さだまさしの情報(さだまさし) シンガー ソングライター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
さだ まさしさんについて調べます
■名前・氏名 |
さだまさしと関係のある人
村上純: 敬愛するミュージシャンはロキノン系からKiroro、昔のEvery Little Thing、森山直太朗、CHARA、中島みゆき、さだまさしなど様々である。 松阪隆子: さだまさし 二人の部屋(1979年)-5作のミニドラマの主人公の相手役 土方隆行: さだまさし AL『Mist』(2007年)ギター 北山陽一: 2015年、ピアニストの佐田詠夢(さだまさしの長女)と結婚。 松平健: さだまさしドラマスペシャル「故郷 〜娘の旅立ち〜」(2011年7月5日、フジテレビ) - 佐伯寅夫 加藤乃利勝: さだまさしのセイ!ヤング 信田かずお: 当時、さだまさしのツアーバンドである亀山社中において、ピアノを担当していた。 ジョニー志村: さだまさし 尾崎豊: ジャクソン・ブラウン、ブルース・スプリングスティーン、ビリー・ジョエル、浜田省吾、佐野元春、井上陽水、アナーキー、甲斐バンド、さだまさしなどから強い影響を受けている。 桜井花奈: SONGS(2023年6月22日、NHK) - さだまさしバックコーラス 沢田聖子: 2005年からはさだまさしの妹である佐田玲子とユニット「THE 4/9」を結成して活動している。 佐々木心音: 好きなアーティスト:斉藤和義、絢香、ハナレグミ、さだまさし、椎名林檎など。 津田喜章: 今夜も生でさだまさし「いざ仙台!独断流さだ政宗」(2011年9月18日未明) 服部隆之: 1992年、NHK教育テレビ『さだまさし 音楽工房』(共演:さだまさし・佐田玲子兄妹) 宅間久善: 武蔵野音楽大学の学園祭にグレープ(さだまさしと吉田政美のフォークデュオ)を呼んだ際の実行委員長だった。 永六輔: もっとも、1982年6月12日文化放送などで放送されていたさだまさしのセイ!ヤングに出演したことがあった。 真鍋大覚: なお、翌年にさだまさしは、アルバム『うつろひ』(1981年)に収録した古代史研究家宮崎康平への鎮魂歌『邪馬臺』の中で、「針摺瀬戸」と書いて「かいきょう」と読ませている。 黒木悦子: 1. ヨイトマケの唄 2. 償い(さだまさし) 3. 甘いささやき 4. ラ・ボエーム 倉田信雄: さだまさし、吉田美奈子、今井美樹、森友嵐士との関わりを中心に、幅広く活動している。 坂本冬美: 1997年1月13日にはNHK総合テレビの音楽番組『ふたりのビッグショー』にさだまさしと共に出演。 坂本スミ子: 2016年に発売されたさだまさしによる永六輔追悼トリビュートアルバム「永縁」に参加して「夢であいましょう」を収録した。 置鮎龍太郎: 音楽は、姉の影響で昔からからさだまさしを聴く。 芦川よしみ: 作詞・作曲:さだまさし/編曲:筒井広志 市川森一: よるドラ・精霊流し〜あなたを忘れない〜(2002年、NHK)原作:さだまさし 三波春夫: 1998年(平成10年)8月6日には、さだまさしが平和への祈念を込め、長崎で開催した無料コンサート、「1998 夏 長崎から さだまさし」にゲスト出演し、「この山は、この川は」と「世界の国からこんにちは」、「大利根無情」の3曲を歌った。 宅間久善: さだまさしとは仲が良く、よくさだまさしのコンサートツアーで、ネタにされることが多い。 谷村仁司: さだまさし 坂元昭二: さだまさしギター・ソロ・インストゥルメンツ(アレンジ、模範演奏 ドレミ楽譜出版社、2004年/2007年改訂版) 高岡蒼佑: 金曜プレステージさだまさしドラマスペシャル 故郷 〜娘の旅立ち〜(2011年7月5日、フジテレビ) - 佐伯守 的場均: 通算1000勝を達成した際、これを記念して歌手のさだまさしが「ひとりぽっちのダービー」という曲を制作し、これを的場自身が歌ったCDが関係者に配布された。 |
さだまさしの情報まとめ
さだ まさし(さだ まさし)さんの誕生日は1952年4月10日です。長崎出身のシンガー ソングライターのようです。
テレビ、結婚、卒業、家族、解散、映画、ドラマ、現在、趣味、兄弟、事件に関する情報もありますね。今年の情報もありました。さだまさしの現在の年齢は72歳のようです。
さだまさしのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)さだ まさし(本名:佐田 雅志〈読み同じ〉、1952年4月10日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優、タレント、小説家。國學院大學、東京藝術大学客員教授。ファンとスタッフの間では「まっさん」の愛称で親しまれている。 フォークデュオのグレープでメジャーデビュー。「精霊流し」のヒットにより全国にその名を知られるようになった。ソロシンガーになってからも「雨やどり」「案山子」「関白宣言」「道化師のソネット」「親父の一番長い日」「北の国から〜遥かなる大地より〜」など、数々のヒット曲を生み出す。2019年10月6日時点で、日本で最も多くのソロ・コンサートを行った歌手でもあり、その回数は4,400回を越えている。 トークの軽妙さは大きな魅力とされており、それで自身のコンサートのお客を楽しませ、またテレビ・ラジオ番組のパーソナリティーやMCなどとしても活躍。小説家としても活動し、『解夏』『眉山』などの作品を発表している。 父・佐田雅人と母・喜代子の長男として、1952年4月10日、長崎県長崎市で生まれる。弟と妹がいる。 佐田家の本家は島根県那賀郡三隅町(現:浜田市)にあり、本家の二男だった祖父・繁治は中国大陸や極東ロシアに渡り諜報活動に従事したのち商工省の大臣秘書官を務めた経歴の持ち主である。その繁治と結婚した祖母エムもまたソ連(現:ロシア)のウラジオストクで料亭を営んでいたという当時の日本人女性としては異色の存在である。父・雅人(1920 - 2009)は第二次世界大戦終戦後、長崎出身の戦友とともに復員し、そのまま長崎に住み着いた。その後、戦友の妹・喜代子(1926 - 2016)と結婚し、その結果、雅志が誕生したのであった。 雅志の幼少時は、父が材木商を営んでいて、かつ自宅は部屋が10以上もある豪邸だった(ただし、1957年の諫早の大水害によって父の事業は失敗し、一家は豪邸を失い小さな長屋住まいとなる)。 3歳よりヴァイオリンを習い始める。1963年、小学校5年生のとき毎日学生音楽コンクール西部地区(九州地区)大会で3位、翌1964年、小学校6年生で同大会2位。ヴァイオリン指導者として高名な鷲見三郎に認められ、長崎市立西北小学校卒業後、中学1年生のときヴァイオリン修行のため単身上京する。以後、葛飾区で下宿し、葛飾区立中川中学校に通い、吹奏楽部に所属していた。中学3年生からの約20年間は千葉県市川市で過ごした。 最初の一年間は大邸宅の離れで叔父と下宿し、後に一人暮らしをする。叔父は市川男声合唱団に入っていて、その仲間が土曜になると集まり、覚えたてのギターでフォークソングの伴奏をしていたという。中学生時代に加山雄三やサイモン&ガーファンクルに影響され、ギターを奏でながら歌を作るようになる。駅前で弾き語りする勇気が無く、ギターケースを担いで京成本線高架や市川橋の下に行っていたという(なお、当時はNHK連続テレビ小説『おはなはん』にはまって38日間連続して遅刻する、といった調子の生活をしていたという)。 