秋山登の情報(あきやまのぼる) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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張本勲: しかしこの年のオフに大洋監督に就任した秋山登が、大洋球団が期待の新人(山下大輔)を売り出すために、主力遊撃手(米田慶三郎)をトレード要員にしたことに「とんでもない」と強い難色を示したことでわずか2日後の10月25日に御破算となる。 遠井吾郎: 初安打:1958年9月23日、対大洋ホエールズ21回戦(川崎球場)、9回表に鎌田実の代打で出場、秋山登から二塁打 三原脩: 1960年は開幕から6連敗を喫し、エースの秋山登も離脱する苦しい幕開けとなったが、三原の選手起用がすぐに冴え渡り、巨人と優勝争いを繰り広げた。 山本一義: 初打席・初安打・初打点:同上、1回表に秋山登から左越2点適時二塁打 江藤愼一: これは、シーズン終了後に監督に昇格した秋山登が「使いにくい選手」として放出を決めると、江藤が熊本商の出身で福岡のノンプロ・日鉄二瀬にいた地縁を考慮して「太平洋なら引き受けてくれるのでは」と、当時福岡を本拠としていた太平洋に話を持ち掛けたことが発端である。 斎藤明夫: 球団は斉藤への期待を込め、秋山登や山下律夫らがつけたエースナンバーの17を与えた。 ロイ・ジェームス: 明大では野球部に在籍したが、秋山登・土井淳が入学してきたためレギュラーをあきらめた。 島岡吉郎: 明治大学硬式野球部監督時代の教え子には秋山登、土井淳、近藤和彦、池田英俊、辻佳紀、高田繁、星野仙一、名取和彦、鹿取義隆、広沢克己、福王昭仁、武田一浩、平田勝男らがいる。 尾花高夫: これは1956年から1959年に大洋の秋山登が記録した四年連続リーグ最多敗戦投手以来の記録で右投手では尾花以降これを越えた選手は現れていない(左投手では2014年から2016年にかけて阪神の能見篤史がタイ記録となった)。 遠井吾郎: 初本塁打:1959年10月14日、対大洋ホエールズ26回戦(川崎球場)、2回表に秋山登から先制決勝ソロ 江藤慎一: これは、シーズン終了後に監督に昇格した秋山登が「使いにくい選手」として放出を決めると、江藤が熊本商の出身で福岡のノンプロ・日鉄二瀬にいた地縁を考慮して「太平洋なら引き受けてくれるのでは」と、当時福岡を本拠としていた太平洋に話を持ち掛けたことが発端である。 藤田元司: 高校卒業後は慶応義塾大学へ進学し、オーソドックスなオーバースローから繰り出される快速球を武器に秋山登(明治大学)、木村保(早稲田大学)と投げ合い、東京六大学野球連盟のスター選手として沸かせたが、リーグ優勝は1952年春季リーグ戦の一度のみで、度重なる力投が報われない姿から「悲運のエース」と呼ばれた。 権藤博: なお投球回数429回1/3は、1950年の2リーグ制施行以降、それまでの最高記録であった1957年の秋山登(大洋)の406回を23回1/3超える日本プロ野球シーズン歴代最高記録であり、2020年シーズン終了時点でも破られていない(1リーグ制時代を含めると歴代13位)。 備前喜夫: 同年秋の広島国体に出場、2回戦(初戦)で岡山東高の秋山登と投げ合い1-0で完封勝ち。 西本幸雄: ここで大洋は先発・権藤正利をあきらめ、アンダーハンドのエース秋山登を投入し、山内一弘を敬遠させ、次の谷本稔と勝負する作戦に出た。 八田正: シリーズでは第3戦まで無安打と苦しむが、最終第4戦では9回裏に代打で起用され秋山登から初安打、一矢を報いた。 山下大輔: 中部謙吉オーナーは山下の入団を大変喜び、秋山登ヘッドコーチの提案もあってユニフォームの色を出身地の静岡の名産にちなんだオレンジ(みかん)と緑(お茶)に変えた。 森中千香良: 秋山登、稲川誠の相次ぐ引退で弱体化した大洋投手陣を支えたが、平松政次が最多勝を挙げ、エースとなった1970年からは登板機会が減少し、1972年には東映フライヤーズに移籍。 杉浦忠: また、アンダースローの投手では「1.杉浦忠、2.秋山登、3.山田久志」の順で球の威力がある投手と評している。 島田源太郎: 同年はチーム最多の41試合に先発、秋山登の21勝に次ぐ19勝(10敗)を挙げ、防御率も2.29でリーグ5位に入るなど、球団の初優勝に貢献。 荻孝雄: 東京六大学野球リーグでは1年上のエース秋山登を擁し、1953年秋季リーグの戦後初優勝を含め在学中3度の優勝を経験。 三原脩: 大洋ホエールズのエースである秋山登は登板数が嵩んでいたため、負担を軽減するために鈴木隆、大石正彦をショートスターターとして起用することがあった。 クリート=ボイヤー: 引退後も大洋に残って一軍内野守備コーチ(1976年)を務めたが、実質的にはヘッドコーチ格として秋山登監督を補佐。 坂崎一彦: 大洋のエース・秋山登を得意とした。 山下律夫: 1970年の秋山登の引退後は背番号17を受け継ぎ、大洋ファンの間では秋山と同じ横手投げ型のアンダースロー投手として認知されていた。 佐々木重徳: 東京六大学野球リーグでは1年上のエース秋山登を擁し、1953年秋季リーグの戦後初優勝を含め在学中2度の優勝を経験。 中西太: この大会では岡山東高の秋山登(大洋)らから2試合連続でランニングホームラン、計6打点を記録した。 岡本健一郎: 1954年の全日本大学野球選手権大会では準決勝に進出するが、秋山登らのいた明大に敗れる。 人見武雄: 直後の全日本大学野球選手権大会では、決勝で明大の秋山登に完封され準優勝。 辻恭彦: そして秋山登監督に「感覚もあるだろうから、二軍戦に出ろ」と言われたという。 |
