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田中浩康の情報 (たなかひろやす)
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【11月24日】今日誕生日の芸能人・有名人

田中浩康の情報(たなかひろやす) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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田中 浩康さんについて調べます

■名前・氏名
田中 浩康
(読み:たなか ひろやす)
■職業
野球選手
■田中浩康の誕生日・生年月日
1982年5月24日 (年齢42歳)
戌年(いぬ年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
京都出身

(昭和57年)1982年生まれの人の年齢早見表

田中浩康と同じ1982年生まれの有名人・芸能人

田中浩康と同じ5月24日生まれの有名人・芸能人

田中浩康と同じ出身地京都府生まれの有名人・芸能人


田中浩康と関係のある人

山田哲人: 2013年は遊撃手としての守備難と田中浩康の打撃不振により、5月の一軍昇格後は二塁手固定での出場がほとんどだった。


城石憲之: 2008年は田中浩康の台頭や、日本ハムファイターズから移籍してきた川島慶三が頭角を現したこともあり出場が激減、前半戦は主に畠山和洋の守備固めで出場した。


三木肇: 2002年以降は城石憲之の台頭や、野口祥順の成長、田中浩康らの入団もあり、内野手の控えの地位すらも固められないシーズンが続いていた。


武内晋一: 同年は田中浩康、青木宣親、鳥谷敬、比嘉寿光、武内、由田慎太郎と打順の1番から6番までが後にプロ入りした。


武内晋一: 1年からレギュラーとなり、1年夏の第81回全国高等学校野球選手権大会では田中浩康擁する尽誠学園などを破り勝ち進むも、準決勝で岡本直也擁する岡山理大附にサヨナラ負けを喫し4強止まり。


田中健二朗: 2017年、同姓の田中浩康が東京ヤクルトスワローズから移籍したことに伴い、ユニフォームの背ネームの表記を「K.TANAKA」に変更。


森岡良介: 打率3割ちょうどの田中浩康に代わり先発出場した。


宮本賢治: 田中浩康(自由枠)


八重樫幸雄: 入団以来40年間ヤクルト一筋で、一軍打撃コーチ時代には、岩村明憲、青木宣親、田中浩康らを育てた。


永池恭男: 同年8月12日、一軍の内野守備走塁コーチの田中浩康が新型コロナウィルスの陽性判定を受けたため、8月18日まで一軍で代役を務めた。


今浪隆博: 2020年1月6日からは、ヤクルト時代のチームメイトだった田中浩康の後任として隔週月曜日に『なな→きゅう』(文化放送平日早朝の生ワイド番組)へパートナーとして出演中。


大塚淳: この年は田中浩康や飯原誉士の一軍定着もあって、二軍での出場機会が増えた。


石川雄洋: 自身より年長の田中浩康、G 後藤武敏、高校の1学年先輩の荒波が引退や戦力外通告でチームを去り、32歳(契約更改時点)にして(他球団からの移籍組を含めた)チームの日本人最年長野手になった。


梶本勇介: 4月半ばには打撃不振の田中浩康にかわって二塁のスタメンで2試合に出場したが、梶本自身も打撃で結果を残す事が出来ず、4月22日に二軍降格。


山崎憲晴: 2017年には、東京ヤクルトスワローズから移籍したベテラン・田中浩康や、入団2年目の柴田竜拓が一軍で二塁手として活躍。


前田健太: 前田自身は飛躍へのターニングポイントとして、4月8日の対ヤクルト戦の3回裏に田中浩康を見逃し三振に打ち取った一球を挙げている。


中山慎也: 大学最後の明治神宮大会の早大との試合では、後にプロ入りする、青木宣親、武内晋一、田中浩康、比嘉寿光、由田慎太郎らを延長10回まで翻弄し、鳥谷敬の本塁打で惜敗するも14奪三振。


柴田竜拓: 7月17日に出場選手再登録されると田中浩康、石川雄洋との併用で起用が増えた。


土居龍太郎: 4年春の早大1回戦では和田と延長12回を投げぬき、鳥谷敬、青木宣親、田中浩康らを擁する早大打線を相手に0-0の引き分けとなるなど、「和田に負けない土居」の異名もとった。


永池恭男: “【DeNA】オースティン、三上朋也、田中浩康コーチがコロナ陽性 2軍から永池恭男守備走塁コーチ異動”. スポーツ報知 (2022年8月12日). 2022年8月20日閲覧。


宮﨑充登: 初奪三振:2007年4月8日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、6回裏に田中浩康から空振り三振


宮崎充登: 初奪三振:2007年4月8日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、6回裏に田中浩康から空振り三振


内川聖一: 背番号は同世代の田中浩康が現役時代に着けていた「7」で、推定年俸は2億円減となる5000万円。


松家卓弘: 香川県内の高校の同学年生には後にプロ入りする田中浩康や鈴木義広がおり、高校時代に公式戦で対戦経験がある。


石川雄洋: 2017年は、ヤクルトから田中浩康が移籍したことなどを背景に、春季キャンプから二軍で調整していたが、公式戦開幕後の4月19日にシーズン初の出場選手登録。


木村拓也: 12回表に救援登板した豊田清には、初球にフォークを投げさせるなど自らサインを出し、田中浩康を中飛に打ち取る。


福田秀平: 2010年、1月は田中浩康に弟子入りして海外自主トレを行い、春季キャンプはA組スタートとなったが、練習試合の守備でミスを連発してB組降格となった。


山口俊: 2015年4月4日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、田中浩康の頭部に死球をぶつけ危険球退場。


