和辻哲郎の情報(わつじてつろう) 哲学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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和辻 哲郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
和辻哲郎と関係のある人
梅原猛: 西田幾多郎・田辺元ら京都学派の哲学に関心を抱き、大学進学に際しては、東京帝国大学倫理学科の和辻哲郎(東大赴任前は京都大哲学科の西田の下で助教授であった)の下で学ぶか、あるいは京都学派の影響が残る京都帝国大学哲学科で学ぶかの選択に迷った。 亀井俊介: 2015年、『有島武郎』で和辻哲郎文化賞受賞 保阪正康: 2017年、『ナショナリズムの昭和』で第30回和辻哲郎文化賞受賞。 谷川徹三: 戦後短期間、博物館次長に在任中に館長の安倍能成、和辻哲郎、田中耕太郎らと昭和天皇の話し相手をしたことをたびたび述べることで、象徴天皇制を擁護している。 坂部恵: 『和辻哲郎随筆集』(編・解説、岩波文庫) 1995 秋山駿: 第16回和辻哲郎文化賞一般部門(2003年) - 『神経と夢想 私の「罪と罰」』 中勘助: 1931年(昭和6年)1月、この頃から和辻哲郎の長女・和辻京子のために童話『鳥の物語』の構想が生まれる。 鈴木大拙: 墓所は金沢市野田山墓地の鈴木家墓所と、北鎌倉東慶寺、なお同じ境内に、岩波書店初代店主岩波茂雄や、西田幾多郎・和辻哲郎・安倍能成らの墓がある。 林達夫: なお長姉の高瀬照は和辻哲郎夫人である。 野口武彦: 『江戸の兵学思想』中央公論社 1991年、中公文庫 1999年(第4回和辻哲郎文化賞受賞) 熊野純彦: 『和辻哲郎 - 文人哲学者の軌跡』(岩波新書) 2009年 岡野弘彦: 2001年(平成13年)『折口信夫伝 その思想と学問』で第14回和辻哲郎文化賞 鷲田清一: かつては大佛次郎賞、サントリー学芸賞(思想・歴史部門)、和辻哲郎文化賞(学術部門)、河合隼雄学芸賞選考委員などを務めていた。 梅原猛: 京都若王子(京都市左京区、哲学の道近辺)の和辻哲郎旧邸に住んでいた。 茂泉昭男: 62年論文「アウグスティヌスにおけるSYMBOLISM」で日本倫理学会・和辻哲郎賞受賞。 山折哲雄: 角川財団学芸賞、和辻哲郎文化賞、山本七平賞選考委員。 中西進: 角川書店にて上梓した『万葉と海彼』が評価され、第3回和辻哲郎文化賞を受賞している。 野口武彦: 1973年、『谷崎潤一郎論』で亀井勝一郎賞、1980年、『江戸の歴史家』でサントリー学芸賞、1986年、『「源氏物語」を江戸から読む』で芸術選奨文部大臣賞、1992年、『江戸の兵学思想』で和辻哲郎文化賞、2003年、『幕末気分』で読売文学賞受賞。 岩下尚史: 2007年、第20回和辻哲郎文化賞(『芸者論-神々に扮することを忘れた日本人』) 今江祥智: 和辻哲郎『古寺巡礼』の影響で奈良や京都の古寺を巡ったのもこの時期のことである。 岩下尚史: 退職後の2007年に『芸者論:神々に扮することを忘れた日本人』で第20回和辻哲郎文化賞を受ける。 天野公義: また、倫理学科では和辻哲郎の門下生であった。 坂部恵: イマヌエル・カント、和辻哲郎、九鬼周造を研究対象とし、1976年、和辻の「面とペルソナ」を出発点とした『仮面の解釈学』で哲学奨励山崎賞受賞。1986年、『和辻哲郎』でサントリー学芸賞受賞。 ロミ山田: 親族に和辻春樹(実父の兄)、和辻哲郎(実父の従兄)がいる。 谷崎潤一郎: 1910年(明治43年) 小山内薫、和辻哲郎、大貫晶川、小泉鉄、後藤末雄、木村荘太らと共に第2次『新思潮』を9月に創刊。 斎藤十一: 和辻哲郎など京都学派の学者も寄稿した。 長部日出雄: 2002年『桜桃とキリスト もう一つの太宰治伝』により第29回大佛次郎賞・第15回和辻哲郎文化賞を受賞。 児島喜久雄: 東京帝大時代の同僚だった和辻哲郎も、追想記「児島喜久雄君の思い出」を残している。 野矢茂樹: 2017年、『心という難問』により第29回和辻哲郎文化賞受賞。 仁科芳雄: 外務省政務局情報部 編『日本代表図書文献』仁科芳雄・和辻哲郎・山本忠興監修、外務省、1947年3月。 |