秋山登の情報まとめ
秋山 登(あきやま のぼる)さんの誕生日は1934年2月3日です。岡山出身の野球選手のようです。
卒業、現在、引退、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。2000年に亡くなられているようです。
秋山登のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 秋山 登(あきやま のぼる、1934年2月3日 - 2000年8月12日)は、岡山県岡山市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。 現役時代からコーチ・監督時代まで大洋ホエールズ一筋を貫いた。 岡山東高では高校、大学、プロを通じての同期である土井淳とバッテリーを組む。土井とは、18年間組み続ける稀有な仲であった。2年次の1950年、秋季中国大会県予選準決勝に進むが岡山朝日高に惜敗。3年次の1951年には夏の甲子園東中国大会決勝で因縁の岡山朝日高を完封で降し、夏の選手権に出場を果たす。1回戦で高松一高と対戦するが、中西太に本塁打を喫するなど3-12で大敗した。土井以外の高校同期では遊撃手の中田庄治郎(近鉄)がプロ入りしている。 高校卒業後は1952年に明治大学へ進学し、東京六大学野球リーグでは2年次の1953年秋季リーグの戦後初優勝を含め3度優勝。3年次の1954年全日本大学野球選手権は、決勝でエース西尾慈高を擁する立命大に大勝し初優勝。4年次の1955年全日本大学野球選手権決勝では、日大の島津四郎との投手戦を1-0で制し連覇を飾る。1955年の第2回アジア野球選手権大会日本代表(東京六大学野球リーグ選抜チーム)に選出された。リーグ通算で70試合登板33勝18敗、防御率1.48、334奪三振、ベストナイン1回。1954年春季リーグの東大戦での1試合22奪三振はリーグ記録。当時「黒雲なびく駿河台」と校歌をもじられるまで弱体化していた島岡吉郎監督下の明大に、第一期黄金時代をもたらした。島岡監督からは、毎日1000球の投げ込みを課せられていたが秋山はこれを忠実にこなし、強靭な身体と投球術を身に付けプロ入り後の大きな財産となった。土井以外の大学同期には、一塁手の黒木弘重、遊撃手の岩岡保宏、外野手の沖山光利がおりいずれも大洋入り、秋山と共に「明大五人衆」と呼ばれる。更に二塁手の土屋弘光も後に中日に入団した。 1956年、土井らと共に大洋へ入団。同年は開幕2試合目から先発として起用され、リーグ最多投球回を記録。25勝25敗、防御率2.39(リーグ11位)を記録し新人王を獲得する。以降はエースとして活躍し、9年連続で2桁勝利を記録した一方、入団から4年連続リーグ最多敗戦投手を記録した。これは1リーグ制から含めてもNPBでは連続リーグ最多敗戦投手の最長記録となっている。入団から9年連続50試合以上登板は当時のプロ野球記録であった。 1957年には24勝27敗ながらリーグ最多の312奪三振を達成。 1960年4月2日の中日との開幕戦(中日)で、中日の牧野茂コーチのノックバットが秋山の額に直撃した。病院に運ばれる前途多難な始まりであったが21勝10敗、防御率1.75で球団史上初のリーグ優勝に貢献する。続く大毎との日本シリーズでは4試合全てにリリーフ登板し、16回と3分の1を投げて1失点(防御率0.53)を記録。10月11日の第1戦(川崎)では鈴木隆、同15日の第4戦(後楽園)では島田源太郎をリリーフして勝利投手となる。チーム日本一の功労者として、日本シリーズ最高殊勲選手は逃したものの、年間MVP、最優秀防御率、ベストナインを獲得した。 1962年には72試合登板、自己最多の26勝を記録。9月25日と同26日の阪神戦(川崎)には、2リーグ分裂後では唯一の2日連続完封をやってのけた。ダブルヘッダーで1日2勝も通算5回やってのけており、現在もプロ野球記録である。 1963年からはコーチを兼任。 1964年は21勝を挙げ、阪神との優勝争いの原動力となった。島田、鈴木、権藤正利、稲川誠らとともに強力投手陣を形成した。 1965年以降は長年の酷使が祟って思うような成績が挙げられなかった。 1967年に現役を引退した。大洋一筋で重ねた勝星が193勝で、秋山はあと7勝で名球会入りに届く状況であった。入団から4年連続最下位、現役12年間でAクラスが3回だけと低迷するチーム事情の中、エースとして先発にリリーフにとフル回転し、年間50試合以上を投げ続けて積み重ねた193勝は、強い球団で200勝を挙げた投手よりも価値が高いと評価されることも多い。1967年には秋山の高校の後輩である平松政次が入団。秋山と入れ替わるように大洋のエースとなった平松も「カミソリシュート」の異名をとって他球団の主砲たちに恐れられたが、もともと「カミソリシュート」の異名は秋山に対して付けられていたものであった。 引退後は大洋で一軍投手コーチ(1968年 - 1973年)、ヘッドコーチ(1974年)、監督(1975年 - 1976年)、二軍監督(1977年)を歴任。