梶本勇介: 守備面でも前年の19失策に次ぐ16失策で、田中浩康の加入もあって層の厚くなった二遊間ではアピールしきれなかった。


真田裕貴: 1球勝利投手:2010年8月1日、対東京ヤクルトスワローズ13回戦(いわきグリーンスタジアム)、7回裏に田中浩康を遊撃ゴロ ※史上29人目


田中浩康の情報まとめ

もしもしロボ

田中 浩康(たなか ひろやす)さんの誕生日は1982年5月24日です。京都出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

現在、卒業、引退、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。田中浩康の現在の年齢は42歳のようです。

田中浩康のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

田中 浩康(たなか ひろやす、1982年5月24日 - )は、京都府相楽郡木津町(現・木津川市)出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者、野球解説者。右投右打。現役時代は東京ヤクルトスワローズと横浜DeNAベイスターズで活躍し、2020年シーズンからDeNAのコーチを務める。

京都府相楽郡木津町(現・木津川市)で出生。両親が阪神タイガースファンだった影響で幼い頃からよく甲子園球場に足を運んでいた。小学2年時に父の仕事の関係で千葉県東葛飾郡沼南町(現・柏市)へ転居したことを機に、軟式野球を始める。高学年から投手を務めるが、中学に入り野球肘になってしまい1年間野球から離れ、陸上など他のスポーツをやっていた。中学2年時の春に木津川市に戻り、木津第二中学校へ転校し、ボーイズリーグの奈良スターズ(現在の京田辺ボーイズ)で再び野球を始めた。

香川県の尽誠学園高等学校時代には、1・2年時に二塁手として、全国高等学校野球選手権大会に出場した。2001年に早稲田大学へ入学すると、入学直後の東京六大学野球春季リーグで、明治大学との開幕戦に「1番・二塁手」としてスタメンに起用された。この試合を皮切りに、4年時の秋季リーグ途中まで、内野手として全試合でフルイニング出場。 3年時までは、青木宣親と1・2番、鳥谷敬(いずれも1学年先輩)と二遊間を組んだ。また2学年上のエースには和田毅がいた。3年時の秋季リーグ戦では、二塁手としてベストナインに選出。4年時には、主将を務めるかたわら、卒業した鳥谷から正遊撃手の座を引き継いだ。秋季リーグの対法政大学戦で左手に死球を受けて骨折した影響で、連続フルイニング出場の記録は途切れたものの、在学中にはリーグ戦95試合に出場。史上24人目の通算100安打を記録した末に、打率.277(368打数102安打)、6本塁打、44打点という成績を残した。その一方で、日本代表にも選出。2年時(2002年)には第1回世界大学野球選手権、2・3年時には日米大学野球選手権大会へ出場した。

2004年のNPBドラフト会議で、ヤクルトスワローズが自由獲得枠で田中の独占交渉権を獲得。契約金1億5000万円(出来高分の5000万円を含む)、年俸1500万円(金額は推定)という最高の条件で入団した。背番号は7。

2005年は開幕一軍入りを果たすも、出場機会を得られないまま5月限りで二軍落ちとなる。一時不調に陥るが、8月にはイースタン・リーグで月間MVPを獲得。二軍では新人ながら打率.286の成績を残した。

2006年はオープン戦が絶好調で、WBCで怪我をした岩村明憲の不在もあり、新しく兼任監督となった古田敦也の下、2番二塁手で初の開幕スタメンの座を掴んだが、岩村の復帰までに結果を残せず、以降はグレッグ・ラロッカが本来の二塁に入りポジションが空かず、二軍落ちとなった。しかし7月に宮本慎也の怪我により空いた遊撃手として一軍へ昇格。その後、宮本が復帰すると一時スタメンから外れるが、今度はラロッカが離脱。結果的に一軍に定着し、公式戦初本塁打を放つなどの活躍を見せ、9月には5番でも起用された。最終的に75試合出場、打率.266、5本塁打、22打点と結果を残した。

2007年はラロッカが退団し、開幕から二塁手のレギュラーとして起用される。春先は前年同様にオープン戦絶好調でありながらシーズン開幕後パッタリ当たりが止まり併用になるが、5月ごろには本来の力を発揮し、レギュラーに定着した。中盤に2番二塁手として、早稲田大学時代に1・2番を組んだ1年年上の青木と再びスワローズで1・2番を組み、8月25日には自身初のサヨナラヒットを放つなど、チームに欠かせない戦力となった。3年目にして自身初の規定打席に達し、132試合に出場して、打率.295、5本塁打、51打点、また、リーグ最多の51犠打、8三塁打を記録。初のベストナインにも選出された。

2008年は開幕で3安打猛打賞を記録すると、4試合で11安打を放つなど打率が急上昇。4月終了時点で打率4割を維持していた。夏場でも3割を保ち、後半失速するも.290の高打率を残した。守備に関しても前年の8失策から半減の4失策で守備率.995とリーグトップ、守備機会も両リーグトップの堅守を魅せた。チームで唯一の全試合出場を果たした。一方で、同年監督に就任した高田繁が、足を使う野球を浸透させチームは12球団一の総盗塁数を残すものの、自身は4盗塁7盗塁刺の結果に終わってしまい、盗塁技術向上が今後の課題となった。オフには守備の評価が球団と食い違い、12球団初の契約更改保留者となった。この年の8月に開催された北京オリンピック野球日本代表の1次候補に名前が挙がる。

2009年も開幕から二塁のレギュラーでスタート。当初は7番だったが、川島慶三の不振で7月からは2番に定着した。8月までは打率.282と例年並みの成績を残すが、9・10月に月間打率.172と失速し、打率.258、4本塁打と自己最低の成績に終わり、打撃に課題が残る年となった。犠打の成功率が高く、38犠打でリーグ最多犠打を記録した。守備では積極的にボールに飛びつく堅守で幾度となくチームを救い、7月10日の横浜戦では、同点の9回表一死一・三塁のピンチで二塁ライナーをジャンピングキャッチし、チームのサヨナラ勝ちにつなげた。失策はわずか3、守備率.996は2年連続二塁手部門でリーグ最高だった。

2010年は開幕当初から打撃好調でスタートを切り、チームが貧打で低迷する中でも打率3割を維持しチームの要として活躍。一時は打率が自身最高となる3割2分台まで引き上げ終盤の失速を補い、自身初のシーズン通しての打率3割を記録した。また、長打力の低い打者でありながらリーグ3位の67四球を選ぶなど、選球眼の良さを発揮し、自己最高の出塁率.385を記録。守備でも堅守の印象を強めたもののその半面でイージーミスも増えてしまった。

2011年は打撃面で不調が続き、打率.252という低調な成績に終わった。それでもリーグトップの62犠打(歴代3位)を記録するなど、2番打者としてチームに貢献した。

2012年はチームの新たな方針として1番打者に指名される。しかし、シーズン途中からラスティングス・ミレッジや比屋根渉、雄平が1番に座ることとなり、例年通り繋ぎ役として2番に固定された。6月23日の巨人戦で通算250犠打を達成するなどリーグトップの40犠打を記録。通算282犠打とし、正田耕三の犠打数と並び通算犠打数は8位タイに。打撃は前年の不振を払拭し、打率.274を記録する。出塁率はリーグ9位の.354、得点圏打率はリーグ4位の.313を記録。守備率.995を誇る堅実な守備も評価され、念願のゴールデングラブ賞を受賞。さらに5年ぶりのベストナインに輝くなど充実した1年となった。オフには新たに2年契約を結んだ。

2013年はキャプテンを務めるも、開幕から打撃不振が続き、次第に若手の山田哲人に出場機会を奪われるようになった。二軍落ちも味わい97試合の出場に留まり、7年ぶりに100試合を下回った。打率も.225に終わるなど、厳しいシーズンとなった。

2014年も前年後半同様山田が二塁手に固定され、主に代打での出場が多くなるが、比較的打撃が好調であったため、5月13日の読売ジャイアンツ戦ではプロ入り後初めて三塁手として起用され、同シーズン初のスタメン出場を果たした。6月11日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦ではプロ入り後初めて一塁手として起用された。しかし、レギュラーを奪取するまでには至らず、前年よりも少ない77試合の出場に終わった。シーズンオフ、翌年4月1日より5年間、自身が育った千葉県柏市の大津ケ丘中央公園運動場野球場の愛称が「田中浩康スタジアム」になることが判明した(後述)。

2015年は出場機会を増やすために外野手としてスタメンで出場することもあった。82試合に出場したが、打撃不振に陥り打率.201に終わった。オフにはFA宣言の上で残留した。

2016年はスタメン出場はほとんどなく主に代打要員での出場となるが、同じ右打者の荒木貴裕、西浦直亨、飯原誉士、鵜久森淳志などが活躍していたため、出場は31試合に留まった。球団から指導者転向の打診を受けたが、本人が現役続行を希望したため、10月7日に戦力外通告を受けた。10月11日、退団の挨拶に行ったところ球団が急遽退団会見をセッティングし報道陣が駆け付けた。戦力外通告を受けた選手が引退現役引退以外で退団会見を行うのは異例のことで、田中も「ありがたい場を作っていただいた。次への激励と受け取っている」と感謝の言葉を述べた。11月12日に行われる12球団合同トライアウト(阪神甲子園球場)への参加手続きを済ませていたが、当日になって参加を見送った。12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示。

2016年11月14日に、横浜DeNAベイスターズが田中の入団を発表した。背番号は67で、推定年俸は一軍最低保障額の1500万円。また、先にチームに在籍していた同姓の田中健二朗投手がユニフォームの背ネームを「TANAKA」から「K.TANAKA」に変更したため、浩康の背ネームにはイニシャルでの区別をせずに「TANAKA」を使用した。ただし、健二朗と区別する目的で、スコアボードや報道ではヤクルト時代に続いて「田中浩」という表記が用いられた。

2017年には、移籍1年目ながら「6番・二塁手」で開幕スタメンを勝ち取ると、一軍公式戦の出場試合数が前年の31から66に倍増。7月8日の対中日戦(ナゴヤドーム)で一軍公式戦通算1000安打を達成したり、一軍公式戦で2年ぶりの本塁打を放ったりするなどの活躍で、チームの19年ぶり日本シリーズ進出に貢献した。

2018年には、一軍公式戦31試合の出場で、打率.188、3打点にとどまった。ただし、5月上旬にシーズン初の出場選手登録を果たしてからは、一軍での日本人最年長選手としてアレックス・ラミレス監督から「ダッグアウト・キャプテン」に任命。一軍への帯同中には、若手選手ばかりか、チームキャプテンの筒香嘉智にもアドバイスを送る権限が認められていた。10月3日に自身2度目の戦力外通告を受け、16日に球団を通して引退を発表した。12月2日に、NPBから自由契約選手として公示。

引退発表直後の2018年10月27日には、AbemaTVの「U-23野球ワールドカップ 日本vsベネズエラ」中継で解説者デビューを果たす一方で、Twitter上に公式アカウントを開設。後に、学生野球資格の回復に向けて講習会を受講するかたわら、マネジメントを学ぶ目的で早稲田大学大学院修士課程の入学試験を受験した。

2019年2月5日付で、日本学生野球協会から学生野球資格回復の資格を認定。同協会に加盟する大学・高校の硬式野球部での指導が可能になったため、プロ入り前に在籍していた早稲田大学野球部のコーチとして、同部OBでNPB・MLB投手出身の小宮山悟新監督を補佐することも発表された。なお、就任の前には、早稲田大学大学院の入学試験に合格。同年4月以降は、大学院の修士課程に通いながら、野球部で主に守備や走塁を指導していた。その一方で、ヤクルトとDeNAのOBとしてフジテレビONEの野球解説者(本数契約扱い)としても活動。同月からは、文化放送平日早朝の生ワイド番組『なな→きゅう』で、横浜DeNAコーチ就任までの約半年間、隔週月曜日のパートナーを務めた。

2019年11月30日付で、早稲田大学野球部のコーチを退任。2020年3月、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程を修了。修士論文「日本プロ野球とメジャーリーグベースボールにおけるGMの比較」は優秀論文賞を受賞した。

2020年からは、古巣のDeNAで二軍内野守備走塁コーチを務める。背番号は97。2021年は二軍守備走塁コーチに肩書きを変え、2022年・2023年は、一軍内野守備走塁コーチを務めた。2024年は一軍内野守備兼三塁ベースコーチへ配置転換され、走塁コーチの肩書きは石井琢朗のみがもつこととなった。

粘り強い打撃と堅実な守備が持ち味。打撃では送りバントや右打ちでつなぎに徹するいぶし銀。守備では二塁手として2度のベストナイン、ゴールデングラブ賞に輝いている。

スパイクシューズとバットはSSKとアンダーアーマー、グラブは久保田スラッガーを使用していた。

中学時代まで空手を野球と両立で習っており、全国大会で入賞経験もある。

ヤクルトファンを公称する作家の村上春樹は、ヤクルト時代の田中について、その独特の構えを「猫の尻尾振りバット」と表現しエッセーなどで激励していた。田中からの礼状をきっかけに往復書簡を交わし、引退前の2018年シーズンも開幕前にエールを受けていた。

2010年より、自身が育った千葉県柏市にて、同市、我孫子市、白井市の3市の少年野球チームが集まる大会「田中浩康カップ」を主催している。「野球を通して少年少女たちが、より多くの仲間と出会い、交流を深め心身のバランスのとれた良き社会人として成長できるよう、そして生涯にわたってスポーツを愛好し、周りの人への感謝の気持ちをいつまでも大切にすること」を目的としている。2015年4月1日より5年間、同大会開催球場の大津ケ丘中央公園運動場野球場の愛称が「田中浩康スタジアム」となる。これは同市からの命名権購入依頼に本人が応えたものによる。また、2018年から生まれ故郷である京都府木津川市の「きづがわいい応援団長」を務めている。

DeNAに移籍後に背番号「67」を選んだ理由は、ヤクルト時代に二遊間を組んでいた尊敬する先輩の宮本慎也が着けていた6番と、田中がヤクルト時代に着けていた7番を共に着けてプレーしたいという田中のたっての想いからであり、DeNA入団が決まってから球団に67番が空いているかを直接尋ねたほどだという。ちなみに、移籍を機に作られた応援歌は、「世界の恋人」のアレンジバージョンである。

前述したように、早稲田大学の学生時代には、3年時まで1年先輩の鳥谷敬と二遊間を組んでいた。鳥谷は田中より1年早く、NPBドラフト会議の自由獲得枠で2004年に阪神へ入団。田中がDeNAに在籍していた2017年9月8日には、甲子園球場の阪神対DeNA戦でNPB一軍公式戦2000安打を達成した。田中自身はこの試合に出場していなかったが、DeNAのベンチに入っていたため、達成の直後にはDeNAナインを代表して鳥谷に記念の花束を渡した。田中によれば、シーズン序盤に横浜スタジアムで催されたDeNA対阪神戦で鳥谷と会った際に、2000安打を達成したら花束を渡すことを直々に約束していたという。

現役時代に在籍していたNPBの球団では、同姓の選手(ヤクルト時代は田中充・田中雅彦、DeNA時代は田中健二朗)とチームメイトになったことから、スコアボードや報道では「田中浩」という表記が一貫して用いられた。

各年度の太字はリーグ最高

各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPBの二塁手における歴代最高

太字年はゴールデングラブ賞受賞

ベストナイン:2回(二塁手部門:2007年、2012年)

ゴールデングラブ賞:1回(二塁手部門:2012年)

JA全農Go・Go賞:1回(好捕賞:2009年7月)

初出場:2005年4月6日、対中日ドラゴンズ2回戦(明治神宮野球場)、10回裏に鈴木健の代走で出場

初打席:2005年4月10日、対広島東洋カープ3回戦(広島市民球場)、7回表に山本樹の代打で出場、大竹寛から遊撃ゴロ

初安打:2005年5月4日、対中日ドラゴンズ5回戦(ナゴヤドーム)、7回表に朝倉健太から三塁内野安打

初盗塁:2005年5月27日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(札幌ドーム)、9回表に二盗(投手:矢野諭、捕手:實松一成)

初先発出場:2006年3月31日、対阪神タイガース1回戦(大阪ドーム)、2番・二塁手で先発出場

初打点:2006年6月11日、対福岡ソフトバンクホークス6回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、2回表に神内靖から左中間適時二塁打

初本塁打:2006年8月4日、対中日ドラゴンズ9回戦(明治神宮野球場)、2回裏に佐藤充から左越2ラン

初犠打:2006年8月5日、対中日ドラゴンズ10回戦(明治神宮野球場)、2回裏にルイス・マルティネスから投手前犠打

200犠打:2011年5月17日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(札幌ドーム)、1回表に武田勝から捕手前犠打 ※史上30人目

250犠打:2012年6月22日、対読売ジャイアンツ9回戦(長野オリンピックスタジアム)、1回表に内海哲也から投手前犠打 ※史上14人目

1000試合出場:2013年9月29日、対横浜DeNAベイスターズ23回戦(明治神宮野球場) ※史上461人目

1000安打:2017年7月8日、対中日ドラゴンズ14回戦(ナゴヤドーム)、6回表に小笠原慎之介から中前適時打 ※史上287人目

300犠打:2017年8月18日、対読売ジャイアンツ16回戦(東京ドーム)、1回表に田口麗斗から投手前犠打 ※史上6人目

7(2005年 - 2016年)

67(2017年 - 2018年)

97(2020年 - )

「Hey DJ」CNCO & Yandel(2017年前半)

「Slide (feat. Frank Ocean & Migos)」Calvin Harris(2017年後半)

「Bed of Roses (feat. Stanaj)」Afrojack(2018年前半)

「東京VICTORY」サザンオールスターズ(2018年後半)

現役引退後に「野球解説者」としてレギュラーで出演する番組のみ記載。

なな→きゅう月曜パートナー(2019年4月 - 12月、文化放送)※宮下純一との隔週交代で出演

^ DeNAの本拠地である横浜市に本社を置く日産自動車が長らくCMソングに使用していた楽曲で、かつて活動していた日産自動車硬式野球部の応援歌でもあった。

^ 「2020年シーズン コーチ契約について」『横浜DeNAベイスターズ』2019年11月6日。2024年5月8日閲覧。

^ 「きづがわいい応援団長 田中浩康さんプロフィール」木津川市、2018年10月22日。2022年11月4日閲覧。

^ 「田中浩康(元ヤクルト・DeNA)自分を練習で追い込んだ学生時代。“早稲田黄金時代”での経験は人生の財産に【インタビュー前編】」Alpen Group Magazine、2019年1月23日。2022年11月4日閲覧。

^ 「「田中浩康球場」誕生へ 柏市」『日刊スポーツ』2014年12月15日。2024年5月8日閲覧。

^ 「東京ヤクルトスワローズ 田中 浩康選手」『高校野球ドットコム』2010年8月2日。2024年5月8日閲覧。

^ 朝日新聞、2004年12月2日付朝刊 (19面)

^ 「【球界ここだけの話(692)】異例だったヤクルト・田中浩康の退団会見」サンスポ、2016年10月12日。2021年12月24日閲覧。

^ 「フリーエージェント宣言選手 | 2015年度公示」『日本野球機構』。2024年5月8日閲覧。

^ 「ヤクルト 田中浩に戦力外通告、現役続行を希望 12年ベストナイン」『スポーツニッポン』2016年10月7日。2024年5月8日閲覧。

^ 「ヤクルト戦力外の田中浩、合同トライアウト参加へ」『日刊スポーツ』2016年11月8日。2024年5月8日閲覧。

^ 「65人が参加/12球団合同トライアウト詳細」『日刊スポーツ』2016年11月12日。2024年5月8日閲覧。

^ 「自由契約選手|2016年度公示」NPB.jp 日本野球機構、2016年12月2日。2016年12月3日閲覧。

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^ 「田中浩康選手 入団記者会見」横浜DeNAベイスターズ公式サイト、2016年11月29日。2017年1月5日閲覧。

^ 「【DeNA】田中浩、史上287人目の1000安打 初安打の地・ナゴヤドームで達成」スポーツ報知、2017年7月8日。2017年7月8日閲覧。

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^ 「早大新コーチ就任の田中浩康氏が練習に合流 4月からは早大大学院に進学も」『スポーツニッポン』2019年2月6日。2024年5月8日閲覧。

^ 学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者 日本学生野球協会

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^ 「元ヤクルト、DeNAの田中氏、早大コーチ就任」デイリースポーツ、2019年2月5日。2019年2月7日閲覧。

^ 「文化放送社長、朝の新番組起用の上田まりえに期待「初めての女性パーソナリティーとなります」」デイリースポーツ、2019年3月19日。2019年3月19日閲覧。

^ 「早大が田中浩康コーチの退任を発表…DeNAのファーム内野守備走塁コーチに就任」スポーツ報知、2019年11月6日。2019年11月6日閲覧。

^ 「田中浩康(Official)」Facebook。2021年3月4日閲覧。

^ 「2021年シーズン コーチングスタッフ決定のお知らせ」横浜DeNAベイスターズ、2020年11月29日。2021年12月1日閲覧。

^ 「2022年シーズン コーチングスタッフ決定のお知らせ」横浜DeNAベイスターズ、2021年12月1日。2021年12月1日閲覧。

^ 2024年シーズン コーチングスタッフ決定のお知らせ」『横浜DeNAベイスターズ』2022年11月1日。2023年10月23日閲覧。

^ 「DeNAが来季の組閣を発表 引退の藤田一也氏が入閣、斎藤隆氏らは球団スタッフに」『Full-Count』2023年10月23日。2023年10月23日閲覧。

^ 「DeNA・田中浩康が引退を発表「ベイスターズでは夢の続きを見させてもらいました」」『サンスポ』2018年10月16日。2021年11月18日閲覧。

^ 引退者続出の2018年プロ野球 去り行く戦士たちvol.15 DeNA#67 田中 浩康」『SPAIA』。2021年11月18日閲覧。

^ 「田中浩康 | 選手」『週刊ベースボールONLINE』。2021年11月18日閲覧。

^ 「田中浩康(元ヤクルト・DeNA)夢にまで見たプロ野球人生。引退までこだわり抜いたギアへの想い【インタビュー後編】」Alpen Group Magazine、2019年1月23日。2022年11月4日閲覧。

^ 「DeNA・田中浩康内野手「空手で全国大会入賞」/習い事 | 野球コラム」『週刊ベースボールONLINE』2018年7月31日。2021年11月18日閲覧。

^ 「田中浩康、引退…ヤクルト&DeNAでいぶし銀の活躍 歴代5位通算302犠打」サンケイスポーツ、2018年10月11日。2018年11月4日閲覧。

^ 田中浩康カップ 田中浩康カップ公式サイト 2011年11月21日掲載

^ 「DeNA・田中浩康が『67』を背負う理由 | ショウアップナイター」『BASEBALL KING』2017年2月3日。2024年5月8日閲覧。

^ 「早大後輩のDeNA・田中浩、鳥谷に花束贈呈もハグ拒否された」『サンケイスポーツ』2017年9月9日。2024年5月8日閲覧。

^ 「なな→きゅう | 番組詳細」『www.joqr.co.jp』。2019年4月26日閲覧。

京都府出身の人物一覧

早稲田大学の人物一覧

東京ヤクルトスワローズの選手一覧

横浜DeNAベイスターズの選手一覧

個人年度別成績 田中浩康 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube

選手名鑑 - 横浜DeNAベイスターズ公式サイト

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JSM プロフィール

81 三浦大輔

78 進藤達哉(ベンチ)

72 靍岡賢二郎(オフェンスチーフ)

80 相川亮二(ディフェンスチーフ兼野手)

97 田中浩康(内野守備兼ベースコーチ兼野手)

74 河田雄祐(外野守備兼ベースコーチ兼野手)

79 大原慎司(チーフ投手兼投手)

94 小杉陽太(投手兼投手)

83 桑原義行(監督兼投手コーディネーター)

89 中井大介(オフェンスチーフ)

73 藤田一也(ディフェンスチーフ兼内野守備兼ベース)

84 上田佳範(外野守備兼ベースコーチ兼野手)

88 入来祐作(投手兼投手アシスタントコーディネーター兼投手)

86 八木快(投手兼投手)

82 万永貴司(野手コーディネーター)

76 田代富雄(野手)

90 大村巌(野手)

71 村田修一(野手)

75 石井琢朗(野手)

77 鈴木尚典(野手)

85 柳田殖生(野手)

未定 辻俊哉(野手)

70 加賀繁(投手補佐)

11 東克樹

13 伊勢大夢

14 石田健大

15 徳山壮磨

16 大貫晋一

17 三嶋一輝

18 小園健太

19 山﨑康晃

20 坂本裕哉

22 入江大生

24 吉野光樹

26 濵口遥大

27 上茶谷大河

30 三浦銀二

34 松本凌人

36 森下瑠大

38 森唯斗

40 松本隆之介

41 佐々木千隼

42 ジャクソン

45 森原康平

46 石川達也

48 京山将弥

49 ウェンデルケン

53 中川颯

54 石田裕太郎

56 髙田琢登

59 平良拳太郎

62 ウィック

64 中川虎大

65 宮城滝太

69 ケイ

92 堀岡隼人

93 ディアス

5 松尾汐恩

10 戸柱恭孝

29 伊藤光

32 益子京右

50 山本祐大

57 東妻純平

00 林琢真

2 牧秀悟

3 オースティン

6 森敬斗

9 大和

31 柴田竜拓

39 西浦直亨

44 石上泰輝

51 宮﨑敏郎

55 井上絢登

60 知野直人

98 京田陽太

99 フォード

0 大田泰示

1 桑原将志

4 度会隆輝

7 佐野恵太

8 神里和毅

25 筒香嘉智

28 勝又温史

33 武田陸玖

37 楠本泰史

58 梶原昂希

61 蝦名達夫

63 関根大気

035 橋本達弥

043 深沢鳳介

101 草野陽斗

102 清水麻成

106 渡辺明貴

107 マルセリーノ

108 今野瑠斗

122 庄司陽斗

116 九鬼隆平

127 上甲凌大

130 近藤大雅

100 蓮

125 小笠原蒼

129 西巻賢二

133 粟飯原龍之介

193 高見澤郁魅

1950 千葉茂

1951 千葉茂

1952 千葉茂

1953 千葉茂

1954 箱田弘志

1955 井上登

1956 井上登

1957 井上登

1958 井上登

1959 土屋正孝

1960 井上登

1961 土屋正孝

1962 小坂佳隆

1963 高木守道

1964 高木守道

1965 高木守道

1966 高木守道

1967 高木守道

1968 土井正三

1969 土井正三

1970 安藤統夫

1971 国貞泰汎

1972 J.シピン

1973 J.シピン

1974 高木守道

1975 大下剛史

1976 D.ジョンソン

1977 高木守道

1978 D.ヒルトン

1979 F.ミヤーン

1980 基満男

1981 篠塚利夫

1982 篠塚利夫

1983 真弓明信

1984 篠塚利夫

1985 岡田彰布

1986 篠塚利夫

1987 篠塚利夫

1988 正田耕三

1989 正田耕三

1990 高木豊

1991 高木豊

1992 和田豊

1993 R.ローズ

1994 和田豊

1995 R.ローズ

1996 立浪和義

1997 R.ローズ

1998 R.ローズ

1999 R.ローズ

2000 R.ローズ

2001 E.ディアス

2002 今岡誠

2003 今岡誠

2004 荒木雅博, G.ラロッカ

2005 荒木雅博

2006 荒木雅博

2007 田中浩康

2008 東出輝裕

2009 東出輝裕

2010 平野恵一

2011 平野恵一

2012 田中浩康

2013 西岡剛

2014 山田哲人

2015 山田哲人

2016 山田哲人

2017 菊池涼介

2018 山田哲人

2019 山田哲人

2020 菊池涼介

2021 山田哲人

2022 牧秀悟

2023 牧秀悟

 投  高橋尚成

 捕  阿部慎之助

 一  T.ウッズ

 二  田中浩康

 三  小笠原道大

 遊  井端弘和

 外  青木宣親 / A.ラミレス / 高橋由伸

 投  内海哲也

 捕  阿部慎之助

 一  T.ブランコ

 二  田中浩康

 三  村田修一

 遊  坂本勇人

 外  長野久義 / W.バレンティン / 大島洋平

1972 J.シピン

1973 J.シピン

1974 高木守道

1975 大下剛史

1976 D.ジョンソン

1977 高木守道

1978 土井正三

1979 高木守道

1980 基満男

1981 篠塚利夫

1982 篠塚利夫

1983 高木豊

1984 篠塚利夫

1985 岡田彰布

1986 篠塚利夫

1987 正田耕三

1988 正田耕三

1989 正田耕三

1990 正田耕三

1991 正田耕三

1992 和田豊

1993 和田豊

1994 和田豊

1995 立浪和義

1996 立浪和義

1997 立浪和義

1998 R.ローズ

1999 仁志敏久

2000 仁志敏久

2001 仁志敏久

2002 仁志敏久

2003 今岡誠

2004 荒木雅博

2005 荒木雅博

2006 荒木雅博

2007 荒木雅博

2008 荒木雅博

2009 荒木雅博

2010 平野恵一

2011 平野恵一

2012 田中浩康

2013 菊池涼介

2014 菊池涼介

2015 菊池涼介

2016 菊池涼介

2017 菊池涼介

2018 菊池涼介

2019 菊池涼介

2020 菊池涼介

2021 菊池涼介

2022 菊池涼介

2023 中野拓夢

2024 吉川尚輝

 投  前田健太

 捕  谷繁元信

 一  畠山和洋

 二  田中浩康

 三  宮本慎也

 遊  井端弘和

 外  荒波翔 / 大島洋平 / 長野久義

内田俊雄

小泉陽三

岸雅司

藤木豊

11 斉藤康

12 小出琢磨

14 和田毅

16 杉山直久

17 川島亮

18 久保裕也

19 木佐貫洋

20 島原壮太郎

21 絵鳩隆雄

22 小山良男

1 村田修一

2 澄川昌也

3 川本良平

6 後藤武敏

7 田中浩康

8 鳥谷敬

9 松田宣浩

10 鬼崎智史

26 小谷野栄一

4 柴武志

24 林清久

25 荒川大輔

27 竹原直隆

28 鞘師智也

29 佐々木正詞

山中正竹

高橋昭雄

荒井信久

岩井美樹

11 多田野数人

14 土居龍太郎

15 加藤大輔

16 久保裕也

17 長田秀一郎

18 木佐貫洋

19 馬原孝浩

21 和田毅

10 小山良男

22 大野隆治

1 鳥谷敬

2 中道大輔

3 後藤武敏

4 松田宣浩

5 村田修一

6 岩舘学

7 田中浩康

8 鞘師智也

9 工藤隆人

20 河野友軌

23 竹原直隆

24 平石洋介

中村壽博

山路哲生

仲里清

中野泰造

11 谷崎大悟

12 反頭一臣

14 片山純一

15 宮川兼二郎

16 池田裕行

17 竹林俊行

18 馬原孝浩

19 吉川輝昭

3 川本良平

22 堂上隼人

29 中東直己

1 西口翔悟

2 脇谷亮太

4 足立和也

7 田中浩康

8 鳥谷敬

9 松田宣浩

10 高島佑介

24 青木宣親

25 林直樹

26 中村公治

27 小沢龍馬

自由獲得枠:田中浩康

自由獲得枠:松岡健一

4巡目:川本良平

5巡目:上原厚治郎

6巡目:丸山貴史

日本の野球選手

尽誠学園高等学校出身の野球選手

早稲田大学野球部の選手

日米大学野球選手権大会日本代表選手

東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手

横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手

日本の野球指導者

京都府出身のスポーツ選手

1982年生

存命人物

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野球に関する記事

プロジェクト人物伝項目

2024/11/23 09:33更新

tanaka hiroyasu


田中浩康と同じ誕生日5月24日生まれ、同じ京都出身の人

田村 亮_(俳優)(たむら りょう)
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田村 亮(たむら りょう、1946年5月24日 - )は、日本の俳優。本名:田村 幸照(たむら ゆきてる)。京都府京都市右京区太秦出身。YST所属。阪東妻三郎の四男。男4兄弟の末っ子で、唯一の戦後生ま…

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塚原 愛(つかはら あい、1976年〈昭和51年〉5月24日 - )は、NHKのアナウンサー。 東京都出身。関東国際高等学校、上智大学外国語学部フランス語学科卒業。2000年入局。 4歳から10歳…

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藤間 紫(ふじま むらさき、1923年〈大正12年〉5月24日 - 2009年〈平成21年〉3月27日)は、東京都文京区根津出身の日本舞踊家、女優。本名は喜熨斗 綾子(旧姓: 河野→藤間)。 日本医…

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橋本 邦彦(はしもと くにひこ)
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鈴木 清順(すずき せいじゅん)
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鈴木 清順(すずき せいじゅん、1923年〈大正12年〉5月24日 - 2017年〈平成29年〉2月13日)は、日本の映画監督・俳優。本名:鈴木 清太郎(すずき せいたろう)。弟に元NHKアナウンサー…

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藤井 美波(ふじい みなみ、5月24日 - )は、日本の女性声優。アーツビジョン所属。京都府出身。 小学生の頃、国語の授業で教師に朗読を褒めてもらい「声優さんになれるね」と言ってくれたことから声優を…


村木 藤志郎(むらき とうしろう)
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村木 藤志郎(むらき とうしろう、1965年5月24日 - )は、日本の俳優。東京都大田区生まれ、幼少より千葉県習志野市で育つ。うわの空・藤志郎一座の座長。 うわの空・藤志郎一座 ほぼ全作品 TOK…


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田中浩康と近い名前の人

田中 久雄_(実業家)(たなか ひさお)
1950年12月20日生まれの有名人 兵庫出身

田中 久雄(たなか ひさお、1950年12月20日 - )は、日本の実業家。第17代株式会社東芝取締役代表執行役社長。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立兵庫高等学校を経て、1973年神戸商科大学(現兵庫…

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田中 久雄(たなか ひさお、1905年(明治38年)12月18日 - 1981年(昭和56年)4月29日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 三重県出身。1928年、関西大学専門部商業科を卒業。…

田中 ヒロコ(たなか ひろこ)
1971年4月24日生まれの有名人 東京出身

田中 ヒロコ(たなか ひろこ、1971年4月24日 - )は、日本のモデル、女優、タレントである。シュルーモデルエージェンシー所属(俳優部分はイトーカンパニーと業務提携)。 1990年(平成2年)の…

田中 英雄(たなか ひでお)
1983年3月1日生まれの有名人 熊本出身

田中 英雄(たなか ひでお、1983年3月1日 - )は、熊本県下益城郡豊野町(現:宇城市)出身のサッカー選手。 幼少期は桑田真澄に憧れ、小学4年生の時は野球部に所属していた。サッカーを始めたのは小…


田中 誠人_(子役)(たなか まこと)
2011年12月3日生まれの有名人 出身

田中 誠人(たなか まこと、2010年〈平成22年〉8月25日 - )は、日本のミュージカル俳優、声優、歌手、元子役俳優である。劇団ひまわり所属。 趣味はピアノ、将棋、音読、日本舞踊、ルービックキュ…

田中 雅彦_(バドミントン選手)(たなか まさひこ)
1966年12月10日生まれの有名人 神奈川出身

田中 雅彦(たなか まさひこ、1966年12月10日 - )は、オーストリアのバドミントン選手。身長170 cm。右利き。神奈川県横浜市神奈川区出身。横浜市立松本中学校、神奈川県立鶴見高等学校、京都外…

田中 裕二_(ミュージシャン)(たなか ゆうじ)
1957年5月29日生まれの有名人 北海道出身

田中 裕二(たなか ゆうじ、1957年5月29日 - 2022年12月17日)は、日本のドラマー、ミュージシャンである。血液型はO型。 北海道旭川市出身。1977年からロックバンド『安全地帯』のメン…

田中 裕二_(お笑い芸人)(たなか ゆうじ)
【爆笑問題】
1965年1月10日生まれの有名人 東京出身

田中 裕二(たなか ゆうじ、1965年〈昭和40年〉1月10日 - )は、日本のお笑いタレント、声優、随筆家、俳優、司会者。お笑いコンビ・爆笑問題のツッコミ、リーダー担当。相方は太田光。タイタン所属。…

田中 直樹_(お笑い芸人)(たなか なおき)
【ココリコ】
1971年4月26日生まれの有名人 大阪出身

ガキの使いやあらへんで! 田中 直樹(たなか なおき、1971年〈昭和46年〉4月26日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優。お笑いコンビ・ココリコのリーダーでボケ担当。相方は遠藤章造。大…


田中 直樹_(バレーボール)(たなか なおき)
1962年4月2日生まれの有名人 福岡出身

田中 直樹(たなか なおき、1962年4月2日 - )は、日本の男子元バレーボール選手。バレーボール全日本の選手。 福岡県北九州市出身。福岡県立直方高等学校、日本体育大学を経て、住友金属(本拠地:北…

田中 理恵_(体操選手)(たなか りえ)
1987年6月11日生まれの有名人 和歌山出身

田中 理恵(たなか りえ、1987年6月11日 - )は、日本の元体操選手。元2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事。マネジメント所属は株式会社フィルブロード。 和歌山県出…

田中 理恵_(声優)(たなか りえ)
1979年1月3日生まれの有名人 北海道出身

田中 理恵(たなか りえ、1979年1月3日 - )は、日本の女性声優、歌手。北海道札幌市南区出身。オフィスアネモネ所属。 出生時の体重は2760gであったという。 子供の時は生傷の耐えないおてん…

田中 昭二_(物理学者)(たなか しょうじ)
1927年9月19日生まれの有名人 神奈川出身

田中 昭二(たなか しょうじ、1927年9月19日 - 2011年11月11日)は、日本の応用物理学者。東京大学名誉教授。国際超電導産業技術研究センター顧問。妻は「わいふ」編集長を務めた田中喜美子。 …

田中 さなえ(たなか さなえ)
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田中 さなえ(たなか さなえ、1972年12月6日 - )は、日本のタレント。旧芸名は田中 早苗(読み同じ)。 大阪府四條畷市出身。松竹芸能所属。 関西外国語大学短期大学部英米語学科在学中、学園祭…


田中 早苗_(アナウンサー)(たなか さなえ)
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田中 早苗(たなか さなえ、1970年10月5日 - )は、鹿児島放送 (KKB) のアナウンサー。鹿児島県鹿児島市出身。 鹿児島女子大学(現・志學館大学)を卒業後、1993年4月にKKBに入社。。…

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