和辻哲郎の情報まとめ
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和辻 哲郎(わつじ てつろう)さんの誕生日は1889年3月1日です。兵庫出身の哲学者のようです。
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経歴、親族などについてまとめました。現在、卒業、結婚、事件、父親、母親、兄弟、映画に関する情報もありますね。亡くなられているようです。
和辻哲郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)和辻 哲郎(わつじ てつろう、1889年(明治22年)3月1日 - 1960年(昭和35年)12月26日)は、日本の哲学者・倫理学者・文化史家・日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。法政大学教授・京都帝国大学教授・東京帝国大学教授を歴任。日本倫理学会会員。文化勲章受章。 兵庫県出身。東大哲学科卒。ニーチェなど西洋哲学を研究。奈良の寺院建築や仏像の美を再発見し、『古寺巡礼』(1919年)も人気を博す。『人間の学としての倫理学』(1934年)で新しい倫理学の体系を構築。『風土』(1935年)、『面とペルソナ』(1937年)も名高い。 日本的な思想と西洋哲学の融合、あるいは止揚とでもいうべき境地を目指した稀有な哲学者と評価される。主著の『倫理学』は、近代日本における独創性を備えた最も体系的な哲学書の一つであると言われている。 西田幾多郎などと同じく日本独自の哲学体系を目指した京都学派の一人として扱われることがある一方で、東京帝国大学文学部倫理学教室教授でもあり、相良亨、金子武蔵、湯浅泰雄らを始め後進を多く育てた。現在でも高校倫理の教科書では、『風土』の「モンスーン型」や『日本倫理思想史』の「祀る神・祀られる神」といった、和辻倫理学に基づいた記述がなされている。 1988年度より(生誕百年記念を期し)姫路市の主催で和辻哲郎文化賞が、人文系著作に毎年授与されている。 和辻の全蔵書は、1961年に多くの仕事を共にした谷川徹三(法政大学教授ほか)の仲介で法政大学に寄贈された。長らく未整備だったが、1985年に法政大学図書館長となった浜田義文が中心となり、整理が開始され、1994年に「法政大学和辻哲郎文庫目録」がまとめられた。浜田は「和辻文庫の生命は、和辻の読んだ書物への書き込みにあるといって過言でない」と述べている。 『和辻哲郎全集』は校訂の際、旧字体から新字体、旧仮名遣いから現代仮名遣いへ改められ、読みやすくなった一方で学術書としては批判を受けている。 経歴1889年 - 兵庫県神崎郡砥堀村(とほりむら)仁豊野(にぶの)(現:姫路市仁豊野)にて誕生。 1906年 - 旧制姫路中学校(現:兵庫県立姫路西高校)卒業。 1909年 - 第一高等学校卒業。
1912年 - 東京帝国大学文科大学哲学科卒業、同大学院進学。ラファエル・ケーベルを尊敬し、卒論を読んでもらいたいが為に英語で執筆した。
1913年 - 紹介を得て夏目漱石の漱石山房を訪れるようになる。『ニイチェ研究』を出版。
1915年 - 藤沢町鵠沼の妻・照の実家の離れに1918年まで住む。 1916年 - 漱石および岳父高瀬三郎の死。この時期、日本文化史に深い関心を寄せ始める。 1917年 - 奈良を旅行し、古寺を巡る。 1918年 - 東京市芝区に転居。 1919年 - 『古寺巡礼』を出版。 1920年 - 東洋大学講師 1921年 - 雑誌『思想』の編集に参画を始める。 1922年 - 法政大学教授 1925年 - 京都帝国大学助教授。京都市左京区に転居。 1927年 - ドイツ留学。(~1928年) 1928年 - 絶交事件(留学で留守中に阿部次郎が照夫人へ横恋慕したとして、阿部と絶交する) 1929年 - 龍谷大学講師兼務。 1931年 - 京都帝国大学教授 1932年 - 大谷大学教授兼務、京都大学より文学博士号取得 「原始仏教の実践哲学」。 1934年 - 東京帝国大学文学部倫理学講座教授。東京市本郷区に転居。 1936年 - 『国体の本義』編纂委員を務める。 1943年 - 宮中にて進講、講題は「尊皇思想とその伝統」。 1945年 - 雑誌『世界』の創刊に関わる。 1949年 - 定年退官。日本学士院会員。 1950年 - 日本倫理学会を創設し会長に就任(死去まで)。 1951年 - 『鎖国』で読売文学賞。賞金は倫理学会に寄贈した。 1953年 - 『日本倫理思想史』で毎日出版文化賞 1955年 - 秋に文化勲章受章。 1958年 - 皇太子妃となる正田美智子の妃教育の講師を務めた。 1960年 - 心筋梗塞により練馬区南町の自宅で死去。墓所は鎌倉市山ノ内の東慶寺。戒名は明徳院和風良哲居士。 親族父親は神崎郡砥堀村仁豊野(現:姫路市仁豊野)の医師・和辻瑞太郎で、和辻家は代々続く医家の家系であった。瑞太郎は「医は仁術」を体現したような人物で、明治に入っても東京に出ていこうともせず、丹羽篠山の山奥で農民の医療に生涯を捧げた。瑞太郎の弟に京都大学医学部耳鼻咽喉科初代教授の和辻春次がおり、その子供には大阪商船専務、京都市長、造船協会理事長などを務めた和辻春樹(船舶工学者)と、朝日新聞記者の和辻廣樹(歌手のロミ・山田の実父)、岡山医大学長・田中文夫に嫁いだ娘のみつがいる。母親のまさは印南郡神吉村の庄屋の娘で、その甥に最高裁判所判事の田中二郎がいる。 妻の照子(1889年 - 1977年)は横浜の貿易商・高瀬三郎の娘で、友人高瀬弥一の妹である。結婚時に持参金として照子の父から鵠沼の土地1万坪を贈られる。長女の京子(1914年 - 2013年)は社会学者の尾高邦雄に嫁し、経済学者の尾高煌之助をもうけた。京子は幼少のころ中勘助に偏愛されたことでも知られる。邦雄の兄尾高朝雄は東京帝国大学法学部を出たあと、和辻在任中の京都大学哲学科で学んでいる。長男の夏彦(1921年 - 1979年)は武蔵高等学校中学校教師(倫理)、目白学園女子短期大学教授などを務めた。夏彦の妻の和辻雅子(1926年 - 2013年)は夫の没後、東宮女官として美智子妃に仕え、1985年からは宮内庁御用掛や侍従職御用掛として紀宮に仕えた。和辻との共訳書もある林達夫は和辻と相婿の義兄弟(妻の妹の夫)である。 和辻夫妻が暮らした練馬の自宅は神奈川県秦野にあった江戸時代後期の民家を移築したもので、1961年に川喜多長政・かしこ夫妻が購入して鎌倉に再移築し、来日した映画関係者を迎える場として使われた。映画『東京画』(1985年)の撮影にも使用された。その後鎌倉市の所有となり、2000年には景観重要建造物に指定され、春夏に公開されている。 系図
2024/06/15 13:08更新
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watsuji tetsurou
和辻哲郎と同じ誕生日3月1日生まれ、同じ兵庫出身の人
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