もしもし情報局 > 1934年 > 8月17日 > 政治家

石井一の情報 (いしいはじめ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

石井一の情報(いしいはじめ) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

石井 一さんについて調べます

■名前・氏名
石井 一
(読み:いしい はじめ)
■職業
政治家
■石井一の誕生日・生年月日
1934年8月17日 (年齢2022年没)
戌年(いぬ年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
兵庫出身

(昭和9年)1934年生まれの人の年齢早見表

石井一と同じ1934年生まれの有名人・芸能人

石井一と同じ8月17日生まれの有名人・芸能人

石井一と同じ出身地兵庫県生まれの有名人・芸能人


石井一と関係のある人

石井一孝: 石井一孝『博多ただいまコンサートPart.4 ~ミュージカル高座 in HAKATA~』(2018年10月6日 - 福岡・Gate's7)


飯島夏美: 石井一久&稲村亜美の「女神スポーツ」(Kawaiian TV、2018年8月14日・9月25日・11月6日・12月18日)


謝珠栄: 「天翔ける風に」再再々演(2013年) 出演:朝海ひかる、石井一孝、浜畑賢吉、彩乃かなみ、伊東弘美、岸祐二、吉野圭吾、他


石井一彰: 石井一彰LIVE『Kazuaki LIVE 2016』(2016年)


石井一孝: 是方博邦 40周年 SPECIAL 6DAYS:3 是方博邦 with 石井一孝(2015年12月21日 - 京都・京都RAG)


髙谷裕亮: 7月15日の埼玉西武ライオンズ戦で先発出場し、2回に石井一久から勝ち越し適時打で本拠地福岡 Yahoo! JAPANドーム初安打・初打点を記録し、3回にも山岸穣から適時打、5回には山岸から再び安打でプロ入り初猛打賞を記録するなど活躍し、プロ入り初のヒーローインタビューを受けた。


石井一孝: 是方博邦 with 石井一孝(2007年1月18日 - 東京・Blues Alley Japan)


尾花高夫: 野村監督の下、「野村再生工場の現場監督」として、田畑一也を15勝投手に成長させ、先発は田畑、吉井理人が13勝、前年オフに左肩の手術を受けた石井一久が10勝、この3人が柱になり、中継ぎは左右2松ずつ、ダイエーを戦力外になった広田浩章が59登板、中日を戦力外になった野中徹博が44登板、左はともに生え抜きの加藤博人が60試合、山本樹が46試合に投げ、後ろは高津臣吾と伊藤智仁のダブルストッパーは伊藤はなかなか調子が上がらない高津をカバーして7勝2敗19セーブをマークし、カムバック賞を受賞した。


光山英和: 2019年からは西武時代にコーチと選手の関係であった石井一久ゼネラルマネージャーの要請で楽天のコーチに就任。


木部佳昭: 石井一


野村克也: 弔辞は江本孟紀・古田敦也・高津臣吾が読み、矢野燿大・新庄剛志・石井一久らも参列した。


高木晃次: この年はエース格の石井一久・伊藤智仁・川崎憲次郎らの不調もありそこから一気に先発ローテ入りして大車輪の活躍を続け、結果的にジェイソン・ハッカミーに続き3完封を含め9勝(8敗)のチームの日本人投手最高の成績を残してセ・リーグ投手防御率ベスト10の8傑に入り、規定投球回数にも初めて到達すると言う充実の一年を過ごした。


茂木栄五郎: 12月9日に臨んだ契約交渉では、推定年俸7400万円(前年から700万円減)という条件で契約を更改し、翌年からゼネラルマネジャーと一軍監督を兼務する石井一久の要請を受けて2021年シーズンも主将を続けることが決まった。


石井一孝: 石井一孝&Marie AOR NIGHT(2013年3月31日 - 東京・MANDALA)


石井一孝: 石井一孝 弦楽五重奏コンサート”Woody Session” with 大島ミチル Vol 4(2006年6月3日 - 東京・草月ホール)


清水亘: 1951年2月8日に大村秀則、荒原朴水(大日本国民党)が催した『全国愛国者団体懇親会』に、福田素顕(防共新聞)、赤尾敏(大日本愛国党)、津久井龍雄(急進愛国党)ら有力者の末席に名を連ね、活動を本格化したものの、1952年2月25日に清水が改造拳銃所持・使用の銃刀法違反で懲役8ヶ月の実刑判決を受け、更に1957年5月1日には大日本独立青年党主催の会合に警察が突入、参加者の石井一昌(護国青年団)ら7名が銃刀法違反等で摘発される騒ぎを起こし、再度窮地に立たされた。


石井一孝: ルネージャ meets 石井一孝 Special Live(2016年4月16日 - 神奈川・モーションブルー横浜)


今野浩喜: 2月23日はダレノガレ明美の父役とパンチ佐藤役、3月8日は蝶野正洋役、3月29日は石井一久役と太田光役で出演。


田中将大: 4月17日の日本ハム戦(東京ドーム)で日本球界復帰後初登板初先発を果たしたが、初回に中田翔に先制2点本塁打を打たれると2回には石井一成にソロ本塁打を打たれ2回までに3失点を喫する。


渡辺嘉蔵: 麻生太郎内閣の森英介法務大臣、自民党総務会長当時の久間章生衆議院議員、民主党幹事長当時の大畠章宏衆議院議員、民主党副代表の石井一参議院議員、小宮山洋子厚生労働大臣とも意見交換を数回行い、加入保険の改善策、特に厚生年金保険への加入見直し等を含めて、融和策を繰り返し提言していた。


松井秀喜: 2月28日のオープン戦でプロ初打席を迎え、当時ヤクルトに所属していた一つ上の石井一久と対戦するもカーブで三振となり、その時は焦りや恐怖を感じたという。


石井一孝: 石井一孝 ミュージカルコンサート ミュージカル高座2018 ~イエローとブルーの密会~(2018年9月2日 - 東京・浜離宮朝日ホール 小ホール)


石井一孝: 石井一孝 デビュー25周年記念 ミュージカルコンサート(2017年7月9日 - 東京・ホテルニューオータニ)


小島圭市: ロサンゼルス・ドジャースの日本担当スカウトとして、石井一久、黒田博樹、斎藤隆の獲得に尽力。


石井一孝: 東京會舘ミュージカルサロンVol.10 「今井清隆 vs 石井一孝 バルジャンズ トーク&ライブ」(2006年8月7日 - 東京・東京會舘)


中馬辰猪: 石井一


平尾博嗣: 初本塁打:1995年8月3日、対ヤクルトスワローズ21回戦(阪神甲子園球場) 8回裏に石井一久から


多村仁志: 10月2日の対西武戦で、3回表に石井一久から右前適時打を放ち、日本プロ野球通算1000安打を達成。


石井一孝: 石井一孝 博多ただいまコンサートPart.2(2015年6月13日 - 福岡・Gate's7)


石川禅: 『ミス・サイゴン』、『レ・ミゼラブル』と共演し本人と親交のある俳優で歌手の石井一孝によると、石川は米国人俳優、ジョン・キューザックに「そっくり」であり、自身のブログ『石井一孝の情熱マニア日記』において、キューザックは石川における「世界で3人いると言われる瓜二つな人間のひとり」とまで言わしめている。


石井一の情報まとめ

もしもしロボ

石井 一(いしい はじめ)さんの誕生日は1934年8月17日です。兵庫出身の政治家のようです。

もしもしロボ

卒業、事件、現在、ドラマ、家族、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。2022年に亡くなられているようです。

石井一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

石井 一(いしい はじめ、1934年〈昭和9年〉8月17日 - 2022年〈令和4年〉6月4日)は、日本の政治家。位階は正三位。

衆議院議員(11期)、参議院議員(1期)、国土庁長官(第19代)、自治大臣(第45代)、国家公安委員会委員長(第55代)、衆議院内閣委員長・公職選挙法改正に関する調査特別委員会委員長・政治改革特別委員長・決算委員長・決算行政監視委員長、参議院予算委員長、民主党国会対策委員長、同選挙対策委員長などを歴任。

元参議院議員・日本国特命大使の石井一二は弟。甥に兵庫県議会議員の石井健一郎、西宮市長の石井登志郎がいる。2人とも石井一の元政策秘書であり、登志郎とは養子縁組をした。兵庫県議会議員の石井秀武は親類にあたる。

危機管理都市推進議員連盟会長。日本音楽家協会会長。日本ジャズ音楽協会会長。上海大学顧問教授。イオンド大学(非認定大学)名誉教授。

タイヘイレコード社長で、後に自由民主党兵庫県議会議員を3期務めた石井廣治の長男として、兵庫県神戸市須磨区に出生。

小学校5年生で、太平洋戦争敗戦と同時に政治家を志す。

神戸市立西須磨小学校、甲南中学校を経て、甲南高等学校に入学し、弁論部に所属した。1957年に甲南大学経済学部を卒業した後アメリカに留学。1960年、スタンフォード大学大学院政治学研究科を修了し、修士号を取得。同校の助手となる。帰国後、郷司浩平の伝手で、郷司が専務理事を務めていた「日本生産性本部」の職員となる。

1967年、32歳の時に第31回衆議院議員総選挙に旧兵庫1区から立候補するも、落選した。浪人期間中は田中角栄の私設秘書を務めた。

続く1969年の第32回衆議院議員総選挙に立候補し、初当選(当選同期に小沢一郎、羽田孜、梶山静六、奥田敬和、渡部恒三、綿貫民輔、塩崎潤、森喜朗、村田敬次郎、松永光、江藤隆美、浜田幸一など)。1975年12月の三木改造内閣で労働政務次官、1976年の福田赳夫内閣で運輸政務次官に就任。

運輸政務次官時代に、日本赤軍の起こした「ダッカ日航機ハイジャック事件」に、日本国政府派遣団長としてハイジャック犯との交渉に当たった。この事件に便乗して発生し、身代金強奪を目論んだ現地バングラデシュのクーデターに巻き込まれながらも人質の解放には成功したが、身代金600万米ドルの支払いと、政治犯の超法規的措置釈放というハイジャック犯の要求を飲む形に終わり、釈放された政治犯は現在も数人逃走中である。

1983年、第37回衆議院議員総選挙で落選。1986年、第38回衆議院議員総選挙(衆参同日選挙)で自民党が大勝し、石井も国政に復帰した。1989年、第1次海部内閣の国土庁長官として初入閣し、また、国務大臣として「研究・学園都市の建設を円滑に推進するため行政各部の所管する事務の調整」や「国際花と緑の博覧会の円滑な準備及び運営に資するため行政各部の所管する事務の調整」も担当した。しかし、一方で1990年には、ハワイの未公開資産保養地所有が問題となった。

1990年9月の金丸訪朝団派遣に先立って、北朝鮮による拉致被害者有本恵子の父有本明弘が石井の事務所に1988年に石岡亨が北朝鮮から送った手紙のコピーを持っていくと、石井はコピーをちゃんと金丸信に渡すと約束し、自分も責任を持って北朝鮮側に訴えると有本に誓った。しかし、日朝会談を目前として石井は「あんな手紙ぐらいじゃ」と有本を突き放し、先遣隊が相手側に何も伝えていない状況にあることを示唆した。有本がこれに抗議しても、話には耳を貸さず、さかんに他の話題に話をすりかえた。事実上、有本の訴えと石岡の手紙は石井一の手によって握りつぶされたに等しかった。

1991年には全国日朝友好促進議員連盟訪朝団の総団長として北朝鮮を訪問したが、北朝鮮からの石岡の手紙についてはこれを抹殺した。金丸訪朝団を皮切りに与野党を問わず、石井を含めて多数の国会議員、地方議員が先を争うように平壌を訪れたが、拉致の言及は一度もなかったという。

竹下派分裂に際しては羽田孜・小沢一郎側に与し、羽田派に所属した。1993年、宮澤内閣不信任案が提出されると、羽田派の一員として内閣不信任に同調し、自民党を離党、新生党に参加する。細川内閣が成立すると、石井は衆議院政治改革特別委員長に就任した。1994年4月、羽田内閣が成立すると、自治大臣兼国家公安委員会委員長に就任し、また、国務大臣として「政治改革を推進するため行政各部の所管する事務の調整」も担当した。

同年、新進党に参加するが、最後は小沢一郎への批判を強め、1998年の新進党解党直後は鹿野道彦を代表とする国民の声に参加した。その後、民政党を経て民主党に参加、党国会対策委員長に就任する。

1999年、民主党筆頭副代表に就任。民主党と自由党の合併が懸案となると、民主党内保守系の幹部として推進派となる。2002年、野党結集準備委員会委員長となり、民由合併を推進した。

2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙で落選。2007年7月の第21回参議院議員通常選挙で比例区から立候補し当選した。2007年8月、党副代表に就任。

2007年には参議院予算委員会で、公明党と創価学会が表裏一体であることを指摘し、国政選挙で公明党議員が当選した場合、衆参それぞれ300万円、600万円の献金がなされるが、その献金がどこへ入ったかは不明になっているという公明党議員のP献金なる創価学会への献金について言及した。

2009年1月20日の予算委員会での質問において首相の麻生太郎に対し、麻生自身が書いた『文藝春秋』掲載の手記に出てくる難解な漢字(それまで麻生が簡単なものも含めて、漢字の読み間違いが多かった)を「テスト」形式(「窶(やつ)し」「畢竟」など)のフリップで出し、本当に麻生自身が書いた手記なのかの回答を迫った。迫られた麻生は「書かせていただいた。皆さんが読みにくいのは『身を窶し』ぐらいじゃないか」と言い返し、石井は「じゃあ、なぜ『みぞうゆう』なんて言うんだ。率直に認めないとまた支持率下がるよ」と皮肉を述べた。なお、この漢字テストに対して「経済危機(リーマン・ショックと派遣切り等)で政治対策を行わなければならない時期に無駄な事をやって税金を無駄にするな」と国民から批判が殺到、また民主党内の一部議員からもイメージダウンになると苦言を呈された。

2010年3月4日、厚生労働省局長らが不正関与に絡んだ障害者郵便制度悪用事件において、元厚生労働省局長の村木厚子が虚偽有印公文書作成などの罪に問われた裁判では、自称障害者団体「凛(りん)の会」から依頼を受けた石井が村木に口添えするように行ったと大阪地検が指摘、法廷において「凛の会」に依頼され石井が口添えを記した倉沢の手帳を大阪地裁は証拠採用した。一方、石井は弁護側証人として出廷し、午前中公判では「凛の会」が石井に口添えを依頼した日の2004年2月25日は「千葉県のゴルフ場に行っており不在だった」と証言したが、検察側は午後に入り「一緒に行ったという議員はその日、国会の委員会に出席していた記録がある」と指摘した。これに対し石井は「国会のルーズなシステムで、会議に出席しなくても委員であれば出席したことにされ記録が残る」と説明。「ゴルフに行ったのは間違いない」と反論した。弁護側によると、ゴルフ場の来場記録には石井とこの議員の名前があったといい、裁判官はこれを証拠採用した。更に石井は「この裁判は検察の倫理、検察の存在(意義)を問うている。検察は善であり公正無私であるとの面目を果たしていただきたい」と述べ、検察が自発的に何らかの責任を取るよう求めた(この法廷証言は事件を基にしたドラマ『私は屈しない〜特捜検察と戦った女性官僚と家族の465日』で忠実に再現された)。出廷後の記者会見で「事件には無関係」と主張。 この事件の真実は検察側の捏造であり、石井議員と村木局長は全くの濡れ衣であった。

2010年6月7日、菅直人新執行部で再び党副代表に就任。

2011年4月14日、「東日本大震災復興予算捻出のためのODA削減案に反対する超党派連合」のメンバーとして名を連ねる。

2011年5月5日、日本・フィリピン友好議員連盟会長としてフィリピン訪問中、2人の民主党議員(生方幸夫と那谷屋正義)と共に、セント・エレナゴルフクラブで、「被災者の方から見れば『何だ』という気持ちになるでしょうね」と意識しながらも「国外であれば目につかないと思った」として、東日本大震災後初のゴルフを満喫した。向けられた報道のテレビカメラに向かって手で遮りながら「映すなお前!」、「あんまり調子に乗って書くなよ」、「調子に乗って書くなよ、どうのこうのとマニラでゴルフしとるとか」と明言している姿もテレビ放映された。同年5月9日、「非常に不適切なものだという認識はしていないが、よくよく考えたら、もう少し自制をしてもよかったかなというふうな気持ちはありますけれども」と表明しつつも、「一度だけ」と釈明していたが、実は複数日に渡ってゴルフを行っていたことが発覚し、兼務していた民主党東北地方太平洋沖地震対策本部副本部長の辞表を提出し、受理された。

2012年にも、同様にフィリピンを訪問した。当初の届け出では5月3日 - 6日(4日間)の訪問予定であったが、実際には4月27日 - 5月7日(11日間)の訪問であった。参議院規則では、国会会期中に7日間を超えて海外へ渡航する場合には本会議の議決が必要だが、無断で訪問日程を変更した。同年5月10日、この責任を取る形で、参議院議長の平田健二に参議院予算委員長の辞表を提出した。

2012年7月、離党した山岡賢次の後任として民主党副代表に就任。

2012年10月、参議院予算委員長に復帰。

2013年7月21日、第23回参議院議員通常選挙で落選。

2014年4月 旭日大綬章受章。

2022年6月4日、東京都内で倒れ、急性心不全のため搬送先の病院で死去した。87歳没。政府は死没日付をもって正三位に叙した。

1934年8月17日 兵庫県神戸市須磨区 千守町で誕生。

1941年4月 神戸市立西須磨小学校に入学。

1950年3月 甲南中学校を卒業

1953年3月 甲南高等学校を卒業

1957年3月 甲南大学経済学部を卒業

1957年9月 米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院政治学部に入学。

1958年9月 スタンフォード大学大学院政治学部に入学。

1960年12月 スタンフォード大学において、政治学の修士号を得て帰国。

1961年4月 財団法人日本生産性本部に就職。

1967年第31回衆議院議員総選挙に出馬するも落選。

1969年第32回衆議院議員総選挙にて初当選。

1976年12月 運輸政務次官に就任。

1981年12月 衆議院内閣委員長に就任。

1983年12月 第37回衆議院議員総選挙にて落選。

1986年7月 第38回衆議院議員総選挙にて返り咲き当選(六回目)。

1989年8月 国土庁長官として初入閣。

1991年1月 衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長に就任。

1993年6月 自民党を離党し、新生党を結成。

1993年8月 衆議院政治改革特別委員長に就任。

1994年4月 自治大臣・国家公安委員会委員長として再入閣。

1995年1月 衆議院決算委員長に就任。

1998年1月 新・民主党の結成に参画。国会対策委員長に就任。

1999年1月 民主党筆頭副代表に就任。

2000年10月 野党結集準備委員会委員長に就任。

2005年9月 第44回衆議院議員総選挙で落選。

2007年7月 第21回参議院議員通常選挙に比例区で当選。

2009年9月 民主党選挙対策委員長に就任。

2010年6月 民主党副代表に再び就任。

2011年9月 参議院予算委員長に就任。

2012年6月 参議院予算委員長を辞任。

2012年7月 民主党副代表に就任。

2012年10月 参議院予算委員長に復帰。

2013年7月 第23回参議院議員通常選挙で落選。

2014年4月 旭日大綬章受章。

2022年6月 死去。

よど号ハイジャック事件から数年後、訪朝を終えて帰国した石井は当時警察庁警備局外事課長であった佐々淳行に面会を求め、平壌でハイジャック犯たちと会ってきたとして「彼らは望郷の念にかられておる。日本の警察が、もう彼らを逮捕しないと約束をすれば、帰ってきてもいいと言っている。一生を棒に振らせるのはかわいそうじゃないか。事件の捜査担当官は警察庁外事課長だと聞いてやってきた。君が『逮捕しない』と約束するなら、私が連れかえってくる」と述べた。佐々が拒否すると、石井は「血も涙もない警察官僚め!」と激怒して退出した。

2007年10月16日の第168回国会参議院予算委員会で、公明党と創価学会の関係について質問した。

石井は2007年の6月15日に公明党所属の参議院議員、福本潤一が参議院における記者会見で「公明党は参議院議員は当選したら600万円、衆議院議員は300万円を党本部に上納した」と発言したことに言及し、総務大臣、増田寛也にこの問題について尋ねた。すると数名の議員が委員長席に集まり速記が止められ、再開後も政府の誰も答弁に立たなかった。また、石井は公明党議員は創価学会の名誉会長、池田大作が外国から200個の称号をもらったということで、国会議員一人当たり30万円ずつ徴収される『P献金』というものがあることを指摘。Pはプレジデントの略で池田名誉会長のことを指しているとした。政治家が拠出している金という点で、公職選挙法や政治資金規正法に違反するものかを解明をしなければいけないとした。

この『P献金』について質問された公明党の冬柴鐵三国土交通大臣(当時)は「P献金が何物か知りませんけど、私はそういうことはいたしておりません」と否認した。しかし冬柴国土交通大臣は、議員歳費の2か月分を公認料として党に出したことは認めた。石井は公認料というのは、通常は党からもらうものであることを指摘、そのようなお金がどこへどう処理されたかを追及すべきとした。冬柴は石井に対し、もし自分がP献金をしなかったということが判明した場合は議員辞職する考えがあるかを石井に尋ねた。

石井は予算委員会の質問中に「私はきついことを言うておるようですが、国民の方々はたくさん聞いておられますよ。必ず今日は反響も来ますよ」と語っていたが、後日、動画配信サイト超人大陸において石井は「電話も、ファックスも、インターネットを通してのメールも、Yahoo!にしても、ニコニコ画像にしても、こんなに反響があるのか。若い人からの声もありました」と語っている。

2008年10月5日に放送された報道番組「サンデースクランブル」(テレビ朝日系列)において、司会者から総選挙後の公明党との連携を問われた際に、「(可能性は)一切ない、(公明党は)ばい菌みたいなものだ。公明党から4票もらったら、浮動票が6票逃げていく」と発言した。この発言に関しての公明党代表の太田昭宏は「公党の副代表が公党に対してこのような不見識極まる言葉を使うとはとんでもない話だ。即刻、撤回と謝罪を求めたい」と抗議した。

2009年3月4日、都内で開かれた民主党衆院議員の政治資金パーティーにおいて、「今、政治資金の問題が出ているが、個人献金は自由だ」と個人献金の重要性を参加者に説いた際に、「1票くらい、聖徳太子1枚くらい出せば十分取れる」といった発言を行った、と産経新聞に報道された。

2010年1月29日に長崎県知事選のために開かれた総決起集会にて「(民主党を選ばないという)そういう選択をされるのであれば、民主党政権は長崎に対し“それなりの姿勢”を示すだろうと私は思います」と発言。結果として与党3党(民主党・社会民主党・国民新党)推薦の橋本剛候補は大差で敗れ、野党(自民党)推薦の中村法道候補が当選した。2010年3月2日の衆議院予算委員会で自民党加藤紘一衆議院議員がこの発言を取り上げ「2010年2月25日付長崎新聞論説にまぎれもない恫喝発言であり、われわれは断じてこれを許さない、と書かれている」と紹介し鳩山由紀夫総理に見解を求めたところ、鳩山総理は「地域は地域の発想にまかせる地域主権を訴えており、それが現政権で理解されていない部分があれば反省する必要がある」と述べた。

2010年2月22日に東京都内で行われた川上義博参院議員(鳥取県選挙区)のパーティーで講演し、「少し語弊があるかもしれないが、鳥取県や島根県は人が住んでいるのか、牛が多いのか、山やら何かあるが、人口が少ない所で、日本のチベットみたいなものだ」と発言した。この発言に対し、パーティー会場からも言いすぎだとの一部批判があったほか、後日、鳥取県では自民党鳥取県連や鳥取県市長会が抗議文を出し、鳥取県が選挙区の石破茂自民党政調会長は「両県とチベットにとって極めて侮辱的だ。思い上がった発言で、謝罪のうえ、撤回すべきだ」「日本海側の人間はかつて裏日本と言われ悔しい思いをしてきた訳で、地域の人を見下す対応をする人が選挙を仕切っているのが民主党のやり方だ」と批判。また、東国原英夫宮崎県知事(当時)もTwitterで「地方主導はどうなったのか?」と石井の発言を非難し、溝口善兵衛島根県知事と平井伸治鳥取県知事両名が石井の発言を非難、さらには民主党内の福間裕隆鳥取県連幹事長からも抗議を受けた。これらの批判について、「鳥取のカニも好きだし風光明媚(めいび)でもある。だいたい人がよい。同じようにチベットもそうらしい」と発言し、「いつの間にチベットはそれほど差別される国になったのか。釈明したりおわびをすることは何もない」と釈明も謝罪も拒否するとともに、チベットが独立国であるという見解を表明した。

2011年2月6日、民主党候補の敗退が確定した夜の会見で、当選した大村秀章が自民党に離党届けを出したことを揶揄して「自民党の脱北者だ」と述べた。

2014年8月29日、神戸市で開催された旭日大綬章受章記念パーティーにおいて北朝鮮による拉致問題に触れ「日本政府はいまだに横田めぐみさんらを返せと騒いでいるが、もうとっくに亡くなっている」「私は北朝鮮に精通している。それなのにまだ(交渉を)やっとるのは非常に違和感がある」と発言した。翌日の産経新聞社からの取材に対しても、「拉致被害者の家族が『生きて帰ってきてほしい』と思うのは当然だし、帰ってくれば、それ以上にうれしいことはない」と述べると同時に、「金正日総書記が小泉純一郎首相に伝えた拉致被害者の『死亡』という事実は大きい。いったん受け入れたものを、ひっくり返せるのか。被害者家族を思えば痛ましいことだが、それはほとんど不可能に近い。国際社会としては決着がついている話だ」とこれまでと同じ主張を繰り返した上で、「かわいそうだから返せ、と騒ぐこと自体がマイナスなことではないか」と述べ、発言を撤回する考えはないとした。翌9月上旬に北朝鮮からの再調査結果が伝えられることになっている時期でのこの発言に対し、拉致被害者家族からは「よくあんなことを考える人がいるなと思います」、「向こう(北朝鮮)と交渉している今は一番大切な時期なのに」など怒りの声が挙げられた。

自身はかつて羽田孜や小沢一郎らと共に小選挙区制度導入といった政治改革実現のために自民党を離脱し新生党を立ち上げ、小選挙区比例代表並立制の導入推進をした。しかし、第49回衆議院議員総選挙直前の2021年10月23日の神戸新聞のインタビュー内において、安倍政権が長く続いた理由に対し、「選挙制度が要因や。俺も自民党の選挙制度部会長なんかで制度づくりの中心を担ったから戦犯やな」「選挙制度というものが、いかに民主主義を劣化させるかという象徴的なことになってしまった。俺の責任は大きい。中選挙区は派閥の横行と金の使い方が問題やったけど、議員の玉が良かった。政治に活力があふれ、ダイナミックだった。小選挙区は議員が標準化、平準化され小粒になった。政治の醍醐味はなくなった」と語り、現在はかつての国会議員と比べて質が低下し、その責任は自身にもあるとしている。

実弟は元参議院議員の石井一二。一二も崇教真光の信者である。

20歳の頃から1日25本程度のたばこを吸い続けるヘビースモーカーである。禁煙を掲げるレストランを利用した際には、帰り際に「食事はいいけど、もう来ない」と伝え、二度と足を運ばないほど徹底している。石井が自宅で喫煙をすると妻が窓を開けるため、そのことが原因で度々喧嘩をしている。

崇教真光の神組み手(信徒)である。1992年の秋季大祭に出席し、祝辞の中で「我々神組み手として、教え主様のその尊いお姿、ご努力、神に対するご姿勢に対しまして心から敬意と感謝を表する次第でございます。」「我々は新しい時代に向かって新たな決意のもとに、神組み手としての自信と誇りをもって、それぞれの分野で懸命に努力を続けてまいりたいと思います。」と篤い信仰心を披瀝している。

2008年10月19日、石井が代表を務めていた民主党支部が2003年10月に、「流通ビジネス推進政治連盟」と関連企業より450万円の献金があった。

2010年6月2日、鳩山の首相辞任表明当日、両院議員総会に向かう途中で総理とエレベーターが一緒になり、「あなたの頭のなかにある原稿内容を180度転換して話しなさいよ」と呼びかけるなど、最後まで慰留した議員の一人である。その後のインタビューで「そのとき鳩山総理は堅い顔をしながらニコっと笑い、私に握手をしてきた。その握る手の強さを感じ、もうここまできたら総理の考えは改められないと思った」と語っている。

タイ王国元首相のタクシン・シナワットと親交がある。政争に敗れて実質的に海外亡命中のタクシンが2011年に来日しようとした際、タイでの実刑判決を理由に日本政府は拒否しようとしたが、石井が身元保証人になって入国できた。2018年3月に開かれた石井の著書『グリーンの上の政治家たち』(産経新聞出版)出版記念会にも、タクシンと妹のインラック・シナワット(タイ元首相)が出席した。

2018年3月23日の『金曜プレミアム・政治の面白いトコロ集めました。加藤浩次vs政治家』(フジテレビ)において忍成修吾によって演じられた。

辻恵とは「親友」であると話す。2021年の衆議院選挙では辻の所属するれいわ新選組の街頭演説に参加した。山本太郎については、「かなりええ…かなりええ政治家や!」「2枚目の投票用紙は「れいわ」と書いてやってくれ!」と激励した。 

朝鮮半島問題研究会(顧問)

民主党娯楽産業健全育成研究会(名誉会長)

民主党新時代娯楽産業健全育成プロジェクトチーム(顧問)

人権政策推進議員連盟(顧問)

地下式原子力発電所政策推進議員連盟(顧問)

国際観光産業振興議員連盟

パチンコチェーンストア協会(政治分野アドバイザー)

司法のあり方を検証・提言する議員連盟

『ダッカハイジャック事件 日本赤軍との闘い』講談社、1978年5月2日。NDLJP:12066971。 

近づいてきた遠い国 金丸訪朝団の証言 日本生産性本部、1991年

民主党政権前夜 民主党幹部が語る今後の政界展望 自由国民社、1999年

政権交代 あなたの政治参加が日本を救う 自由国民社、2002年。石井登志郎共著(代筆)

日本再生副首都プロジェクト 自由国民社、2005年。同上

冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相 産経新聞出版、2016年。同・文庫、2020年

グリーンの上の政治家たち 産経新聞出版、2018年

つくられた最長政権、産経新聞出版、2019年

^ 金丸訪朝団副団長の田邊誠(社会党副委員長)は後年、「田邊も金丸信も拉致に関しては全く知らなかった。家族からの陳情も私には届いていなかった」(2002年9月22日付読売新聞)と語っている。阿部雅美は、これは事実であっただろうと述べている。

^ 1988年(昭和63年)3月26日、参議院予算委員会で竹下登内閣の梶山静六国家公安委員長が日本共産党議員の質問に対して、富山県アベック拉致未遂事件をふくむ一連のアベック失踪事件が「北朝鮮による拉致による疑いが濃厚」「人権侵害、主権侵害の国家犯罪であることが充分濃厚」であり、「警察庁がそういう観点から捜査を行っている」ことを明確に述べている。また、原敕晁と久米裕に関しては、拉致「疑惑」ではなく既に「事実」となっていた。

^ 7日間以下の訪問であれば、議長の了承のみで済む。

^ 発言のまま。石井が参議院予算委員会で質問する動画が「ニコニコ動画」に投稿され、動画ランキングでトップ10入りし、その画像をもとにしたMADムービーが投稿されるなどした一連の事象を指していると思われる。2007年12月下旬、ニコニコ動画の石井一関連の投稿動画の一部が削除され、「権利者の申し立てにより削除されました」とのメッセージが表示される状態になっている。

^ 『家族』(2003)pp.192-195

^ 救う会レポート (2010年4月25日). “17.有本嘉代子”. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会. 2021年11月19日閲覧。

^ 阿部(2018)pp.130-132

^ 阿部(2018)pp.119-122

^ 第129回国会 参議院 決算委員会 第3号

^ 麻生首相「みぞう」、どよめく委員会 漢字テスト12問(アサヒコム)

^ “民主・石井氏らに批判殺到 首相への「漢字テスト」”. 産経新聞. (2009年1月21日). https://web.archive.org/web/20090122174350/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090121/stt0901212304012-n1.htm 2013年5月27日閲覧。 

^ “郵便不正公判 石井一議員の手帳を証拠採用”. 読売新聞. (2009年3月5日). https://web.archive.org/web/20100309103738/http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20100305-OYO1T00576.htm? 2013年5月27日閲覧。 

^ “石井一氏「捜査に政治的意図か」 厚労省の文書偽造事件”. 共同通信社. (2010年3月4日). https://web.archive.org/web/20100306062554/http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010030401000828.html 2013年5月27日閲覧。 

^ “江川さんによる3月4日村木厚子氏公判の傍聴メモ(石井一氏承認の件)”. 江川紹子Twitter. (2010年3月4日). http://togetter.com/li/8107 2010年3月27日閲覧。 

^ “石井一議員、郵便不正で口添えを否定 証明書巡り証人出廷”. 日本経済新聞. (2010年3月4日). https://web.archive.org/web/20100309150852/http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20100304ATDG0402504032010.html 2013年5月27日閲覧。 

^ “口添え全くないと民主・石井氏 厚労省の文書偽造事件”. 共同通信社. (2010年3月4日). https://web.archive.org/web/20100307143448/http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010030401000317.html 2013年5月27日閲覧。 

^ 超党派議員がODA削減反対で一致 政府に申し入れへ

^ 平成23年4月14日第一次補正予算におけるODA削減に関する勉強会

^ 石井民主副代表らマニラでゴルフ 「目につかないと思った」 2011年5月6日 MSNサンケイニュース

^ 民主・石井選対委員長ゴルフ問題 兼務していた地震対策本部の副本部長を辞任2011年5月9日 FNN

^ “石井参院予算委員長、辞任へ=外遊日程を無断変更”. 時事ドットコム. (2012年5月10日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201205/2012051000789 2012年5月11日閲覧。 

^ “参院選2013比例区開票速報(改選数48)”. 朝日新聞. 2013年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月5日閲覧。

^ “春の叙勲4104人 旭日大綬章に葛西氏ら”. 日本経済新聞 (2014年4月29日). 2023年2月4日閲覧。

^ 石井一・元自治相が死去 87歳 元民主党副代表、政権交代に貢献 - 神戸新聞NEXT 2022年6月6日

^ 石井一氏死去、87歳 自治相など歴任 - 時事ドットコム 2022年6月6日

^ 故石井一氏に正三位 - 時事ドットコム 2022年6月28日

^ “首都直下地震と首都機能をめぐる課題”. 調査と情報-Issue Brief-第725号. (2011年10月4日). http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/issue/pdf/0725.pdf 2017年12月28日閲覧。 

^ “副首都建設が日本を救う!緊急出版”. 参議院石井一BLOG. (2011年9月7日). http://ishiihajime.blog95.fc2.com/blog-entry-79.html 2017年12月28日閲覧。 

^ 第136回国会 法務委員会請願2256号

^ 佐々淳行『私を通り過ぎた政治家達』文藝春秋、2014年、85頁。 

^ 第168回国会 参議院 予算委員会 第2号 参議院、2007年10月16日(議事録)、参議院インターネット審議中継での動画(WMP)(RealPlyer)

^ 民主・石井氏 公明党と創価学会の関係追及<10/16 17:06>(日テレNEWS24)

^ 公明に“上納金”存在せず(『公明新聞』 2007年10月17日)

^ 民主・石井氏の「献金」指摘、公明幹事長「曲解」と反論(『読売新聞』 2007年10月17日19時57分閲覧)

^ カルショックインタビュー「参議院議員石井一 「公明党と創価学会の問題」」(超人大陸)。

^ “民主:「公明はばい菌みたいなもの」石井副代表”. 毎日新聞. (2008年10月5日). https://web.archive.org/web/20081008035218/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081006k0000m010072000c.html 2013年5月27日閲覧。 

^ “「ばい菌みたい」、民公連立を否定 民主・石井副代表”. 朝日新聞. (2008年10月6日). https://web.archive.org/web/20081008062356/http://www.asahi.com/politics/update/1006/TKY200810050197.html 2013年5月27日閲覧。 

^ “「1票くらい聖徳太子で」 民主・石井氏が脱線発言”. 産経新聞. (2009年3月4日). https://web.archive.org/web/20090305215126/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090304/stt0903042222024-n1.htm 2013年5月27日閲覧。 

^ “長崎知事選で利益誘導 民主党よ「おまえもか」”. ジェイ・キャスト. (2010年2月23日). https://www.j-cast.com/2010/02/23060808.html 2010年2月24日閲覧。 

^ “論説 石井一議員の選挙演説 有権者への恫喝は許さない”. 長崎新聞. (2010年2月25日). http://www.nagasaki-np.co.jp/press/ronsetu/10/012.shtml 2010年3月9日閲覧。 

^ “石井一氏の“利益誘導”発言に首相「反省する」”. 産経新聞. (2010年3月2日). https://web.archive.org/web/20100308004518/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100302/plc1003021134009-n1.htm 2010年3月9日閲覧。 

^ “「鳥取や島根は日本のチベット」 発言に抗議相次ぐ”. 日本海新聞. (2010年2月24日). http://www.nnn.co.jp/news/100224/20100224054.html 2010年3月1日閲覧。 

^ “「断じて容認しがたい」 民主・石井氏「鳥取はチベット」発言で自民・石破氏”. 産経新聞. (2010年2月24日). https://web.archive.org/web/20100225231637/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100224/stt1002241158002-n1.htm 2010年3月1日閲覧。 

^ “東国原知事が激怒!民主・石井氏の「鳥取と島根は日本のチベット」発言”. サーチナ. (2010年2月23日). https://web.archive.org/web/20120118054050/http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0223&f=national_0223_033.shtml 2010年3月1日閲覧。 

^ “チベット発言に島根知事憤り”. 中国新聞. (2010年3月2日). http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201003020005.html 2010年3月2日閲覧。 

^ “鳥取・平井知事、チベット発言批判 「速やかに撤回を」”. 読売新聞. (2010年2月25日). オリジナルの2010年3月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100304055254/osaka.yomiuri.co.jp/news/20100225-OYO1T00459.htm 2010年3月2日閲覧。 

^ “石井議員のチベット発言 民主県連幹事長が抗議”. 読売新聞. (2010年2月25日). オリジナルの2010年3月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100304055525/www.yomiuri.co.jp/e-japan/tottori/news/20100225-OYT8T01183.htm 2010年3月2日閲覧。 

^ “石井一参院議員:「チベット」発言弁明”. 毎日新聞. (2010年2月25日). オリジナルの2013年5月1日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/iM2RQ 2010年3月1日閲覧。 

^ 「大村氏は脱北者」=民主・石井氏

^ 「めぐみさんとっくに亡くなっている」民主・石井一氏が発言

^ めぐみさんめぐる発言…民主・石井一氏(売国奴)、改めて「帰国あり得ない」

^ https://web.archive.org/web/20140831044556/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140831-00000088-san-soci

^ “「自民は祝儀で下駄、バカでも勝つ選挙区多い」“政界のオヤジ”石井一氏、衆院選語る”. 神戸新聞NEXT. (2021年10月23日). https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/omoshiro/202110/0014785120.shtml 2022年3月20日閲覧。 

^ 民主党の石井一「もう来ない」禁煙料理店で“逆ギレ”(ウェイバックマシン、2009年2月13日) - http://www.zakzak.co.jp/top/200902/t2009021228_all.html

^ 崇教真光機関誌「真光」1992年12月号

^ 石井・民主副代表、マルチ業界側から献金450万円asahi.com 2008年10月19日(2008年10月19日時点のアーカイブ)

^ 来日のタクシン元タイ首相「日タイのため何でもしたい」石井一元自治相と会食『産経新聞』朝刊2018年4月1日(2018年4月14日閲覧)。

^ 【山本太郎、怒られる】大先輩からの教育的指導 2021/10/30(YouTube)

阿部雅美『メディアは死んでいた - 検証 北朝鮮拉致報道』産経新聞出版、2018年5月。ISBN 4-7505-9703-1。 

家族">北朝鮮による拉致被害者家族連絡会 著、米澤仁次・近江裕嗣 編『家族』光文社、2003年7月。ISBN 4-334-90110-7。 

民主党の閣僚経験者一覧

経世会

石井一二

生方幸夫

健全なネットワークビジネスを育てる議員連盟

松本龍

立憲民主党 兵庫県総支部連合会

櫻内辰郎

黒川武雄

山田佐一

波多野鼎

和田博雄

岩沢忠恭

青木一男

小林英三

館哲二

西郷吉之助

苫米地義三

泉山三六

井野碩哉

木暮武太夫

小林英三

堀木鎌三

館哲二

小山邦太郎

湯沢三千男

木内四郎

太田正孝

寺尾豊

平島敏夫

石原幹市郎

新谷寅三郎

西郷吉之助

塩見俊二

堀本宜実

古池信三

徳永正利

大竹平八郎

鹿島俊雄

大谷藤之助

八木一郎

小川半次

鍋島直紹

町村金五

山内一郎

木村睦男

植木光教

土屋義彦

西村尚治

長田裕二

安田隆明

檜垣徳太郎

原文兵衛

初村滝一郎

林田悠紀夫

平井卓志

中村太郎

遠藤要

井上吉夫

坂野重信

井上裕

大河原太一郎

岩崎純三

倉田寛之

竹山裕

岡野裕

倉田寛之

岡野裕

真鍋賢二

陣内孝雄

片山虎之助

中曽根弘文

小野清子

尾辻秀久

鴻池祥肇

溝手顕正

大石正光

簗瀬進

平野達男

前田武志

石井一

柳田稔

石井一

山崎力

岸宏一

石井準一

山本一太

金子原二郎

山本順三

末松信介

桜井充

新設

粕谷茂

原田昇左右

中村正三郎

衛藤征士郎

持永和見

渡海紀三朗

山口俊一

佐々木秀典

石井一

細川律夫

筒井信隆

仙谷由人

枝野幸男

川端達夫

今村雅弘

大村秀章

河野太郎(代理)

新藤義孝

後藤田正純

谷畑孝

松浪健太

石関貴史

松木謙公

玄葉光一郎

荒井聰

海江田万里

生方幸夫

馬淵澄夫

原口一博

江田憲司

小川淳也

鈴木義弘

創設

斎藤珪次

谷河尚忠

田村順之助

園山勇

田村順之助

古谷新作

安川繁成

石黒涵一郎

滝口帰一

鈴置倉次郎

元田肇

首藤陸三

栗塚省吾

谷沢竜蔵

佐々木正蔵

小川平吉

板倉中

福岡精一

上埜安太郎

斎藤珪次

粕谷義三

板倉中

田中隆三

大津淳一郎

小河源一

鹿島秀麿

加藤彰廉

石黒涵一郎

富島暢夫

武市彰一

秋田清

小田切磐太郎

木下謙次郎

井上敬之助

宮古啓三郎

山口熊野

加藤重三郎

小橋藻三衛

湯浅凡平

河上哲太

磯部尚

井上利八

湯浅凡平

匹田鋭吉

伊坂秀五郎

佐々木平次郎

小山谷蔵

津原武

岡崎久次郎

川口義久

樋口典常

田口文次

山崎猛

丹下茂十郎

池田敬八

村上紋四郎

門田新松

立川太郎

胎中楠右衛門

宮澤裕

菊池良一

西方利馬

小林絹治

土屋清三郎

青木精一

西村茂生

斎藤直橘

手代木隆吉

高橋寿太郎

上田孝吉

小林絹治

川崎末五郎

三浦虎雄

一松定吉

加藤知正

菅又薫

逢沢寛

菅又薫

竹山祐太郎

松原一彦

松浦東介

本間俊一

菅家喜六

中垣國男

田中彰治

庄司一郎

上林與市郎

青野武一

坂本泰良

田中彰治

鈴木正吾

今井耕

荒舩清十郎

鈴木仙八

津雲國利

白浜仁吉

堀川恭平

吉川久衛

鍛冶良作

大石武一

中川俊思

浜野清吾

福田繁芳

笹山茂太郎

宇都宮徳馬

臼井荘一

井原岸高

村山達雄

芳賀貢

楯兼次郎

加藤清二

高田富之

國場幸昌

永田亮一

古屋亨

横山利秋

安井吉典

角屋堅次郎

堀之内久男

野中英二

宮下創平

中村靖

渡辺栄一

渡辺省一

草野威

貝沼次郎

稲垣実男

虎島和夫

石井一

中島衛

草川昭三

冬柴鐵三

廃止

工藤鐵男

小川原政信

齋藤隆夫

小川原政信 (代理)

鈴木明良

木村公平

八木一郎

船田中

稻村順三

猪俣浩三

宮沢胤勇

山本粂吉

相川勝六

福永健司

内海安吉

福田一

池田正之輔

久野忠治

中島茂喜

永山忠則

富田健治

綱島正興

徳安実蔵

伊能繁次郎(代理)

河本敏夫

木村武雄

関谷勝利

三池信

藤田義光

天野公義

伊能繁次郎

前田正男

三原朝雄

徳安実蔵

藤尾正行

坂村吉正

渡辺美智雄

正示啓次郎

始関伊平

藏内修治

木野晴夫

江藤隆美

石井一

橋口隆

片岡清一

中島源太郎

志賀節

石川要三

竹中修一

玉生孝久

吹田愰

岸田文武

近岡理一郎

桜井新

牧野隆守

左藤恵

田中恒利

大木正吾

伊藤忠治

谷津義男

二田孝治

植竹繁雄

佐藤静雄

横路孝弘

大畠章宏

佐々木秀典

山本公一

松下忠洋

佐藤剛男

河本三郎

中野清

渡辺具能

田中慶秋

荒井聰

古川元久

平井卓也

柴山昌彦

井上信治

西村康稔

秋元司

山際大志郎

牧原秀樹

松本文明

木原誠二

上野賢一郎

大西英男

星野剛士

水田三喜男

小沢佐重喜

大村清一

森三樹二

久保田鶴松

島上善五郎

加藤鐐五郎

小沢佐重喜

青木正

石坂繁

南好雄

早稲田柳右エ門

高橋英吉

鹿野彦吉

竹山祐太郎

加藤常太郎

辻寛一

小泉純也

中村庸一郎

志賀健次郎

小沢佐重喜

小泉純也

斎藤邦吉

吉田重延

岡崎英城

永田亮一

田中栄一

福永健司

田中栄一

小沢太郎

粟山ひで

丹羽喬四郎

久野忠治

山口シヅエ

田村良平

久野忠治

中野四郎

中山正暉

中野四郎

三原朝雄

友納武人

森清

中山利生

福島譲二

左藤恵

中山利生

石井一

松永光

関谷勝嗣

簗瀬進

中馬弘毅

葉梨信行

桜井新

松沢兼人

佃良一

永江一夫

首藤新八

松沢兼人

立花敏男

河上丈太郎

中井一夫

首藤新八

河上丈太郎

中井一夫

首藤新八

河上丈太郎

首藤新八

五島虎雄

中井一夫

河上丈太郎

五島虎雄

河上丈太郎

五島虎雄

首藤新八

河上丈太郎

砂田重民

五島虎雄

河上民雄

渡部一郎

砂田重民

永江一夫

渡部一郎

砂田重民

石井一

浦井洋

浦井洋

河上民雄

渡部一郎

石井一

砂田重民

渡部一郎

河上民雄

浦井洋

石井一

渡部一郎

浦井洋

永江一仁

石井一

河上民雄

砂田重民

石井一

河上民雄

渡部一郎

浦井洋

渡部一郎

永江一仁

河上民雄

砂田重民

浦井洋

石井一

渡部一郎

浦井洋

河上民雄

砂田重民

土肥隆一

石井一

砂田重民

渡部一郎

岡崎宏美

赤羽一嘉

石井一

土肥隆一

岡崎宏美

高見裕一

石井一

砂田圭佑

盛山正仁

井戸正枝

盛山正仁

井坂信彦

盛山正仁

井坂信彦

赤羽一嘉

向山好一

赤羽一嘉

土肥隆一

関芳弘

土肥隆一

関芳弘

井上喜一

高橋昭一

藤井比早之

谷洋一

谷公一

梶原康弘

谷公一

小池百合子

市村浩一郎

木挽司

市村浩一郎

大串正樹

市村浩一郎

桜井周

土井たか子

大前繁雄

石井登志郎

山田賢司

冬柴鐵三

田中康夫

中野洋昌

宮本一三

西村康稔

塩田晋

渡海紀三朗

岡田康裕

渡海紀三朗

戸井田徹

松本剛明

戸井田徹

松本剛明

河本三郎

山口壯

河本三郎

山口壯

池坊保子

近江巳記夫

久保哲司

赤松正雄

西博義

山本孝史

佐藤茂樹

吉田治

鍵田節哉

旭道山和泰

田野瀬良太郎

奥山茂彦

砂田圭佑

目片信

谷畑孝

柳本卓治

阪上善秀

原健三郎

野田実†

中山正暉

奥谷通↑

東中光雄

穀田恵二

石井郁子

藤田スミ

辻第一

藤木洋子

家西悟

肥田美代子

井上一成

前原誠司

山元勉

辻元清美

中川智子

高市早苗

柳本卓治

阪上善秀

西野陽

奥谷通↓

林省之介

砂田圭佑

北川知克↑

山井和則

山元勉

鍵田節哉

家西悟

肥田美代子

玉置一弥

中村哲治

池坊保子

西博義

山名靖英

久保哲司↓

赤松正雄

佐藤茂樹↑

穀田恵二

石井郁子

吉井英勝

藤木洋子

大幡基夫

西村眞悟

塩田晋

中塚一宏

中川智子

北川れん子

植田至紀

玉置一弥

石井一

梶原康弘

泉房穂

奥村展三

稲見哲男

樽井良和

室井邦彦

中川治

岸本健

辻恵

柳本卓治

森岡正宏

小池百合子

北川知克

西田猛

中山泰秀

小西理

宇野治

滝実

池坊保子

赤松正雄

西博義

佐藤茂樹

山名靖英

石井郁子

穀田恵二

吉井英勝

土井たか子

近藤三津枝

井脇ノブ子

柳本卓治

宇野治

清水鴻一郎

山本朋広

井沢京子

鍵田忠兵衛↓

松浪健四郎

藤井勇治

矢野隆司

泉原保二↑

西村眞悟

松本剛明

北神圭朗

川端達夫

土肥隆一

山口壯

市村浩一郎

藤村修

奥村展三

池坊保子

赤松正雄

佐藤茂樹

西博義

石井郁子

穀田恵二

吉井英勝

辻元清美

滝実

大西孝典

小原舞

玉置公良

室井秀子

熊谷貞俊

浜本宏

渡辺義彦

河上満栄↓

松岡広隆

豊田潤多郎

樋口俊一

近藤三津枝

柳本卓治

高市早苗

竹本直一

石田真敏

松浪健太

伊吹文明

谷公一

谷畑孝

池坊保子

西博義

佐藤茂樹

竹内譲

赤松正雄

穀田恵二

吉井英勝

宮本岳志

服部良一

東国原英夫↓

西村眞悟

阪口直人

三木圭恵

三宅博

上西小百合

林原由佳

岩永裕貴

新原秀人

杉田水脈

清水鴻一郎↑

門博文

竹本直一

中山泰秀

大塚高司

安藤裕

小林茂樹

原田憲治

竹内譲

浮島とも子

樋口尚也

濱村進

泉健太

三日月大造↓

辻元清美

川端達夫↑

穀田恵二

宮本岳志

井坂信彦

畠中光成

村上史好

長尾敬

大西宏幸

神谷昇

安藤裕

谷川とむ

岡下昌平

門博文

大隈和英

盛山正仁

小沢鋭仁

足立康史

木下智彦

吉村洋文↓

浦野靖人

上西小百合

松浪健太

伊東信久

椎木保↑

竹内譲

浮島とも子

樋口尚也

濱村進

泉健太↓

川端達夫

田島一成

平野博文

北神圭朗↑

穀田恵二

宮本岳志

清水忠史

堀内照文

奥野信亮

神谷昇

佐藤ゆかり

木村弥生

岡下昌平

谷川とむ

門博文

大隈和英

繁本護

森夏枝

井上英孝

谷畑孝↓

足立康史

浦野靖人

美延映夫↑

森山浩行

桜井周

村上史好

尾辻かな子

長尾秀樹

竹内譲

浮島とも子

濱村進

鰐淵洋子

樽床伸二↓

井上一徳

山井和則

馬淵澄夫↑

穀田恵二

宮本岳志↓

清水忠史↑

三木圭恵

和田有一朗

住吉寛紀

掘井健智

堀場幸子

遠藤良太

一谷勇一郎

前川清成↓

池畑浩太朗

赤木正幸

中嶋秀樹↑

奥野信亮

柳本顕

大串正樹

小林茂樹

田中英之

宗清皇一

盛山正仁

谷川とむ

竹内譲

浮島とも子

鰐淵洋子

桜井周

森山浩行

徳永久志

穀田恵二

宮本岳志

斎藤アレックス

大石晃子

林佑美

三木圭恵

徳安淳子

池畑浩太朗

市村浩一郎

和田有一朗

阿部圭史

小寺裕雄

石田真敏

大岡敏孝

大串正樹

小林茂樹

島田智明

森山浩行

橋本慧悟

岡田悟

尾辻かな子

竹内譲

浮島智子

鰐淵洋子

向山好一

平岩征樹

辰巳孝太郎

堀川朗子

大石晃子

八幡愛

北野裕子

島田洋一

徳永正利

林健太郎

梶木又三

岡野裕

竹内潔↓

伊江朝雄

矢野俊比古

増岡康治

吉村真事

海江田鶴造

古賀雷四郎

大浜方栄

石本茂

山岡賢次

安西愛子

扇千景

柳川覚治

堀江正夫

藤井裕久↓

石井道子↑

寺内弘子↑

中村哲

久保田真苗

松前達郎

大森昭

大木正吾

安恒良一

佐藤三吾

穐山篤

安永英雄

伏見康治

多田省吾

中西珠子

高桑栄松

和田教美

刈田貞子

中野明

飯田忠雄

宮本顕治

市川正一

下田京子

橋本敦

吉川春子

関嘉彦

栗林卓司

藤井恒男

柳沢錬造

青木茂

木本平八郎

前島英三郎

田英夫

野坂昭如↓

下村泰↑

松前達郎

久保田真苗

國弘正雄

日下部禧代子

安恒良一

大森昭

佐藤三吾

安永英雄

堂本暁子

谷本巍

穐山篤

清水澄子

北村哲男

菅野壽

肥田美代子

庄司中

村田誠醇

堀利和

翫正敏

三石久江

清水嘉与子

前島英三郎

岡野裕

山岡賢次↓

井上章平

石川弘↓

須藤良太郎

成瀬守重

大浜方栄

尾辻秀久

木暮山人

石井道子

田村秀昭

伊江朝雄

柳川覚治

扇千景↑

増岡康治↑

高桑栄松

中西珠子

和田教美

刈田貞子

中川嘉美

常松克安

市川正一

橋本敦

吉川春子

林紀子

足立良平

寺崎昭久

下村泰

横溝克己↓

星野朋市↑

アントニオ猪木

大森礼子

扇千景

益田洋介

寺崎昭久

加藤修一

田村秀昭

水島裕

海野義孝

足立良平

但馬久美

木暮山人↓

福本潤一

友部達夫↓

今泉昭

渡辺孝男

畑恵

戸田邦司

星野朋市

松崎俊久↑

金石清禅↑

武見敬三

岡野裕

中原爽

成瀬守重

石井道子

尾辻秀久

清水嘉与子

石川弘↓

依田智治

須藤良太郎

釜本邦茂

小山孝雄↓

橋本聖子

海老原義彦

岩井國臣

中島啓雄↑

柳川覚治↑

日下部禧代子

松前達郎

前川忠夫

朝日俊弘

竹村泰子

伊藤基隆

谷本巍

清水澄子

菅野壽

橋本敦

吉川春子

須藤美也子

笠井亮

筆坂秀世

水野誠一↓

堂本暁子↓

黒岩秩子↑

佐藤道夫

舛添要一

高祖憲治↓

大仁田厚

小野清子

岩井國臣

橋本聖子

尾辻秀久

武見敬三

桜井新

段本幸男

魚住汎英

清水嘉与子

福島啓史郎

近藤剛↓

森元恒雄

藤井基之

山東昭子

小泉顕雄

有村治子

中原爽

中島啓雄↑

藤野公孝↑

大橋巨泉↓

藤原正司

池口修次

朝日俊弘

若林秀樹

伊藤基隆

佐藤道夫

神本美恵子

ツルネン・マルテイ↑

山本香苗

木庭健太郎

遠山清彦

草川昭三

渡辺孝男

魚住裕一郎

福本潤一

加藤修一

紙智子

筆坂秀世↓

井上哲士

吉川春子

小林美恵子↑

西岡武夫

田村秀昭

広野允士

大江康弘

田嶋陽子↓

大田昌秀

又市征治

田英夫↑

扇千景

相原久美子

吉川沙織

青木愛↓

石井一

池口修次

ツルネン・マルテイ

神本美恵子

横峯良郎

藤原正司

川合孝典

風間直樹

轟木利治

大島九州男

西岡武夫↓

今野東↓

藤原良信

藤谷光信

室井邦彦↓

大江康弘↓

山本孝史↓

大石尚子↑↓

広野允士↑

はたともこ↑

玉置一弥↑

樽井良和↑

尾辻かな子↑

山村明嗣↑

舛添要一

山田俊男

中山恭子

丸山和也

川口順子

佐藤正久

尾辻秀久

石井みどり

佐藤信秋

義家弘介↓

橋本聖子

山東昭子

衛藤晟一

有村治子

武見敬三↑

山本香苗

木庭健太郎

山本博司

遠山清彦↓

渡辺孝男

加藤修一

魚住裕一郎

草川昭三↑

井上哲士

紙智子

山下芳生

又市征治

山内徳信

田中康夫↓

平山誠↑

自見庄三郎

柘植芳文

山田俊男

佐藤正久

石井みどり

橋本聖子

羽生田俊

佐藤信秋

赤池誠章

山東昭子

衛藤晟一

石田昌宏

有村治子

宮本周司

丸山和也

北村経夫

渡邉美樹

木村義雄

太田房江

山本香苗

平木大作

河野義博

山本博司

若松謙維

魚住裕一郎

新妻秀規

礒﨑哲史

浜野喜史

相原久美子

大島九州男

神本美恵子

吉川沙織

石上俊雄

アントニオ猪木

中山恭子

儀間光男

藤巻健史

中野正志

室井邦彦

小池晃

山下芳生

紙智子

井上哲士

仁比聡平

川田龍平

山口和之

渡辺美知太郎↓x

井上義行↓x

又市征治

三木亨↓

三浦靖

柘植芳文

山田太郎

和田政宗

佐藤正久

佐藤信秋

橋本聖子

山田俊男

有村治子

宮本周司↓

石田昌宏

北村経夫↓

本田顕子

衛藤晟一

羽生田俊

宮崎雅夫

山東昭子

赤池誠章

比嘉奈津美↑

中田宏↑

田中昌史↑

岸真紀子

水岡俊一

小沢雅仁

吉川沙織

森屋隆

川田龍平

石川大我

須藤元気↓

市井紗耶香↑↓

奥村政佳↑

山本香苗↓

山本博司

若松謙維

河野義博

新妻秀規

平木大作

塩田博昭

髙橋次郎↑

鈴木宗男

室井邦彦↓

梅村聡↓

柴田巧

柳ヶ瀬裕文

藤巻健史↑

山口和之↑

小池晃

山下芳生

井上哲士

紙智子

田村麻美

礒﨑哲史

浜野喜史

舩後靖彦

木村英子

吉田忠智↓

大椿裕子↑

立花孝志↓

浜田聡↑

鳩山威一郎

長田裕二

関口恵造

大河原太一郎

下稲葉耕吉

村上正邦

野沢太三

井上孝

梶原清

岡部三郎

板垣正

田沢智治

岡田広

大鷹淑子

山東昭子

斎藤栄三郎

松浦功

宮崎秀樹

久世公堯

田中正巳

永野茂門

宮田輝↓

山口光一↑

福間知之

野田哲

鈴木和美

松本英一

山本正和

及川一夫

山口哲夫

田渕勲二

粕谷照美

広中和歌子

塩出啓典↓

太田淳夫

鶴岡洋

中野鉄造

猪熊重二

及川順郎

針生雄吉↑

立木洋

山中郁子

近藤忠孝

吉岡吉典

諫山博

橋本孝一郎

田渕哲也

勝木健司

秋山肇

平野清

青島幸男↓

今泉隆雄↑↓

山田俊昭↑

宇都宮徳馬

井上孝

下稲葉耕吉

村上正邦

大島慶久

岡部三郎

泉信也

藤江弘一↓

野沢太三

岡利定

大河原太一郎

永野茂門

清水達雄

松浦功

久世公堯

板垣正

南野知惠子

田辺哲夫↓

田沢智治

楢崎泰昌

宮崎秀樹↑

山東昭子↑↓

嶋崎均↑↓

長尾立子↑

藁科満治

大脇雅子

鈴木和美

川橋幸子

山本正和

及川一夫

山口哲夫

渕上貞雄

松本英一↓

志苫裕

萱野茂↑

牛嶋正

続訓弘

大久保直彦

広中和歌子

鶴岡洋

及川順郎

猪熊重二

武田節子

細川護熙↓

小池百合子↓

寺澤芳男

武田邦太郎

小島慶三↑

円より子↑

立木洋

聴濤弘

吉岡吉典

有働正治

直嶋正行

勝木健司

長谷川清

江本孟紀

青島幸男↓

山田俊昭↑

有馬朗人

村上正邦↓

岡利定↓

大島慶久

野沢太三

阿南一成

南野知惠子

佐藤昭郎

日出英輔

加納時男

佐々木知子

脇雅史

森田次夫

久世公堯

清水達雄↑

宮崎秀樹↑

小宮山洋子↓

今井澄↓

円より子

藁科満治

直嶋正行

内藤正光

勝木健司

川橋幸子

長谷川清

高嶋良充

堀利和

江本孟紀↓

信田邦雄↑

中島章夫↑

樋口俊一↑

立木洋↓

市田忠義

岩佐恵美

吉岡吉典

池田幹幸

小池晃

林紀子

小泉親司

大門実紀史↑

鶴岡洋

続訓弘

森本晃司

荒木清寛

風間昶

沢たまき↓

日笠勝之

千葉国男↑

泉信也

入沢肇

平野貞夫

渡辺秀央

月原茂皓

福島瑞穂

渕上貞雄

大脇雅子

山本正和

小林正夫

加藤敏幸

内藤正光

家西悟

柳澤光美

直嶋正行

大石正光

白眞勲

那谷屋正義

藤末健三

喜納昌吉

高嶋良充

津田弥太郎

工藤堅太郎

円より子

下田敦子

松岡徹

前田武志

渡辺秀央

竹中平蔵↓

秋元司

長谷川憲正

脇雅史

西島英利

山谷えり子

中村博彦

泉信也

荻原健司

加納時男

荒井広幸

水落敏栄

佐藤昭郎

南野知惠子

松村祥史

神取忍↑

浜四津敏子

弘友和夫

谷合正明

荒木清寛

風間昶

浮島とも子

浜田昌良

鰐淵洋子

市田忠義

小池晃

仁比聡平

大門実紀史

福島瑞穂

渕上貞雄

有田芳生

谷亮子

直嶋正行

小林正夫

柳澤光美

石橋通宏

難波奨二

津田弥太郎

那谷屋正義

江崎孝

藤末健三

加藤敏幸

前田武志

田城郁

白眞勲

西村正美

片山さつき

佐藤ゆかり↓

山谷えり子

髙階恵美子

三原じゅん子

中村博彦↓

脇雅史

藤井基之

小坂憲次

水落敏栄

宇都隆史

赤石清美

堀内恒夫↑

阿達雅志↑

柴田巧

江口克彦

上野宏史↓

寺田典城

小野次郎

小熊慎司↓

桜内文城↓

真山勇一↑

藤巻幸夫↑↓

山田太郎↑

田中茂↑

秋野公造

長沢広明

横山信一

谷合正明

浜田昌良

荒木清寛

市田忠義

田村智子

大門実紀史

福島瑞穂

吉田忠智

片山虎之助

荒井広幸

徳茂雅之

青山繁晴

片山さつき

中西哲

今井絵理子

足立敏之

山谷えり子

藤木眞也

自見英子

進藤金日子

髙階恵美子↓

山田宏

藤井基之

阿達雅志

宇都隆史

小川克巳

宮島喜文

水落敏栄

園田修光

竹内功↑

小林正夫

濱口誠

矢田稚子

有田芳生

川合孝典

難波奨二

江崎孝

那谷屋正義

石橋通宏

藤末健三↓

白眞勲

田城郁↑

長沢広明↓

秋野公造

横山信一

熊野正士

谷合正明

浜田昌良

宮崎勝

竹内真二↑

市田忠義

田村智子

大門実紀史

岩渕友

武田良介

片山虎之助

渡辺喜美

石井苗子

石井章

福島瑞穂

青木愛

藤井一博

梶原大介

赤松健

長谷川英晴

青山繁晴

片山さつき

足立敏之

自見英子

藤木眞也

山田宏

友納理緒

山谷えり子

井上義行

進藤金日子

今井絵理子

阿達雅志

神谷政幸

越智俊之

石井章

石井苗子

松野明美

中条きよし

猪瀬直樹

金子道仁

串田誠一

青島健太

辻元清美

鬼木誠

古賀千景

柴慎一

村田享子

青木愛

石橋通宏

竹内真二

横山信一

谷合正明

窪田哲也

熊野正士↓

上田勇

宮崎勝↑

田村智子↓

仁比聡平

岩渕友

大門実紀史↑

竹詰仁

濱口誠

川合孝典

天畠大輔

水道橋博士↓

大島九州男↑

神谷宗幣

福島瑞穂

ガーシー▼

齊藤健一郎↑

小沢佐重喜

田村文吉

佐藤栄作

高瀬荘太郎

塚田十一郎

武知勇記

松田竹千代

村上勇

石橋湛山

平井太郎

田中角栄

寺尾豊

植竹春彦

鈴木善幸

小金義照

迫水久常

手島栄

小沢久太郎

古池信三

徳安実蔵

郡祐一

新谷寅三郎

小林武治

河本敏夫

井出一太郎

広瀬正雄

三池信

久野忠治

原田憲

鹿島俊雄

村上勇

福田篤泰

小宮山重四郎

服部安司

白浜仁吉

大西正男

山内一郎

箕輪登

檜垣徳太郎

奥田敬和

左藤恵

佐藤文生

唐沢俊二郎

中山正暉

片岡清一

村岡兼造

大石千八

深谷隆司

関谷勝嗣

渡辺秀央

小泉純一郎

宮澤喜一

神崎武法

日笠勝之

大出俊

井上一成

日野市朗

堀之内久男

自見庄三郎

野田聖子

八代英太

平林鴻三

片山虎之助

竹田儀一

野溝勝

岩本信行

木村小左衛門

木村小左衛門

本多市郎

岡野清豪

岡野清豪

本多市郎

塚田十一郎

西田隆男

川島正次郎

太田正孝

田中伊三次

郡祐一

青木正

愛知揆一

青木正

石原幹市郎

石原幹市郎

山崎巌

周東英雄

安井謙

篠田弘作

早川崇

赤沢正道

吉武恵市

永山忠則

塩見俊二

藤枝泉介

赤沢正道

野田武夫

秋田大助

渡海元三郎

福田一

江﨑真澄

町村金五

福田一

天野公義

小川平二

加藤武徳

渋谷直蔵

後藤田正晴

石破二朗

安孫子藤吉

世耕政隆

山本幸雄

田川誠一

古屋亨

小沢一郎

葉梨信行

梶山静六

坂野重信

渡部恒三

奥田敬和

吹田愰

塩川正十郎

村田敬次郎

佐藤観樹

石井一

野中広務

深谷隆司

倉田寛之

白川勝彦

上杉光弘

西田司

野田毅

保利耕輔

西田司

片山虎之助

後藤田正晴

江﨑真澄

玉置和郎

山下徳夫

高鳥修

金丸三郎

池田行彦

水野清

塩崎潤

佐々木満

岩崎純三

鹿野道彦

石田幸四郎

山口鶴男

江藤隆美

中山正暉

中西績介

武藤嘉文

佐藤孝行

小里貞利

太田誠一

続訓弘

片山虎之助

片山虎之助

麻生太郎

竹中平蔵

菅義偉

増田寛也

鳩山邦夫

佐藤勉

原口一博

片山善博

川端達夫

樽床伸二

新藤義孝

高市早苗

野田聖子

石田真敏

高市早苗

武田良太

金子恭之

寺田稔

松本剛明

鈴木淳司

松本剛明

村上誠一郎

辻二郎

青木均一

小坂善太郎

小原直

大麻唯男

大久保留次郎

正力松太郎

青木正

石原幹市郎

山崎巌

周東英雄

安井謙

篠田弘作

早川崇

赤沢正道

吉武恵市

永山忠則

塩見俊二

藤枝泉介

赤沢正道

荒木万寿夫

中村寅太

木村武雄

江﨑真澄

町村金五

福田一

天野公義

小川平二

加藤武徳

渋谷直蔵

後藤田正晴

石破二朗

安孫子藤吉

世耕政隆

山本幸雄

田川誠一

古屋亨

小沢一郎

葉梨信行

梶山静六

坂野重信

渡部恒三

奥田敬和

吹田愰

塩川正十郎

村田敬次郎

佐藤観樹

石井一

野中広務

深谷隆司

倉田寛之

白川勝彦

上杉光弘

西田司

野田毅

保利耕輔

西田司

伊吹文明

村井仁

谷垣禎一

小野清子

村田吉隆

沓掛哲男

溝手顕正

泉信也

林幹雄

佐藤勉

林幹雄

中井洽

岡崎トミ子

中野寛成

山岡賢次

松原仁

小平忠正

古屋圭司

山谷えり子

河野太郎

松本純

小此木八郎

山本順三

武田良太

小此木八郎

棚橋泰文

二之湯智

谷公一

松村祥史

坂井学

小日山直登

田中武雄

三土忠造

村上義一

平塚常次郎

増田甲子七

苫米地義三

北村徳太郎

岡田勢一

小沢佐重喜

大屋晋三

山崎猛

石井光次郎

三木武夫

吉野信次

宮沢胤勇

中村三之丞

永野護

重宗雄三

楢橋渡

南好雄

木暮武太夫

斎藤昇

綾部健太郎

松浦周太郎

中村寅太

荒舩清十郎

藤枝泉介

大橋武夫

中曽根康弘

原田憲

橋本登美三郎

丹羽喬四郎

佐々木秀世

新谷寅三郎

徳永正利

江藤智

木村睦男

石田博英

田村元

福永健司

森山欽司

地崎宇三郎

塩川正十郎

小坂徳三郎

長谷川峻

細田吉蔵

山下徳夫

三塚博

橋本龍太郎

石原慎太郎

佐藤信二

山村新治郎

江藤隆美

大野明

村岡兼造

奥田敬和

越智伊平

伊藤茂

二見伸明

亀井静香

平沼赳夫

亀井善之

古賀誠

藤井孝男

川崎二郎

二階俊博

森田一

扇千景

木村小左衛門

一松定吉

一松定吉

益谷秀次

増田甲子七

周東英雄

野田卯一

佐藤栄作

戸塚九一郎

小沢佐重喜

竹山祐太郎

馬場元治

南条徳男

根本龍太郎

遠藤三郎

村上勇

橋本登美三郎

中村梅吉

河野一郎

小山長規

瀬戸山三男

橋本登美三郎

西村英一

保利茂

坪川信三

根本龍太郎

西村英一

木村武雄

金丸信

亀岡高夫

小沢辰男

仮谷忠男

竹下登

中馬辰猪

長谷川四郎

櫻内義雄

渡海元三郎

渡辺栄一

斉藤滋与史

始関伊平

内海英男

水野清

木部佳昭

江藤隆美

天野光晴

越智伊平

小此木彦三郎

野田毅

原田昇左右

綿貫民輔

大塚雄司

山崎拓

中村喜四郎

五十嵐広三

森本晃司

野坂浩賢

森喜朗

中尾栄一

亀井静香

瓦力

関谷勝嗣

中山正暉

扇千景

増田甲子七

周東英雄

野田卯一

佐藤栄作

戸塚九一郎

大野伴睦

緒方竹虎

三好英之

大久保留次郎

正力松太郎

川村松助

鹿島守之助

石井光次郎

山口喜久一郎

村上勇

西川甚五郎

小沢佐重喜

川島正次郎

佐藤栄作

増原惠吉

福田篤泰

前尾繁三郎

二階堂進

木村武雄

野田武夫

西田信一

渡海元三郎

福田一

江﨑真澄

町村金五

福田一

天野公義

小川平二

加藤武徳

渋谷直蔵

後藤田正晴

原健三郎

松野幸泰

加藤六月

稲村佐近四郎

河本嘉久蔵

古賀雷四郎

綿貫民輔

粕谷茂

坂元親男

井上吉夫

阿部文男

砂田重民

木部佳昭

谷洋一

伊江朝雄

北修二

上原康助

佐藤守良

小里貞利

小沢潔

高木正明

岡部三郎

稲垣実男

鈴木宗男

井上吉夫

川崎二郎

二階俊博

森田一

扇千景

西村英一

丹羽兵助

金丸信

天野光晴

田沢吉郎

櫻内義雄

中野四郎

園田清充

原健三郎

松野幸泰

加藤六月

稲村佐近四郎

河本嘉久蔵

山崎平八郎

綿貫民輔

奥野誠亮

内海英男

野中英二

石井一

佐藤守良

西田司

東家嘉幸

井上孝

上原康助

左藤恵

小沢潔

池端清一

鈴木和美

伊藤公介

亀井久興

柳澤伯夫

井上吉夫

関谷勝嗣

中山正暉

扇千景

扇千景

石原伸晃

北側一雄

冬柴鐵三

谷垣禎一

中山成彬

金子一義

前原誠司

馬淵澄夫

大畠章宏

前田武志

羽田雄一郎

太田昭宏

石井啓一

赤羽一嘉

斉藤鉄夫

中野洋昌

赤松広隆

岩田順介

石井一

鹿野道彦

川端達夫

赤松広隆

熊谷弘

佐藤敬夫

野田佳彦

川端達夫

鉢呂吉雄

野田佳彦

渡部恒三

高木義明

山岡賢次

樽床伸二

鉢呂吉雄

安住淳

平野博文

城島光力

山井和則

高木義明

松原仁

川端達夫

高木義明

安住淳

山井和則

松野頼久

平野博文

泉健太

原口一博

山花貞夫

前川忠夫

佐藤敬夫

松本龍

赤松広隆

玄葉光一郎

安住淳

鉢呂吉雄

赤松広隆

石井一

安住淳

渡辺周

石井一

高木義明

鉢呂吉雄

加藤敏幸

馬淵澄夫

玄葉光一郎

玄葉光一郎

馬淵澄夫

長妻昭

篠原孝

大島敦

岸本周平

FAST

ISNI

VIAF

WorldCat

アメリカ

日本

韓国

CiNii Books

CiNii Research

平成時代の閣僚

国土庁長官

日本の自治大臣

日本の国家公安委員会委員長

比例区選出の参議院議員

民主党の参議院議員

平成時代の参議院議員

兵庫県選出の衆議院議員

比例近畿ブロック選出の衆議院議員

民主党の衆議院議員

新進党の衆議院議員

新生党の国会議員

自由民主党の衆議院議員

昭和時代戦後の衆議院議員

平成時代の衆議院議員

民主党選挙対策委員長

日本の政治家秘書

田中角栄

正三位受位者

旭日大綬章受章者

スタンフォード大学出身の人物

甲南大学出身の人物

神戸市出身の人物

1934年生

2022年没

2024/11/21 20:32更新

ishii hajime


石井一と同じ誕生日8月17日生まれ、同じ兵庫出身の人

戸田 恵梨香(とだ えりか)
1988年8月17日生まれの有名人 兵庫出身

戸田 恵梨香(とだ えりか、1988年〈昭和63年〉8月17日 - )は、日本の女優。兵庫県神戸市灘区出身。フラーム所属。夫は俳優の松坂桃李。一児の母。 小学5年生(11歳)の時から芸能活動を開始。…

松本 麻衣子(まつもと まいこ)
1982年8月17日生まれの有名人 兵庫出身

松本 麻衣子(まつもと まいこ、1982年8月17日 - )は、毎日放送のアナウンサー。愛称は『マイコー』など。毎日放送を含むJNN・JRN加盟局の優秀なアナウンサーを表彰するアノンシスト賞で、201…

小川 一樹(おがわ かずき)
1979年8月17日生まれの有名人 兵庫出身

小川 一樹(おがわ かずき、1979年8月17日 - )は、日本の男性声優。以前はぷろだくしょんバオバブに所属していた。兵庫県出身。 緒方賢一主催の劇団すごろく所属の舞台俳優でもある。 なお、元…

高木 史朗(たかぎ しろう)
1915年8月17日生まれの有名人 兵庫出身

高木 史朗(たかぎ しろう、1915年8月17日 - 1985年2月12日)は、宝塚歌劇団の劇作家・演出家。兵庫県出身。 関西学院大学卒業後、1936年に宝塚少女歌劇団に入り、1940年に演出家とし…

岡田 俊一(おかだ しゅんいち)
1940年8月17日生まれの有名人 兵庫出身

8月17日生まれwiki情報なし(2024/11/13 06:13時点)


矢野 勝也(やの かつや)
1970年8月17日生まれの有名人 兵庫出身

矢野・兵動(やのひょうどう)は、吉本興業に所属する日本のお笑いコンビ。1990年コンビ結成。共にNSC大阪校9期生。 矢野 勝也(やの かつや、 (1970-08-17) 1970年8月17日(54…

Kazz(かず)
1972年8月17日生まれの有名人 兵庫出身

8月17日生まれwiki情報なし(2024/11/21 20:20時点)

薮田 翔一(やぶた しょういち)
1983年8月17日生まれの有名人 兵庫出身

薮田 翔一(やぶた しょういち、1983年8月17日 - )は、日本の現代音楽、クラシック音楽、ポピュラー音楽、電子音楽の作曲家。実姉はオペラ歌手の薮田瑞穂。 兵庫県たつの市出身。兵庫県立龍野高等学…

白桃ピーチよぴぴ(はくとうぴーちよぴぴ)
1991年8月17日生まれの有名人 兵庫出身

白桃ピーチよぴぴ(はくとうピーチよぴぴ、1991年8月17日 – )は、日本のお笑い芸人。吉本興業大阪本部所属。 中学時代は多忙な両親の仕事の都合で海外生活も長かった。中学2年生から3年生の1年間は…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


石井一と近い名前の人

石井 陽菜(いしい はるな)
1994年3月30日生まれの有名人 東京出身

石井 陽菜(いしい はるな、1994年3月30日 - )は、日本の女優。トキエンタテインメント所属(2023年1月 - )。東京都出身。 『こっくりさん 劇場版 新都市伝説』にて映画デビュー(201…


石井 肇(いしい はじめ)
1959年5月26日生まれの有名人 神奈川出身

石井 肇(いしい はじめ、1959年5月26日 - )は神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 日本大学高校から日本大学へ進み、1982年に日産自動車サッカー部へ入部した。選手時代のポジショ…

石井 柏亭(いしい はくてい)
1882年3月28日生まれの有名人 東京出身

石井 柏亭(いしい はくてい、1882年〈明治15年〉3月28日 - 1958年〈昭和33年〉12月29日)は、日本の版画家・洋画家・美術評論家。1935年(昭和10年)沖水彩画用紙製造所(初代・沖茂…

石井 進_(歌手)(いしい すすむ)
1936年6月15日生まれの有名人 千葉出身

6月15日生まれwiki情報なし(2024/11/20 10:17時点)

石井 裕也_(野球)(いしい ゆうや)
1981年7月4日生まれの有名人 神奈川出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 石井 裕也(いしい ゆうや、1981年7月4日 - )は、神奈川県横浜市港南区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 先天性の難聴…

石井 裕也_(映画監督)(いしい ゆうや)
1983年6月21日生まれの有名人 埼玉出身

石井 裕也(いしい ゆうや、1983年6月21日 - )は、日本の映画監督。 山梨県生まれ、埼玉県浦和市出身。私立川越東高等学校、大阪芸術大学芸術学部映像学科卒業、日本大学大学院芸術学研究科映像芸術…


石井 正則(いしい まさのり)
1973年3月21日生まれの有名人 神奈川出身

石井 正則(いしい まさのり、1973年3月21日 - )は、日本の俳優、タレント、声優、ナレーターである。お笑いコンビ「アリtoキリギリス」でボケを担っていた。神奈川県横浜市保土ケ谷区出身で神奈川県…

石井 慎二_(アナウンサー)(いしい しんじ)
1959年7月29日生まれの有名人 神奈川出身

7月29日生まれwiki情報なし(2024/11/09 15:23時点)

石井 みどり_(舞踏家)(いしい みどり)
1913年3月17日生まれの有名人 栃木出身

石井 みどり(いしい みどり、本名:折田 ハナ、1913年3月17日 - 2008年3月6日) は、日本の舞踊家。 1913年3月17日、栃木県宇都宮市日野町にて質屋の長女として生まれる。出生名は五…

石井 あや_(アイドル)(いしい あや)
1985年11月11日生まれの有名人 神奈川出身

プロフィール 石井あやは日本のアイドル、タレント。1985年11月11日生まれ。神奈川県出身。 身長166cm B94(G) W59 H85。 アバンギャルド所属。 写真集 石井あや十七歳 …

石井 義信(いしい よしのぶ)
1939年3月13日生まれの有名人 広島出身

石井 義信(いしい よしのぶ、1939年3月13日 - 2018年4月26日)は広島県福山市出身の 元日本代表サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。 元フジ…


石井 茂巳(いしい しげみ)
1953年7月7日生まれの有名人 出身

石井 茂巳(いしい しげみ、1953年7月7日 - )は日本出身の元サッカー選手。 古河電工などに所属し、日本代表としても1974年のアジア競技大会など、国際Aマッチ15試合に出場した。1976年に…

石井 大裕(いしい ともひろ)
1985年6月5日生まれの有名人 東京出身

石井 大裕(いしい ともひろ、1985年6月5日 - )は、TBSテレビのアナウンサー。 東京都大田区出身。テニス選手を志していたが、怪我がきっかけでプロの道を断念した後に、2010年TBSテレビへ…

石井 かおる(いしい かおる)
1963年4月30日生まれの有名人 東京出身

石井 かおる(いしい かおる、1963年4月30日 - )は、NHKのシニアアナウンサー。 東京都立九段高等学校を経て東京外国語大学卒業後、1987年入局。 2004年、最初に金沢局に赴任した際に…

石井 トミコ(いしい とみこ)
1935年1月12日生まれの有名人 大阪出身

石井 トミコ(いしい トミコ、1935年1月12日 - )は、日本の女優。本名は、山根富子。旧姓名及び旧芸名、石井 富子(いしい とみこ)。大阪府大阪市出身。血液型はB型、身長154cm。趣味は水泳、…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
石井一
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

三四郎 Number_i NORD (アイドルグループ) OCTPATH DISH// King & Prince さくらしめじ SUPER★DRAGON PRIZMAX XOX 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「石井一」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました