中島裕之の情報(なかじまひろゆき) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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後藤光尊: その後も3番打者として出場し続けて9月26日のロッテ戦では延長10回に薮田安彦からサヨナラ2点本塁打を放つなど、143試合に出場して打率.295、16本塁打、73打点、二塁手としては1955年のロベルト・バルボンの記録を更新して球団新記録となる174安打と自己最高の成績を残したが、併殺打はリーグ2位タイ(西武・中島裕之と同数)の20、3番打者に定着しクリーンナップを1年間務めながらリーグ3位(1位は川﨑宗則、2位は西岡剛)の590打数を記録、四球の少なさが目立ってしまった。 ジェフリー=リーファー: しかし7月から8月に中島裕之と栗山巧が相次いで骨折で離脱したため、打線強化を狙って再び一軍登録される。 片岡易之: また、イチローも「ファミスタの『ピノ』みたい」と評し、一次候補選手の中では中島裕之・岸孝之に並ぶキーマンに挙げた。さらにイチローのバントヒット、中島裕之のレフト前ヒットと続き、片岡が貴重な勝ち越しのホームを踏んだ。 ヒラム=ボカチカ: 8月のオリンピック期間中には代表選手として離脱した中島裕之に代わって3番に抜擢され、8月4日の対千葉ロッテマリーンズ戦で2本塁打・7打点を記録した。 細川亨: 7月5日の対西武戦の初回一死三塁の場面で中島裕之のサードゴロで本塁狙った三塁走者浅村栄斗を本塁でブロック成功しアウトにしたが交錯により左膝を痛め、2回表に田上秀則を代打に送られて負傷退場した。 銭村健一郎: この際、健三はアスレチックス所属の中島裕之と岡島秀樹との対面を果たしている。 リック=ショート: 中島裕之と最後まで首位打者争いを展開。 平井正史: 第2戦は1回を投げ無失点だったが、第4戦は勝ち試合ではあったものの中島裕之にソロ本塁打を打たれ、第7戦ではホセ・フェルナンデスに適時打、平尾博嗣にソロ本塁打を打たれ2失点するなどやや苦しみ、チームも50年ぶりの日本一を逃した。 藤川球児: ファン投票(セ・リーグ抑え部門1位)で6年連続のオールスターゲームに選出され、第1戦の9回に登板し、里崎智也・片岡易之・中島裕之を迎えて投じた16球全て直球で、三者連続三振に仕留めた。 杉永政信: この判定を受け、遊撃手中島裕之は一塁に送球。 エステバン=ヘルマン: 2015年、オープン戦は打率.324と好調だったが、内野では新加入した小谷野栄一・中島裕之がシーズン開幕からスタメンで起用されることが多かったため、ベンチからのスタートが多くなった。 栗山巧: なお、この年より中島裕之に代わり、キャプテン(主将)となった。 後藤武敏: 西武時代の2011年7月11日対オリックス戦で高宮和也が中島裕之に死球を与えたのを発端に揉め事が発生した時には激高したホセ・フェルナンデスをなだめていた。 松坂健太: しかし、同僚で親交深い先輩の中島裕之から「(トライアウトを受けないのは)俺が許さない」と言われたことでトライアウトを受けることを決意。 帆足和幸: 日本シリーズは10月19日第3戦に先発し、4点の援護を貰い5回まで2安打無失点だったが、6回先頭の荒木雅博のハーフライナーを遊撃手中島裕之がこぼして出塁させると、一死一塁から立浪和義、アレックス・オチョアの連打で1失点、高橋光信にフルカウントから四球を与え一死満塁とした所で降板、代わった長田秀一郎が谷繁元信に逆転満塁本塁打を打たれたため4失点(自責3)となった。 斉藤一美: 2012年に「スポーツアルバム中島裕之III」において埼玉西武ライオンズ中島裕之の2012年について寄稿した。 ホセ=オーティズ: 同シーズンは最終的に64試合に出場し、中村剛也(27本)・中島裕之(13本)に次ぐチーム内3位となる9本塁打を記録した。 片岡易之: 中島裕之の故障で8月から9月上旬まで一時的に遊撃手に回った。 ヘクター=カラスコ: ところが、開幕4戦目の3月30日対 ロッテ戦、最終回1点リードという初のセーブ機会で、ベニー・アグバヤニ・里崎智也に本塁打を浴びて逆転負けを喫したのを皮切りに、4月9日の西武戦では中島裕之にサヨナラ犠飛を打たれ、11日の同カードでは2点リードの最終回に登板するも、取ったアウトは小関竜弥の犠飛による1死のみで、最後は和田一浩にサヨナラ満塁本塁打を浴びるなど、度重なる炎上を繰り返し、開幕からのチーム低迷の一因となった。 平尾博嗣: 2004年、中島裕之が遊撃手に定着したため遊撃手での出場はなかったが、三塁手として活躍し規定打席未満ながら自身初の3割を記録した。 長坂拳弥: 翌21日の同カードで一軍公式戦としては4年振りのスタメンマスクを任されると、2回裏無死1・3塁で迎えた打席の1球目でのセーフティスクイズ(公式記録上は一塁への犠打と中島裕之一塁手による野選)によって決勝点を得たほか、8回表の守備で代走・増田の盗塁を再び阻止。 伊原春樹: 巨人ヘッドコーチ就任後も、当時守備が上達しなかった西武の中島裕之を「ナカジはどうしてる? あいつはサードが一番向いているんだが…」と案じていた。 中島らも: 『株式会社日広エージェンシー企画課長中島裕之』(双葉社 2005年7月 ISBN 4575298247) エステバン=ヘルマン: 5月からは5番で、中村剛也や中島裕之が故障で離脱している時期は3番で起用されることもあった。 森脇浩司: 2015年は中島裕之、小谷野栄一、トニ・ブランコ、ブライアン・バリントンを獲得による大型補強でシーズンに臨んだが4人とも故障で離脱する。 比嘉幹貴: 初奪三振:2010年8月14日、対埼玉西武ライオンズ17回戦(西武ドーム)、5回裏に中島裕之から空振り三振 小林雅英: 西武ライオンズの中島裕之に勝ち越しの満塁本塁打を打たれる等、救援失敗も目立ったが、アテネオリンピック野球日本代表に選出されたのを機に変則モーションの矯正に取り組むと日本代表の守護神として銅メダル獲得に貢献した。 牧田明久: 2011年の秋季キャンプでは、新しく打撃コーチに就任した大久保博元に「中島裕之(西武)や中村剛也(西武)よりもいい。 西川雅人: 2012年9月13日の対西武戦では、中島裕之にあわや危険球の投球をした際、中島が詰めより、西川も激昂し口論になり、乱闘寸前の騒ぎをおこした(中島とは後に和解)。 岸孝之: 前半戦最後の登板となった7月17日の日本ハム戦では、中島裕之の適時失策による1失点で敗戦投手となったが、シーズン初完投を記録した。 |
中島裕之の情報まとめ
中島 裕之(なかじま ひろゆき)さんの誕生日は1982年7月31日です。兵庫出身の野球選手のようです。
引退、結婚、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。中島裕之の現在の年齢は42歳のようです。
