かず。しかし、生涯在野の哲学者であったクローチェの影響を色濃く受けた。1924年(大正13年)、帰国し、東京帝国大学文学部史学科に入る。 1926年(大正15年)4月8日、羽仁吉一・もと子夫妻の長女説子と結婚。「彼女が独立の女性として成長することを期待して」婿入りし、森姓から羽仁姓となる。1927年(昭和2年)、東京帝国大学卒業。同大史料編纂所に嘱託として勤務。1928年(昭和3年)2月、日本最初の普通選挙で応援演説をしたことで問題となり辞職。同年10月三木清・小林勇と雑誌『新興科学の旗のもとに』を創刊。1932年(昭和7年)、野呂栄太郎らと『日本資本主義発達史講座』を刊行。1933年(昭和8年)9月11日、治安維持法容疑で検束。留置中に日本大学教授を辞職。強制的に虚偽の「手記」を書かされた上で、12月末に釈放。その後、『ミケルアンヂェロ』その他の著述で軍国主義に抵抗し多くの知識人の共感を得た。中でも『クロォチェ』論は特攻隊員の上原良司の愛読書となり遺本ともなった。1945年(昭和20年)3月10日、北京で憲兵に逮捕され、東京に身柄を移され、敗戦は警視庁の留置場で迎え、10月4日の治安維持法廃止を受けてようやく釈放された。1947年(昭和22年)、参議院議員に当選し、1956年(昭和31年)まで革新系議員として活動。国立国会図書館の設立に尽力する。日本学術会議議員を歴任。 マルクス主義の観点から、明治維新やルネッサンスの原因は農民一揆にあると主張。晩年は新左翼の革命理論家的存在となり、学生運動を支援し『都市の論理』はベストセラーとなった。1983年(昭和58年)、肺気腫のため死去。墓所は雑司ヶ谷霊園。 息子は、映画監督の羽仁進(その元妻は女優の左幸子)、孫が羽仁未央。娘は音楽教育家の羽仁協子。甥にしいたけの人工栽培を発明した農学者の森喜作。 晩年は家元制度打倒を唱える花柳幻舟を事実上の愛人としていた。羽仁は花柳を「ぼくのガールフレンド」と呼んでいた。 生家の森合資会社事務所、森合資会社店蔵、森家住宅石蔵は国登録有形文化財。戦後、横須賀市秋谷に移住し、自宅は1966年竣工の吉村順三設計の住宅で2015年12月から宿泊施設HAYAMA Funny house として活用されている。 エピソード国立国会図書館法前文の「真理がわれらを自由にする」という文言は、羽仁がドイツ留学中に見た大学の銘文を基に入れたもので、新約聖書のヨハネによる福音書に由来する。 1967年4月20日、午後1時に大講堂で日本大学経済学部の新入生歓迎会をしている最中に、講師に招かれた羽仁の講演を体育会学生と応援団が乗り込み妨害した。執行部学生に暴行を加え、歓迎会の解散を認める署名を強制した。羽仁に対して、ヤジや罵声は収まるどころか、いっそう増し、「アカ」、「ジジイ引っ込メ」などの罵声を受けた。羽仁は演壇上に立ち往生し、身の危険を感じて退避したが、歓迎大会は完全に破壊された。 作家の森まゆみは、「1968年、我が家の近くの東京大学で学生運動が激しかった頃、白いタートルネックにチェックのジャケットを着てステッキをついた洒脱なおじいさんが、よく全共闘の学生と対話していた。その人、羽仁五郎の『都市の論理』は、その時代のベストセラーだった」、羽仁の『ミケルアンヂェロ』を高校生の時に読んだとき、「口絵のダヴィデ像、そして「語るならば、低くかたれ」という言葉に、胸が熱くなったのを思い出す」と記している。 三里塚闘争への支援も行い、現地を2回程訪問し、三里塚芝山連合空港反対同盟へメッセージを送って激励している。遺言では「灰を三里塚にまけ」といったとされ、日比谷公会堂で行われた追悼集会で反対同盟の北原鉱治が別れの言葉を述べている。 1972年に発生したあさま山荘事件について、志水速雄との対談において羽仁は「権力を持っているものが人民を隅に追い込んでいった結果であり、そこに発生したことがらの全責任は権力を握っている側にあるんですよ」、「正義は虐げられている側、抑圧されている側、つねに少数の側にある」と連合赤軍を擁護した。志水が「知識人が学生を甘やかしたからあんなことになったのではないか」と追及すると「言論の責任を取ることになってくれば、言論の自由なんていうものは保証できないんですよ」と主張した。 著作単著『転形期の歴史学』鉄塔書院、1929年9月。 『佐藤信淵に関する基礎的研究』岩波書店、1929年11月。ISBN 978-4000008709。https://www.iwanami.co.jp/book/b265140.html。 『歴史学批判叙説』鉄塔書院、1932年5月。
『歴史学批判叙説』中央公論社、1946年9月。 『幕末に於ける社会経済状態階級関係及び階級闘争』 前篇、岩波書店〈日本資本主義発達史講座 第1部 明治維新史〉、1932年8月。 『幕末に於ける社会経済状態階級関係及び階級闘争』 後篇、岩波書店〈日本資本主義発達史講座 第1部 明治維新史〉、1932年11月。
