もしもし情報局 > 1984年 > 11月10日 > 野球選手

牧田和久の情報 (まきたかずひさ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月24日】今日誕生日の芸能人・有名人

牧田和久の情報(まきたかずひさ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

牧田 和久さんについて調べます

■名前・氏名
牧田 和久
(読み:まきた かずひさ)
■職業
野球選手
■牧田和久の誕生日・生年月日
1984年11月10日 (年齢39歳)
子年(ねずみ年)、蠍座(さそり座)
■出身地・都道府県
静岡出身

(昭和59年)1984年生まれの人の年齢早見表

牧田和久と同じ1984年生まれの有名人・芸能人

牧田和久と同じ11月10日生まれの有名人・芸能人

牧田和久と同じ出身地静岡県生まれの有名人・芸能人


牧田和久と関係のある人

小島脩平: 初打席:同上、1回裏に牧田和久から二塁ゴロ


細川亨: 5月13日の対西武戦の3回第1打席に牧田和久からショートへ内野安打を放ち、内川のタイムリー打で生還し、これが移籍後古巣からの初安打・初得点となった。


新田玄気: 初本塁打:同上、7回裏に牧田和久から左中間へ2ラン


高橋礼: 自主トレでは牧田和久・與座海人と共に『サブマリン合宿』を行った。


新田玄気: 5月15日には、「7番・捕手」として対埼玉西武ライオンズ戦(神宮)にスタメンで出場すると、7回裏の打席で一軍初本塁打を牧田和久からの2点本塁打で記録した。


石川亮: 初打席・初安打・初打点:同上、2回表に牧田和久から右前3点適時三塁打


山中浩史: 自身と同じアンダースローである牧田和久と先発で投げ合い、6回3失点という内容で一軍でのプロ初勝利を挙げた。


栗山巧: 翌9月4日の楽天戦の第4打席で牧田和久から左安打を放ち史上54人目の2000安打を達成。


マット=マートン: 6月6日の対埼玉西武ライオンズ戦(甲子園)の9回裏には、自身ではNPB初、阪神球団通算では100本目のサヨナラ本塁打を牧田和久から記録。


大谷翔平: オールスターには2位の牧田和久と28万票以上の大差をつけ、投手部門で選出。


渡辺久信: 後半戦以降、新人の牧田和久を抑え投手として抜擢し、セットアッパーとして起用したミンチェ・岡本篤志の2人と併せて勝ち試合における継投パターンを確立して投手陣をてこ入れし、さらに中島裕之をキャプテンに任命してチームの建て直しを図った。


中田翔: 開幕17戦で本塁打0だったが、4月17日の対楽天戦(東京ドーム)の1回に8年ぶりのNPBでの登板だった田中将大から先制2ランとなるシーズン第1号を打ち、さらに6回に牧田和久から2号ソロ本塁打を打ち田中のNPBでの連勝記録を「28」で止めた。


徳山武陽: 初奪三振:同上、2回表に牧田和久から空振り三振


川端崇義: 同郷の同級生である牧田和久と増井浩俊(いずれも投手)とは、後にオリックスの外野手として、パシフィック・リーグ(パ・リーグ)の公式戦で相まみえている


則本昂大: 先発した第3戦で5回を無安打無失点の快投を見せ、その後も西勇輝、牧田和久、西野勇士が無安打無失点を続け日米野球史上初の継投ノーヒットノーランを達成した。


小島脩平: 初安打:同上、3回裏に牧田和久から左前安打


西勇輝: 後を継いだ牧田和久・西野勇士も無安打無失点を続けたことから、日米野球史上初の継投ノーヒットノーラン達成に至った。


アレックス=グラマン: 抑えは新人の牧田和久が抜擢されたため、中継ぎに回り、登板数は増やすも29試合に留まった上に防御率は4点台に終わり、四球も多いなど投球内容には波のあるシーズンとなった。


増井浩俊: 増井と同じく焼津市出身の牧田和久と川端崇義とは同学年で、小学校時代から対戦の経験がある。


渡邊俊介: 自身の技術向上に熱心かつ謙虚で、2011年の西武とのオープン戦で同じアンダースローのルーキー・牧田和久と投げ合った際には牧田に「チェンジアップを教えて欲しい」と頼んだことがある。