退団後はテレビ朝日「ゴールデンナイター」・テレビ神奈川「TVKハイアップナイター→YOKOHAMAベイサイドナイター→YOKOHAMAベイスターズナイター」解説者(1978年 - 2000年)を務める一方、スカウト、OB会長として大洋→横浜を支えた。 監督としてはチーム生え抜き投手として初の就任となり、その後は2021年の三浦大輔まで待たねばならなかった。藤田元司を一軍投手コーチに招聘し、1年目は4月に首位に立つなど健闘。6月に入って広島・中日・阪神・ヤクルトの4強によるマッチレースが始まるとチームはそれを追いかけられず、成績は前年から悪化して51勝69敗10分と、別当薫監督時代最後の年となった1972年以来の4年連続5位に終わった。投手陣はエース・平松や山下律夫、坂井勝二、間柴富裕などがそれなりの成績を残したが、それ以外のリリーフは不調であった。打撃陣では、ベテランの松原誠や江尻亮、ジョン・シピンがこの年も打ちまくり、打撃成績は優勝の広島などと大差はなかった。2年目はさらなる成績上昇を狙うべく、クリート・ボイヤー一軍内野守備コーチの推薦で日本ハムのゲーリー・ジェスタッドを獲得。投手陣も平松・山下・間柴・杉山知隆などが控え、打撃陣でも中塚政幸・松原・長崎慶一などが健在。5年ぶりのAクラス入りが期待されたが、松原・長崎・シピンといった破壊力抜群の打線は打ちまくるもリリーフが打ちこまれるなど、投打のアンバランスが現れて開幕から最下位に転落。5月以降の巻き返しが期待されたものの、投手陣の崩壊はどうしようもなかった。6月29日には遠征先の秋田にて秋田刑務所を慰問し、受刑者約300名と歓談したが、質疑応答にて秋山へ「首位の巨人といい試合をするのに、17.5差の5位とはどういうわけか」、平松へは「カミソリシュートは最近どうなっているのか」など厳しい質問が連発された。7月にオールスターをはさんで7連敗し、1勝した後に更に9連敗。優勝の巨人に32ゲーム、5位のヤクルトにも8ゲーム以上の大差をつけられて10年ぶりの最下位に沈んだ。シーズン中は攻撃・守備の権限をボイヤーが握り、投手に関しては藤田との合議制となっているが実際の投手起用は藤田が決めていた。要するに秋山はお飾りとなり、選手交代を審判に告げに行く伝達係に過ぎなかった。ナゴヤでの中日戦、草薙での阪神戦では試合中にも拘らずベンチを抜け出して煙草を吸っている姿を目撃され、ベンチ裏で一服ではなくビジター用の控室や場内放送室の中で腰を下ろしてくつろいでいた。「今のお前はツキが落ちている。しばらくボイヤーに任せてみろ」との中部謙吉オーナーの鶴の一声で現場の指揮権を剥奪され、終了後の10月25日に辞任し、11月10日には12球団トップを切って東京都内のホテルで納会が行われた。「野球はビリでも宴会はトップ」と揶揄されながら渋々集まった選手たちは静かで、あまりの静かさに「野球選手って案外おとなしいのね」と雇われたコンパニオンも驚くほどであった。豪華な料理にほとんど箸もつけず、談笑する光景もまばらで、毎年恒例ののど自慢大会もプログラムから姿を消した。異様な光景は続き、納会での挨拶は辞任後の処遇さえ決まってない秋山が未定の新監督に代わって演壇に立たされ、「大洋にお世話になった21年間で最低の勝率(.366)で終わってしまい大変申し訳なく思う。これからは違った形で野球を勉強したい」と述べたが、盛大な拍手を送るわけもいかず、大洋ナインや関係者も下を向くばかりであった。中部が「かつてホエールズは(60年に)最下位から優勝した。去年(75年)の広島も、今年の巨人もそうだった。来年はホエールズの番だ」と独り怪気炎を上げたのが余計に痛々しく、秋山は藤田と共にいつの間にか会場を出て、廊下に並べられたソファーに座っていた。中部は野球そのものには疎いものの、試合結果だけは気にしていた。大洋唯一の優勝時のエースで、1967年に引退した秘蔵っ子の秋山を可愛がったが時はV9時代で「今監督にしたら川上にこっぴどくやられる」という考えから、秋山をなかなか監督の座に就かせなかった。川上監督が勇退し、長嶋新監督になった1975年に満を持して投入。親会社の大洋漁業の社長でもあった中部は、多忙で試合を観戦できない時は必ず秋山監督宅に電話を入れていたが、耳に入る報告は敗戦の結果ばかりでしびれをきらした。 納会の2日後の同12日、別当が再び就任することとなったが、フロント入りか解説者転身とみられていた秋山は一軍監督としては成績が良くなかったものの、中部は秋山を評価し1977年に二軍監督に就任させている。近い将来の監督再登板を意識した人事であったが、直後の1977年1月14日に中部が没したため立ち消えとなった。平松は監督の秋山について、風格のある監督だったが選手に人材がなかったことを指摘し「間が悪かったんですよ…選手さえいたら大監督になっていますよ。僕が現役でいるうちにもう一度監督やってほしかった。」と述べている。秋山が監督を務めた間、高校時代からの盟友である土井がコーチとして支えることはなかった。これについては諸説あったものの、秋山の逝去直後に土井が受けた『月刊ベイスターズ』の追悼取材によれば、1975年に秋山が監督に就任した際にも中部から「土井は大洋を辞めた人間だから」という理由で復帰を許してもらえなかったのが真相であったという。この頃のチームについて辻恭彦が「とにかくピッチャーのコントロールが適当で、コンビネーションなんか誰も考えてなかった。