『幕末に於ける社会経済状態階級関係及び階級闘争』 後篇(復刻版)、岩波書店〈日本資本主義発達史講座 第1部 明治維新史〉、1982年5月。 『幕末に於ける政治的支配形態』岩波書店〈日本資本主義発達史講座 第1部 明治維新史〉、1932年11月。
『幕末に於ける政治闘争』岩波書店〈日本資本主義発達史講座 第1部 明治維新史〉、1933年8月。
『幕末に於ける思想的動向』岩波書店〈日本資本主義発達史講座 第1部 明治維新史〉、1933年9月。
『幕末に於ける思想的動向』(復刻版)岩波書店〈日本資本主義発達史講座 第1部 明治維新史〉、1982年5月。 『近世』岩波書店、1933年9月。 『マキャヴェリ君主論 その歴史的背景』岩波書店〈大思想文庫 8〉、1936年12月。
『新井白石・福沢諭吉 断片 日本に於ける教育の世界的進歩に対する先駆者の寄与』岩波書店〈大教育家文庫 7〉、1937年6月。
『ミケルアンヂェロ』岩波書店〈岩波新書〉、1939年3月。
『クロォチェ』河出書房、1939年12月。 『明治維新 現代日本の起源』岩波書店〈岩波新書〉、1946年6月。
『明治維新 現代日本の起源』(特装版)岩波書店〈岩波新書〉、1984年1月。 『転形期の歴史学』中央公論社、1946年8月。 『歴史教育批判 児童の歴史観とその表現』岩波書店、1946年8月。 『クロォチェ・市民的哲学者』河出書房、1946年12月。
『歴史』岩波書店〈新しき歩みのために 3〉、1947年8月。 『ヂォコンダの微笑』三一書房、1947年9月。 『青年にうつたう』日本民主主義文化連盟〈文連文庫〉、1947年12月。 『ヒウマニズムと文化革命』世界評論社〈新世代叢書 第1〉、1948年1月。 『生と死とについて』新潮社、1948年4月。 『東洋に於ける資本主義の形成』三一書房、1948年9月。
『続青年にうったえる』日本民主主義文化連盟〈文連文庫〉、1948年12月。 『基本的人権は制限しうるか 羽仁五郎公務員法反対討論集』日本自治団体労働組合総連合宣伝出版部〈自治労連パンフレツト 第3集〉、1948年12月。 『氏族社会』三一書房〈新日本歴史双書 古代1〉、1948年12月。 『日本における近代思想の前提』岩波書店、1949年1月。ISBN 978-4000016483。https://www.iwanami.co.jp/book/b264816.html。 『都市』岩波書店〈岩波新書〉、1949年6月。
『国民に訴う 国会からの報告』潮流社、1949年6月。 『理性の抵抗』角川書店、1949年10月。 『つねに若く美しく』河出書房、1950年5月。 『日本人民の歴史』岩波書店〈岩波新書〉、1950年5月。 『百万人の世界史』北隆館、1950年5月。 『国民は知る権利がある』北隆館、1950年5月。 『イタリア社会史』岩波書店、1952年5月。 『破防法といかに闘うか』三笠書房〈三笠新書 6〉、1952年10月。
『東と西と』岩波書店、1954年1月。 『国会 占領下、政治家は何をしているのか』光文社〈カッパ・ブックス〉、1956年4月。 『死刑廃止と人命尊重 参議院法務委員会の公聴会から』駿台社、1956年7月。 『この十年 知られざる歴史は語る』駿台社、1956年7月。 『明治維新史研究』岩波書店、1956年9月。 『私の大学 学問のすすめ』講談社〈講談社現代新書 79〉、1966年6月。 『都市の論理ー歴史的条件 現代の闘争』勁草書房、1968年12月。 日本評論社編集部 編『現代とはなにか』日本評論社、1969年5月。 『理性の抵抗』角川書店〈角川選書 22〉、1969年7月。 『人間復権の論理』三一書房〈三一新書 696〉、1970年5月。 『ヨオロッパの大学を行く』三省堂〈三省堂新書 88〉、1970年11月。 『自由としての人間』大和書房〈わが人生観 20〉、1970年12月。 『日本軍国主義の復活』現代評論社、1971年9月。 『抵抗の哲学 クロォチェ』現代評論社、1972年6月。 『芸術とはなにか 羽仁五郎講演』創造美育協会東京支部、1972年7月。 『アウシュヴィッツの時代』潮出版社、1973年1月。 『黙示録の時代』潮出版社、1974年7月。 『自伝的戦後史』講談社、1976年9月。