髙橋朋己: 同月下旬に中継ぎに配置転換され、8月6日の対楽天戦では先発から抑えに配置転換された牧田和久がセーブを挙げた。


渡邊俊介: 父・俊介と同じアンダースローではあるものの、父ではなく、中川颯や牧田和久が参考にされている。


石川亮: 2回表に初打席を迎え牧田和久から右前に3点適時三塁打を打った。


長谷川勇也: 特に埼玉西武ライオンズとのクライマックスシリーズファイナルステージ第3戦には、10回に涌井秀章から同点適時打を打ち、12回には牧田和久からサヨナラ適時打を打ちチームのCS突破に貢献した。


福田秀平: クライマックスシリーズファイナルステージは2試合に出場し、11月5日第3戦では10回1点ビハインドで代走から出場し、長谷川の適時打で同点の走者として二塁から生還、12回同点の場面では牧田和久から二塁打を打ち、長谷川の安打で二塁からサヨナラの走者として生還しクライマックスシリーズ突破に貢献した。


坂本勇人: 5月20日、対西武戦(西武ドーム)で初回一死一塁の場面で牧田和久から左前安打を放ち、NPB史上277人目の通算1000安打を達成。


佐野泰雄: チームメイトとなる牧田和久は大学の先輩にあたり、佐野のドラフト指名が決定した際には牧田が電話でエールを送った。


平井克典: 前年にセットアッパーを務めた牧田和久とブライアン・シュリッターが共に退団し、開幕当初は守護神である増田達至へ繋ぐ勝ちパターンの継投が日替わり制となった。


隅田知一郎: 2022年、球団の新人では牧田和久(2011年)以来となる開幕ローテーション入りを果たし、3月26日のオリックス・バファローズ戦でプロ初登板初先発を果たす。


與座海人: 大学進学後、アンダースローに転向する際は牧田和久の投球フォームを参考にしていた。


牧田和久の情報まとめ

もしもしロボ

牧田 和久(まきた かずひさ)さんの誕生日は1984年11月10日です。静岡出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

選手としての特徴、詳細情報などについてまとめました。卒業、結婚、兄弟、引退、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。牧田和久の現在の年齢は39歳のようです。

牧田和久のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

牧田 和久(まきた かずひさ、1984年11月10日 - )は、静岡県焼津市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球解説者、コーチ。

愛称は"マッキー"、"牧やん"。

焼津市立小川中学校から静清高等学校に進学。1年時の秋にアンダースローに転向した。甲子園出場はない。

平成国際大学ではエースとなり、2年時には大学日本代表として日米大学野球選手権大会に出場する。

大学卒業後は日本通運に入社。2年目の2008年に日本選手権本大会の1回戦、対トヨタ自動車戦の試合中に荒波翔のバントの打球を処理しようとして転倒、右足前十字靱帯を断裂し全治1年の大怪我を負う。2009年の後半に復帰すると、翌2010年の第65回JABA東京スポニチ大会の対明治安田生命戦では7回コールドゲーム参考ながらノーヒットノーランを達成。同年の第81回都市対抗野球大会でも1回戦の対日本新薬戦では4安打完封勝ち。同期には中日ドラゴンズの野本圭がいる。

