荒木雅博の情報(あらきまさひろ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
荒木 雅博さんについて調べます
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荒木雅博と関係のある人
亀澤恭平: その後も二塁手として、ベテランの荒木雅博と併用されながら試合出場を続け、10月7日の最終戦の広島東洋カープ戦まで1度も抹消されずにシーズンを終えた。 大島洋平: 2012年は、中堅手として荒木雅博と1・2番を任され、初めてシーズン全試合に出場した。 龍空: その守備力は現役時代名手として鳴らした荒木雅博も「入団時の自分の20倍上手い」と絶賛するほどである。 落合博満: もっとも、その井端は荒木雅博と共にアライバコンビとして中日の名選手として活躍するようになり、活躍の場を落合が作ったとも認められることもある。 岩﨑達郎: その後井端の復帰で登録抹消されたが、8月に荒木雅博が北京五輪へ出場するために再び一軍昇格。 森野将彦: 2010年は一学年上の荒木雅博の後任として選手会長に就任。 岩﨑達郎: 第1次中日時代は監督の落合博満から堅い守備力を評価され、主に二遊間のレギュラーである荒木雅博、井端弘和のバックアップ要員として活躍した。 赤星憲広: 同年の147単打は和田豊と並ぶセ・リーグタイ記録(翌年に荒木雅博が更新)。 金子誠: 特に田中賢との二遊間は山田久志から「12球団一と言われた中日の荒木雅博・井端弘和と遜色ない」「金子なんて井端以上だよ。 松本輝: 野球部では2学年先輩に高波文一、1学年先輩に田中秀太、同学年には荒木雅博・田中雅興と、後に競輪選手となる合志正臣がいた。 森野将彦: 高波文一: 高校では2学年上に塩崎真、1学年下に田中秀太、2学年下に荒木雅博がいた。 五十幡亮汰: 通算378盗塁を記録した荒木雅博も「すごいですよ。 タイロン=ウッズ: 彼はその極端な守備範囲の狭さから荒木雅博を送球イップスに追い込み、ある時井端弘和が投じた頭部付近へのノーバウンド送球をミットに当てることすらできず後ろに逸らし、井端が「あれも俺のエラーになるの?」と嘆いた逸話も残っている。 山本斉: 初奪三振:同上、1回表に荒木雅博から見逃し三振 合志正臣: 熊本市立楠中学校卒業後に進学した熊本県立熊本工業高等学校では高校球児(2番左翼手)として活躍し、1995年には荒木雅博、松本輝、幼稚園から高校まで同級生だった田中雅興らとともに第67回選抜高等学校野球大会でベスト16入りを果たした経験をもつ。 堀内恒夫: またキャプラーは38試合の出場に終わり、4月24日の中日戦(ナゴヤドーム)では井端弘和の単打で一塁走者・荒木雅博の生還を許すなど、持ち前の守備力を発揮できず、打撃でも開幕から17打席ノーヒットを含めた打率.153・3本塁打・6打点と不振だった。 帆足和幸: 日本シリーズは10月19日第3戦に先発し、4点の援護を貰い5回まで2安打無失点だったが、6回先頭の荒木雅博のハーフライナーを遊撃手中島裕之がこぼして出塁させると、一死一塁から立浪和義、アレックス・オチョアの連打で1失点、高橋光信にフルカウントから四球を与え一死満塁とした所で降板、代わった長田秀一郎が谷繁元信に逆転満塁本塁打を打たれたため4失点(自責3)となった。 エドガルド=アルフォンゾ: 中日ドラゴンズの荒木雅博は、アルフォンゾのメッツ時代からの大ファンで4月19日の試合前にはサインをもらいに行っている。 矢野燿大: 1995年には57試合に出場したものの、ドラフト会議での1位指名を経て入団した荒木雅博に背番号2を譲る格好で、1996年から自身の背番号を38に変更した。 川相昌弘: チームが勝っている試合で8・9回辺りから主に立浪の守備固めとして出場することが多かったが、荒木雅博の怪我などで5月には「2番・二塁手」としてスタメン起用された。 清水隆行: 年間通して1番打者に定着、2年ぶりに規定打席に到達、609打数で金山次郎のセ・リーグ記録を更新した(2005年に荒木雅博が更新)。 荒木定虎: 荒木雅博 - 中日ドラゴンズ選手。 藤井淳志: 2009年には好調な藤井にあやかりたいと荒木雅博が藤井のバットを使うことがあり、10月18日のヤクルトとのクライマックスシリーズで荒木が藤井のバットで決勝適時打を放ったときに「ナイスバット」と冷やかしたが、「こっちだよ、こっち」と荒木は自らの腕を指して反論した。 木村昇吾: 外野へは行かず三塁手と遊撃手の間で守備に就いたが、打者荒木雅博が三振し、守備機会はなかった。 井端弘和: 荒木雅博とは守備で二遊間、打順で1・2番を組むことから「アライバコンビ」というコンビ名で呼ばれる。 門倉健: 同期入団には荒木雅博・渡邉博幸・益田大介らがいる。 吉沢岳男: 連続打席無安打:47 (1959年)※2021年に佐藤輝明が更新するまで荒木雅博と並びセ・リーグ野手記録 髙松渡: 全体の印象として中日守備走塁コーチの荒木雅博から、スピードがある細身の体形は自身の入団時に似ているが、入団時の自分よりバットが振れていると評した。 井端弘和: 中日ドラゴンズ時代は同僚の荒木雅博と共に「アライバコンビ」の愛称で親しまれた。 |
荒木雅博の情報まとめ
荒木 雅博(あらき まさひろ)さんの誕生日は1977年9月13日です。熊本出身の野球選手のようです。
結婚、引退、テレビ、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。荒木雅博の現在の年齢は47歳のようです。
荒木雅博のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 荒木 雅博(あらき まさひろ、1977年9月13日 - )は、熊本県菊池郡菊陽町出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、右投右打)、コーチ、野球解説者、野球評論家、高校野球指導者。 現役時代は2008年から中日選手会長を務めた。井端弘和との二遊間コンビは「アライバ」の愛称で親しまれた。 小学1~2年の頃から地区のソフトボール大会に出場していた。小学3~4年の頃にはキャッチャーとしてプレーしたことが印象深く、小学6年生の頃にはピッチャーとして出場し優勝した。 熊本工業時代は2度春のセンバツに出場。1度目は、初めての甲子園球場に舞い上がっていてがむしゃらだったので、詳細な記憶は無い。2度目は、前回のリベンジをしたいという強い気持ちがあったが、直前の練習試合で帰塁した際に右手の甲を骨折して、1回戦は出場できなかった。2回戦はギプスを外し、怪我をおして出場した。ショートゴロを取って送球時に患部に痛みが走り、悪送球となった。打撃成績は、4打数0安打だった。3年生時の夏は県大会準決勝で敗退した。藤崎台球場で終わるか、甲子園を決めるかというイメージでいたが、藤崎台球場が改修工事中で使えず、八代市民球場で戦った。