『自伝的戦後史』(新装版)スペース伽耶、2006年5月。ISBN 978-4434077494。 『自己発想の方法 自分の頭を持っているか』青春出版社、1978年3月。 『社会主義をどう考えるか』技術と人間、1979年1月。 『主権ハ人民ニアリ』潮出版社、1979年4月。 『羽仁五郎の大予言 いかにして21世紀に生き残るか』話の特集、1979年5月。 『教育の論理 文部省廃止論』ダイヤモンド社、1979年10月。 『明治維新史研究』岩波書店〈岩波文庫〉、1979年12月。ISBN 978-4003314319。https://www.iwanami.co.jp/book/b246122.html。 『図書館の論理 羽仁五郎の発言』日外アソシエーツ、1981年6月。 『教育の論理 文部省廃止論』講談社〈講談社文庫〉、1981年11月。 『君の心が戦争を起こす 反戦と平和の論理』光文社〈カッパ・ブックス〉、1982年12月。 『都市の論理』講談社〈講談社文庫〉、1982年12月。
『青春の証言 今、これだけは言っておきたい』幸洋出版、1983年3月。 『日本人民の歴史』(特装版)岩波書店〈岩波新書〉、1984年1月。 『羽仁五郎歴史論抄』筑摩書房〈筑摩叢書 302〉、1986年10月。ISBN 978-4480013026。https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480013026/。 『羽仁五郎 私の大学』日本図書センター〈人間の記録 138〉、2001年2月。ISBN 978-4820559672。http://www.nihontosho.co.jp/2001/02/138.html。 共編著羽仁五郎、伊豆公夫『明治維新に於ける制度上の変革』岩波書店〈日本資本主義発達史講座 第1部 明治維新史〉、1932年8月。
野坂参三、羽仁五郎、風早八十二『野呂栄太郎と民主革命 一九三四年二月十九日を記念して』岩波書店、1946年9月。 羽仁五郎、石田郁夫『大学自治とは 差別と闘う文化を』広島大学消費生活協同組合、1980年8月。 羽仁五郎、羽仁進『父が息子に語る歴史講談』文藝春秋、1983年2月。ISBN 978-4163378305。 対談『羽仁五郎対談集』潮出版社、1973年8月。 羽仁五郎、井上清『歴史に何を学ぶか 羽仁五郎・井上清現代史対談』現代評論社、1973年12月。 羽仁五郎、竹中労『アジア燃ゆ 反日感情のゆくえ 羽仁五郎・竹中労対談』現代評論社〈現代選書〉、1974年9月。 羽仁五郎、野坂昭如『乱世に語る 事前対談』現代評論社、1975年5月。 『無国籍の論理 羽仁五郎対談集』読売新聞社、1975年6月。 『生きてるって言ってみろ 羽仁五郎対談集』現代評論社、1976年12月。 翻訳ベネデト・クロォチェ 著、羽仁五郎 訳『歴史叙述の理論及び歴史』岩波書店、1926年10月。 クルウゼンシュテルン 著、羽仁五郎 訳『クルウゼンシュテルン日本紀行』駿南社〈異国叢書〉、1931年。
ベネデト・クロォチェ 著、羽仁五郎 訳『歴史の理論と歴史』岩波書店〈岩波文庫〉、1952年2月。ISBN 978-4003341810。https://www.iwanami.co.jp/book/b246429.html。 校訂新井白石『折たく柴の記』羽仁五郎校訂、岩波書店、1939年7月。
著作集『歴史の方法』岩崎書店〈羽仁五郎選集 第1巻〉、1949年12月。 『歴史』岩崎書店〈羽仁五郎選集 第2巻〉、1950年3月。 『歴史理論 歴史教育 a』青木書店〈羽仁五郎歴史論著作集 第1巻〉、1967年6月。 『歴史理論 歴史教育 b』青木書店〈羽仁五郎歴史論著作集 第2巻〉、1967年9月。 『日本史・明治維新』青木書店〈羽仁五郎歴史論著作集 第3巻〉、1967年7月。 『現代史・文明批評』青木書店〈羽仁五郎歴史論著作集 第4巻〉、1967年10月。 『歴史論』現代史出版会〈羽仁五郎戦後著作集 1〉、1982年1月。ISBN 978-4198124090。 『政治論』現代史出版会〈羽仁五郎戦後著作集 2〉、1982年3月。ISBN 978-4198124458。 『文化論』現代史出版会〈羽仁五郎戦後著作集 3〉、1981年11月。ISBN 978-4191723702。 『歴史論』(復刻版)学術出版会〈学術著作集ライブラリー 第1巻〉、2009年10月。ISBN 978-4284101905。http://www.gaku-jutsu.co.jp/pages/user/search/?keyword=%89H%90m%8C%DC%98Y&blog_id=344787。 『政治論』(復刻版)学術出版会〈学術著作集ライブラリー 第2巻〉、2009年10月。ISBN 978-4284101912。 『文化論』(復刻版)学術出版会〈学術著作集ライブラリー 第3巻〉、2009年10月。ISBN 978-4284101929。 2024/06/09 18:27更新
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hani gorou
羽仁五郎と同じ誕生日3月29日生まれ、同じ群馬出身の人
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