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鶴見和子の情報 (つるみかずこ)
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鶴見 和子さんについて調べます

■名前・氏名
鶴見 和子
(読み:つるみ かずこ)
■職業
社会学者
■鶴見和子の誕生日・生年月日
1918年6月10日 (年齢2006年没)
午年(うま年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
東京出身

鶴見和子と同じ1918年生まれの有名人・芸能人

鶴見和子と同じ6月10日生まれの有名人・芸能人

鶴見和子と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


鶴見和子と関係のある人

パール=バック: 鶴見和子訳 実業之日本社、1940


桜井徳太郎: 市井三郎、鶴見和子らの「思想の冒険」グループのメンバーの一人として、近代化論研究や水俣の共同調査などにも参加。


春名徹: 「開国と漂流民群像」対談鶴見和子・春名徹述、


吉川勇一: 山村工作隊、東大ポポロ事件、砂川闘争などに参加し、講和・安保両条約発効に抗議する全学ストライキを指導して退学処分を受けた後は、共産党員として専従活動家の道を歩み、全学連書記局員、日本戦没学生記念会(わだつみ会)事務局員(組織部長)、日本平和委員会事務局員、同常任理事などを歴任して実務能力を身につけ、所感派の山村工作隊出身ながら「日本共産党第6回全国協議会(六全協)」後も党に留まり、1958年4月には、後藤新平の義理の姪婿で鶴見和子・俊輔姉弟と姻戚に当たる平野義太郎の仲人で結婚していたが、1965年、前年の原水爆禁止世界大会で共産党の方針に反対意見を表明したことで党から除名処分を受ける。


後藤新平: また、日本で左翼というと「反皇室」というイメージを抱かれがちであるが、下の鶴見和子と美智子皇后、鶴見良行と秋篠宮文仁親王の関係に見られるように、後藤新平に由来する反米左翼勢力は、皇族と太いパイプを持っている。


パール=バック: この心の矜り 鶴見和子訳.ダヴィッド社,1954.


鶴見俊輔: 戦後、鶴見は軽井沢の別荘で結核の療養生活を続けながら、姉・鶴見和子の尽力で、和子と丸山眞男、都留重人、武谷三男、武田清子、渡辺慧とともに7人で「思想の科学研究会」を結成して雑誌『思想の科学』を創刊。


佐佐木幸綱: 〈われ〉の発見 (鶴見和子対話、藤原書店、2002年) ISBN 978-4894343160


鶴見祐輔: 長女は社会学者の鶴見和子


パール=バック: 鶴見和子訳.新評論社,1953.


大石芳野: 「魂との出会い」(大石芳野、鶴見和子.共著)-- 藤原書店、2007.12


鶴見俊輔: 姉は社会学者の鶴見和子


イヴァン=イリイチ: イリイチは、バナキュラーの実態と変容を探るべく、家庭の主婦の家事労働などに目を向け、産業サービス社会において報酬を受けない再生産労働を「シャドウ・ワーク」(影法師の仕事―鶴見和子の訳)と命名した。


川田侃: (鶴見和子)『内発的発展論』(東京大学出版会、1989年)


多田富雄: 『邂逅』(鶴見和子、藤原書店、2003)


小熊英二: 西尾幹二は、『<民主>と<愛国>』の索引での言及頁数は多い方から、丸山眞男、竹内好、鶴見俊輔、吉本隆明、江藤淳、小田実、石母田正、荒正人、大塚久雄、清水幾太郎の順であり、これら以外で頻出するのは小田切秀雄、本多秋五、井上清、網野善彦、中野好夫、久野収、国分一太郎、鶴見和子、中野重治、南原繁、宮本百合子、宗像誠也、大江健三郎であり、 江藤淳と晩年の清水幾太郎を除けば、全てが左派系だけであり、「名だたる戦後進歩主義者、左翼主義者、マルクス主義経済学者、歴史学者その他の屍のごとき言説を墓石の下から掘り起こして、埃を払い、茣蓙を敷いてその上にずらっと並べて天日に干して、もう一度眺められるようにお化粧直しする」「もう誰も相手にしてくれなくなった戦後進歩主義あるいは戦後左翼主義は、彼らにとっては心を慰めてくれるなによりもの〈癒し〉であるであろう。


内山尚三: 政治家の後藤新平は義祖父(章子の祖父)、社会学者の鶴見和子は義姉(章子の姉)、哲学者の鶴見俊輔は義兄(章子の兄)。


志村ふくみ: 『いのちを纏う 色・織・きものの思想』鶴見和子 藤原書店 2006、新版2021


鶴見和子の情報まとめ

もしもしロボ

鶴見 和子(つるみ かずこ)さんの誕生日は1918年6月10日です。東京出身の社会学者のようです。

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卒業、家族、母親、趣味に関する情報もありますね。2006年に亡くなられているようです。

鶴見和子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

鶴見 和子(つるみ かずこ、1918年(大正7年)6月10日 - 2006年(平成18年)7月31日)は、日本の社会学者。上智大学名誉教授。国際関係論などを講じたが、専攻は比較社会学。南方熊楠や柳田國男の研究などでも知られる。

1918年6月10日、東京府麻布区で、父・祐輔と母・愛子(後藤新平の娘)の間に、4人きょうだいの1番目(長女)として生まれる。

牛込成城小学校から1927年4月に砧の成城学園に移り、1929年4月に女子学習院5年へ転校。1934年頃から、父と親交のあった河合栄治郎の「国家権力に対する言論闘争」に共感、影響を受ける。1936年3月、女子学習院を卒業し、同年4月、津田英学塾へ進学。1937年7月、オーストラリアで国際会議に出席する父に同行し、初めて海外へ。翌年夏には両親と米国へ渡航。

1939年3月、津田英学塾を卒業し、同年9月に米国・ヴァッサー大学大学院(哲学専攻)に入学。1941年に同大学院の哲学修士号を取得し、コロンビア大学大学院(哲学科)へ進学。1942年6月、同大学院を中退し、ハーバード大学を卒業した弟・俊輔と共に日米交換船で帰国。帰国後は東京に住み、市政会館内にあった太平洋協会のアメリカ分室に勤務した。1945年頃、父と2人で東京に残り、ほか家族は軽井沢の別荘で雑居。戦争末期には父と熱海へ疎開した。

1946年、弟・俊輔、丸山眞男、武谷三男と4人で「思想の科学」同人会議を開き、同年、雑誌『思想の科学』を創刊。この頃、共産党に入党し、党が所感派と国際派に分裂した1950年頃まで党員だった。

1952年に、「生活綴方」運動の指導者国分一太郎と出会い、「日本作文の会」の第1回作文教育全国協議会に招かれる。 1955年2月、国際民主婦人連盟の招請により、スイス・ジュネーブで行われた世界母親大会準備会に出席。 『山びこ学校』などの綴り方教育の実践報告に触発され、会の席上で提言した「自己を含む集団の研究」の方向性を模索すべく、同年牧瀬菊枝らとともに「生活をつづる会」を立ち上げる。 四日市の東亜紡織泊工場にて澤井余志郎を中心とした女子工員らのサークル「生活を記録する会」に出会い、その交流はやがて『母の歴史』『仲間のなかの恋愛』の出版、また東京演劇アンサンブル(劇団三期会)による集団創作劇『明日を紡ぐ娘たち』(広渡常敏脚本)への公演に結実する。

1957年、歳末から流感のあと肋膜炎・肺浸潤を患い、1年間療養生活を送る。回復後、1959年6月の参院選に出馬した父・祐輔の選挙活動を支援。 同年11月、父・祐輔が脳軟化症に倒れ、1年間の入院の後、自宅療養生活に入る。鶴見は成城の自宅と軽井沢の別荘を処分して父が政治活動のために負った借金を返済し、父とともに練馬区関町に購入した自宅へ転居。

1962年9月、米国・プリンストン大学社会学部大学院に入学し、1964年4月に同大学社会学博士の資格試験に合格。並行してトロント大学とブリティッシュコロンビア大学で客員教授として講義し、1964年9月からブリティッシュコロンビア大学助教授をつとめた。

