藤田進の情報(ふじたすすむ) 俳優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
藤田 進さんについて調べます
■名前・氏名 |
藤田進と関係のある人
池部良: 年齢より若い役が多く、実年齢が近い森繁久彌や藤田進の息子役を演じたこともある。 久慈あさみ: ブンガワンソロ (1951年、新東宝) 監督:市川崑 共演:池部良、藤田進、田崎潤 山田五十鈴: ストに反対する大河内に同調して、長谷川、高峰秀子、藤田進、黒川弥太郎、入江たか子、原節子、山根寿子、花井蘭子とともに十人の旗の会を結成して日本映画演劇労働組合(略称:日映演)傘下の東宝従業員組合を脱退。 加瀬完: 1971年6月の参院選後に成田知巳委員長の下で党参議院議員会長に就任、1973年まで務める(後任は藤田進)。 荒川稔久: 『帰ってきたウルトラマン』(1971年)のファンでもあり、東映プロデューサーだった髙寺成紀の回想によれば、『仮面ライダークウガ』のシナリオの打ち合わせで行き詰まったとき、同作に出演していた藤田進の物真似で「MATは解散だ」と言ったこともあったという。 東坊城恭長: 妻の場合 後篇 1940年 脚本 監督佐藤武、原作吉屋信子、音楽服部正、主演藤田進、入江たか子、高田稔 東宝映画東京撮影所作品 小坂一也: 青春サイクリング(1957年 SA-79、B面は藤田進、湯川きよ美の「愛のそよ風」) 大河内傳次郎: 1946年(昭和21年)、東宝争議が発生し、大河内は経営者側にも労働組合側にもつかないと立ち上がり、それに賛同する藤田進、高峰秀子、長谷川一夫、入江たか子、花井蘭子、山田五十鈴、原節子、黒川弥太郎、山根寿子と共に「十人の旗の会」を結成して東宝を脱退、翌1947年(昭和22年)の新東宝設立に参加した。 西郷四郎: 戦時中の1943年(昭和18年)、黒澤明監督によって藤田進が演じた『姿三四郎』によって藤田進という特異な俳優が生まれ、"世界のクロサワ"が誕生した。 長谷川一夫: 長谷川は組合側にも経営者側にも立たず、大河内伝次郎、藤田進、黒川弥太郎、高峰秀子、入江たか子、花井蘭子、山田五十鈴、原節子、山根寿子とともに「十人の旗の会」を結成して日映演東宝支部を脱退、3月25日に新東宝の設立に参加した。 田村道美: 妻の場合 前篇 1940年 監督佐藤武、原作吉屋信子、脚本東坊城恭長、音楽服部正、主演藤田進、入江たか子、高田稔 佐原健二: 『メカゴジラの逆襲』で佐原が演じた防衛軍の長官は、これまで東宝の先輩である藤田進や田崎潤らが東宝特撮作品で演じていた役どころであり、佐原は思い入れの深いゴジラシリーズで憧れていた役柄を演じられたことに感慨深い思いであったという。 本郷功次郎: 大映では藤田進や菅原謙二に続く柔道スターを探していたため、松山がその写真を叔母から借りて、社長の永田雅一に見せたところ「すぐに連れてこい」となった。 小坂一也: B面は湯川きよ美と藤田進の「愛のそよ風」) 黒澤明: 俳優(クレジット有のみ):志村喬(21本)、三船敏郎(16本)、藤原釜足(12本)、千秋実(11本)、高堂国典、本間文子(以上10本)、清水将夫、土屋嘉男(以上9本)、藤田進、加藤武、三好栄子、清水元、渡辺篤(以上8本)、千石規子、左卜全、三井弘次、上田吉二郎、東野英治郎(以上7本)、加藤武(6本)、仲代達矢、森雅之、香川京子、宮口精二、菅井一郎、河野秋武、木村功、中村伸郎、菅井きん、井川比佐志(以上5本) 田村道美: リボンを結ぶ夫人 1939年 監督山本薩夫、原作森田たま、脚本八住利雄、撮影宮島義勇、音楽早坂文雄、主演汐見洋、入江たか子、霧立のぼる、大日方伝、藤田進 東坊城恭長: 妻の場合 前篇 1940年 脚本 監督佐藤武、原作吉屋信子、音楽服部正、主演藤田進、入江たか子、高田稔 東宝映画東京撮影所作品 富田常雄: 『姿三四郎』は1943年、黒澤明監督、藤田進主演で初映画化され、戦後もたびたび映画化・ドラマ化された。 田村道美: 緑の大地 1942年 監督島津保次郎、原作丹羽文雄、脚本山形雄策、撮影三村明、音楽早坂文雄、製作主任関川秀雄、出演入江たか子、丸山定夫、藤間房子、藤田進、江川宇礼雄、原節子、池部良、進藤英太郎、沢村貞子 久慈あさみ: 愛染香 (1950年、新東宝) 監督:阿部豊 共演:藤田進、月丘夢路、池部良 田村道美: 妻の場合 後篇 1940年 監督佐藤武、原作吉屋信子、脚本東坊城恭長、音楽服部正、主演藤田進、入江たか子、高田稔 高峰秀子: ストに反対する大河内傳次郎に同調し、長谷川一夫、入江たか子、山田五十鈴、藤田進、黒川弥太郎、原節子、山根寿子、花井蘭子とともに十人の旗の会を結成して日本映画演劇労働組合(略称:日映演)傘下の東宝従業員組合を脱退。 久慈あさみ: 北海の叛乱 (1956年、新東宝) 監督:渡辺邦男 共演:上原謙、藤田進、高田稔 山本嘉次郎: 藤田進を主演(加藤建夫戦隊長役)に、特技監督は前作と同じく円谷英二を迎えた。 |
