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中村剛也の情報 (なかむらたけや)
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【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

中村剛也の情報(なかむらたけや) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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中村 剛也さんについて調べます

■名前・氏名
中村 剛也
(読み:なかむら たけや)
■職業
野球選手
■中村剛也の誕生日・生年月日
1983年8月15日 (年齢41歳)
亥年(いのしし年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
大阪出身

(昭和58年)1983年生まれの人の年齢早見表

中村剛也と同じ1983年生まれの有名人・芸能人

中村剛也と同じ8月15日生まれの有名人・芸能人

中村剛也と同じ出身地大阪府生まれの有名人・芸能人


中村剛也と関係のある人

小山伸一郎: 楽天時代の2011年には中田翔を6打数無安打、中村剛也を5打数無安打に抑えるなど力勝負の打者に強かった。


岩嵜翔: 2011年は、開幕ローテーション6枚目に抜擢され4月17日対西武戦で先発し、5回まで1失点と好投、6回に先頭の中村剛也にレフトにソロ本塁打を打たれ、二死一・三塁としたところで4点リードで降板すると、後続が徐々に追いつかれ9回1点リードで馬原孝浩が佐藤友亮に同点のソロ本塁打を打たれまたも初白星とはならなかった。


後藤武敏: 2006年は三塁手に中村剛也がレギュラーに定着したこともあり、初めて一軍出場が無かった。


江尻慎太郎: 7月24日に故郷・日本製紙クリネックススタジアム宮城で行われた第3戦では7回から登板し、2イニング目の8回には中村剛也、T-岡田、中田翔といったパ・リーグの強打者3人を3者連続三振に抑えて無失点と好投した。


田中祐貴: 中村剛也(西武)や小笠原道大(読売ジャイアンツ)といった強打者をスローボールで翻弄したほか、後半戦では、シュートを新たに織り交ぜることで投球の幅を広げた。


阿部真宏: 移籍当初は代打や中村剛也の守備固めでの出場がメインだったが、中村の離脱後は相手先発投手がサウスポーの際、また内野ゴロの多い帆足和幸が先発する際は三塁手としてスタメン出場する機会が増えた。


中田祥多: 10月6日に行われたホーム最終戦の対千葉ロッテマリーンズ戦の9回裏に中村剛也の代走としてプロ初出場、サヨナラのホームを踏んだ。


香月一也: またはロッテ入団時、高校時代に同じ大阪桐蔭出身の中村剛也に似ていると言われたことがあるというエピソードと、ロッテのお菓子「コアラのマーチ」のキャラクターにちなんで「おかわりコアラ」という愛称を球団職員につけられた(おかわりの部分は中村剛也の愛称にちなむ)。


山田遥楓: 源田の復帰後は三塁(中村剛也)の守備固めでの出場が中心となり、この年は一塁を3試合、二塁を39試合、三塁を24試合、遊撃を31試合を守り、98試合に出場した。


ホセ=オーティズ: 同シーズンは最終的に64試合に出場し、中村剛也(27本)・中島裕之(13本)に次ぐチーム内3位となる9本塁打を記録した。


陽岱鋼: プロ入り初めて規定打席に到達したものの、持ち前の積極性でリーグ最多三振(中村剛也と同数)を喫し、2012年シーズンの課題となった。


赤間謙: 初奪三振:同上、中村剛也から空振り三振


近藤大亮: 初奪三振:同上、1回裏に中村剛也から空振り三振


比嘉幹貴: その後は左右を問わないワンポイントで4試合に登板し、全打者を打ち取ったものの、4月21日の西武戦では2点リードの6回表から登板し、中村剛也に2点本塁打を浴びるなど、1アウトも奪えずに3安打2失点で降板となり、翌22日に出場選手登録を抹消された。


岩田稔: 大阪桐蔭高校では、硬式野球部に入部した当初、捕手として入部した同級生の中村剛也とバッテリーを組んでいた。


内藤鵬: また、中村剛也の打撃を参考にしている。


坂田遼: ニックネームは、チームメイトの中村剛也にかけて、「左のおかわり君」、またチームでは「アニキ」と呼ばれている。


鈴木照雄: 清原和博、垣内哲也、和田一浩、松井稼頭央、中島裕之、中村剛也、栗山巧、炭谷銀仁朗など多くの選手をスカウトした。


綱島龍生: 初出場:2021年4月6日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(メットライフドーム)、7回表に中村剛也に代わり二塁手で出場


寺原隼人: プレーオフでは虫垂炎で離脱した新垣渚に代わって、10月9日の第1ステージ第3戦で急遽先発して5回イニングを投げ3安打、中村剛也に許したソロ本塁打の1失点のみの好投でステージ突破に貢献した。


山川穂高: 交流戦後は調子を落とし、4番の座を中村剛也に譲ると以降の試合では1試合を除いて4番に戻ることはなかったが、最終的には43本塁打を記録して2年連続の本塁打王とベストナインを獲得した。


紀藤真琴: 満塁本塁打の記録をもつ中村剛也から初めて満塁本塁打を打たれた投手である(6月26日西武戦)。


山川穂高: 9月にはリーグではチームメイトの中村剛也以来7年ぶり、自身初のシーズン40本塁打を達成すると、最終的には平成生まれ最多(2018年シーズン終了時点)となる47本塁打を記録して本塁打王に輝き、更には同僚の浅村栄斗に敗れはしたものの最後まで打点王争いを繰り広げて閉幕を迎えた。


浅村栄斗: 中学時代は特に目立った選手ではなかったが、次兄(中村剛也、岩田稔らと同学年)が大阪桐蔭の野球部出身であったため、父親が同校野球部監督の西谷浩一に栄斗のプレーを見て欲しいと連絡し、プレーを見た西谷の判断で入学が決まった。


エステバン=ヘルマン: 怪我が少なく、西武時代は中村剛也、片岡易之、栗山巧ら主力が怪我に苦しむ中でも2012年、2013年と2年連続で全試合出場を達成し、チームを支えた。


中島裕之: 中村剛也とともに球団初の100打点コンビとなった。


ダレル=ラズナー: 続く4月12日の対埼玉西武ライオンズ戦で本拠地初登板を果たし、2回表に中村剛也のソロ本塁打を許した以外は7回まで1人の走者も出さない完璧な内容で、8回以降も大きく崩れることはなく、被安打3の無四球完投で堂々の来日初勝利をあげた。


帆足和幸: クライマックスシリーズ第2ステージでは10月19日の第3戦に先発し、2回に先頭小谷野栄一の一塁線の打球を一塁審判が一旦ファールの合図をした後にフェアと判定を覆し二塁打とされ、二死三塁で迎えたジェイソン・ボッツのサードゴロを中村剛也が一塁へ悪送球タイムリーエラー、3回には一死二三塁から田中賢介のゴロ間に1人生還、ターメル・スレッジにスリーランホームランを浴び5点差とされ、登板中は援護が無いまま5回5失点(自責4)で降板し敗戦投手となった。


山本翔也: 7点ビハインドで迎えた6回裏からの救援登板ながら、西武の強打者トリオ(4番:中村剛也、5番:エルネスト・メヒア、6番:森友哉)から3者連続三振を奪うなど、2イニングを無失点に抑えた。


