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岡林信康の情報 (おかばやしのぶやす)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

岡林信康の情報(おかばやしのぶやす) シンガー ソングライター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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岡林 信康さんについて調べます

■名前・氏名
岡林 信康
(読み:おかばやし のぶやす)
■職業
シンガー ソングライター
■岡林信康の誕生日・生年月日
1946年7月22日 (年齢77歳)
戌年(いぬ年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
滋賀出身

(昭和21年)1946年生まれの人の年齢早見表

岡林信康と同じ1946年生まれの有名人・芸能人

岡林信康と同じ7月22日生まれの有名人・芸能人

岡林信康と同じ出身地滋賀県生まれの有名人・芸能人


岡林信康と関係のある人

田家秀樹: 2020年(令和2年)「岡林信康・復活の朝スペシャル」(FM COCOLO/出演・構成)が日本民間放送連盟賞「ラジオエンターテインメント部門」優秀賞を受賞。


ボブ=ディラン: ディラン・ファンのフォーク歌手は1960年代から岡林信康、高田渡、加川良などかなりの人数がいた。


吉田拓郎: 1972年4月22日に日本武道館で行われた「フォーク・オールスター夢の競演音搦大歌合戦」なるイベントでは、岐阜の山から降りて久しぶりにステージに立った岡林信康の後に登場した拓郎に激しい“帰れコール”が浴びせられ歌が聞こえないほどであった。


友川かずき: 飯場で働いていた二十歳のころ、行きつけの赤提灯で岡林信康の「チューリップのアップリケ」を聴いてフォークシンガーを志す。


高田渡: 岡林信康岡林信康コンサート」(1970年、URC)


矢野顕子: 大阪サンケイホールブリーゼにて、岡林信康、細美武士、清水ミチコをゲストに迎えたリサイタルを開催。


ボブ=ディラン: 岡林信康


早川義夫: 岡林信康、甲斐よしひろ、遠藤ミチロウ、桑田佳祐、佐久間正英など多くのアーティストにリスペクトされている。


来生たかお: 一方で、自身より年長の岡林信康がパワフルに歌っているのをテレビで観た折りは、刺激を受けたと吐露している。


つのだ☆ひろ: 卓越したテクニックと日本人離れしたパワフルなドラミングが評判を呼び、1960年代後半からジャズ・ピアニスト佐藤允彦のトリオとの活動を皮切りに、渡辺貞夫カルテット、ジャックス、岡林信康、成毛滋、フライド・エッグ、ストロベリー・パス、五つの赤い風船、赤い鳥、サディスティック・ミカ・バンド、浅川マキ、加藤登紀子、中島みゆき、矢野顕子など、日本を代表するさまざまなミュージシャンたちと共演しドラマーとしての地位を確立する。


吉田拓郎: 拓郎の曲には、ロックもR&Bも入ってました」、高護は「吉田拓郎のサウンド・プロダクションはシンプルだったがフォーク・ロックを基調とする点で初期の岡林信康や高石友也とは明らかに一線を画していた」と評した。


渡辺茂樹: 岡林信康「Gの祈り」(編曲)


富澤一誠: 『オレのバイブル:1968岡林信康~1981松山千春』(冬樹社、1981年10月)


五木ひろし: この年の勝負作として投入した「北酒場」は、森進一「襟裳岬」のヒットに触発された形で“フォークの神様”と評価されていた岡林信康を作曲に迎え、五木が初めて取り組んだフォーク作品で、最高位13位、登場週数17週、15万枚を超える程度の売上げを記録する。


高中正義: 柳田ヒログループの一員として、1971年7月日比谷野音で開催された岡林信康の「岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き」でバッキングを務める。


美空ひばり: 岡林信康(『月の夜汽車』〈1975年〉)、来生たかお(『笑ってよムーンライト』〈1983年〉)、イルカ(『夢ひとり』〈1985年〉)、小椋佳(『愛燦燦』〈1986年〉)など、時代の話題のアーティスト・クリエイターなどとのコラボレートもしばしば行われた。


甲斐よしひろ: 子どもの頃から外国のロックと同じくらい友部正人、岡林信康、吉田拓郎など、日本のフォークを聴いた。


吉田拓郎: 僕はザ・フォーク・クルセダーズもジャックスも岡林信康も聴いていたんですが、それらとはまったく違うインパクトがありました」と述べた。


三上寛: 初めは片瀬江ノ島駅近くの割烹料亭「角若松」での板前見習いに就くも、岡林信康の「山谷ブルース」を聞いた衝動で退職を決意。


安田南: 岡林信康 『堕ちた鳥のバラード』(1970年) - B面の「いくいくお花ちゃん」でコーラス参加


高田渡: 岡林信康「幻のフォークライブ傑作集 岡林信康ファースト・コンサート ”MOVEMENT”」(1979年、URC / SMS Record)「自衛隊に入ろう」


五木ひろし: 岡林信康


桑田佳祐: ほかにも尾崎紀世彦、内山田洋とクール・ファイブ、ザ・ピーナッツ、ハナ肇とクレージーキャッツ、宇崎竜童、藤圭子、浅川マキ、弘田三枝子、中島みゆき、坂本九、森繁久彌、加藤登紀子、小林万里子、岡林信康、野坂昭如、早川義夫などのミュージシャンにも影響を受けた。