藤田進の情報まとめ
藤田 進(ふじた すすむ)さんの誕生日は1912年1月8日です。福岡出身の俳優のようです。
映画、卒業、ドラマ、テレビに関する情報もありますね。1990年に亡くなられているようです。
藤田進のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)昭和期において、黒澤明監督作品の主演を多数務めるなど、日本映画界の大スターの一人であった。戦時中は戦意高揚映画に、戦後も戦争映画に多く出演した。 1912年(明治45年)1月8日、福岡県久留米市京町に生れる。 1929年(昭和4年)に南筑中学校(現・久留米市立南筑高等学校)を卒業後上京し大学を受験するも失敗、帰途京都に立ち寄り、市川右太衛門プロダクション(右太プロ)で古海卓二の助監督を務めていた郷里の先輩を訪ねた際、俳優になるよう勧められる。 1930年(昭和5年)これが縁となって、右太プロに入り、エキストラとして出演する。 1931年(昭和6年)、東亜キネマに入るも芽が出ず。 1932年(昭和7年)に兵役につき、第12師団の砲兵隊に入隊し、対馬で勤務。1933年(昭和8年)に横須賀の陸軍重砲兵学校に入ったのち、二等兵のまま除隊。 1934年(昭和9年)にマキノ正博の京都映音に録音係として入社するが、翌年には解雇される(後述)。 1939年(昭和14年)、再び俳優として立つことを決意して東宝ニューフェイス入社。当初は大部屋俳優だった。 1940年(昭和15年)、『妻の場合』で入江たか子、高田稔と共演し、素朴で真摯な二枚目俳優として注目を受ける。 1941年(昭和16年)、『指導物語』など、その後は立て続けに主役に起用される。 1943年(昭和18年)には黒澤明の監督デビュー作『姿三四郎』に主演。その武骨な動作は映画とマッチし、その名は黒澤と共に広く知れ渡ることとなる。またその男性的な風貌から『加藤隼戦闘隊』の加藤建夫陸軍中佐役をはじめ、多くの戦意高揚映画に主演、軍人俳優として確固たる人気を得た。 1945年(昭和20年)、『虎の尾を踏む男達』の撮影中に敗戦を迎える。 1946年(昭和21年)、黒澤明の戦後第1作『わが青春に悔なし』に戦時中に自由主義者としての立場を貫いて獄死する青年を演じ、戦後の代表作となった。 1948年(昭和23年)、おりからの東宝争議で大河内伝次郎や長谷川一夫と共に「十人の旗の会」に加わり、新東宝映画の設立に参加する。このため、東宝に残った黒澤の作品からは離れることとなった。新東宝ではメロドラマからアクション物まで多くの映画に出演した。 1957年(昭和32年)からはフリーとなり、再び東宝作品を中心に、主に脇役として存在感を見せた。黒澤映画には『隠し砦の三悪人』(1958年)の脇役で復帰。その後も『用心棒』など3作に出演したが、ごくわずかな出演シーンにとどまっている。 特撮作品では司令官役が多く、テレビの『ウルトラセブン』にも地球防衛軍ヤマオカ長官、『帰ってきたウルトラマン』でも地球防衛庁・岸田長官としてセミレギュラー出演していた。戦記物でも、司令官や幹部の役が多い。 1990年(平成2年)3月23日午後8時15分に肝臓癌のため、日本赤十字社医療センターで死去(78歳没)。 1935年(昭和10年)、嵐寛寿郎プロダクションの発声映画『活人剣荒木又衛門』(マキノ正博監督)で富士山麓でのロケに臨んだ際、当時はマイクの性能のあまり良くない時代でもあったことから、同時録音のマイク係だった藤田は一所懸命考えて道路の土の中にマイクを見えない程度に隠したが、嵐寛寿郎には「こんなもんで音が録れるか」と足蹴にされた。その晩、藤田は酔っぱらって「アラカンの奴、ぶん殴ってやる!」と怒り狂い、京都映音の関係者を驚かせた。監督のマキノは藤田を抑え、「そんなに口惜しいなら、お前も役者になり、立派なスターになってアラカンを見返してやれ」と諭し、この時はとりあえず同映画での仕事が済むと「お前、クビや」と解雇を言い渡した。