日本人史上初の遊撃手での首位打者を獲得するなど、遊撃手として屈指の打撃力を誇った打撃型ショートであった。豊田以外の日本人遊撃手の首位打者はプロ野球歴代で西岡剛(2010年)と坂本勇人(2016年)のみである。攻撃力の傑出度を測るRCWINは遊撃手史上最高の数値を記録しており、25歳5か月での1000本安打達成は榎本喜八、土井正博に次ぐ歴代3位タイのスピード記録である。
豊田がプロ入りした1950年代当時の野球では、遊撃手は打撃力は二の次で守備力が最優先、2番打者はバントか進塁打で走者を進めることが重要、という評価が常識として通用していた。その点で、年間で45失策を記録したが三原に起用され続け、新人王を獲得した豊田のプレースタイルは当時としては異質であった。ただし豊田の盗塁数は多く、「俊足」という点では他の2番打者との共通性を持っていた。
制約の多い2番打者での起用が多い選手での通算約1600安打は、当時では非常に高い数字だった。西鉄の全盛期にクリーンナップを打っていれば、通算1800安打から1900安打は確実に打っていただろうとするチームメイトの証言がある。
6(遊撃手) - 4(二塁手) - 3(一塁手)のダブルプレーはプロ野球でもよく見られるが、西鉄の場合(遊撃手:豊田、二塁手:仰木彬、一塁手:河野昭修→中西太)は普段と異なる点がひとつあった。通常このプレーにおいて、遊撃手は二塁手が一塁へ送球しやすいように、二塁手の体の右側へと送球するのがセオリーとなっているが、仰木が「右側に投げられると一塁へ送球しにくい」といったため、豊田は仰木と二遊間を守る時は仰木の体の左側へ送球していた。ただし滝内弥瑞生など、仰木以外の選手が二塁を守る時は二塁手の体の右側に送球していたが、仰木とのコンビが9年間続いたせいで豊田の中には「6 - 4 - 3のダブルプレーの際には二塁手の体の左側に送球する」のが癖になってしまい、国鉄移籍後に遊撃手として出場した際に悪送球を犯している。
3連敗のあと1勝を返して迎えた1958年の日本シリーズ第5戦、2-3とリードされた9回裏、先頭の小淵泰輔が二塁打で出塁。3番の豊田に打順が回り、強打か送りバントかの判断を迫られたが、ベンチの三原を見ても「お前に任せる」と言わんばかりの知らん顔だった。結局豊田は自分の判断で送りバントをしたが、西鉄のナインはこのシリーズ最も当たっていた豊田が送るとは思わず、ベンチに帰ったら「なぜ打たなかった」と袋叩きに遭ったという。一死三塁となったが、期待のかかった4番の中西がサードゴロに倒れ、二死となって5番の関口清治の場面では、豊田は「どんな神様でもいいです。お願いですから関口さんに打たせてください」と祈っていたという。関口は中前にはじき返し、土壇場で同点に追いついた西鉄は息を吹き返し、この試合稲尾和久の本塁打でサヨナラ勝ち、結局3連敗4連勝でシリーズも制覇した。尚、関口はその同点タイムリーを放つ打席を迎えるまで、この年のシリーズ打撃成績は15打数1安打と不調に見舞われていた。
黒地に白のNLマークの帽子は、西鉄のマネジャー・常務を務めた藤本哲男が1979年に福岡市中央区に開業した野球用品店「ライオンズベースボールショップ」で現在も購入可能である。
1958年のオフ、1月には歌謡曲「男のいる街」を発売し、その年上半期のビクターの歌謡曲(流行歌)レコード売上で10位に入り、7万枚を売り上げるヒットとなった。同曲は豊田の公式ホームページで試聴可能となっていて、豊田は「(日本の)スポーツ選手のレコーディング第1号」と述べている。作曲は日立市出身の吉田正で、その後も豊田とは親交を持っていた。吉田の没後の2004年に同市で吉田正音楽記念館が開設された際、吉田の遺品の寄贈式で豊田は体調不良の吉田の妻に代わって出席している。
通算1000三振記録者を対象とする「千振会」(せんしんかい)の結成を提唱したが、他の対象者の賛同を得られず実現しなかった。
晩年には、社会貢献として、木製バットの原材料であるアオダモの植樹活動を精力的に行っていた。2008年には茨城県に500万円の寄付を行い、県内の運動公園や文化施設などへ自動体外式除細動器(AED)約20台を設置するための資金に充てられることになった。