1966年4月、成蹊大学助教授。1966年12月、渡米しプリンストン大学社会学博士号を取得。

1969年上智大学外国語学部教授、同大学国際関係研究所所員。

1973年春、トロント大学から招請を受け、渡加。

八王子大学セミナーハウスの運営委員や市井三郎、桜井徳太郎などと「思想の冒険」グループ(他に、宇野重昭、内山秀夫、色川大吉、三輪公忠、菊地昌典、山田慶児)をつくり、水俣病や近代の超克などの共同研究を行った。

実現には至らなかったが日本の国連代表部公使の候補になったこともある(結局、選ばれたのは緒方貞子だった)。

1995年12月に脳出血で倒れて左片麻痺となり、車椅子生活を送りながらも、これまで書かれた著作をまとめた『鶴見和子曼荼羅』(全9巻)や、生涯の中で関わりのあった様々な人物や学問上の関心が照応する相手との対談をまとめた『鶴見和子 対話まんだら』というシリーズを藤原書店より刊行。

2006年7月31日に大腸がんのため88歳で没した。墓所は作らず散骨した。

和歌や日舞、着物などの趣味の豊かさでも知られ、その方面の随筆、写真本などの刊行物もある。

「萎えたるは萎えたるままに美しく歩み納めむこの花道を」と生前に詠んだ歌にふさわしく、最後まで実践と学問と道楽をひとつの生き様として華やかに貫いた。

生涯独身。弟の俊輔は『和子はおやじを非常に愛していた。率直に言って、生涯で一番愛した男なんだ。「父の娘」というのがいるでしょ。アナイス・ニンとか森茉莉とか、その型なんだよ』と述べている。

2007年7月28日に新宿中村屋本店で催された一周忌の集いには、美智子皇后も臨席した。鶴見和子本人も生前、明仁天皇と美智子皇后への深い尊敬の念を語っていた。

父は政治家・鶴見祐輔。

    弟は哲学者の鶴見俊輔。
      甥(俊輔の息子)に早稲田大学文学部教授の鶴見太郎。

      妹の夫は法学者の内山尚三。

        父方の叔父は外交官の鶴見憲。
          父方の従弟(鶴見憲の息子)に人類学者の鶴見良行。

          母方の祖父は政治家・後藤新平、同曾祖父に政治家・安場保和。

            母方の叔父に佐野学。
              母方の従兄に社会主義運動家の佐野碩・佐野博。
                母方の親戚(安場保和の孫娘の婿)に法学者の平野義太郎。

                1979年(昭和54年)に『南方熊楠』で毎日出版文化賞。

                1995年(平成7年)に南方熊楠賞。

                1999年(平成11年)に朝日賞。

                『パール・バック』(岩波新書、1953年) 

                『父と母の歴史 私たちの昭和史』(筑摩書房、1962年) 

                『ステブストン物語――世界のなかの日本人』(中央公論社、1962年)

                『デューイ・こらいどすこおぷ』(未來社、1963年)

                『生活記録運動のなかで』(未來社、1963年)

                『好奇心と日本人』(講談社現代新書、1972年) 

                『漂泊と定住と――柳田国男の社会変動論』(筑摩書房、1977年/ちくま学芸文庫、1993年)

                『南方熊楠――地球志向の比較学』(講談社学術文庫、1981年)

                『殺されたもののゆくえ わたしの民俗学ノート』(はる書房、1985年、新版2018年)

                『暮らしの流儀』(はる書房、1987年)

                『南方曼陀羅論』(八坂書房、1992年)

                歌集『回生』(私家版、製作:独歩書林、1996年/藤原書店、2001年)

                『内発的発展論の展開』(筑摩書房、1996年)

                『日本を開く――柳田・南方・大江の思想的意義』(岩波セミナーブックス、1997年)

                『女書生』(はる書房、1997年)

                『コレクション 鶴見和子曼荼羅』(全9巻、藤原書店、1997-99年)

                『脳卒中で倒れてから よく生きよく死ぬために』(婦人生活社、1998年)

                歌集『花道』(藤原書店 2000年)

                『南方熊楠・萃点の思想――未来のパラダイム転換に向けて』(藤原書店、2001年、新版2021年)

                『遺言 斃れてのち元まる』(藤原書店、2007年、増補版2018年)

                歌集『山姥』(藤原書店、2007年)

                (聞き手藤本和子)『きもの自在』(晶文社、1993年/ちくま文庫、2016年)

                (石牟礼道子)『言葉果つるところ』(藤原書店、2002年)

                (中村桂子)『四十億年の私の「生命」――生命誌と内発的発展論』(藤原書店、2002年、新版2013年)

                (佐佐木幸綱)『「われ」の発見』(藤原書店、2002年)

                (上田敏)『患者学のすすめ――"内発的"リハビリテーション』(藤原書店、2003年、新版2016年)

                (多田富雄)『邂逅』(藤原書店、2003年)

                (西川千麗・花柳寿々紫)『おどりは人生』(藤原書店、2003年)

                (武者小路公秀)『複数の東洋/複数の西洋――世界の知を結ぶ』(藤原書店、2004年)

                (頼富本宏)『曼荼羅の思想』(藤原書店、2005年)

                (服部英二)『「対話」の文化――言語・宗教・文明』(藤原書店、2006年)

                (志村ふくみ)『いのちを纏う――色・織・きものの思想』(藤原書店、2006年、新版2021年)

                (金子兜太)『米寿快談――俳句・短歌・いのち』(藤原書店、2006年)

                (川勝平太)『「内発的発展」とは何か――新しい学問に向けて』(藤原書店、2008年、新版2017年)

                (松居竜五編)『南方熊楠の謎――鶴見和子との対話』(藤原書店、2015年)

                『エンピツをにぎる主婦』(毎日新聞社、1954年)

                『父と母の歴史』(筑摩書房、1962年、改訂版1978年)

                『日本民俗文化大系 第4巻 南方熊楠』(講談社、1978年)

                『日本の名随筆 別巻58 着物』(作品社、1995年)

                (木下順二)『母の歴史』(河出書房、1954年)

                (磯野誠一ほか)『仲間のなかの恋愛』(河出書房、1958年)

                (牧瀬菊枝)『ひき裂かれて――母たちの戦争体験』(筑摩書房、1959年/麦秋社、1979年)

                (市井三郎)『思想の冒険――社会と変化の新しいパラダイム』(筑摩書房、1974年)

                (門脇佳吉)『日本人の宗教心――宗教的エネルギーと日本の将来シンポジウム』(講談社、1983年)

                (川田侃)『内発的発展論』(東京大学出版会、1989年)

                (新崎盛暉)『玉野井芳郎著作集(3)地域主義からの出発』(学陽書房、1990年)

                (宇野重昭)『内発的発展と外向型発展――現代中国における交錯』(東京大学出版会、1994年)

                パール・バック『この心の誇り』(実業之日本社、1940年/上・下、ダヴィッド社、1954年)

                M・カーチ『アメリカ社会文化史(上・中・下)』(法政大学出版局、1953年-1958年).

                L・S・フォイヤー『精神分析と倫理』(岩波書店、1962年)

                ^ 石塚 2010, p. 65.

                ^ 石塚 2010, p. 213.

                ^ 石塚 2010, p. 268.

                ^ 石塚 2010, p. 185.

                ^ 石塚 (2010, p. 65)。母・愛子が当時外務大臣となっていた母方の祖父・後藤新平の世話をしていたため、同区狸穴町の外務大臣官邸で生まれた(同)。同年4月8日には母方の祖母・和子が死去している(同)。

                ^ 石塚 2010, p. 118.

                ^ 石塚 2010, pp. 137.

                ^ 石塚 2010, pp. 195, 199.

                ^ 石塚 2010, p. 198.

                ^ 石塚 2010, pp. 201, 204.

                ^ 石塚 2010, p. 206.

                ^ 石塚 2010, pp. 207, 213.

                ^ 石塚 2010, p. 216.

                ^ 石塚 2010, pp. 216, 219.

                ^ 石塚 2010, p. 223.

                ^ 石塚 2010, p. 224.

                ^ 石塚 2010, p. 227.

                ^ 鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二『戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く』新曜社、2004年、291~292頁。鶴見俊輔の証言による。

                ^ 石塚 2010, p. 247.

                ^ 石塚 (2010, p. 252)。最初の半年は面会謝絶状態にあった(同)。

                ^ 石塚 2010, pp. 261–263.

                ^ 石塚 2010, p. 256.

                ^ 石塚 2010, pp. 256, 262, 263.

                ^ 石塚 (2010, p. 265)。鶴見にかわり、弟の直輔や俊輔夫妻が父の世話をした(石塚 2010, pp. 265–266)。

                ^ 石塚 (2010, p. 266)。首席合格し、ポッブズ・メリル賞を受賞した(同)。

                ^ 石塚 2010, p. 266.

                ^ 石塚 2010, p. 267.

                ^ 博士論文は「Social change and the individual; Japan before and after defeat in World War II」として1970年にPrinceton University Pressから出版された。

                ^ 1982-84年には同研究所所長。1989年定年退職。

                ^ 石塚 2010, p. 270.

                ^ それぞれに成果が刊行されている。これらの調査・研究の中で試みられてきた「内発的発展論」への理論的構築の過程で柳田國男の仕事や南方熊楠の手がけた粘菌研究および「萃点の思想」にも着目。男女、大人と子ども、人と動物から、世代、時代を超えた共生などにも自らの理論構築の中で大胆なアプローチを試みるようになった。

                ^ 石塚 2010, p. 272.

                ^ リハビリの過程は、専門医の上田敏・大川弥生との共著 『回生を生きる 本当のリハビリテーションに出会って』(三輪書店、1996年、増補版2007年)に詳しい。

                ^ 鶴見は、脳出血で半身麻痺になってから、京都府宇治市の介護老人ホームで、リハビリ生活を続けてきていた。だが、2006年4月に施行された「リハビリ医療の日数制限制度」により、リハビリを打ち切られていた。「日数制限制度」に反対している、自らもリハビリ患者である多田富雄は「鶴見さんの死の直接の原因は癌であっても、リハビリ制限が死を早めたことは間違いない」と記している。また鶴見も、生前に藤原書店の季刊誌『環 第26号』でリハビリ制限制度について、「これは費用を倹約することが目的ではなくて、老人は早く死ね、というのが主目標なのではないだろうか。この老人医療改訂は、老人に対する死刑宣告のようなものだと私は考えている」と記述している。多田富雄『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』(青土社、2007年)より

                ^ 鶴見, 加藤 & 黒川 2006, p. 50.

                ^ 季刊誌「環」第31号(2007年11月)より。美智子皇后はその後も、鶴見和子を偲ぶ「山百合忌」に出席している(朝日新聞デジタル:「水俣の苦しみ今も」石牟礼さん、皇后さまに手紙 - 社会)。

                ^ 『複数の東洋/複数の西洋――世界の知を結ぶ』(藤原書店、2004年)より

                ^ 小谷野 2007, pp. 177, 179.

                ^ 小谷野 2007, pp. 178–179.

                ^ 小谷野 2007, p. 179.

                ^ 石塚 2010, p. 17.

                ^ 小谷野 2007, pp. 177–179.

                ^ “第1回~第10回南方熊楠賞受賞者”. 南方熊楠顕彰館. 2022年8月16日閲覧。

                ^ “朝日賞 1971-2000年度”. 朝日新聞社. 2022年8月16日閲覧。

                石塚, 義夫『鶴見祐輔資料』講談社出版サービスセンター、2010年。ISBN 9784876019120。 

                小谷野, 敦『日本の有名一族‐近代エスタブリッシュメントの系図集』幻冬舎〈幻冬舎新書〉、2007年9月30日。ISBN 978-4-3449-8055-6。 

                鶴見, 俊輔、加藤, 典洋、黒川, 創『日米交換船』新潮社、2006年3月。ISBN 978-4103018513。 

                河合隼雄ほか著『鶴見和子の世界』(藤原書店)

                鶴見俊輔・金子兜太・佐佐木幸綱『鶴見和子を語る 長女の社会学』(藤原書店)

                『鶴見和子短歌百選DVD 「回生」から「花道」へ』(藤原映像ライブラリー・藤原書店)

                内発的発展

                鶴見和子 - NHK人物録

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                  社会学博士取得者

                  上智大学の教員

                  ブリティッシュコロンビア大学の教員

                  鶴見家

                  津田塾大学出身の人物

                  東京都出身の人物

                  1918年生

                  2006年没

2024/11/21 02:12更新

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