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浅尾拓也の情報 (あさおたくや)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【4月8日】今日誕生日の芸能人・有名人

浅尾拓也の情報(あさおたくや) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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浅尾 拓也さんについて調べます

■名前・氏名
浅尾 拓也
(読み:あさお たくや)
■職業
野球選手
■浅尾拓也の誕生日・生年月日
1984年10月22日 (年齢40歳)
子年(ねずみ年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
愛知出身

(昭和59年)1984年生まれの人の年齢早見表

浅尾拓也と同じ1984年生まれの有名人・芸能人

浅尾拓也と同じ10月22日生まれの有名人・芸能人

浅尾拓也と同じ出身地愛知県生まれの有名人・芸能人


浅尾拓也と関係のある人

伊藤敦規: 知多市立八幡中学校出身で、中学の後輩には山﨑武司(元中日・楽天など)、浅尾拓也(元中日)・小山雄輝(元巨人)がいる。


野本圭: 引退試合に際しては、浅尾拓也が引退会見を行った後に打席に立つように依頼されたが、野本自身は「タクの邪魔をしたくない」との理由から最初は断った。


益田直也: セットアッパーとして目標としている投手に、中日ドラゴンズの浅尾拓也の名前を挙げている。


一岡竜司: 二軍で対戦経験がある高森勇旗は「タイミングが取りにくく、ボールの出どころが見えづらい独特な投球フォームをしており、浅尾拓也と同タイプの投手」と評価している。


湊川誠隆: 親交のあるゲストとのトーク動画を投稿していく方針で、2020年4月現在、福留孝介、浅尾拓也、山井大介、大島洋平、石川昂弥の父親、アナウンサーの田中大貴らをゲストに招いた動画が投稿されている。


髙橋聡文: 2008年は、シーズン前半から好調を維持し岩瀬仁紀につなぐセットアッパーを浅尾拓也と共に任せられるようになり、また、夏には北京オリンピック野球日本代表の強化試合に故障した吉見一起の代理でセ・リーグ選抜メンバーに選ばれて1回を無安打1三振を奪う快投を見せた。


中原勇一: 担当した選手は浅尾拓也、田島慎二。


山口鉄也: シーズンでは、4月20日に154ホールドを記録して、浅尾拓也を抜いて歴代単独1位となり、その際には生涯中継ぎ宣言をした。


岡田幸文: 勝てば日本一が決まる11月7日の第7戦では12回表に浅尾拓也から右中間へ決勝打となる適時打を放つなどマリーンズの日本一に貢献した。


阿部慎之助: 6月19日の中日ドラゴンズ戦では浅尾拓也からこの試合2本目の本塁打を打ち、6度目の20本塁打を記録した。


浅尾美和: 2009年、中日スポーツのお正月企画にて、同姓である浅尾拓也と対談。これをきっかけに浅尾拓也が当時所属していた中日ドラゴンズのファンとなる。


勝野昌慶: 自身が着ける背番号41の前任者で中日投手コーチを務める浅尾拓也を尊敬しており、投球の際は自身を鼓舞するために「俺は浅尾だ」と心の中で言い聞かせながら投げることもあるという。


垣越建伸: 2021年当時二軍投手コーチの浅尾拓也は、いかにも速い球を投げそうな堂々としたマウンドさばきでありながら球速が遅い点を逆に評価しており、90km/hのスローカーブと組み合わせて、打球を詰まらせたり、打者を泳がせたりといった投球術を見せる。


鈴木義広: 2011年はキャリアハイとなる55試合に登板し防御率1.08を記録、ホールド数も12を記録して自己最多で先発投手と浅尾拓也のつなぎ役を果たしリーグ連覇に貢献。


前田智徳: 4月11日には横浜スタジアムで2年ぶりの公式戦本塁打を打ち、4月16日にはマツダスタジアムでの中日戦で、浅尾拓也からセンター前へ自身16年ぶりのサヨナラ安打を放った。


熊原健人: 大学生時代には「自分と同じく細身で、高校時代までは無名だったにもかかわらず、『速球派の右腕投手』として大学球界で才能を開花させた」という理由から、同県および仙台六大学野球(東北学院大学)出身の岸孝之や、日本福祉大学出身の浅尾拓也を目標に挙げていた。


高橋三千丈: 二軍ではプロ入り間もない吉見一起や浅尾拓也らを指導し、情熱的な指導には定評があり、20年以上も指導者として中日投手陣を支え続けた。


田島慎二: クライマックスシリーズでも浅尾拓也、山井大介とともにリリーフ登板。


髙橋宏斗: 従来の記録157km/h(与田剛が1990年に初記録、以降は浅尾拓也、福谷浩司の計3名が記録)を、実に32年ぶりに更新した。


山井大介: 中盤からは浅尾拓也が肩痛、岩瀬が成績不振で登録を抹消されて8月2日からセットアッパーと抑えを務めた。


平尾博嗣: 2009年、主に左投手先発時にスタメン起用されたが、県営大宮球場での対中日ドラゴンズ戦では、右投げの浅尾拓也から代打本塁打を放つなど、交流戦終了までにキャリア2位タイとなる5本塁打を記録するなど好調を維持したが、胃腸炎による体調不良で二軍落ち。