稲尾和久が西鉄入団後に初めて球団寮を訪れた際、稲尾が中央球界では無名の存在だったこともあり、当時の寮長で3学年年上だった豊田は「西鉄に入る? 運転手になるなら本社(親会社の西日本鉄道)へ行け」と稲尾に対して冷たく対応したという。しかしその後は稲尾の人柄や野球に対する姿勢に感銘を受けた。2007年には稲尾の訃報に対して「ショックです。親、兄弟と同じ存在だった」「西鉄というのは稲尾ライオンズ。ライオンズをつくったのは稲尾。わたしの心の中で西鉄ライオンズはきょうで終わりです」とコメントした。その後2012年に稲尾の背番号が再び永久欠番になった際のセレモニーの開会挨拶では、「まるでここに稲尾がいるようで…」と人目も憚らず号泣した。豊田は「稲尾の話だけには弱い」と語っている。
1990年代初めはテレビ東京のスポーツ番組『スポーツTODAY』(月曜日のコーナー「月曜スポーツ討論会」)にて青田昇、有本義明、ダンカンらとともにプロ野球に関して侃々諤々の議論をしていた。月曜スポーツ討論会の最終回(このとき豊田がフジテレビ解説に復帰することが報告される)でダンカンより本をプレゼントされるが、その本は確執があったとされる別所毅彦著作の『剛球唸る!―栄光と熱投の球譜』であったため、やや引きつった笑みで、「(本を)ありがとう」と言っていた。
西鉄時代の監督だった三原を“恩師”として晩年に至るまで尊敬しており、自身の連載コラムや著書で「三原さんをプロ野球のコミッショナーにすべきだった」と時折語っていた。また、引退後の身の振り方について、西鉄時代に三原から「合宿先でも空いてる時間は漫画や雑誌ではなく、本を読め」とずっと言われて来て、豊田自身もその忠告を素直に受け入れたから今の評論家活動があると連載コラムや自筆の著書でもたびたび語っていた。
豊田はプロ野球関係者の葬儀に基本的に参列しなかった。その理由について「グラウンドで戦った先輩や友人、仲間たちの葬式に行ったら、悲しくなってしまってね、涙が止まらなくなって堪らないからです。そういうのが嫌だから、自分は葬式に行かないで自分なりに(故人に)お別れするようにしているんです」と、『週刊ベースボール』のコラムに書いていた。ただし、親交の深い野球ジャーナリストの田村大五の葬儀には参加し弔辞も読んだ。
野球評論家としては、球界のさまざまな問題点に切り込んだ辛口な批評を行っていた。
1998年のヤクルト対巨人のテレビ中継でヤクルト監督の野村克也の野球の素晴らしさを引き合いに出し長嶋茂雄の監督能力や選手起用を批判した。テレビの公共電波で長嶋批判を行った人物は過去にも水原茂らがいるが、テレビ局には抗議の電話が殺到し、「長嶋信者」として知られる徳光和夫の怒りにも触れた。
その一方で豊田は野村のこともねじめ正一との対談の中で「挨拶をしたくもされたくもないほど嫌い」と語っていた。ただ、晩年には野村への感情も軟化したようで、『週刊ベースボール』の連載コラム(「豊田泰光のオレが許さん!」)最終回一回前での連載回顧では「90年代はノムさん(野村克也氏)のヤクルトが全盛時代を迎えるのですが、なぜかノムさんへの言及が少なかったような気がします。オレの筆は、古巣ライオンズへの苦言という方向に走りがちでした。もっとノムさんのどこがすごいのかを書くべきだったかもしれません」「この人とは1935年生まれの同い年。2人で話していると、話が止まらなくなる。(中略)この人、あれだけの実績を持ちながら『この前のアレはどういうことだったのかね。オレには分からん。教えてくれんかね』とよく他人に聞くのです。聞く耳を持つ人が一番エライのですよ、この世界。これはできないことですよ、ホント」と、野村の野球に対する飽くなき探求心とその姿勢に敬意を表している。
野村は豊田の死去に際して「プロ入りした当時、レギュラーで遠い存在だった」「勝負強さは抜群で、痛いところでよく打たれた。同世代がまた一人逝ってしまった。寂しい限りだ 」とコメントした。
川相昌弘が2003年に原辰徳から来季のコーチ就任を任命されながら、その後、原が今季限りで辞任し、球団から来季以降の契約の話が来なくて、川相がしびれを切らし引退を撤回して自由契約にしてもらった件で、比較的川相に同情的な声が多い中、「この世界は監督が交代したら、前監督との約束が反故になるのは当たり前」「新しい監督が決まれば、フロントと話し合いをしてチームの方向性を決めてるなどして時間がかかるから、すぐにコーチをやってくれとはならない」「契約を理解していない川相は子供」と述べた。
