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岡林信康の情報 (おかばやしのぶやす)
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【11月23日】今日誕生日の芸能人・有名人

岡林信康の情報(おかばやしのぶやす) シンガー ソングライター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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岡林 信康さんについて調べます

■名前・氏名
岡林 信康
(読み:おかばやし のぶやす)
■職業
シンガー ソングライター
■岡林信康の誕生日・生年月日
1946年7月22日 (年齢78歳)
戌年(いぬ年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
滋賀出身

(昭和21年)1946年生まれの人の年齢早見表

岡林信康と同じ1946年生まれの有名人・芸能人

岡林信康と同じ7月22日生まれの有名人・芸能人

岡林信康と同じ出身地滋賀県生まれの有名人・芸能人


岡林信康と関係のある人

柳田ヒロ: 岡林信康の『俺らいちぬけた』、『狂い咲き』でバックバンドを務める。


高石ともや: この高石事務所には、岡林信康、五つの赤い風船、中川五郎ら、関西フォーク陣の他、東京で活動していた高田渡、遠藤賢司、ジャックスも所属し、その中心人物であった高石は、フォークソング、関西フォーク、アングラ・フォークの元祖、旗手などとも呼ばれるようになる。


富澤一誠: 『オレのバイブル:1968岡林信康~1981松山千春』(冬樹社、1981年10月)


遠藤賢司: また、ジャックスや岡林信康のコンサートにゲスト出演するなど、日本のロック/フォークの歴史に名を残すアーティストらとの交流も、この時期からすでに始まっている。


来生たかお: 一方で、自身より年長の岡林信康がパワフルに歌っているのをテレビで観た折りは、刺激を受けたと吐露している。


柳田ヒロ: はっぴいえんどに代わって柳田ヒログループが岡林信康のバックバンドを務める。


山下達郎: ギルド・D-50 - 元は岡林信康が所有していたものを椎名和夫経由で譲り受けたもの


高中正義: 柳田ヒログループの一員として、1971年7月日比谷野音で開催された岡林信康の「岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き」でバッキングを務める。


高田渡: 高石ともや、岡林信康、中川五郎、早川義夫、加川良、岩井宏、ひがしのひとし、古川豪、藤村直樹らと関西フォーク・ムーブメントの中心的存在となる。


吉田拓郎: 中川五郎は「1970年代に入ってフォーク・ソングが変わっていって、もちろん高石ともやさん、岡林信康さんとかの時代から乱暴な言い方をすれば吉田拓郎さんとかが出現して、井上陽水さん、かぐや姫とかフォーク・ソングがかなり違うものになって、呼び方もニューミュージックみたいになったりした。


松本隆: その後、あがた森魚の『噫無情(レ・ミゼラブル)』、岡林信康の『金色のライオン』などのアルバムのプロデュースも行ったが、それ以降プロデューサー業からは退き、またオリジナルムーンライダーズからも脱退し、作詞家としての活動に専念することになった。


美空ひばり: 岡林信康(『月の夜汽車』〈1975年〉)、来生たかお(『笑ってよムーンライト』〈1983年〉)、イルカ(『夢ひとり』〈1985年〉)、小椋佳(『愛燦燦』〈1986年〉)など、時代の話題のアーティスト・クリエイターなどとのコラボレートもしばしば行われた。


三上寛: 初めは片瀬江ノ島駅近くの割烹料亭「角若松」での板前見習いに就くも、岡林信康の「山谷ブルース」を聞いた衝動で退職を決意。


友川かずき: 飯場で働いていた二十歳のころ、行きつけの赤提灯で岡林信康の「チューリップのアップリケ」を聴いてフォークシンガーを志す。


南正人: 他出演者に高石ともや、岡林信康、中川五郎、豊田勇造、中山ラビなど。


田家秀樹: 2020年(令和2年)「岡林信康・復活の朝スペシャル」(FM COCOLO/出演・構成)が日本民間放送連盟賞「ラジオエンターテインメント部門」優秀賞を受賞。


つのだ☆ひろ: 卓越したテクニックと日本人離れしたパワフルなドラミングが評判を呼び、1960年代後半からジャズ・ピアニスト佐藤允彦のトリオとの活動を皮切りに、渡辺貞夫カルテット、ジャックス、岡林信康、成毛滋、フライド・エッグ、ストロベリー・パス、五つの赤い風船、赤い鳥、サディスティック・ミカ・バンド、浅川マキ、加藤登紀子、中島みゆき、矢野顕子など、日本を代表するさまざまなミュージシャンたちと共演しドラマーとしての地位を確立する。


甲斐よしひろ: 子どもの頃から外国のロックと同じくらい友部正人、岡林信康、吉田拓郎など、日本のフォークを聴いた。


早川義夫: ディレクターとしては岡林信康、加川良らを担当したが、次第に音楽の仕事から離れ、1972年には川崎市中原区に早川書店を開店。


渡辺茂樹: 岡林信康「Gの祈り」(編曲)