上京後、(それなりにレッスンを受けつつ)本来の目的であったヴァイオリンの腕を磨く努力はしていたものの、「純粋なクラシック音楽のヴァイオリニスト」の道の厳しさや困難さは当人や家族が当初想像していた程度をはるかに越えていて当人は苦しみ、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校(途中で東京都立駒場高等学校芸術科に志望校を変更)の受験は失敗という結果になってしまう。家族や自分自身の期待にこたえられなかったという深い失意の中、國學院高等学校に入学。以降ヴァイオリンへの熱意を失う。とはいえ生来の豊かな才能は高等学校在学中にも遺憾なく発揮され、ギターや作詞・作曲以外にも、小説作り、落語、スポーツなど数々の方面で頭角を現す。 高校卒業後、國學院大學法学部に進学した。尚、大学は数ヶ月程度で中退しており、ペンキ屋(塗装工員)など、数々のアルバイトをしながらの生活を送るが、肝炎を患ったことをきっかけに長崎に帰郷する。1972年、高校時代からの友人吉田正美(現:政美)が東京から長崎にいる さだを訪ね、そのまま さだ家に住むこととなった。その際、吉田は仕事を無断退職して失踪状態で長崎にやって来たことから、さだは吉田を叱責して東京に帰るよう諭すつもりでいたが、彼の姿を見て思わず「おい!よく来たなあ」と言ってしまったため叱責することができなくなったという。以後二人は意気投合し同年11月3日、バンド「グレープ」を結成、音楽活動を開始する。当時、吉田拓郎が「結婚しようよ」や「旅の宿」で大ブレイクし、自分たちの闘志にも火がついた、フォーク調の曲作りを始めたのもこの頃から。11月25日、NBCビデオホールで開かれた初めてのコンサートには定員300余りの客席に250名程度の聴衆しか集まらず、さだの弟・繁理が通りすがりの人を無理にでも引き込むようなこともあったという(このやり方をさだは「キャバレー方式」と呼んだ。)。やがて音楽プロデューサー川又明博にスカウトされ、1973年10月25日に「雪の朝」でワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)より全国デビューした。所属事務所(プロダクション)はユイ音楽工房、ヤングジャパングループなどを当たるが不採用となり、最終的には赤い鳥の事務所ザ・バードコーポレーションで預かる形で、デビューに至った。 デビュー曲「雪の朝」は8000枚しか売れず、友人らがレコードを買い込んで知り合いに無理に買わせるといった状況であったという。1974年4月25日に第2作目のシングル「精霊流し」を発表するが、まだ無名のフォークデュオであったからか、当初の売り上げは芳しくないものだった。しかし、東海ラジオの深夜番組『ミッドナイト東海』の中で、アナウンサー・蟹江篤子が担当の曜日で毎週のように流し続けた。これが助力となって、同番組の放送エリアの名古屋地区のみならず全国的なヒットとなり、この年の第16回日本レコード大賞作詩賞を受賞することとなった。 1975年11月にリリースした「無縁坂」もヒット曲となった。しかし、そのころからさだは再び肝炎を患いプロデューサーに1年間の休養を打診したが、聴衆から忘れられるという理由で断られている。また「縁切寺」(アルバム曲)のヒット、「雰囲気を変えるため」に出された、「朝刊」が思うようにヒットしなかったことが重なってしまったこと、つまり「グレープの音楽は暗い」というイメージがついてしまい、自分たちのやりたい音楽と受け手との齟齬(そご)が生じたため、1976年春に解散した。なお、さだは解散コンサートにて解散の理由を「精霊流し、無縁坂、縁切寺ときたらあとは墓場しかない」と述べている。 1976年のグレープ解散後、一時業界からはなれる。体調を崩していたさだは、療養と共に就職を考えるも活動が上手くいかず、同年11月、「線香花火」でソロ活動を始める。その際、グレープ時代の所属事務所であったザ・バードコーポレーションから離れ、自身のプロダクション会社であるさだ企画を設立。 1977年に、雨やどりがきっかけで恋に落ち、結婚まで繋がる姿をコミカルに歌ったシングル「雨やどり」がオリコンシングルチャート1位になる大ヒットとなる。それまで一番売れた「精霊流し」でも最高同チャート2位であり、さだにとってグレープ時代から通じて初めての首位獲得となった。後に異ヴァージョン(「もうひとつの雨やどり」、「雨どりや」、ライブにて、谷村新司との自虐コラボレーション「雨昴」)が作られるほどの大ヒットとなった。その後、山口百恵に提供した「秋桜」や「案山子」などがヒットする。 1978年10月に個人レーベル「フリーフライト」を設立し、1979年1月に同レーベルから初のシングル「天までとどけ」をリリースした。同年7月にリリースした「関白宣言」は150万枚を超える大ヒットとなる。以後「親父の一番長い日」「道化師のソネット」「防人の詩」「驛舎」など、数々のヒット曲を放つ。 1980年、映画『翔べイカロスの翼』(主題歌は「道化師のソネット」。共演は原田美枝子)にサーカス団のピエロの青年役として主演、音楽も担当する。 さらに、中国大陸を流れる大河を舞台にしたドキュメント映画を制作することを構想し、『長江』(主題歌は「生生流転」)の企画・監督を行い、同作品は1981年11月に公開された。映画自体は120館上映というヒットであったものの、(さだは映画制作の世界の一般的な資金調達のしくみを知らず、うかつにも さだ自身の支出で映画を制作しようと考えてしまったことが原因となり)さらに中国での撮影でのさまざまな障壁もあいまって撮影期間が延びたこともあってさだの予想を超えて制作費が膨らみ、結果として約28億円(さだ曰く金利を含めると35億円)もの借金(負債)が残ってしまった。大抵の人ならば、このような額だと自己破産手続きを進めることを考えるところだが、さだはそのようには考えず、ひたすら律義に、これを返済してゆくことを決意する。 この頃は映画の失敗に加え、1980年代的な「ドライでクール」な世相のノリと合わなくなったこと、「関白宣言」「防人の詩」に対して右翼的との批判を受けるなど、さだ不遇の時代でもあった。 1981年、フジテレビ系ドラマ『北の国から』の音楽を担当する。テーマ曲「北の国から〜遥かなる大地より〜」は歌詩のないものだが非常に有名な曲となる。 1985年、ソロ・コンサート通算1,000回(東京厚生年金会館)を達成する。血液型による恋愛模様を描いた「恋愛症候群」をリリースしている。ちなみに、本人はA型で、父と妹はAB型、母と弟はB型、妻はO型、息子と娘はA型である。 南こうせつが中心になって1986年から広島市で開催された「広島ピースコンサート」の第一回に参加した際、友人たちを前に「広島で出来ることをなぜ長崎でやらないんだ」と嘆いたら、「それはお前がやらないからだろう」と言われた。機が熟したと感じ、長崎での平和コンサート実現に向け動き出し、長崎選出の衆議院議員・西岡武夫に「8月9日の長崎原爆忌にコンサートを開きたい」と訴えた。しかし西岡から「理念は分かったが、8月9日は長崎に保守・革新陣営が集結して騒然とした空気に包まれるから、埋没するだけだ」と言われたため、それならば広島原爆忌の8月6日に、「長崎から広島に向かって平和を訴える」という趣旨にした。