その後、藤田は東宝でスターとなるが、入社までの一時期は京都千本組の笹井末三郎の世話になり、競馬の予想屋をやって食いつないでいたという。 東京都調布市で藤田自動車販売店の経営や投資会社の社長になるなど、実業家としても活動した。1957年(昭和32年)には歌手デビューも果たしており、「愛のそよ風」(湯川きよ美とデュエット)、「伊豆は心のふるさとよ」、「さいはての旅愁」の計3枚を発売した。 白蘭の歌(1939年) 妻の場合(1940年) 海軍爆撃隊(1940年) 燃ゆる大空(1940年) 熱砂の誓ひ(1940年) 指導物語(1941年) ハワイ・マレー沖海戦(1942年) - 山下大尉 姿三四郎(1943年) - 姿三四郎 加藤隼戦闘隊(1944年) - 加藤建夫 雷撃隊出動(1944年) 續姿三四郎(1945年) 北の三人(1945年) わが青春に悔なし(1946年) 森の石松(1949年) 細雪(1950年) 自由学校(1951年) ブンガワンソロ(1951年) 虎の尾を踏む男達(1952年) ひめゆりの塔(1953年) 戦艦大和(1953年) 潜水艦ろ号 未だ浮上せず(1954年) 日本敗れず(1954年) ノンちゃん雲に乗る(1955年) 息子一人に嫁八人(1955年) のんき裁判(1955年) 明治天皇と日露大戦争(1957年) 阿波おどり 鳴門の海賊(1957年) 地球防衛軍(1957年) - 森田司令 二人の可愛い逃亡者 (1957) 隠し砦の三悪人(1958年) - 田所兵衛 私は貝になりたい(1959年) 潜水艦イ-57降伏せず(1959年) - 横田参謀 人間の條件 第三部望郷篇(1959年) ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年) - 山本五十六 悪い奴ほどよく眠る(1960年) 大坂城物語(1961年) 用心棒(1961年) 忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1962年) 箱根山 (1962年) 太平洋の翼(1963年) - 伊藤第二艦隊司令長官 天国と地獄(1963年) 青島要塞爆撃命令(1963年) - 加藤長官 秘剣(1963年) - 香川頼母 海底軍艦(1963年) - 防衛庁幹部A 国際秘密警察 虎の牙(1964年) 今日もわれ大空にあり(1964年) モスラ対ゴジラ(1964年) - 対策本部長 宇宙大怪獣ドゴラ(1964年) - 岩佐 ホラ吹き太閤記(1964年) 侍(1965年) 飢餓海峡(1965年) 太平洋奇跡の作戦 キスカ(1965年) - 秋谷司令 フランケンシュタイン対地底怪獣(1965年) - 大阪府警幹部A 北海の暴れ竜(1966年) 佐々木小次郎(1967年) 東宝8.15シリーズ
連合艦隊司令長官 山本五十六(1968年) - 南雲機動部隊司令長官 日本海大海戦(1969年) - 上村海軍中将 激動の昭和史 軍閥(1970年) トラ・トラ・トラ!(1970年) 新 網走番外地
新 網走番外地 吹雪の大脱走(1971年) 潮騒(1971年) あゝ陸軍隼戦闘隊(1969年、大映) 望郷子守唄(1972年、東映) 青春の門(1975年) 日本の仁義(1977年) 冬の華(1978年) 連合艦隊(1981年) - 及川海軍大臣 海峡(1982年) 探偵物語(1983年) 森の向う側(1988年) 三匹の侍(CX)
第4シリーズ 第7話「刺客」(1966年) - 大槻十左衛門 ウルトラシリーズ(TBS / 円谷プロ)
ウルトラマン 第2話「侵略者を撃て」(1966年) - 防衛隊幕僚長 ウルトラセブン - ヤマオカ長官
第5話「消された時間」(1967年) 第25話「零下140度の対決」(1968年) 第49話「史上最大の侵略(後編)」(1968年) 帰ってきたウルトラマン (1971年) - 岸田長官
第6話「決戦! 怪獣対マット」 第14話「二大怪獣の恐怖 東京大竜巻」 レモンのような女 第2話「私は私」(1967年、TBS / 国際放映) これが青春だ 第34話「これがケチだ」(1967年、NTV / 東宝) でっかい青春(1967年 - 1968年、NTV / 東宝) - 海東高校々長・山村順平 進め! 青春(1968年、NTV / 東宝) 東京コンバット(1968年 - 1969年、CX / 東映) - 内田刑事部長 鬼平犯科帳 第1シリーズ (NET / 東宝)
第20話「山吹屋お勝」(1970年)- 三沢仙右衛門 アテンションプリーズ(1970年、TBS / 東宝) 飛び出せ! 青春 第39話「貴様と俺とは同期の桜」(1973年、NTV / 東宝) 太陽にほえろ!(NTV / 東宝)
第469話「東京・鹿児島・大捜査線」、第470話「鹿児島・東京・大捜査線」(1981年) - 警察庁長官 ザ・サスペンス / 虞美人草 まぼろしの愛に果てた紫の女! (1984年、TBS) 愛のそよ風(デュエット:湯川きよ美) 1957年 さいはての旅愁 1957年 伊豆は心のふるさとよ 1957年 ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 533, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」 ^ 決定版ゴジラ入門 1992, p. 164, 「第5章 これがゴジラ映画だ 出演した人たち」 ^ ゴジラ大百科 1993, p. 127, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」 ^ 超常識 2016, p. 124, 「Column ゴジラ映画 俳優FILE」 ^ 野村宏平、冬門稔弐「1月7日 / 1月8日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、15頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。 ^ “藤田進(1)とは - コトバンク”. 2014年10月18日閲覧。 ^ 「姿三四朗 俳優藤田進さん死去」読売新聞1990年3月24日夕刊19面 ^ マキノ雅弘『映画渡世 マキノ雅弘伝』 天の巻、平凡社、1977年、頁。 ^ 東宝特撮映画全史 1983, pp. 535–538, 「主要特撮作品配役リスト」 ^ ^ ^ ^ 映画全史1983">『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。 田中友幸『決定版ゴジラ入門』(第7刷)小学館〈小学館入門百科シリーズ142〉、1992年4月20日(原著1984年7月15日)。ISBN 4-09-220142-7。 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一、Gakken〈Gakken MOOK〉、1993年12月10日。 『ゴジラの超常識』[協力] 東宝、双葉社、2016年7月24日(原著2014年7月6日)。ISBN 978-4-575-31156-3。 藤田進 - 日本映画データベース 藤田進 - allcinema 藤田進 - KINENOTE Susumu Fujita - IMDb(英語) 藤田進 - MOVIE WALKER PRESS 藤田進 - テレビドラマデータベース この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。 ISNI VIAF WorldCat スペイン フランス BnF data イスラエル アメリカ 日本 IdRef 日本の男優 日本の舞台俳優 20世紀日本の実業家 サイレント映画の俳優 市川右太衛門プロダクションの俳優 東亜キネマの俳優 東宝の俳優 新東宝の俳優 福岡県出身の人物 肝癌で亡くなった人物 1912年生 1990年没 出典のページ番号が要望されている記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 ウィキデータにあるallcinema人物識別子 ウィキデータにあるKINENOTE ID ウィキデータにあるMovie Walker人物識別子 すべてのスタブ記事 俳優に関するスタブ ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNE識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/17 17:06更新
|
fujita susumu
藤田進と同じ誕生日1月8日生まれ、同じ福岡出身の人
TOPニュース
藤田進と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「藤田進」を素材として二次利用しています。