松山千春: 翌年、幼なじみの紹介で知った岡林信康が、足寄で弾き語りのコンサートを開き、聴きに行った松山に強烈なメッセージを与えたことに始まる。仲間の強い勧めで飛び入り参加し、岡林信康の「私たちの望むものは」を熱唱した。


安田南: 岡林信康 『堕ちた鳥のバラード』(1970年) - B面の「いくいくお花ちゃん」でコーラス参加


五木ひろし: この年の勝負作として投入した「北酒場」は、森進一「襟裳岬」のヒットに触発された形で“フォークの神様”と評価されていた岡林信康を作曲に迎え、五木が初めて取り組んだフォーク作品で、最高位13位、登場週数17週、15万枚を超える程度の売上げを記録する。


吉田拓郎: 拓郎の曲には、ロックもR&Bも入ってました」、高護は「吉田拓郎のサウンド・プロダクションはシンプルだったがフォーク・ロックを基調とする点で初期の岡林信康や高石友也とは明らかに一線を画していた」と評した。


五木ひろし: 岡林信康


高田渡: 岡林信康「幻のフォークライブ傑作集 岡林信康ファースト・コンサート ”MOVEMENT”」(1979年、URC / SMS Record)「自衛隊に入ろう」


柳田ヒロ: 岡林信康 / 俺らいちぬけた (1971年) (柳田ヒログループとして参加)


桑田佳祐: ほかにも尾崎紀世彦、内山田洋とクール・ファイブ、ザ・ピーナッツ、ハナ肇とクレージーキャッツ、宇崎竜童、藤圭子、浅川マキ、弘田三枝子、中島みゆき、坂本九、森繁久彌、加藤登紀子、小林万里子、岡林信康、野坂昭如、早川義夫などのミュージシャンにも影響を受けた。


ボブ=ディラン: ディラン・ファンのフォーク歌手は1960年代から岡林信康、高田渡、加川良などかなりの人数がいた。


ボブ=ディラン: 岡林信康


岡林信康の情報まとめ

もしもしロボ

岡林 信康(おかばやし のぶやす)さんの誕生日は1946年7月22日です。滋賀出身のシンガー ソングライターのようです。

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父親、現在、兄弟、テレビ、ドラマ、事件に関する情報もありますね。岡林信康の現在の年齢は78歳のようです。

岡林信康のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

岡林 信康(おかばやし のぶやす、1946年〈昭和21年〉7月22日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター。血液型はO型(本人はA型に近いO型と語っている)。滋賀県近江八幡市出身。

実家は教会で、父親は牧師。現在は京都府亀岡市在住。

父の岡林勝治は新潟県の出身で、30歳まで新潟で農業をしていた。しかし、閉鎖的な村社会が嫌になって故郷を飛び出し、滋賀県の紡績工場に就職。その時期に宣教師のウィリアム・メレル・ヴォーリズに出会い、牧師となるため大阪の神学校に通った後、近江八幡市の田んぼのど真ん中に西洋建築の教会を建てた(近江金田教会の礼拝堂は現存し、2012年(平成20年)に国の登録有形文化財に登録されている)。当地で信康は生まれる。近江兄弟社中学、滋賀県立八日市高等学校を経て、1966年に同志社大学神学部入学。牧師を目指していたため、音楽はクラシックか讃美歌だけしか聴かず、他は全て悪魔の音楽と思っていたという。熱心なキリスト教信者であったが、実家の教会の不良少女の扱い(お祈りをさせないなど)に疑問を感じ「脱出」、その後社会主義運動に身を投じる中で、高石ともやに出会いギターを始める。

1968年、大学をやめ、工事現場で人夫として働く。同年「高石音楽事務所」に所属、労音(勤労者音楽協議会)回りを始める。京都で行われた第3回フォークキャンプに参加。同年9月、山谷に住む日雇い労働者を題材とした「山谷ブルース」でビクターよりレコード・デビュー。翌年までに、「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」、「くそくらえ節」、「がいこつの歌」など、名作・問題作を発表。その内容から、多くの曲が放送禁止となる。当時、岡林とともに高石ともや、高田渡、加川良、五つの赤い風船なども活躍し、プロテスト・フォーク、反戦フォークが若者の間でブームとなった。中でも岡林は一世を風靡し、「フォークの神様」と言われたが、労音との軋轢や周囲が押しつけてくるイメージと本人の志向のギャップ(同時期、岡林はすでに直接的なプロテストソングに行き詰まりを感じており、ロックへの転向を模索していた)などにより1969年9月、3か月余りのスケジュールを残したまま一時蒸発した。書き置きは「下痢を治しに行ってきます」。長野県で材木切りの肉体労働に従事。