20回は絶対に続けたいと最初から考え、1987年8月、故郷長崎市で「長崎から広島に向って歌う」無料平和祈念コンサート『夏・長崎から』を開催した。以後2006年までの20年間毎年8月6日に長崎でコンサートを行い、地元市民だけではなく全国からファンが集まる長崎市の夏の一大イベントとなった。 1993年、ソロ・コンサート通算2,000回(大阪フェスティバルホール)を達成した。 1995年、長崎市に平和祈念のミュージアムを作る「ナガサキピーススフィア貝の火運動」を開始する(2003年4月にナガサキピースミュージアム開館)。 1996年、長崎県県民栄誉賞を受賞した。 2000年4月1日、福岡ダイエーホークス開幕戦にて「君が代」を独唱した。ロンドン・ロイヤルアルバートホールにて日本人男性歌手では初となるコンサートを行う(女性は1994年の髙橋真梨子が初)。 2001年9月、小説『精霊流し』を発表した。後にNHKでテレビドラマ化され、さらに映画化もされた。さらに、小説にのっとって選ばれた音楽をまとめたアルバム『小説「精霊流し」の世界』を発売した。 児童書『おばあちゃんのおにぎり』発刊、2002年にひろすけ童話賞を受賞する。 2002年3月21日、ソロ・コンサート通算3,000回(東京国際フォーラム)という前人未到の偉業を達成。9-12月、デビュー30周年記念コンサート・ツアー『MOON-BOW at THE 30th』を東京・名古屋・大阪にて各8夜構成で開催。グレープ・デビューからの時系列に沿って8日間掛けて足跡を辿っていくという趣向で曲目、バンド編成が日替わりのスペシャルコンサート。12月、小説集『解夏(げげ)』発表。2004年に映画化、フジテレビ月9枠で『愛し君へ』としてドラマ化。 2004年12月、長編小説『眉山』発表。 2005年8月17日、FIFAワールドカップ予選サッカー日本代表対イランの試合にて「君が代」を独唱。9月6・7日、「ソロ通算3333回記念コンサート」を日本武道館にて2日間開催。同7日に32作目のオリジナルアルバム『とこしへ』発売。10月、サッポロビール「冬物語」で初のパッケージデザイン。 2006年1月1日未明にNHK総合テレビでさだ司会の生放送特番『新春いきなり生放送!!「年の初めはさだまさし」』が放送される。その後も続編が制作され、2020年現在も月に1回程度の放送が続いている。 2006年4月、シングル「がんばらんば(長崎弁ヴァージョン)」をリリース(他のヴァージョンが収録されているわけではない)。 2006年8月6日、最後の『夏・長崎から』である「2006 夏 長崎から さだまさし ファイナル」を行う。その際に「来年は8月9日に広島から長崎に向かって歌うコンサートをやるよ」と宣言する。 2006年、『夏・長崎から』の活動に対し、第48回日本レコード大賞・特別賞を受賞する。 2007年8月9日 広島市民球場開設50周年記念 「2007 夏 広島から さだまさし」を開催。広島市民球場でコンサートを行うのは2004年の奥田民生に次いで2人目。 2008年秋、美空ひばりの曲をカバーしたアルバム『情継 こころをつぐ』をリリース。トップ10入りを果たす。出続けていたNHK紅白歌合戦に落選するが、『年の初めはさだまさし』は行われた。 2009年12月31日、21年ぶりの年またぎカウントダウンライブを両国国技館にて行う。コンサート終了直後に『年の初めはさだまさし』の生放送を現地にて行った。 2010年7月16日、さだまさし3776回記念 富士山山中湖ライブを山梨・山中湖交流プラザきららにて開催。 2012年6月10日に本門佛立宗横浜の妙深寺、法深寺主催。パシフィコ横浜で行われた「東日本大震災 復興祈願、開導会 併 先住御十三回忌 報恩記念大会」に一切無償で出演。 2012年、デビュー40周年記念ツアー「さだまつり」を6月の長崎ブリックホールからスタート( - 2013年1月)。二夜構成で1日目が「前夜祭 〜しゃべるDAY〜」として9曲程度しか歌わずにトーク中心、2日目が「後夜祭 〜うたうDAY〜」として逆に殆ど喋らずに歌中心という内容だった。 2013年7月17日、日本武道館で、自身の記録を塗り替えるソロ・コンサート通算4,000回目を達成。 2017年1月1日、「さだまさし=カワイイ」をテーマとしたプロモーションの展開をスタート。公式インスタグラム開設と「PPAP〜和風バージョン」と題した動画を「YouTube」上に発表。 2018年より自身のデビュー45年を期に所属レコード会社をJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント(現:ビクターエンタテインメント〈二代目〉)に移籍することが決定。同年夏発売の自身通算45枚目のオリジナルアルバムから同社からのリリースとなる。5月27日、第85回日本ダービーで国歌「君が代」を独唱。 國學院高等学校卒業、國學院大學法学部中退。 趣味はゴルフ、パチンコ、競馬、野球観戦、読書など。 血液型はA型。 既婚。1983年に結婚し、一男一女の父である。 弟はさだ企画社長で「日本人初のプロサッカー選手」の佐田繁理。妹は歌手の佐田玲子。長男はユニット「TSUKEMEN」のメンバーとして2010年にメジャーデビューしたヴァイオリニスト・TAIRIKこと佐田大陸。長女は2011年にメジャーデビューしたピアノ・デュオ「Pretty Bach」のメンバーでゴスペラーズ・北山陽一の妻・詠夢。 西洋のポピュラー音楽やクラシック音楽の技法を駆使した作品が多い。彼は前述のように元々ヤッシャ・ハイフェッツに憧れたヴァイオリン少年であり、単旋律楽器であるヴァイオリンに親しんだことは彼の音楽性に大きな影響を残すこととなった。 自分のコンサートでヴァイオリンを弾くことも多い。また、時にクラシックからの引用が見られる。 楽曲の制作は基本的に作曲した曲に詞を当てはめる「曲先」で行う。作詞のモチベーションが上がるきっかけは制作の締め切りが明確に存在する時であるといい、「締め切りは自分の虚飾を削ぎ落としてくれるすばらしい兵器だね。今日書かないとダメだもん。書けって言われたら、書くよね」と語っている。 「北の国から〜遥かなる大地より〜」を倉本聰と相談しながら1時間で制作したエピソードが度々語られたり、『嵐にしやがれ』(日本テレビ系列)の企画で嵐が作成した詞に15分かけてメロディをつけて「NIF〜 NIKU イン ファイヤー」という楽曲を完成させるなど、即興で楽曲を制作するセンスにも長けている。 さだのコンサート回数は2013年7月には4,000回に達し(オリコン調べによる、3,000回を超えている日本人のプロ歌手はさだまさしのみ)、日本記録を伸ばし続けている。さだがこれほど多くのコンサートを行うようになったのは映画『長江』で多額の借金を抱えたことが一つのきっかけだった。さだはこれ以後、返済のために年間100回以上、多い年には162回(1982年実績)ものコンサートを行うようになった。なお、30年以上をかけ最終的に債務は完済している。しかし、その後も精力的にコンサート活動を続け、2023年末の時点で4600回を超えている。 さだの作品には、「飛梅」「まほろば」「修二会」など宗教的なモチーフや日本の古典・民族的な題材を用いた歌も多く、太宰府天満宮や東大寺などの神社仏閣の宮司・管長らとも親交がある。このためか東大寺大仏殿・薬師寺・平安神宮など、寺社でのコンサートも数多く行っている。