九州学院高等学校との対戦で、今村文昭投手に抑えられ、みんな打てなかった。高校では2学年先輩に高波文一、1学年先輩に田中秀太、同期に松本輝と田中雅興がいた。二遊間を組んでいた田中秀太は、厳しい時には厳しいが基本的には後輩に対して優しい人で、自分は先輩から厳しくされていたにもかかわらず、後輩にはそれをしなかった。その姿を見て、後輩には優しくしないといけない、と荒木は思った。 1995年のドラフト会議では、当初中日ドラゴンズは福留孝介を1位指名し、荒木はドラフト4位で指名する方針だった。しかし、福留に続き外れ1位の原俊介までも抽選で外してしまい、監督の星野仙一は「もう勝手にせえ」と憤慨し、外れ外れ1位で荒木が指名され、入団するに至った。担当スカウトは早川実。なお指名前に挨拶に訪れていた球団は中日と近鉄バファローズ・横浜ベイスターズ・広島東洋カープの計4球団で、本人は指名直後に「中日が指名してくれるという予感はあったが、3位以下だと思っていた」とコメントした。自分の実力は自分が一番分かっているので、指名は3位4位だったら良いな、という願望だった。プレッシャーを感じるのも嫌なので、1位指名は勘弁してくれ、と荒木は思っていた。当時中日の関西地区担当スカウトだった中田宗男によれば、荒木は3位か4位で指名を検討していたが、福留と原の抽選を相次いで外してしまったことに加え、ヤクルトスワローズも抽選を二度外していたことから3度目の抽選になる可能性があったため、星野が競合になる可能性のない選手を指名するように要望、荒木を繰り上げて指名したという。 1996年(1年目)の4月2日、ウエスタン・リーグ開幕2戦目の福岡ダイエーホークス戦で代走として初出場し、二塁から浅い右飛でタッチアップし、トレーニングコーチの三木安司は暴走と感じたものの、セーフとなった。三木は「身体能力は一級品だが野球の技術がない」と評価していた。 1997年には脚力を生かして益田大介と共にドーム野球の申し子として外野の守備固め・代走で一軍63試合に出場したが、定着とはならなかった。 1998年、二軍監督に就任した仁村徹は未来のレギュラー候補として、内野手で荒木を1から鍛え直すと決めた。仁村は第一歩として、当時最大の武器だった機動力の強化に集中し、出塁すれば必ず盗塁のサインを出し、失敗を重ねつつもセーフになるタイミングを覚えさせた。打撃に関して、この1年間は左打席に専念。その経験を通じ、「バッティングは打ち方ではない。18.44メートル(投手との距離)の間の、投球の見極めだ。」と気付いた。左打席への専念は荒木自身が希望した。スイッチヒッターは荒木の望みではなく、中途半端な気持ちでやりたくなかった。人に言われてやらされるのは嫌で、自分の意思を入れたいという思いが「左だけでいいです」という言葉になった。 1999年5月30日、ウエスタン・リーグのダイエー戦(福岡市雁の巣レクリエーションセンター野球場)で10回二死、二塁走者の荒木は単打で本塁を狙って走塁するが、前進守備の外野からの返球でアウトとなった。仁村は「ここでセーフになれなかったらお前の存在意義がない」と叱責し、その場で二塁から本塁までの走塁練習を50本課した。 2000年にはスイッチヒッターに挑戦していた。 2001年は課題だった打撃が急成長し、夏場からは1番打者に定着。規定打席には届かなかったものの、3割を大きく超える打率を残して一躍期待の若手として注目される。 2002年、9月24日のヤクルトスワローズ戦(ナゴヤドーム)で本拠地初本塁打を放った。この年は131試合に出場し初めて規定打席に到達したが、前半戦の不振や四球の少なさ(445打席で9四球)などもあり、契約更改では600万円増にとどまった。オフに、翌年は中日OB・谷沢健一と同じタイプのバットを使用することが報道された。 2003年は開幕戦となった3月28日の読売ジャイアンツ戦で8番・二塁手として初めて開幕スタメンを掴んだ。4月16日の横浜戦(鹿児島県立鴨池野球場)で1点を追う9回表に逆転満塁本塁打を放ちチームの勝利に貢献した。7月20日のヤクルト戦(札幌ドーム)では6回表1死二、三塁の場面で二塁走者として塁上にいたが、先発投手・平井正史のスクイズで二塁から一気に本塁に突入し2ランスクイズを成功させた。この年は133試合に出場し2年連続で規定打席に到達したものの、打率は.237と前年よりも下がったほか、守備でもイップスに苦しんだ。同年オフに結婚したほか、落合博満新監督の勧めで打撃フォームをスクエア打法からオープンスタンス打法に変更することが報道された。 2004年は、リードオフマンとして39盗塁、日本プロ野球記録となる1シーズンで9度の1試合4安打以上を記録し、セ・リーグ新記録となる149単打を放った。守備でも井端弘和との二遊間コンビ「アライバコンビ」が落合監督から「井端との二遊間コンビは12球団一、二塁手単独ならメジャーの超トップクラス」と高く評され、自身初のタイトルとなるベストナイン・ゴールデングラブ賞を受賞した。 2005年もリードオフマンとして活躍し、自己最多となる181安打、42盗塁を記録した。同年の623打数は、2002年の清水隆行を超えるセ・リーグ記録。 2006年は怪我の影響もあり出場試合数は減ったものの、初となる打率3割を記録した。3年連続のベストナインも受賞している。 2007年は不振で二軍落ちも経験した。さらに得意の守備でも一時期送球難に陥るなど苦しんだ。球団としては平野謙以来21年ぶりの盗塁王を獲得したものの打撃不振が響き、チームが日本一となったにもかかわらず減俸となった。 2008年はさらに打撃が低迷、出塁率も3割に届かないなど不振が続いた。同年6月21日の試合で、史上250人目となる1000本安打(1075試合目)を達成。この間毎年ゴールデングラブ賞を受賞し続けており、守備面は変わらず安定していた。2008年には選手会長に就任した。この年のオールスターゲーム第2戦ではMVPを獲得している。シーズンオフには新たに5年契約を結んだ。 2009年シーズンより、井端の二塁手コンバートにあわせて荒木は遊撃手を務める予定であったが、井端の調整が目の不調により遅れたことに加え、荒木自身も開幕直前に足を痛めたことで見送られた。 シーズン前半は1番打者とされていたが打撃の調子が上がらず、すぐに2番に変えられた。2番に起用されてからは徐々に復調し持ち前の粘り強いバッティングが戻ってきた。打率.270に対して、得点圏打率は.343と、チャンスの場面での勝負強さを見せ付けた。福地寿樹と盗塁王を争っていたが、左手首を痛めて試合を欠場したこともあり、タイトル獲得はならなかった。同年限りで選手会長を退任し、森野将彦に譲った。 2010年は、再び井端と共にコンバートに挑戦。開幕前に左前脚を負傷し、1999年以来11年ぶりに開幕一軍から外れた。4月5日に復帰し、遊撃手へのコンバートが実現した。シーズンは復帰後の全試合で1番打者としてスタメン出場した。打撃はフォーム変更が効いたのか夏場から調子を上げ、打率.294でシーズンを終えた。