1970年4月、コンサートに再登場、「ごめんやす。出戻りです。お互い堅くならんといきましょう」と話した。この時期からボブ・ディランに影響を受けたロックを、当時無名だったはっぴいえんどをバックに展開し始める。ヒッピーを目指し、それまでの労務者風のスタイルとは似ても似つかぬ黒い革ジャンにピッチリしたスラックスできめた。「それで自由になったのかい」「私たちの望むものは」「自由への長い旅」などの作品を発表、喝采を浴びて東京に移り住み、一夫一婦制ナンセンスを唱えて自由なヒッピー風生活をするが行き詰る。はっぴいえんどとのツアーは、1970年9月から翌年の1月21日まで続いた。

1971年の日比谷野外音楽堂での「岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き」および、「第3回中津川フォークジャンボリー」を最後に、再び表舞台から姿を消す。

やがて岡林は人や街を嫌い、被害妄想、及び自閉症が進行、三重県で農業共同体を営んでいた山岸会を見学し、「ヤマギシズム」に傾倒。自然の環境に身を置こうと岐阜県中津川近くの山村に移り住み、約1年後京都府綾部市の総戸数17戸の過疎村に居を移し農耕生活を始める。

農村に移住して、村の生活の中でリラックスし始めていたが、ギターに触れることもせず、歌手であることも忘れようとしていた(たまにゲスト出演などで他人のコンサートに出ても円形脱毛症になることがあった)。そんな中つぶれかけの蔵の中で座禅・瞑想を30分ほどするようになり、半年ばかり過ぎた頃、誰かがポンと肩を叩いたような感覚になり、「無理をしてきたなぁ。もうこれから無理をする必要はないんだよ」という声が聞こえ、突如背中に電気が走ったようになり、涙がとめどなく溢れてきた。30分ほど泣き続け、体中をしばっていた鎧が粉々に飛び散ったような爽快感が広がっていくようであった。それ以降、どんどんリラックスするようになり、いろんな価値観が変わっていくようになり、自分の歪をもっと知りたいと精神分析の本も読み漁ったりする中、新しい音楽を作る気持ちになった。

1973年にCBS・ソニーへ移籍し、活動を再開。松本隆をプロデューサーに迎え制作されたロック路線のアルバム『金色のライオン』、『誰ぞこの子に愛の手を』などを発表。いかに今まで無理してきたかを普通の表現法では無理だったため、ディラン風の暗喩を多用した「あの娘と遠くまで」、「26ばんめの秋」などの曲などを発表するが、相変わらず「フォークの神様」を期待するファンは多かった。

数年間の農村生活の間、文明との接点は古ぼけたステレオだけ、次第に肩肘から力がとれた。知人である黒田征太郎宅のテレビで、西川峰子の「あなたにあげる」を聴いて感激。「おれのものも歌だが、演歌もまた歌だ。歌にはいろいろな役目がある」と、ぽつりぽつりと自分だけの演歌を作り始めた。作り始める中、いろんな演歌のレコードを買いあさり、演歌にのめり込んでいる中、自身の音楽のルーツが賛美歌やクラシック音楽だけではなく、ラジオから流れて聴いていた演歌にもあったことに気づく。「月の夜汽車」「風の流れに」が美空ひばりに採用される。4年間にわたる農耕生活を終え 山を降り亀岡市に転居。

1975年には、岡林本人も日本コロムビアに移籍し、演歌路線のアルバム『うつし絵』をコロムビアより発表。美空ひばりの後押しも受け、12月に中野サンプラザで久しぶりのワンマンコンサートも行った。日本コロムビアでは他に、新録の2枚組ベスト・アルバム『岡林信康』、私小説的弾き語りの『ラブソングス』を発表。この頃、サザンオールスターズがブレイクする前のアミューズに所属していた。

音楽評論家の中村とうようが「岡林が演歌をやめてフォークに戻ってきた」と評し、再び「フォークの神様」に戻ることを危惧するも、久しぶりにギター1本で約1年100箇所あまりの村や町を旅した。昔の自分を求める観客との間に微妙なズレを感じつつも、どこの会場も大盛況だった。弾き語りを100箇所も続けていると、他のミュージシャンと一緒にプレイしたくなり、そんな想いが強くなった頃、ニール・セダカやポール・アンカといったアメリカン・オールディーズにひかれ、今度はこれらの曲を聴きまくった。子どもたちがファンであったピンク・レディーのレコードをかけてくれとしょっちゅうせがまれた影響もあり、歌謡ポップス・アルバムを作ってやれと捻り出して作ったアルバム『セレナーデ』を発表。これを皮切りに、パロディ色の強い、ニューミュージック路線を展開した。

古巣のビクターのレーベルであるインヴィテーションに移籍し、さらに『街はステキなカーニバル』、『ストーム』、『グラフィティ』を発表し路線を深めていく。「ミッドナイト・トレイン」、「Good-bye My Darling」、「山辺に向いて」などがこの時代の代表曲である。