たまたま地方へコンサートに行った際、その日に地元高校の野球部が県大会で優勝して甲子園出場を果たし、コンサート当日にはその高校の野球部の帽子をかぶり校歌を歌うというサプライズを行ったこともある。 1980年代前半、中国へのコンサートの際には使用する音楽機材を運搬するために日本航空のDC-8貨物機をチャーターしている。現在では海外の大物アーティストが来日するときは当然のことになっているが、日本人アーティストで貨物機をチャーターしたのは2012年現在、さだのみである。 中学1年生の時にサイモン&ガーファンクルを聴いてギターの魅力に開眼した。全体の音をリードしていく楽器であり、単旋律楽器であるヴァイオリンとは対極にあるところに感激したと語っている。ポール・サイモンが1970年代末に「たかが音楽、いつだってやめられる」と言った時にはさだはショックを受け、ニューヨークまで行ってサイモンにその真意を問い質したことがある。 その次にさだが大きな影響を受けたのが加山雄三だった。「君といつまでも」を聞いて衝撃を受け、すぐさま下宿先に住んでいた青年のギターを借りて全く同じコード進行の曲を作ったのが彼の最初の作品だという。その時初めてギターを弾いたのだが、幼少時代からずっとヴァイオリンを弾いていたため比較的簡単に弾けたという。他にブレッド(デヴィッド・ゲイツ)のバラードタイプのナンバーにも非常に好感を寄せている。 同世代の日本のシンガーソングライターにはビートルズやボブ・ディランの影響を受けた者が多い中で、加山雄三やサイモン&ガーファンクル等の影響でポピュラー音楽に目覚めたことは他のシンガーソングライターと一線を画す、彼の大きな特徴である。 また中村八大、永六輔の影響を大きく受けているとも語っている。 さだは2020年11月の『読売新聞』連載〔時代の証言者〕に於いて、「僕の曲は批判的なレッテルを貼られることが多かった」と話し、この批判に対して以下の反論をした(内容の半分以下抜粋)。「『関白宣言』が女性蔑視と批判を浴び、それを巡って論争となったわけですが、この時に限らず、まず1974年、グレープ時代に『精霊流し』を出した時には『暗い』。当時、『四畳半フォーク』という言葉もあり、フォークという音楽に暗くじめじめしたイメージがありました。死を描いたこの曲が、『フォーク=暗い』にはまったのは納得できます。しかし、以後、『グレープ=暗い』となったのには、『ちょっと待ってくれよ』という気持ちでした。結局、このイメージから逃れられなかったところに、グレープの限界を感じたのは事実です。翌年、グレープで『無縁坂』を出した時には、『マザコン』。息子が人知れぬ母の苦労を思いやる歌詞ですが、あまりに短絡的な批判ではないでしょうか? 1973年に海援隊が母への思慕を歌った『母に捧げるバラード』を出した時には、『マザコン』の『マ』の字も出なかったと記憶しているのですが……。やせて髪が長く気の弱そうな僕の風貌がいけなかったのでしょう。こいつなら何を言っても黙っていると思われたようです。ソロ活動を始めた頃、フォークやロックなど洋楽色の強い音楽は、ニューミュージックと呼ばれるようになり、僕の音楽もそこに分類されました。ソロで最初のヒット曲『雨やどり』は『軟弱』。そして『関白宣言』は『女性蔑視』『男尊女卑』。この頃は『計算ずくの曲作りが鼻につく』『商売根性が見え見えだ』との世評もありました…」。 さだはヒット曲から受ける印象とは違い明るく喋り好きな性格であり、高校・大学と落語研究会に所属していた。本人は「人生は明るく、歌は暗く」がモットーと話す。 コンサートでは「トーク」や「噺(はなし)」と呼ばれるMC(曲との間の喋り)を「3時間のなかの1時間」喋りという、時には歌よりも長い時間繰り広げることもあり、その内容はほとんど落語か漫談のようである。本人は「とある落語家が弟子に『さだまさしのコンサートに勉強しにいってこい』と言った」と話す。 落語の演目のように定番となっているネタも多く、1994年にファンクラブ会員向けにオールリクエスト・コンサートを行った際には、歌だけでなくどのネタを喋るかまでリクエストで決めるという、普通の歌手ではあり得ないようなことまで行われた。 このため、ほとんどのライブ・アルバムでは「トーク」までノーカットで収録されており、さらには「トーク」単体で音源や本としてリリースされているほどである。 1994年から1997年にかけて『ステージ・トーク・ライブ 噺歌集』としてトーク(+インストゥルメンタル)のCD集が発売されたほか、2006年には『さだまさし トークベスト』というトークだけのベストアルバムまでリリースされ、「本業である歌のCDより売れている」(本人談)。コンサートでトークをするようになったのは、自身を嫌っているかのように見えた最前列の観客が話をしたときに笑ってくれ、嫌われていなかったとほっとしたことがきっかけだという。自身のトークはコンサートにおける必需品ではないが、アイスクリーム(歌)をおいしく食べるためのウエハース(トーク)という意味で「アイスクリーム屋のウエハース」だと喩えている。 2012年のデビュー40周年ツアー「さだまつり」では、1日目はバンドメンバーもなしでほとんど歌わずしゃべるだけ、歌う時もさだのギター1本。そして2日目はほとんどしゃべらず歌うだけで、しかも「きだまきしとテキトージャパン」によるショーまである、という2夜連続コンサートを行った。ツアーを終えてさだは「非常に疲れた。やっぱり歌としゃべりが適度に混じっているのが一番いい」と語っている。その喋りの才能は、ラジオの深夜放送(文化放送『さだまさしのセイ!ヤング』1981年 - 1994年)のパーソナリティとしても遺憾なく発揮された。2006年の元日には『セイ!ヤング』時代の雰囲気をテレビで再現した『新春いきなり生放送!!「年の初めはさだまさし」』なる生番組をNHK総合テレビで担当した。放送時間は2時間強だったが、番組内で歌われた歌はたった3曲で、ほとんどの時間をトークで進め、裏番組の番組名を読み上げたり、NHK紅白歌合戦を暗に批判するなどした。 内容はこの歌もあの歌も売れなかったといった自虐ネタが多い。自らが企画した映画『長江』がヒットしたものの予算オーバーで30億円前後もの借金を作りコンサートで返済するようになって以降髪の毛が薄くなっていることも恰好の題材であり、「谷村新司、さだまさし、松山千春は『フォーク界御三毛』」などと話す。 小説のデビュー作はグレープ解散時期に出版した『本-人の縁とは不思議なもので…』(1976年3月、八曜社)収録の「超人達のコーヒーブレイク」である。その後ファンクラブ会報『まさしんぐworld』に「泣いた赤鬼」、「出雲路」などを連載する(その後「さまざまな季節に」(1981年11月、文藝春秋)に収録)。 2001年、テレビ朝日で放送されていた『ほんパラ!関口堂書店』の番組企画をきっかけに、幻冬舎社長見城徹の指導のもと、自伝的小説『精霊流し』を刊行し、ベストセラーになった。2002年には短編小説集『解夏(げげ)』を刊行した。 『精霊流し』はNHK・夜の連続ドラマとして2002年にドラマ化(『精霊流し〜あなたを忘れない〜』)、2003年に映画化もなされた。『解夏』は映画化(2004年)され、さらにフジテレビ系ドラマ『愛し君へ』(2004年)の原作となった。 2004年には、第3作『眉山(びざん)』を発表。NHK-FMでラジオドラマ化され、漫画雑誌のシルキーでコミック化された。2007年には東宝制作で、犬童一心監督により映画化され、さらに2008年にはフジテレビでドラマ化されたた。 