文化放送ライオンズナイターには1982年の開始当初からレギュラー解説者として出演し、当時は異例だった「一方的身びいき放送」の解説者として西武ライオンズ(当時)を応援した。しかし、西武球団が長年にわたって自らを1978年末の設立(球団買収)による新球団と見なし、前身の福岡時代の記録を無視し、当時の在籍選手を球団OBとして認めなかったことには不満を持ち、元選手には行き場がないとしてその対応を批判していた。買収から30年が経過した2008年に、埼玉西武ライオンズが西鉄ライオンズの復刻版ユニフォームを着けて公式戦を行い、日本シリーズ3連覇や稲尾の活躍を含めた福岡時代の歴史を各種企画で紹介する「ライオンズ・クラシック」の実施が決まると、豊田はエグゼクティブ・アドバイザーに就任して監修に務め、その初戦となった同年6月28日の対千葉ロッテマリーンズ戦では西鉄時代のユニフォーム姿で始球式のマウンドを務めた。試合後は「この風景を(前年亡くなった)稲尾に見せたかった」と語り、「ライオンズ・クラシック」企画が終了した際にも「こんなにうれしい日々はなかった。これから西武を応援していきます」と感極まった様子で場内の観客にあいさつした。
2010年に高校の後輩である大久保博元が不祥事でシーズン中に西武の打撃コーチを解任された際は球界から去って世間の荒波にもまれるべきだと述べている。
2012年のライオンズ・クラシックで、全選手が稲尾の永久欠番『24』をつけてプレーした試合の開始前に、背広姿で挨拶に立った。
豊田は、引退の翌年(1970年)以降、2000年までフジテレビの専属解説者としてプロ野球中継や『プロ野球ニュース』(1976年開始)で活躍していた(ただし、近鉄コーチとして現場復帰した1972年の他、1987年 - 1992年にかけて専属を離れた時期もあった)。
これはフジテレビがプロ野球ニュースなどの野球番組で、1990年代前後から野球に詳しくない女性アナウンサーやタレントを起用するようになるなど、野球ニュースとしての低質化が起こったことが要因であったが、これらを差し置いても一番の絶縁の理由は、2001年のプロ野球ニュースの地上波での放送終了であった。終了後はCS放送に移動して同番組は継続されたが、豊田自身は「プロ野球ニュースだけは(地上波で)絶対に終わらせてはいけない」と声を大にして叫んでおり、『週刊ベースボール』の自身のコラムでもこのことについて何度も発言していた(フジテレビ公式サイト内のコラムでも地上波での再開を主張していた)。
活発なコラム執筆を続ける中で、豊田の活動はプロ野球以外の領域にも広がる場合があった。フジテレビの公式サイトで続けてきたコラムの最終回は川淵三郎・日本サッカー協会キャプテン(会長、当時)との対談の話題であり、神風特別攻撃隊の一員として第二次世界大戦(太平洋戦争)で戦死した石丸進一について語りながら自身の戦争体験を振り返ったコラムをスポーツニッポンの九州版で執筆したこともある。
文化放送ライオンズナイターの近鉄対西武戦の中継(藤井寺球場)で、一度だけ試合の実況をしたことがある。
体罰についても、一貫して否定派であり、野球界のみならず他競技の体罰に対しても厳しく批判していた。
各年度の太字はリーグ最高
国鉄(国鉄スワローズ)は、1965年途中にサンケイ(サンケイスワローズ)、1969年にアトムズに球団名を変更
首位打者:1回 (1956年)
最多出塁数:2回(1959年、1961年)
新人王 (1953年)
ベストナイン:6回 (1956年、1957年、1959年 - 1962年)
日本シリーズMVP:1回 (1956年)
日本シリーズ首位打者賞:2回 (1956年、1958年)
日本シリーズ優秀選手賞:1回 (1957年)
野球殿堂特別表彰(2006年)
茨城県民栄誉賞(2006年)
1000試合出場:1960年8月7日 ※史上54人目
2試合連続サヨナラ本塁打 (1968年8月24日 - 8月25日)
3年連続最多四球 ※福本豊、落合博満、柳田悠岐と並ぶパ・リーグ最長タイ
オールスターゲーム出場:9回 (1955年 - 1960年、1962年 - 1964年)
7 (1953年 - 1969年)
70 (1972年)
豊田泰光の赤えんぴつ
- 野球評論家転身当初に担当した、サンケイスポーツの連載コラム。
チェンジアップ
- 日本経済新聞の連載コラム。
豊田泰光のオレが許さん!