柳田ヒロ: 岡林信康の『俺らいちぬけた』、『狂い咲き』でバックバンドを務める。


高田渡: 高石ともや、岡林信康、中川五郎、早川義夫、加川良、岩井宏、ひがしのひとし、古川豪、藤村直樹らと関西フォーク・ムーブメントの中心的存在となる。


井上陽水: かつて岡林信康がその精神的な意味で若者の心に重く存在したように、また吉田拓郎がヤングのオピニオン・リーダーとして存在したように、今、井上陽水はそのセンチメンタルな世界をひっさげ<どうしようもない時代>に生き続けなければわれわれに慰みを与えてくれている」と書かれている。


吉田拓郎: 中川五郎は「1970年代に入ってフォーク・ソングが変わっていって、もちろん高石ともやさん、岡林信康さんとかの時代から乱暴な言い方をすれば吉田拓郎さんとかが出現して、井上陽水さん、かぐや姫とかフォーク・ソングがかなり違うものになって、呼び方もニューミュージックみたいになったりした。


柳田ヒロ: 岡林信康 / 狂い咲き (1971年) (ライブ盤:柳田ヒログループとして参加)


早川義夫: ディレクターとしては岡林信康、加川良らを担当したが、次第に音楽の仕事から離れ、1972年には川崎市中原区に早川書店を開店。


中村とうよう: 『ニュー・ミュージックマガジン』の編集長時代は、辛口採点で知られた中村だが、岡林信康がフォークから遠ざかり、演歌的アルバム『うつし絵』など出した後、フォーク的アルバム『ラブソングス』を出したとき、100点満点を出したことは大変に有名。


岡林信康の情報まとめ

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岡林 信康(おかばやし のぶやす)さんの誕生日は1946年7月22日です。滋賀出身のシンガー ソングライターのようです。

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人物、ディスコグラフィなどについてまとめました。父親、現在、兄弟、テレビ、ドラマ、事件に関する情報もありますね。岡林信康の現在の年齢は77歳のようです。

岡林信康のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

岡林 信康(おかばやし のぶやす、1946年〈昭和21年〉7月22日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター。血液型はO型(本人はA型に近いO型と語っている)。滋賀県近江八幡市出身。

実家は教会で、父親は牧師。現在は京都府亀岡市在住。

父の岡林勝治は新潟県の出身で、30歳まで新潟で農業をしていた。しかし、閉鎖的な村社会が嫌になって故郷を飛び出し、滋賀県の紡績工場に就職。その時期に宣教師のウィリアム・メレル・ヴォーリズに出会い、牧師となるため大阪の神学校に通った後、近江八幡市の田んぼのど真ん中に西洋建築の教会を建てた(近江金田教会の礼拝堂は現存し、2012年(平成20年)に国の登録有形文化財に登録されている)。当地で信康は生まれる。近江兄弟社中学、滋賀県立八日市高等学校を経て、1966年に同志社大学神学部入学。牧師を目指していたため、音楽はクラシックか讃美歌だけしか聴かず、他は全て悪魔の音楽と思っていたという。熱心なキリスト教信者であったが、実家の教会の不良少女の扱い(お祈りをさせないなど)に疑問を感じ「脱出」、その後社会主義運動に身を投じる中で、高石ともやに出会いギターを始める。

1968年、大学をやめ、工事現場で人夫として働く。同年「高石音楽事務所」に所属、労音(勤労者音楽協議会)回りを始める。京都で行われた第3回フォークキャンプに参加。同年9月、山谷に住む日雇い労働者を題材とした「山谷ブルース」でビクターよりレコード・デビュー。翌年までに、「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」、「くそくらえ節」、「がいこつの歌」など、名作・問題作を発表。その内容から、多くの曲が放送禁止となる。当時、岡林とともに高石ともや、高田渡、加川良、五つの赤い風船なども活躍し、プロテスト・フォーク、反戦フォークが若者の間でブームとなった。中でも岡林は一世を風靡し、「フォークの神様」と言われたが、労音との軋轢や周囲が押しつけてくるイメージと本人の志向のギャップ(同時期、岡林はすでに直接的なプロテストソングに行き詰まりを感じており、ロックへの転向を模索していた)などにより1969年9月、3か月余りのスケジュールを残したまま一時蒸発した。書き置きは「下痢を治しに行ってきます」。長野県で材木切りの肉体労働に従事。

1970年4月、コンサートに再登場、「ごめんやす。出戻りです。お互い堅くならんといきましょう」と話した。この時期からボブ・ディランに影響を受けたロックを、当時無名だったはっぴいえんどをバックに展開し始める。ヒッピーを目指し、それまでの労務者風のスタイルとは似ても似つかぬ黒い革ジャンにピッチリしたスラックスできめた。「それで自由になったのかい」「私たちの望むものは」「自由への長い旅」などの作品を発表、喝采を浴びて東京に移り住み、一夫一婦制ナンセンスを唱えて自由なヒッピー風生活をするが行き詰る。

1971年の日比谷野外音楽堂での「自作自演コンサート 狂い咲き」および、「第3回中津川フォークジャンボリー」を最後に、再び表舞台から姿を消す。

やがて岡林は人や街を嫌い、被害妄想、及び自閉症が進行、三重県で農業共同体を営んでいた山岸会を見学し、「ヤマギシズム」に傾倒。自然の環境に身を置こうと岐阜県中津川近くの山村に移り住み、約1年後京都府綾部市の総戸数17戸の過疎村に居を移し農耕生活を始める。

農村に移住して、村の生活の中でリラックスし始めていたが、ギターに触れることもせず、歌手であることも忘れようとしていた(たまにゲスト出演などで他人のコンサートに出ても円形脱毛症になることがあった)。そんな中つぶれかけの蔵の中で座禅・瞑想を30分ほどするようになり、半年ばかり過ぎた頃、誰かがポンと肩を叩いたような感覚になり、「無理をしてきたなぁ。もうこれから無理をする必要はないんだよ」という声が聞こえ、突如背中に電気が走ったようになり、涙がとめどなく溢れてきた。30分ほど泣き続け、体中をしばっていた鎧が粉々に飛び散ったような爽快感が広がっていくようであった。それ以降、どんどんリラックスするようになり、いろんな価値観が変わっていくようになり、自分の歪をもっと知りたいと精神分析の本も読み漁ったりする中、新しい音楽を作る気持ちになった。

1973年にCBS・ソニーへ移籍し、活動を再開。松本隆をプロデューサーに迎え制作されたロック路線のアルバム『金色のライオン』、『誰ぞこの子に愛の手を』などを発表。いかに今まで無理してきたかを普通の表現法では無理だったため、ディラン風の暗喩を多用した「あの娘と遠くまで」、「26ばんめの秋」などの曲などを発表するが、相変わらず「フォークの神様」を期待するファンは多かった。

数年間の農村生活の間、文明との接点は古ぼけたステレオだけ、次第に肩肘から力がとれた。知人である黒田征太郎宅のテレビで、西川峰子の「あなたにあげる」を聴いて感激。「おれのものも歌だが、演歌もまた歌だ。歌にはいろいろな役目がある」と、ぽつりぽつりと自分だけの演歌を作り始めた。作り始める中、いろんな演歌のレコードを買いあさり、演歌にのめり込んでいる中、自身の音楽のルーツが賛美歌やクラシック音楽だけではなく、ラジオから流れて聴いていた演歌にもあったことに気づく。「月の夜汽車」「風の流れに」が美空ひばりに採用される。4年間にわたる農耕生活を終え 山を降り亀岡市に転居。

1975年には、岡林本人も日本コロムビアに移籍し、演歌路線のアルバム『うつし絵』をコロムビアより発表。美空ひばりの後押しも受け、12月に中野サンプラザで久しぶりのワンマンコンサートも行った。日本コロムビアでは他に、新録の2枚組ベスト・アルバム『岡林信康』、私小説的弾き語りの『ラブソングス』を発表。この頃、サザンオールスターズがブレイクする前のアミューズに所属していた。

音楽評論家の中村とうようが「岡林が演歌をやめてフォークに戻ってきた」と評し、再び「フォークの神様」に戻ることを危惧するも、久しぶりにギター1本で約1年100箇所あまりの村や町を旅した。昔の自分を求める観客との間に微妙なズレを感じつつも、どこの会場も大盛況だった。弾き語りを100箇所も続けていると、他のミュージシャンと一緒にプレイしたくなり、そんな想いが強くなった頃、ニール・セダカやポール・アンカといったアメリカン・オールディーズにひかれ、今度はこれらの曲を聴きまくった。子どもたちがファンであったピンク・レディーのレコードをかけてくれとしょっちゅうせがまれた影響もあり、歌謡ポップス・アルバムを作ってやれと捻り出して作ったアルバム『セレナーデ』を発表。これを皮切りに、パロディ色の強い、ニューミュージック路線を展開した。

古巣のビクターのレーベルであるインヴィテーションに移籍し、さらに『街はステキなカーニバル』、『ストーム』、『グラフィティ』を発表し路線を深めていく。「ミッドナイト・トレイン」、「Good-bye My Darling」、「山辺に向いて」などがこの時代の代表曲である。

1980年、テレビドラマ『服部半蔵 影の軍団』のエンディング・テーマである「Gの祈り」を発売。しかし、『ストーム』制作の際、プロデュースを担当した加藤和彦に、それまでの作詞の根本としていた部分を「逃げ」だとして批判されたことで、再び新たなスタイルを模索することになる。

1980年代中頃より、メジャーレーベルとの契約が切れたことなどもあり、往年のフォークスタイルであるギターとハーモニカによる弾き語りツアー「ベアナックルレビュー」を開始、全国を巡る。また、この頃より、封印していた初期の曲の一部を再び歌うようになる。