1980年、テレビドラマ『服部半蔵 影の軍団』のエンディング・テーマである「Gの祈り」を発売。しかし、『ストーム』制作の際、プロデュースを担当した加藤和彦に、それまでの作詞の根本としていた部分を「逃げ」だとして批判されたことで、再び新たなスタイルを模索することになる。

1980年代中頃より、メジャーレーベルとの契約が切れたことなどもあり、往年のフォークスタイルであるギターとハーモニカによる弾き語りツアー「ベアナックルレビュー」を開始、全国を巡る。また、この頃より、封印していた初期の曲の一部を再び歌うようになる。

1981年にロンドンでキング・クリムゾンのロバート・フリップに「俺たちの真似じゃない、日本人のロックを聴かせろ」と言われたことで、日本民謡的なリズムに乗せた独自のロック「エンヤトット」を思案。平野融らとともに模索を続ける中、韓国の打楽器集団サムルノリと出会い、開眼する。

1987年、自主制作テープ『エンヤトットでDancing!!』を発表。その後、東芝EMIや日本クラウンなどでアルバムを発表。全国各地でコンサートを行う。

「古いファンからはあまり喜ばれなかった」と本人が語る「エンヤトット路線」ではあったが、2007年10月20日に36年ぶりの日比谷野外音楽堂ライブ「狂い咲き2007」を行うまでに至る。また、前述の日比谷野音ライブに前後した時期から、10年以上「封印状態」にあったURCレコード時代の音源を含む全アルバムが、紙ジャケットで再発された。また、岡林を敬愛するサンボマスターとの競演や、フジロックフェスティバル、COUNTDOWN JAPANなどのロックフェスへの参加、ロック時代の曲を数十年ぶりに再演するミニライブの開催、数々のテレビ出演など、より積極的な活動を行っている。

2009年の九段会館のコンサートで「越後獅子の唄」をカバーしたことをきっかけに、翌2010年、EMIミュージック・ジャパンから美空ひばりのカバー曲を中心とした『レクイエム〜我が心の美空ひばり〜』を発表。5月には久々となる全国ツアーも行った。

2011年、「岡林信康コンサートツア-2011」を行い、東名阪のZEEPでライブを行った。

2012年、14年ぶりに作詞・作曲をした自主制作シングル「さよならひとつ」を発表した。

2016年にはフリー・ジャズの山下洋輔とも共演した。

2020年11月2日、作詞家・松本隆のデビュー50周年を記念したトリビュート・ライブ『松本隆 50周年 風街古都 コトノハ』にサプライズゲストとして登場。松本がプロデュースした岡林のアルバム『金色のライオン』にも収録され、タイトルも松本が命名した「26ばんめの秋」を披露した。

2021年3月3日、1998年発売の『風詩』以来23年ぶりのオリジナル・アルバム『復活の朝』を発売する。

父方の姓は「下杉」といい、上杉謙信の子孫だったとのこと。そのため、本来「下杉信康」だったということになると著書に書いている。

信康という名前は、キリスト教信仰の「信」と、三歳で病死した兄がいて、次に生まれてくる子は健康であってほしいという願いから「康」がとられ、「信康」となった。

小さい頃、父から無理やりピアノを習わされた(教会で賛美歌のオルガン奏者をみつけるのに苦労し、自分たちの子どもにそれをやってほしいという思いから、姉も弟も習わされていた)が苦痛で、小学校二年から始めて三年間でバイエル四十番までしかいかず、教える先生もさじを投げるほどだった。

ギターを始めたのは、高石ともやがきっかけではなく、浪人していた頃友達がギターを置かしてくれと持って来たのを、その友達に「ギターにはコードっていうのがあって、コードはこうやって弾くんだよ」と教えてもらい、これでグループサウンズの歌なんかができるんだぞって言われ、弾き語りをしたり、作曲をしたりしたと言う。加山雄三の詩に違うメロディーをつけて作曲もしていた。加山雄三に影響を受けてギター始めたっていうのは格好悪いから、いちいち訂正はしていないが、本格的にやり始めたのは高石ともやを聴いてから。初めて買ったギターは、山谷の質屋で3,200円だった。

被差別部落に関わるきっかけは、山谷での日雇い労働での経験から来ており、それまで見たことのない人々や社会にショックを受け、地元の滋賀に帰ってから、琵琶湖のほとりでテントを張り、自問自答していく中で、自分の身近にある社会問題に目を向けたところ、それが被差別部落問題だった。そのことから、山谷に行ったり来たりしながら、地元の被差別部落区域でも日雇い労働を経験しながら、部落解放運動にも参加した。そのとき生れたのが初期の傑作「山谷ブルース」「流れ者」「手紙」「チューリップのアップリケ」である。この部落差別をテーマにした「手紙」「チューリップのアップリケ」は、放送禁止歌の代表例といわれる(実際のところ、放送禁止になっている歌というものは存在しない。抗議などを恐れての自主規制・自粛である)。