技術も意識も両方が足らんチームでした。」と後に振り返っている。1998年10月8日、自身が胴上げ投手となった1960年以来となる横浜の優勝をゲスト解説として招かれた甲子園球場の放送席から見届けたが、その後程なくして体調を崩し、2000年8月12日、呼吸不全のため66歳で死去した。2004年、野球殿堂入りを果たす。 秋山は、日本プロ野球史上極めて稀な「横手投げ・下手投げの速球投手」の1人であり、直球だけで充分打者を牛耳ることができた。ただし、杉浦忠や大友工とはタイプが違っており、その2人が「手首を立てたサイドスロー」で、速球とカーブ・スライダーを武器にしたのに対し、「手首を寝かせた、完全なアンダースロー」で、速球と「カミソリ」と言われたシュートを武器にした。 後に絶対的守護神として全盛期を迎えていた頃の佐々木主浩に対して「お前みたいに勝ちゲームの最終回1イニング限定でいいなら、俺は130試合全部にベンチ入りして全試合投げて抑えてやるよ」と語ったことがあったとされる。 解説者としては当初非常に口下手で冴えなかったが、ある時点から別人のようにうまくなった。大洋時代からの横浜ファンで芥川賞作家の丸谷才一も、話し方の専門家の指導を受けて猛特訓したのではないかと推測し、「偉いと思う。言葉の本職はみな、かういふ調子で藝を身につけねばらない。さうすることによって日本語の文化に貢献しなければならない。その日本語こそはわれわれの文明の全体に基本なので、殊に規範としての話ことばの確立は、いま一番大切なことなのである」と、壮大な論調で絶賛している。 各年度の太字はリーグ最高 最優秀防御率:1回 (1960年) 最多奪三振(当時連盟表彰なし):1回 (1957年) ※セントラル・リーグでは、1991年より表彰 最高勝率:1回 (1960年) 最高殊勲選手(MVP):1回 (1960年) 新人王 (1956年) ベストナイン:1回 (1960年) 日本シリーズ最優秀投手賞:1回 (1960年) 野球殿堂特別表彰(2004年) 初登板・初先発登板:1956年3月21日、対中日ドラゴンズ2回戦(中日球場) 初勝利:1956年3月28日、対読売ジャイアンツ2回戦(川崎球場) 100勝:1960年9月21日、対中日ドラゴンズ23回戦(川崎球場) 150勝:1963年5月25日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場) 1日2勝:5回 ※日本プロ野球記録
1960年6月29日、対読売ジャイアンツ11・12回戦(下関球場) 1961年7月12日、対国鉄スワローズ16・17回戦(川崎球場) 1962年5月20日、対広島カープ6・7回戦(川崎球場) 1963年9月15日、対広島カープ18・19回戦(広島市民球場) 2日連続完封勝利 (1962年9月25・26日、対阪神タイガース25・26回戦(川崎球場)) 連続リーグ最多敗戦 (4年連続)1956年 - 1959年 ※日本プロ野球において他に達成例なし シーズン27敗 (1957年) ※セ・リーグ記録 シーズン312奪三振(1957年) ※球団記録、セ・リーグ右投手記録 新人選手連続打席無安打:50 (1956年) ※2リーグ制後プロ野球投手記録、2021年に佐藤輝明に更新されるまでは2リーグ制後プロ野球記録 オールスターゲーム出場:9回 (1956年 - 1964年) 17 (1956年 - 1969年) 71 (1970年 - 1977年) ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年 ^ ノックバット直撃しエース昏倒!開幕6連敗も秋には美酒 ^ ただし名球会の発足は1978年で、秋山の現役引退時点ではまだ名球会は存在しなかった。 ^ 昭和51年6月30日日刊スポーツ4面「大洋の秋田刑務所訪問始末記 "野球裁判"どちらが受刑者」 ^ 「ワイド特集 早くも動き出したプロ球界に怪情報」『週刊ベースボール』昭和51年9月13日号 ^ 【11月10日】1976年(昭51) お通夜みたい…最下位の大洋納会 秋山登前監督屈辱のあいさつ ^ 村瀬秀信「4522敗の記録」P・145 双葉社 2013年 ^ 土井の大洋コーチへの復帰は、中部の没後の1978年であった。 ^ 週刊ベースボールONLINE|野球コラム 短期連載ダンプ辻コラム 第14回「ワルの齊藤から教わったこと」 ^ “1998年10月8日のベイスターズ ビールかけ中継を担当したあの日のこと”. 文春オンライン. 文藝春秋 (2020年8月10日). 2024年4月22日閲覧。 ^ 当時は一シーズン130試合制であった。 ^ 『桜もさよならも日本語』新潮文庫、ISBN 4101169055、1989年7月、214頁~216頁。 ^ https://npb.jp/bis/history/ssp_so.html 岡山県出身の人物一覧 明治大学の人物一覧 横浜DeNAベイスターズの選手一覧 個人年度別成績 秋山登 - NPB.jp 日本野球機構 野球殿堂 秋山登 - 公益財団法人野球殿堂博物館 表 話 編 歴 60 ヴィクトル・スタルヒン 62 池田豊 63 中島治康 64 若林忠志 65 川上哲治, 鶴岡一人 69 苅田久徳 70 天知俊一, 二出川延明 72 石本秀一 74 藤本定義, 藤村富美男 76 中上英雄 77 水原茂, 西沢道夫 78 松木謙治郎, 浜崎真二 79 別所毅彦 80 大下弘, 小鶴誠 81 飯田徳治, 岩本義行 83 三原脩 85 杉下茂, 白石勝巳, 荒巻淳 88 長嶋茂雄, 別当薫, 西本幸雄, 金田正一 89 島秀之助, 野村克也, 野口二郎 90 真田重蔵, 張本勲 91 牧野茂, 筒井修, 島岡吉郎 92 廣岡達朗, 坪内道則, 吉田義男 93 稲尾和久, 村山実 94 王貞治, 与那嶺要 95 杉浦忠, 石井藤吉郎 96 藤田元司, 衣笠祥雄 97 大杉勝男 99 中西太, 広瀬叔功, 古葉竹識, 近藤貞雄 00 米田哲也 01 根本陸夫, 小山正明 02 山内一弘, 鈴木啓示, 福本豊, 田宮謙次郎 03 上田利治, 関根潤三 04 仰木彬 05 村田兆治, 森祇晶 06 門田博光, 高木守道, 山田久志 07 梶本隆夫 08 山本浩二, 堀内恒夫 09 若松勉 10 東尾修 11 落合博満 12 北別府学, 津田恒実 13 大野豊 14 野茂英雄, 秋山幸二, 佐々木主浩 15 古田敦也 16 斎藤雅樹, 工藤公康 17 伊東勤 18 松井秀喜, 金本知憲 19 立浪和義 22 髙津臣吾, 山本昌 23 アレックス・ラミレス 24 谷繁元信, 黒田博樹 25 イチロー, 岩瀬仁紀 09 青田昇 10 江藤慎一 11 皆川睦雄 13 外木場義郎 16 榎本喜八 17 星野仙一, 平松政次 18 原辰徳 19 権藤博 20 田淵幸一 23 ランディ・バース 25 掛布雅之 59 正力松太郎, 平岡凞, 青井鉞男, 安部磯雄, 橋戸信, 押川清, 久慈次郎, 沢村栄治, 小野三千麿 60 飛田忠順, 河野安通志, 桜井彌一郎 62 市岡忠男 64 宮原清 65 井上登, 宮武三郎, 景浦將 66 守山恒太郎 67 腰本寿 68 鈴木惣太郎, 田邊宗英, 小林一三 69 三宅大輔, 田部武雄, 森岡二朗, 島田善介, 有馬頼寧 70 田村駒治郎, 直木松太郎, 中馬庚 71 小西得郎, 水野利八 72 中野武二, 太田茂 73 内海弘蔵, 天野貞祐, 広瀬謙三 74 野田誠三 76 小泉信三 77 森茂雄, 西村幸生 78 伊丹安広, 吉原正喜, 岡田源三郎 79 平沼亮三, 谷口五郎 80 千葉茂 81 佐伯達夫, 小川正太郎 82 鈴木龍二, 外岡茂十郎 83 内村祐之 84 桐原眞二 85 田中勝雄, 山内以九士 86 中河美芳, 松方正雄 87 藤田信男, 山下実 88 横沢三郎, 芥田武夫, 永田雅一 89 池田恒雄, 伊達正男 90 佐伯勇 91 中澤良夫 92 吉田正男 94 廣岡知男 95 呉昌征, 村上實 96 牧野直隆, 保坂誠 97 山本英一郎 98 中尾碩志, 井口新次郎 99 吉國一郎 00 福島慎太郎 01 武田孟, 長谷川良平 02 中澤不二雄, 生原昭宏 03 松田耕平 04 秋山登 05 志村正順 06 川島廣守, 豊田泰光 07 松永怜一 08 嶋清一 09 大社義規, 君島一郎 10 古田昌幸 12 長船騏郎, 大本修 13 福嶋一雄 14 相田暢一 15 林和男, 村山龍平 16 松本瀧藏, 山中正竹 17 郷司裕, 鈴木美嶺 18 瀧正男 19 脇村春夫 20 前田祐吉, 石井連藏 21 川島勝司, 佐山和夫 22 松前重義 23 古関裕而 24 谷村友一 25 富澤宏哉 02 フランク・オドール, 正岡子規 03 ホーレス・ウィルソン, 鈴鹿栄 表 話 編 歴 渡辺大陸 1950 中島治康 1951 有馬義一 1951 小西得郎 1952 - 1953 永沢武夫 1954 藤井勇 1955 迫畑正巳 1956 - 1958 森茂雄 1959 三原脩 1960 - 1967 別当薫 1968 - 1972 青田昇 1973 宮崎剛 1974 秋山登 1975 - 1976 別当薫 1977 - 1979 土井淳 1980 - 1981 関根潤三 1982 - 1984 近藤貞雄 1985 - 1986 古葉竹識 1987 - 1989 須藤豊 1990 - 1992 江尻亮 1992 近藤昭仁 1993 - 1995 大矢明彦 1996 - 1997 権藤博 1998 - 2000 森祇晶 2001 - 2002 山下大輔 2003 - 2004 牛島和彦 2005 - 2006 大矢明彦 2007 - 2009 尾花髙夫 2010 - 2011 中畑清 2012 - 2015 アレックス・ラミレス 2016 - 2020 三浦大輔 2021 - 現在 表 話 編 歴 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 稲尾和久 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 秋山登 1961 堀本律雄 1962 安藤元博 1963 高橋明 1964 J.スタンカ 1965 宮田征典 1966 城之内邦雄 1967 城之内邦雄 1968 金田正一 1969 高橋一三 1970 堀内恒夫 1971 堀内恒夫 1972 堀内恒夫 1973 堀内恒夫 1974 村田兆治 1975 山田久志 1976 足立光宏 1977 足立光宏 1978 松岡弘 1979 山根和夫 表 話 編 歴 1950 小鶴誠 1951 川上哲治 1952 別所毅彦 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 川上哲治 1956 別所毅彦 1957 与那嶺要 1958 藤田元司 1959 藤田元司 1960 秋山登 1961 長嶋茂雄 1962 村山実 1963 長嶋茂雄 1964 王貞治 1965 王貞治 1966 長嶋茂雄 1967 王貞治 1968 長嶋茂雄 1969 王貞治 1970 王貞治 1971 長嶋茂雄 1972 堀内恒夫 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 山本浩二 1976 王貞治 1977 王貞治 1978 若松勉 1979 江夏豊 1980 山本浩二 1981 江川卓 1982 中尾孝義 1983 原辰徳 1984 衣笠祥雄 1985 R.バース 1986 北別府学 1987 山倉和博 1988 郭源治 1989 W.クロマティ 1990 斎藤雅樹 1991 佐々岡真司 1992 J.ハウエル 1993 古田敦也 1994 桑田真澄 1995 T.オマリー 1996 松井秀喜 1997 古田敦也 1998 佐々木主浩 1999 野口茂樹 2000 松井秀喜 2001 R.ペタジーニ 2002 松井秀喜 2003 井川慶 2004 川上憲伸 2005 金本知憲 2006 福留孝介 2007 小笠原道大 2008 A.ラミレス 2009 A.ラミレス 2010 和田一浩 2011 浅尾拓也 2012 阿部慎之助 2013 W.バレンティン 2014 菅野智之 2015 山田哲人 2016 新井貴浩 2017 丸佳浩 2018 丸佳浩 2019 坂本勇人 2020 菅野智之 2021 村上宗隆 2022 村上宗隆 2023 村上頌樹 2024 菅野智之 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 佐藤孝夫 1953 権藤正利 1954 広岡達朗 1955 西村一孔 1956 秋山登 1957 藤田元司 1958 長嶋茂雄 1959 桑田武 1960 堀本律雄 1961 権藤博 1962 城之内邦雄 1964 高橋重行 1966 堀内恒夫 1967 武上四郎 1968 高田繁 1969 田淵幸一 1970 谷沢健一 1971 関本四十四 1972 安田猛 1974 藤波行雄 1976 田尾安志 1977 斉藤明雄 1978 角三男 1979 藤沢公也 1980 岡田彰布 1981 原辰徳 1982 津田恒美 1983 槙原寛己 1984 小早川毅彦 1985 川端順 1986 長冨浩志 1987 荒井幸雄 1988 立浪和義 1989 笘篠賢治 1990 与田剛 1991 森田幸一 1992 久慈照嘉 1993 伊藤智仁 1994 藪恵市 1995 山内泰幸 1996 仁志敏久 1997 澤﨑俊和 1998 川上憲伸 1999 上原浩治 2000 金城龍彦 2001 赤星憲広 2002 石川雅規 2003 木佐貫洋 2004 川島亮 2005 青木宣親 2006 梵英心 2007 上園啓史 2008 山口鉄也 2009 松本哲也 2010 長野久義 2011 澤村拓一 2012 野村祐輔 2013 小川泰弘 2014 大瀬良大地 2015 山﨑康晃 2016 髙山俊 2017 京田陽太 2018 東克樹 2019 村上宗隆 2020 森下暢仁 2021 栗林良吏 2022 大勢 2023 村上頌樹 2024 船迫大雅 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 梶岡忠義 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 渡辺省三 1957 金田正一 1958 金田正一 1959 村山実 1960 秋山登 1961 権藤博 1962 村山実 1963 柿本実 1964 G.バッキー 1965 金田正一 1966 堀内恒夫 1967 権藤正利 1968 外木場義郎 1969 江夏豊 1970 村山実 1971 藤本和宏 1972 安田猛 1973 安田猛 1974 関本四十四 1975 安仁屋宗八 1976 鈴木孝政 1977 新浦寿夫 1978 新浦寿夫 1979 平松政次 1980 松岡弘 1981 江川卓 1982 斉藤明夫 1983 福間納 1984 小林誠二 1985 小松辰雄 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 大野豊 1989 斎藤雅樹 1990 斎藤雅樹 1991 佐々岡真司 1992 盛田幸妃 1993 山本昌広 1994 郭源治 1995 T.ブロス 1996 斎藤雅樹 1997 大野豊 1998 野口茂樹 1999 上原浩治 2000 石井一久 2001 野口茂樹 2002 桑田真澄 2003 井川慶 2004 上原浩治 2005 三浦大輔 2006 黒田博樹 2007 高橋尚成 2008 石川雅規 2009 チェン 2010 前田健太 2011 吉見一起 2012 前田健太 2013 前田健太 2014 菅野智之 2015 K.ジョンソン 2016 菅野智之 2017 菅野智之 2018 菅野智之 2019 大野雄大 2020 大野雄大 2021 柳裕也 2022 青柳晃洋 2023 村上頌樹 2024 髙橋宏斗 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 藤村隆男 1953 大友工, 石川克彦 1954 杉下茂 1955 大友工 1956 堀内庄 1957 木戸美摸 1958 藤田元司 1959 藤田元司 1960 秋山登 1961 伊藤芳明 1962 小山正明 1963 山中巽 1964 石川緑 1965 山中巽 1966 堀内恒夫 1967 堀内恒夫 1968 島田源太郎 1969 高橋一三 1970 村山実 1971 坂井勝二 1972 堀内恒夫 1973 倉田誠 1974 松本幸行 1975 星野仙一 1976 加藤初 1977 新浦寿夫 1978 鈴木康二朗 1979 藤沢公也 1980 福士敬章 1981 江川卓 1982 都裕次郎 1983 津田恒美 1984 江川卓 1985 北別府学 1986 北別府学 1987 川端順 1988 小野和幸 1989 西本聖 1990 斎藤雅樹 1991 北別府学 1992 斎藤雅樹 1993 山本昌広 1994 紀藤真琴 1995 石井一久 1996 斎藤雅樹 1997 三浦大輔 1998 桑田真澄 1999 上原浩治 2000 工藤公康 2001 入来祐作 2002 上原浩治 2003 井川慶 2004 上原浩治 2005 安藤優也 2006 川上憲伸 2007 高橋尚成 2008 館山昌平 2009 D.ゴンザレス 2010 久保康友 2011 吉見一起 2012 杉内俊哉 2013 小川泰弘 2014 山井大介 2015 M.マイコラス 2016 野村祐輔 2017 薮田和樹 2018 大瀬良大地 2019 山口俊 2020 菅野智之 2021 青柳晃洋 2022 青柳晃洋 2023 東克樹 2024 菅野智之 表 話 編 歴 1950 杉下茂 1951 金田正一 1952 金田正一 1953 金田正一 1954 杉下茂 1955 金田正一 1956 金田正一 1957 秋山登 1958 金田正一 1959 金田正一 1960 金田正一 1961 権藤博 1962 小山正明 1963 金田正一 1964 金田正一 1965 村山実 1966 村山実 1967 江夏豊 1968 江夏豊 1969 江夏豊 1970 江夏豊 1971 江夏豊 1972 江夏豊 1973 高橋一三 1974 金城基泰 1975 外木場義郎 1976 池谷公二郎 1977 池谷公二郎 1978 斉藤明雄 1979 新浦寿夫 1980 江川卓 1981 江川卓 1982 江川卓 1983 遠藤一彦 1984 遠藤一彦 1985 小松辰雄 1986 遠藤一彦 1987 川口和久 1988 槙原寛己 1989 川口和久 1990 木田優夫 1991 川口和久 1992 仲田幸司 1993 今中慎二 1994 桑田真澄 1995 斎藤雅樹 1996 斎藤隆 1997 山本昌 1998 石井一久 1999 上原浩治 2000 石井一久 2001 野口茂樹 2002 井川慶 2003 上原浩治 2004 井川慶 2005 門倉健, 三浦大輔 2006 川上憲伸, 井川慶 2007 内海哲也 2008 C.ルイス 2009 C.ルイス 2010 前田健太 2011 前田健太 2012 杉内俊哉, 能見篤史 2013 R.メッセンジャー 2014 R.メッセンジャー 2015 藤浪晋太郎 2016 菅野智之 2017 M.マイコラス 2018 菅野智之 2019 山口俊 2020 大野雄大 2021 柳裕也 2022 戸郷翔征 2023 今永昇太 2024 戸郷翔征 表 話 編 歴 投 秋山登 捕 土井淳 一 近藤和彦 二 井上登 三 長嶋茂雄 遊 吉田義男 外 中利夫 / 並木輝男 / 森徹 表 話 編 歴 1950 今西錬太郎 1951 高野裕良 1952 高野裕良 1953 江田貢一 1954 権藤正利 1955 権藤正利 1956 江田孝 1957 大石正彦 1958 大石正彦 1959 鈴木隆 1960 幸田優 1961 秋山登 1962 島田源太郎 1963 稲川誠 1964 稲川誠 1965 稲川誠 1966 秋山登 1967 森中千香良 1968 森中千香良 1969 平岡一郎 1970 平松政次 1971 平松政次 1972 山下律夫 1973 平松政次 1974 平松政次 1975 平松政次 1976 平松政次 1977 渡辺秀武 1978 平松政次 1979 平松政次 1980 平松政次 1981 斉藤明雄 1982 斉藤明夫 1983 遠藤一彦 1984 遠藤一彦 1985 遠藤一彦 1986 遠藤一彦 1987 遠藤一彦 1988 欠端光則 1989 斉藤明夫 1990 中山裕章 1991 中山裕章 1992 野村弘樹 1993 有働克也 1994 有働克也 1995 野村弘樹 1996 盛田幸希 1997 盛田幸希 1998 川村丈夫 1999 三浦大輔 2000 川村丈夫 2001 小宮山悟 2002 三浦大輔 2003 吉見祐治 2004 三浦大輔 2005 三浦大輔 2006 三浦大輔 2007 三浦大輔 2008 寺原隼人 2009 三浦大輔 2010 S.ランドルフ 2011 山本省吾 2012 高崎健太郎 2013 藤井秀悟 2014 三嶋一輝 2015 久保康友 2016 井納翔一 2017 石田健大 2018 石田健大 2019 今永昇太 2020 今永昇太 2021 濵口遥大 2022 東克樹 2023 石田健大 2024 東克樹 表 話 編 歴 春日由三 吉本明光 中山晋平 春日由三 吉川義雄 春日由三 吉川義雄 川村専一 狩野近雄 河上英一 笹本恭彦 明瀬裕 池田太郎 牧定忠 春日由三 吉川義雄 渋沢秀雄 横山隆一 西崎緑 貝谷八百子 田付辰子 メイ牛山 春日由三 吉川義雄 岩田専太郎 勅使河原蒼風 千代の山雅信 小山いと子 吉村公三郎 市川翠穂 マヤ片岡 春日由三 吉川義雄 三國連太郎 小西得郎 栃錦清隆 青木茂高 河上牧子 水木洋子 坂西志保 田村佐紀子 吾妻徳穂 吉川義雄 田中角栄 菊田一夫 若乃花勝治 金田正一 奥むめお 森田たま 細川ちか子 近藤百合子 吉川義雄 横山泰三 水原茂 稲垣浩 朝汐太郎 沢田美喜 杉村春子 戸川エマ 赤堀全子 吉川義雄 木下惠介 大宅壮一 杉浦幸雄 若羽黒朋明 長谷川春子 大濱英子 榊淑子 谷桃子 吉川義雄 秋山登 唐島基智三 柏戸剛 松本幸四郎 中村汀女 田中絹代 秋山ちえ子 江上トミ 長沢泰治 土門拳 高田元三郎 仲代達矢 大鵬幸喜 和田夏十 勅使河原霞 村山リウ 森光子 長沢泰治 工藤昭四郎 東郷青児 森英恵 大山康晴 山内一弘 佐田の山晋松 藤間紫 岡田茉莉子 十返千鶴子 浪花千栄子 長沢泰治 細川隆元 丹羽文雄 實川延若 中西太 栃ノ海晃嘉 飯田蝶子 貞閑晴 新珠三千代 花柳壽輔 佐久間良子 長沢泰治 大林清 北葉山英俊 林与一 古賀忠道 春風亭柳橋 岩下志麻 司葉子 長谷川町子 林美智子 吉屋信子 坂本朝一 円地文子 安達曈子 入江美樹 藤村志保 小絲源太郎 松下幸之助 ファイティング原田 緒形拳 坂本朝一 樫山文枝 五代利矢子 浜美枝 山崎豊子 大佛次郎 尾上菊之助 加藤芳郎 鶴ヶ嶺昭男 中山卯郎 福島慎太郎 木村秀政 西本幸雄 石坂浩二 福原美和 栗原小巻 塩月弥栄子 平岩弓枝 中山卯郎 江夏豊 王馬熙純 榊原仟 鈴木俊一 曽野綾子 高田敏子 藤田弓子 三船敏郎 中山卯郎 浅丘ルリ子 市川海老蔵 今井通子 大谷直子 菅野義丸 佐藤愛子 鶴岡一人 平幹二朗 中道定雄 坂東玉三郎 樋口久子 小林弘 三田佳子 志村喬 武原はん 玉の海正洋 中山律子 仲代達矢 小野田勇 浪花家辰造 大場政夫 宇田川龍男 堀内寿子 大山英子 村山加代子 中山きよ子 樫山文枝 山口果林 高橋信雄 山下迪子 館弘子 石田芳夫 中山紀子 井沢つま 森戸辰男 溝尾正志 花本方美 為久優子 成田和子 桑田たつ子 村上巳里 山下誠 小川善三郎 河野久枝 桑原永子 田中由起子 佐藤太圭子 山田三智穂 大谷豊二 高橋優子 貴ノ花利彰 赤塚洋文 平内義幸 富岡雅寛 山崎勲 平賀輝子 中川時子 加藤稔 池内淳子 中原誠 森英恵 小林桂樹 中村汀女 井上ひさし 中野貴代 神田好武 真木洋子 輪島大士 高橋洋子 生沼スミエ 棟方志功 村上元三 京マチ子 サトウサンペイ 高田ユリ 尾上菊五郎 寺島純子 北の湖敏満 根本良夫 橋本明治 杉村春子 尾上松緑 栗原小巻 堀江謙一 檀ふみ 魁傑將晃 新垣留美子 根本良夫 尾上梅幸 高橋展子 吉永小百合 加藤剛 三林京子 大竹しのぶ 古葉竹識 三重ノ海五郎 池田彌三郎 浅丘ルリ子 中村梅之助 小野清子 村上隆 堤加蓉子 カロリーナ・ピレス・ド・リオ 若三杉壽人 川上哲治 川口幹夫 市川染五郎 上田利治 旭國斗雄 水島新司 川橋幸子 橋田壽賀子 新井春美 竹下景子 川口幹夫 北の湖敏満 岩下志麻 植村直己 八千草薫 安奈淳 森和人 森下洋子 山本浩二 加藤好雄 若山富三郎 ミヤコ蝶々 菅原文太 大原麗子 松本零士 重兼芳子 古葉竹識 多岐川裕美 加藤好雄 松本幸四郎 陳舜臣 佐久間良子 木田勇 向田邦子 島田陽子 鈴木喜久子 角田好雄 渡辺一雄 石毛宏典 古手川祐子 緒形拳 花井幸子 倉本昌弘 森光子 坂田栄男 高橋洋子 秋竜山 澤地久枝 香川宏 生沼スミエ 玉の海梅吉 森英恵 山藤章二 池上季実子 広岡達朗 村松友視 真野響子 滝田栄 橋田壽賀子 前橋汀子 市川猿之助 香川宏 三船敏郎 松本幸四郎 大原麗子 田淵幸一 樋口久子 松坂慶子 田中裕子 隆の里俊英 谷川浩司 林真理子 胡桃沢耕史 宮尾登美子 山口小夜子 役所広司 菊池綜一 江上由美 釜本邦茂 名取裕子 風間杜夫 石井幹子 連城三紀彦 里中満智子 衣笠祥雄 松坂慶子 市川海老蔵 遠藤利男 三田佳子 中村吉右衛門 高野悦子 小池一夫 武原はん ジェームス三木 山口洋子 吉田義男 大地真央 北尾光司 中野正之 森光子 清原和博 森下洋子 雁屋哲 黒柳朝 加藤芳郎 山崎洋子 渡辺謙 加納みゆき 千代の富士貢 吉岡利夫 若尾文子 中井貴一 森瑤子 江藤俊哉 俵万智 逢坂剛 森口祐子 近藤真一 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akiyama noboru
秋山登と同じ誕生日2月3日生まれ、同じ岡山出身の人
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