2010年10月28日のプロ野球ドラフト会議では埼玉西武ライオンズから2位指名を受け、契約金7000万円、年俸1300万円で仮契約を結んだ。

2011年は開幕一軍入りし、4月15日の福岡ソフトバンクホークス戦でプロ初登板・初先発。7回1/3を1失点の投球を見せたが、8回一死から四球を与えたところで右手中指に血マメができたため降板。5月6日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で、この年の新人で1番乗りとなる完封でのプロ初勝利を挙げる。しかし好投しても打線の援護と噛み合わず、なかなか勝ち星が付かないこともあった。交流戦明けになると中継ぎ陣の絶不調を理由にクローザーへ配置転換され、6月26日の楽天戦でプロ初セーブを挙げた。その後も抑えとして安定した投球を続け22セーブを挙げた。7月4日にはオールスターゲームに監督推薦で選出された。最終的にはチーム最多の55試合に登板し、22セーブに加え5勝を挙げた。チームとしては1999年の松坂大輔以来となる新人王を受賞した。チームは終盤の快進撃で3位となり、クライマックスシリーズ進出を果たした。ファーストステージでは2位の北海道日本ハムファイターズをストレートの2連勝で退け、ファイナルステージに進出。ファイナルステージでは第2戦と第3戦に登板したが、第2戦は8回の途中から登板し松中信彦に試合を決める満塁本塁打を打たれる。第3戦では延長12回表でチームは勝ち越せず、ソフトバンクはアドバンテージの1勝を含めて3勝しているため、引き分けがある場合は1位のチームはアドバンテージを含めた3勝でも日本シリーズ進出が決まるため、チームは延長12回表終了でCS敗退が決まった。そしてその裏に10回に同点適時打を打っている長谷川勇也にサヨナラ適時打を打たれ、ストレートの3連敗を喫した。

2012年は再び先発としてシーズンを迎えた。9月6日のソフトバンク戦で初の2桁勝利を達成、その後も勝利を重ねてチーム最多となる13勝を挙げた。このシーズン中で1度も出場選手登録を抹消されておらず、西武においては中島裕之とエステバン・ヘルマンに次ぐ3人目で、投手陣では唯一。オフの12月4日に2013 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表候補選手34人に選出された。

2013年2月20日に第3回WBC日本代表選手28人に選出された。同大会では抑えとして活躍。チャイニーズタイペイ戦では相手の小フライをダイビングキャッチしてチームを盛り立てた。シーズンでは、開幕後は先発を任され、4月23日の千葉ロッテマリーンズ戦で無三振での完封勝利を記録。ライオンズでは1978年の石井茂雄以来35年ぶりの快挙だった。好投してもなかなか勝ち星に恵まれず、2年連続2桁勝利はならなかったが、リーグ3位の防御率を残し、Aクラス入りに貢献。オフに選手会長に就任した。

2014年5月に1勝も挙げられないなど勝ち星が中々伸びず、夏場も2か月で2勝と苦しんだ。本拠地最終戦となった10月2日の日本ハム戦で7失点を喫し、プロ入り後最短の2回途中で降板するなど前年と比べて打ちこまれる場面も増え、防御率は一点近く悪化した。オフの10月9日に日米野球2014の日本代表に選出された。第3戦では1イニングを無失点に抑え、日米野球史上初のノーヒットノーラン達成に貢献した。

2015年2月16日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出された。3月10日に行われた第1戦において2番手で登板し、2回を投げ被安打2、与死球1、自責点2の成績だった。シーズンでは3月27日のオリックス・バファローズとの開幕戦(西武プリンスドーム)において先発登板し、自身初めての開幕投手を務めた。8月、抑えを務めていた髙橋朋己の不振により先発から抑えに配置転換され、6日の対楽天戦では2点リードの9回に登板、無失点に抑えて4年ぶりにセーブを挙げた。その後3セーブを挙げたが、郭俊麟の不振などにより同月中には再び先発に戻ることが決定的になると、27日の対日本ハム戦において7月26日以来に先発登板し、6回を投げ無失点で勝利投手になった。オフの10月9日に第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出された。

2016年は開幕から中継ぎを担当。勝ちゲームで1回のみ登板するセットアッパーと、先発が早々に崩れた試合で長い回を投げるロングリリーフなど様々な状況で起用され、前半戦終了時点で一軍投手陣トップの6勝を挙げる。球宴ファン投票中継ぎ部門で1位を獲得し、2013年以来3度目のオールスターゲームに選出された。右膝痛で6月16日から出場選手登録を抹消されたが、7月18日に一軍復帰。50試合に登板し7勝25ホールドを挙げ、中継ぎ最多の78 2/3イニングを投げた。オフの12月20日に第4回WBCの日本代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。

2017年はシーズン開幕前の3月に選出されていたWBCに参加。シーズンでは中継ぎとして58試合に登板し3勝28ホールドを挙げた。オフの11月23日にポスティングシステムでのメジャーリーグベースボール(MLB)挑戦を表明。12月11日に球団が容認し、日本野球機構にポスティング申請をした。