- 『週刊ベースボール』で1994年から2013年まで連載していたコラム。
文化放送ホームランナイター
- 1979年 - 2011年頃まで出演。
- ※豊田によると規制なく自由にめったぎれるから出演できるとのこと。
文化放送ライオンズナイター
- 以前はレギュラー解説を務めており、戸谷真人アナウンサーとのコンビで知られた(2006年は久々に一度だけ出演、2009年6月17日の巨人戦、同年8月26日の楽天戦にも出演)。
- 前述の「ホームランナイター」も含めて出演がなくなった2012年以降は、ライオンズOBの立場でインタビュー企画等に出演するのみにとどまっている。
ニッポン放送ショウアップナイター
- 1970年 - 1971年、1973年 - 1976年まで出演。
野球道
- ※フジテレビ系列のプロ野球中継の現行タイトル(2016年現在)。
- 1970年 - 1971年、1973年 - 1986年、1993年途中 - 2002年頃に出演(専属契約は2000年度まで。その後は本数契約という形で、地上波副音声・CS放送にて出演)。
プロ野球ニュース
- 地上波時代のレギュラー解説者(上記中継と同じく、一時期専属から離れていたため、出演していなかった)。CS時代の初期(2001年 - 2002年頃)にも時折出演していた。
激生!スポーツTODAY
- 1987年 - 1992年に野球解説者として出演。
ALWAYS Baseball
- 1987年 - 1992年に野球解説者として出演。
ナマ虎スタジアム
- ※テレビ大阪のプロ野球中継の現行タイトル(2017年現在)。
- 1987年 - 1992年に出演。
ベーヤンとトヨさんのプロ野球いいたい放題
- 1980年頃、文化放送ホームランナイターの前座番組として放送していた10分番組。別所毅彦と共演。
トヨさんのサンデーラジオI( - アイ)
- 2000年10月 - 2001年3月、日曜17:50 - 20:00に放送。19:00以降は一部のNRN系列局にネットされた。
豊田泰光 ウルトラサンデー
- 2001年10月 - 2002年3月、日曜17:50 - 20:00に放送。前年度同様、19:00以降は一部のNRN系列局にネットされた。
豊田泰光 スーパーウルトラサンデー
- 2002年10月 - 2003年3月、日曜17:40 - 19:00に放送。この年から19時台のNRN系列枠が『ラジオふるさと便』となったため、全編関東ローカルとなった。
豊田泰光 サンデースポーツファミリー
- 2003年10月 - 2004年3月、日曜18:00 - 19:00に放送。前半30分はラジオ大阪にネットされた。
- 2004年ナイターオフシーズンの番組は、『サンデースポーツパラダイス・エキウリ!』となったため、上記番組を最後に、豊田がパーソナリティを務める同系統の番組は放送されていない。2015年現在この後継に当たるのは『岩本勉のまいどスポーツ』である。
協和醗酵工業 焼酎・大五郎(現在はニッカウヰスキーが製造し、アサヒビールから発売)
- テレビCM。1980年代後半頃から1997年頃まで出演。その後1998年から今井雅之が主演した。その間、1991年から、とみたいちろう歌唱のCMソング「俺とおまえと大五郎」(作詞:伊藤アキラ・作曲:鈴木キサブロー)が使用されるようになった。
『豊田泰光のチェンジアップ人生論』(日本経済新聞社:2006年4月、ISBN 4532165407)
『オレが許さん!波瀾万丈交友録』(ベースボール・マガジン社:2006年8月、ISBN 4583039166)
『プロ野球を殺すのはだれだ』(ベースボール・マガジン社:2009年3月、ISBN 978-4583101620)
『「まぐれ」と「極意」 勝負に勝つ上達のセオリー』(日経BP出版センター:2009年10月、ISBN 978-4822265472)
『豊田泰光 108の遺言』(ベースボール・マガジン社:2013年10月、ISBN 978-4583106359)
^ 日立市は1945年の終戦前に日立空襲と呼ばれる空襲と艦砲射撃を受け、大きな被害を出した。
^ 同記録は1959年にセ・リーグで読売ジャイアンツの長嶋茂雄が29本を打って更新されたが、高卒新人の記録としては1986年に清原和博が31本塁打を打つまで最多だった。現在でも豊田の記録は清原・桑田武(同数の31本)・長嶋に次ぐ新人歴代4位、高卒新人では歴代2位。また、この年に残した25盗塁は現在でも高卒新人の歴代最多記録である。
^ この試合では三原は球場に来なかったため、代理で監督を務めた川崎徳次が三原の意向を受けて両者を休ませている。
^ 中西の記録を4年ぶりに更新。1962年に張本勲が並び、その翌年に張本が抜いた
^ 『ヤクルトスワローズ球団史』にも「右翼某大物が介入」との記述があった。
^ 坂本勇人、イチローも25歳5か月で達成しているが、日数計算した場合は坂本は25歳157日、豊田は25歳168日、イチローは25歳180日で、豊田は歴代4位となる。
^ 当時の遊撃手としては他球団の選手の数字(平井三郎〈巨人〉55失策、白石勝巳〈広島〉45失策、吉田義男〈阪神〉38失策など)と比べて特別多かったわけではない。
^ 1988年4月に『プロ野球ニュース』の司会が一新され、同番組のスタート以来司会を続けていた佐々木信也が外される一方、土曜と日曜は野球に関する知識不足を自認していたフジテレビ入社2年目の中井美穂アナウンサーが司会を担当していた。
^ 地上波版の放送終了の原因は、1990年代以降プロ野球以外のスポーツ(メジャーリーグ、サッカー、総合格闘技等)を特集することが多くなり、タイトルと内容の乖離が目立ってきたこと、最末期に担当していた女性キャスター3名(大橋マキ、宇田麻衣子、荒瀬詩織)が同時にフジテレビを退社することが決定、番組リニューアルを迫られる事態になったことが挙げられる。特に前者はそのタイトルゆえ、野球以外のスポーツ選手によってはインタビューが拒否されるという弊害も起こっていた。
^ 1978年まで出演していた荒川博の後任として、1979年4月15日の横浜大洋対巨人戦から出演。
^ 1993年9月3日のヤクルト対巨人戦から復帰。
^ “豊田泰光氏が死去 プロ野球・西鉄黄金期支える”. 日本経済新聞. (2016年8月15日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG15H3R_V10C16A8CC0000/?dg=1&nf=1 2016年8月15日閲覧。
^ “平成18年度茨城県表彰”. 茨城県 (2016年3月18日). 2017年8月15日閲覧。
^ “豊田泰光氏が語る 戦争とプロ野球”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2007年8月16日). オリジナルの2014年6月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140607001201/http://www.sponichi.co.jp/seibu/column/closeup/KFullNormal20070816149.html 2017年8月15日閲覧。
^ 豊田泰光「豊田泰光のオレが許さん 第917回 19年目の自己紹介(1)」『週刊ベースボール』2012年1月23日号、ベースボール・マガジン社、70-71頁、雑誌20444-1/23。
^ “元プロ野球選手、豊田泰光さんが寄付”. 常陽新聞. (2008年6月5日). オリジナルの2014年6月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140606231230/http://www.joyo-net.com/kako/2008/honbun080605.html 2017年8月15日閲覧。
^ 『プロ野球三国志』144頁
^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
^ 『プロ野球三国志』145頁
^ “不倫騒動に監督への造反、無免許交通事故…不祥事から再起を果たしたプロ野球選手たち<SLUGGER>”. THE DIGEST. 2023年2月8日閲覧。
^ 『プロ野球トレード史II』、ベースボール・マガジン社、1991年、108頁。
^ 徳永喜男『ヤクルトスワローズ球団史 1992年度版』ベースボール・マガジン社、1992年、頁。ISBN 4583030339。
^ 立石泰則『魔術師 決定版』(小学館、2002年)678頁。
^ “【8月25日】1968年(昭43) サヨナラ男・豊田、2戦連続同じ投手から決着弾”. 2011-10-28. 2011年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月28日閲覧。
^ “豊田泰光さん死去 本紙評論家・伊勢孝夫氏が悼む”. 東スポWEB (2016年8月16日). 2023年2月8日閲覧。
^ “元西鉄の強打者 豊田泰光さん死去 81歳 辛口評論でも人気”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2016年8月15日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/08/15/kiji/K20160815013172800.html 2016年8月15日閲覧。
^ 「記録の手帳 2731回」『週刊ベースボール』2014年6月16日号、ベースボール・マガジン社、76頁。
^ Sports Graphic Number 三原脩生誕100周年記念特集
^ 「本年度上半期 流行歌ベスト10」『毎日新聞』1958年7月14日付東京夕刊、2面。1位はフランク永井の「有楽町で逢いましょう」。
^ “故・豊田泰光氏の文章力は恐るべき好奇心のたまもの | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2023年2月8日閲覧。
^ 井手義弘 (2004年2月13日). “吉田正記念館・開館にむけての準備進む”. ほっとメール@ひたち(茨城県議会議員井手よしひろのブログ). ライブドア. 2017年8月15日閲覧。
^ 玉木正之『プロ野球大事典』新潮社〈新潮文庫〉、1990年、322頁。ISBN 4101070121。 玉木は「(他の対象者の)ほとんどが名球会の会員だったせいもあったのだろうが、プロ野球界やそれを支援するスポンサーに、彼のジョークが通じなかったのは残念だ」と記している。
^ “野球解説者の豊田泰光氏、茨城県に500万寄付”. MSN産経ニュース. 産経デジタル. (2008年6月4日). オリジナルの2008年6月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080622134758/http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/ibaraki/080604/ibr0806040247002-n1.htm 2017年8月15日閲覧。
^ “豊田泰光のオレが許さん!『20年を振り返って』”. ベースボール・マガジン社. 2021年11月18日閲覧。
^ “豊田泰光さん死去 野村克也さん、中西太さんの話”. 毎日新聞. (2016年8月16日). https://web.archive.org/web/20160823235538/http://mainichi.jp/articles/20160816/ddm/035/050/036000c 2016年8月17日閲覧。
^ “巨人軍改革論”. 週刊ベースボール (別冊2003年冬季号): 16-17.