岡林の作品の特徴として、「くそくらえ節」のように関西弁と東京弁を混ぜた歌詞もあれば、「山谷ブルース」のように東京弁だけを使用した歌詞もあったりする。

前述のように、プロテストソングとしての評価は高く、先輩の小室等は、「岡林、よくぞ歌ってくれた」と『昭和は輝いていた』で絶賛していた。ただし「フォークの神様」の称号が、一人歩きする苦悩も垣間見たという。

便利や快適さを追い求めることに対しての危惧については、様々な著書で訴えている。京都の過疎地区で暮らした際に、自然農法を始めたのもそれで、化学肥料、農薬による弊害、機械による農業への否定などから、自分でどうにか自然農法の、無農薬、有機肥料を使った農法をやってみたかった。現在は、化学肥料も完全否定ではなく、農薬は極力使わないにして、化学肥料もタイミングを見計らって少量だけ使っている。

元々動物好きで、小さい頃は鳩を買っていたが、50を過ぎた辺りでテレビで鳩が登場する番組があり、それを見てからまた鳩を飼いたくなり、34年ぶりに鳩小屋を作ってドイツ鳩を飼い始めた。

金魚も長年飼っており、金魚の歴史についても詳しい。

京都の山奥の農村で暮らしていた頃から日曜大工が好きで、それは今でも続いている。特に酒をやめてからは、以前に増して日曜大工をする時間が増え、テーブルや椅子を作りすぎて「置き場所がない、邪魔になる」と妻に怒られたりもしている。

昔はコンサートの後、店でさんざん呑んだ後、「ホテルに帰ったら、俺の部屋に集合!」と号令をかけるほどお酒好きで、あのC.W.ニコルが「岡林はバケモノだ」と驚くほどの酒豪だったが、年を取っても若い頃と同じ量の酒を呑んでおり、段々と体にこたえるようになり、今はやめている。おかげで、コンサートでも以前より声が出るようになったと周りから言われ、もう酒飲みには戻れないと言っている。「それぐらい強い俺が、ひばりさんの前では子どもだよ」と例えるほど、美空ひばりは酒に強かったという。酒をやめたら人生の楽しみが消えるんじゃないかと心配していたが、前述のように、日曜大工が楽しくて、体がいくつあっても足りなくなるほど忙しくなった。

小室哲哉が逮捕された「5億円詐欺事件」からは、多くを学んだという。「彼も最初は「いい歌ができた」という達成感が大きな喜びだったのに、いつの間にかたくさん売れるということが目的にすり変わっていった。考えたら、エンヤトットは売れないじゃないかと地団駄を踏んでいる自分も小室君と同じじゃないか。だから評価や売れることを目的にするのはやめようと思った」

レクイエム〜我が心の美空ひばり(2010年1月20日 (2010-01-20)、ユニバーサルミュージック、TOCT-26935)  – 美空ひばりのカバー・アルバム。

岡林信康withはっぴいえんど 7インチBOX(2018年7月25日 (2018-07-25)、FUJI)  – 岡林信康がはっぴいえんどと共にURC時代にシングル盤としてリリースしたシングルを収納した限定7インチボックス・セット。ボーナス・レコードとして、はっぴいえんどとの最後のスタジオ録音となった「私たちの望むものは」を加えた6枚組。

断りきれず出演したため、翌日円形脱毛症になる。

岩井宏

高田渡

中川五郎

遠藤賢司

    はっぴいえんどをバックに歌うことが多かった時期に、持っていたアコースティックギター・マーチンD-35を「もっと弾いてやらないと可愛そうだ」の仲間内の声に、当時遠藤がこのギターさわらせてと楽屋にやってきてよく弾いていたので、遠藤に貸すことに決めた。そうすれば「鳴るギター」になるだろうとの思惑で貸したのだが、周囲からは「岡林が持っていたときよりよく鳴っている」などと言われ、返してほしいと言い出せなくなり、プレゼントすることにした。貸し出しから1年後に遠藤から「これで僕のだからね!これで僕のだからね!」と念押しされて、封筒に入った現金を渡された。プレゼントすると言った以上、この現金は受け取れないが時期を見て返そうと思って月日が経ち、そうこうしているうちに遠藤が亡くなってしまったため、返せずじまいとなった。

    ジャックス(1969年)  – つのだ☆ひろなど一部メンバーのみ

    はっぴいえんど(1970年  – 1971年)

    柳田ヒロ(1971年)

    はちみつぱい

    伊藤銀次(1973年)

    ダウンタウンブギウギバンド(1976年)

    ムーンライダース(1976年、1980年)

    渡辺茂樹(1979年  – 1980年)

    センチメンタル・シティ・ロマンス(1981年)

    山下洋輔(1992年、2009年)