中島裕之のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 中島 宏之(なかじま ひろゆき、本名・旧登録名:中島 裕之〈読み同じ〉、1982年7月31日 - )は、兵庫県伊丹市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 愛称は「ナカジ」。妻はファッションモデルの相沢紗世。鳥谷敬に次ぐNPB史上2人目・パ・リーグでは唯一の、遊撃手としてのシーズン100打点達成者。 出生時は右肩が母体内で引っかかるなどの難産で、担当医からは「右肩に何らかの障害が残る可能性がある」と指摘され、乳児の頃から柔らかいゴム製のボールを半ば強制的に握らされていたという。伊丹市立桜台小学校時代は投手として幼馴染みの山崎勝己とバッテリーを組み、全国大会に出場。伊丹市立天王寺川中学校では宝塚シニアに所属し、高校進学時には県外からもスカウトされたが、地元の報徳学園高校を山崎と共に受験。山崎は合格したものの、中島は合格に至らなかったため、兵庫県立伊丹北高校に進学。シニアでの厳しい練習から野球に嫌気が差していたこともあり、強豪校とは違う練習環境の中で力を伸ばしていった。後に本人は「報徳に入学していたら野球を続けていなかったと思う」と述べている。 伊丹北高校への進学後は、1年時からレギュラーに定着。兵庫大会では、1年夏に右翼手、2年夏に1番打者、先発投手に転向した3年夏には「1番・投手」として出場した。在学中のチーム成績は2年夏の兵庫県大会での16強が最高であったが、中島自身は対外試合で通算43本塁打を放ったことから、西武ライオンズのスカウト陣の目に留まった。 2000年度ドラフト会議で、西武から内野手として5巡目指名を受け、契約金4000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。無名校出身ながら高卒で指名された理由について、当時同校の監督だった後藤博雄は「真面目な性格が下積みにも耐えられるとスカウトが評価したのではないか」と語っている。入団当初の背番号は56。 2001年は、チームの正遊撃手だった松井稼頭央がメジャーリーグへの挑戦を志向していたことを背景に、遊撃手へコンバート。しかし、高校時代まで経験のなかったポジションであったことから、30試合に出場したイースタン・リーグの公式戦では7失策、2安打で打率.105にとどまる。 2002年は、イースタン・リーグ公式戦でただ1人全100試合に出場。リーグの規定打席へ到達しリーグ最多の安打、得点、犠飛、死球を記録した。併殺打10本、25失策もリーグ最多で、リーグ2位の打率.299、チーム2位の11本塁打、リーグ4位の47打点となりファームの優秀選手賞に選出。10月6日の対日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)に「5番・指名打者」としてスタメンで一軍デビューし、2回表に金村曉から一軍での初安打など、一軍公式戦にも4試合へ出場した。 2003年は、一軍公式戦44試合に出場し、一軍での初打点、初本塁打、初盗塁を記録。イースタン・リーグ公式戦では、規定打席に達しなかったものの、チームトップの打率.306、チーム2位の13本塁打。 2004年は、背番号を3へ変更。前年までの正遊撃手だった松井が海外FA権の行使によってニューヨーク・メッツへ移籍したことを背景に、一軍公式戦の開幕から「7番・遊撃手」としてスタメンに抜擢。開幕スタメンを伊東勤監督に進言したのは土井正博ヘッド兼打撃コーチである。その後も「正遊撃手は荷が重過ぎる」との声が上がる中スタメンで起用され、オールスターゲームにも監督推薦で初出場した。同年のパシフィック・リーグでは唯一フルイニング出場し、打率.287(リーグ19位)、27本塁打(リーグ8位)、90打点(リーグ7位)、18盗塁(リーグ4位)を記録。 2005年はイレギュラーバウンドした打球を顔面に受けて頬骨を骨折し、戦線離脱。復帰後はレギュラーに戻り規定打席に到達して打率.274(リーグ19位)、11盗塁(リーグ7位)を記録したが、リーグ3位の17併殺打、遊撃手としてリーグ最多の10失策を記録。 2006年は開幕から3番打者を務め、オールスターゲームにも選出され、一時首位打者争いに加わるなどチームの首位争いに貢献した。7月30日の楽天戦で山村宏樹から死球を受け、左第4中手骨を骨折したが予定より早い9月12日に復帰した。打率.306で初めて3割に到達した。守備では2年連続で遊撃手部門リーグ最多の16失策を記録し、同年オフの契約更改では球団初となる守備での出来高払いが設定された。 2007年も開幕から3番で起用され、オールスターゲームに3度目の出場を果たした。両リーグ通じて唯一の9試合連続打点を記録するなど、リーグ5位の打率.300、同3位の160安打、チーム2位の74打点を記録したが、リーグ3位の134三振とレギュラー定着以降減少していた三振数が倍増した。守備でもリーグ2位、遊撃手としては3年連続リーグ最多の20失策を記録。 2008年はオールスターゲームに4度目の出場。共に同じ遊撃手の川﨑宗則、西岡剛が選出されたこともあり、オールスターゲームでは三塁手を務めたが、悪送球による失策を記録した。4年ぶりに20本塁打を記録とリーグ優勝に貢献した。前半戦終了時にリーグトップだった打率は後半戦に入って徐々に落ちていったが、楽天のリック・ショートと首位打者を争い、楽天との最終戦までもつれ込んだ。結果は7毛差で及ばなかったが自己最高の打率.331を記録。最終戦後には敬遠されなかったことについて「勝負してくれて嬉しかった」と語った。シーズン成績はチームトップの55四球を選び、それぞれ自己最高を更新する出塁率.410、25盗塁で、初タイトルとなる最高出塁率を獲得した。遊撃守備ではリーグ2位の12失策を記録したものの、守備率は遊撃手部門2位を記録して送球ミスも減り、ゴールデングラブ賞とベストナインを初受賞した。同年、かつて西武で背番号「3」を着けていた清原が引退を表明し、オリックス・バファローズとの最終戦の日にユニフォームの交換を行なった。巨人との日本シリーズでは第1戦と第2戦で2試合連続本塁打を放つ。第5戦では怪我で途中交代したものの、第6戦以降も満身創痍で先発出場し続け7戦全てで安打を記録し日本一に貢献、優秀選手に選ばれた。オフの契約更改で年俸2億円に到達。「野球をやっている以上、いろんな国の選手がいる中でやってみたいという夢はあります。メジャーに行けるような選手になりたい」と将来的なメジャーリーグ挑戦志向を明かした。 2009年は開幕から25試合本塁打がなかったが、6月21日の東京ヤクルトスワローズ戦で通算100本塁打を達成。オールスターゲームに選手間投票によって選出され5度目の出場。第2戦でファウルボールを観客席に突っ込んで捕球するなどしてベストプレー賞を受賞し、「守備で賞を頂けたことがうれしい」とコメント。主に「3番・遊撃手」としてリーグで唯一全試合フルイニング出場してシーズン後半には故障した中村剛也の代わりに4番打者も経験し、2年連続3割20本塁打20盗塁(史上5人目)、自己最多の92打点、173安打で自身初の最多安打、出塁率.398で2年連続となる最高出塁率のタイトルを獲得し、2年連続でベストナインも受賞。遊撃守備では初めて守備率.980台を記録。 2010年は一時打率が4割を越えたが、シーズン終盤はチャンスでの併殺打が増えた。同年オフにはポスティングシステムを利用したメジャーリーグ挑戦を球団側に訴えたが、交渉窓口となった球団本部長(当時)の前田康介が「話し合いの結果、残留で決まった」と報道陣に対して一方的に発表したことから、中島は「勝手に発表された。『分かった』としか言われていない」と、事実と異なる説明をされたとして球団に対する不信感を露にした。その後、監督の渡辺久信の仲裁により球団側と再度話し合い、残留することが正式に発表された。 2011年はこの年から導入された統一球の影響もあり、5月までは打率.266、3本塁打、OPS.771と調子が上向かなかったが、6月から調子を上げ、6月から9月まで打率.312、9本塁打、OPS.819と復調。7月11日のオリックス戦では警告試合を引き起こしている。事の発端は、6回裏に高宮和也の2球目が中島の背中に直撃。これに中島が激昂してマウンドへ歩み寄ると、両チームがベンチに飛び出し、乱闘寸前の雰囲気となった。試合は9対1で勝ったものの「(オリックスは)しょうもないチーム」、「ことしのうちに、必ず試合中にやり返しますよ」と発言した。最終的にこのシーズンでの対オリックス戦は、打率.383、36安打の18打点と滅法強かった。チームが最下位であった7月25日のロッテ戦では決勝本塁打を放ち、ヒーローインタビューではこの試合からキャプテンに任命されて右胸に「C」の文字が入ることを報告した。しかし10月は打率.271、本塁打なし、OPS.612と再び調子を落とし、5年連続で記録していた打率3割が途絶えた。最終的に右投手に対しては打率.316と例年通りの成績を残したが、左投手に対しては打率.237と苦手とした。本塁打も16本と4年ぶりに20本を下回ったが、得点圏打率はリーグ2位の.351を記録し、遊撃手としては鳥谷敬以来史上二人目、パシフィック・リーグでは初となるシーズン100打点を達成。中村剛也とともに球団初の100打点コンビとなった。また、21個の盗塁を成功させ失敗はわずか2個で、盗塁成功率は.913であった。オフには球団よりポスティングシステムを利用したメジャー移籍を容認されたことを受け、11月22日にメジャー挑戦を正式表明した。同月28日に申請書類を提出し、12月8日には入札額250万ドルでニューヨーク・ヤンキースが交渉権を獲得したことが発表された。その後グレグ・ゲンスキーを代理人として入団交渉を行ったが契約合意には至らなかった。 2012年1月10日に契約更改を行い、このシーズンも残留することが決定。シーズンでは6月に入ってから調子が上がり、6月の月間MVPを獲得。12年目で初の受賞となった。故障で離脱した中村の代わりに4番を打つこともあった。首位打者を牽引していたが、8月に腰の状態が悪化、9月に左脇腹痛を発症してからは打率が下がり、ロッテの角中勝也と首位打者を競うことになる。ロッテとの最終戦では1打席は四球。2打席目も敬遠気味にボールを投げられ、その際2球わざと空振りした。最終戦では2打席凡退し、打率.311。1厘差で首位打者を逃した。オフには海外FA権を行使する。 2012年12月18日にオークランド・アスレチックスと総額650万ドルの2年契約+出来高(3年目は年俸550万ドルの球団オプション)で契約。 2013年はスプリングトレーニングで無安打が続き、バッティングフォームをオープンスタンスに変更するなどしたが、9試合ぶりの安打である一塁内野安打を打った直後に左太腿裏を損傷。その後の試合は全て欠場し、結局17試合の出場で打率.167、出塁率.286、本塁打なし、2盗塁、遊撃守備で4失策を喫してスプリングトレーニングが終わり、3月30日に15日間の故障者リスト入りして開幕を迎えた。5月3日にはAAA級サクラメント・リバーキャッツの公式戦に出場したが、翌日に左太腿の痛みが再発し再検査を受けることが発表され、23日に25人枠から外れる。AAA級では遊撃手の他に三塁手と二塁手でも起用され、6月7日のツーソン戦まで10試合連続安打を記録し、前半戦は52試合の出場で打率.279、4本塁打、OPS.729、2盗塁の成績を記録したが、8月16日に40人枠から外れる。後半戦は38試合の出場で打率.289、本塁打なし、OPS.652、1盗塁の成績で、2013年シーズン成績は、打率.283、4本塁打、OPS.698でチーム平均OPS.776を下回った。 2014年は招待選手としてのスプリングトレーニング参加もなく、当初はAA級ミッドランド・ロックハウンズで開幕を迎える予定だったが、アディソン・ラッセルの故障に伴いスプリングトレーニングに参加し、6試合に出場。3月28日に40人枠入りし、翌日にAAA級サクラメントへ異動。4月3日に再び40人枠から外れ、AAA級では打率.128、0本塁打の成績で、4月30日にはAA級ミッドランドへ降格した。その後は昇格することなくマイナーのレギュラーシーズンを終える。AA級では主に二塁手で起用された他、内野全ポジションを経験するも、73試合の出場で打率.266、6本塁打、3盗塁、OPS.704で、2Aでもチーム平均OPS.717を下回る結果となった。チームはプレーオフに進出するが、ディビジョンシリーズ第1戦のフリスコ・ラフライダーズ戦で左手首を骨折する。オフの10月30日にアスレチックスが550万ドルの2015年球団オプションを破棄したため、FAになった。FA選手ランキングを扱った記事では全165人中165位にランクされた。アスレチックスGMのビリー・ビーンは中島の獲得に関して、地元紙「オークランド・トリビューン」のインタビューで「大失敗だった。大金を積めばいい選手が獲れるという考えは、やはり浅はかだったということが図らずも証明された」と語り、スポーツライターの臼北信行によると、中島の獲得は日本での宣伝効果を見込んだものであり、「多少期待外れでもナカジマをメジャーに昇格させるつもりだったが、あまりに酷すぎて使い物にならず、結局目をつぶることができなくなった」という。中島はNPB復帰を示唆。そして同年11月に代理人のスコット・ボラスが「ヒロは日本に戻ってプレーすることになるだろう。日本球団との契約交渉を進めていく」と語り、NPB復帰が決定、MLBの試合には1試合も出場することはなかった。古巣である西武の他に阪神やオリックスの争奪戦となった。 2014年12月5日にオリックス・バファローズが獲得を発表。幼馴染みの山崎勝己からラブコールを受けたこともオリックス入団を決めた1つの要因でもあったと明かし、小学生時代以来約20年ぶりに山崎と同じチームに所属することになった。オリックスとの契約期間は3年で、推定総額12億円。背番号は「1」。 2015年は開幕を一軍で迎え、主に4番一塁手として先発出場した。しかし、4月19日の対西武戦(ほっともっとフィールド神戸)2回裏の打席での内野安打の際に、右太もも裏を痛めて途中交代。翌日の診断で右ハムストリングの肉離れが判明したため、21日に出場選手登録を抹消された。5月8日の対日本ハム戦(京セラドーム大阪)で「7番・一塁手」として先発出場し、一軍に復帰したが、同月26日の対DeNA戦(横浜)開始前の昼食中にぎっくり腰を発症、翌27日に再び登録を抹消された。6月9日の対ヤクルト戦(京セラドーム大阪)で再び一軍に復帰。シーズン全体では、指名打者・三塁手・遊撃手にも起用されながら、一軍公式戦117試合の出場で規定打席に到達したが、打率.240、10本塁打、46打点に終わった。9月にファッションモデルの相沢紗世と結婚、10月15日に結婚と相沢による第1子(女児)の出産、11月27日に「中島 宏之」への登録名変更を発表した。 2016年は正遊撃手の安達了一が春季キャンプの直前に潰瘍性大腸炎で入院したことを受けて、キャンプから遊撃守備の練習を再開。一軍公式戦でも、開幕戦から4試合連続で、遊撃手として先発出場した。以降の試合には指名打者や三塁手として出場したが、4月15日の対西武戦(京セラドーム大阪)での走塁中に右ふくらはぎを痛めたことを境に、故障や打撃不振で3度の二軍降格。5月28日の対西武戦(ほっともっと神戸)でNPB史上119人目の通算1500安打、8月18日の対日本ハム戦(札幌ドーム)で史上61人目の通算1000三振を記録。一軍公式戦全体では、96試合に出場し、打率.290、8本塁打、47打点。 2017年は、楽天との開幕3連戦(京セラドーム)で3番打者で起用、主に指名打者として一軍出場する。しかし、7月9日の対ロッテ戦(京セラドーム)の試合前にスコアボード下の外野グラウンドでストレッチ中、スコアボード下の外野5階席へスポンサーの看板を設置するために組まれていた鉄パイプが落下。グラウンドで跳ねた鉄パイプが右腰から首の辺りに当たったため、病院で検査を受けた。診断の結果打撲と診断されたことから、当日の試合ではベンチで待機。その後も一軍へ帯同していたが、実戦復帰は7月18日にZOZOマリンスタジアムでの同カードでの先発出場まで持ち越された。7月28日の対楽天戦(ほっともっとフィールド神戸)では、7回裏に自身6年ぶりの満塁本塁打を金刃憲人から打つ。結局、一軍公式戦には124試合へ出場、本塁打数9本で2年ぶりに規定打席へ到達し、チームトップ(リーグ7位)の打率.285。このシーズンで3年契約を満了し、中島は契約の付帯条件だった契約期間の延長オプションを行使、前年までの3年間と同じ推定年俸3億5000万円での1年契約で残留する。 2018年は開幕から代打での起用が多くなるが打撃不振で5月18日に登録抹消、6月14日に復帰後はレギュラーとして試合に出るも6月28日の西武戦で肉離れを発症し戦線離脱する。8月4日に復帰し8月12日のロッテ戦でサヨナラ適時打、9月1日の西武戦でサヨナラ3ランを打ち、シーズンを通してはオリックス移籍後最少の77試合出場で打率.289、5本塁打、34打点。シーズン終了後、球団から減額制限(1億円超は40%)を上回る減俸となる推定年俸1億円を提示されたが、本人がそれに納得せず、11月2日球団に退団の意思を伝え自由契約となる。 2018年11月22日に読売ジャイアンツと選手契約を結び、東京ドーム内にて監督の原辰徳の同席の下、入団会見を行った。その際、背番号は5となることもあわせて発表された。オリックスを自由契約になった後に、原監督から電話でラブコールを受けたことが巨人入団の決め手になったという。オリックス時代の年俸から2億円減となる推定年俸1億5000万円での単年契約となった。 2019年は開幕を一軍で迎えたが、打率.171と不振に陥り、5月31日に二軍に降格する。6月19日に一軍に昇格すると、その日のオリックス・バファローズ戦では代打として出場し、榊原翼から移籍後初本塁打を記録した。代打での本塁打は2003年8月11日の近鉄戦以来16年ぶりだった。しかし復調することなく43試合の出場に留まり、打率.148、1本塁打、5打点に終わった。秋季キャンプでは石井琢朗野手総合コーチと共に打撃フォームの改造に取り組んだ。12月3日に行われた契約更改では1億3000万円ダウンの2000万円で更改した。 2020年はオープン戦からトップタイの4本塁打と結果を残す。その後新型コロナウイルス感染拡大の影響で開幕が6月に遅れたが、開幕までの練習試合では打率.346と好成績を残し、開幕を一軍で迎え、6番・ファーストで先発出場。7月まではやや調子が上がらなかったが、8月14日の中日ドラゴンズ戦で通算200本塁打を達成するなど、8月は打率.362、9月は打率.338と調子を上げた。最終的に100試合の出場で打率.297、7本塁打、29打点を記録した。またこのシーズンは守備に就いた試合では全て一塁手としての出場であった。12月15日に行われた契約更改では3000万円増の5000万円で更改した。 2021年、4月3日に新型コロナウイルスのSmartAmpPCR検査で陽性判定を受けたことが球団から発表され、4月4日に「感染拡大防止特例2021」適用選手として出場選手登録を抹消された。その後、療養期間を終え、一軍登録されると、シーズンを通して勝負強い打撃でチームの勝利に貢献するも、シーズン途中に移籍した中田翔に一塁レギュラーの座を奪われ、代打起用となる。シーズンを通して打率.271(得点圏打率.385)、6本塁打、26打点を記録した。12月13日に行われた契約更改では200万円増の推定年俸5200万円で更改した。 2022年、4月27日の対DeNA戦(横浜スタジアム)では4回一死満塁の打席で坂本裕哉からシーズン唯一の本塁打である満塁本塁打を放った。巨人で39歳8か月での満塁本塁打は阿部慎之助の39歳5か月を抜く球団最年長記録となった。5月17日の対広島東洋カープ戦(宇都宮清原球場)では1点を追う9回無死満塁の打席でニック・ターリーから巨人移籍後初のサヨナラ打である逆転サヨナラ2点適時打を放った。 2023年、3月2日の春季キャンプ(沖縄・那覇)の紅白戦で、白組の育成投手から受けた死球により途中交代し、検査の結果「右母指末節骨骨折」と診断された。中田の肉離れにより、一塁手が空いたものの、前述の故障により、中田が復帰前の一軍出場は叶わなかった。オールスター直前に一軍昇格し、7月17日には5打数3安打を打った。7月末に再び二軍落ちとなった。8試合の出場で5安打に留まり、10月13日に戦力外通告を受け、中日が獲得へ動いていることが報道された。 2023年11月24日に中日ドラゴンズが中島の獲得を発表し、中島は同月29日に中日と2024年シーズンの選手契約を締結した。推定年俸は2000万円+出来高払い。背番号は9。 2024年、開幕一軍入り。4月13日の阪神戦で6回無死満塁の場面で代打で出場し右手に押し出しとなる死球を受けた。18日に「右第5中手骨骨膜損傷」と診断され、19日に登録抹消。5月14日に復帰し、代打の切り札として起用されるも、ヒットが出ずに7月29日に再び登録抹消。以降は一軍出場機会がなく15試合に出場して13打数無安打1打点に終わり、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。 2008年に北京オリンピック野球日本代表に選出され、川﨑宗則の故障によって主に遊撃手を務めた。 2009年3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された。1次選考選手発表の際にイチローは片岡易之・岸孝之らと共に「(選ばれれば)日本代表のキーマンになる3人」と語った。大会では「2番・遊撃手」として出場、発熱で一部の試合を欠場したが、2度目のキューバ戦で先発に復帰した。チームトップの打率.364、出塁率.516、7打点を記録して日本代表の2大会連続2度目の優勝に貢献した。 バットを高く掲げ後方に倒す特徴的な構えをしていた。相手の呼吸に合わせて間合いをとるため逆に自分の呼吸を読ませないように考えた結果、左腕が上がって口元を隠すフォームに行き着いたという。 早いボールカウントから積極的に踏み込んで打ちに行く傾向があり、ファーストストライク時の打率が高く広角に長打を打ち分けることができる。これは高校時代に練習で打球が左翼後方のテニスコートやプールに飛び込むことが多く、他の部から苦情が頻出したことから監督に「危ないから右に打て」と指示されて取り組んだという。本人曰く「ゴルフのピッチング・ウェッジを打つ感覚」で右手を押し込む強さを加減して打球の飛距離を調節できると言い、宮本慎也からは「天才」と評された。10打席に1つ近い割合で四球を選ぶ選球眼も兼ね備える。一方でバントは苦手としており、犠牲バントのサインが出ると「(投手が)楽なところに投げてこないかなぁ」と毎回思うという。また、狙った場面で犠牲フライを打つ技術も持ち合わせている。 西武時代は遊撃手としてプレーし、守備では下半身と地肩を活かしたプレーを特徴とする。レギュラーに定着した頃は失策数も多かったが、ゴールデングラブ賞を受賞した2008年から守備練習を増やした結果徐々に堅実さが加わり、2010年にはリーグ2位の守備率を記録するなど例年守備率を向上させている。一方で遊撃手としては守備範囲が狭く、2010年には守備イニング1000以上の同ポジション中で両リーグワーストのUZR-19.4を記録し、2012年にも両リーグワーストのUZR-23.2を記録した。アスレチックス傘下のAAAサクラメント、AAミッドランドでは遊撃手だけでなく、三塁手や二塁手としても起用された他、2014年シーズンの終盤は一塁手も経験した。日本復帰後、守備を指導した森脇浩司監督は「まだまだ伸びしろがあるし、天性でやっている部分もある。理にかなうことが大事」と語っている。 オリックス1年目の2015年には、主に一塁手や指名打者として出場。安達が遊撃手のレギュラーに定着していたことや、中島自身に故障が相次いだことなどから、遊撃手としての先発出場は1試合にとどまった。しかし、安達が前述の事情で出遅れた2016年には、開幕の当初に遊撃を守った。 走塁では一塁到達タイムは5秒台が多く、良くて4.25秒と足が速いほうではないがベースランニングは上手い。三塁打時には12秒台前半を記録し、盗塁成功率も日本での通算約75パーセントを誇る。このためメジャーリーグのスカウトからは「スピードのあるマイケル・ヤング」「頭脳的なベースランニングのラン(得点)・プロデューサー」と評価された。 西武時代の背ネームH.NAKAJIMAは同チームに名字が同じ読みの中嶋聡が在籍していたことによる。中嶋聡の退団後、中島がH.が付いた表記を気に入っていたことから継続された。 西武の後輩野手たちからは「打撃のアドバイスを求めても、返答は擬音が多くてわかりにくい」「時々何を言っているのか理解できないことがある」と言われている。球場に来た長嶋茂雄から打撃指導を受けた際、長嶋独特の擬音を交えた指導にほかの西武の選手が首をかしげる中、中島のみ「長嶋さんの理論がわかりました」と語ったという。 女性人気が高く、2010年のバレンタインデーにはチームNo.1となる120個のチョコレートが届いた。一方でファン感謝デーなどの際にいきなり女性に尻を揉まれるといったことも頻発しており、試合だけでなくこれらの行事などでもファウルカップを着用している。 シーズンオフにはチームメイトの伝を頼って海外に一人旅に出ることが多く、2008年にはアレックス・カブレラの出身国であるベネズエラ、2009年は同じくヒラム・ボカチカのプエルトリコに旅に出ている。その当時は特にスペイン語ができるわけでもないのに物怖じせずに旅に出る姿勢から、金村義明から「絶対メジャーリーグ向きだ」と評された。2013年に米国に渡ったときにはスペイン語、英語とも片言レベルながら外国人選手と交流できるようになっている。 現在の妻で4歳年上の相沢とは、2011年1月に、女性ファッション誌の対談連載企画で初対面。その直後に中島が相沢にデートを申し込んだことをきっかけに、同年5月頃から交際が始まった。中島がアスレチックスに在籍していた時期にも、遠距離恋愛を続けていたという。オリックス入団後の2015年に、第1子の誕生がきっかけで結婚を決意。 2016年から自身の登録上の名前を「宏之」に変更したのは、長女の命名を依頼した姓名判断関係者から、「(自身の名前に)『宏』の字を入れた方が良い」と勧められたことによる。 2025年の開幕前時点で一軍公式戦において2004年限りで消滅した近鉄を含む13球団と対戦歴のある唯一のNPB所属現役選手となった。 2024年度シーズン終了時 各年度の太字はリーグ最高 -は10位未満(打率、OPSは規定打席未到達の場合も-と表記) 2024年度シーズン終了時 各年度の太字はリーグ最高 太字年はゴールデングラブ賞受賞 最高出塁率:2回(2008年、2009年) 最多安打:1回(2009年) ベストナイン:4回(遊撃手部門:2008年、2009年、2011年、2012年) ゴールデングラブ賞:3回(遊撃手部門:2008年、2011年、2012年) 月間MVP:1回(打者部門:2012年6月) 月間サヨナラ賞:1回(2018年9・10月) 日本シリーズ優秀選手賞:1回(2008年) オールスターゲーム新人賞(2004年) オールスターゲーム優秀選手賞:1回(2006年第2戦) オールスターゲームベストプレー賞:1回(2009年第2戦) 所沢市特別顕彰:1回(2009年)※第2回WBC日本代表のチームメンバーとして 初出場・初先発出場:2002年10月6日、対日本ハムファイターズ28回戦(東京ドーム)、5番・指名打者として先発出場 初打席・初安打:同上、2回表に金村曉から右前安打 初打点:2003年8月3日、対日本ハムファイターズ21回戦(西武ドーム)、4回裏に関根裕之から中前適時打 初本塁打:2003年8月5日、対福岡ダイエーホークス21回戦(福岡ドーム)、2回表に寺原隼人から左越ソロ 初盗塁:2003年8月12日、対大阪近鉄バファローズ22回戦(西武ドーム)、9回裏に二盗(投手:髙村祐、捕手:藤井彰人) 100本塁打:2009年6月21日、対東京ヤクルトスワローズ4回戦(明治神宮野球場)、1回表に石川雅規から左越2ラン ※史上255人目 1000安打:2010年7月20日、対福岡ソフトバンクホークス14回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)、7回表に杉内俊哉から右前安打 ※史上259人目 1000試合出場:2011年6月30日、対オリックス・バファローズ6回戦(京セラドーム大阪)、3番・遊撃手として先発出場 ※史上444人目 150本塁打:2012年4月7日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(西武ドーム)、4回裏に岩嵜翔から左越ソロ ※史上157人目 100死球:2012年5月3日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(西武ドーム)、6回裏に美馬学から ※史上17人目 1500安打:2016年5月28日、対埼玉西武ライオンズ10回戦(ほっともっとフィールド神戸)、6回裏に武隈祥太から中前安打 ※史上119人目 300二塁打:2017年6月7日、対阪神タイガース2回戦(京セラドーム大阪)、2回裏に能見篤史から左翼線二塁打※史上68人目 1500試合出場:2017年6月17日、対横浜DeNAベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、5番・三塁手として先発出場 ※史上119人目 200本塁打:2020年8月14日、対中日ドラゴンズ10回戦(東京ドーム)、6回裏にルイス・ゴンサレスから左越3ラン ※史上107人目 9試合連続打点:2007年 1イニング2盗塁死:2012年3月31日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(札幌ドーム)、3回表に記録(田中賢介の悪送球で一塁に残った) ※史上初 2年連続2桁犠飛(2010年、2011年) ※史上初 4試合連続猛打賞:2012年7月15日 - 17日、25日 ※西武球団新記録 2年連続3割20本塁打20盗塁(2008年、2009年) ※史上5人目 全球団から本塁打:2016年9月22日、対埼玉西武ライオンズ25回戦(京セラドーム大阪)、7回裏にブライアン・ウルフから左越2ラン ※史上31人目(大阪近鉄・東北楽天の両球団を含む13球団からの達成者は史上8人目) オールスターゲーム出場:8回(2004年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2012年) 56(2001年 - 2003年) 3(2004年 - 2012年) 1(2015年 - 2018年) 5(2019年 - 2023年) 9(2024年 - ) 中島 裕之(なかじま ひろゆき、2001年 - 2012年、2015年) 中島 宏之(なかじま ひろゆき、2016年 - ) 「Keep It Comin'」Uncle Kracker(2004年) 「X Gon' Give It To Ya」DMX(2004年) 「River Don't Runnn feat. Murphy Lee & Stephen Marley」Nelly(2004年) 「Where The Hood At」DMX(2005年) 「Get It Poppin' feat. Nelly」Fat Joe(2005年 - 2006年) 「If I Can't」50Cent(2006年) 「My Humps」The Black Eyed Peas(2007年) 「Beautiful Girls」Sean Kingston(2008年) 「キセキ」GReeeeN(2008年 - 2012年、2015年) 「歩み」GReeeeN(2009年) 「Moves Like Jagger feat. Christina Aguilera」Maroon 5(2015年 - 2016年) 「予襲復讐」マキシマム ザ ホルモン(2015年) 「Whistle」Flo Rida(2016年) 「Magic Stick feat. 50 Cent」Lil' Kim(2016年) 「Shake Ya Tailfeather」Nelly, P. Diddy & Murphy Lee(2004年、2017年 - 2018年) 「In Da Club」50Cent(2019年 - 2020年10月31日) 「Ayy Macarena」Tyga(2020年 - 2021年) 「INDUSTRY BABY」Lil Nas X(2022年) 「Outta Control (Remix) feat. Mobb Deep」50Cent(2022年途中) 「Way Back Home feat. Conor Maynard (Sam Feldt Edit)」SHAUN(2022年途中) アンダーアーマー「アスリートを進化させる<中島>」篇(2009年) 大塚製薬「ポカリスエット」(2009年、川﨑宗則と共演) 中島裕之 進化する若獅子、背番号3(PCBE-53174 2010年4月21日発売、販売元:ポニーキャニオン、発売元:ジェイ・スポーツ・ブロードキャスティング) 中島裕之の今日も一発やったるで!(文化放送ライオンズナイター内、イニング間のコーナー。主に中島選手へのインタビュー) ^ 2014年9月のインタビューで「(MLBで)何試合かだけ出るんやったら、全く出ん方が、ええかなあと。出れんのやったら、まあ、(日本で)出た方がいいなあとも思うし…。今は何とも言えない状況ですね。中途半端に出てね、ヒット1本ぐらい打って、日米通算って言われても嫌やし、だからそんなんやったら、全く出んでも…」と答えた。 ^ ただし、共にかつての後輩だった西武の中村剛也と栗山巧は他球団に移籍した場合、現在の所属球団と対戦すれば、達成できる可能性が残されている。 ^ 安藤宏樹「【中日】前巨人の中島宏之が入団会見「また勝負できる」2000万円+出来高で再スタート」『日刊スポーツ』2023年11月29日。2023年11月29日閲覧。 ^ 「年俸87%ダウンからの大逆襲。巨人・中島宏之「38歳の復活劇」を語る」『web Sportiva』2020年9月11日。2021年2月4日閲覧。 ^ 「オリックス中島裕之パパ婚 相沢紗世9月に女児出産」『日刊スポーツ』2015年10月15日。2021年3月25日閲覧。 ^ 2009年3月10日2時っチャオ「ニュースチャオ蔵」より ^ 「兵庫人 挑む」『神戸新聞』2008年6月15日。2010年5月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月20日閲覧。 ^ 『シリーズにっぽんの高校野球 vol.10 兵庫編』(ベースボール・マガジン社) ^ 『朝日新聞』2000年11月25日付朝刊 (14版、18面) ^ 「第89回全国高等学校野球選手権 兵庫大会 - 感動アーカイブ」『神戸新聞』。2010年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月20日閲覧。 ^ 「プロフェッショナルの条件 中島裕之」『@type』。2011年12月8日閲覧。 ^ 「名伯楽が頭下げて起用打診 オリ中島に期待される“恩返し”」『日刊ゲンダイDIGITAL』2015年3月5日。2021年6月11日閲覧。 ^ 「真っ向勝負の首位打者争い。」『Number Web』2008年10月24日。2011年12月8日閲覧。 ^ 「西武中島「ホンマですか!」2億円」『日刊スポーツ』2012年12月18日。2021年3月25日閲覧。 ^ 「中島メジャー希望伝える 球団は「残留」」『日刊スポーツ』2010年10月30日。2012年1月11日閲覧。 ^ 「中島裏切られた…西武「勝手に」残留発表」『日刊スポーツ』2010年10月31日。2012年1月11日閲覧。 ^ 「レオVsオリ遺恨勃発!中島死球で大乱闘」『サンケイスポーツ』2011年7月12日。2021年9月20日閲覧。 ^ 「中島裕之選手のポスティングについて」『埼玉西武ライオンズ』2011年11月22日。2012年1月11日閲覧。 ^ 「ジャイアンツ本命 中島12月3日にも落札球団判明へ」『スポニチ Sponichi Annex』2011年11月29日。2012年1月11日閲覧。 ^ 「中島裕之選手のポスティング入札について」『埼玉西武ライオンズ』2011年12月8日。2011年12月8日閲覧。 ^ 「ヤンキース落札額、約2億円=中島入札で西武が発表-プロ野球」『時事通信』2011年12月8日。2011年12月8日閲覧。 ^ 「中島、ヤンキースとの交渉決裂=西武残留へ-米大リーグ」『時事通信』2012年1月6日。2012年1月6日閲覧。 ^ 「中島選手の契約更改について」『埼玉西武ライオンズ』2012年1月10日。2012年1月11日閲覧。 ^ 「「西武の中島」現状維持で笑顔の契約更改」『日刊スポーツ』2012年1月11日。2012年1月11日閲覧。 ^ 2打席連続敬遠に対し、ナカジ抗議の空振り!! 2012.10.06 L-M - YouTube ^ 「A's set to announce Nakajima signing Tuesday」『MLB.com』(英語)、2012年12月17日。2012年12月17日閲覧。 ^ 「Hiro's welcome:A's introduce popular Nakajima」『MLB.com』(英語)、2012年12月18日。2012年12月18日閲覧。 ^ 「「やる自信だけはある」/中島一問一答」『日刊スポーツ』2012年12月19日。2012年12月19日閲覧。 ^ 「ワクワク!興奮/中島一問一答」『日刊スポーツ』2012年12月19日。2012年12月19日閲覧。 会見ではアスレチックスとの契約の理由についての問いに対しての「まぁ、(GMの)ビリー・ビーンが格好いいと…」という答えを通訳が「Billy Beane is extremely sexy and cool(ビリー・ビーンがセクシー&クールだから)」と英訳し、Twitterやアメリカのメディアで話題となった。「「セクシー&クール」中島の名言米に拡散」『日刊スポーツ』2012年12月21日。2012年12月22日閲覧。 ^ 「中島、8戦連続の無安打」『スポーツ報知』2013年3月25日。2021年9月20日閲覧。 ^ 「中島が9試合ぶりヒットも左太もも裏故障が発生」『サンスポ』2013年3月26日。2021年9月20日閲覧。 ^ 「中島 残りのOP戦欠場へ」『スポーツニッポン』2013年3月29日。2021年3月25日閲覧。 ^ 「A's option Figueroa and Parrino to Sacramento; place Nakajima on DL」『MLB.com A's Press Release』(英語)、2013年3月30日。2014年3月30日閲覧。 ^ 「中島 患部の不調訴え再検査へ」『日刊スポーツ』2013年5月6日。2021年3月25日閲覧。 ^ 「A's reinstate Nakajima from the DL and option him to Sacramento」『MLB.com A's Press Release』(英語)、2013年5月23日。2014年3月30日閲覧。 ^ 「A's Announce Opening Day Roster」『MLB.com A's Press Release』(英語)、2014年3月29日。2014年4月3日閲覧。 ^ 「2014 Midland RockHounds」『Baseball-Reference.com』(英語)。2021年9月20日閲覧。 ^ 「中島が左手首骨折、送球処理で走者と衝突」『日刊スポーツ』2014年9月6日。2014年9月10日閲覧。 ^ 「A's decline to exercise Nakajima's contract option」『ESPN MLB』(英語)、2014年10月30日。2014年12月24日閲覧。 ^ 「The 2014 Ultimate Free-Agent Tracker」『Yahoo! 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髙橋宏斗 20 涌井秀章 22 大野雄大 24 福谷浩司 26 石森大誠 28 森博人 31 仲地礼亜 33 祖父江大輔 34 福敬登 36 福田幸之介 38 松葉貴大 41 勝野昌慶 46 梅野雄吾 47 砂田毅樹 48 土生翔太 50 清水達也 54 藤嶋健人 59 齋藤綱記 64 福島章太 67 上田洸太朗 69 松木平優太 90 松山晋也 91 メヒア 92 マルティネス 93 フェリス 96 加藤竜馬 35 木下拓哉 39 宇佐見真吾 43 味谷大誠 49 加藤匠馬 57 山浅龍之介 58 石橋康太 2 田中幹也 3 高橋周平 5 村松開人 6 中田翔 9 中島宏之 25 石川昂弥 27 津田啓史 29 辻本倫太郎 32 石垣雅海 45 龍空 60 山本泰寛 66 ビシエド 68 福永裕基 95 ロドリゲス 97 樋口正修 99 カリステ 00 尾田剛樹 1 岡林勇希 4 鵜飼航丞 8 大島洋平 30 三好大倫 37 濱将乃介 42 ブライト健太 44 川越誠司 51 上林誠知 52 加藤翔平 53 後藤駿太 55 細川成也 63 板山祐太郎 94 ディカーソン 208 石川翔 210 岡田俊哉 212 野中天翔 213 森山暁生 214 近藤廉 216 菊田翔友 215 日渡騰輝 207 星野真生 218 川上理偉 209 福元悠真 220 モニエル 表 話 編 歴 1957 豊田泰光 1958 中西太 1959 杉山光平 1960 近藤和彦 1961 塩原明 1962 岩下光一 1963 王貞治 1964 K.ハドリ 1965 林俊彦 1966 長嶋茂雄 1967 D.スペンサー 1968 柴田勲 1969 足立光宏 1970 黒江透修 1971 黒江透修 1972 長嶋茂雄 1973 高田繁 1974 山崎裕之 1975 中沢伸二, 外木場義郎 1976 B.ウイリアムス 1977 福本豊 1978 若松勉 1979 水谷実雄 1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰 1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正 1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義 1983 田淵幸一, テリー, 中畑清 1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊 1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二 1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実 1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己 1988 清原和博, 森山良二, 郭源治 1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸 1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤 1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎 1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也 1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也 1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦 1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾 1996 大島公一, 鈴木平, イチロー 1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛 1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広 1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司 2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成 2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満 2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之 2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎 2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信 2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁 2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲 2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博 2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広 2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一 2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平 2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩 2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー 2013 田中将大, 銀次, 内海哲也 2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太 2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太 2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔 2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大 2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃 2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩 2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐 2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎 2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆 2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸 2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ 表 話 編 歴 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 イチロー 1998 イチロー 1999 松井稼頭央 2000 小笠原道大 2001 小笠原道大 2002 松井稼頭央 2003 谷佳知 2004 松中信彦, 川﨑宗則 2005 和田一浩 2006 大村直之 2007 稲葉篤紀 2008 栗山巧, 片岡易之 2009 中島裕之 2010 西岡剛 2011 坂口智隆 2012 内川聖一 2013 長谷川勇也 2014 中村晃 2015 秋山翔吾 2016 角中勝也 2017 秋山翔吾 2018 秋山翔吾 2019 秋山翔吾 2020 柳田悠岐 2021 荻野貴司 2022 島内宏明 2023 柳田悠岐 2024 辰己涼介 表 話 編 歴 1962 張本勲 1963 ブルーム 1964 張本勲 1965 D.スペンサー 1966 榎本喜八 1967 張本勲 1968 張本勲 1969 張本勲 1970 張本勲 1971 江藤慎一 1972 張本勲 1973 張本勲 1974 張本勲 1975 小川亨 1976 加藤秀司 1977 加藤秀司 1978 佐々木恭介 1979 加藤英司 1980 栗橋茂 1981 門田博光 1982 落合博満 1983 スティーブ 1984 スティーブ 1985 落合博満 1986 落合博満 1987 門田博光 1988 門田博光 1989 松永浩美 1990 清原和博 1991 白井一幸 1992 清原和博 1993 辻発彦 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 イチロー 1997 鈴木健 1998 片岡篤史 1999 イチロー 2000 イチロー 2001 中村紀洋 2002 A.カブレラ 2003 小笠原道大 2004 松中信彦 2005 松中信彦 2006 松中信彦 2007 T.ローズ 2008 中島裕之 2009 中島裕之 2010 A.カブレラ 2011 糸井嘉男 2012 糸井嘉男 2013 E.ヘルマン 2014 糸井嘉男 2015 柳田悠岐 2016 柳田悠岐 2017 柳田悠岐 2018 柳田悠岐 2019 近藤健介 2020 近藤健介 2021 吉田正尚 2022 吉田正尚 2023 近藤健介 2024 近藤健介 表 話 編 歴 1950 木塚忠助 1951 木塚忠助 1952 木塚忠助 1953 木塚忠助 1954 L.レインズ 1955 木塚忠助 1956 豊田泰光 1957 豊田泰光 1958 葛城隆雄 1959 豊田泰光 1960 豊田泰光 1961 豊田泰光 1962 豊田泰光 1963 小池兼司 1964 小池兼司 1965 小池兼司 1966 小池兼司 1967 大下剛史 1968 阪本敏三 1969 阪本敏三 1970 阪本敏三 1971 阪本敏三 1972 大橋穣 1973 大橋穣 1974 大橋穣 1975 大橋穣 1976 大橋穣 1977 石渡茂 1978 真弓明信 1979 石渡茂 1980 高代延博 1981 石毛宏典 1982 石毛宏典 1983 石毛宏典 1984 弓岡敬二郎 1985 石毛宏典 1986 石毛宏典 1987 水上善雄 1988 田中幸雄 1989 田辺徳雄 1990 田中幸雄 1991 小川博文 1992 田辺徳雄 1993 広瀬哲朗 1994 広瀬哲朗 1995 田中幸雄 1996 田中幸雄 1997 松井稼頭央 1998 松井稼頭央 1999 松井稼頭央 2000 松井稼頭央 2001 松井稼頭央 2002 松井稼頭央 2003 松井稼頭央 2004 川﨑宗則 2005 西岡剛 2006 川﨑宗則 2007 TSUYOSHI 2008 中島裕之 2009 中島裕之 2010 西岡剛 2011 中島裕之 2012 中島裕之 2013 鈴木大地 2014 今宮健太 2015 中島卓也 2016 鈴木大地 2017 今宮健太 2018 源田壮亮 2019 源田壮亮 2020 源田壮亮 2021 源田壮亮 2022 今宮健太 2023 紅林弘太郎 表 話 編 歴 1972 大橋穣 1973 大橋穣 1974 大橋穣 1975 大橋穣 1976 大橋穣 1977 大橋穣 1978 大橋穣 1979 高代延博 1980 水上善雄 1981 石毛宏典 1982 石毛宏典 1983 石毛宏典 1984 弓岡敬二郎 1985 石毛宏典 1986 石毛宏典 1987 弓岡敬二郎 1988 田中幸雄 1989 田辺徳雄 1990 田中幸雄 1991 田中幸雄 1992 田辺徳雄 1993 広瀬哲朗 1994 広瀬哲朗 1995 田中幸雄 1996 田中幸雄 1997 松井稼頭央 1998 松井稼頭央 1999 小坂誠 2000 小坂誠 2001 小坂誠 2002 松井稼頭央 2003 松井稼頭央 2004 川﨑宗則 2005 小坂誠 2006 川﨑宗則 2007 TSUYOSHI 2008 中島裕之 2009 金子誠 2010 西岡剛 2011 中島裕之 2012 中島裕之 2013 今宮健太 2014 今宮健太 2015 今宮健太 2016 今宮健太 2017 今宮健太 2018 源田壮亮 2019 源田壮亮 2020 源田壮亮 2021 源田壮亮 2022 源田壮亮 2023 源田壮亮 2024 源田壮亮 表 話 編 歴 77 星野仙一 88 田淵幸一(ヘッド兼打撃) 72 大野豊(投手) 80 山本浩二(守備走塁) 11 川上憲伸 13 岩瀬仁紀 15 田中将大 16 涌井秀章 17 成瀬善久 18 ダルビッシュ有 19 上原浩治 21 和田毅 28 藤川球児 47 杉内俊哉 10 阿部慎之助 22 里崎智也 39 矢野輝弘 2 荒木雅博 3 中島裕之 6 宮本慎也 7 西岡剛 25 新井貴浩 52 川﨑宗則 55 村田修一 23 青木宣親 31 森野将彦 41 稲葉篤紀 46 佐藤隆彦 表 話 編 歴 83 原辰徳 72 伊東勤(総合) 71 山田久志(投手) 92 与田剛(投手) 81 篠塚和典(打撃) 63 高代延博(内野守備走塁) 73 緒方耕一(外野守備走塁) 11 ダルビッシュ有 14 馬原孝浩 15 田中将大 16 涌井秀章 18 松坂大輔 19 岩田稔 20 岩隈久志 22 藤川球児 26 内海哲也 28 小松聖 31 渡辺俊介 39 山口鉄也 47 杉内俊哉 2 城島健司 10 阿部慎之助 29 石原慶幸 5 栗原健太(追加招集) 6 中島裕之 7 片岡易之 8 岩村明憲 9 小笠原道大 25 村田修一(途中離脱) 52 川﨑宗則 1 福留孝介 23 青木宣親 24 内川聖一 35 亀井義行 41 稲葉篤紀 51 イチロー 表 話 編 歴 1位:大沼幸二(逆指名) 2位:三井浩二(逆指名) 3位:帆足和幸 4位:佐藤友亮 5位:中島裕之 6位:野田浩輔 7位:水田圭介 8位:福井強 埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手 日本の野球選手 オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手 オークランド・アスレチックス傘下の選手 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手 NPBオールスターゲーム選出選手 野球日本代表選手 オリンピック野球日本代表選手 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表選手 2009 ワールド・ベースボール・クラシック選手 ワールド・ベースボール・クラシック優勝選手 在アメリカ合衆国日本人の野球選手 兵庫県立伊丹北高等学校出身の人物 兵庫県出身のスポーツ選手 1982年生 存命人物 最高出塁率 (NPB) Pages using the JsonConfig extension ISBNマジックリンクを使用しているページ 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/19 21:21更新
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nakajima hiroyuki
中島裕之と同じ誕生日7月31日生まれ、同じ兵庫出身の人
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