2018年1月6日にサンディエゴ・パドレスが2年380万ドルの契約で獲得を発表した。西武へ支払われる譲渡金は西武側のはからいで当初の設定額の半額となる50万ドルに下げられていた。背番号は西武時代の35がランディ・ジョーンズの永久欠番のため、逆さにした53となった。また翌7日にはパドレスで球団アドバイザーを務める斎藤隆と同じよしもとクリエイティブ・エージェンシーとマネジメント契約を結んだことが発表された。米スポーツ専門局「ESPN」の救援投手人気ランキングにて第6位に選出された。4月11日のコロラド・ロッキーズ戦に2番手で登板し、3点のリードを守り、メジャー初ホールド。しかし14試合登板で0勝0敗1ホールド・防御率6.75と成績が振るわず、5月7日にマイナー降格、傘下のAAA級エルパソ・チワワズへ配属された。5月13日にフィル・メイトンの故障者リスト入りに伴って再昇格。その後もメジャーとマイナーを行ったり来たりが続いた。最終成績は27試合登板で0勝1敗、防御率5.40だった。オフの11月2日にメジャー契約40人枠から外された。

2019年はスプリングトレーニングには招待選手として参加。オープン戦3試合登板で防御率13.50の成績に終わり、3月17日にはマイナーキャンプへ送られることが発表されていた。AA級アマリロ・ソッドプードルズ で開幕を迎えることになった。6月17日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りしたが出番は無く、翌18日にDFAとなり、25日にマイナー契約で再びAA級アマリロへ配属された。7月2日、AAA級エルパソと契約する。ロングリリーフとして、5試合(13回1/3)を投げて3勝0敗、17奪三振、防御率1.35の成績を挙げたが、7月24日に再びAA級アマリロに降格となった。

埼玉西武ライオンズと阪神タイガースとの争奪戦を制し、2019年11月26日に東北楽天ゴールデンイーグルスへの入団に合意し、12月11日に入団会見が行われた。背番号は22。

2020年1月23日にフラワー空間デザイナー・タレントの立木シュウと結婚。中継ぎとしてシーズンを通して一軍に帯同し52試合に登板、2勝2敗2セーブ22ホールド・防御率2.16の好成績を残した。

2021年も中継ぎとして開幕を一軍で迎えた。4月7日の西武戦でシーズン初失点を喫するとその後の3登板でも2試合で失点し、4月18日に登録抹消。二軍調整を経て7月5日に一軍登録となったが、8月21日の日本ハム戦では7点リードの7回裏に登板し1回3安打2失点。さらに9月4日の西武戦では、5点リードの9回表に登板するも、一死から栗山巧に2000本安打となるヒットを打たれると、続く山川穂高に2点本塁打、呉念庭にもヒットを打たれ1イニング持たずに降板。翌9月5日に再び登録抹消となった。10月26日、戦力外通告を受けた。

2022年4月19日に台湾プロ野球(CPBL)の中信兄弟と契約合意間近であることが報道され、5月2日に入団が正式に発表された。

7月12日の対富邦ガーディアンズ戦に3番手として登板し、1イニングを投げて1失点を喫するCPBLデビューとなった。8月6日までに6試合の登板で5回1/3を投げ、防御率8.44、二軍では3試合で防御率4.50の成績で、8月11日に二軍降格、9月12日、支配下選手登録を抹消された。10月25日、現役引退を決断したことが各紙で報じられた。

2023年はTBSテレビ・TBSチャンネル・J SPORTS・フジテレビTWOの野球解説者として活動。

2023年10月31日、2024年から福岡ソフトバンクホークスの三軍ファーム投手コーチを務めることが発表された。

選手としての特徴

地面すれすれの位置からアンダースローで放たれる平均球速約128km/h、最速137km/hのストレートとスライダー、カーブ、高速シンカー(シュート)、チェンジアップを投げ分ける。

早い投球テンポで優位に立ち、フォームに強弱をつけることでタイミングをずらすなど、打者を幻惑する投球スタイル。その幻惑によって吐き気を催す打者がいるほどである。握りを変えるなどして数種類のストレートを投げることを意識しており、「スピードガンの数字以上に見せるキレと技術がアンダースローの面白いところ」だという。アンダースローでありながらクイックも上手く、クイックで緩急もつけている。所属チーム・代表を問わず、チームの状況に応じて先発・中継ぎ・抑えと幅広い役割をこなす姿から「困った時の牧田」とも称される。

登録は右打ちだが、交流戦では「左の方が(打球が)飛びやすい」という理由から左打席に入ることがあり、2013年5月15日のヤクルト戦では実際に左打席に入った。高校時代はスイッチヒッターだった。

詳細情報

年度別投手成績

年度 球団 登板 先発 完投 完封 無四球 勝利 敗戦 セ丨ブ ホ丨ルド 勝率 打者 投球回 被安打 被本塁打 与四球 敬遠 与死球 奪三振 暴投 ボ丨ク 失点 自責点 防御率 WHIP
2011 西武 55 10 2 1 0 5 7 22 1 .417 510 127.2 105 5 16 1 9 86 0 1 39 37 2.61 0.95
2012 27 27 3 1 0 13 9 0 0 .591 739 178.0 175 4 36 0 9 108 0 1 55 48 2.43 1.19
2013 26 26 3 1 0 8 9 0 0 .471 690 166.0 169 13 39 1 9 87 2 0 54 48 2.60 1.25
2014 26 26 0 0 0 8 9 0 0 .471 734 170.2 170 10 50 0 12 89 0 0 74 71 3.74 1.29
2015 34 21 1 0 0 9 11 3 0 .450 596 137.2 143 7 44 2 11 66 1 0 68 56 3.66 1.36
2016 50 0 0 0 0 7 1 0 25 .875 312 78.2 54 3 16 2 10 43 0 0 15 14 1.60 0.89
2017 58 0 0 0 0 3 3 0 28 .500 248 62.2 59 4 5 0 3 35 0 0 18 16 2.30 1.02
2018 SD 27 0 0 0 0 0 1 0 2 .000 149 35.0 32 7 12 2 2 37 0 0 23 21 5.40 1.26
2020 楽天 52 0 0 0 0 2 2 2 22 .500 197 50.0 39 5 12 0 0 33 1 0 15 12 2.16 1.02
2021 17 0 0 0 0 0 0 0 2 ---- 72 16.1 17 2 3 0 1 5 0 0 10 6 3.31 1.22
2022 中信 6 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 29 5.1 14 1 0 0 0 4 0 0 5 5 8.44 2.63
NPB:9年 345 110 9 3 0 55 51 27 78 .519 4098 987.2 931 53 221 6 64 552 4 2 348 308 2.81 1.17
MLB:1年 27 0 0 0 0 0 1 0 2 .000 149 35.0 32 7 12 2 2 37 0 0 23 21 5.40 1.26
CPBL:1年 6 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 29 5.1 14 1 0 0 0 4 0 0 5 5 8.44 2.63

各年度の太字はリーグ最多

年度別投手成績所属リーグ内順位

年度 年齢 リ|グ 勝利 セ|ブ ホ|ルド 奪三振 防御率
2011 27 パ・リーグ - 4位 - - -
2012 28 3位 - - 8位 7位
2013 29 10位 - - - 3位
2014 30 - - - - 9位
2015 31 - - - - -
2016 32 - - 4位 - -
2017 33 - - 6位 - -
2018 34 ナ・リーグ - - - - -
2020 36 パ・リーグ - - 5位 - -
2021 37 - - - - -
2022 38 CPBL - - - - -

-は10位未満(防御率は規定投球回到達未満の場合も-と表記)

WBCでの投手成績

年度 代表 登板 先発 勝利 敗戦 セ|ブ 打者 投球回 被安打 被本塁打 与四球 敬遠 与死球 奪三振 暴投 ボ|ク 失点 自責点 防御率
2013 日本 3 0 1 0 1 14 3.0 4 0 1 1 0 5 0 0 0 0 0.00
2017 5 0 1 0 2 26 6.0 5 0 2 0 0 6 0 0 3 2 3.00

