荒正人の情報(あらまさひと) 文芸評論家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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荒正人と関係のある人
イーデン=フィルポッツ: 荒正人訳、講談社文庫 1978 渡辺淳一: 1959年の「くりま」第6号に発表した『境界』が北海道新聞社「道内文芸同人誌優秀作」に選ばれ、荒正人に評価される。 坂口安吾: 飲みに行くこともままならなかった戦争中には、平野謙、荒正人、檀一雄、埴谷雄高らと大井広介邸に集まり、犯人あてのゲームに興じていたが、推理に一番熱心であったが一番当らなかったという。 日高六郎: 荒正人編『知識人の探求』(河出書房、1949年) 荻昌弘: 荒正人編『ドストエーフスキイの世界』(河出書房新社 1963)- 荻による「スクリーンのドストエーフスキイ」収録 小熊英二: 西尾幹二は、『<民主>と<愛国>』の索引での言及頁数は多い方から、丸山眞男、竹内好、鶴見俊輔、吉本隆明、江藤淳、小田実、石母田正、荒正人、大塚久雄、清水幾太郎の順であり、これら以外で頻出するのは小田切秀雄、本多秋五、井上清、網野善彦、中野好夫、久野収、国分一太郎、鶴見和子、中野重治、南原繁、宮本百合子、宗像誠也、大江健三郎であり、 江藤淳と晩年の清水幾太郎を除けば、全てが左派系だけであり、「名だたる戦後進歩主義者、左翼主義者、マルクス主義経済学者、歴史学者その他の屍のごとき言説を墓石の下から掘り起こして、埃を払い、茣蓙を敷いてその上にずらっと並べて天日に干して、もう一度眺められるようにお化粧直しする」「もう誰も相手にしてくれなくなった戦後進歩主義あるいは戦後左翼主義は、彼らにとっては心を慰めてくれるなによりもの〈癒し〉であるであろう。 イーデン=フィルポッツ: 荒正人訳、東京創元社、世界推理小説全集13 1956 小田切秀雄: 1941年、『万葉の伝統』で注目されたが、1943年応召、1944年に荒正人や佐々木基一とのマルクス主義文学研究会が原因で再び治安維持法違反に問われ逮捕されたが、結核により勾留停止となり釈放。 佐々木基一: 山口高校時代は荒正人と共にマルクス主義の学生運動に熱中した。 日野啓三: この年に『文学界』の新人批評家特集で「荒正人論-虚点という地点について」寄稿、同誌の会合で安岡章太郎、吉行淳之介、奥野健男ら同世代の作家や批評家と交流する。 中野重治: 『近代文学』の平野、荒正人を、「新日本文学」を中心として『批評の人間性』を書いて批判し、「政治と文学論争」を引き起こした。 埴谷雄高: 1946年(昭和21年)、山室静・平野謙・本多秋五・荒正人・佐々木基一・小田切秀雄とともに雑誌『近代文学』を創刊。 加藤周一: 加藤は、荒正人らの『近代文学』、つぎに花田清輝らの『綜合文化』、そして中野重治らの『新日本文学』などを拠り所に精力的な文筆活動を展開し、レジスタンス文学に関心を持つ一方で、ポール・ヴァレリーに関して、「私には、その詩人の運命が地上の一帝国の運命よりも重大に思われた」(『現代フランス文学論』)と述べ、その生涯を特徴付ける文芸と政治への関心を披瀝していた。 イーデン=フィルポッツ: 荒正人訳、講談社、世界推理小説大系6『赤毛のレドメイン家 / 闇からの声』 1972 イーデン=フィルポッツ: 荒正人訳、東都書房、世界推理小説大系15『闇からの声 / 赤毛のレドメイン一家』 1962 中島河太郎: 『推理小説への招待』(荒正人共編、南北社) 1959 水上勉: これらの作品に対しては、「松本清張の出現で推理小説は社会性を持つようになったが、水上勉はなおその上に思想性を加えようとしている」(『東京新聞』1960年4月30日)と評され、また荒正人は「この作者の素質は、社会的なものより、人間の本質に関して、実存的な把握にむいているのではないか」(『日本推理小説大系 15』)と述べている。 佐伯彰一: 『ジェイムズ・ジョイス入門』(荒正人共編、南雲堂) 1960、新版1978 イーデン=フィルポッツ: 荒正人訳、東京創元社、世界名作推理小説大系8 1961 中野重治: 平野謙、荒正人らと「政治と文学論争」を引き起こし、戦後文学の中心者であった。 |
荒正人の情報まとめ
荒 正人(あら まさひと)さんの誕生日は1913年1月1日です。福島出身の文芸評論家のようです。