大廣翔治: 2008年の秋季キャンプで、この年のホームラン王である中村剛也(西武)を上回る、スイングスピード150キロを記録した。


中村剛也の情報まとめ

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中村 剛也(なかむら たけや)さんの誕生日は1983年8月15日です。大阪出身の野球選手のようです。

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テレビ、結婚、兄弟、家族、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。中村剛也の現在の年齢は41歳のようです。

中村剛也のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

中村 剛也(なかむら たけや、1983年8月15日 - )は、大阪府大東市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。

愛称は「おかわり君(おかわりくん)」「さんぺい(サンペイ)」。妻は元タレントの村上麻里恵。NPB歴代3位の6度の本塁打王獲得経験者、及び歴代最多三振の記録保持者。また、NPB史上初の通算2000三振記録者。

出生時の体重が4295 gと大きく生まれ、少年野球チームの監督だった父の影響で5歳から野球を始める。動きは意外に俊敏で、ボールを捉える打撃センスがあり、やがて4番・捕手が定位置となる。小学3年の健康診断で肥満と診断され、母と共に学校から呼び出され、食生活や生活態度を聞かれたが、「みんなが喜ぶのは、ボールを遠くへ飛ばすこと。それには絶対に体重が必要。痩せたらアカン」「ホームランバッターになれ」と口癖のように言った父は、一度も体型を変えさせようとはしなかった。

小学1年の時に捕手として地元の軟式野球チーム・寺川ブラックスに加入。大東市立四条中学校時代は大東畷ボーイズに所属。大阪桐蔭高校(同期は岩田稔)に進学後は内野手に転向し、2年生の春より強打の4番打者として活躍。進学した理由は自宅から高校まで徒歩5分という立地条件であったという。3年夏は大阪府予選6本塁打を記録した。高校通算83本塁打。

2001年11月19日に行われたプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから2巡目指名を受け、入団。背番号は「60」に決まった。後に体重100 kg前後のその体格から「プロでは守備が厳しそう」と一時はリストから外れていたことが明らかとなっている。また、ドラフト会議前には中日ドラゴンズも中村を上位指名候補および、寺原隼人(日南学園高校)を1巡目指名して交渉権獲得に失敗した場合の外れ1位指名候補としてリストアップしていたが、最終的には寺原(福岡ダイエーホークスが交渉権獲得)の外れ1位として、前田章宏(中京大中京高校)を指名した。

2002年は二軍(イースタン・リーグ)で打率.215、7本塁打、28打点を記録した。

2003年は二軍で22本塁打を記録し、イ・リーグの本塁打王を獲得した(打率.249、58打点)。9月28日の北海道日本ハムファイターズ戦で4番打者として一軍初出場、ミラバルから初打席で初安打となる二塁打を放ち、出塁していた走者が得点したことから初打点も記録。

2005年はホセ・フェルナンデスに代わり三塁手のレギュラーとなった。セ・パ交流戦では12球団最多の12本塁打を記録し優秀選手賞(日本生命賞)を受賞。80試合に出場し、自己最多の22本塁打を打った。長打率は6割を越えた。6月26日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦の紀藤真琴から初めて満塁本塁打を放ち、9月11日の千葉ロッテマリーンズ戦で黒木知宏から2本目の満塁本塁打を放った。

2006年はフェルナンデスが東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍し、三塁手のレギュラーを石井義人・平尾博嗣らと争い、特に左投手が先発する時は三塁手は平尾になるのが恒例となった。自己最多の100試合に出場したが、本塁打は半減し9本に終わった。またチャンスに打てなかった(得点圏打率.205)。

2007年は「8番・三塁手」で2年連続で開幕戦に先発出場。打撃不振で5月に二軍落ちしたが、6月に復帰。三塁手のレギュラーで起用され続けたが打撃は上向かず、レギュラー定着以降最低の成績に終わった。アレックス・カブレラの守備難から一塁手でも10試合に先発起用された。

2008年5月11日のオリックス・バファローズ戦で金子千尋から顔面右側に死球を受け頬骨を骨折するも先発出場を続け、5月15日の福岡ソフトバンクホークス戦では本塁打を放った。この年は守備面では主に捕球における不安定さが目立ち、リーグ最多の22失策を記録。打撃では打率は前年よりわずかに上回ったものリーグワースト3位、得点圏打率も.231と勝負弱さも課題となった。三振は162個とリーグ最多で、シーズン記録としては歴代7位、日本人右打者では最多。しかしこの年から打撃コーチに就任した大久保博元からミートポイントを前にするようアドバイスされ、引き替えに本塁打を量産。西武の日本人選手の本塁打記録(43本、秋山幸二、田淵幸一)、25歳の本塁打記録(44本、大杉勝男、岩村明憲)を塗り替える46本塁打、自身初としては、規定打席、本塁打王、100打点(101打点、リーグ3位)、サヨナラ本塁打、オールスターゲーム出場(三塁手、ファン投票1位)。西武の日本人選手で年間40本以上の本塁打を放ったのは1987年の秋山幸二以来21年ぶり。同球団での達成経験者としては、田淵、秋山に次いで3人目。また、NPBにおいて、初の規定打席到達で年間40本以上の本塁打を記録した日本人選手は秋山幸二(1985年)、多村仁(2004年)に次ぎ3人目である。日本シリーズでは、3安打、3本塁打、7打点。アジアシリーズの予選の天津ライオンズ戦では東京ドームの3階席まで飛ばす特大の本塁打を放っている。

2009年5月13日のオリックス・バファローズ戦で通算100号本塁打を達成。9月20日の福岡ソフトバンクホークス戦で40号を放ち、西武の日本人選手では秋山幸二以来となる2年連続40本塁打を達成した。シーズン長打86本(本塁打48本、三塁打1本、二塁打37本)は2002年の松井稼頭央の88本に次いで歴代2位。この年はケガでの離脱もあったが開幕から打ち続け、48本塁打、122打点を記録し2年連続本塁打王となり、打率も.285と前年に比べて大きく上がった。打点王は自身初。2年連続の本塁打王は西武の日本人打者としては1953年 - 1956年の中西太以来53年ぶりで、打点は球団最多記録を更新した。一方で154三振、15失策で2年連続最多三振・最多失策だった。また、OPSは両リーグ唯一の10割超えを記録した。48本塁打は平成時代の日本人歴代2位(パ・リーグでは最多)、26歳でのシーズン48本塁打は王貞治と並ぶ最多記録である。

2010年は春季キャンプ中の2月25日、打撃練習を待っていた中村の顔面にディー・ブラウンの振ったバットが直撃。大量の鼻血が出たが、幸い鼻の打撲で済み、翌日から通常の練習メニューをこなした。公式戦を間近に控えたオープン戦で、自打球が顔面に当たり頬骨を骨折。3月20日の開幕戦には何とか間に合った。しかしその影響か開幕から10試合は本塁打が出ず打率も1割ほどで打点もわずか1と極度の不振であった。ようやく放ったシーズン第1号は、4月7日のオリックス・バファローズ戦であった。6月10日に5月中から続いていた右肘の痛みが激しくなり登録抹消。6月中に右肘の遊離軟骨除去手術を受け、その治療のためファン投票・選手間投票第1位で選出されたオールスターゲームも出場を辞退した。8月27日に一軍に復帰、9月に調子を上げ85試合の出場で25本の本塁打を打ったが打率は.234と最後まで低いままで、規定打席未到達にもかかわらず111三振を喫し得点圏打率も.170と低かった。6月4日の東京ヤクルトスワローズ戦で伊東勤を抜いて球団新となる通算9本目の満塁本塁打を記録した他、5月25日の広島東洋カープ戦と6月4日の東京ヤクルトスワローズ戦、9月3日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦と史上初の3号連続の満塁本塁打を記録。また、入団9年目での満塁本塁打10本目到達は2001年の中村紀洋(大阪近鉄バファローズ)、2010年のアレックス・ラミレス(読売ジャイアンツ)の10年目を抜く最速記録になった。

2011年7月23日にQVCマリンフィールドで開催されたオールスターゲーム第2戦では2本の本塁打を放ち、MVPに選ばれた。この年から新たに導入された統一球の影響でプロ野球全体の本塁打数が激減する中、2009年と並ぶ自己記録タイの48本塁打(平成時代の日本人パ・リーグ記録)を放ち、本塁打王と打点王の2冠を達成。本塁打数は千葉ロッテマリーンズのチーム本塁打数の46本を2本上回っており、個人の本塁打数がチームの本塁打数を上回るのは、1954年に西鉄ライオンズの中西太(31本)と毎日オリオンズの山内一弘(28本)が近鉄の27本を上回って以来の57年ぶり3度目の記録となった。また、25本の本塁打を放ち本塁打数2位となったソフトバンクの松田宣浩とは23本差をつけたが、これは2位の打者との本塁打数の差としては1966年に王貞治が記録した22本差を上回る新記録となった。パシフィック・リーグ全体の本塁打数は454本であり、中村1人で10.57パーセントの本塁打を打ったこととなる。これは1953年の中西太の9.33パーセントを上回っており、10パーセント以上となったのは2リーグ分裂後初のことである。10月21日に放送されたテレビアニメ『クレヨンしんちゃん』(テレビ朝日)では本人役で出演し、作中では野原しんのすけに「棒読みだよーん」と突っ込まれた。12月15日の契約更改では総額10億円の3年契約を結んだ。西武で複数年契約を結ぶケースは数少なく、球団本部長の鈴木葉留彦は「個人名は控えますが、複数年は過去もいた。中村選手にも、特別に残ってほしい意思の表れです。これだけホームランと打点を稼ぐ打者は日本で他にいない」と語った。

2012年は開幕当初から不振に陥り、レギュラー定着以降は最長となる129打席連続本塁打なしのスランプも味わったがセ・パ交流戦以降は調子を取り戻し、交流戦での通算本塁打12本の新記録も樹立した。しかしその後、6月14日の阪神タイガース戦の守備で左肩肩甲下筋を損傷、出場選手登録を抹消された。再び出場選手登録された後には左膝にも怪我を負い、先発から外れることも多かったが、最終的には27本で2年連続4度目の本塁打王のタイトルを獲得した。5年間で4度以上の本塁打王に輝いたのは中西太、野村克也、王貞治以来4人目であるが、27本での本塁打王は1995年の小久保裕紀(28本、当時は130試合制)を下回る低水準であった。10月25日には左膝の前十字靭帯と半月板の修復手術を受けた。

2013年は前年に受けた手術の影響で前半戦を棒に振り、オールスターゲームのファン投票の対象から除外された。左肩の違和感で一軍復帰が遅れ、26試合の出場で4本塁打に終わり、5年続いていた2桁本塁打の記録が途絶えた。12月9日の契約更改で4年総額20億円の複数年契約を結んだ。

2014年6月13日の対広島東洋カープ戦で史上9位のスピード記録となる通算250本塁打を達成。また、7月21日対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(西武ドーム)でNPB史上54人目の通算1000三振に到達。1014試合での到達はラルフ・ブライアントの647試合に次ぐ史上2位のスピード記録で、広沢克己の1102試合を抜いて日本人最速での到達となった。この年、34本塁打を記録し、同僚のエルネスト・メヒアとともに本塁打王を獲得。なお同一シーズンに同一球団から複数の本塁打王獲得者が出たのは2リーグ制以降では初。

2015年7月24日の北海道日本ハムファイターズ戦では大谷翔平から通算300号本塁打と通算1000本安打を同時に達成。同月は打率.289、8本塁打、26打点を記録し、自身初となる月間MVPを受賞した。8月9日のオリックス・バファローズ戦でシーズン4本目の満塁本塁打を記録した。これで通算満塁本塁打数が16本となり、王貞治が持っていた通算満塁本塁打15本を超えて日本新記録達成となった。9月は不調の時期が続いたが、30日のオリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)では6試合ぶりの複数安打を記録し復調の気配をみせた。シーズン成績としては37本塁打、124打点で本塁打王、打点王を獲得。通算6度の本塁打王は王貞治(15回)、野村克也(9回)に続く歴代単独3位の記録である。オフの10月9日に第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出された。

2016年は6月15日の広島東洋カープ戦での挟殺プレーで左股関節痛を痛めて6月16日に二軍落ちする。最終的に108試合に出場したが、21本塁打に終わる。また規定打席への到達はならなかった。

2017年7月19日の福岡ソフトバンクホークス戦で通算350本塁打を記録。115試合に出場したが4番を外されるなどシーズン通して不調で、2年ぶりに規定打席に到達したが打率.217、27本塁打、79打点に終わった。それまで規定打席に到達した年は全て本塁打王のタイトルを獲得していたが、それも初めて逃すことになった。

2018年、開幕を一軍で迎えるが、打撃不振に陥る。4月21日の千葉ロッテマリーンズ戦で左肩を負傷し、4月22日に一軍登録を抹消された。6月1日に一軍に復帰し、6月9日の読売ジャイアンツ戦でシーズン初本塁打を記録した。8月7日のオリックス・バファローズ戦で2点本塁打を放ち、球団初の通算1000打点を達成。8月25日の福岡ソフトバンクホークス戦で通算1500試合出場を達成した。8月は打率.319、12本塁打、26打点、長打率.647を記録し、3年ぶりに2度目の月間MVPを受賞した。11月15日、海外FA権を行使した上で西武に残留することを表明し、同日、NPBから公示された。

2019年6月14日の対東京ヤクルトスワローズ戦(メットライフドーム)で自身の持つプロ野球記録を更新する18本目の満塁本塁打を放つと、9月4日の対オリックス・バファローズ戦(ほっともっとフィールド神戸)にて通算19本目、その2日後の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(楽天生命パーク宮城)でも満塁本塁打を放ち、自身の持つ通算満塁本塁打記録を20本に伸ばした。なおこの年の満塁時では、35打席32打数17安打、打率.531、4本塁打、49打点を記録した。6月18日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で7回に大野雄大から右中間へ2点本塁打を放ち、交流戦通算打点を200に乗せると、6月22日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)では高校時代の同級生岩田稔から2打席連続で本塁打を放ち、奪本塁打投手数を阿部慎之助の持つプロ野球最多タイ記録230人に並べた。そして7月10日の福岡ソフトバンクホークス戦で松田遼馬からソロ本塁打を放ち、記録を単独首位となる231人に更新した。7月19日の対オリックス・バファローズ戦では増井浩俊から史上20人目となる通算400号本塁打をサヨナラ本塁打で達成した。在籍球団が西武のみで到達した打者は中村が初めてだった。8月11日には2017年8月12日以来のスタメン4番に復帰。8月24日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では松井裕樹からサヨナラ打を放った。9月15日の千葉ロッテマリーンズ戦では自身3度目となるシーズン120打点を記録。シーズン120打点3回は王貞治、ブーマー・ウェルズ、松中信彦、アレックス・ラミレス以来史上5人目の快挙である。最終的には自身キャリアハイの打率.286、4年ぶり6度目の30本塁打到達で自己最長の6年連続2桁本塁打、得点圏打率は森友哉に次ぐリーグ2位の.350を記録し、4度目となる打点王を獲得。山川穂高・森友哉とともに100打点トリオを形成し、球団の連覇に貢献した。

2020年は新型コロナウイルスの影響で120試合制となる。開幕から好調を維持するも、8月は月間打率.094と突如絶不調に陥る。さらに8月22日のオリックス・バファローズ戦で張奕から右手首に死球を受け、9月3日には登録を抹消された。9月22日のイースタン・リーグ北海道日本ハムファイターズ戦で本塁打を打ち、翌9月23日に出場選手登録をされ戦線復帰。翌9月24日には史上8人目となる同一球場200本塁打を達成した。西武ドーム(当時の球場名はメットライフドーム)では史上初の偉業となった。一軍復帰後も状態は上がらず、79試合、打率.213、9本塁打、31打点という成績で7年連続2桁本塁打にはあと1本届かなかった。オフに、1億3000万円減となる推定年俸2億2000万円で契約を更改した。

2021年は本人も「打っていない」と語ったように開幕から本塁打が少なく、低調な打撃が続くと6月8日の試合で走塁中に左太もも裏を痛め途中交代。守備に就けない状態になったが、6月23日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で指名打者として先発復帰を果たすと同27日のオリックス・バファローズ戦から12試合連続安打を記録するなど打撃は6月下旬から状態が上向いた。東京オリンピックによる中断期間で足の状態が回復し後半戦からは守備に就き、打撃は好調を維持し、8月22日のオリックス・バファローズ戦では山﨑福也から通算22本目の満塁本塁打を放ち、10月14日の北海道日本ハムファイターズ戦では1試合2本塁打、代名詞でもある「おかわり弾」を2年ぶりに放った。この年は123試合に出場し、規定打席に到達したシーズンとしては自己最少の18本塁打に留まったが、打率.284で自身初めて打率10傑に入り(リーグ7位)、チームトップの74打点を記録した。オフに推定年俸2億円の2年契約で契約を更改した。

2022年5月7日、対北海道日本ハムファイターズ7回戦(ベルーナドーム)4回裏、先発投手の上沢直之からソロ本塁打を放ち、長嶋茂雄の本塁打数と並ぶ444本塁打を記録。同月13日には長嶋を超えた445本塁打を記録。7月6日、対オリックス・バファローズ14回戦(京セラドーム大阪)7回表、黒木優太に三振を喫し、清原和博が持っていた通算三振記録を上回り日本プロ野球歴代最多となる1956三振を記録した。8月4日のオリックス・バファローズ戦ではジェイコブ・ワゲスパックから自身5本目のサヨナラ本塁打を放った。8月12日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(楽天生命パーク宮城)では2回表に岸孝之から本塁打を記録し、史上14人目の450本塁打を達成した。規定打席到達には至らず、最終的には88試合の出場で打率.196、12本塁打、31打点に留まったものの、12月1日に現状維持の2億円で契約更改した。

2023年、4月12日の対ロッテ戦(ベルーナドーム)で6回にシーズン初本塁打を放ち、伊東勤(1984年 - 2003年)と並ぶ球団最長記録となる20年連続本塁打を記録した。同月30日の対楽天戦(ベルーナドーム)では2回に荘司康誠から3連戦で3日連続となる本塁打を放った。同一カード3連戦の3日連続本塁打は、2018年8月7日から9日のオリックス3連戦以来、自身5年ぶり。3・4月は月間打率.364、7本塁打、14打点の成績で自身3度目の月間MVPを受賞した。5月27日に「外腹斜筋の軽度の損傷」で出場選手登録を抹消。6月21日に一軍に復帰すると、7月15日の対日本ハム戦(ベルーナドーム)で両者無得点で迎えた9回一死二塁の打席で池田隆英からサヨナラ二塁打を放った。西武で39歳11か月でのサヨナラ安打は1967年5月25日の対近鉄戦で放ったトニー・ロイの39歳5か月を抜く球団最年長記録となった。同月19日のオールスターゲーム第1戦(バンテリンドーム ナゴヤ)では「5番・指名打者」で出場し、5打数1安打の成績だったが、翌20日の第2戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で体調不良のため欠場、翌21日に特例2023で出場選手登録を抹消された。8月4日に出場選手登録されると、9月6日の対オリックス戦(ほっともっとフィールド神戸)で西武の40代の選手として初の1試合2本塁打を放った。同月9日の対日本ハム戦(エスコンフィールドHOKKAIDO)では3回二死二・三塁の打席で加藤貴之から3点本塁打を放って通算1038得点を記録し、石毛宏典を抜いて球団最多得点となった。最終的には88試合の出場で前年と同様に規定打席未達ながら、チーム最多かつリーグ単独7位となる17本塁打を放ち、打率.258、40打点と他の成績も改善するなど復調の兆しを見せた。オフの12月2日に5000万円減の推定年俸1億5000万円の単年契約で契約更改した。また、現役ドラフトで中村祐太が入団したため、入団22年目で初めて報道時の名前表記が「中村剛」に変更になったが、スコアボードは「中村」のままである。

2024年、4月は10日の対ロッテ戦(ベルーナドーム)で1点を追う9回一死無走者の打席で横山陸人からシーズン初本塁打となる同点本塁打を放ち、伊東勤を抜いて球団新記録となる21年連続本塁打を記録した。25日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)では1回一死二塁の打席でルイス・カスティーヨから40代の選手として史上初の5試合連続二塁打となる適時二塁打を放った。5月は7日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)で6回の第3打席にシーズン5号となるソロ本塁打を放ち、金本知憲の通算476本塁打に並び、NPB歴代10位に並んだ。25日の対オリックス戦(ベルーナドーム)で2回無死無走者の打席で曽谷龍平から本塁打を放って通算477本塁打を記録し、金本を抜いてNPB通算本塁打歴代単独10位となった。6月以降は本塁打が打てなかったことと、右手関節炎によるコンディション不良のために7月11日に一軍登録を抹消された。

一部メディアから「究極」と評される天性のホームランバッター。

本塁打を放つ際、美しい放物線を描くことから「ホームランアーチスト」と称され、本人も「7割の力でもスタンドへ運ぶことが出来る」と自負する長打力が持ち味。外野へのフライの30パーセント近くを本塁打にする。 元西武のコーチの光山英和は、「今まで清原(和博)とか、秋山(幸二)さんとか、石井(浩郎)さんとか、色んなホームランバッターを見てきたけど、ホームランを打つことに関しては、あいつが断トツ。ボールの飛び方が全然違う。ちょっと次元が違うね。ああいうのが、ホンマのホームランバッターって言うんやと思う」と評している。2016年シーズンまで、規定打席に達した年は全て本塁打王を獲得していた。

基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年の間においても、両リーグ最多の通算75本塁打を記録し、ボールを引きつけて柔らかいスイングからインパクトの瞬間に右手を押し込む打撃で本塁打を放つ。右手で押し込む感覚は2011年6月29日のオリックス・バファローズ戦で中山慎也から打った本塁打がきっかけで身に付いたと述べており、「感覚的なことなので、なかなか説明するのは難しいが、ボールがバットに長くくっついている感じ」だという。2011年シーズン当初は、統一球で本塁打を打つにはミートポイントを前にすることが大切であると言われていたが、中村は『バットを長く押し込むこと』と『打者の手元寄りのミートポイント』を挙げており、「ポイントを前にしたほうが、当たれば飛ぶとは思います。実際に僕が2008、2009年に本塁打のタイトルを取ったときもポイントはかなりピッチャー寄りでした。ただ、ポイントを前に置くことによって、変化球への対応が難しいというデメリットもある。だからそのときと比べたらだいぶ手元寄りになりましたよ。(今のポイントは)左足を踏み込んだときの前あたりです。ホームランを打っているときは、だいたいこのポイントで打てているはず」と話している。

2020年シーズン前にYouTuberトクサンの動画に出演した際、右手小指に力を入れない独特のグリップの握り方について本人が説明していた。中村は高校時代に右手小指を骨折したが、それでも試合に出なければならない状況で生み出されたのが小指に負担を掛けないそのグリップの握り方であったということで、そこからホームランバッターとして開花したという。

本塁打を打った後の談話ではほぼ必ず「打ててよかったです」の一言が入り、選手やファンの間ではこれが中村の代名詞になっている。

50メートル走は6.3秒、そして右打者ながら一塁到達は4.18秒を記録するなど、ある程度の脚力も備えている。大阪桐蔭高校時代は1学年下で、かつてパ・リーグの盗塁王を獲得した西岡剛よりも脚が速く、盗塁数も多かった。かつてコーチを務めた笘篠誠治は「打撃センスはともかく、走塁のセンスには非常にずば抜けているものがある」「走塁に興味を持てば、球界でも上位クラスにもいけるのでは」としている。また、チームメイトだった平尾博嗣からは「動けるデブ。体重100 kg以上の人の運動会があったら間違いなく1位」と評されている。

三塁守備ではグラブ捌きの柔らかさと打球反応の良さを兼ね備え、また遠投110メートルという生来の肩の強さを誇るものの、三塁手としてはスローイングが少し弱い傾向にある。捕球が不安定な上に送球のコントロールに難があり失策が多く、本塁打王となった2008年・2009年・2011年は同時にリーグ最多失策も記録している。また、守備での負担を軽減して打撃に専念させるためか一塁手としても起用されることがある。

筋肉痛が嫌いという理由により、筋力トレーニングは滅多に行わず、野球に必要な筋力は練習で培っている。

愛称である「おかわり君」の由来は先輩に「好きな言葉は?」と聞かれ「おかわり」と答え、またキャンプの声出しでも「好きな言葉は『おかわり』です」とアピールしたことから。一部テレビ中継では座右の銘として「おかわり」と紹介された。スポーツニュースでも「おかわり」という表現が使われている(例えば連続ホームランを打つと「ホームランをおかわりする」「おかわりアーチ」と、重ねて打点を挙げると「打点をおかわりする」など)。同僚や他球団の選手からは芸人の三瓶に似ていることから「さんぺい」とも呼ばれている。

妻は元タレントの村上麻里恵。2008年7月8日に結婚し、翌2009年1月24日に披露宴を開いた。2009年7月22日に第1子(長男)、2011年12月3日に第2子(次男)、2014年6月12日に第3子(三男)をもうけている。なお、中村は村上と結婚した後の2008年から2013年まで試合のなかった2012年を除き、夫人の誕生日である9月10日に本塁打を放っている。

兄弟は姉と弟がいる。弟は社会人野球のクラブチームである滋賀・高島ベースボールクラブに所属し、2012年の第37回全日本クラブ野球選手権大会では優勝を果たしている。

2024年度シーズン終了時

各年度の赤太字はNPB最高、太字はリーグ最高

太字年度は規定打席到達年度

-は10位未満(打率は規定打席未到達の場合も-と表記)

2024年度シーズン終了時

各年度の太字はリーグ最高

本塁打王:6回(2008年、2009年、2011年、2012年、2014年、2015年) ※歴代3位

打点王:4回(2009年、2011年、2015年、2019年)

ベストナイン:7回

    三塁手部門:6回(2008年、2009年、2011年、2012年、2015年、2019年)

    指名打者部門:1回(2014年)

    JA全農Go・Go賞:1回(好捕賞:2005年7月)

    オールスターゲームMVP:1回(2011年第2戦)

    ホームランダービー優勝:3回(2009年第2戦、2011年第1戦、同年第2戦)

    セ・パ交流戦 日本生命賞:1回(2005年)

    月間MVP:3回(野手部門:2015年7月、2018年8月、2023年3・4月)

    月間サヨナラ賞:2回(2015年7月、2019年7月)

    パ・リーグ連盟特別表彰:1回(特別賞:2015年) ※通算16満塁本塁打の日本新記録を讃えて

    ベスト・ファーザー イエローリボン賞 in 「プロ野球部門」(2010年)

    初出場・初先発出場:2003年9月28日、対日本ハムファイターズ28回戦(東京ドーム)、4番・一塁手で出場

    初打席・初安打・初打点:同上、1回表にカルロス・ミラバルから中越適時二塁打

    初三振:同上、3回表にカルロス・ミラバルから三振

    初四球:同上、9回表に芝草宇宙から押し出し四球

    初盗塁:2003年10月1日、対オリックス・ブルーウェーブ28回戦(Yahoo!BBスタジアム)、8回表に二盗(投手:窪田淳、捕手:日高剛)

    初得点:2004年3月29日、対福岡ダイエーホークス1回戦(福岡ドーム)、7回表に杉内俊哉から代打で四球で出塁し、小関竜也の二塁打で生還

    初本塁打:2004年7月24日、対大阪近鉄バファローズ18回戦(西武ドーム)、7回裏に山村宏樹から左越2ラン

    100本塁打:2009年5月13日、対オリックス・バファローズ8回戦(スカイマークスタジアム)、3回表に山本省吾から右越2ラン ※史上254人目

    150本塁打:2010年9月4日、対東北楽天ゴールデンイーグルス20回戦(クリネックススタジアム宮城)、4回表に川井貴志から中越ソロ ※史上154人目

    200本塁打:2011年9月19日、対北海道日本ハムファイターズ18回戦(西武ドーム)、5回裏にブライアン・ウルフから左越ソロ ※史上96人目

    交流戦50本塁打:2012年6月10日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、10回表にトニー・バーネットから左越2ラン ※史上初

    250本塁打:2014年6月13日、対広島東洋カープ4回戦(西武ドーム)、6回裏に中﨑翔太から左越3ラン ※史上59人目

    1000試合出場:2014年6月27日、対福岡ソフトバンクホークス10回戦(西武ドーム)、8回裏に大﨑雄太朗の代打で出場、攝津正から四球 ※史上463人目

    1000三振:2014年7月21日、対東北楽天ゴールデンイーグルス11回戦(西武ドーム)、5回裏に宮川将から空振り三振 ※史上56人目、1014試合での到達はラルフ・ブライアントに次ぐ史上2位のスピード記録、日本人では最速

    300本塁打:2015年7月24日、対北海道日本ハムファイターズ14回戦(西武プリンスドーム)、4回裏に大谷翔平から左越ソロ ※史上41人目

    1000安打:同上 ※史上281人目(300本塁打と同時達成)

    350本塁打:2017年7月19日、対福岡ソフトバンクホークス15回戦(北九州市民球場)、5回表にリバン・モイネロから中越2ラン ※史上30人目

    1500三振:2018年4月13日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(楽天生命パーク宮城)、2回表に則本昂大から空振り三振 ※史上13人目、1444試合での到達は史上最速

    1000打点:2018年8月7日、対オリックス・バファローズ15回戦(京セラドーム大阪)、2回表にアンドリュー・アルバースから左越2ラン ※史上45人目

    1500試合出場:2018年8月25日、対福岡ソフトバンクホークス17回戦(福岡 ヤフオク!ドーム )、6番・指名打者で先発出場 ※史上193人目

    400本塁打:2019年7月19日、対オリックス・バファローズ13回戦(メットライフドーム)、11回裏に増井浩俊から左越サヨナラソロ ※史上20人目

    3000塁打:2019年9月4日、対オリックス・バファローズ23回戦(ほっともっとフィールド神戸)、8回表に小林慶祐から中越満塁 ※史上59人目

    300二塁打:2020年7月16日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(楽天生命パーク宮城)、4回表に安樂智大から中越二塁打 ※史上73人目

    1500安打:2020年8月26日、対北海道日本ハムファイターズ11回戦(メットライフドーム)、5回裏に杉浦稔大から三塁内野安打 ※史上128人目

    同一球場200本塁打:2020年9月24日、対北海道日本ハムファイターズ18回戦(メットライフドーム)、4回裏に上原健太から左越ソロ ※史上8人目、西武ドーム史上初

    450本塁打:2022年8月12日、対東北楽天ゴールデンイーグルス18回戦(楽天生命パーク宮城)、2回表に岸孝之から左越ソロ ※史上14人目

    1000得点:同上 ※史上45人目(450本塁打と同時達成)

    2000三振:2023年4月29日、対東北楽天ゴールデンイーグルス5回戦(ベルーナドーム)、4回裏に藤平尚真から空振り三振 ※史上初

    2000試合出場:2023年7月6日、対千葉ロッテマリーンズ12回戦(東京ドーム)、4番・指名打者で先発出場 ※史上56人目

    3500塁打:2023年8月4日、対オリックス・バファローズ(ベルーナドーム)、8回裏に宇田川優希から左越ソロ ※史上31人目

    350二塁打:2024年5月6日、対千葉ロッテマリーンズ5回戦(ZOZOマリンスタジアム)、4回表に種市篤暉から右二塁打 ※史上47人目

    シーズン86長打:2009年 ※歴代2位

    個人で他球団のチーム全体の年間本塁打を上回る:2011年(中村:48本、千葉ロッテマリーンズ:46本) ※史上9人目、2リーグ制以降では史上3人目

    3本塁打連続で満塁本塁打:2010年5月25日・13号、6月4日・14号、9月3日・15号

    6試合連続本塁打:2018年8月4日 - 10日 ※史上15人目

    本塁打王としての2位との本数差23本:2011年 ※NPB歴代2位、パリーグ記録

    通算22満塁本塁打 ※NPB記録

    8球団から満塁本塁打 ※江藤慎一、小久保裕紀と並び日本プロ野球記録最多タイ記録

    シーズン4満塁本塁打を2度 ※NPB記録

    シーズン3満塁本塁打を3度 ※NPB記録

    奪本塁打投手数:259(2022年シーズン終了時点)※NPB記録

    通算2066三振(2023年シーズン終了時点)※NPB記録

    交流戦通算79本塁打 ※史上最多(2022年シーズン終了時点)

    交流戦通算211打点 ※史上最多(2022年シーズン終了時点)

    オールスターゲーム出場:8回(2008年、2009年、2011年、2012年、2014年、2015年、2021年、2023年)※2010年、2024年も選出されたが出場辞退

    60(2002年 - )

    「サンキュー!!」HOME MADE 家族(2006年)

    「LIFE」キマグレン(2008年)

    「YOU 〜あなたがそばにいる幸せ〜」HOME MADE 家族(2009年)

    「ムカイカゼ」HOME MADE 家族(2010年 - )

    2015 WBSCプレミア12 日本代表

    クレヨンしんちゃん(2011年10月21日、テレビ朝日) - 本人 役

    はねるのトびら (2011年12月14日、フジテレビ)

    ^ ドラフト会議前に星野仙一の後任として中日の監督に就任した山田久志は、中村の上位指名を希望していたが、中日は1巡目で捕手の前田を、3巡目で同じく捕手の田上秀則(大阪産業大学附属高校)を指名した。当時、中日は正捕手だった中村武志(当時34歳)の後継者育成を必要としていたことから、ドラフト上位で捕手を指名することになった一方、ドラフト会議前(11月9日)には横浜ベイスターズからフリーエージェント (FA) 権の行使を宣言した谷繁元信と入団交渉を行っていた。最終的に、谷繁は同年12月に中日への移籍を決めた一方、中村は谷繁が所属していた横浜へ金銭トレードで移籍することとなった。

    ^ 2リーグ制となった1950年以降に限る。戦前は1943年シーズン以外個人の本塁打数がチーム本塁打数を上回っている例が存在する。戦後の1リーグ時代には1946年の大下弘(20本)が阪急(14本)、ゴールドスター(8本)のチーム本塁打数を、同年の飯島滋弥(12本)がゴールドスターの本塁打数を上回っている。全体の10%以上の本塁打を打った打者は1936年秋の藤村富美男、古谷倉之助、山下実の3名と1944年シーズンの金山次郎の例が存在するが、試合数が1チームあたり30試合前後と少なくリーグ全体の本数が1936年秋は18本、1944年は23本と少ないことによるものである。

    ^ 同一球場の最多本塁打記録は王貞治(巨人)が後楽園球場で記録した413本で、同一球場で200本以上は、後楽園球場の王と長嶋茂雄(巨人)、大阪球場の野村克也と門田博光(共に南海在籍時)、広島市民球場の山本浩二と衣笠祥雄(共に広島)、東京ドームの阿部慎之助(巨人)に次いで中村は8人目。

    ^ この試合に放った2本目の本塁打は40歳8か月の比嘉幹貴から。40代の打者が40代の投手から本塁打を放ったケースはパ・リーグが初めて。

    ^ 2017年に初めて規定打席に到達しながら本塁打王を逃した。

    ^ ウラディミール・バレンティンと引き分けによる両者優勝。

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    真獅子の骨と牙 - 同期入団の栗山巧とのコンビ呼称。

    大阪府出身の人物一覧

    埼玉西武ライオンズの選手一覧

    アレックス・ロドリゲス - 通算25本の満塁本塁打でギネス世界記録保持者。

    個人年度別成績 中村剛也 - NPB.jp 日本野球機構

    選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube

    60 中村 剛也 選手名鑑 - 埼玉西武ライオンズオフィシャルサイト

    選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

    74 西口文也

    91 鳥越裕介(ヘッド)

    81 豊田清(投手チーフ)

    95 大石達也(投手)

    96 中田祥多(バッテリー)

    78 仁志敏久(野手チーフ兼打撃)

    83 立花義家(打撃)

    80 大引啓次(内野守備走塁)

    84 熊代聖人(外野守備走塁)

    79 小関竜也(監督)

    72 土肥義弘(投手総合)

    98 渡辺智男(投手)

    93 青木勇人(投手)

    85 榎田大樹(投手)

    82 野田浩輔(二軍バッテリー)

    87 黒田哲史(二軍野手)

    77 辻竜太郎(二軍野手)

    86 赤田将吾(二軍野手)

    88 大島裕行(二軍野手)

    97 青木智史(三軍総合)

    76 田辺徳雄(三軍野手)

    94 鬼﨑裕司(三軍野手)

    89 木村文紀(三軍野手)

    11 上田大河

    12 渡邉勇太朗

    13 髙橋光成

    14 増田達至

    15 與座海人

    16 隅田知一郎

    17 松本航

    19 佐藤隼輔

    20 田村伊知郎

    21 武内夏暉

    23 糸川亮太

    25 平井克典

    29 青山美夏人

    34 甲斐野央

    36 山田陽翔

    40 浜屋将太

    41 成田晴風

    42 ボー

    43 羽田慎之介

    45 本田圭佑

    47 杉山遙希

    48 今井達也

    54 アブレイユ

    56 宮澤太成

    57 黒田将矢

    58 中村祐太

    59 大曲錬

    61 平良海馬

    69 水上由伸

    70 豆田泰志

    71 菅井信也

    2 岡田雅利

    22 古賀悠斗

    27 炭谷銀仁朗

    37 柘植世那

    38 野田海人

    53 牧野翔矢

    65 古市尊

    0 児玉亮涼

    4 山野辺翔

    5 外崎修汰

    6 源田壮亮

    8 渡部健人

    10 佐藤龍世

    30 元山飛優

    31 平沼翔太

    32 山村崇嘉

    50 髙松渡

    52 陽川尚将

    60 中村剛也

    62 滝澤夏央

    66 ブランドン

    67 野村大樹

    99 村田怜音

    1 栗山巧

    7 金子侑司

    9 蛭間拓哉

    33 古川雄大

    35 松原聖弥

    46 鈴木将平

    51 西川愛也

    63 長谷川信哉

    68 岸潤一郎

    73 高木渉

    75 奥村光一

    ガルシア

    114 上間永遠

    115 佐々木健

    116 ロペス

    120 井上広輝

    121 三浦大輝

    125 シンクレア

    127 森脇亮介

    129 川下将勲

    131 木瀬翔太

    122 是澤涼輔

    118 野村和輝

    126 谷口朝陽

    130 金子功児

    134 川野涼多

    119 モンテル

    135 仲三河優太

    1951 川上哲治, 野口明, 林義一

    1952 飯島滋弥

    1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男

    1954 中西太, 山内和弘

    1955 山内和弘, 西沢道夫

    1956 森下正夫, 吉田義男

    1957 大下弘, 宮本敏雄

    1958 宮本敏雄, 中西太

    1959 山内和弘, 中利夫

    1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲

    1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎

    1962 ブルーム, 張本勲

    1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅

    1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ

    1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一

    1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識

    1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男

    1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司

    1969 土井正博, 船田和英

    1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎

    1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司

    1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩

    1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之

    1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲

    1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博

    1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司

    1977 若松勉, 野村克也, 王貞治

    1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之

    1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二

    1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊

    1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博

    1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之

    1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満

    1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓

    1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美

    1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章

    1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博

    1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三

    1989 村田兆治, 彦野利勝

    1990 R.ブライアント, 清原和博

    1991 古田敦也, 広沢克己

    1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広

    1993 清原和博, T.オマリー

    1994 秋山幸二, G.ブラッグス

    1995 落合博満, 松井秀喜

    1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲

    1997 松井稼頭央, 清原和博

    1998 川上憲伸, 松井秀喜

    1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志

    2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博

    2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋

    2002 G.アリアス, 的山哲也

    2003 高橋由伸, 金本知憲

    2004 松坂大輔, SHINJO

    2005 金城龍彦, 前田智徳

    2006 青木宣親, 藤本敦士

    2007 A.ラミレス, 阿部慎之助

    2008 山﨑武司, 荒木雅博

    2009 青木宣親, 松中信彦

    2010 阿部慎之助, 片岡易之

    2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀

    2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼

    2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一

    2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐

    2015 藤浪晋太郎, 會澤翼

    2016 筒香嘉智, 大谷翔平

    2017 内川聖一, A.デスパイネ

    2018 森友哉, 源田壮亮

    2019 森友哉, 近本光司

    2020 (中止)

    2021 菊池涼介, 島内宏明

    2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐

    2023 柳田悠岐, 万波中正

    2024 牧秀悟,佐藤都志也

    2005 金本知憲, 中村剛也

    2006 佐藤充, 松中信彦

    2007 高橋尚成, サブロー

    2008 金本知憲, 岩隈久志

    2009 T.ブランコ, ダルビッシュ有

    2010 阿部慎之助, 和田毅

    2011 内海哲也, 坂口智隆

    2012 杉内俊哉, 吉川光夫

    2013 能見篤史, 田中将大

    2014 山田哲人, 則本昂大

    2015 畠山和洋, 菊池雄星

    2016 鈴木誠也, 大谷翔平

    2017 丸佳浩, 松本剛

    2018 石山泰稚, 石川歩

    2019 柳裕也, 鈴木大地

    2020 (中止)

    2021 D.ビシエド, 伊藤大海

    2022 大山悠輔, 杉本裕太郎

    2023 牧秀悟, 近藤健介

    2024 才木浩人, 近藤健介

    1950 別当薫

    1951 大下弘

    1952 深見安博

    1953 中西太

    1954 中西太

    1955 中西太

    1956 中西太

    1957 野村克也

    1958 中西太

    1959 山内和弘

    1960 山内和弘

    1961 野村克也, 中田昌宏

    1962 野村克也

    1963 野村克也

    1964 野村克也

    1965 野村克也

    1966 野村克也

    1967 野村克也

    1968 野村克也

    1969 長池徳二

    1970 大杉勝男

    1971 大杉勝男

    1972 長池徳二

    1973 長池徳二

    1974 C.ジョーンズ

    1975 土井正博

    1976 C.ジョーンズ

    1977 L.リー

    1978 B.ミッチェル

    1979 C.マニエル

    1980 C.マニエル

    1981 T.ソレイタ, 門田博光

    1982 落合博満

    1983 門田博光

    1984 ブーマー

    1985 落合博満

    1986 落合博満

    1987 秋山幸二

    1988 門田博光

    1989 R.ブライアント

    1990 O.デストラーデ

    1991 O.デストラーデ

    1992 O.デストラーデ

    1993 R.ブライアント

    1994 R.ブライアント

    1995 小久保裕紀

    1996 T.ニール

    1997 N.ウィルソン

    1998 N.ウィルソン

    1999 T.ローズ

    2000 中村紀洋

    2001 T.ローズ

    2002 A.カブレラ

    2003 T.ローズ

    2004 松中信彦, F.セギノール

    2005 松中信彦

    2006 小笠原道大

    2007 山﨑武司

    2008 中村剛也

    2009 中村剛也

    2010 T-岡田

    2011 中村剛也

    2012 中村剛也

    2013 M.アブレイユ

    2014 E.メヒア, 中村剛也

    2015 中村剛也

    2016 B.レアード

    2017 A.デスパイネ

    2018 山川穂高

    2019 山川穂高

    2020 浅村栄斗

    2021 杉本裕太郎

    2022 山川穂高

    2023 G.ポランコ, 近藤健介, 浅村栄斗

    2024 山川穂高

    1950 別当薫

    1951 飯田徳治

    1952 飯田徳治

    1953 中西太

    1954 山内和弘

    1955 山内和弘

    1956 中西太

    1957 中西太

    1958 葛城隆雄

    1959 葛城隆雄

    1960 山内和弘

    1961 山内和弘

    1962 野村克也

    1963 野村克也

    1964 野村克也

    1965 野村克也

    1966 野村克也

    1967 野村克也

    1968 G.アルトマン

    1969 長池徳二

    1970 大杉勝男

    1971 門田博光

    1972 野村克也, 大杉勝男

    1973 長池徳二

    1974 長池徳二

    1975 加藤秀司

    1976 加藤秀司

    1977 L.リー

    1978 B.マルカーノ

    1979 加藤英司

    1980 C.マニエル

    1981 T.ソレイタ

    1982 落合博満

    1983 水谷実雄

    1984 ブーマー

    1985 落合博満

    1986 落合博満

    1987 ブーマー

    1988 門田博光

    1989 ブーマー

    1990 O.デストラーデ, 石嶺和彦

    1991 O.デストラーデ, J.トレーバー

    1992 ブーマー

    1993 R.ブライアント

    1994 石井浩郎

    1995 イチロー, 初芝清, 田中幸雄

    1996 T.ニール

    1997 小久保裕紀

    1998 N.ウィルソン

    1999 T.ローズ

    2000 中村紀洋

    2001 中村紀洋

    2002 T.ローズ

    2003 松中信彦

    2004 松中信彦

    2005 松中信彦

    2006 小笠原道大, A.カブレラ

    2007 山﨑武司

    2008 T.ローズ

    2009 中村剛也

    2010 小谷野栄一

    2011 中村剛也

    2012 李大浩

    2013 浅村栄斗

    2014 中田翔

    2015 中村剛也

    2016 中田翔

    2017 A.デスパイネ

    2018 浅村栄斗

    2019 中村剛也

    2020 中田翔

    2021 島内宏明

    2022 山川穂高

    2023 近藤健介

    2024 山川穂高

     投  岩隈久志

     捕  細川亨

     一  A.カブレラ

     二  片岡易之

     三  中村剛也

     遊  中島裕之

     外  稲葉篤紀 / 栗山巧 / リック.S

     指  T.ローズ

     投  ダルビッシュ有

     捕  田上秀則

     一  髙橋信二

     二  田中賢介

     三  中村剛也

     遊  中島裕之

     外  稲葉篤紀 / 糸井嘉男 / 鉄平

     指  山﨑武司

     投  田中将大

     捕  細川亨

     一  小久保裕紀

     二  本多雄一

     三  中村剛也

     遊  中島裕之

     外  糸井嘉男 / 内川聖一 / 栗山巧

     指  J.フェルナンデス

     投  吉川光夫

     捕  鶴岡慎也

     一  李大浩

     二  田中賢介

     三  中村剛也

     遊  中島裕之

     外  糸井嘉男 / 内川聖一 / 角中勝也

     指  W.M.ペーニャ

     投  金子千尋

     捕  伊藤光

     一  E.メヒア

     二  藤田一也

     三  銀次

     遊  今宮健太

     外  中田翔 / 糸井嘉男 / 柳田悠岐

     指  中村剛也

     投  大谷翔平

     捕  炭谷銀仁朗

     一  中田翔

     二  田中賢介

     三  中村剛也

     遊  中島卓也

     外  柳田悠岐 / 秋山翔吾 / 清田育宏

     指  李大浩

     投  千賀滉大

     捕  森友哉

     一  山川穂高

     二  浅村栄斗

     三  中村剛也

     遊  源田壮亮

     外  秋山翔吾 / 吉田正尚 / 荻野貴司

     指  A.デスパイネ

    90 小久保裕紀

    73 奈良原浩(ヘッド)

    79 大西崇之(外野守備・走塁)

    80 稲葉篤紀(打撃)

    87 仁志敏久(内野守備・走塁)

    88 矢野燿大(バッテリー)

    89 鹿取義隆(投手)

    10 松井裕樹

    11 菅野智之

    14 則本昂大

    15 澤村拓一

    16 大谷翔平

    18 前田健太

    19 増井浩俊

    21 西勇輝

    22 大野雄大

    24 山﨑康晃

    29 小川泰弘

    30 武田翔太

    35 牧田和久

    27 炭谷銀仁朗

    37 嶋基宏

    52 中村悠平

    2 今宮健太

    3 松田宣浩

    5 川端慎吾

    6 坂本勇人

    9 中島卓也

    13 中田翔

    23 山田哲人

    60 中村剛也

    7 中村晃

    8 平田良介

    25 筒香嘉智

    55 秋山翔吾

    自由獲得枠:細川亨

    2巡目:中村剛也

    4巡目:栗山巧

    5巡目:竹内和也

    日本の野球選手

    埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手

    本塁打王 (NPB)

    打点王 (NPB)

    NPBオールスターゲーム選出選手

    NPBオールスターゲームMVP

    アジアシリーズ選手

    野球日本代表選手

    WBSCプレミア12日本代表選手

    2015 WBSCプレミア12選手

    大阪桐蔭高等学校出身の野球選手

    大阪府出身のスポーツ選手

    1983年生

    存命人物

    Pages using the JsonConfig extension

2024/11/16 18:04更新

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