WBSCプレミア12での投手成績

年度 代表 登板 先発 勝利 敗戦 セ|ブ 打者 投球回 被安打 被本塁打 与四球 敬遠 与死球 奪三振 暴投 ボ|ク 失点 自責点 防御率
2015 日本 2 0 0 0 0 5 1.1 0 0 1 0 0 1 0 0 0 0 0.00

年度別守備成績

年度 球団 投手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2011 西武 55 9 23 1 0 .970
2012 27 7 39 4 0 .920
2013 26 17 44 1 5 .984
2014 26 13 34 0 1 1.000
2015 34 10 36 2 1 .958
2016 50 0 16 0 0 1.000
2017 58 3 17 1 1 .952
2018 SD 27 3 4 0 0 1.000
2020 楽天 52 4 13 1 1 .944
2021 17 3 1 0 0 1.000
2022 中信 6 0 1 0 0 1.000
NPB 345 66 223 10 9 .967
MLB 27 3 4 0 0 1.000
CPBL 6 0 1 0 0 1.000

表彰

新人王(2011年)

2011ゴールデン・ルーキー賞(2011年)

月間MVP:1回(投手部門:2013年3・4月)

スピードアップ賞:3回(パ・リーグ部門:2015年 投手部門:2016年、2017年)

記録

初登板・初先発登板:2011年4月15日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、7回1/3を1失点

初奪三振:同上、2回裏に松田宣浩から空振り三振

初完投:2011年4月22日、対オリックス・バファローズ1回戦(京セラドーム大阪)、8回2失点で敗戦投手

初勝利・初先発勝利・初完投勝利・初完封勝利:2011年5月6日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、9回無失点6奪三振

初セーブ:2011年6月26日、対東北楽天ゴールデンイーグルス7回戦(西武ドーム)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点

初ホールド:2011年8月6日、対福岡ソフトバンクホークス13回戦(西武ドーム)、10回表に4番手で救援登板、1回無失点

オールスターゲーム出場:4回(2011年、2013年、2016年、2017年)

初登板:2018年3月30日、対ミルウォーキー・ブルワーズ2回戦(ペトコ・パーク)、5回表二死に2番手で救援登板、1回1/3無失点

初奪三振:2018年4月3日、対コロラド・ロッキーズ2回戦(ペトコ・パーク)、9回表にカルロス・ゴンザレスから空振り三振

初ホールド:2018年4月10日、対コロラド・ロッキーズ6回戦(クアーズ・フィールド)、7回裏に2番手で救援登板、1回無失点

初登板:2022年7月12日、対富邦ガーディアンズ(新北市立新莊棒球場)、7回裏に3番手で救援登板、1回1失点

背番号

35(2011年 - 2017年、2022年)

53(2018年)

22(2020年 - 2021年)

97(2024年 - )

登場曲

「SPEED TK RE-MIX」TETSUYA "TK" KOMURO(2011年 ‐ 2015年)

「International Love feat. Chris Brown」PitBull(2016年 - 2017年)

「Firestone」Kygo(2020年 - )

代表歴

2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

2015 WBSCプレミア12 日本代表

2017 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

2024/06/19 04:27更新

makita kazuhisa


牧田和久と同じ誕生日11月10日生まれ、同じ静岡出身の人

高橋 三千丈(たかはし みちたけ)
1956年11月10日生まれの有名人 静岡出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 高橋 三千丈(たかはし みちたけ、1956年11月10日 - )は、静岡県熱海市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ、解説者…

佐野 珠美(さの たまみ)
1959年11月10日生まれの有名人 静岡出身

佐野 珠美(さの たまみ、1959年11月10日 - )は、福岡県出身の日本の女優。かつては宝井プロジェクトに所属していた。 身長157 cm。特技はジャズダンス、着物着付け師講師。 …

芹澤 信雄(せりざわ のぶお)
1959年11月10日生まれの有名人 静岡出身

芹澤 信雄(せりざわ のぶお 1959年11月10日 - )は静岡県御殿場市出身のプロゴルファー。サンエー・インターナショナル所属。兄は俳優の芹澤名人。趣味はスキー(高校時代に国体に出場したことがある…