^ 「豊田泰光のオレが許さん!」『週刊ベースボール』2010年8月11日号、ベースボール・マガジン社、。
有本義明『プロ野球三国志』毎日新聞社、1992年
茨城県出身の人物一覧
埼玉西武ライオンズの選手一覧
東京ヤクルトスワローズの選手一覧
鯨岡兵輔 - 豊田の親族、元衆議院副議長
個人年度別成績 豊田泰光 - NPB.jp 日本野球機構
選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
野球殿堂 豊田泰光
豊田泰光旧公式ページ
豊田泰光新公式ページ
表
話
編
歴
60 ヴィクトル・スタルヒン
62 池田豊
63 中島治康
64 若林忠志
65 川上哲治, 鶴岡一人
69 苅田久徳
70 天知俊一, 二出川延明
72 石本秀一
74 藤本定義, 藤村富美男
76 中上英雄
77 水原茂, 西沢道夫
78 松木謙治郎, 浜崎真二
79 別所毅彦
80 大下弘, 小鶴誠
81 飯田徳治, 岩本義行
83 三原脩
85 杉下茂, 白石勝巳, 荒巻淳
88 長嶋茂雄, 別当薫, 西本幸雄, 金田正一
89 島秀之助, 野村克也, 野口二郎
90 真田重蔵, 張本勲
91 牧野茂, 筒井修, 島岡吉郎
92 廣岡達朗, 坪内道則, 吉田義男
93 稲尾和久, 村山実
94 王貞治, 与那嶺要
95 杉浦忠, 石井藤吉郎
96 藤田元司, 衣笠祥雄
97 大杉勝男
99 中西太, 広瀬叔功, 古葉竹識, 近藤貞雄
00 米田哲也
01 根本陸夫, 小山正明
02 山内一弘, 鈴木啓示, 福本豊, 田宮謙次郎
03 上田利治, 関根潤三
04 仰木彬
05 村田兆治, 森祇晶
06 門田博光, 高木守道, 山田久志
07 梶本隆夫
08 山本浩二, 堀内恒夫
09 若松勉
10 東尾修
11 落合博満
12 北別府学, 津田恒実
13 大野豊
14 野茂英雄, 秋山幸二, 佐々木主浩
15 古田敦也
16 斎藤雅樹, 工藤公康
17 伊東勤
18 松井秀喜, 金本知憲
19 立浪和義
22 髙津臣吾, 山本昌
23 アレックス・ラミレス
24 谷繁元信, 黒田博樹
25 イチロー, 岩瀬仁紀
09 青田昇
10 江藤慎一
11 皆川睦雄
13 外木場義郎
16 榎本喜八
17 星野仙一, 平松政次
18 原辰徳
19 権藤博
20 田淵幸一
23 ランディ・バース
25 掛布雅之
59 正力松太郎, 平岡凞, 青井鉞男, 安部磯雄, 橋戸信, 押川清, 久慈次郎, 沢村栄治, 小野三千麿
60 飛田忠順, 河野安通志, 桜井彌一郎
62 市岡忠男
64 宮原清
65 井上登, 宮武三郎, 景浦將
66 守山恒太郎
67 腰本寿
68 鈴木惣太郎, 田邊宗英, 小林一三
69 三宅大輔, 田部武雄, 森岡二朗, 島田善介, 有馬頼寧
70 田村駒治郎, 直木松太郎, 中馬庚
71 小西得郎, 水野利八
72 中野武二, 太田茂
73 内海弘蔵, 天野貞祐, 広瀬謙三
74 野田誠三
76 小泉信三
77 森茂雄, 西村幸生
78 伊丹安広, 吉原正喜, 岡田源三郎
79 平沼亮三, 谷口五郎
80 千葉茂
81 佐伯達夫, 小川正太郎
82 鈴木龍二, 外岡茂十郎
83 内村祐之
84 桐原眞二
85 田中勝雄, 山内以九士
86 中河美芳, 松方正雄
87 藤田信男, 山下実
88 横沢三郎, 芥田武夫, 永田雅一
89 池田恒雄, 伊達正男
90 佐伯勇
91 中澤良夫
92 吉田正男
94 廣岡知男
95 呉昌征, 村上實
96 牧野直隆, 保坂誠
97 山本英一郎
98 中尾碩志, 井口新次郎
99 吉國一郎
00 福島慎太郎
01 武田孟, 長谷川良平
02 中澤不二雄, 生原昭宏
03 松田耕平
04 秋山登
05 志村正順
06 川島廣守, 豊田泰光
07 松永怜一
08 嶋清一
09 大社義規, 君島一郎
10 古田昌幸
12 長船騏郎, 大本修
13 福嶋一雄
14 相田暢一
15 林和男, 村山龍平
16 松本瀧藏, 山中正竹
17 郷司裕, 鈴木美嶺
18 瀧正男
19 脇村春夫
20 前田祐吉, 石井連藏
21 川島勝司, 佐山和夫
22 松前重義
23 古関裕而
24 谷村友一
25 富澤宏哉
02 フランク・オドール, 正岡子規
03 ホーレス・ウィルソン, 鈴鹿栄
表
話
編
歴
1950 別当薫
1951 南村不可止
1952 別所毅彦
1953 川上哲治
1954 杉下茂
1955 別所毅彦
1956 豊田泰光
1957 大下弘
1958 稲尾和久
1959 杉浦忠
1960 近藤昭仁
1961 宮本敏雄
1962 土橋正幸, 種茂雅之
1963 長嶋茂雄
1964 J.スタンカ
1965 長嶋茂雄
1966 柴田勲
1967 森昌彦
1968 高田繁
1969 長嶋茂雄
1970 長嶋茂雄
1971 末次民夫
1972 堀内恒夫
1973 堀内恒夫
1974 弘田澄男
1975 山口高志
1976 福本豊
1977 山田久志
1978 大杉勝男
1979 高橋慶彦
1980 J.ライトル
1981 西本聖
1982 東尾修
1983 大田卓司
1984 長嶋清幸
1985 R.バース
1986 工藤公康
1987 工藤公康
1988 石毛宏典
1989 駒田徳広
1990 O.デストラーデ
1991 秋山幸二
1992 石井丈裕
1993 川崎憲次郎
1994 槙原寛己
1995 T.オマリー
1996 T.ニール
1997 古田敦也
1998 鈴木尚典
1999 秋山幸二
2000 松井秀喜
2001 古田敦也
2002 二岡智宏
2003 杉内俊哉
2004 石井貴
2005 今江敏晃
2006 稲葉篤紀
2007 中村紀洋
2008 岸孝之
2009 阿部慎之助
2010 今江敏晃
2011 小久保裕紀
2012 内海哲也
2013 美馬学
2014 内川聖一
2015 李大浩
2016 B.レアード
2017 D.サファテ
2018 甲斐拓也
2019 Y.グラシアル
2020 栗原陵矢
2021 中村悠平
2022 杉本裕太郎
2023 近本光司
2024 桑原将志
表
話
編
歴
1957 豊田泰光
1958 中西太
1959 杉山光平
1960 近藤和彦
1961 塩原明
1962 岩下光一
1963 王貞治
1964 K.ハドリ
1965 林俊彦
1966 長嶋茂雄
1967 D.スペンサー
1968 柴田勲
1969 足立光宏
1970 黒江透修
1971 黒江透修
1972 長嶋茂雄
1973 高田繁
1974 山崎裕之
1975 中沢伸二, 外木場義郎
1976 B.ウイリアムス
1977 福本豊
1978 若松勉
1979 水谷実雄
1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰
1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正
1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義
1983 田淵幸一, テリー, 中畑清
1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊
1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二
1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実
1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己
1988 清原和博, 森山良二, 郭源治
1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸
1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤
1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎
1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也
1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也
1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦
1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾
1996 大島公一, 鈴木平, イチロー
1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛
1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広
1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司
2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成
2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満
2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之
2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎
2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信
2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁
2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲
2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博
2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広
2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一
2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平
2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩
2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー
2013 田中将大, 銀次, 内海哲也
2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太
2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太
2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔
2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大
2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃
2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩
2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐
2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎
2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆
2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸
2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ
表
話
編
歴
1952 与那嶺要
1953 川上哲治
1954 日比野武
1955 飯田徳治
1956 豊田泰光
1957 大下弘
1958 豊田泰光
1959 寺田陽介
1960 金光秀憲
1961 宮本敏雄
1962 吉田義男
1963 城戸則文
1964 山内一弘
1965 森昌彦
1966 柴田勲
1967 森本潔
1968 D.スペンサー
1969 長嶋茂雄
1970 長嶋茂雄
1971 末次民夫
1972 王貞治
1973 末次民夫
1974 有藤通世
1975 大橋穣
1976 福本豊, 柴田勲
1977 張本勲
1978 島谷金二
1979 高橋慶彦
表
話
編
歴
1950 荒巻淳
1951 蔭山和夫
1952 中西太
1953 豊田泰光
1954 宅和本司
1955 榎本喜八
1956 稲尾和久
1957 木村保
1958 杉浦忠
1959 張本勲
1961 徳久利明
1962 尾崎行雄
1965 池永正明
1967 高橋善正
1969 有藤通世
1970 佐藤道郎
1971 皆川康夫
1972 加藤初
1973 新美敏
1974 三井雅晴
1975 山口高志
1976 藤田学
1977 佐藤義則
1978 村上之宏
1979 松沼博久
1980 木田勇
1981 石毛宏典
1982 大石大二郎
1983 二村忠美
1984 藤田浩雅
1985 熊野輝光
1986 清原和博
1987 阿波野秀幸
1988 森山良二
1989 酒井勉
1990 野茂英雄
1991 長谷川滋利
1992 高村祐
1993 杉山賢人
1994 渡辺秀一
1995 平井正史
1996 金子誠
1997 小坂誠
1998 小関竜也
1999 松坂大輔
2001 大久保勝信
2002 正田樹
2003 和田毅
2004 三瀬幸司
2005 久保康友
2006 八木智哉
2007 田中将大
2008 小松聖
2009 攝津正
2010 榊原諒
2011 牧田和久
2012 益田直也
2013 則本昂大
2014 石川歩
2015 有原航平
2016 高梨裕稔
2017 源田壮亮
2018 田中和基
2019 高橋礼
2020 平良海馬
2021 宮城大弥
2022 水上由伸
2023 山下舜平大
2024 武内夏暉
表
話
編
歴
1950 大下弘
1951 大下弘
1952 飯島滋弥
1953 岡本伊三美
1954 L.レインズ
1955 中西太
1956 豊田泰光
1957 山内和弘
1958 中西太
1959 杉山光平
1960 榎本喜八
1961 張本勲
1962 ブルーム
1963 ブルーム
1964 広瀬叔功
1965 野村克也
1966 榎本喜八
1967 張本勲
1968 張本勲
1969 永淵洋三, 張本勲
1970 張本勲
1971 江藤慎一
1972 張本勲
1973 加藤秀司
1974 張本勲
1975 白仁天
1976 吉岡悟
1977 有藤道世
1978 佐々木恭介
1979 加藤英司
1980 L.リー
1981 落合博満
1982 落合博満
1983 落合博満
1984 ブーマー
1985 落合博満
1986 落合博満
1987 新井宏昌
1988 高沢秀昭
1989 ブーマー
1990 西村徳文
1991 平井光親
1992 佐々木誠
1993 辻発彦
1994 イチロー
1995 イチロー
1996 イチロー
1997 イチロー
1998 イチロー
1999 イチロー
2000 イチロー
2001 福浦和也
2002 小笠原道大
2003 小笠原道大
2004 松中信彦
2005 和田一浩
2006 松中信彦
2007 稲葉篤紀
2008 リック
2009 鉄平
2010 西岡剛
2011 内川聖一
2012 角中勝也
2013 長谷川勇也
2014 糸井嘉男
2015 柳田悠岐
2016 角中勝也
2017 秋山翔吾
2018 柳田悠岐
2019 森友哉
2020 吉田正尚
2021 吉田正尚
2022 松本剛
2023 頓宮裕真
2024 近藤健介
表
話
編
歴
投 梶本隆夫
捕 野村克也
一 榎本喜八
二 佐々木信也
三 中西太
遊 豊田泰光
外 山内和弘 / 杉山光平 / 戸倉勝城
表
話
編
歴
投 稲尾和久
捕 野村克也
一 岡本健一郎
二 岡本伊三美
三 中西太
遊 豊田泰光
外 山内和弘 / 大下弘 / 毒島章一
表
話
編
歴
投 杉浦忠
捕 野村克也
一 榎本喜八
二 岡本伊三美
三 葛城隆雄
遊 豊田泰光
外 杉山光平 / 高倉照幸 / 山内和弘
表
話
編
歴
投 小野正一
捕 野村克也
一 榎本喜八
二 仰木彬
三 小玉明利
遊 豊田泰光
外 山内和弘 / 田宮謙次郎 / 張本勲
表
話
編
歴
投 稲尾和久
捕 野村克也
一 榎本喜八
二 森下整鎮
三 中西太
遊 豊田泰光
外 山内和弘 / 田宮謙次郎 / 張本勲
表
話
編
歴
投 稲尾和久
捕 野村克也
一 榎本喜八
二 J.ブルーム
三 小玉明利
遊 豊田泰光
外 山内一弘 / 張本勲 / 吉田勝豊
VIAF
日本
日本の野球選手
茨城県立水戸商業高等学校出身の野球選手
埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手
東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手
首位打者 (NPB)
パシフィック・リーグ最優秀新人 (NPB)
NPBオールスターゲーム選出選手
野球解説者
日本の野球指導者
大阪近鉄バファローズ関連人物
日本の野球殿堂表彰者
日本のラジオパーソナリティ
茨城県出身のスポーツ選手
1935年生
2016年没
出典のページ番号が要望されている記事
独自研究の除去が必要な記事/2011年7月-9月
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