守備では20失策を記録し、盗塁数も20にとどまり、7年連続のゴールデングラブ賞の受賞と30盗塁の達成はできなかった。 2011年はシーズン中盤に欠場する試合があったものの一年通して1番打者を務めた。打率.263はチーム内の規定打席到達者では最高だった。300盗塁を達成したものの、全体では盗塁数は18と前年をさらに下回った。 2012年、二塁手に再コンバートされた。これに伴い井端もショートに戻った。シーズン途中から1番を大島洋平に譲り、2番に固定された。7月10日の阪神戦で左太もも裏を痛めて途中交代、検査の結果肉離れが判明し登録を抹消された。オールスターゲームに監督選抜で選ばれた。 2013年はシーズンを通して不調に終わり、スタメンから外される試合も多くレギュラー獲得以来では最低の成績に終わる。また、12年ぶりに規定打席に到達しなかった。 2014年は交流戦で死球による骨折で約1か月半の戦線離脱があったものの、主に2番打者として出場し2年ぶりに規定打席に到達した。9月16日には史上17人目、球団では高木守道に次いで史上2人目となる通算350盗塁を達成した。 2015年は福岡ソフトバンクホークスから移籍してきた亀澤恭平と併用される形になり、出場機会が減少。15年ぶりに100試合出場と2桁盗塁に到達しなかった。 2016年、8月6日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で盗塁を成功し、高木守道が記録していた369盗塁を抜く球団新記録の370盗塁を達成した。また、6月9日の対オリックス・バファローズ戦第3打席から7月8日の対ヤクルト戦第1打席まで47打席連続で無安打でありセ・リーグ野手連続打席無安打最長記録と並んだ。 2017年、6月3日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(ナゴヤドーム)で4回に美馬学から右前打を放ち、史上48人目の2000安打を達成した。その際、入団当時の監督であった星野仙一楽天球団副会長兼シニアアドバイザーと、1学年下で共に選手会長の経験がある森野将彦から花束を受け取った。中日生え抜きの選手の達成は高木守道、谷沢健一、立浪和義に次いで史上4人目。なお、22年目での達成は中村紀洋に並び、25年目に達成した谷繁元信に次いで遅い。同時点での通算33本塁打は2000安打達成者で最少になる。また、中日の選手では移籍してきた選手を含めても初めてホームゲームで2000安打を達成したことになる。 2018年からは一軍内野守備走塁コーチ兼任となったが、セ・リーグのアグリーメント上ベンチ入りできるコーチ人数に限りがあることから、ペナント開始前である3月17日にコーチ職を解かれた。登録上の役職は解かれたものの、チーム内での役割は変わらず、コーチ料を含んだ年俸も見直されない。レギュラーシーズンでは7月9日のDeNA戦で2年ぶりのホームランを代打で放った。9月27日、同年限りで引退することがメディアにおいて報じられた。10月6日、引退会見の場で正式に引退を表明した。10月13日の阪神タイガース戦にて同じく同年限りで引退する岩瀬仁紀とともに引退試合が行われ、「1番・二塁手」のスタメンとしてフル出場した。8回の4打席に右前安打を能見篤史から打つと、延長に突入して迎えた11回の現役最終打席でラファエル・ドリスの前に三塁ゴロに倒れ、現役生活を終えた。試合後のセレモニーでは、かつての同僚で同級生の福留と同僚の大島から花束を受け取った。名誉熊本県民として表彰された。12月2日に自由契約公示された。 2018年10月29日に中日の二軍内野守備走塁コーチに就任した。2019年3月1日、2日後に行われる引退試合に出場するために中日ドラゴンズと育成契約を結んだ。登録上の背番号は207。3日の千葉ロッテマリーンズとのオープン戦に「2番・指名打者」として先発出場すると、1回裏の第1打席で有吉優樹の前に三塁ゴロに倒れ、ベンチ前で選手や首脳陣と握手を交わしてそのまま交代した。二塁守備に就くプランもあったが、「大事な時期に邪魔したくない気持ちがあった」ため、現役時代は1度も経験しなかった指名打者での出場となった。背番号はコーチとしての通常の88や契約上の207ではなく、現役時代の2となった。引退試合を終えたため、3月4日に自由契約公示された。 2019年7月14日に腹痛を訴え、福岡県内の病院に入院。盲腸憩室穿孔痛と診断され、19日に緊急手術を受けた。 2020年からは一軍内野守備走塁コーチ。 2023年10月4日に中日を退団することが発表された。11月、エスコンフィールドHOKKAIDOで行われた北海道日本ハムファイターズ秋季キャンプに守備強化を図る新庄剛志監督の依頼で臨時コーチとして参加した。 2024年からはCBCテレビ、CBCラジオ、日本テレビの野球解説者、中日スポーツの野球評論家を務める。またCBCテレビ制作によるJ SPORTS STADIUMや、CBCテレビと同系列のキー局・TBSテレビ制作による衛星波(TBSチャンネル・BS-TBS)向けにも中日のビジターゲームを中心に出演する。 また2月2日にアマチュア資格を回復、4月1日付で愛知県の強豪校・中京大学附属中京高等学校硬式野球部の臨時コーチに就任。 井端弘和と守備で二遊間、打順では1・2番を組んでいたことから、井端と共に「アライバコンビ」と呼ばれた。井端と共に2004年から2009年まで6年連続でゴールデングラブ賞を受賞した二塁守備の評価が高く、遊撃手から再コンバートされた2012年はトンネルやファンブルといった失策も目立ったが、この年はそれでも守備イニング1000以上の二塁手で両リーグ3位のUZR6.8を記録。上述のように落合博満からも高く評された鉄壁の守備でセンターラインを固め、右翼方向へのゴロ打球の守備に不安が残る一塁手のカバー役も担う。一方で肩を痛めた影響もあり、スローイングには若干不安定な面もある。プロ入り当初は外野手として起用されることが多く、その後も現役晩年に至るまで時折(主に他の選手との守備位置の兼ね合いから)外野手としても出場した。 走塁面では一塁到達まで速くても4.0秒と盗塁王経験者としてはずば抜けて速いわけではないが、牽制さえなければ盗塁をほぼ成功することができる優れた盗塁技術を持ち、初めて30盗塁を達成した2004年から2009年まで6年連続30盗塁を記録している。走塁技術にも長け、足でプレッシャーをかける存在としてはリーグ屈指と評される。なお牽制球に対してヘッドスライディングで帰塁することが多く、それが肩を痛めた原因であるという指摘がある。 レギュラー定着後の一時期送球イップスに苦しみ、インターネット上ではイップスの代名詞として囃される程であった。これについては本人が引退後に、チームメイトであったタイロン・ウッズの守備範囲の狭さに触れている。一時期イップスの原因を他人や故障に求めることもあったが、それでは先が無いと思いウッズでも取れる送球、故障の影響が出にくい投げ方を心掛けるようにし、現在(2021年時点)では「自分がイップスになったのはウッズのせいではない」と強調している。 プロ入り当初は右打者だったが、入団3年目の1998年からは両打ちに挑戦した。2001年に再び右打ちに戻したが、2003年までは両打ちとして登録していた。2009年の春季キャンプでは兼任打撃コーチであった立浪和義の発案により再び両打ち転向を目指したこともあった。 1試合3安打以上の固め打ちが多く、前述のように2004年には年間9度の1試合4安打の日本記録も樹立している。
詳細情報年度別打撃成績
各年度の太字はリーグ最高 太字年はゴールデングラブ賞受賞 盗塁王:1回(2007年) ベストナイン:3回(2004年 - 2006年) ゴールデングラブ賞:6回(2004年 - 2009年) JA全農Go・Go賞:2回(好捕賞:1998年6月、好走塁賞:2005年4月) スピードアップ賞 :1回(2005年) オールスターゲームMVP:1回(2008年 第2戦) 日本シリーズ優秀選手賞:1回(2007年) 菊陽町町民栄誉賞(2017年) ※受賞者第1号 セ・リーグ連盟特別表彰(功労賞:2018年) 初出場:1997年5月31日、対ヤクルトスワローズ9回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏に遊撃手として出場 初先発出場:1997年6月1日、対ヤクルトスワローズ10回戦(千葉マリンスタジアム)、8番・遊撃手として先発出場 初安打:1997年6月11日、対広島東洋カープ10回戦(広島市民球場)、5回表に高橋建から右前安打 初盗塁:1997年6月29日、対読売ジャイアンツ14回戦(ナゴヤドーム)、7回裏に二盗(投手:木田優夫、捕手:柳沢裕一) 初打点:1997年8月8日、対読売ジャイアンツ19回戦(東京ドーム)、9回表に木田優夫から右前適時打 初犠打:1997年8月9日、対読売ジャイアンツ20回戦(東京ドーム)、1回表に岡島秀樹から 初本塁打:2001年6月5日、対読売ジャイアンツ10回戦(東京ドーム)、3回表にダレル・メイから左越先制2ラン 1000試合出場:2007年9月24日、対読売ジャイアンツ22回戦(東京ドーム)、2番・二塁手として先発出場 ※史上423人目 200盗塁:2007年9月26日、対読売ジャイアンツ24回戦(東京ドーム)、2回表に二盗(投手:高橋尚成、捕手:阿部慎之助) ※史上66人目 1000安打:2008年6月21日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(ナゴヤドーム)、6回裏にブライアン・シコースキーから右中間三塁打 ※史上250人目 250盗塁:2009年7月1日、対阪神タイガース7回戦(ナゴヤドーム)、6回裏に二盗(投手:福原忍、捕手:清水誉) ※史上40人目 300盗塁:2011年6月28日、対横浜ベイスターズ7回戦(横浜スタジアム)、1回表に二盗(投手:ルイス・ゴンザレス、捕手:武山真吾) ※史上27人目 1500試合出場:2011年8月18日、対読売ジャイアンツ12回戦(ナゴヤドーム)、1番・二塁手として先発出場 ※史上171人目 1500安打:2011年9月11日、対横浜ベイスターズ22回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に藤江均から左前安打 ※史上111人目 200犠打:2012年9月4日、対広島東洋カープ18回戦(ナゴヤドーム)、1回裏に野村祐輔から一塁前犠打 ※史上34人目 350盗塁:2014年9月16日、対横浜DeNAベイスターズ21回戦(横浜スタジアム)、4回表に二盗(投手:山口俊、捕手:黒羽根利規) ※史上17人目 2000試合出場:2016年4月9日、対読売ジャイアンツ2回戦(ナゴヤドーム)、2番・二塁手として先発出場 ※史上49人目 2000安打:2017年6月3日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(ナゴヤドーム)、4回裏に美馬学から右前安打 ※史上48人目 シーズン623打数(2005年)※セ・リーグ記録 連続打席無安打:47(2016年)※2021年に佐藤輝明が更新するまで吉沢岳男と並びセ・リーグ野手記録 クライマックスシリーズ通算犠打:14 ※中島卓也と並び歴代1位タイ オールスターゲーム出場:5回(2005年、2008年、2009年、2011年、2012年) 2(1996年 - 2018年) 88(2019年 - 同年2月28日、同年3月4日 - 2021年) 207(2019年3月1日 - 同年3月3日)※引退試合出場のための登録上のもの。引退試合は2で出場した。 71(2022年 - 2023年) 「ミュージック・アワー ver.164」ポルノグラフィティ(2002年) 「YAH YAH YAH」CHAGE & ASKA(2003年) 「The Perfect Vision」MINMI(2003年) 「ウェカピポ」SOUL'd OUT(2004年) 「Danger Zone」Kenny Loggins(2005年、2008年) 「Ready to Go」Republica(2006年) 「Bad Boy」Cascada(2006年) 「Rock The Party (Radio Mix)」DOUBLE(2007年) 「RUN & RUN」黒岩唯一(2009年) 「LUCKY STAR」黒岩唯一(2010年 - 2011年) 「前略、道の上より」一世風靡セピア(2012年 - 2018年) JAあいち豊田(2009年 - 。東海ラジオ ガッツナイター限定。ガッツナイター以外の自社制作のワイド番組の放送中にもこのCMが放送されることがある。共演者の女性と話がかみ合わないというバージョンや、荒木が年寄りのモノマネをするというものもあり、2010年からモノマネのバージョンが放送されている。年配のリスナーを中心に『年金受取の金融機関はJAあいち豊田に』という意味合いが元となっている) トーカ堂・ほっと青汁(同僚の井端弘和とともに、同社のテレビショッピングやネットショッピングに起用されている。) 大塚製薬・「アミノバリューW」井端とともに広告ポスターに出演。2000年代中盤ごろ。 チア・スポ(東海ラジオ、2012年4月 - 。「月例報告」として18時台前半に月1回の割合で出演。目標を設定し、達成できなければプレゼントを提供している) 『荒木雅博の二塁手「超」専門講座』(ベースボール・マガジン社、2020年5月7日、ISBN 978-4-583-11268-8) 『アライバの鉄則』(廣済堂出版、2020年7月20日、ISBN 978-4-331-52296-7)- 井端弘和と共著 ^ それまでの記録は1996年にオリックス・ブルーウェーブのイチローの8試合 ^ 和田豊(1994年)と赤星憲広(2003年)の記録を更新。翌年に青木宣親が更に更新して日本記録を樹立した ^ 谷繁元信と和田一浩も中日で達成したが、前者は横浜大洋ホエールズ→横浜ベイスターズ、後者は西武ライオンズに在籍していたことから対象外とした。 ^ 柳葉の故郷・秋田の秋田県立野球場(こまちスタジアム)で行われた東京ヤクルトスワローズ対中日ドラゴンズの10回戦。この日は『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』の公開日でもあり、柳葉は東京での初日舞台挨拶から直接球場へ駆けつけた。 ^ 2004年は広島・グレッグ・ラロッカと同時受賞 ^ ドラゴンズスペシャル ドラ魂キング 2023年12月27日 ^ ドラゴンズスペシャル ドラ魂キング 2024年1月24日 ^ ドラゴンズスペシャル ドラ魂キング 2024年1月24日 ^ “2 荒木 雅博(あらき・まさひろ)”. スポーツニッポン. 2016年5月13日閲覧。 ^ ドラゴンズスペシャル ドラ魂キング 2024年2月7日 ^ ドラゴンズスペシャル ドラ魂キング 2024年2月7日 ^ 『中日新聞』2017年6月5日朝刊スポーツ面19面「荒木2000本安打 トラの巻(上)『走塁技術 大成の原点』」(中日新聞社) ^ “二宮清純レポート 中日ドラゴンズ 荒木雅博 内野手34歳 「名手の誇り、職人の意地」”. 現代ビジネス (2012年3月4日). 2016年5月13日閲覧。 ^ 『中日スポーツ』1995年11月23日第5版1頁「中日1位は驚異の俊足内野手 熊本工・荒木 高校通算盗塁は100以上 『失敗した記憶ない』」(中日新聞社) ^ ドラゴンズスペシャル ドラ魂キング 2024年2月7日 ^ 中田宗男『星野と落合のドラフト戦略 元中日スカウト部長の回顧録』カンゼン、2023年10月23日初版、「第二章 星野監督時代のドラフト 1995年 球団の「外」から福留1位を決めた星野さん 「4人のショートで一番評価の低かった荒木」」92頁。 ^ ドラゴンズスペシャル ドラ魂キング 2024年3月6日 ^ ドラゴンズスペシャル ドラ魂キング 2024年10月2日 ^ “荒木、スイッチ打者への再挑戦 立浪兼任コーチ、軌道にホレた!”. 中日スポーツ (2009年2月8日). 2016年3月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月5日閲覧。 ^ “荒木 ナゴヤドームで1号”. 中日スポーツ (2002年9月25日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月6日閲覧。 ^ “荒木来季プレーで晴らす!! 600万円増3600万円…怒りのサイン”. 中日スポーツ (2002年12月4日). 2005年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月6日閲覧。 ^ “荒木 “谷沢バット”で安打製造機襲名 1インチ長く グリップエンド太く 25グラム重たくなった”. 中日スポーツ (2002年12月18日). 2005年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月6日閲覧。 ^ “中日・荒木雅博内野手「開幕戦はどの試合も緊張しますよ」/開幕戦 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2022年10月28日閲覧。 ^ “荒木 9回逆転満塁弾 総力竜 首位がっちり”. 中日スポーツ (2003年4月17日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月6日閲覧。 ^ “先発らしくなってきた平井 今季最長5イニング2/3で4勝目”. 中日スポーツ (2003年7月21日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月6日閲覧。 ^ “2ランスクイズ!! 荒木 二塁から突入”. 中日スポーツ (2003年7月21日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月6日閲覧。 ^ “幸せラッシュ! 荒木、山北、幕田が結婚”. 中日スポーツ (2003年10月28日). 2005年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月6日閲覧。 ^ “荒木 オープンスタンス打法 オフの間に固める”. 中日スポーツ (2003年11月26日). 2005年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月6日閲覧。 ^ 中日荒木「まさか止めたバットで」2000安打達成 日刊スポーツ 2017年6月3日 ^ ドラゴンズHOTスタジオ2009年2月7日放送分より。 ^ “中日・荒木、井端、黄金の二遊間コンバートお預け”. スポニチ (2009年4月1日). 2009年4月8日閲覧。 ^ “荒木 350盗塁に到達!史上17人目、現役選手最多”. スポニチ (2014年9月16日). 2015年5月30日閲覧。 ^ “中日荒木、セ最長タイ無安打から1カ月ぶり打&1号”. 日刊スポーツ (2016年7月8日). 2020年11月15日閲覧。 ^ “(プロ野球)荒木 2000安打達成 史上48人目、中日一筋22年目 バット短くコツコツと”. 日本経済新聞 (2017年6月4日). 2022年12月18日閲覧。 ^ “中日・荒木が2000安打達成 史上48人目 恩師星野氏の祝福に感極まる”. スポーツニッポン (2017年6月3日). 2021年7月5日閲覧。 ^ “中日が来季スタッフ発表…荒木、岩瀬がコーチ兼任”. サンケイスポーツ. 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(2024年4月16日). https://www.chunichi.co.jp/article/884861 2024年7月11日閲覧。 ^ “落合監督「アライバ」に喝!”. 日刊スポーツ (2008年10月12日). 2008年10月12日閲覧。 ^ 『野球太郎 No.004 プロ野球12球団選手名鑑』廣済堂出版、2013年、40頁。ISBN 978-4-331-80228-1。 ^ 岡田友輔、道作、三宅博人、morithy、蛭川皓平、高多薪吾、Student、水島仁『プロ野球を統計学と客観分析で考える セイバーメトリクス・レポート2』水曜社、2013年、37頁。ISBN 978-4-88065-319-8。 ^ “落合博満氏「でしょうね。あれだけやられれば」とニヤリ 関口宏「井端さんムカついてましたよ」に 侍監督にはエール”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). 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(2017年9月2日). https://mainichi.jp/articles/20170902/ddl/k43/040/353000c 2017年12月3日閲覧。 熊本県出身の人物一覧 中日ドラゴンズの選手一覧 個人年度別成績 荒木雅博 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube 荒木雅博オフィシャルブログ - Ameba Blog 表 話 編 歴 金田正一 稲尾和久 小山正明 米田哲也 梶本隆夫 皆川睦雄 村山実 鈴木啓示 堀内恒夫 山田久志 江夏豊 平松政次 東尾修 村田兆治 北別府学 佐々木主浩 高津臣吾 工藤公康 野茂英雄 山本昌広 岩瀬仁紀 黒田博樹 上原浩治 藤川球児 平野佳寿 山内一弘 榎本喜八 野村克也 長嶋茂雄 広瀬叔功 張本勲 王貞治 江藤慎一 土井正博 高木守道 松原誠 柴田勲 大杉勝男 藤田平 衣笠祥雄 福本豊 山崎裕之 山本浩二 有藤通世 若松勉 谷沢健一 加藤秀司 門田博光 大島康徳 新井宏昌 秋山幸二 駒田徳広 立浪和義 鈴木一朗(イチロー) 清原和博 古田敦也 野村謙二郎 石井琢朗 松井秀喜 田中幸雄 前田智徳 金本知憲 松井稼頭央 小笠原道大 稲葉篤紀 宮本慎也 小久保裕紀 アレックス・ラミレス 中村紀洋 谷繁元信 井口資仁 和田一浩 新井貴浩 福留孝介 荒木雅博 青木宣親 阿部慎之助 鳥谷敬 内川聖一 福浦和也 坂本勇人 栗山巧 大島洋平 表 話 編 歴 1957 豊田泰光 1958 中西太 1959 杉山光平 1960 近藤和彦 1961 塩原明 1962 岩下光一 1963 王貞治 1964 K.ハドリ 1965 林俊彦 1966 長嶋茂雄 1967 D.スペンサー 1968 柴田勲 1969 足立光宏 1970 黒江透修 1971 黒江透修 1972 長嶋茂雄 1973 高田繁 1974 山崎裕之 1975 中沢伸二, 外木場義郎 1976 B.ウイリアムス 1977 福本豊 1978 若松勉 1979 水谷実雄 1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰 1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正 1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義 1983 田淵幸一, テリー, 中畑清 1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊 1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二 1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実 1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己 1988 清原和博, 森山良二, 郭源治 1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸 1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤 1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎 1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也 1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也 1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦 1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾 1996 大島公一, 鈴木平, イチロー 1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛 1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広 1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司 2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成 2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満 2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之 2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎 2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信 2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁 2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲 2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博 2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広 2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一 2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平 2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩 2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー 2013 田中将大, 銀次, 内海哲也 2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太 2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太 2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔 2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大 2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃 2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩 2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐 2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎 2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆 2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸 2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ 表 話 編 歴 1951 川上哲治, 野口明, 林義一 1952 飯島滋弥 1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男 1954 中西太, 山内和弘 1955 山内和弘, 西沢道夫 1956 森下正夫, 吉田義男 1957 大下弘, 宮本敏雄 1958 宮本敏雄, 中西太 1959 山内和弘, 中利夫 1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲 1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎 1962 ブルーム, 張本勲 1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅 1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ 1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一 1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識 1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男 1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司 1969 土井正博, 船田和英 1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎 1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司 1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩 1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之 1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲 1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博 1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司 1977 若松勉, 野村克也, 王貞治 1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之 1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二 1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊 1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博 1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之 1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満 1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓 1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美 1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章 1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博 1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三 1989 村田兆治, 彦野利勝 1990 R.ブライアント, 清原和博 1991 古田敦也, 広沢克己 1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広 1993 清原和博, T.オマリー 1994 秋山幸二, G.ブラッグス 1995 落合博満, 松井秀喜 1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲 1997 松井稼頭央, 清原和博 1998 川上憲伸, 松井秀喜 1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志 2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博 2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋 2002 G.アリアス, 的山哲也 2003 高橋由伸, 金本知憲 2004 松坂大輔, SHINJO 2005 金城龍彦, 前田智徳 2006 青木宣親, 藤本敦士 2007 A.ラミレス, 阿部慎之助 2008 山﨑武司, 荒木雅博 2009 青木宣親, 松中信彦 2010 阿部慎之助, 片岡易之 2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀 2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼 2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一 2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐 2015 藤浪晋太郎, 會澤翼 2016 筒香嘉智, 大谷翔平 2017 内川聖一, A.デスパイネ 2018 森友哉, 源田壮亮 2019 森友哉, 近本光司 2020 (中止) 2021 菊池涼介, 島内宏明 2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐 2023 柳田悠岐, 万波中正 2024 牧秀悟,佐藤都志也 表 話 編 歴 1950 金山次郎 1951 土屋五郎 1952 金山次郎 1953 金山次郎 1954 吉田義男 1955 本多逸郎 1956 吉田義男 1957 飯田徳治 1958 岡嶋博治 1959 岡嶋博治 1960 中利夫 1961 近藤和彦 1962 河野旭輝 1963 高木守道 1964 古葉竹識 1965 高木守道 1966 柴田勲 1967 柴田勲 1968 古葉竹識 1969 柴田勲 1970 東条文博 1971 高田繁 1972 柴田勲 1973 高木守道 1974 中塚政幸 1975 大下剛史 1976 衣笠祥雄 1977 柴田勲 1978 柴田勲 1979 高橋慶彦 1980 高橋慶彦 1981 青木実 1982 松本匡史 1983 松本匡史 1984 高木豊 1985 高橋慶彦 1986 屋鋪要, 平野謙 1987 屋鋪要 1988 屋鋪要 1989 正田耕三 1990 緒方耕一, 野村謙二郎 1991 野村謙二郎 1992 飯田哲也 1993 緒方耕一, 石井琢朗 1994 野村謙二郎 1995 緒方孝市 1996 緒方孝市 1997 緒方孝市 1998 石井琢朗 1999 石井琢朗 2000 石井琢朗 2001 赤星憲広 2002 赤星憲広 2003 赤星憲広 2004 赤星憲広 2005 赤星憲広 2006 青木宣親 2007 荒木雅博 2008 福地寿樹 2009 福地寿樹 2010 梵英心 2011 藤村大介 2012 大島洋平 2013 丸佳浩 2014 梶谷隆幸 2015 山田哲人 2016 山田哲人 2017 田中広輔 2018 山田哲人 2019 近本光司 2020 近本光司 2021 中野拓夢 2022 近本光司 2023 近本光司 2024 近本光司 表 話 編 歴 1950 千葉茂 1951 千葉茂 1952 千葉茂 1953 千葉茂 1954 箱田弘志 1955 井上登 1956 井上登 1957 井上登 1958 井上登 1959 土屋正孝 1960 井上登 1961 土屋正孝 1962 小坂佳隆 1963 高木守道 1964 高木守道 1965 高木守道 1966 高木守道 1967 高木守道 1968 土井正三 1969 土井正三 1970 安藤統夫 1971 国貞泰汎 1972 J.シピン 1973 J.シピン 1974 高木守道 1975 大下剛史 1976 D.ジョンソン 1977 高木守道 1978 D.ヒルトン 1979 F.ミヤーン 1980 基満男 1981 篠塚利夫 1982 篠塚利夫 1983 真弓明信 1984 篠塚利夫 1985 岡田彰布 1986 篠塚利夫 1987 篠塚利夫 1988 正田耕三 1989 正田耕三 1990 高木豊 1991 高木豊 1992 和田豊 1993 R.ローズ 1994 和田豊 1995 R.ローズ 1996 立浪和義 1997 R.ローズ 1998 R.ローズ 1999 R.ローズ 2000 R.ローズ 2001 E.ディアス 2002 今岡誠 2003 今岡誠 2004 荒木雅博, G.ラロッカ 2005 荒木雅博 2006 荒木雅博 2007 田中浩康 2008 東出輝裕 2009 東出輝裕 2010 平野恵一 2011 平野恵一 2012 田中浩康 2013 西岡剛 2014 山田哲人 2015 山田哲人 2016 山田哲人 2017 菊池涼介 2018 山田哲人 2019 山田哲人 2020 菊池涼介 2021 山田哲人 2022 牧秀悟 2023 牧秀悟 表 話 編 歴 1972 J.シピン 1973 J.シピン 1974 高木守道 1975 大下剛史 1976 D.ジョンソン 1977 高木守道 1978 土井正三 1979 高木守道 1980 基満男 1981 篠塚利夫 1982 篠塚利夫 1983 高木豊 1984 篠塚利夫 1985 岡田彰布 1986 篠塚利夫 1987 正田耕三 1988 正田耕三 1989 正田耕三 1990 正田耕三 1991 正田耕三 1992 和田豊 1993 和田豊 1994 和田豊 1995 立浪和義 1996 立浪和義 1997 立浪和義 1998 R.ローズ 1999 仁志敏久 2000 仁志敏久 2001 仁志敏久 2002 仁志敏久 2003 今岡誠 2004 荒木雅博 2005 荒木雅博 2006 荒木雅博 2007 荒木雅博 2008 荒木雅博 2009 荒木雅博 2010 平野恵一 2011 平野恵一 2012 田中浩康 2013 菊池涼介 2014 菊池涼介 2015 菊池涼介 2016 菊池涼介 2017 菊池涼介 2018 菊池涼介 2019 菊池涼介 2020 菊池涼介 2021 菊池涼介 2022 菊池涼介 2023 中野拓夢 2024 吉川尚輝 表 話 編 歴 77 星野仙一 88 田淵幸一 80 山本浩二 72 大野豊 11 川上憲伸 13 岩瀬仁紀 14 小林宏之 16 涌井秀章 18 ダルビッシュ有 19 上原浩治 27 藤川球児 28 長谷部康平 60 成瀬善久 10 阿部慎之助 22 里崎智也 39 矢野輝弘 6 井端弘和 7 西岡剛 17 荒木雅博 25 新井貴浩 36 宮本慎也 50 川﨑宗則 55 村田修一 5 和田一浩 9 大村三郎 23 青木宣親 29 森野将彦 41 稲葉篤紀 表 話 編 歴 77 星野仙一 88 田淵幸一(ヘッド兼打撃) 72 大野豊(投手) 80 山本浩二(守備走塁) 11 川上憲伸 13 岩瀬仁紀 15 田中将大 16 涌井秀章 17 成瀬善久 18 ダルビッシュ有 19 上原浩治 21 和田毅 28 藤川球児 47 杉内俊哉 10 阿部慎之助 22 里崎智也 39 矢野輝弘 2 荒木雅博 3 中島裕之 6 宮本慎也 7 西岡剛 25 新井貴浩 52 川﨑宗則 55 村田修一 23 青木宣親 31 森野将彦 41 稲葉篤紀 46 佐藤隆彦 表 話 編 歴 1位:荒木雅博 2位:門倉健(逆指名) 3位:藤井優志 4位:渡辺博幸 5位:大塔正明 6位:益田大介 7位:日笠雅人 VIAF 日本 CiNii Books CiNii Research 日本の野球選手 熊本県立熊本工業高等学校出身の野球選手 中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手 中日ドラゴンズの育成選手 盗塁王 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 NPBオールスターゲームMVP オリンピック野球日本代表選手 2008年北京オリンピック出場選手 名球会 日本の野球指導者 高校野球指導者 野球解説者 熊本県出身のスポーツ選手 1977年生 存命人物 ISBNマジックリンクを使用しているページ 2024/11/20 04:02更新
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araki masahiro
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