さだは『精霊流し』以前にもアルバム『ADVANTAGE』と『自分症候群』に曲のタイトルを題材にした短編小説を歌詩カードに掲載している(後に新潮文庫から『自分症候群』として出版)。このほか、上記2アルバム以外のオリジナル・アルバムの殆どに、各曲毎に自らの手による「ライナーノーツ」が付されているのも特徴的であり、これを通じて、各楽曲の成立過程、さだの想い入れ、背景、テーマ等をよく知ることができる。 童話作家としても活動しており、自身の体験を基にした数冊の絵本を出している。コンサートのMCでもお馴染みの噺である、2作目の『おばあちゃんのおにぎり』は歌手として初めてひろすけ童話賞を受賞した。 さらにエッセイも数多く、毎日新聞や新潮社の雑誌『旅』(完了)、ダイヤモンド社の雑誌『TV Station』などへの連載も行っている。『さだの辞書』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。 ファンクラブの会報にも毎回さだの短編が掲載されている。読み切り形式でジャンルは不定。 生まれ育った日本への愛着を持っていることを語り、「僕はこの国を心から愛している」と著書で発言しており、前述の仏教的なモチーフや日本の古典・民族的な題材を用いた歌などにもあるように、日本の将来を憂い、失われていく日本の伝統的な文化・道徳を大事にしようとする傾向もある。ある企業が行った世界のティーンエイジャーに「不安に思うのは何か?」と問うアンケート調査で、どの国も「国の未来」と答えたにもかかわらず、日本の子供達だけそう答える者がいなかったことに対して「このままでは日本はたぶん滅びる」とショックを受け危機感を持った旨を語り、「日本人が日本語が下手になったらこの国は終わる」という危機感があることも語っている。また、政治家が経済について話すことを嫌い、外交・安全保障・教育に対して徹底的に取り組むことを求めている。 さだは長崎県出身で親族に原爆被災者がいることもあって、戦争の悲惨さや凄惨さを痛感している故に平和を求める気持ちが強く、そうしたテーマの楽曲が制作されたりイベントが開催されることも多い。「戦友会」のように戦死者や遺族の心情に寄り添う楽曲も存在するほか、ロシアによるウクライナ侵攻をテーマにした「キーウから遠く離れて」は後にウクライナ在住のウクライナ人の教員及びウクライナ人の文学に詳しい者によってウクライナ語へ訳され、その歌詞を読んだ戦時下の人から「胸を打つ」との声が上がるなどの反響が寄せられた。 2014年4月20日の東京新聞のコラム「つれづれ」にて『日本の調査捕鯨停止命令 食文化への差別悲しい』と題し、日本の捕鯨文化の維持を望む主張をした。 台湾との交流も深く、東日本大震災発生時に日本円にして200億円もの寄付をしたことへの感謝の意や、台湾南部地震の被災者へのエールを込めて2017年に現地でのチャリティーライブ及び『今夜も生でさだまさし』の放送を行っている。2024年4月3日に花蓮地震が発生した際には改めて「台湾の人々は東日本大震災のおり、一夜で200億円もの義援金を集めてくれたことを忘れない。金額がどうのではなく、日本に対する友情が嬉しかったなあ。いやもちろん金額もすごいよ」と先述と同様の思いを述べ、「今朝の台湾地震、かなりひどい。僕らに何ができるか、真面目に考えてみる」というメッセージをThreadsに投稿。同月22日には東京都・港区にある台北駐日経済文化代表処(大使館に相当)を訪問し、義援金1000万円の目録を謝長廷代表(大使に相当)に手渡ししている。 祖父母が中国大陸に渡って活躍していたことから、中国大陸への強い郷愁(愛情)のようなものを間接的に受け継いでおり、周辺諸国との友好を願う気持ちも強い(息子を“大陸”と名づけている)。 こうした一面の一部分しか知らない者から批判を受けることもあり、かつては『防人の詩』で「右翼」、『しあわせについて』で「左翼」と批判されたほどであったという。 ウィキペディアに対して「ネットに書いてあることは、実に怪しげです。ウィキペディアっていうネット百科事典に、『さだまさし』に関する記事が載ってるんですけど、嘘ばっかりです」と批判している。 アルバムのクレジットなどでは、「作詞」ではなく「作詩」と表記されている。 さだの詩へのこだわりは、保有する長崎県長崎市(旧西彼杵郡琴海町)の大村湾内にある「寺島」と呼ばれていた小さな島が、1995年4月1日にさだの意向で詩島(うたじま)と改名されたことにも現れる。島には「飛梅」という曲の舞台ともなった太宰府天満宮から勧請した「詩島天満宮」がある。 プロ野球では、長嶋茂雄監督が1980年に解任されるまで読売ジャイアンツファンだったが、その後は東京ヤクルトスワローズファンとなった。ヤクルトの初代オーナー・松園尚巳が長崎県出身だったのが理由である。ヤクルト優勝時に同ナインが『さだまさしのセイ!ヤング』に電話出演したこともあり、元選手兼任監督の古田敦也とは毎年一緒に酒を飲む仲だという。2015年3月31日のスワローズ本拠地開幕戦では「スワローズCREW名誉会員」として始球式に登板した。また神宮外苑を舞台にした曲『絵画館』の歌詞には「スワローズのユニフォーム」というフレーズがあり、『つばめよつばめ』ではスワローズファンの悲哀も歌っている。「今夜も生でさだまさし」でも直前のスワローズの試合結果によく言及している。 その他、福岡ソフトバンクホークスも九州出身者として毎日新聞連載のコラムで「わがホークス」と表現しており、北海道日本ハムファイターズファンが試合中に「北の国から」を大合唱しているのを聴いて、思わず心が揺れたとも発言している。親交のある栗山英樹監督の要請で、2013年の北海道日本ハムファイターズ本拠地開幕戦(札幌ドーム)にゲスト参加。「北の国から」を観客と共に歌い、国歌斉唱も行った。 浦和レッドダイヤモンズファンでもあり、1995年には「浦和花色木綿」というサポーターズクラブを結成。浦和レッズ発行のハンドブックには2008年版までオフィシャルサポーターズクラブ代表者として掲載されていた。かつてのバックメンバー坂元昭二も浦和サポーターである。自身のラジオ番組『有限会社 さだまさし大世界社』で、地元・長崎市が三菱重工等の企業城下町であり、前身の三菱重工業サッカー部以来のファンと公言している。 また1991年から2010年まで使用された競艇のSG・G1・一般競走の優勝戦のファンファーレはさだが作曲したものであった。 甲子園で、千葉県の多古高校と滋賀県の伊香高校が対戦し、伊香高校が10対8で多古高校に勝利することが夢である、とテレビ番組で語った。 1980年代の前半に東京地下鉄・赤坂見附駅付近(地下)に「さすらひの自由飛行館」というカフェを経営していた。 店先(地上)にはケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースのパロディで、さだまさし自身の立像が据えられていた。 地下に降りて行くとドアがあるが、そこはダミーのドアで、まごついていると横のところが開くようになっていた。 壁には音響装置があり、ヘッドフォンでさだまさしの曲を聴くことができた。 トイレの壁には「便訓」という張り紙が貼ってあった。 メニューには「あみんセット」(パンプキンパイ・シナモンティー・バラの形の角砂糖)や、アルバム『うつろひ』収録の「分岐点」に因んだ「分岐点セット」(ミートパイとソーダ水)があった。 この他、渋谷に「モンペトクワ」というレストランを友人と共同出資していた(2004年9月末で閉店。西村知美の夫である西尾拓美が店長をしていた)。故郷長崎市に「自由飛行館」がある。 NHK『連続テレビ小説』のファンであり、1番好きな作品は中学生の時に観た1966年度の『おはなはん』と話す。大泉洋が出演する、HTB『水曜どうでしょう』のファンでもある。 ファンクラブ「まさしんぐWORLD」の会員数は、現在約25,000人。未だにコンサートの観客動員力は高く、チケットが発売後すぐに売切れてしまうことも多い(実際に、武道館で3,333回記念コンサートを行った時は2日間分が9分で売り切れた)。東京・大阪などの大都市圏で行われるコンサートの場合は、ファンクラブの会員でも1人2枚しか先行予約できないことも多い。 2004年に長崎市栄誉市民となった。存命中の人物に贈られたのはさだが初めてである。NHKが行った「紅白歌合戦出場歌手に関する世論調査」では15位にランクインした。2005年のNHK紅白歌合戦で歌ってほしい歌のアンケート(スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜)でも「関白宣言」が男性歌手の中で82位になった。 佐田玲子(妹) 佐田大陸(息子) - 2007年のアルバム『Mist』で初共演。 吉田政美(グレープ) 石川鷹彦 (ギタリスト) 倉田信雄 木村誠 三沢またろう 松原正樹 - 。2016年2月8日没。 田代耕一郎 - 1993年のツアーで初参加。その後、2011年以降のコンサートで多く参加している。 坂元昭二 宅間久善 旭孝 徳沢青弦 佐渡裕 島村英二 - 2000年あたりから参加の機会が多い。さだ工務店でも、「電気工事部」として正規メンバーではなかったが、近年のツアーにはすべて参加している。さだの高校の時の先輩である。 渡辺俊幸 服部克久 服部隆之 福田幾太郎 福田郁次郎 信田かずお 岡沢章 山本直純 チキンガーリックステーキ 紺野紗衣 平原まこと ジミー・ハスケル 井上知幸 - さだが関係するテレビやラジオの放送作家。 住吉昇 - さだが出演するNHK「今夜も生でさだまさし」の音響担当。 上記の人たちによるものではあるが、コンサートに至ってはサポートバンドを結成し参加している。 名称も、サーカス、元祖サーカス、ふりーばるーん、亀山社中、さだばんど、さだ工務店と変化している。 さだ工務店のメンバーは公益財団法人風に立つライオン基金の理事でもある。 芸能人の友人も多いが、最も仲が良いのは中学・高校の同級生、そして長崎にいた頃の小学校の同級生であり、今でも2週間おきに会って飲んでいる。とコンサートで話している。さだのコンサートで学生時代の話になるとその時の担任の先生や同級生の名前もファンに教えている。 さだまさし 話のアルバム(新潮CD文庫) 僕の愛読詩集(新潮社カセット文庫) - 井伏鱒二との対談付 さだまさしのセイ!ヤング(赤本・青本)(音楽之友社) アルバムライナーノート集『自分症候群』(新潮社) ピクチャーブック『遙かなるクリスマス』(講談社) 『落談まさし版三国志英雄伝』(自由書館(絶版)、文藝春秋);エッセイ 本 人の縁とは不思議なもので…(八曜社) - 初の著作本 時のほとりで(新潮文庫) さまざまな季節に(文藝春秋) ゆめいくみはっぴい(夢行身発飛)(全3巻 新書館) 風待煙草(CBSソニー出版) せとぎわの魔術師(講談社) 日本が聞こえる(毎日新聞社) まほろばの国で(毎日新聞社)(『日本が聞こえる』単行本第二弾) いつも君の味方(講談社) 本気で言いたいことがある(新潮社) 美しき日本の面影(新潮社) もう愛の唄なんて詠えない(ダイヤモンド社) まほろばの国で 終章(毎日新聞社)(『日本が聞こえる』単行本第三弾) いのちの理由(ダイヤモンド社) 酒の渚(幻冬舎)のち文庫 さだの辞書(岩波書店) 精霊流し(幻冬舎) 解夏(幻冬舎) 眉山(幻冬舎) 茨の木(幻冬舎) アントキノイノチ(幻冬舎) かすてぃら 僕と親父の一番長い日(2012年4月5日、小学館、ISBN 978-4093863292) はかぼんさん:空蝉風土記(2012年8月22日、新潮社、ISBN 978-4103008729) 風に立つライオン(2013年7月18日、幻冬舎、ISBN 978-4344024229) ちゃんぽん食べたかっ!(2015年5月28日、NHK出版、ISBN 978-4140056646) 銀河食堂の夜(2018年9月28日、幻冬舎、ISBN 978-4344033603) ふうせんのはか(くもん出版) おばあちゃんのおにぎり(くもん出版) 23時間57分のひとり旅(くもん出版) とても温かで とてもせつない きみの絵本(2016年4月21日、ジュヌヴィエーヴ・カスターマン著、千倉書房、ISBN 978-4805110966) 秋桜(サンマーク出版) 償い(サンマーク出版) 親父の一番長い日(サンマーク出版) 案山子(サンマーク出版) 奇跡(サンマーク出版) また、1981年にはアルバム『うつろひ』の発売に合わせて、「嫁入新聞」というパロディ新聞を発行している。 夢ありてこそ(長崎県立長崎明誠高等学校校歌) 風光る(つくば秀英高等学校校歌) 明成小学校校歌(金沢市立明成小学校校歌) 緑豊かに(岩瀬日本大学高等学校校歌) 空はるか(長崎県南高来郡北有馬町立有馬小学校校歌) 約束をしよう(栃木県大田原市立黒羽中学校校歌) 千年の祈り(奈良県十津川村立十津川中学校校歌) 愛ありて(川崎医療福祉大学大学歌) 花咲きぬ(川崎医療福祉大学大学歌) 私公立学校の校歌を作曲し提供している。 映画『翔べイカロスの翼』(主演・音楽、1980年) 映画『関白宣言』(原作・出演・主題歌、1980年) - 主演・佐田繁理 映画『長江』(監督・主演、1981年) 映画『さだおばさん』(原田泰治原作、監督・音楽、1994年) - 「欽ちゃんのシネマジャック」の1本として(アニメ作品) 映画『学校III』(山田洋次監督、出演、1998年) - 職業訓練校教務・北 『はらぺこあおむし』(エリック・カールの絵本のアニメ版、日本語版の朗読、2001年) 映画『精霊流し』(原作・主題歌、2003年) 映画『解夏』(原作・主題歌、2004年) 映画『釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった♪♪』(出演、2005年)刑事 映画『眉山-びざん-』(原作、2007年) 映画『ぼくとママの黄色い自転車』(主題歌、2009年) 映画『アントキノイノチ』(原作、2011年) 映画『サクラサク』 (原作・主題歌、2014年) 映画『宇宙兄弟#0』(アニメ作品、声優、2014年) - 通りすがりの豆腐屋 文化放送
『全日本ヤング選抜』(1976年) 『さだまさしの全力投球』(1979年9月 - 1980年3月) 『さだまさしのセイ!ヤング』(1981年10月-1994年3月) 『さだまさしのラジオまっぴるま』(1985年10月7日 - 1987年4月3日) 『(有) さだまさし大世界社』(1994年 - 1998年) 『さだまさしのゆく世紀くる世紀(笑)』(1999年 - 2001年・不定期) 『さだまさしのセイ!ヤング21』(2001年度・2002年度 月曜担当) 『セイ!ヤング ネクステージ』(2007年4月2日) 『さだまさしカウントダウンスペシャル』(2010年 - ) 『さだまさし セイ!シュン 49.69』(2021年10月1日 - 2022年3月28日) ニッポン放送