1981年にロンドンでキング・クリムゾンのロバート・フリップに「俺たちの真似じゃない、日本人のロックを聴かせろ」と言われたことで、日本民謡的なリズムに乗せた独自のロック「エンヤトット」を思案。平野融らとともに模索を続ける中、韓国の打楽器集団サムルノリと出会い、開眼する。

1987年、自主制作テープ『エンヤトットでDancing!!』を発表。その後、東芝EMIや日本クラウンなどでアルバムを発表。全国各地でコンサートを行う。

「古いファンからはあまり喜ばれなかった」と本人が語る「エンヤトット路線」ではあったが、2007年10月20日に36年ぶりの日比谷野外音楽堂ライブ「狂い咲き2007」を行うまでに至る。また、前述の日比谷野音ライブに前後した時期から、10年以上「封印状態」にあったURCレコード時代の音源を含む全アルバムが、紙ジャケットで再発された。また、岡林を敬愛するサンボマスターとの競演や、フジロックフェスティバル、COUNTDOWN JAPANなどのロックフェスへの参加、ロック時代の曲を数十年ぶりに再演するミニライブの開催、数々のテレビ出演など、より積極的な活動を行っている。

2009年の九段会館のコンサートで「越後獅子の唄」をカバーしたことをきっかけに、翌2010年、EMIミュージック・ジャパンから美空ひばりのカバー曲を中心とした『レクイエム〜我が心の美空ひばり〜』を発表。5月には久々となる全国ツアーも行った。

2011年、「岡林信康コンサートツア-2011」を行い、東名阪のZEEPでライブを行った。

2012年、14年ぶりに作詞・作曲をした自主制作シングル「さよならひとつ」を発表した。

2016年にはフリー・ジャズの山下洋輔とも共演した。

2020年11月2日、作詞家・松本隆のデビュー50周年を記念したトリビュート・ライブ『松本隆 50周年 風街古都 コトノハ』にサプライズゲストとして登場。松本がプロデュースした岡林のアルバム『金色のライオン』にも収録され、タイトルも松本が命名した「26ばんめの秋」を披露した。

2021年3月3日、1998年発売の『風詩』以来23年ぶりのオリジナル・アルバム『復活の朝』を発売する。

人物

名前の由来

父方の姓は「下杉」といい、上杉謙信の子孫だったとのこと。そのため、本来「下杉信康」だったということになると著書に書いている。

信康という名前は、キリスト教信仰の「信」と、三歳で病死した兄がいて、次に生まれてくる子は健康であってほしいという願いから「康」がとられ、「信康」となった。

楽器との関わり

小さい頃、父から無理やりピアノを習わされた(教会で賛美歌のオルガン奏者をみつけるのに苦労し、自分たちの子どもにそれをやってほしいという思いから、姉も弟も習わされていた)が苦痛で、小学校二年から始めて三年間でバイエル四十番までしかいかず、教える先生もさじを投げるほどだった。

ギターを始めたのは、高石ともやがきっかけではなく、浪人していた頃友達がギターを置かしてくれと持って来たのを、その友達に「ギターにはコードっていうのがあって、コードはこうやって弾くんだよ」と教えてもらい、これでグループサウンズの歌なんかができるんだぞって言われ、弾き語りをしたり、作曲をしたりしたと言う。加山雄三の詩に違うメロディーをつけて作曲もしていた。加山雄三に影響を受けてギター始めたっていうのは格好悪いから、いちいち訂正はしていないが、本格的にやり始めたのは高石ともやを聴いてから。初めて買ったギターは、山谷の質屋で3,200円だった。

被差別部落

被差別部落に関わるきっかけは、山谷での日雇い労働での経験から来ており、それまで見たことのない人々や社会にショックを受け、地元の滋賀に帰ってから、琵琶湖のほとりでテントを張り、自問自答していく中で、自分の身近にある社会問題に目を向けたところ、それが被差別部落問題だった。そのことから、山谷に行ったり来たりしながら、地元の被差別部落区域でも日雇い労働を経験しながら、部落解放運動にも参加した。そのとき生れたのが初期の傑作「山谷ブルース」「流れ者」「手紙」「チューリップのアップリケ」である。この部落差別をテーマにした「手紙」「チューリップのアップリケ」は、放送禁止歌の代表例といわれる(実際のところ、放送禁止になっている歌というものは存在しない。抗議などを恐れての自主規制・自粛である)。

作品の特徴

岡林の作品の特徴として、「くそくらえ節」のように関西弁と東京弁を混ぜた歌詞もあれば、「山谷ブルース」のように東京弁だけを使用した歌詞もあったりする。

前述のように、プロテストソングとしての評価は高く、先輩の小室等は、「岡林、よくぞ歌ってくれた」と『昭和は輝いていた』で絶賛していた。ただし「フォークの神様」の称号が、一人歩きする苦悩も垣間見たという。

便利や快適さへの懸念

便利や快適さを追い求めることに対しての危惧については、様々な著書で訴えている。京都の過疎地区で暮らした際に、自然農法を始めたのもそれで、化学肥料、農薬による弊害、機械による農業への否定などから、自分でどうにか自然農法の、無農薬、有機肥料を使った農法をやってみたかった。現在は、化学肥料も完全否定ではなく、農薬は極力使わないにして、化学肥料もタイミングを見計らって少量だけ使っている。

動物

元々動物好きで、小さい頃は鳩を買っていたが、50を過ぎた辺りでテレビで鳩が登場する番組があり、それを見てからまた鳩を飼いたくなり、34年ぶりに鳩小屋を作ってドイツ鳩を飼い始めた。

金魚も長年飼っており、金魚の歴史についても詳しい。

日曜大工

京都の山奥の農村で暮らしていた頃から日曜大工が好きで、それは今でも続いている。特に酒をやめてからは、以前に増して日曜大工をする時間が増え、テーブルや椅子を作りすぎて「置き場所がない、邪魔になる」と妻に怒られたりもしている。

昔はコンサートの後、店でさんざん呑んだ後、「ホテルに帰ったら、俺の部屋に集合!」と号令をかけるほどお酒好きで、あのC.W.ニコルが「岡林はバケモノだ」と驚くほどの酒豪だったが、年を取っても若い頃と同じ量の酒を呑んでおり、段々と体にこたえるようになり、今はやめている。おかげで、コンサートでも以前より声が出るようになったと周りから言われ、もう酒飲みには戻れないと言っている。「それぐらい強い俺が、ひばりさんの前では子どもだよ」と例えるほど、美空ひばりは酒に強かったという。酒をやめたら人生の楽しみが消えるんじゃないかと心配していたが、前述のように、日曜大工が楽しくて、体がいくつあっても足りなくなるほど忙しくなった。

小室哲哉の5億円詐欺事件

小室哲哉が逮捕された「5億円詐欺事件」からは、多くを学んだという。「彼も最初は「いい歌ができた」という達成感が大きな喜びだったのに、いつの間にかたくさん売れるということが目的にすり変わっていった。考えたら、エンヤトットは売れないじゃないかと地団駄を踏んでいる自分も小室君と同じじゃないか。だから評価や売れることを目的にするのはやめようと思った」

ディスコグラフィ

シングル

発売日 規格 規格品番 タイトル
ビクターレコード
1968年5月 (1968-05) EP SV-1019 A ほんじゃまあおじゃまします
B 山谷ブルース
1968年9月5日 (1968-09-05) EP SV-1028 A 山谷ブルース
B 友よ
1969年3月5日 (1969-03-05) EP SV-1043 A 流れ者
B チューリップのアップリケ
1970年7月5日 (1970-07-05) EP SV-1080 A 私たちの望むものは
B 性と文化の革命
1971年6月5日 (1971-06-05) EP SF-1 A もずが枯木で
B お父帰れや
1971年10月5日 (1971-10-05) EP SF-12 A 山谷ブルース
B 流れ者
1971年10月5日 (1971-10-05) EP SF-13 A チューリップのアップリケ
B 私たちの望むものは
1971年11月5日 (1971-11-05) EP SF-14 A ゆきどまりのどっちらけ
B つばめ
URCレコード
1969年8月1日 (1969-08-01) EP URS-0003 A くそくらえ節
B がいこつの唄
1970年3月 (1970-03) EP URS-0017 A それで自由になったのかい
B 手紙
1970年5月20日 (1970-05-20) EP URS-0028 A 愛する人へ
B ラブ・ゼネレーション
1970年10月5日 (1970-10-05) EP URS-0029 A だからここに来た
B コペルニクス的転回のすすめ
1971年2月20日 (1971-02-20) EP URT-0050 A 家は出たけれど
B 君を待っている
1971年6月10日 (1971-06-10) EP URT-0052 A 自由への長い旅
B 今日をこえて
1971年6月10日 (1971-06-10) EP URT-0053 A 手紙
B それで自由になったのかい(1970年8月9日全日本フォークジャンボリー実況録音)
1971年6月25日 (1971-06-25) EP URT-0056 A 俺らいちぬけた
B 申し訳ないが気分がいい
1971年8月25日 (1971-08-25) EP URT-0065 A 堕ちた鳥のバラード
B いくいくお花ちゃん
1972年1月1日 (1972-01-01) EP URO-1001 A 大ダイジェスト版 三億円強奪事件の唄
B 砂漠
CBS・ソニー
1973年11月21日 (1973-11-21) EP SOLB-86 A 26ばんめの秋
B あの娘と遠くまで
1975年1月21日 (1975-01-21) EP SOLB-208 A 誰ぞこの子に愛の手を
B 怪人二十面相を追いつめろ
日本コロムビア
1975年8月25日 (1975-08-25) EP CD-252 A 青い月夜の散歩道
B うつし絵へのひとり言
1975年10月5日 (1975-10-05) EP CD-263 A わかれ雨
B 橋〜実録仁義なき寄合い
1977年6月20日 (1977-06-20) EP LK-38-A A からっぽの唄
B 五年ぶり
1978年10月4日 (1978-10-04) EP LK-84-A A 淋しき街角
B ミッドナイト・トレイン
Invitation
1979年9月25日 (1979-09-25) EP VIH-1059 A Good-bye My Darling
B 遠い朝
1980年4月21日 (1980-04-21) EP VIH-1084 A Gの祈り
B 君に捧げるラブソング
1980年11月5日 (1980-11-05) EP VIH-1525 A ダンスマン
B ミス・ベンリー
1981年 (1981) EP VIHX-1558 A 蒼ざめた朝
B インスタント・ラブ
1982年4月5日 (1982-04-05) EP VIH-1570 A ラスト・モーニング
B たそがれの20世紀
1982年 (1982) EP VIHX-1596 A 夕べの祈り
B ムーンライト
日本コロムビア
1988年11月1日 (1988-11-01) EP AH-991 A ペンノレ(日本語版)
B ペンノレ(韓国語版)
東芝EMI / EASTWORLD
1989年9月1日 (1989-09-01) EP PRT-1480 A Dance Music
B 君に捧げる Love Song '90
1996年4月17日 (1996-04-17) 8cmCD TODT-3699 1 祈りの朝
2 祈りの朝(ゴスペススタイル)
3 祈りの朝(ソロ)
日本クラウン
1998年1月21日 (1998-01-21) 8cmCD CRSN-525 1 風詩
2 乱の舟唄
EMIミュージック・ジャパン / EASTWORLD
2010年5月12日 (2010-05-12) CD TOCT-22355 1 レクイエム〜麦畑のひばり
2 山谷ブルース
3 悲しき口笛
4 お祭りマンボ
自主制作
2012年5月23日 (2012-05-23) CD ON-1 1 さよならひとつ
2 遥かなるこの旅を
3 さくら雨の朝に

アルバム

発売日 規格 規格品番 アルバム
URCレコード
1969年8月1日 (1969-08-01) LP URL-1007 わたしを断罪せよ 岡林信康フォーク・アルバム第一集
1970年6月1日 (1970-06-01) LP URG-4001 岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ
1971年8月1日 (1971-08-01) LP URG-4008 岡林信康アルバム第3集 俺ら いちぬけた
CBS・ソニー
1973年11月1日 (1973-11-01) LP SOLL-52 金色のライオン
1975年1月20日 (1975-01-20) LP SOLL-118 誰ぞこの子に愛の手を
日本コロムビア
1975年7月25日 (1975-07-25) LP CD-7140 うつし絵
1977年4月25日 (1977-04-25) LP LX-7015 ラブソングス
1978年9月25日 (1978-09-25) LP LX-7050 セレナーデ
Invitation
1979年10月25日 (1979-10-25) LP VIH-6057 街はステキなカーニバル
1980年10月21日 (1980-10-21) LP VIH-28021 ストーム
1981年11月21日 (1981-11-21) LP VIH-28059 GRAFFITI
自主制作
1987年 (1987) カセットテープ BMT-0001 エンヤトットでDancing!!
東芝EMI / EASTWORLD
1990年4月18日 (1990-04-18) CD TOCT-5661 ベア・ナックル・ミュージック
2009年5月13日 (2009-05-13) CD(紙ジャケット) TOCT-26813
1991年 (1991)7月12日 CD TOCT-6199 信康
2009年5月13日 (2009-05-13) CD(紙ジャケット) TOCT-26814
1992年10月 (1992-10)28日 CD TOCT-6794 メイド・イン・ジャパン
2009年5月13日 (2009-05-13) CD(紙ジャケット) TOCT-26815
日本クラウン
1998年1月21日 (1998-01-21) CD CRCN-20202 風詩
2009年5月13日 (2009-05-13) CD(紙ジャケット) CRCP-20436
FUJI
2021年3月3日 CD ONL-15 復活の朝