嵯峨隆一(さが りゅういち)
1928年11月10日生まれの有名人 静岡出身

嵯峨 隆一(さが りゅういち、1928年11月10日 - 1955年4月2日)は、日本の男性声優。本名は大塚 春忠(おおつか はるただ)。ラジオ東京放送劇団3期生。東京府出身。旧制明星中学校、上智大…

田口奏弥(たぐち かなみ)
11月10日生まれの有名人 静岡出身

田口 奏弥(たぐち かなみ、11月10日 - )は、日本の女性声優。静岡県出身。青二プロダクション所属。 趣味として裁縫と散歩、特技として茶道をそれぞれ挙げている。資格として漢検準2級を持つ。 …


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


牧田和久と近い名前の人

小比類巻 貴之(こひるいまき たかゆき)
1977年11月7日生まれの有名人 青森出身

小比類巻 貴之(こひるいまき たかゆき、1977年11月7日 - )は、日本の男性キックボクサー。青森県三沢市出身。光星学院高等学校卒業。 小比類巻道場会長。元ISKAオリエンタル世界スーパーウェルタ…

牧田 和男(まきた かずお)
1955年5月12日生まれの有名人 出身

牧田 和男(まきた かずお、1955年5月12日 - )は、日本の音楽家、音楽プロデューサー。兵庫県神戸市出身。血液型O型。 中学・高校時代 ピーター・ポール&マリーや赤い鳥、ロック・キ…

牧田 潔明(まきた きよあき)
1934年1月21日生まれの有名人 東京出身

1月21日生まれwiki情報なし(2024/06/24 04:43時点)

牧田 甚一(まきた じんいち)
1892年2月27日生まれの有名人 鳥取出身

牧田 甚一(まきた じんいち、1892年2月27日 - 1986年11月12日)は、日本の経営者。熊谷組社長、会長を務めた。鳥取県倉吉市出身。 1912年に岩倉鉄道学校建築科を卒業し、1915年に…

牧田 実夫(まきた じつお)
1919年11月18日生まれの有名人 鳥取出身

牧田 実夫(まきた じつお、1919年(大正8年)11月18日 - 2011年(平成23年)7月23日)は、昭和から平成時代の政治家。鳥取県倉吉市長。 鳥取県久米郡倉吉町(現・倉吉市)出身。193…

牧田 習(まきた しゅう)
1996年10月14日生まれの有名人 兵庫出身

牧田 習(まきた しゅう、1996年10月14日 - )は、日本のタレント。 北海道大学理学部数学科卒業。東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程在学中。兵庫県宝塚市出身。 清風中学校・高等学校…

牧田 明久(まきだ あきひさ)
1982年6月3日生まれの有名人 福井出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 牧田 明久(まきだ あきひさ、1982年6月3日 - )は、福井県越前市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)。コーチ。 大阪近鉄…

牧田 勝吾(まきた しょうご)
1974年4月13日生まれの有名人 静岡出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 牧田 勝吾(まきた しょうご、1974年4月13日 - )は、静岡県藤枝市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。現在はオリックス・…

牧田博(まきた ひろし)
1951年6月11日生まれの有名人 出身

牧田博(まきた ひろし、1951年6月11日 - 2017年9月)は、日本の漫談家、タレント。   東京都江戸川区出身。最初は牧野周一に弟子入り志願するが断られ、ジャスバンドのピアニストとして活…

牧田 衞活(まきた もりかつ)
11月17日生まれの有名人 兵庫出身

牧田 衞活(まきた もりかつ、1968年11月17日 - )は、日本のフリーアナウンサー。株式会社オフィスマッキー代表取締役。元びわ湖放送(BBC)アナウンサー。 名前の衞活は難読であるため、通称と…

牧田 哲也(まきた てつや)
1984年6月7日生まれの有名人 三重出身

牧田 哲也(まきた てつや、1984年6月7日 - )は、日本の俳優、タレント、モデル。 愛知県出身。ハイイロ所属。 大学卒業後に芸能界入りしている。俳優になったきっかけは「小さいころからドラマ…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
牧田和久
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

predia AeLL. 9nine 純烈 夢みるアドレセンス アリス十番 AKB48G Timelesz DA PUMP KAT-TUN 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「牧田和久」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました