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横山エンタツの情報 (よこやまえんたつ)
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【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

横山エンタツの情報(よこやまえんたつ) 漫才師 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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横山 エンタツさんについて調べます

■名前・氏名
横山 エンタツ
(読み:よこやま えんたつ)
■職業
漫才師
■横山エンタツの誕生日・生年月日
1896年4月22日 (年齢74歳没)
申年(さる年)、牡牛座(おうし座)
■出身地・都道府県
兵庫出身

横山エンタツと同じ1896年生まれの有名人・芸能人

横山エンタツと同じ4月22日生まれの有名人・芸能人

横山エンタツと同じ出身地兵庫県生まれの有名人・芸能人


横山エンタツと関係のある人

益田喜頓: 初笑い寛永御前試合 1953年 監督斎藤寅次郎、主演花菱アチャコ、共演江川宇礼雄、光岡早苗、キドシン、森川信、堺駿二、清川虹子、藤間紫、内海突破、横山エンタツ、シミキン、古川ロッパ、川田晴久、小笠原章二郎、伴淳三郎、柳家金語楼、神楽坂はん子 ※新東宝


青芝フック: 最初立原博に師事以降白木みのる、横山エンタツ、にそれぞれに師事し吉本新喜劇の研究生として芸能界に入る。


内海突破: 10人目の相方・並木一路とのコンビで、1940年頃から横山エンタツ・花菱アチャコらと並び称される人気者になる。


萩原章: 『十六文からす堂 千人悲願』 : 監督 原作山手樹一郎、脚本木下藤吉、撮影平野好美、出演黒川弥太郎、市川春代、横山エンタツ、久保幸江、大友柳太郎


滝トール: 学生時代から漫才が好きで友人と素人参加の演芸番組などに出演していた、出演した番組では司会だったのが漫画トリオ、審査員が横山エンタツ、花菱アチャコであった。


西川のりお: その後相方の脱退で1970年11月、「横中バック・ケース」を結成し、横中バックとして売れない下積み時代を過ごす(名前の由来は横山エンタツ・花菱アチャコの<横>、中田ダイマル・ラケットの<中>を足して屋号にした)。


海部剛史: 吉本百年物語 笑う門には、大大阪(2012年、なんばグランド花月) - 横山エンタツ


中田ラケット: 当時歌や三味線もこなせたデパートは音曲漫才指向で、ダイマルが憧れた横山エンタツ・花菱アチャコのようなしゃべくり漫才にはまったく関心がなかった。


リーガル千太: 金語楼は吉本興業の芸人であり、上方・吉本のしゃべくり漫才、横山エンタツ・花菱アチャコの成功を間近で見た。


中田ラケット: 横山エンタツ・花菱アチャコ、夢路いとし・喜味こいしらの正統派しゃべくり漫才の系譜とは一線を画し、奇抜な着想から作りこんだ奇妙なシチュエーションをもとに緻密な計算の行き届いた展開や構成で笑わせるタイプの天才肌漫才であった。


板尾創路: 吉本百年物語 キミとボクから始まった(2012年) - 横山エンタツ


チャーリー浜: 1960年に花登筐が主宰する「笑いの王国」に入り(当初は大村崑のそっくりさんとして売り出された)このころに花紀京に出会い花紀の父横山エンタツの自宅に居候で寝食を共にし芸を磨く。


香川登志緒: 初代中村鴈治郎、初代桂春團治、横山エンタツ・花菱アチャコなどの芸に親しみ、のちに桂米朝から「大阪の笑芸の古い話を聞きたい時は香川さんに」といわせるほどの、笑いについての知識を身につける。


花紀京: 父は漫才師の横山エンタツで、エンタツの次男でありながら少年時代は笑芸に興味がなく、中学時代まで父親が喜劇人エンタツであることを認識していなかった。


中山美保: 夫は横山エンタツの長男で、テレビ制作者の石田正治。


武智豊子: エンタツちょび髭漫遊記 (1952年) 主演横山エンタツ ※宝プロダクション


高尾光子: 『これは失礼』 : 監督・脚本岡田敬、原作秋田実、主演花菱アチャコ・横山エンタツ、製作提携吉本興業


林正之助: 初代桂春團治・横山エンタツ・花菱アチャコ等の多くの芸人を育て上げ、なんば花月、うめだ花月等の劇場もオープンさせるなど、吉本興業を日本最大手の芸能事務所に発展させた。


柳家金語楼: 大阪の横山エンタツ・花菱アチャコが新しい形の漫才を演じると、これに触発され、一門の柳家梧楼と柳家緑朗に高座で掛け合いを演じさせた。


明石家さんま: 「この後二人は横山エンタツ・花菱アチャコとなり漫才を始めました」と言ってサゲたという。


森光子: 横山エンタツの相手役として、翌年の続編『エンタツの名探偵』にも出演し、その後は開局間もない民放ラジオ番組にも起用され始める。


西岡慶子: 1960年頃には吉本ヴァラエティ(現在の吉本新喜劇)に出演しており、横山エンタツ、花菱アチャコ、笑福亭松之助、白木みのるらと共演。


中田カウス: 横山エンタツに弟子入りを志願するも「引退している」という理由で断られ、暁伸のもとを訪ねたところ、音楽ショウのあひる艦隊を紹介され、ボーヤとなる。


リーガル万吉: 金語楼は吉本興業の芸人であり、上方・吉本のしゃべくり漫才、横山エンタツ・花菱アチャコの成功を間近で見た。


中田ダイマル: 横山エンタツ・花菱アチャコ、夢路いとし・喜味こいしらの正統派しゃべくり漫才の系譜とは一線を画し、奇抜な着想から作りこんだ奇妙なシチュエーションをもとに緻密な計算の行き届いた展開や構成で笑わせるタイプの天才肌漫才であった。


花菱アチャコ: 1930年、当時吉本興業で総支配人の座にあった林正之助の勧めに従い、横山エンタツとふたたびコンビを組んだ。


花菱アチャコ: 1919年に一度だけ横山エンタツと座を組み、幕間に「しゃべくり漫才」を試演するが不評に終わり、客からはみかんの皮を投げられるほどであった。


中田ダイマル: 当時歌や三味線もこなせたデパートは音曲漫才指向で、ダイマルが憧れた横山エンタツ・花菱アチャコのようなしゃべくり漫才にはまったく関心がなかった。


柳家金語楼: 戦前は吉本興業(東京吉本)に所属し、横山エンタツ・花菱アチャコ・柳家三亀松・川田義雄と共に吉本の五大スターと称された。こうしたこともあって、現在でも吉本の社内では金語楼の功績は高く評価されており、大阪・難波にある吉本直営の演芸場・なんばグランド花月では、正面入り口に横山エンタツ・花菱アチャコ、あきれたぼういずらと共に、金語楼の大きな肖像画が掲げられていた。


秋田実: 同年秋に大阪朝日新聞文芸部の白石凡は、横山エンタツ・花菱アチャコのしゃべくり漫才をキタの花月の寄席で見て、前年のコンビ結成以来漫才を自作してきたエンタツによい漫才作者がつけば、さらに新しいマンザイが期待できると考え、その年の暮、藤沢桓夫に紹介されて交流のあった秋田をエンタツに引き合わせる。


横山エンタツの情報まとめ

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横山 エンタツ(よこやま えんたつ)さんの誕生日は1896年4月22日です。兵庫出身の漫才師のようです。

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歴代相方、人物・芸風・エピソードなどについてまとめました。現在、解散、映画、テレビに関する情報もありますね。74歳で亡くなられているようです。

横山エンタツのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

横山 エンタツ(よこやま エンタツ、本名:石田 正見(いしだ まさみ)、1896年〈明治29年〉4月22日 - 1971年〈昭和46年〉3月21日)は、大正・昭和期の漫才師・俳優。

花菱アチャコとのコンビ(横山エンタツ・花菱アチャコ)によって、それまでの「萬歳」に代わる現在の(全国的に流布した)「しゃべくり漫才」のスタイルを発明し、今につながる漫才の形式の基礎を作った。漫才作家秋田實のよき相談者として上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献した。

「横山」の亭号を名乗る漫才師一門はエンタツを始祖とする。横山ノックらは弟子にあたる(一門については下記)。吉本新喜劇初期の出演者でもある。

兵庫県有馬郡三田町横山で生まれた(長沖一は、その著書『上方笑芸見聞録』の中で姫路としている)。祖父は元藩医で、父も医師であった。近所に軍人が多い環境で、父も軍医になって日露戦争へ出征したため、祖父母のもとに預けられる。終戦後、復員した父は姫路市で医院を開業。それにともない一家は姫路に移り住んだ。

旧制兵庫県立伊丹中学校(現在の兵庫県立伊丹高等学校)を2年で中退し、「馬賊になる」と言って家出。大正の初め頃、ソウル(京城)に住む叔父を頼り朝鮮へ渡ったが、「面倒をみられない」と言われ、叔父宅での居住を断念。その後、職を転々とした(このころ関西大学の夜間部に通ったという説もある)。演歌師に弟子入りしたり、炭坑で働いていたこともあったという。

1914年、新派の「綾田五郎一座」に入り初舞台。役者としての活動をはじめた。満州・大連で新派連鎖劇の一座に入り、旅順、奉天、長春と巡業をしていたとき、座長が裁判官に拘引され一座を解散、残った仲間で満州で小中村千代兵衛の一座に転じたのち、鉄嶺では活動写真巡業隊に入って声色師をやったがうまくいかず、帰国した。その後、時田一瓢一座に入り「横山瓢よこやま ひさご」を名乗った。「横山」は出身地から採ったもの。堀越一蝶一座に転じて「横山太郎」と改名、多くの巡業劇団に参加した。

1919年、花菱アチャコと一座を組み、幕間に「しゃべくり漫才」を試演するが、このときは不評に終わった。1922年、本格的に漫才を始める。 東京を拠点に活動をはじめた。1923年夏に横浜の朝日座と契約し漫才、民謡、安来節の芸人らと合流。同年9月、巡業中の横浜の旅館で関東大震災に遭遇し、倒壊した旅館の3階部分から地面へ投げ出され、鼻を骨折するなどの重傷を負ったため、一時帰阪している。

1928年ごろから、「横山エンタツ」を名乗りはじめた。東京・蔵前に住んでいた当時のエンタツの痩せた風貌が、蔵前のランドマークであった東京高等工業学校の煙突を思わせたことから、芸人仲間に「エンタツ(煙突の大阪訛り)」と呼ばれていたことが由来とされる。初期には「円辰」の字を充てていたとも、「横山エントツ」と名乗っていたともされる。1929年に自身の一座を結成し、同年8月31日から漫才師、浪曲師、踊り子など9人を引き連れて半年間アメリカ巡業に出る。興行的に失敗したが、そこで見たチャップリンなどの喜劇に大きな影響を受けた。

1930年に吉本興業に入社。

秋田實の助言で、漫才師として初めて背広姿で舞台に上がった。玉子屋円辰や砂川捨丸に代表されるように、従来の「万才(萬歳から呼び名が変わっていた)」は鼓を脇に持ち、和装であったものを、当時流行し始めた背広姿で、当時人気のあった東京六大学野球からネタをとった『早慶戦』などのネタに代表されるように、サラリーマンの日常会話を思わせる話題選びと展開の形式は画期的で、当初は舞台に出ると「ホンマの万才をやれ」と野次が飛んだというが、やがて、勃興したばかりの中産階級層を中心に人気を博していった。コンビが1934年に東京の新橋演舞場に出演した頃には、漫才は「落語と並ぶ地位を得た」と言われるようになる。

この東京公演の期間中、アチャコが中耳炎を悪化させ、それがもとで大阪に戻って間もなく入院してしまう。そのためエンタツはアチャコとのコンビを解消し、杉浦エノスケと組んだ。その後も舞台でエンタツ・アチャコのコンビが復活することはなかった。エンタツ・アチャコの本格的な活動期間は、のべ3年9か月であった。1941年、エンタツは「爆笑エンタツ劇団」を旗揚げし、全国巡業を開始した。

戦後、エンタツはNHKで『気まぐれショウボート』(1950年 - 1952年)、『エンタツちょびひげ漫遊記』(1952年 - 1953年)、『エンタツの名探偵』(1953年 - 1954年)など、長期にわたってラジオ番組のレギュラーを務めた。これらの番組は東映で映画化され、こちらもヒットとなった。ただし、アチャコの戦後のしたたかな大成功と比較すると見劣りがし、漫才コンビ時代と立場が逆転することとなった。息子である花紀京には「自分には芸の力がない」と弱音を吐いていたこともあったという。

1953年12月24日に千日前グランド劇場改築の杮落し公演で、エンタツはアチャコと久しぶりに客の前で漫才『僕の家庭』を披露した。同演目は1963年にはNHKで放送された「漫才の歴史」の番組『漫才繁盛記』(構成:小林信彦)においても披露された。

エンタツは1969年、大阪市から市民表彰を受けた。1971年に脳梗塞で死去した。74歳没。

歴代相方

中村種春(砂川捨丸の最初の相方。中村春代の師匠)、花菱アチャコ、杉浦エノスケと組んだ。

人物・芸風・エピソード

2本の指でちょび髭を押さえて「ハッハー、照れくさー」と言うのが唯一用いたギャグ。

アメリカ巡業からの帰国後、エンタツはアメリカで見た、店で買い物をしたときに渡される「買い物袋(=紙製のショッピングバッグのこと)」を日本で生産して当てようとし、原料の厚紙を輸入し、職人に作らせてデパートに売り込みに行ったが、「日本には風呂敷があるので不要です」と断られたという(アチャコ談)。

横山ホットブラザーズの「横山」は本名であり、エンタツ一門とは無関係である。

男女4人組の昭和歌謡バンド猫夜叉に「横山エントツ」と名乗る人物がいるが、他のメンバー(全員の芸名が横山姓)も含めてエンタツとは無関係である。

オール阪神・巨人に「二代目エンタツ・アチャコ」を継がせる話が持ち上がったが、本人たちが「畏れ多い」と固辞した。二人はエンタツ・アチャコの物真似を得意としている。

長男は関西テレビの元プロデューサー。長男の妻は吉本新喜劇の中山美保。次男は吉本興業に所属した喜劇俳優の花紀京。

2024/06/17 10:00更新

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