    早川義夫

    加藤和彦

    加山雄三

    高石友也

    ボブ・ディラン

    西川峰子

    石川さゆり

    泉谷しげる

    宇崎竜童

    サンボマスター

    友川カズキ

    なぎら健壱

    松山千春

    桑田佳祐

    黒田征太郎

    美空ひばり

    C・W・ニコル

    坂崎幸之助

    逃亡者(フジテレビ、1992年8月5日)  – 第6話「闇の中に誰かがいる…」

    DOサタデー(関西テレビ・フジテレビ)  – テーマ曲を担当。最終回ではゲスト出演し、由紀さおりとテーマ曲を歌った。

    いのちの響(TBS)

    11PM(日本テレビ:80年代、大橋巨泉が司会の日に出演)

    笑っていいとも!(フジテレビ)  – テレフォンショッキングに泉谷しげるからの紹介で出演。

    キンギョ(NHK)  – 金魚を取り上げた番組。金魚マニアの一人として出演。

    情熱大陸(毎日放送、2009年12月27日)

    SONGS(NHK、2010年2月3日)

    徹子の部屋(テレビ朝日、2018年9月19日) – 坂崎幸之助と出演。

    サバイバル宣言(朝日放送ラジオ、1980年)

    きつね(松竹、1983年)主演

    サントリー 「京番茶」 – 宮城秋菜と共演。

    高石友也、中川五郎『フォークは未来をひらく : 民衆がつくる民衆のうた』〈新報新書〉、社会新報、1969年4月30日。

    『岡林信康の村日記』講談社、1982年11月30日。ISBN 978-4062002608。

    『かんとりーソングス』芸文社、1984年10月1日。ISBN 978-4874651490。 - 巻末に、糸井重里との対談

    『ぼくの歌の旅―ベアナックルレヴュー道中記』(1987年・晶文社・ISBN 978-4794950703)

    『伝説 岡林信康』(1991年・小学館・ISBN 978-4093633819 → 2009年・増補改訂新装版・白夜書房・ISBN 978-4777102365)

    『バンザイなこっちゃ!』(2005年・ゴマブックス・ISBN 978-4777102365)

    『ぼくの村は美しい国 竜太の日記 [We love childrenアーティストによる絵本シリーズ 5]』(2007年・ランダムハウス講談社・ISBN 978-4270002216)

    『岡林、信康を語る』(2011年・DISK UNION・ISBN 978-4925064415)

    『岡林信康読本(CDジャーナル・ムック)』(2010年・音楽出版社・ISBN 978-4861710667)

    『満員の木』(1973年3月15日・西岡たかし著・立風書房)- 栃村に住んでいた頃、西岡たかしとの対談を掲載。

    『山谷キューバフォーク』(1979年3月20日・田頭道登著・三友会出版)

    『岡林信康黙示録』(1980年8月1日・田頭道登著・三友会出版)- 山谷で知り合った田頭道登と岡林信康との手紙のやり取りを中心とした本。蒸発後の岡林と秦政明(高石事務所社長)とのやり取りも掲載されている。

    『日本フォーク私的大全』(なぎら健壱著・1995年・筑摩書房、1999年・ちくま文庫)

    ^ 発売中止。

    ^ URCレコードから非売品として出たお年玉企画レコード。

    ^ 高田渡の歌に、岡林信康が合いの手を入れている。

    ^ 歌:西岡たかし。

    ^ 名田貴好; 橋倉正信『青春音楽グラフィティ タイガースからYMOまで』集英社〈集英社文庫 COBALT-SERIES〉、1981年4月、118–121頁。 

    ^ サンデー毎日、1982年1月3日、10日号44-47頁

    ^ 週刊文春、2011年9月8日号、94-97頁

    ^ 「バンザイなこっちゃ!」岡林信康著、ゴマブックス、2005年10月20日、ISBN 477710236X、ISBN 978-4777102365、88-96頁

    ^ 文化遺産オンライン 日本基督教団近江金田教会礼拝堂、文化庁、2020年4月27日閲覧。

    ^ http://www.warewaredan.com/folk01.html

    ^ 「伝説 信康」岡林信康、小学館、1991年7月、ISBN 4093633819、ISBN 978-4093633819、47頁

    ^ 「伝説 信康」岡林信康、小学館、1991年7月、ISBN 4093633819、ISBN 978-4093633819、75-77頁

    ^ 『村日記』岡林信康著、講談社、1982年、164-171頁

    ^ 「伝説 信康」岡林信康、小学館、1991年7月、ISBN 4093633819、ISBN 978-4093633819、88-89頁

    ^ 『村日記』岡林信康著、講談社、1982年、178-190頁

    ^ 【岡林信康】引き出しから奇跡の新曲 美空ひばりからの手紙35年ぶり息吹

    ^ “岡林信康がぶっ壊そうとした「フォークの神様」のレッテル | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)”. Rolling Stone Japan (2021年3月19日). 2021年4月30日閲覧。

    ^ 「伝説 信康」岡林信康、小学館、1991年7月、ISBN 4093633819、ISBN 978-4093633819、125-131頁

    ^ 『村日記』岡林信康著、講談社、1982年、236-237頁

    ^ 山口隆著『叱り叱られ』

    ^ 松本隆 50周年 風街古都 コトノハ 岡林信康サプライズ出演 2021年2月4日閲覧。

    ^ 岡林信康がコロナ禍の中23年ぶりに放つ全曲書下ろしアルバム! 2021年2月4日閲覧。

    ^ 「バンザイなこっちゃ!」岡林信康著、ゴマブックス、2005年10月20日、ISBN 477710236X、ISBN 978-4777102365、60-61頁

    ^ 『岡林、信康を語る』岡林信康、ディスクユニオン、2011年7月13日発行、25頁。

    ^ 「週刊読売」1969年6月13日増大号、読売新聞社、P21。

    ^ 『岡林、信康を語る』disk UNION、2011年7月13日発行、192-197頁。

    ^ 『岡林、信康を語る』disk UNION、2011年7月13日発行、254-258頁。

    ^ 『岡林、信康を語る』岡林信康、ディスクユニオン、2011年7月13日発行、215-237頁。

    ^ 『岡林、信康を語る』岡林信康、ディスクユニオン、2011年7月13日発行、237-240頁。

    ^ 「バンザイなこっちゃ!」岡林信康著、ゴマブックス、2005年10月20日、ISBN 477710236X、ISBN 978-4777102365、201-206頁

    ^ 『岡林、信康を語る』岡林信康、ディスクユニオン、2011年7月13日発行、261-264頁。

    ^ 『岡林、信康を語る』岡林信康、ディスクユニオン、2011年7月13日発行、163-164頁。

    ^ 「フォーク黄金時代」シンコーミュージック、1992年11月8日発行、232ページ。

    ^ 「ヤングギター」シンコーミュージック、1977年6月号。

    ^ ユリイカ[詩と批評]2018年1月臨時増刊号 エンケン総特集「遠藤賢司言音一致の純音楽家1947-2017」青土社、2017年12月30日発行、50-51ページ。

    ^ 朝日新聞 2013年3月16日 土曜版 Be フロントライナー b1

    ^ 徹子の部屋|テレビ朝日 2021年4月19日閲覧。

    James Dorsey, “Breaking Records: Media, Censorship, and the Folk Song Movement of Japan’s 1960s.” In Asian Popular Culture: New, Hybrid, and Alternate Media, ed. John A. Lent and Lorna Fitzsimmons. Lanham, MD: Lexington Books, 2013, pp. 79〜107.

    愛という名のもとに  – 1992年に放送された、フジテレビテレビドラマ。「友よ」「私たちの望むものは」が挿入歌として使用された。

    僕たちの好きだった革命  – 2007年に上演され、2009年に再演もされた、KOKAMI@networkの舞台作品。「私たちの望むものは」の一部が挿入歌として使用された。

    公式ウェブサイト

    アートライフ ミュージアムザネット 岡林信康

    Universal Music Japan 岡林信康(※音が出るので注意)

    見る前に跳べ(ディスクユニオン社員のブログ)

    岡林信康 | ディスコグラフィー | プロフィール  – 記憶の記録 LIBRARY

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    1. ほんじゃまあおじゃまします/山谷ブルース(発売中止)

    2. 山谷ブルース/友よ

    3. 流れ者/チューリップのアップリケ

    4. くそくらえ節/がいこつの唄

    5. それで自由になったのかい/手紙

    6. 愛する人へ / ラブ・ゼネレーション

    7. 私たちの望むものは/性と文化の革命

    8. だからここに来た/コペルニクス的転回のすすめ

    9. 家は出たけれど/君を待っている

    10. もずが枯木で/お父帰れや

    11. 自由への長い旅/今日をこえて

    12. 手紙/それで自由になったのかい

    13. 俺らいちぬけた/申し訳ないが気分がいい

    14. 山谷ブルース/流れ者

    15. チューリップのアップリケ/私たちの望むものは

    16. ゆきどまりのどっちらけ/つばめ

    17. 墜ちた鳥のバラード/いくいくお花ちゃん

    **. 大ダイジェスト版 三億円強奪事件の唄/砂漠

    18. 26ばんめの秋/あの娘と遠くまで

    19. たれぞこの子に愛の手を/怪人二十面相を追いつめろ

    20. 青い月夜の散歩道/うつし絵へのひとり言

    21. わかれ雨/橋〜実録仁義なき寄合い

    22. からっぽの唄/五年ぶり

    23. 淋しき街角/ミッドナイト・トレイン

    24. Good-bye My Darling/遠い朝

    25. Gの祈り/君に捧げるラブソング

    26. ダンスマン/ミス・ベンリー

    27. 蒼ざめた朝/インスタント・ラブ

    28. ラスト・モーニング/たそがれの20世紀

    29. 夕べの祈り/ムーン・ライト

    30. 山谷ブルース/チューリップのアップリケ

    31. ペンノレ(日本語版)/ペンノレ(韓国国版)/ペンノレ(カラオケ)

    **. Dance Music/君に捧げる Love Song '90

    32. ジェームス・ディーンになれなかったけれど/愛しき君へ

    33. 祈りの朝/祈りの朝(ゴスペス・スタイル)/祈りの朝(ソロ)

    34. 風詩/乱の舟唄/乱の舟唄(オリジナル・カラオケ)

    35. レクイエム〜麦畑のひばり

    36. さよならひとつ/遥かなるこの旅を/さくら雨の朝に/さよならひとつ(アコースティック ver)

    **. 岡林信康withはっぴいえんど 7インチBOX

    1. わたしを断罪せよ 岡林信康フォーク・アルバム第一集

    2. 岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ

    3. 岡林信康コンサート

    4. 岡林信康アルバム第3集 俺ら いちぬけた

    5. 岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き

    6. 金色のライオン

    7. 1973PM9:00→1974AM3:00

    8. たれぞこの子に愛の手を

    9. うつし絵

    10. ラブソングス

    11. セレナーデ

    12. 街はステキなカーニバル

    13. GOOD EVENING〜岡林信康LIVE!

    14. ストーム

    15. GRAFFITI

    16. ベア・ナックル・ミュージック

    17. 信康

    18. メイド・イン・ジャパン

    19. 岡蒸気

    20. 風詩

    21. レクイエム〜我が心の美空ひばり

    22. ロックミュージック

    23. アナザー・サイド・オブ・オカバヤシ〜岡林信康、吉岡治を歌う

    24. ライブ45周年記念 2013/12/14 日比谷公会堂

    25. 弾き語り フォーク作品集

    26. 岡林信康デビュー50周年記念コンサート

    1. 私たちの望むものは 音楽舎春場所実況録音

    2. 岡林信康ファースト・コンサート〜MOVEMENT(アングラ音楽祭〜岡林信康リサイタル)

    3. 岡林信康ライブ 中津川フォーク・ジャンボリー

    4. '70 岡林信康ロックコンサート(岡林信康ろっくコンサート)

    5. '70 岡林信康ロックコンサートPartII(岡林信康壮行会)

    6. 岡林信康ライブ レアトラックス

    7. 岡林信康リサイタル 中野サンプラザ・1975

    1. 休みの国/岡林信康リサイタル

    2. 岡林信康の世界

    3. 岡林信康の世界 第2集

    4. 岡林信康オン・ステージ

    5. 岡林信康ベストコレクション

    6. 大いなる遺産

    7. ザ・ワースト・オブ岡林信康

    8. 岡林信康

    9. 岡林信康ライブ with はっぴいえんど

    10. 航跡/岡林信康ベストアルバム

    11. 岡林信康Vol.1

    12. 岡林信康Vol.2

    13. 岡林信康ベストコレクション

    14. エンヤトットでDancing!!

    15. 岡林信康ベストアルバム

    16. 岡林信康ベストコレクション歌祭り

    17. 岡林信康ベストコレクション歌祭り2

    18. 岡林信康 歌祭り3

    19. 御歌囃子参上!! 岡林信康エンヤトットミュージックベストコレクション

    20. 岡林信康URCシングル集+8

    21. 岡林四十五景〜デビュー45周年記念ベスト盤

    22. 森羅十二象

    1. 第4回フォーク・キャンプコンサート

    2. 第2回全日本フォーク・ジャンボリー

    3. 自然と音楽の時間

    4. 自然と文化の72時間

    5. '71全日本フォークジャンボリーライブ第二集

    6. ゲームは終わり

    7. '69第1回中津川フォーク・ジャンボリー

    オリジナル・サウンドトラック 影の軍団

    URCレコード

    アミューズ

    高石友也

    中川五郎

    ジャックス(早川義夫)

    はっぴいえんど(松本隆)

    柳田ヒロ

    はちみつぱい

    加藤和彦

    サムルノリ

    美空ひばり

    吉岡治

    日本の男性シンガーソングライター

    日本のフォークシンガー

    日本の音楽プロデューサー

    日本の男優

    過去のアミューズ所属者

    ビクターエンタテインメントのアーティスト

    日本コロムビアのアーティスト

    ソニー・ミュージックレコーズのアーティスト

    EMIミュージック・ジャパンのアーティスト

    フジロック・フェスティバル出演者

    ROCK IN JAPAN FESTIVAL出場者

    滋賀県立八日市高等学校出身の人物

    同志社大学神学部出身の人物

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2024/11/23 08:24更新

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