脇谷亮太: クライマックスシリーズ3回戦では、8回裏に中日・浅尾拓也から代打逆転決勝2点適時二塁打を放ち、3打数1安打の成績ながらシリーズMVPを受賞。


村上和宏: 浅尾拓也が中日の現役投手時代に入場曲として用いていた「1-9(theme from No.41)」(nobodyknows+)では、実況風のナレーションを担当している。


野本圭: 9月29日の阪神戦(ナゴヤドーム)で浅尾拓也とともに引退試合とセレモニーを開催、最終打席は8回裏岡田俊哉の代打で登場、藤浪晋太郎と対戦し、一ゴロで現役生活を終えた。


村上頌樹: また、ベストナインを逃しながらMVPを受賞したのはセ・リーグでは浅尾拓也以来12年ぶり7人目で、阪神では若林忠志以来76年ぶり2人目。


ブラッド=エルドレッド: 初のクライマックスシリーズ進出がかかった9月25日の対中日ドラゴンズ戦では8回表に浅尾拓也から決勝点となる2点本塁打を放っている。


由田慎太郎: 2012年は二軍では7月13日のウエスタンリーグ・対中日戦で、浅尾拓也からシーズン唯一となる本塁打を放ったが一軍では20試合の出場に留まり、打率.152に終わった。


小山雄輝: 知多市立八幡中学校出身で、小中学校の先輩(4学年上)には浅尾拓也(元中日)がいるほか、中学の先輩には伊藤敦規(元阪神タイガースなど)・山﨑武司(元中日・東北楽天ゴールデンイーグルスなど)がいる。


平井正史: 2009年は前年同様不振でこの年NPBに復帰した河原純一が積極起用されたことや先発で不振だった浅尾拓也が中継ぎに回ったこともあり、25試合の登板に終わった。


清水昭信: しかし4年秋に愛知大学野球の1部2部入れ替え戦で、後に中日に同期入団する日本福祉大学の浅尾拓也との投げ合いに敗れ、2部降格となってしまった。


浅尾拓也の情報まとめ

もしもしロボ

浅尾 拓也(あさお たくや)さんの誕生日は1984年10月22日です。愛知出身の野球選手のようです。

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卒業、引退、結婚、テレビ、父親に関する情報もありますね。今年の情報もありました。浅尾拓也の現在の年齢は40歳のようです。

浅尾拓也のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

浅尾 拓也(あさお たくや、1984年10月22日 - )は、愛知県知多市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。

知多市立つつじが丘小学校・知多市立八幡中学校出身で、中学時代は捕手として軟式野球部に所属。愛知県立常滑北高等学校(現:愛知県立常滑高等学校)入学後も捕手を務めたが、投手不足の事情から2年生秋に投手に転向。

卒業後の2003年に日本福祉大学へ進学し、愛知大学リーグの2部と3部のリーグで通算53試合に登板し、21勝9敗の成績を残した。チームが3部リーグに所属していた頃から中日ドラゴンズのスカウトが視察していた。2006年秋季の2部リーグでは名古屋産業大学との対戦でノーヒットノーランを達成した。愛知大学野球リーグ1部2部入れ替え戦で、同期入団の清水昭信(名城大学)に投げ勝ち、チームを1部昇格に導いた。大学入学時には138km/hだった球速は、2年秋に140km/hを突破し、4年秋に最速152km/hを記録している。

2006年のドラフト会議(2006年11月21日)前は中日に加え、西武ライオンズ・ヤクルトスワローズも獲得を目指していたが、浅尾は「中日以外の球団は入団拒否する(仮に中日以外から指名されれば社会人野球の東邦ガスに進む)」と宣言。西武は強行指名も辞さない構えだったが最終的には指名を回避し、結局は意中の中日から3位指名を受け入団。日本福祉大学第1号のプロ野球選手となった。このときのことについて浅尾自身は、他球団への「入団拒否」というよりは、自分が無名で活躍していない頃から注目していてくれた中日スカウトへの感謝の気持ちがあり、自分自身のモチベーションにも繋がったので、地元ということもあり、貫き通したかった、と語っている。なお、背番号は41に決まった。

2007年、4月10日の対阪神タイガース戦で、リリーフとしてプロ入り初登板を果たす。4月24日の対広島東洋カープ戦では1回3奪三振でプロ初勝利を挙げる。5月9日の対広島戦で初先発。本塁打を2本打たれたが失点はこの2点だけで、6回3安打2失点でプロ2勝目を挙げた。更にフレッシュオールスターゲームに出場し、セーブを挙げる。後半戦は肩を痛め、ほとんど登板機会はなかった。

2008年、故障の影響から開幕を二軍で迎えた。その後復帰し、一軍に昇格して中継ぎで登板。オールスター後から北京オリンピック開催中は、日本代表に招集された岩瀬仁紀に代わって抑えを務め、8月7日の対ヤクルト戦でプロ初セーブを挙げた。その後は戦列復帰した岩瀬へ繋ぐ「勝利の方程式」として、勝ちパターンでのセットアッパーとして起用された。この年に、危険球退場処分を3回受けており、一軍公式戦の危険球退場処分回数のシーズン最多記録となっている。

2009年、初の開幕一軍入りを果たし、前年の好成績から自身初の開幕投手を務めて、勝利投手となった(当時コーチだった森繁和曰く、失敗させてリリーフに回すつもりで投げさせたのが勝ってしまった為、先発を続けることになったという)。しかし、それ以後は先発で結果を残すことが出来ず、再度セットアッパーとして起用される。7月にはセ・リーグ新記録となる月間11ホールドを記録し、月間MVPを受賞した。終盤では体調不良の岩瀬に代わり、再び守護神を務めた。この年はチーム最多の67試合に登板したが、ヤクルト戦の対戦成績が1勝5敗、対戦防御率8.14と打ち込まれたことが響いてチームワーストの9敗を喫した。同年オフはドミニカ・ウインターリーグのエストレージャス・オリエンタレスへ山井大介・谷哲也・長峰昌司と共に派遣されたが、2試合に登板し1回を投げて4失点を喫したことから以降は起用されなくなり、予定より早めの帰国となった。

2010年、シーズンでは年間通してセットアッパーを務め、9月5日の対巨人戦で2005年に藤川球児が記録した日本記録を更新する21試合連続ホールドポイントを達成。9月12日の対横浜ベイスターズ戦では日本新記録となるシーズン59ホールドポイントを挙げると、9月25日の対横浜戦で、当時日本新記録となるシーズン47ホールドを記録した(2021年に東京ヤクルトスワローズの清水昇が更新)。この年は、権藤博の球団記録を更新する72試合に登板し、リリーフだけで12勝3敗1セーブ、防御率1.68、WHIP0.87の大活躍で最優秀中継ぎ投手に輝き、リーグ優勝に大きく貢献した。またホールドとホールドポイントのシーズン日本新記録達成、連続試合ホールドポイントの日本記録達成に対して連盟特別表彰(連盟特別賞)を贈られた。千葉ロッテマリーンズとの日本シリーズでは4試合に登板するが、第6戦以降から大ブレーキ。第6戦で2イニングを投げるもサブローに同点適時打を打たれて、チームは引き分け。第7戦ではシーズン中にもなかった4イニング登板を果たすが、慣れない4イニング目に延長12回今江敏晃に四球を与え、岡田幸文に決勝の適時三塁打を打たれて自滅。敗戦投手になった。

2011年、前年に続いてセットアッパーを務める。前年共に活躍した髙橋聡文を故障で欠いた影響でロングリリーフを任されることも多く、さらに所々で岩瀬に代わって抑えとして登板することもあった。負担が大きい中、前年の記録を塗り替える球団記録の79試合(87回1/3)に登板して7勝2敗10セーブ、防御率0.41、共にリーグ1位の45ホールド・52ホールドポイント、WHIP0.82で被本塁打0という驚異の成績を残した。9月13日の対阪神戦でジェフ・ウィリアムスの持つ通算ホールドポイント日本プロ野球記録(154HP)に並び、9月17日の対巨人戦でプロ野球新記録となる通算155ホールドポイントを記録し、2年連続最優秀中継ぎ投手に輝き球団史上初のリーグ連覇に大きく貢献した。リーグ優勝した10月18日の横浜戦(横浜スタジアム)ではロングリリーフを任され2回1/3を無失点、最後の打者となった筒香嘉智を空振り三振に仕留めて胴上げ投手となった。これらの活躍が認められリーグMVPに選出された他、シーズンを通じて先発登板が一度もない投手としては両リーグ通じて初となるゴールデングラブ賞を獲得した。日本シリーズでは第7戦で7回から登板。二死二塁で内川聖一と両リーグのMVP同士の対戦となったが、甘く入った2球目の直球をセンター前にはじき返され、ホークスの日本一を決定付ける3点目を失い、チームは2年連続で日本一を逃した。

2012年、前年最多勝の吉見一起と共に「東日本大震災復興支援ベースボールマッチ」侍ジャパンのメンバーに選出された。しかし、シーズン前から原因不明のストレートの減速に悩まされ、シーズンに入っても調子が上がらず、開幕から38試合で21試合に登板して失点6。前年(開幕から37試合で21試合に登板して失点2)を上回るペースで失点を喫し、5月14日に登録抹消となった。契約更改では、4000万円減の2億2000万円で更改した。オフの12月4日に、第3回WBC日本代表候補選手34人が発表され候補入りした。

2013年、前年からの右肩(肩関節腱板)の不安もあり第3回WBC最終メンバーの28人には選出されなかった。シーズンでは、7月12日の巨人戦で復帰し、9回表を三者凡退に抑えた。しかし、9月24日、9月25日の広島戦で連日にわたって敗戦投手となり、チームの12年ぶりのBクラスが確定した。

2014年はわずか22試合の登板にとどまり、防御率は自己ワーストの6.16。

2015年は36試合の登板で1勝1敗3セーブ16ホールドと復活を遂げるも、9月26日の谷繁監督兼選手の引退試合(対横浜DeNA、横浜スタジアム)ではサヨナラ本塁打を打たれた。

2016年は右肩の故障などに苦しみ、プロ入り初の一軍登板無しに終わった。オフに、ソフトバンクホークスなどで活躍した馬原孝浩の元で自主トレーニングを行った。

2017年、4月2日の巨人戦で、2015年9月26日以来となる一軍登板を果たした。10月1日の対ヤクルト戦でホールドを挙げ、プロ野球史上3人目、セ・リーグでは史上2人目となる通算200ホールドを達成した。ただし、先に投げた谷元圭介が二死に抑えたあとのイニング途中の投手交代で、打者1人を抑えただけでの記録だったため、「周りの『達成させてあげなきゃ』という空気を感じて、選手として悲しかった」と限界を感じ始めたという。

2018年、同年をもって引退することが9月25日に報道され、26日にナゴヤドームで正式に引退会見が行われた。9月29日、ナゴヤドームでの阪神戦で野本圭とともに引退試合とセレモニーを開催。 9回表に3番手として登場、中谷将大と対戦し三振締めで現役生活を終えた。

引退後の2019年より二軍投手コーチを務める。背番号は81。

2022年からは背番号を82に変更した。同年4月28日、一軍投手コーチに配置転換された。2023年からは二軍投手コーチに肩書が戻った。

2025年からは再び一軍投手コーチを務める。

細身の体から繰り出される平均球速約149 km/h、最速157 km/hの速球が最大の武器。ストレートと縦に曲がるスライダー、平均球速約138 km/hの高速フォーク(握りが浅く、SFFに近い)、120 km/h台のパームを持ち球として打者のタイミングを狂わす投球を持ち味としている。ただし本人は「スライダーに自信はない」、「パームは抜けることが多いのでリリーフになってからはあまり投げていない」と発言している。

入団時の会見では、セールスポイントとして速球よりも「牽制とフィールディング」を最初にアピールしている。バント処理でそのフィールディングの良さが見られ、2010年4月3日の阪神戦で関本賢太郎の送りバントをダブルプレーにした際には、監督の落合博満から「あのバント処理は浅尾にしかできない」と評され、2011年にはゴールデングラブ賞を受賞している。フィールディングを磨くため、試合前の守備練習では吉見一起と共に遊撃手または二塁手の守備位置に入り練習を行うことが日課となっている。

投球フォームはテイクバックが小さく腕の振りが速いスリークォーターで、これは高校時代に投手へ転向する前にやっていた捕手の投げ方が影響しており、浅尾曰く「何度も直そうとしたがどうしてもこの投げ方に戻ってしまう」という。クイックで走者の盗塁を防ぐことが多く、赤星憲広も上記の牽制・フィールディング・クイックを高く評価しており、赤星の現役時代は「浅尾選手がマウンドにいるときだけは盗塁をしようと思わなかった」と語っている。

2011年まで中日監督を務めた落合からは、「浅尾と岩瀬でやられたら仕方ないんだから。それだけ2人を信頼している」と岩瀬仁紀と共に大きな信頼を寄せられ、2009年から2011年にかけては218試合に登板。この間は登板過多も指摘されたが、本人は「イニング跨ぎは難しいが、1イニングだけなら何試合でも投げられる」と答えている。

打撃では、投手ながらプロ初安打で三塁打を放ち、ルーキーシーズンの2007年には11打数3安打(打率.273)を記録している。

チームメイトからは主に「タク」と呼ばれ、ファンからの愛称は「浅尾きゅん」。

大学時代は、中部国際空港で清掃のアルバイトをしながら野球に取り組んでいた。

チームの先輩である岩瀬仁紀と同じく、幼い頃からずっと愛知県内の学校・チームで過ごした選手である。プロ入り時には好きな選手として川上憲伸(中日)・藤川球児(阪神)を挙げていた。

愛知県理容組合が発表した2011年ニューヘアのモデルとなり、「浅尾ヘア」としてヘアサロンのメニューとなる。

オフには病院や児童養護施設へ慰問を行っている。

2009年12月28日に10年間の交際期間を経て高校時代の同級生と結婚。その後、夫人は、月刊ドラゴンズにおいて不定期で浅尾の家庭内での表情などを描いている。2012年11月10日に第1子となる長男が誕生した。

非常に謙虚かつ礼儀正しい性格で、2011年MVPに選ばれた際の記者会見では「自分には縁のない賞だと思っていたので、喜びより驚きの方が大きい」や「吉見の勝ちを2つ消しているので、本当なら吉見は20勝。だから、吉見が選ばれると思った」と発言している。

2011年のリーグ連覇後、中日スポーツに手記を寄せている。本人曰く、この年は開幕戦でサヨナラでの負け投手になり、その時はブルペンでストライクが1球も入らないほど最悪のスタートだったという。その時この年から中日に加入した佐伯貴弘から5月13日の阪神戦(甲子園)で3連打されて1点を失った試合後に「俺が対戦していた時のタクはガムシャラに腕を振っていた。どんどん攻めてきた。そこが嫌だったんだよ」と言われたこと、9月23日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)で押し出し四球でマキシモ・ネルソンの勝ちを消した試合で(本人曰く、押し出し四球はプロに入ってこの時が初めてだった)、通路奥で帽子を投げつけたシーンをテレビで見ていた父親からプロに入って初めて試合後に電話がかかってきたこと、この二つが2011年の転機だったと語っている。また、その佐伯からはクライマックスシリーズにて「いつも通りが今のMAX」という言葉を帽子に記してもらったが、これは浅尾本人が何か力になる言葉をくれという要望に応えてもらったとのことである。

各年度の太字はリーグ最高

太字年はゴールデングラブ賞受賞

最優秀中継ぎ投手:2回(2010年、2011年)※2年連続は最長タイ記録。また、2010年の59HP(12勝+47H)はNPB最高記録。

最優秀選手:1回(2011年)

ゴールデングラブ賞:1回(2011年、※先発登板が一度もない投手の受賞は両リーグ通じて初めて)

月間MVP:1回(2009年7月)

セントラル・リーグ連盟特別賞:1回(2010年:シーズン47ホールド・59ホールドポイント、25試合連続ホールドポイントのプロ野球新記録に対して)

知多市市民栄誉賞(2012年1月8日、※受賞者第1号)

ヤナセ・がんばれドラゴンズMIP賞:1回(2010年)

報知プロスポーツ大賞:1回(2011年)

初登板:2007年4月10日、対阪神タイガース1回戦(阪神甲子園球場)、7回裏に3番手で救援登板、1回無失点

初奪三振:同上、7回裏に濱中治から空振り三振

初ホールド:2007年4月21日、対東京ヤクルトスワローズ4回戦(明治神宮野球場)、5回裏無死に4番手で救援登板、2回1失点

初勝利:2007年4月24日、対広島東洋カープ3回戦(ナゴヤドーム)、12回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点

初先発・初先発勝利:2007年5月9日、対広島東洋カープ7回戦(広島市民球場)、6回2失点

初セーブ:2008年8月7日、対東京ヤクルトスワローズ14回戦(坊っちゃんスタジアム)、9回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点

初安打:2007年5月9日、対広島東洋カープ7回戦(広島市民球場)、2回表に大竹寛から左越三塁打

初打点:2007年6月11日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(ナゴヤドーム)、3回裏に渡辺俊介から右前適時打

100ホールド:2011年5月14日、対阪神タイガース5回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に5番手で救援登板、1回無失点

150ホールド:2012年5月12日、対広島東洋カープ8回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回裏に3番手で救援登板、1回無失点 ※史上初

200ホールド:2017年10月1日、対東京ヤクルトスワローズ25回戦(明治神宮野球場)、7回裏二死に3番手で救援登板、1/3回を無失点 ※史上3人目

月間11ホールド(2009年7月)※セ・リーグ記録

年間47ホールド(2010年)※NPB歴代2位

25試合連続ホールドポイント(2010年7月11日・対読売ジャイアンツ12回戦 - 2010年9月15日・対広島東洋カープ23回戦)※NPB記録

年間59ホールドポイント(2010年)※世界記録

通算232ホールドポイント ※NPB歴代3位

オールスターゲーム出場:2回(2010年、2011年)

「なにしてんの」SURFACE(2009年 - 2018年。打席時の登場曲であるが、2009年中盤よりリリーフに専念している為めったに流れない)

「1-9(Theme from No.41)」nobodyknows+(2010年 - 2015年、登板時)

「あの夏の日feat. Machaco」nobodyknows+(2015年シーズン途中 - 2018年、登板時)

「One Way」ロイヤルサルーン(DJ MITSU feat.ちびまるお+ノリダファンキーシビレサス)(2016年 - 2018年)

41(2007年 - 2018年)

81(2019年 - 2021年)

82(2022年 - )

「浅尾拓也の全力投球」(2010年4月12日 - :不定期更新。井端弘和らと共に携帯サイトのドラゴンズ情報内で、「現況報告」とファンからの質問に答える「教えて浅尾投手!!」で構成されている)

アーレックス(2011年 - 。山本昌、和田一浩(2012年~)と共演。ガッツナイター限定)

ミズノ・グローバルエリート(2011年 - 。由規、T-岡田らとともに出演)

^ 中学の先輩には伊藤敦規(元阪神など)・山﨑武司(元中日・楽天など)がおり、16歳年上の山崎とは2012年 - 2013年に中日でチームメイトになっている。また4歳年下の小山雄輝(元巨人・楽天)は小中学校の後輩で、浅尾が小山の姉と同級生だったことからよくキャッチボールをした仲だった。

^ 若狭敬一が浅尾本人や周囲の人物から聞いたところによると、当日は発熱による体調不良で登板させない予定だったが、試合中にテンションが上がったのか準備を始めて登板し、その後も森繁和コーチの反対を押し切って、自らイニング跨ぎを志願したという。

^ 岩瀬仁紀、森慎二、藤川球児、久保田智之、攝津正、山口鉄也、佐藤達也、福原忍、宮西尚生、清水昇と同回数でタイ記録。

^ 「中日浅尾うれしい“知多ファイブ”」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2012年12月9日。2020年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月24日閲覧。

^ 「中日浅尾 山崎と「いっしょにお立ち台」」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2006年11月22日。2020年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月24日閲覧。

^ 「巨人ドラフト4位・小山、中日・浅尾と対戦熱望」『スポーツ報知』報知新聞社、2010年11月3日。2010年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月3日閲覧。

^ 「監督・コーチのプロフィール 浅尾 拓也(投手コーチ)」『中日ドラゴンズ オフィシャルウェブサイト』2020年。2020年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月24日閲覧。

^ 益田一弘「浅尾「無名の星」になる!」『名古屋日刊スポーツ』名古屋日刊スポーツ新聞社、2006年12月21日。2007年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月24日閲覧。

^ 「プロとは無縁の経歴から日本屈指のセットアッパーへ…浅尾拓也を突き動かした「恩返し」の想い【連載:ドラフト“隠し玉”ヒストリー】」『BASEBALL KING』2019年10月11日。2021年12月20日閲覧。

^ 「3巡目浅尾、祈った実った!」『名古屋日刊スポーツ』名古屋日刊スポーツ新聞社、2006年11月22日。2006年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年12月24日閲覧。

^ 「西武、浅尾を竜から強奪!? 21日大学・社会人ドラフト3巡目指名へ」『中日スポーツ』中日新聞社、2006年11月17日。2006年11月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年11月25日閲覧。

^ ドラゴンズスペシャル ドラ魂キング 2024年1月10日

^ “中日ドラゴンズ 公式サイト - 歴代背番号”. dragons.jp. 2025年2月23日閲覧。

^ 引退者続出の2018年プロ野球 去り行く戦士たちvol.3 中日#41 浅尾拓也」『SPAIA』2018年11月4日。2021年12月20日閲覧。

^ 別冊宝島 浅尾拓也の「全力投球」より

^ 「ドミニカの衝撃 浅尾戦力外」『中日スポーツ』2009年11月22日。2009年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月26日閲覧。

^ 「強いチームの犠牲者?永遠に語り継がれる浅尾拓也」『RadiChubu』2019年2月26日。2021年7月24日閲覧。

^ 浅尾原因不明のストレート減速 東京スポーツ 2012年3月24日

^ 「不調の中日・浅尾、登録抹消」『デイリースポーツ』2012年5月14日。2012年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月14日閲覧。

^ 2013WBC日本代表候補選手発表 日本野球機構 2012年12月4日公開 2015年4月3日閲覧

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^ 「浅尾「ここまで来たら出たい」」『SANSPO.COM』2013年2月19日。2013年2月20日閲覧。

^ 「中日浅尾、1750万円減も岩瀬カムバック賞に刺激」『日刊スポーツ』2017年11月29日。2021年12月20日閲覧。

^ 「中日浅尾554日ぶり1軍マウンド「楽しいなと」」『日刊スポーツ』2017年4月2日。2017年4月10日閲覧。

^ 「【中日】浅尾が200ホールド!「どうしようかな」引退危機乗り越え…一問一答」『スポーツ報知』2017年10月1日。2018年9月26日閲覧。

^ 「【中日】浅尾、今季限りで現役引退…28日にも有終登板」『スポーツ報知』2018年9月26日。2018年9月26日閲覧。

^ 「中日・浅尾 16日巨人戦3失点で引退決断…涙なく笑顔「悔いは本当にない」」『スポニチアネックス』2018年9月26日。2018年9月26日閲覧。

^ 中日、今季10度目の零敗…浅尾と野本の最後の試合飾れず サンスポ 2018年9月29日

^ 引退表明の中日浅尾「中谷君の全力勝負ありがとう 日刊スポーツ 2018年9月29日

^ 「中日が新コーチングスタッフ発表 与田新監督、伊東ヘッド、村上1軍打撃C」『Full-Count』2018年10月29日。2025年2月22日閲覧。

^ 「【中日】来季コーチングスタッフの背番号が決定 | ショウアップナイター」『BASEBALL KING』2018年11月18日。2025年2月22日閲覧。

^ 「2022年度 監督・コーチ一覧(中日ドラゴンズ) | 2022年度公示」『NPB.jp 日本野球機構』。2025年2月22日閲覧。

^ 「中日、浅尾投手コーチが1軍に配置転換 落合ヘッドの新型コロナ陽性受けた措置」『スポーツブル (スポブル)』。2024年12月8日閲覧。

^ 「2023年度 監督・コーチ一覧(中日ドラゴンズ) | 2023年度公示」『NPB.jp 日本野球機構』。2025年2月22日閲覧。

^ 2025年コーチングスタッフを発表」『中日ドラゴンズ オフィシャルウェブサイト』2024年11月29日。2025年2月11日閲覧。

^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2011年、184頁。ISBN 978-4-930942-98-2。

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^ 週刊ベースボール 2010年6月14日号、ベースボール・マガジン社、雑誌20442-6/14、32-33頁。

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^ 2006年 ドラフト入団選手 浅尾拓也 中日ドラゴンズ公式サイト

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^ 中日 浅尾拓也 特集 : WBC2013 読売新聞 2013年2月4日

^ 報道ステーション「投・球・術」にて 2012年2月17日

^ 2012年11月3日 読売ジャイアンツ対北海道日本ハムファイターズ第6戦 副音声解説

^ 「浅尾&岩瀬1点守った!中日連敗ストップ」『スポーツニッポン』2010年8月13日。2014年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月13日閲覧。

^ 中日スポーツ 2011年12月20日

^ 「スペシャル企画「プロ野球チームをつくろう!2」」『ファミ通.comブックマーク』エンターブレイン、2009年5月7日。2018年1月10日閲覧。

^ 「「イケメン神7」に中日&巨人から2人ずつ選出!そして1位は…」『スポーツニッポン』2018年1月8日。2018年1月10日閲覧。

^ ドラ・イケメン選手動画をケータイで♪ 中日新聞web オピ・リーナ編集部ブログ 2010年5月10日

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^ 「MVP浅尾、中継ぎ投手受賞の快挙「縁がないと思ってた」」『MSN産経ニュース』2011年12月1日。2011年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月3日閲覧。

^ 「知多市市民栄誉賞」『知多市』2014年1月10日。2017年12月4日閲覧。

^ 「ヤナセ・プロ野球MVP賞、2010年度は4球団が対象」『e燃費』2010年12月27日。2018年2月28日閲覧。

^ 「2011年プロスポーツ大賞・野球(セ・リーグ) | 表彰-プロスポーツ大賞 | 報知新聞社」『スポーツ報知』。2022年3月10日閲覧。

愛知県出身の人物一覧

中日ドラゴンズの選手一覧

個人年度別成績 浅尾拓也 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube

選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

99 井上一樹

83 山井大介(投手)

82 浅尾拓也(投手)

89 松中信彦(打撃統括)

78 森野将彦(打撃・作戦)

72 大野奨太(バッテリー)

74 飯山裕志(野手総合)

71 堂上直倫(内野守備走塁)

87 中村豊(外野守備走塁)

76 大塚晶文(巡回投手・育成兼スコアラー)

88 落合英二(監督)

77 小山伸一郎(投手統括)

98 田島慎二(投手)

75 小池正晃(打撃統括)

84 福田永将(打撃)

80 小田幸平(バッテリー)

81 森越祐人 (内野守備走塁)

79 平田良介(外野守備走塁)

85 渡邉博幸(野手総合・育成)

86 小林正人(投手・育成)

13 橋本侑樹

14 草加勝

16 岩嵜翔

17 柳裕也

18 梅津晃大

19 髙橋宏斗

20 涌井秀章

21 金丸夢斗

22 大野雄大

26 仲地礼亜

28 森博人

29 松木平優太

30 根尾昂

32 伊藤茉央

33 祖父江大輔

34 福敬登

36 福田幸之介

38 松葉貴大

41 勝野昌慶

46 梅野雄吾

47 吉田聖弥

48 土生翔太

50 清水達也

52 マルテ

54 藤嶋健人

59 齋藤綱記

61 高橋幸佑

64 有馬惠叶

69 三浦瑞樹

90 松山晋也

91 メヒア

93 マラー

94 ウォルターズ

9 石伊雄太

35 木下拓哉

39 宇佐見真吾

43 味谷大誠

49 加藤匠馬

57 山浅龍之介

58 石橋康太

0 辻本倫太郎

2 田中幹也

3 高橋周平

4 カリステ

5 村松開人

6 中田翔

7 福永裕基

25 石川昂弥

27 津田啓史

31 森駿太

45 土田龍空

60 山本泰寛

63 板山祐太郎

95 ロドリゲス

97 樋口正修

00 尾田剛樹

1 岡林勇希

8 大島洋平

24 ボスラー

37 濱将乃介

42 ブライト健太

44 川越誠司

51 上林誠知

53 駿太

55 細川成也

66 鵜飼航丞

203 井上剣也

208 石川翔

210 岡田俊哉

212 野中天翔

213 森山暁生

214 近藤廉

216 菊田翔友

219 マルティネス

215 日渡騰輝

202 中村奈一輝

207 星野真生

218 川上理偉

201 加藤竜馬

209 福元悠真

220 モニエル

1950 小鶴誠

1951 川上哲治

1952 別所毅彦

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 川上哲治

1956 別所毅彦

1957 与那嶺要

1958 藤田元司

1959 藤田元司

1960 秋山登

1961 長嶋茂雄

1962 村山実

1963 長嶋茂雄

1964 王貞治

1965 王貞治

1966 長嶋茂雄

1967 王貞治

1968 長嶋茂雄

1969 王貞治

1970 王貞治

1971 長嶋茂雄

1972 堀内恒夫

1973 王貞治

1974 王貞治

1975 山本浩二

1976 王貞治

1977 王貞治

1978 若松勉

1979 江夏豊

1980 山本浩二

1981 江川卓

1982 中尾孝義

1983 原辰徳

1984 衣笠祥雄

1985 R.バース

1986 北別府学

1987 山倉和博

1988 郭源治

1989 W.クロマティ

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 J.ハウエル

1993 古田敦也

1994 桑田真澄

1995 T.オマリー

1996 松井秀喜

1997 古田敦也

1998 佐々木主浩

1999 野口茂樹

2000 松井秀喜

2001 R.ペタジーニ

2002 松井秀喜

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 金本知憲

2006 福留孝介

2007 小笠原道大

2008 A.ラミレス

2009 A.ラミレス

2010 和田一浩

2011 浅尾拓也

2012 阿部慎之助

2013 W.バレンティン

2014 菅野智之

2015 山田哲人

2016 新井貴浩

2017 丸佳浩

2018 丸佳浩

2019 坂本勇人

2020 菅野智之

2021 村上宗隆

2022 村上宗隆

2023 村上頌樹

2024 菅野智之

1996 河野博文

1997 島田直也

1998 落合英二

1999 岩瀬仁紀

2000 岩瀬仁紀

2001 木塚敦志

2002 石井弘寿

2003 岩瀬仁紀

2004 岡本真也

2005 藤川球児

2006 藤川球児, 加藤武治

2007 久保田智之

2008 久保田智之

2009 山口鉄也

2010 浅尾拓也

2011 浅尾拓也

2012 山口鉄也

2013 S.マシソン, 山口鉄也

2014 福原忍

2015 福原忍

2016 S.マシソン

2017 桑原謙太朗, M.マテオ

2018 近藤一樹

2019 J.ロドリゲス

2020 清水昇, 祖父江大輔, 福敬登

2021 清水昇

2022 湯浅京己, Y.ロドリゲス

2023 島内颯太郎

2024 松山晋也, 桐敷拓馬

1972 堀内恒夫

1973 堀内恒夫

1974 堀内恒夫

1975 堀内恒夫

1976 堀内恒夫

1977 堀内恒夫

1978 堀内恒夫

1979 西本聖

1980 西本聖

1981 西本聖

1982 西本聖

1983 西本聖

1984 西本聖

1985 西本聖

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 桑田真澄

1989 西本聖

1990 斎藤雅樹

1991 桑田真澄

1992 斎藤雅樹

1993 今中慎二, 桑田真澄

1994 桑田真澄

1995 斎藤雅樹

1996 斎藤雅樹

1997 桑田真澄

1998 桑田真澄

1999 上原浩治

2000 工藤公康

2001 野口茂樹

2002 桑田真澄

2003 上原浩治

2004 川上憲伸

2005 黒田博樹

2006 川上憲伸

2007 川上憲伸

2008 石川雅規

2009 D.ゴンザレス

2010 前田健太

2011 浅尾拓也

2012 前田健太

2013 前田健太

2014 前田健太

2015 前田健太

2016 菅野智之

2017 菅野智之

2018 菅野智之

2019 西勇輝

2020 菅野智之

2021 柳裕也

2022 森下暢仁

2023 東克樹

2024 菅野智之

 投  浅尾拓也

 捕  谷繁元信

 一  栗原健太

 二  平野恵一

 三  宮本慎也

 遊  鳥谷敬

 外  青木宣親 / 大島洋平 / 長野久義

1936春夏 牧野潔

1936秋 加藤智男

1937春 森井茂

1937秋 森井茂

1938春 松尾幸造

1938秋 森井茂

1939 松尾幸造

1940 村松幸雄

1941 森井茂

1942 河村章

1943 松尾幸造

1944 森井茂

1946 森井茂

1947 松尾幸造

1948 服部受弘

1949 服部受弘

1950 清水秀雄

1951 近藤貞雄

1952 大島信雄

1953 杉下茂

1954 石川克彦

1955 石川克彦

1956 杉下茂

1957 伊奈努

1958 中山俊丈

1959 伊奈努

1960 伊奈努

1961 板東英二

1962 柿本実

1963 河村保彦

1964 河村保彦

1965 柿本実

1966 山中巽

1967 小川健太郎

1968 小川健太郎

1969 小川健太郎

1970 小川健太郎

1971 伊藤久敏

1972 水谷寿伸

1973 稲葉光雄

1974 星野仙一

1975 松本幸行

1976 星野仙一

1977 松本幸行

1978 星野仙一

1979 星野仙一

1980 藤沢公也

1981 三沢淳

1982 小松辰雄

1983 小松辰雄

1984 鈴木孝政

1985 小松辰雄

1986 郭源治

1987 杉本正

1988 小松辰雄

1989 小野和幸

1990 西本聖

1991 小松辰雄

1992 郭源治

1993 今中慎二

1994 今中慎二

1995 今中慎二

1996 今中慎二

1997 山本昌

1998 山本昌

1999 川上憲伸

2000 野口茂樹

2001 山本昌

2002 山本昌

2003 川上憲伸

2004 川崎憲次郎

2005 川上憲伸

2006 川上憲伸

2007 川上憲伸

2008 川上憲伸

2009 浅尾拓也

2010 吉見一起

2011 M.ネルソン

2012 吉見一起

2013 吉見一起

2014 川上憲伸

2015 山井大介

2016 大野雄大

2017 大野雄大

2018 小笠原慎之介

2019 笠原祥太郎

2020 大野雄大

2021 福谷浩司

2022 大野雄大

2023 小笠原慎之介

2024 柳裕也

2025 高橋宏斗

76 王貞治

77 王貞治

78 若松勉

79 掛布雅之

80 山本浩二

81 江川卓

82 中尾孝義

83 原辰徳

84 衣笠祥雄

85 R.バース

86 北別府学

87 桑田真澄

88 郭源治

89 斎藤雅樹

90 斎藤雅樹

91 佐々岡真司

92 古田敦也

93 広沢克己

94 桑田真澄

95 斎藤雅樹

96 松井秀喜

97 古田敦也

98 佐々木主浩

99 上原浩治

00 松井秀喜

01 古田敦也

02 松井秀喜

03 今岡誠

04 嶋重宣

05 金本知憲

06 福留孝介

07 阿部慎之助

08 小笠原道大

09 坂本勇人

10 前田健太

11 浅尾拓也

12 阿部慎之助

13 阿部慎之助

14 菅野智之

15 山田哲人

16 新井貴浩

17 菅野智之

18 大瀬良大地

19 丸佳浩

20-21 中止

希望入団枠:田中大輔

3巡目:浅尾拓也

4巡目:菊地正法

5巡目:岩﨑達郎

6巡目:清水昭信

7巡目:西川明

1巡目:堂上直倫

3巡目:福田永将

日本の野球選手

中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手

最優秀選手 (NPB)

最優秀中継ぎ投手 (NPB)

NPBオールスターゲーム選出選手

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愛知県出身のスポーツ選手

1984年生

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プロジェクト人物伝項目

2025/04/07 12:23更新

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