発売日 レーベル 規格 規格品番 アルバム 備考
1969年6月 (1969-06) URCレコード LP URL-1003 休みの国/岡林信康リサイタル
1970年8月 (1970-08) カセットテープ URCT-10001 私たちの望むものは 音楽舎春場所実況録音
1971年2月 (1971-02) LP URL-1016/7 岡林信康コンサート
1971年11月 (1971-11)20日 LP URL-1019/21 岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き
1974年 (1974)6月1日 CBS・ソニー LP SOLJ-95/6 1973PM9:00→1974AM3:00
1979年5月25日 (1979-05-25) SMS LP SM22-4017 岡林信康ライブ 中津川フォーク・ジャンボリー 1970年8月8日 (1970-08-08)-9日、1971年8月7日 (1971-08-07)-9日の岐阜県中津川
2008年12月19日 (2008-12-19) FUJI CD FJ-1011
2013年3月20日 (2013-03-20) CD ONL-1011 2013年 (2013)デジタルリマスター盤
1979年11月25日 SMS LP SM22-4024 '70岡林信康ロックコンサート 1970年10月9日 (1970-10-09) 日比谷野外音楽堂
2008年12月19日 (2008-12-19) FUJI CD FJ-1012 岡林信康ろっくコンサート 2008年 (2008)デジタルリマスター盤、「コペルニクス的転回のすすめ」収録
2013年3月20日 (2013-03-20) CD ONL-1012 2013年 (2013)デジタルリマスター盤、「コペルニクス的転回のすすめ」収録
1979年12月21日 (1979-12-21) SMS LP SM22-4029 '70岡林信康ロックコンサートPartII 1970年4月24日 (1970-04-24) 渋谷公会堂
2008年12月19日 (2008-12-19) FUJI CD FJ-1013 岡林信康壮行会 2008年 (2008)デジタルリマスター盤
2013年3月20日 (2013-03-20) CD ONL-1013 2013年 (2013)デジタルリマスター盤
1980年8月21日 (1980-08-21) Invitation LP VIH-28011 GOOD EVENING 岡林信康LIVE!
1995年7月5日 (1995-07-05) CD VICL-18200
2008年5月21日 (2008-05-21) CD(紙ジャケ) VICL-62564 2007年 (2007)デジタルリマスター盤
1993年9月8日 (1993-09-08) 東芝EMI / EASTWORLD CD TOCT-8155 岡蒸気
2009年5月13日 (2009-05-13) EMIミュージック・ジャパン CD(紙ジャケ) TOCT-26816
2009年3月20日 (2009-03-20) FUJI CD ONL-1018 岡林信康ライブ レアトラックス 2009年 (2009)デジタルリマスター盤
2009年9月12日 (2009-09-12) 岡林信康レーベル CD OK-005 岡林信康リサイタル 中野サンプラザ・1975 初音源化、2013年 (2013)デジタルリマスター盤
2010年11月10日 (2010-11-10) CD OK-006 ロックミュージック
2014年11月19日 (2014-11-19) FUJI CD ONL-5 ライブ45周年記念 2013/12/14 日比谷公会堂
2019年7月24日 (2019-07-24) CD ONL-12 岡林信康デビュー50周年記念コンサート

発売日 レーベル 規格 規格品番 アルバム 備考
1976年7月25日 (1976-07-25) 日本コロムビア LP LZ-7001/2 岡林信康ベスト・アルバム
1994年5月21日 (1994-05-21) CD COCA-11604
2009年2月18日 (2009-02-18) コロムビアミュージックエンタテインメント CD(紙ジャケ) COCP-35451 12ページ写真集をCDサイズで復刻添付。
2009年2月21日 (2009-02-21) 岡林信康レーベル CD OK-1 歌祭り
2009年2月21日 (2009-02-21) CD OK-2 歌祭りセカンド
2009年2月21日 (2009-02-21) CD OK-3 歌祭りサード
2013年5月5日 (2013-05-05) FUJI CD ONL-1 アナザー・サイド・オブ・オカバヤシ〜岡林信康、吉岡治を歌う
2018年9月5日 (2018-09-05) LP ONLR-11 森羅十二象
CD ONL-11

発売日 レーベル 規格 規格品番 アルバム 備考
1971年6月5日 (1971-06-05) ビクター LP SF-1001 岡林信康の世界 第2集
1975年11月 (1975-11) LP SF-10001
1971年7月5日 (1971-07-05) LP SF-1002 岡林信康の世界 第1集
1975年11月 (1975-11) LP SF-10002
1972年10月 (1972-10) LP SF-5009/10 岡林信康ベスト・コレクション
1975年12月 (1975-12) URCレコード LP URH-5002 大いなる遺産
1987年10月21日 SMS CD MD30-4147
2008年12月19日 (2008-12-19) FUJI CD FJ-1014 2008年 (2008)デジタルリマスター盤
2013年3月20日 (2013-03-20) CD ONL-1014 2013年 (2013)デジタルリマスター盤
1976年1月 ビクター LP DX-10034 ザ・ワースト・オブ岡林信康
1979年11月25日 (1979-11-25) 日本コロムビア LP LA-7078 航跡
1982年9月5日 Invitation LP VIH-28093 岡林信康Vol.1
LP VIH-28094 岡林信康Vol.2
1986年4月21日 CD VDR-5051 岡林信康ベスト・コレクション
1987年 (1987) 自主制作 カセットテープ T-200755 岡林信康 ベストコレクション Vol.1
2017年9月6日 (2017-09-06) FUJI CD ONL-10 岡林信康 ベストコレクション
2009年2月21日 (2009-02-21) 岡林信康レーベル CD OKBYS 御歌囃子参上!! 岡林信康エンヤトットミュージック ベストコレクション
2009年3月20日 (2009-03-20) FUJI CD(紙ジャケ) FJ-1016 岡林信康URCシングル集 2009年 (2009)デジタルリマスター盤、ボーナス・トラック8曲入
2013年3月20日 (2013-03-20) CD ONL-1016 2013年 (2013)デジタルリマスター盤、ボーナス・トラック8曲入
2013年5月15日 (2013-05-15) CD ONL-2 岡林四十五景〜デビュー45周年記念ベスト盤
2015年9月9日 (2015-09-09) CD ONL-8 弾き語り フォーク作品集

発売日 レーベル 規格 規格品番 アルバム 備考
1969年10月 URCレコード LP URL-1005/6 第4回フォーク・キャンプ・コンサート 「それで自由になったのかい」「ヘライデ」収録
1970年10月5日 ビクター LP SJV-477/8 第2回全日本フォーク・ジャンボリー
1970年10月10日 キングレコード LP KR-7018/9 自然と音楽の48時間
1971年10月10日 LP SKK-712/3 自然と音楽の72時間
1971年10月25日 ビクター LP SF-1013 '71全日本フォーク・ジャンボリー第二集
1972年10月25日 URCレコード LP URL-1028/30 ゲームは終わり 五つの赤い風船名義
1974年 HEM LP KILS-2009 29通の手紙 朗読で参加
1979年12月21日 SMS LP SM38-4035/6 '69第一回中津川フォーク・ジャンボリー

レクイエム〜我が心の美空ひばり(2010年1月20日 (2010-01-20)、ユニバーサルミュージック、TOCT-26935)  – 美空ひばりのカバー・アルバム。

岡林信康withはっぴいえんど 7インチBOX(2018年7月25日 (2018-07-25)、FUJI)  – 岡林信康がはっぴいえんどと共にURC時代にシングル盤としてリリースしたシングルを収納した限定7インチボックス・セット。ボーナス・レコードとして、はっぴいえんどとの最後のスタジオ録音となった「私たちの望むものは」を加えた6枚組。

ビデオ

発売日 レーベル 規格 規格品番 タイトル 備考
1991年10月27日 東芝EMI / EASTWORLD VHS TOVF-1171 今夜は朝まで踊りましょ 平塚市民センター(1993年5月22日)、真宗大谷派名古屋別院(7月25日)、モンゴル・中国での模様を収録。
2013年12月11日 ユニバーサル ミュージック DVD TYBN-10006
1994年11月28日 リットーミュージック VHS RMFR-002 日本ロック映像全集 Vol.2
2007年1月24日 ビクターエンタテインメント DVD VIBY-269 NHK映像歌年鑑 〜そういえばあの時この歌〜 1968-1969
2009年8月21日 NHKエンタープライズ DVD NSDS-13534 BS永遠の音楽 大集合!青春フォークソング
2010年12月15日 ポニーキャニオン DVD PCBP-11993 だからここに来た! -全日本フォーク・ジャンボリーの記録-

提供(カバー)作品

発売日 歌手 区分 タイトル 作詞 作曲 編曲
1975年7月 黒田征太郎 提供 波止場エトランゼ 馬場良
1975年7月 黒田征太郎 提供 望郷渡り鳥 馬場良
1975年9月1日 美空ひばり 提供 月の夜汽車 佐伯亮
1975年9月1日 美空ひばり 提供 風の流れに 佐伯亮
1976年 西川峰子 提供 女になるでしょう 吉岡治 前田俊明
1976年 西川峰子 提供 夜祭りの都 前田俊明
1976年6月5日 五木ひろし 提供 北酒場 吉岡治 竜崎孝路
1976年8月 五木ひろし 提供 紫陽花ばなし 吉岡治 あかのたちお
1976年8月 五木ひろし 提供 野分けの村 吉岡治 あかのたちお
1976年8月 五木ひろし 提供 ネジ子の数え唄 吉岡治 あかのたちお
1976年8月 五木ひろし 提供 おんなの旅路 吉岡治 あかのたちお
1976年11月 西川峰子 カバー 青い月夜の散歩道
1976年11月 西川峰子 カバー 春を運ぶな雪の海
1976年11月 西川峰子 提供 コスモスの別れ
1976年11月 西川峰子 提供 野分けの村 吉岡治
1977年 山下敬二郎 提供 バイ・バイ・ブルース 吉岡治 泉谷しげる
1977年 山下敬二郎 提供 僕のベッドへおいで 吉岡治 泉谷しげる
1977年 鶴岡雅義と東京ロマンチカ 提供
1978年12月 笑福亭鶴光 提供 鶴光の新説SOS ゲーム
1979年 千昌夫 カバー 山谷ブルース
1992年8月25日 カーネーション カバー いくいくお花ちゃん 佐藤信
1996年7月24日 泉谷しげる カバー 私たちの望むものは
2002年12月21日 BLESS カバー 私たちの望むものは
2004年10月21日 石川さゆり 提供 夢の海峡
2006年5月31日 松山千春 カバー 私たちの望むものは
2007年9月5日 石川さゆり 提供 京の覚え唄 吉岡治
2007年9月12日 笹生実久 カバー チューリップのアップリケ
2009年5月20日 石川さゆり 提供 夕焼けだんだん 吉岡治
2009年2月18日 和幸 カバー 自由への長い旅
2009年5月 清水節子 カバー 山谷ブルース
2010年2月10日 矢野顕子 カバー 嘆きの淵にある時も
2011年8月24日 阿部芙蓉美 カバー 私たちの望むものは
2013年2月20日 石川さゆり 提供 憂忌世ぶし 吉岡治 川村栄二
2014年12月 吉幾三 カバー 山谷ブルース
2014年12月24日 大竹しのぶ×野田洋次郎(RADWIMPS) カバー チューリップのアップリケ
2016年6月1日 kōkua カバー 私たちの望むものは

2024/06/14 08:57更新

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