著書、編著・共著などについてまとめました。卒業に関する情報もありますね。66歳で亡くなられているようです。
荒正人のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)荒 正人(あら まさひと、1913年(大正2年)1月1日 - 1979年(昭和54年)6月9日)は、日本の文芸評論家。 福島県相馬郡鹿島町(現・南相馬市)生まれ。旧制山口高等学校在学中、佐々木基一を知り、共にマルキシズムの学生運動に熱中した。1938年東京帝国大学英文科卒業。卒業後は東京新聞の文芸評論委員を務めた。 戦後、埴谷雄高・平野謙・佐々木基一・本多秋五・山室静らと『近代文学』を創刊。「第二の青春」などの評論を発表し、世代論、知識人論で加藤周一、中野重治らと論争を交わした。夏目漱石の研究でも一家をなし、1975年、漱石の生涯を詳細に調べた『漱石研究年表』で毎日芸術賞を受賞。ただし、この年表は典拠不明の記述や明確な誤りがあると度々批判されている。 1979年6月9日、法政大学文学部英文学科教授在任中、東京都杉並区の駒崎病院において、脳血栓のため死去。66歳没。没後、著作集が刊行された。 北欧文学にも造詣が深く、山室静とともにアイスランドを訪問し、ノーベル賞作家のハルドル・ラクスネスと会ったことがある。また推理小説を愛好し、推理小説関連の著作・訳書もある。第14回までの江戸川乱歩賞の選考委員をつとめ、西村京太郎を発掘した。初期の日本のSF小説の理解者としても知られる。 英文学者の植松みどりは長女、アメリカ文学者の荒このみは次女。親戚の一人に新左翼党派「戦旗・共産主義者同盟」の元代表・荒岱介がいる。 著書『第二の青春』(八雲書店) 1947年 『負け犬』(真善美社) 1947年 『第二の青春 負け犬』(冨山房、百科文庫) 1978年 『葉子、伸子、充子 読書ノート』(労働文化社) 1947年 『戦後』(近代文学社) 1948年 『赤い手帳』(河出書房) 1949年 『市民文学論』(青木書店) 1955年 『戦後文学の展望』(三笠書房) 1956年 『若き人々のための文学入門』(近代生活社) 1956年 『雪どけを越えて(政治と文学)』(近代生活社) 1957年 『小説家 現代の英雄』(光文社、カッパ・ブックス) 1957年 『夏目漱石』(五月書房、現代作家論全集) 1957年 『宇宙文明論』(平凡社) 1957年 『思想の流れ』(毎日新聞社) 1958年 『宇宙教室』(光書房) 1959年 『現代知性全集 37 荒正人集』(日本書房) 1960年 『評伝夏目漱石』(実業之日本社) 1960年 『ヴァイキングの末裔 北欧紀行』(河出書房新社) 1962年 『世界の文学』(塙書房) 1965年 『「夏目漱石」入門』(講談社現代新書) 1967年 『ヴァイキング 世界史を変えた海の戦士』(中公新書) 1968年 『漱石研究年表』(集英社、漱石文学全集 別巻) 1974年
「荒正人著作集」全5巻(三一書房) 1983 - 1984年
『夏目漱石 「こころ」を見つめて』(宮木薫画、岩崎書店、愛と真実の人びと7) 1986年 編著・共著『戦後批評集 近代文学篇』(双樹社) 1949年 『日本の近代文学』(平田次三郎共著、実業之日本社) 1951年 『世界人名百科辞典』(村上政之共編、青渓書院) 1951年 『昭和文学研究』(編、塙書房) 1952年 『文芸事典』(編、河出書房) 1953年 『大衆文学への招待』(武蔵野次郎共編、南北社) 1959年 『近代日本の良心』(編、光書房) 1959年 『推理小説への招待』(中島河太郎共編、南北社) 1959年 『ジョイス入門』(佐伯彰一編、南雲堂) 1960年 『エリオット入門』(小野協一編、南雲堂) 1961年 『ドストエーフスキイの世界』(編著、河出書房新社) 1963年 『対話宇宙探訪 宇宙科学をめぐる九つの対談』(編、講談社、ブルーバックス) 1964年 『思想家の名言』(編著、実業之日本社) 1967年 『谷崎潤一郎研究』(編著、八木書店) 1972年 2024/06/20 01:18更新
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ara masahito
荒正人と同じ誕生日1月1日生まれ、同じ福島出身の人
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