『激突!サウンド・フィーバー さだまさしのきままな夜間飛行』(1978年10月 - 1979年3月) 『さだまさしのサンデーパーク』 東海ラジオ『1時の鬼の魔酔い』(2022年10月25日 - ) 毎日放送
『さだまさしの気まぐれ夜汽車』(1982年4月11日 - 1983年3月27日) KBCラジオ
『さだまさしの引き出しのすみっこ 一夜限りの復活』(2012年11月21日) 『さだまさしのトークシアター』(地方局向け番組。1990年代前半に放送) エフエム東京『さだまさし それぞれの旅』(1984年4月 - 9月) JFN『さだまさし 夢回帰線』(1990年代) FM NACK5『さだまさし WEEKLY 〜Mist〜』(2007年10月7日 - 12月30日) FM愛媛『さだまさし“人生の学び舎”』(2022年1月3日) ドリーム・フェスティバル(1985年、サンテレビ。独立局数局にネット、12月31日20:00-1月1日7:00。ただし「ゆく年くる年 (民間放送テレビ)」による中断を挟む) 24時間テレビ 「愛は地球を救う」10(1987年8月22日、日本テレビ) - SAVE THE CHILDRENコンサート 植木等デラックス(1991年、毎日放送) さだまさし音楽工房(1992年、NHK教育) - 作詞・作曲講座。共演:佐田玲子・服部隆之 花王名人劇場「さだまさしとゆかいな仲間」シリーズ(1980年代中期、関西テレビ) 愉快にオンステージ(1990年代初頭、NHK総合) - ホスト役の一人。 徹子の部屋(テレビ朝日)
また、30周年記念コンサートで紹介された十津川村でのエピソードを盛り込んだ公開放送も、徹子の部屋では初めてのこと。さらには、2日連続放映というのも番組初のことであった。 フードファイト(2000年、日本テレビ) 日曜劇場(TBS)
海に眠るダイヤモンド(2024年10月20日 - ) - 寺の和尚 役 さだまさしの見るラジオ・聴くテレビ(2001年8月5日・2002年6月5日、NHK-BS2)「今夜は生でさだまさし」の原型 今夜も生でさだまさしシリーズ(2006年 - 、NHK総合) (この回よりタイトルは「今夜も生でさだまさし」) 元日テレビ〜今年は見せますNHK〜(2008年1月1日、NHK総合) 元日テレビ〜お便りだけが頼りです〜(2008年1月1日、NHK総合)-『年の初めはさだまさし』とは別番組。タカアンドトシと共演 正月テレビ!〜これこそわが町元気魂!〜(2008年1月2日、NHK総合) まさしとタカトシのハッピー・モーニング・ショー(2008年1月3日、NHK総合) まさしとタカトシのハッピー・ニューイヤー・ショー(2008年1月3日、NHK総合) JNN共同制作番組「ふぞろいの魚たち」(2010年2月11日、長崎放送) - 語り 鶴瓶の家族に乾杯(NHK総合) さだまさしドラマスペシャル(フジテレビ)
『故郷 〜娘の旅立ち〜』(2011年7月5日) - 本屋の店長 役(友情出演) 『夢であいましょう』(2013年8月23日、NHK総合) 風に立つライオン〜さだまさし・大沢たかお ケニア・命と自然の旅〜(2015年1月4日、NHK BSプレミアム) 着信御礼!ケータイ大喜利「10周年記念スペシャル」(2015年7月18日、NHK総合) TBS年末スペシャルドラマ『赤めだか』(2015年12月28日、TBS) - すし屋の大将 役で出演。 鬼平犯科帳 THE FINAL 後編 雲竜剣(2016年12月3日、フジテレビ) - 白玉売り 役 大改造!!劇的ビフォーアフタースペシャル『借金で潮漬けされた島』(2017年4月2日、朝日放送テレビ) - さだ所有の詩島をリフォーム。 5時に夢中! 3,000回スペシャル(2017年6月30日、TOKYO MX) - スペシャルゲスト 連続テレビ小説(NHK総合)
『舞いあがれ!』(2022年10月3日 - 2023年3月31日) - ナレーション 人生最高レストラン(2022年7月9日、TBS) - ゲスト 石子と羽男-そんなコトで訴えます?-(2022年7月15日 - 9月16日、TBS) - 潮綿郎 役 『NHK紅白歌合戦』(NHK総合・ラジオ第1)には1990年から2007年までほぼ毎年出演していた。1977年・第28回にも「雨やどり」で出場の打診を受けていたが、当時の紅白ではフル・コーラスを歌うことができないという理由で辞退したという。2020年・第71回、2021年・第72回は特別企画の形で出場した。 ダスキン(完了)
常盤薬品工業「パスビタンD」(1992年)
長崎俵物(2005年 - )ナレーションと音楽(案山子) 西日本新聞(2005年 - )音楽(愛) ソフトバンクモバイル(2009年)
サッポロビール「サッポロ クリーミーホワイト」(2010年 - )音楽(北の国から2010)
日本香堂「青雲クリーン・心のケータイ」(2012年)白秋歌の歌唱
スカパーJSAT「スカパー!」(2018年) ジャパネットたかた(2019年) ACジャパン(2019年)「2019年度日本動物愛護協会支援キャンペーン『にゃんぱく宣言』」
浅田飴(2019年) にゃんぱく宣言(2019年) 明治明治プロビオヨーグルトR-1"体調一番地"シリーズ(2020年11月26日 - ) - 謎の男 役
第16回日本レコード大賞 作詩賞(1974年) 第19回日本レコード大賞 西条八十賞(1977年) 長崎市政協力表彰(1989年) 長崎県民栄誉賞(1996年・第2号。ちなみに第1号はサッカー指導者の小嶺忠敏) 長崎市栄誉市民(2004年4月、「長崎の魅力を全国に発信し、イメージアップを図ったことへの貢献」が認められる) 第48回日本レコード大賞 特別賞(2006年) 第55回日本レコード大賞 特別賞(2013年) 第42回放送文化基金賞・放送文化部門(2016年) 長崎ブリックホール名誉館長 諏訪市原田泰治美術館名誉館長 十津川村観光大使 カボス大使 平城遷都1300年記念事業協会評議員 ^ この時のことを歌ったのがソロ・アルバム第1作目の『帰去来』に収録されている「転宅」である。 ^ その際、ヤングジャパングループ所属だったアリスの谷村新司はヤングジャパングループ代表の細川健に採用を薦めるが、細川はプロフィール写真を見て「貧乏神のようだ」として採用を見送っている。谷村は「その際に細川が『貧乏神』と譬えたのは吉田正美の方ではなくお前の方だった。」とさだに語っている。 ^ さだはミュージシャンで、映画制作については専門外(「畑ちがい」)で、映画制作の資金調達の一般的なしくみを知らなかった。映画というものは大抵は製作費が膨らみ巨大化するもので、一般に(ある程度以上の規模の)映画の制作というものは、まずは多数の出資者候補に企画の概要を書いた文書を提示し、興業が成功した場合の利益分配の割合も提示した上で、出資を募って、(その中の、出資する気になってくれた出資者たちとの間に)まずは出資してもらう契約を結び、実際に資金を提供してもらい、それによって制作者側の金銭的リスクがほぼ無くなるような形で資金を確保しておいてからようやく制作に着手するものだ、という映画界の一種の常識を知らなかった。(ハリウッドでも、イギリス映画界、韓国映画界でも、世界を見渡すと一般に、映画への出資者というのは、多数の映画に分散して出資(投資)し、ほとんどの映画は興業に成功せず出資した分がほぼ返ってこないが、5本~10本のうち1本ヒットすれば、それが一種の大きな「配当」をもたらし、結果として自分の資金がむしろ増える、という構図のもとに出資は行われている。(投資として見返りを期待しつつ)出資をしたがっている人々、出資を受けて映画を制作したがっている人々、それら双方が互いに接触し契約を結ぶための、一種の市場(マーケット)のようなものもある。後年、さだはビートたけしと対談した時に、(たけしのほうは、映画の制作や監督業で成功を重ねたわけだが)たけしから世の中の映画の制作の金銭的なしくみを説明され、さだは当時の自分の未熟さをかみしめつつ、反省の弁を述べることになる。なお韓国の映画制作の講座(映画制作を目指す人々のための講座)で、重きを置いて徹底的に教えられていることは(素人が想像するような、脚本づくり、演出方法、カメラワークなどではなく)特に資金調達の方法・テクニックなどである。実に、講座で教える時間の半分ほどもの時間を割いて、資金調達について教えている。映画制作をやりたがるような人々というのは、大抵、芸術的な面にばかり気をうばわれ、資本(お金)のしくみに疎く、それが盲点になりがちで、致命的なミスを犯しがちで、そのミスによって映画制作を試みる若者の人生が狂い再起不能になりがちなので、若者を愛すればこそ(芸術な要素で頭が一杯になりがちな芸術家志向の人々に対しては、彼らを護るために、彼らを愛すればこそ、なおさら)徹底して(彼らが、うかつにも関心を示さない)資金調達に重きを置いてそれのノウハウを教え込まなければならないわけである。 ^ この借金については自身31作目のシングル「建具屋カトーの決心〜儂がジジイになった頃」の中の歌詩にも盛り込まれている。本人は「ガビ山からゴビ砂漠に向かってションベンして、借金して、島の王様で、昔は歌手、と言っても『嘘つけ、このハゲ!』なんか言われてしまうだろう」と述べている。 ^ ニューミュージックは70年代後半から広く使われるようになった言葉で、松任谷由実、中島みゆき、アリス、サザンオールスターズなどがその代表格とされた。「フォーク=暗い」「ロック=不良」といった旧来のイメージを払拭し、「新しい若者の音楽」として再定義したと言える。 ^ 落研当時の高座名は「飛行亭つい楽」。 ^ なお長崎にも三菱重工長崎サッカー部がある。 ^ 「おひさま〜大切なあなたへ」など、さだのプロデューサー・渡辺俊幸が関わる平原の楽曲も何曲か存在する。 ^ なお、元々は『さだおばさん』自体はさだまさしとは全く関係なく、森林鉄道の駅長になった行商の「さだ」さんと、村の人々のふれあいを描いた絵本である(苗字が「佐田」ではなく名前が「サダ」「定」などの「さだ」。「さだ」さんは雪の中での線路点検作業中に雪崩に巻き込まれて亡くなってしまう)。「#主な映像作品など」の項目にあるように、後にさだが監督となって映画化されている。 ^ 現在では「島原の子守唄」は山梨民謡「甲州縁故節」からの編曲であることが知られている。 ^ 2023年10月20日放送分のTBSテレビ『オオカミ少年』で、ジェシー自ら「さださんの連絡先を知っている」と説明したため。 ^ 同年4月24日13:05に再放送された。 ^ 当初は7月8日からの放送開始予定であったが、同日午前11時31分頃に発生した安倍晋三元首相銃撃事件に伴い、夜半に至る報道特別番組が編成されたため、放送開始が1週間順延される事となった。 ^ 第74回(2023年)の出場時、特別企画も正式な出場回数としてカウントされた。 ^ “プロフィール ― PROFILE”. さだまさしオフィシャルサイト. さだ企画. 2021年12月19日閲覧。 ^ “卒業生紹介”. 國學院高等学校. 2021年12月19日閲覧。 ^ ばるぼら (2019年2月7日). “平成と共に育った音楽ジャンル“J-POP”の始まり”. 音楽ナタリー. 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(2020年11月25日). https://twitter.com/y_seniorwriters/status/1331326724446035969 ^ CD『さだまさし ステージ・トーク・ライブ 噺歌集ライブ3』(朝日ソノラマ 1994年12月) ISBN 978-4257090045 ^ さだまさし『精霊流し』幻冬舎、2001年9月10日。ISBN 4344001117。 ^ 話の肖像画 歌手・さだまさし<29> 日本語が下手になったら、この国は終わる産経ニュース 2023年7月30日配信 2023年11月23日閲覧。 ^ さだまさし「さだ語録 あなたの心は元気ですか?」株式会社セブン&アイ出版 pp.140-189 ^ さだまさし「やばい老人になろう やんちゃでちょうどいい」 PHP研究所 pp.184-185より。 ^ さだまさし、平和祈念で広島3万2千人イベント ^ さだまさし - 戦友会Uta-Net 2023年11月23日閲覧。 ^ 「さだまさし」が語るウクライナ侵攻「何もできないから僕は歌う」 曲が翻訳され静かな反響 さだまさしさんインタビュー前編AERA.dot 2024年3月16日配信 2024年3月17日閲覧。 ^ 東京新聞 2014年4月20日号 ^ かくて運命の扉をひらいてきた至知 2024年3月17日閲覧。 ^ NHK - 今夜も生でさだまさし~「台北です」~ [総合] 2月5日(日) 午前0:05~(※4日(土)深夜) Facebook 2017年2月4日配信 2024年3月17日閲覧。 ^ さだまさし、地震被害の台湾に思い「一夜で200億円もの義援金を集めてくれたことを忘れない」日刊スポーツ 2024年4月4日配信 2024年8月8日閲覧。 ^ 台湾東部地震/さだまさしさん、被災地支援で1千万円寄付 台湾留学経験の弟・繁理さんと代表処訪問フォーカス台湾 2024年4月23日配信 2024年8月8日閲覧。 ^ 及川淳子 (2007年5月25日). “引き継がれた長江への思い さだまさしさんと中国”. 友好新聞. 日本中国友好協会. 2007年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月28日閲覧。 ^ 曲について話すと怖いさだまさし 座右の銘は「惜しまない」 ^ さだまさし「笑って、泣いて、考えて。永六輔の尽きない話」p.173より。 ^ グレープ時代は「作詞」とクレジットしているが、公式デビュー前のEP盤「Grape-1」(「蝉時雨」、「雪の朝」など収録)では「作詩」とクレジットしている。 ^ “古田と若松さん、二人三脚の優勝 さだまさし”. 産経新聞. 2002年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月2日閲覧。 ^ 始球式にさだまさしさん! ^ さだまさし氏作曲のファンファーレを採用 ^ ごごナマ おしゃべり日和「さだまさし」,goo ^ “NHK SONGS @nhk_songs”. 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2024/11/20 19:43更新
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