池内友次郎の情報(いけうちともじろう) 作曲家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
池内 友次郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
池内友次郎と関係のある人
飯田三郎: 根室商業学校卒業後上京し、作曲を池内友次郎、指揮を山田和男に師事する。 佐藤眞: 作曲を下総皖一および池内友次郎に師事。 遠藤郁子: 2度結婚しており、最初の夫は池内友次郎である。 福田和禾子: 作曲を下総皖一、池内友次郎、矢代秋雄、いずみたくに師事。 矢代秋雄: 秋雄は後任の池内友次郎、伊福部昭に就いて、新たに作曲理論の勉強を開始することとなる。 石井眞木: 1952年国立音楽大学付属高等学校ピアノ科に入学、学外で作曲を池内友次郎に、ピアノをL.コハンスキに、指揮法を渡邉暁雄に師事する。 池野成: 東京音楽学校に入学して作曲を学ぶも1949年5月31日、学制改革により新制東京芸術大学が発足し包括され3年後の1952年3月に廃止されるも池野は同大学音楽学部作曲科で勉強を続け池内友次郎に師事。 箕作秋吉: 池譲に対位法を、池内友次郎にフーガを、ヨゼフ・ケーニヒに管弦楽法を、ヨーゼフ・ローゼンシュトックに指揮法を師事。 遠藤郁子: 29歳の時に作曲家の池内友次郎と結婚したが、16年後に離婚、その後写真家の田中克己と再婚、2014年に死別している。 夏田鐘甲: 作曲を諸井三郎、池内友次郎に師事する。 真鍋理一郎: オーソドックスなオーケストラによる重厚な表現から透明なストリングスの繊細な表現まで、池内友次郎と伊福部昭に習い、その後イタリアでラヴァニーノに習い修行したオーケストラ・サウンドの魅力(『太陽の子』『激動の昭和史 軍閥』『日本の夜と霧』など)。 真鍋理一郎: 作曲を池内友次郎に師事した後、池野成の仲介により伊福部昭に師事。 小倉朗: 池内友次郎に師事し、フランス近代の和声・対位法、フーガを学ぶ。 寺島尚彦: 開成学園在学中、大学受験を翌年に控えた年の暮れに開成出身の東京芸術大学教授池内友次郎と出会う。 松村禎三: 清瀬の紹介で、東京芸術大学教授の池内友次郎に和声、対位法、作曲を師事。 池辺晋一郎: 大学では池内友次郎、矢代秋雄、三善晃、島岡譲に師事する。 一柳慧: 若い時から才能を発揮し、ピアノを原智恵子、作曲を平尾貴四男、池内友次郎らに師事。 三善晃: 幼少より、自由学園においてピアノ演奏法、音楽基礎を学び、小学校に上がる頃より高校まで、ヴァイオリン演奏法と作曲を平井康三郎、後には池内友次郎に師事する。 岩河三郎: 後に作曲家となり平井康三郎、池内友次郎に師事。 宇野誠一郎: 在学中の1948年から池内友次郎・安部幸明に作曲を、齋藤秀雄に指揮を、平尾貴四男に管弦樂法などを学ぶ。 丸山和範: 中学時代に池内友次郎と出会い、自作のスコアを持ちこむ。 原智恵子: このころ、留学仲間の池内友次郎から求婚されたが、これを拒絶している。 竹中郁: 桃山学院大学 作曲:池内友次郎 林光: 尾高の死後は池内友次郎に師事した。東京藝術大学の作曲科では、作曲を池内友次郎、ピアノを田村宏、安川加寿子に師事する。 間宮芳生: 東京音楽学校(現:東京芸術大学)作曲科にて池内友次郎に師事するが、同校入学までは作曲もピアノも独学であった。 青島広志: 池内友次郎、宍戸睦郎、矢代秋雄、林光らに師事する。 廣瀬量平: 在学中、池内友次郎、島岡譲、矢代秋雄らに師事。 越部信義: 在学時は池内友次郎に師事する。 鏑木創: 作曲を池内友次郎、木下忠司に師事する。 三善晃: 師、池内友次郎や、その後の留学などを通して、近代フランス音楽の影響が強い。 |
池内友次郎の情報まとめ
池内 友次郎(いけうち ともじろう)さんの誕生日は1906年10月21日です。東京出身の作曲家のようです。
再婚、離婚、結婚、映画に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1991年に亡くなられているようです。
池内友次郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)池内 友次郎(いけのうち ともじろう、1906年〈明治39年〉10月21日 - 1991年〈平成3年〉3月9日)は、日本の作曲家・音楽教育家・俳人。 俳人高浜虚子の次男として東京市麹町区富士見町(現:東京都千代田区富士見)に生まれる。5歳から鎌倉に育ち、鎌倉師範附属小学校(現:横浜国立大学教育学部附属鎌倉小学校)から開成中学校を経て慶應義塾大学予科に入る。この頃、亡命ポーランド人のステファン・ルビエンスキーより和声法を学ぶが、ドイツ色の強いフーゴー・リーマンの和声法や対位法の教科書に反発し、慶應義塾大学予科を中退して1927年、小松耕輔のつてでフランスに渡る。同年10月、パリ音楽院に入学。フォーシェ、ビュッセルらに師事して作曲技法の吸収に邁進した。一時帰国の期間を挟み、10年後の1937年に正式に日本へ帰国。 帰国後は、コロムビア、日本放送協会、大映などでの短期間の活動の後、理論書を中心とした執筆・翻訳活動や後進の指導に尽力した。1937年より日本大学芸術科で教鞭を取る。1943年より同科主任、1949年まで務める。1947年からは東京芸術大学作曲科教授に就任し、後に同図書館長、音楽学部長を歴任する。1958年、相愛女子大学音楽学部作曲科主任となる。1974年、東京芸術大学を退官し名誉教授となる。1962年にレジオンドヌール勲章「シュバリエ」を受章、1977年に勲三等旭日中綬章を受章。1986年、文化功労者となる。1991年、脳内出血のため逝去。 池内は日本人として初めてパリ音楽院に入学し、フランス流の作曲技法を日本に持ち帰り、教育者として戦後日本の作曲・音楽教育水準の底上げに貢献した。音楽理論を中心に多数の翻訳書・著書があり、門下からは戦後日本の第一線で活躍した多数の作曲家を輩出した。東京音楽学校の設立以降、戦中までの日本における西洋音楽教育はドイツの流れを汲むものが主体であった。しかし、池内が教授に就任して以降の東京藝術大学では、作曲・ソルフェージュの教育は次第にフランス流のものに置き換わり、その影響は同大学のみならず日本の音楽教育全体に及んだ。一方で、創作活動ではソナチネや弦楽四重奏曲などの少数の作品を残したが、1950年代後半以降は殆ど筆を折り、自らの弟子たちの活躍を陰で見守った。 最初の妻・芳枝との間に3人の子があった。芳枝の死後、1973年にピアニストの遠藤郁子と再婚した(晩年に離婚)。芳枝との間の次女の池内睦子(ヴァイオリニスト)は、アメリカ人ピアニストでパシフィック大学教授のレックス・クーパーと結婚しており、睦子とレックスの間に生まれた娘がチェリストのクリスティーナ・レイコ・クーパーである。 俳人としては、フランス留学以前から父の影響で創作を始め、父の主宰する俳句文芸誌『ホトトギス』にも参加していた。句集に『調布まで』『池内友次郎全句集』などがある。 短章組曲 op.2(1934年以前) 馬子歌(1937年) - JOAK委嘱による「国民詩曲」の一つ。 交響的二楽章(1951年11月4日放送/芸術祭参加) 日本古謡によるバラード op.8(vc, pf, 1934以前初稿、1936年改訂) 絃四重奏曲 op.6(1934年以前) ピアノのためのイントロダクションとアレグロ op.7(pf, 1934以前) Divertissement Fugue op.10-2 (pf, 1936) 八重奏曲 (1938年) 絃四重奏曲 - 前奏曲と追走曲(1946年) ピアノのためのソナチネ(小奏鳴曲 第1番、1954年) ヴァイオリンのためのソナチネ(小奏鳴曲 第2番、vn, pf, 1956年) チェロのためのソナチネ(小奏鳴曲 第3番 vc, pf, 1957年) 礼奏(ピアノ連弾、1958年) あまりりす op.3(vo, orch, 1929年) こすもす op.9(vo, orch, 1929年) 月見草 op.1(vo, orch, 1931年) 櫻 op.5(sop, orch, 1933年) 暁の郎坊(vo, pf, 1937年) 少年の夢多し(女声高声二重奏、pf, 1938年以前) 日本詞華集(1938年以前) 紅梅 op.21(vo, または朗読, orch, 1939年以前) 農民の歌(vo, orchまたはpf. 1939年) 半壁山奪取の日(vo, 管弦楽, 1939年頃) 熊野 - ソプラノと管弦楽のための3つの小品(1942年) 南十字星(br, pf, 1942年) ソプラノのためのソナチネ(sop, pf, 1958年) 戀の重荷 (cho, vo, tim, 1974年) 暖流(岸田国士原作、吉村公三郎監督、1939年) 鉄輪(英語劇、1940年) 隣組記(日本映画社、1942年) 激流(松竹映画、1944年) 物語「愛子」(1947年) 愛知県立半田工科高等学校校歌 我孫子町立布佐小学校校歌(詞・曲) 石巻市立石巻中学校校歌 大阪府立清水谷高等学校校歌 港区立青南小学校校歌(詞・曲) 目黒区立東山中学校校歌(詞・曲) 北鎌倉女子学園 校歌(1954年) 神奈川電気社歌 鎌倉青年団歌 歯科医師の歌 千代田興業の歌(詞:川端康成) 桃山学院大学学歌 明星大学校歌 日野市立日野第一中学校校歌 北海道札幌東高等学校校歌 大妻中野中学・高等学校校歌 埼玉県立狭山工業高等学校校歌(詞:五味智英) 高松市立屋島中学校校歌(詞・曲) 旭川市立東町小学校校歌 横浜市立蒔田中学校校歌 結婚まで(三省堂/1940年) doi:10.11501/1687370 調布まで(臼井書房/1947年)doi:10.11501/1128548 池内友次郎全句集(深夜叢書社/1978年) 米寿光来(永田書房/1987年) 米印の入っているもののみAmazonから入手可能。 対位法――理論及実習(古賀書店/1941年) 対位法(音楽之友社/1950年) 楽典(音楽之友社/1951年)- 外崎幹二との共著※ 聴音練習書(音楽之友社/1951年)- 外崎幹二との共著 作曲法講義(全音楽譜出版社/1959年 - 1961年)- ヴァンサン・ダンディの『作曲法講義』(池内友次郎訳)とは別 和音外音(音楽之友社/1965年) doi:10.11501/2506144 二声対位法(音楽之友社/1965年) 和声――理論と実習(音楽之友社/1964年 - 1972年) - 共著。全3巻と別巻を合わせた4冊※ 和音構成音(音楽之友社/1966年 - 1981年)-「(I)協和音」「(II)不協和音」「課題・実習 実施篇」の3冊 三声 - 八声対位法(音楽之友社/1975年) 学習追走曲(音楽之友社/1977年)doi:10.11501/12432452 新版二声対位法(音楽之友社/2024年)※ 新版三声 - 八声対位法(音楽之友社/2024年)※ 学習フーガ(音楽之友社/2024年)※ 近代音楽理論選書(全10巻)- すべて池内の単独訳である。教育出版刊。第4,第7,第10は未刊に終わった。
第2 ダンディ - 作曲法講義2 上巻 第3 ダンディ - 作曲法講義2 下巻 第5 ビュッセル - 作曲提要 第6 ギロー=ビュッセル - 楽器編成応用概論 第8 デュプレ - 対位法とフューグ 第9 シャイエ=シャラン - 音楽の総理論 上巻 父・高浜虚子 わが半生記(永田書房/1989年) 1955年には門下生による作曲家グループである「深新会」が結成される。 箕作秋吉 小倉朗 尹伊桑 島岡譲 貴島清彦 乾春男 別宮貞雄 宍戸睦郎 石井歓 石井眞木 松村禎三 黛敏郎 諸井誠 池野成 永冨正之 湯山昭 篠原眞 端山貢明 山本直純 間宮芳生 林光 矢代秋雄 三善晃 野田暉行 廣瀬量平 越部信義 高橋裕 池辺晋一郎 西村朗 青島広志 ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 87頁。 ^ Kristina Reiko Cooperプロフィール(Aspen) ^ “オーケストラ・ニッポニカ (Orchestra Nipponica)”. www.nipponica.jp. 2023年2月15日閲覧。 ^ “楽器編成応用概論”. ci.nii.ac.jp. 2018年11月6日閲覧。 和声 理論と実習 新田義美 - 男爵、新田岩松家の当主。妹の宵子の夫に当たる。 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research MusicBrainz
IdRef 人物の画像提供依頼 日本の男性作曲家 近現代の作曲家 20世紀日本の俳人 日本の音楽教育者 東京芸術大学の教員 (音楽) 日本大学の教員 相愛大学の教員 文化功労者 レジオンドヌール勲章シュヴァリエ受章者 勲三等旭日中綬章受章者 高浜・池内家 日本放送協会の人物 大映の人物 開成中学校・高等学校出身の人物 東京都区部出身の人物 1906年生 1991年没 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/24 13:55更新
|
ikeuchi tomojirou
池内友次郎と同じ誕生日10月21日生まれ、同じ東京出身の人
TOPニュース
池内友次郎と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「池内友次郎」を素材として二次利用しています。