佐々木主浩の情報(ささきかづひろ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
佐々木 主浩さんについて調べます
■名前・氏名 |
佐々木主浩と関係のある人
谷繁元信: それでもしばらくは秋元との併用が続き、先発出場していた試合でも抑え投手の佐々木主浩が登板すると「佐々木のフォークボールが取れない」「暴投時に谷繁は手で捕りに行くが、秋元は身体で止めに行く」との理由から秋元に交代させられていた。 矢野輝弘: シーズン通算では打率が.211にとどまったものの、7月7日の対横浜ベイスターズ戦(大阪ドーム)では、1点ビハインドの9回裏2死1・2塁の打席で佐々木主浩(大学の1年先輩)からサヨナラ安打をマーク。 五十嵐英樹: 気の小ささをカバーするため、生やしたヒゲがトレードマークとなり、佐々木主浩の「大魔神」にちなんで「ヒゲ魔神」という愛称で呼ばれた。 古葉竹識: 後に1998年の優勝時の主力となる広島県出身の野村(少年野球時代に古葉の弟・福生の指導を受けた)、谷繁や石井琢朗、進藤達哉、佐々木主浩は木庭が獲得した選手で石井と進藤はドラフト外であった。 押山雄一: 田中将大VSダルビッシュ有、佐々木主浩(プロ野球剛球エース9番勝負、日本文芸社)※原作:眞島浩一 中根仁: これを受け横浜は12月、セットアッパーの佐野重樹が肘の手術で来季絶望となりリリーフ投手の補強を目論んでいた近鉄に、先発転向が失敗し右ひじを痛めて登板機会が減ってはいたが佐々木主浩とのダブルストッパーとして活躍していた盛田幸希を提示すると交換トレードが成立し、中根の横浜移籍が決まった。 杉下茂: 私と村山実、村田兆治、野茂英雄、佐々木主浩だ」と言い、現在の投手がフォークボールと称して投げているのはスプリットだと語っているほか、失投でないフォークボールが打たれたのは長嶋茂雄に一度だけだと語っている。 幕田賢治: 初打席:同上、9回表に佐々木主浩から二塁ゴロ 栗林良吏: 2022年は、3月31日の阪神タイガース戦(マツダ)でセーブを記録し、佐々木主浩が持つプロ野球記録の22試合連続セーブに並んだが、次の登板の4月2日の中日戦(バンテリンドーム ナゴヤ)で岡林勇希にサヨナラ安打を打たれ初のセーブ失敗を喫し、記録も途切れた。 松井秀喜: 日本人では1995年の野茂英雄、2001年のイチロー、佐々木主浩に続く4人目のオールスターゲーム出場となった。 高山健一: 初打席:同上、9回表に佐々木主浩の前に三振 山崎康晃: 29歳10か月での達成は1998年の佐々木主浩(30歳6か月)を抜き、史上最年少での達成となった。 近藤昭仁: 夏前には一時2位まで上昇するも、後半戦に入るとグレン・ブラッグスや佐々木主浩など主軸に故障者が続出し、優勝したヤクルトにも大きく負け越して5位に終わる。 吉田太: 1学年上に佐々木主浩、同期に小坂勝仁投手、矢野燿大、宮川一彦、1学年下に金本知憲(1浪入学)、斎藤隆や作山和英両投手らがいるなか、投手陣で左腕として活躍した。 高山樹里: ストレートと得意のライズボールで先発のほかリリーフとしても活躍し、佐々木主浩の「大魔神」になぞらえた「女大魔神」の異名を持つ。 矢野燿大: シーズン通算では打率が.211にとどまったものの、7月7日の対横浜ベイスターズ戦(大阪ドーム)では、1点ビハインドの9回裏2死1・2塁の打席で佐々木主浩(大学の1年先輩)からサヨナラ安打をマーク。 森跳二: 顔が佐々木主浩に似ていることから「赤大魔神」と呼ばれている。 野茂英雄: 一方、日本の野球殿堂では11月29日に競技者表彰候補に名を連ねていることが発表され、2014年1月17日に秋山幸二、佐々木主浩と共に競技者表彰者として殿堂入りしたことが野球殿堂博物館より発表された。 高橋善正: 佐々木主浩には最初の1年間は先発をやらせたが、腰を痛めていたため全然通用せず、リリーフに転向させた。 ボビー=ジェンクス: メジャー2年目までに40セーブ以上記録したのは佐々木主浩とチャド・コルデロの2人しかいない。 髙津臣吾: 2003年、佐々木主浩の持つ通算229セーブのプロ野球記録を更新。 若生照元: 引退後は大洋→横浜で営業・本部長・スカウト部長・球団代表を歴任し、スカウト時代には高校の後輩・佐々木主浩を担当。 江夏豊: シーズンの奪三振数が投球回数を上回ることは、佐々木主浩などの抑え投手では珍しくないが、先発投手では稀である。 広沢好輝: 初盗塁:1996年9月15日、対横浜ベイスターズ24回戦(横浜スタジアム)、8回表(投手:佐々木主浩、捕手:秋元宏作) 福盛和男: 2000年はメジャー移籍した佐々木主浩の後釜として期待されたラファエル・ベタンコートが抑えに定着できなかったことから、前半戦の抑えを務めるも首脳陣の信頼を得るに至らず、後半戦からルーキーの木塚敦志にその座を奪われ8月からは先発として登板すると8月こそ勝ち星は得れなかったが9月10月で4勝1敗の成績を記録した。 稲森いずみ: 2003年(平成15年)、プロ野球選手・佐々木主浩と共に、ベストフォーマリストを受賞。 権藤博: 横浜の監督となった1998年には抑え投手の佐々木主浩を不動の中心とし、リリーフ投手にも『中継ぎローテーション』を確立し、連投による酷使を極力避けさせた。 豊田次郎: 2回戦では自ら本塁打を放って黒須陽一郎や高林孝行を擁する立教に完投勝ちし、続く3回戦で佐々木主浩との投げ合いの末に東北高校に敗れている。 土橋勝征: 「ハマの大魔神」こと佐々木主浩に引導を渡したことでも印象深い選手である。 やくみつる: 熱狂的な横浜ベイスターズファンながら、選手の好き嫌いが激しく、高木豊や佐々木主浩などには、辛辣なネタを描くことが多かった。 |
佐々木主浩の情報まとめ
佐々木 主浩(ささき かづひろ)さんの誕生日は1968年2月22日です。宮城出身の野球選手のようです。
現在、卒業、父親、病気、テレビ、家族、引退、事件、結婚、離婚、再婚、ドラマ、映画に関する情報もありますね。去年の情報もありました。佐々木主浩の現在の年齢は56歳のようです。
佐々木主浩のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 佐々木主浩チャンネル 佐々木 主浩(ささき かづひろ、1968年2月22日 - )は、元プロ野球選手(投手)。現在は日本プロ野球名球会副理事長、野球解説者・野球評論家、タレント、馬主、レーシングチーム「D'station Racing」総監督。右投右打。 横浜ベイスターズでは1度のリーグ優勝、1度の日本シリーズ優勝に貢献。シアトル・マリナーズでは1度の地区優勝に貢献している。個人ではNPBで合計7個のタイトル(5個)・主要表彰(2個)を獲得、MLBでは合計1個の主要表彰を獲得している。 NPBとMLBで抑え投手として活躍。日本人選手として最多となるMLB通算129セーブ、NPB時代だけで歴代3位となる252セーブを記録するなどNPB/MLB通算で381セーブ(日本人史上初の通算300セーブ)を記録し、抑え投手として一時代を築いた。またMLBでアジア人史上2人目(日本人史上2人目)の新人王を受賞している。愛称は「大魔神」。ベイスターズ在籍時は「ハマの大魔神」と呼ばれたこともあった。 NPBシーズン&通算最多セーブポイント記録保持者(現在はセーブポイント制度が廃止されたため旧公式記録となっている)であり、日本プロ野球名球会初のセーブ数による入会者である。NPB最多タイ記録となる最優秀救援投手(現在の最多セーブ投手)を5回獲得している。 妻は榎本加奈子。 宮城県仙台市に生まれ、小学2年の時に泉市(現:仙台市泉区)の将監西小学校へ転校する。小学4年の時に地元の少年野球チーム「将監アタックス」で野球を始めた。4番でエースを務め、のびのび野球を通じて野球の楽しさを体感した。泉市立将監中学校では野球部に所属し、エースピッチャーがいたため主に野手として試合に出場。竹田利秋監督のスカウトがきっかけとなり、反対する周囲を説得して東北高等学校に進学した。竹田は佐々木について、高校時代から故障の多い投手ではあったが、克服する精神力も強かったと述べている。 東北高校では2年の夏からエースとして3季連続甲子園大会に出場し、3年生だった1985年には春・夏とも甲子園でベスト8に進出した。東北高校の同級生、チームメイトに葛西稔がいる。また、高校時代に親しかった同級生の2つ年下の弟は斎藤隆で、昔からの顔見知りであった。斎藤とは高校・大学・日本プロ野球で同じチームに所属することとなった。同年のドラフト会議では、夏の甲子園で優勝したPL学園高校の「KKコンビ」(桑田真澄・清原和博)や、同じく甲子園に出場した中山裕章(高知商業高校)がそれぞれドラフト1位で指名された一方、佐々木は故障がちだったことと、肩に担いで力任せに叩きつけるような投げ方(いわゆる「手投げ」)が各球団のスカウトから敬遠され、ドラフト指名を受けることはなかった。 高校卒業後は東京の大学へ進学することも考えたが、東京で遊びに走ることを憂慮した竹田監督の勧めで地元の東北福祉大学へ進学した。大学進学後は慢性的な故障に悩まされて腰の手術を受けるなど苦しい日々を過ごしていたが、最高球速140 km/h台後半の速球とフォークボールが横浜大洋ホエールズのスカウトの目に留まり、後にドラフト1位指名を受けるに至った。高校3年のころから佐々木に注目していたスポーツライターの樋口浩一は、高校時代にプロのスカウトから敬遠される原因となった叩きつけるような佐々木の投げ方が、フォークボールには適していたと述べている。 当時の東北福祉大野球部は黄金期を迎えていて、佐々木の東北福祉大学時代は1987年と1988年の全日本大学野球選手権大会で2度準優勝(2年・3年時)している。大学野球部の同僚には1学年上の上岡良一、同期の大塚光二(本名: 大塚孝二)、1学年下の矢野輝弘、2学年下の金本知憲(1浪入学)・浜名千広・斎藤隆らがいた。また大学在学中には高校野球の指導者になるために教員資格を取得している。 巨人ファンだったが、1989年のドラフト会議前には巨人だけが調査に来なかったため、それ以来巨人への敵意を抱くようになった。結果、横浜大洋ホエールズが1位指名で交渉権を獲得。大学時代は故障続きで腰の手術を受けたこともあって、「大塚君(同東北福祉大から西武ライオンズに3位指名の大塚孝二)はいいなあ。僕は欠陥商品ですから。」と発言し、プロ入りを拒否していたが、球団から説得され入団。東北福祉大から初めてのドラフト1位指名を受けた選手となった。契約金は6000万円、年俸は600万円(金額は推定)。背番号22は2月22日午後2時22分生まれに由来するといわれ、ルーキーイヤーの春季キャンプを扱ったスポーツニュースでは「平成2年2月22日に22歳の誕生日を迎えた背番号22の佐々木投手」という特集も組まれたこともある。また市外局番の「022…」が宮城県に割り振られていることにも言及し、「宮城県出身の私にとってもうれしい」と自著で触れている。以後日米のキャリアを通じて背番号22を着け続けた。 入団当時の監督、須藤豊は「チームで最もいい投手が抑えを務めるべきである」という考えから、看板投手の遠藤一彦を抑えに起用していたため、1年目の1990年は16試合に登板したが、先発でも7試合に登板した(記念すべき仙台での初先発の相手投手は山本昌であり、中日が勝利している)。同年は2勝4敗2セーブ、防御率5.85の成績で終わった。また、同年6月の対広島東洋カープ戦で二塁上で相手野手と交錯して右足首を痛め、3か月の戦線離脱も経験した。 1991年は1試合のみ先発で起用されたが、先発としては腰と肘に不安があったことや、中盤に球威が落ちることから、スタミナ面で課題が残る投手であった。しかし、遠藤の故障離脱により抑えに抜擢された所、安定した成績を収め定着。それ以降は救援に完全に転向し、速球と落差のあるフォークボールを武器に高い奪三振率を記録。8月28日の対広島戦では9回、見逃し5球、空振り4球、ファウルなしの「三者連続3球三振」を達成している。同年は58試合に登板して117イニング(規定投球回数は130イニング)を投げ、6勝9敗17セーブ、防御率2.00の好成績を残した。シーズン終盤には小谷正勝コーチから「先発で2試合ぐらいいけるだろう」と最優秀防御率のタイトルを狙うよう提案され、須藤監督に直談判したが断られた。なお、同タイトルは広島の佐々岡真司が2.44で獲得した。 1992年は開幕から1年間ストッパーを務め初タイトルである最優秀救援投手に輝く。また、この年は中継ぎの盛田幸妃から佐々木への継投リレーが確立された。 球団名が「横浜ベイスターズ」に変わった1993年は夏場に故障した影響で38試合で3勝6敗20セーブ、防御率3.27と今一つの成績で終わった。同年オフの契約更改の席で200万円ダウンの年俸5300万円を提示されたことに怒りの態度を見せ、トレード直訴、各球団争奪戦かと報じられた。一時は福岡ダイエーホークス有力とも言われ、横浜も最初は引き留める姿勢を見せていなかったが、後に「絶対出さない」という態度に転じ、球団によってトレード交渉当面凍結という宣言が出され、また当時の監督の近藤昭仁の説得もあって結局は残留という形で決着した。 1994年は2月に右肘遊離軟骨除去手術を受け、前半戦を棒に振る。その間は抑え投手の座を盛田に譲った。復帰は秋ごろと見込まれていたが、オールスターゲーム前に復帰し、それ以降は再び抑えになり、9月18日の広島戦で7者連続三振を記録している。この当時、サンケイスポーツの読売ジャイアンツ(巨人)担当記者が佐々木を(敵チームから見て)「悪魔の守護神」を略した「魔神」と表現する。また、佐々木の風貌が大映の劇中のキャラクター、「大魔神」に似ていることも相まり、「ハマの大魔神」というあだ名が定着した。 1995年は抑えとして完全復活を遂げ、自身初となる30セーブ越え、防御率1点台を記録し、3年ぶりに最優秀救援投手を獲得する。同年以降、4年連続で最優秀救援投手を獲得した。7月8日の対ヤクルト戦では史上最速となる通算500奪三振を達成。地元・横浜で開催されたオールスターにファン投票で選出され、先発登板。パ・リーグ先頭打者のイチローとの対決が話題となった。オフには横浜生え抜き投手として初の1億円プレイヤーとなる。同年には同い年の野茂英雄がMLBで活躍していたが、当時の佐々木本人は「米国に興味はない」と口にしていた。 1996年も2年連続となる最優秀救援投手を獲得。しかし、この年のシーズンオフに球団が有働勝次を解雇したことに怒り、メジャー・リーグへの移籍を示唆する。また、シーズンオフには自主トレーニング先のサイパン島で不祥事を起こした。 1997年はシーズン前の雑音を封印するかのように奮起し、シーズン無敗、防御率0点台の活躍を見せ、チームの2位躍進に貢献。3年連続の最優秀救援を獲得した。特にチームが急上昇した8月はプロ野球記録となる月間14セーブを挙げ、月間MVPを獲得。シーズンオフには約1億5000万円アップの年俸3億3000万円で更改した。 1998年は父親の一周忌でもある7月7日に(1996年8月31日以来の)675日ぶりの敗戦を記録するまでシーズン自責点0を続ける。結局、敗戦はその1敗のみで、51試合に登板して30セーブ以上挙げた投手の中でも歴代トップの防御率0.64(自責点4)という安定感ある成績を残し、史上初の40セーブ越えであり当時プロ野球記録で、135試合制の記録としては歴代最多となる45セーブ(当時公式記録の46セーブポイントも日本記録)を挙げ、4年連続となる最優秀救援投手賞を獲得して横浜の優勝に大きく貢献した。優勝決定直前の10月2日、チームは2位・中日ドラゴンズとの最後の直接対決となった中日対横浜24回戦(ナゴヤドーム)で、対中日戦7連勝目となる勝利を決めたが、この時にはチームがリードした状態で迎えた9回裏に佐々木が登板した際、敗北を決定づけられ優勝が絶望的になった中日ファンが「中日への怒りの声」として佐々木への大声援を上げた。また同試合後、中日の星野仙一監督は「やり直すしかない。来年な」と「ギブアップ宣言」を出している。10月8日のリーグ優勝を決めた阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)にも9回裏に抑えで登板し、新庄剛志から三振を奪って胴上げ投手となった。佐々木は後に自らこの試合を「ベストゲーム」としている。この年はシーズンのセーブ、セーブポイント数の日本記録に加え、6月4日の巨人戦で鹿取義隆を抜いて通算217セーブポイントの日本新記録(当時)、6月17日の阪神戦で17試合連続セーブの日本新記録、6月30日の広島戦で22試合連続セーブポイントの日本新記録、8月5日の阪神戦で江夏豊を抜いて通算194セーブの日本新記録(当時)、8月7日の広島戦でプロ野球史上初の2年連続30セーブを達成するなど、日本記録ラッシュが続いた。6月と9月の月間MVPも獲得している。9月19日には、横浜の優勝を祈願して横浜駅東口の地下街ポルタ内に、佐々木のフォークボールの握りを再現したブロンズ像を「ご神体」とした「ハマの大魔神社」が設置され、翌1999年1月17日に撤去されるまでの間に約1660万円のお賽銭が集まった。一方で、当時の横浜は38年ぶりの優勝で球団そのものが優勝慣れしていなかったため、リーグ優勝のビールかけでは通常常温のビールを使うところをキンキンに冷えたビールを用意してしまい、そのせいで佐々木は風邪を引き、日本シリーズでは38.3℃の高熱を出しながらの登板となった。フラフラになりながらの登板で投球に本来のキレがないものの抑え続け、第6戦で金村義明を併殺打に打ち取って胴上げ投手となり、MVPをはじめ、正力松太郎賞、日本プロスポーツ大賞を受賞。シーズンオフにはイチローとともにプロ野球史上初めて年俸5億円に達した。また「ハマの大魔神」はこの年の新語・流行語大賞を受賞するなど、社会現象となるほどの活躍を見せた。 1999年にFA権を取得し、メジャー移籍が可能になる。しかし開幕直後は開幕6連敗を喫するなど不調のチーム状況にあって出番がなく、4月21日に開かれた長崎での阪神戦では1点リードの9回に登板するも、大豊泰昭にフォークボールを打たれ、最終的には延長の末にチームは敗戦した。その後も前年のようなキレがなく、更に7月ごろにはFA権の行使によるメジャー移籍の噂が広まったほか、オールスターゲーム前には右肘手術を巡って球団幹部との対立が表面化する。オールスター戦後の8月1日に開催された対阪神19回戦で13試合ぶりのセーブを挙げたが、これが同シーズン、そして渡米前最後の登板となった。同年8月9日に右肘神経麻痺で手術を受け、シーズンの大半を棒に振ったが、シーズン中にもかかわらず手術を受けたことに対して球団は不信感を持ち、佐々木も移籍を匂わせるような発言をした。結局この年は長期離脱が響いて23試合の登板に終わり19セーブに留まったが、防御率は1.93とこの年も安定感は抜群だった。一方で佐々木の穴がV逸の最大の原因として挙げられた。 オフにトニー・アタナシオを代理人とし、11月1日にFA権を行使してMLB挑戦を表明し、12月18日にはシアトル・マリナーズと総額1200万ドル+出来高の3年契約(4年目は年俸500万ドルの球団オプション)を結ぶ。当時のマリナーズ筆頭オーナーであった任天堂の山内溥は「メジャーリーグのピカチュウになってほしい」とコメントした。メジャー移籍後、横浜球団が背番号22を他の選手に渡したのは、佐々木の行動に対する失望や不信感からだとされている。佐々木は日本一になった年のオフ、球団に「メジャーに行きたい」と訴えたが、強引に引き留められた。 2000年はスプリングトレーニングでホセ・メサとクローザーの座を争い、開幕5日前の3月30日にクローザーに指名される。4月5日のボストン・レッドソックス戦でメジャー初登板。この時セーフコ・フィールドの電光掲示板には「ようこそマリナーズ 大魔神」という日本語の電光文字と共に“DIAMAJIN”と文字が逆に表示されるハプニングもあった。しかし、5月10日のテキサス・レンジャーズ戦でデビッド・セギーに(1991年に落合博満に打たれて以来となる)サヨナラ本塁打を打たれ、12日のオークランド・アスレチックス戦でもマット・ステアーズにサヨナラ本塁打を打たれて中継ぎに降格。しかしその後、クローザーを務めたホセ・メサも23日のボルチモア・オリオールズ戦でサヨナラ本塁打を打たれたため、再びクローザーとして起用される。6月6日のコロラド・ロッキーズ戦では村上雅則と長谷川滋利に並ぶ日本人最多タイの9セーブ目を記録し、12日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で日本人最多の10セーブ目を挙げた。オールスターゲームに選出されることはなかったが、出場選手全員のサインがされた佐々木のユニフォームをアレックス・ロドリゲスから貰い、「一生の宝物です」とコメントした。 ポストシーズンでは、4試合に登板し無失点の投球で3セーブを挙げたが、チームはニューヨーク・ヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズで敗退した。レギュラーシーズンでは最終的にリリーフ投手中リーグ1位の奪三振率11.20、同6位のWHIP1.16の投球でメジャー新人記録の37セーブ(2010年にネフタリ・フェリスが40セーブを挙げ更新)を挙げ、アメリカンリーグ新人王に選ばれた。 2001年は4月16日のアナハイム・エンゼルス戦では自己最速となる96mph(約154km/h)を記録するなど好調なスタートを切り、4月のメジャー最多記録となる月間13セーブを挙げる。5月29日のオリオールズ戦では1994年にリー・スミスが達成したチーム46試合目に次ぐ史上2位のチーム50試合目での20セーブ到達を達成し、5月終了時点で21セーブと最多セーブは確実と見られていた。しかし、7月2日に29セーブ目を挙げて以降はセーブ機会が減り、オールスターゲームに選出されセーブを記録した他、8月2日のデトロイト・タイガース戦でNPB/MLB通算300セーブ、8月3日のクリーブランド・インディアンス戦でメジャー2年目でのアメリカンリーグ全チームからのセーブ、8月18日のニューヨーク・ヤンキース戦で当時の球団新記録となる38セーブをそれぞれ達成するも、終盤に右大腿を痛めて調子を崩し、マリアノ・リベラに5セーブ差のリーグ2位に終わった。レギュラーシーズン最終登板となった10月6日のレンジャーズ戦ではMLBタイ記録となるチーム116勝目を45セーブ目で飾り、「こんな試合を締めくくれたのは光栄です」と語った。 ポストシーズンでは4試合の登板で1セーブを挙げ、奪三振率13.63の快投を見せた。しかし、ヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズ第4戦では自己最速タイとなる96mph(約154km/h)を記録するも、アルフォンソ・ソリアーノにサヨナラ2点本塁打を打たれ、敗戦投手となり、チームは翌日の試合にも負けて敗退した。これが(その後低迷した)マリナーズがポストシーズンを戦った近年最後の試合で、結局、佐々木はワールドシリーズで登板する機会はなかった。オフにはシーズン終了報告で任天堂の本社を訪れ、メジャー移籍を目指していた谷繁元信の獲得を進言したが、入団には至らなかった。 2002年は夫人の病気により一時は日本に帰国したが、6月1日まで自責点0と好投を続けた。6月26日のアスレチックス戦で19セーブ目を挙げ、史上最速となるメジャー通算160試合目での通算100セーブを達成。オールスターゲームにも前年に続き2年連続で選出され、メジャーでは自己ベストの防御率2.52を残した。しかし後半は右肘を痛めてやや調子を崩し、自己ワーストとなる救援失敗8度を記録。レギュラーシーズン終了後は「アメリカ(MLB)にいるとテレビ(プレーオフ)を見てしまい、ポストシーズンに出場できなかった悔しさが倍増してしまう」と10月上旬に帰国した。 オフには日米野球の出場も辞退し、右肘の遊離軟骨除去手術を受けた。この年は他に、自らがオーナーを務めるモータースポーツチーム「TEAM 22」でフォーミュラ・ニッポンに参戦し、伊藤大輔をドライバーに起用した(メンテナンスはムーンクラフトに委託)。 2003年はアスレチックスとの日本開幕戦の記者会見にイチローと共に出席。シーズンでは4月3日のアスレチックス戦で1イニング4三振の珍記録を達成するが、4月23日に右腰の張りのため初の故障者リスト入り。5月には復帰し、投球にカットボールも交える余裕もできる程の好投を続けたが、6月8日に遠征から帰宅し、自宅にスーツケースを運び入れた際の転倒で右脇腹を強打し、再び故障者リスト入りする。この故障についてはGMに「最もがっかりした」と苦言を呈され、自身も「恥ずかしい。ほんと馬鹿だね、こんなところで」と悔んだ。8月13日のトロント・ブルージェイズ戦で復帰して以降は好調を維持した長谷川滋利がクローザーを務めたため、セットアッパーに回った。この年は昨年に引き続きフォーミュラ・ニッポンにも参戦(メンテナンスはチームルマンに委託)。脇阪寿一をドライバーに起用し、2勝を挙げた。12月には名球会の規約変更に伴い、名球会入りを果たす。 シーズン終了後の2004年1月20日に「日本で家族と一緒に暮らしたい」と説明し、マリナーズ退団を表明。同月27日にマリナーズからウェイバー公示され、翌30日付で自由契約選手として公示された。 ウェイバー公示後には古巣・横浜以外にも2002年優勝時の抑えの河原純一が前年に極度の不調に陥り抑えを固定できなくなった読売ジャイアンツ、伊達昌司や建山義紀など安定感のある投球を見せたリリーフ陣はいるものの抑えでは経験不足な面もありリリーフ陣の強化が必要な北海道日本ハムファイターズが獲得を検討したが、佐々木自身は退団表明以前から「もし日本に戻るなら(入団先は)ベイスターズしかない」と明言していた。巨人は1月30日、いったんは堀内恒夫監督が佐々木獲得に動くことを明言したが、その2時間後にはフロントが獲得断念を決定した。また日本ハムもコミッショナーへ佐々木の身分照会を行ったが、佐々木は2月2日になって日本ハムに断りの連絡を入れた。 2004年2月3日に5年ぶりの横浜復帰が発表され、2年総額13億円で契約を締結した。エディ・ギャラード(前年途中に中日から移籍)と抑えの座を競い、4月6日の阪神戦(横浜スタジアム)で1点リードの9回表に復帰後初登板を果たし、日本での通算230個目となるセーブを挙げた。球威こそ衰えていたが、数種類に変化するフォークボールと絶妙なコントロールで安定した成績を挙げていた。しかし、山下大輔監督の意向からかセーブ機会以外ではほとんど起用されず、チームにセーブ機会がない時には10試合以上登板がないこともあり8月になっても35試合以上に登板していないという状態になった。前半戦は好調を維持していたが、8月4日の中日ドラゴンズ戦、7日のヤクルト戦と連続して救援に失敗すると翌8日のヤクルト戦では土橋勝征、岩村明憲、古田敦也に3連続本塁打を打たれて逆転負けを喫する。突如として度重なる救援失敗を繰り返したことで11日、引退の意向を球団に伝えるが慰留を受けて後に撤回。また、1か月前から指先の感覚が麻痺し騙し騙し登板を続けていたが、骨棘が肘の神経を圧迫していたことと尺骨神経剥離が原因で、この年はそれ以降は登録を抹消され、来シーズンのため9月2日に手術に踏み切った。結局25試合の登板で1勝2敗19セーブ、防御率3.18とやや物足りない成績に終わった。 2005年は4月2日の中日戦でシーズン初登板するも高橋光信に逆転サヨナラ2点本塁打を打たれて敗戦投手になる。4月10日の阪神戦(甲子園)でも9回裏に藤本敦士にサヨナラ安打を打たれて敗戦投手となった。4月13日のヤクルト戦でシーズン初セーブを挙げ、翌14日は高津臣吾に次いで史上2人目となる通算250セーブを達成して一旦持ち直したように思われたが、4月21日のヤクルト戦でサヨナラ負けで敗戦投手になり、前年終盤の不調を引きずる形となり、この時点で8試合の登板で3敗4セーブ防御率9.53の成績となり二軍落ちした。この3敗は全て逆転サヨナラ負けである。その後は復帰を目指して調整を続けていたが調子は上がらず、その間に新外国人のマーク・クルーンが抑えに定着したこともあり、チームの戦力構想から外され、8月7日には現役引退を表明。「お袋の前で投げたい」との希望により、2日後の9日、故郷・仙台のフルキャストスタジアム宮城で行われた巨人戦で、高校時代からのライバルで親友でもある清原和博相手に、事実上の引退登板をした(結果は三振)。佐々木は球団との契約を盾に湘南シーレックスのユニフォームを着用せず、イースタン・リーグでの調整登板もしていない状態であることから、横浜の監督の牛島和彦はゲームに影響が出ないよう、普段は救援投手である秦裕二を先発させ、清原の第1打席で佐々木を投入。清原の打席後、改めて本来の先発投手門倉健を登板させるという継投策を取った。この投手起用について牛島は試合前、巨人の監督の堀内恒夫に「お騒がせして申し訳ない」と謝罪した。順位はおろかリーグ優勝さえ決まっていないレギュラーシーズン真っ只中でのこの引退登板については公式戦の私物化と非難する意見もあり、チーム内でもこの件に関し、野村弘樹一軍投手コーチと福田功一軍ヘッドコーチの間で対立が生じた。ちなみに、この仙台での試合は巨人の主催で開催されており、余計に物議を醸した。 10月8日の本拠地横浜スタジアムでのヤクルト戦で最終登板する予定だったが、今日の試合での登板はチームに迷惑をかけるとして自ら辞退し、セレモニーのみが行われた。この時の挨拶で「生涯野球人であることを誓います」と述べた。 現役引退後はTBSテレビ、TBSラジオ(2017年まで)、ニッポン放送(2018年以降)と日刊スポーツの野球解説者に就任し、野球評論家として活動。2010年12月7日、野球殿堂入り候補者名簿・プレーヤー部門に掲載される。2011年2月に韓国プロ野球・LGツインズの臨時インストラクターを務める。 2006年5月16日、NARの馬主登録、2006年11月にはJRAの馬主登録を行っている。当初は所有馬に「マジン」の冠名を付けていたが、近年は所有馬の名前に「ヴ」を含めており、2018年のインタビューで「「VICTORY」の「V」ですし、みんな活躍してくれているので必ず"ヴ"を入れるようにしている」と明かしている。馬名は主に加奈子夫人が付けているという。 2012年2月11日のクイーンカップで所有馬のヴィルシーナ(栗東:友道康夫厩舎)が1着となり馬主として初めて重賞競走を制覇すると、さらに翌々週には阪急杯でもマジンプロスパーが優勝している。2013年5月12日、ヴィクトリアマイルでヴィルシーナが優勝し、初のGI競走制覇を果たしている。2017年3月25日、ヴィブロスがドバイターフを勝利し、初の海外GI制覇を果たした。当日は佐々木も加奈子夫人とともにドバイ・メイダン競馬場で観戦しており、勝利後の表彰式に出席している。少ない頭数で複数の活躍馬が出ているため、JRAの馬主の中で持ち馬の1レースあたりの平均賞金額が1位であった(2018年当時)。 2014年1月17日、野球殿堂博物館より平成26年度野球殿堂競技者表彰者として秋山幸二(元福岡ソフトバンクホークス監督)、野茂英雄(元近鉄バファローズ、ロサンゼルス・ドジャースなど)と共に選出された。 2016年2月2日、同期生のライバルだった清原和博が覚醒剤所持で逮捕された事件に関し、佐々木は「2年前に一緒に食事した時は『(薬物を)やってない』と言っていたのに。残念というか、裏切られた気持ちで悲しい」とショックを隠せなかった。同年5月17日に行われた清原の初公判には、自ら「情状証人」として出廷したことでも話題となり、閉廷後の佐々木は被告人の清原に対し「彼の更生への本気度は(法廷での)涙を見れば(分かる)。それだけの精神力は野球をやってきたから頑張ってくれる筈」「彼のあんな顔を見たくない。早く笑顔の清原に戻って欲しい」と終始複雑な表情でコメントした。佐々木は逮捕後の清原の目付け役であった。 2017年2月15日、SUPER GTやスーパー耐久に参戦している「D'station Racing」のチーム総監督に就任。日本のモータースポーツ界には14年ぶりの復帰となる。「前回は現役時代だったのでなかなかサーキットに足を運べなかった」点を反省し、極力レースの現場に訪れるようにしているという。同年タイ・ブリーラム戦では、スタート前の雨で路面が濡れている中晴れ用のスリックタイヤを佐々木監督自ら決断、これが的中し3位表彰台を獲得している。100周年記念となった2023年ル・マン24時間レースでも監督としてチームを率いた。 2018年8月に開催された第100回全国高等学校野球選手権記念大会において、8月20日の準決勝戦第二試合・大阪桐蔭高校対済美高校戦のプレーボール直前で、レジェンド始球式に登場。フォークボールは敢えて投げず、真ん中速球のボールを放り投げると、甲子園球場の大観衆から盛大な拍手喝采が沸いていた。なお同日準決勝・第一試合前の始球式では、佐々木と同級生の桑田真澄(PL学園高校出身)も出場した。さらにそのレジェンド始球式の数日前には、親友の清原に捕手としてキャッチボールの練習パートナーを務めて貰ったことを明かしている。 最速154km/hの速球と数種類のフォークボールを武器とした他、120 km/h台のカーブも混ぜ、2003年にはカットボールも投げた。 握力が非常に強く、佐々木の投げる落差の大きなフォークは、「2階からのフォーク」とも形容された。カウントを取るための遅いフォークと三振を奪うための速いフォークを投げ分けた。フォーシームの握りで速球を投げるように手首を固定せずスナップを利かせて回転をかけることで投げる140km/h前後のフォークと、手首を固定しほぼ無回転のチェンジアップ気味のフォークを投げ、縫い目にかける指を調節することで軌道を左右に振り分けることもできた。ボールにわずかなジャイロ回転を掛けることで落差が増し、回転しているので打者にフォークと判別され難い。また、握りで球種を見破られることを防ぐために横幅の広い特注のグラブを作った他、リリースの瞬間に速球の握りからフォークの握りに変えるなどの工夫も凝らした。 カーブは、メジャー移籍前の横浜時代には遊び球として使用したが、捕手の谷繁元信が「怖くて実戦では使えない」として数球ほどしか披露されていない。一方、シアトル・マリナーズ移籍後は、ダン・ウィルソン捕手がこのカーブを高評価し、実戦でもフォークによく織り込んで投げていた。 プロ入り当初は走者がいない時はノーワインドアップで投球していたが、抑え投手に定着してからは走者がいなくてもセットポジションで大きく足を挙げて投球していた。また、走者がいる際は足をあまり上げずにすり足気味で投球をしていた。 佐々木を苦手としていた打者は多く、特に巨人時代の松井秀喜は打率.080(25打数2安打)と佐々木を大の苦手としていたが、落合博満は打率.444(36打数16安打4本塁打)と佐々木をカモにしていた。巨人時代に落合は佐々木から2本塁打を放っているが、2本とも松井が倒れた直後に打っている。 野村克也はフォームの癖を懸命に見つけ出そうとしたが、最後まで見つけられなかったという。 大洋・横浜時代の先輩で投手コーチと投手の関係だったでも齊藤明雄は「ストレート、カーブ、フォークの3つ。どの球種も、入団したときから凄かった。カーブはリリーフでは投げていませんでしたが、先発の時は投げていました。体が日本人離れしていましたね。骨格がしっかりしていた。怪我にも強かった。僕が投手コーチになった時、9回から逆算できるので楽でした。9回が佐々木で、6、7、8回はこのピッチャーで、先発は5回まで何とかなる。佐々木は、ああ見えて神経が細かくて繊細です。だからコントロールが良いし、ストライクゾーンにフォークが投げられた。集中してコーナーに投げられるピッチャーでした。」と述べている。 小学校時代の自身の経験から「中学生までは、厳しく叱責せず楽しく野球をやらせるべき」との考えを持つ。小学生からアドバイスを求められても技術的な指導はしないという。 甘いもの(特にプリン)が好物である。また、料理も小学生の頃からしていたため得意。父親が乳製品メーカーに勤めていたため、子供時代は乳飲料を水の様に飲用していた。 商業用(いわゆるBBM系など)のトレカにはサインをしない主義であったが、「BBM2006 1st Version」の「引退選手」のコンテンツで初めて商業用の直筆サインを50枚書いた。 1990年代後半に、よくゲストで登場していた『ショウアップナイタープレイボール』で横浜の先発オーダーを佐々木が発表する際、日本人選手では年上の駒田徳広には「5番ファースト駒田さん」と敬称を付けていた(中根仁ら他の年上の選手が先発の際も同様)。 1991年に元アイドルの清水香織と結婚。その後、長女と長男が誕生したが、2005年3月18日に離婚。子供2人の親権は佐々木が持つことになった。翌月の4月29日に榎本加奈子との間に男児が生まれ、5月9日に再婚。2006年6月29日、再婚後2人目の子(男児)が誕生した。 各年度の太字はリーグ最高 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更 最優秀救援投手:5回(1992年、1995年 - 1998年)※最多タイ記録(他は江夏豊、赤堀元之、岩瀬仁紀)、4年連続は最長タイ記録(他は江夏豊) 最優秀選手:1回(1998年) ベストナイン:1回(投手部門:1998年) セ・リーグ連盟特別表彰:1回(会長特別賞:2005年) 野球殿堂競技者表彰(2014年) 正力松太郎賞:1回(1998年)※選手として表彰 最優秀投手:1回(1998年) 月間MVP:4回(投手部門:1991年7月、1997年8月、1998年6月、1998年9月) ファイアマン賞:5回(1992年、1995年、1996年、1997年、1998年) 最優秀バッテリー賞:1回(1998年 捕手:谷繁元信) 優秀JCB・MEP賞:1回(1998年) JA全農Go・Go賞:1回(最多奪三振賞:1992年5月) IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:2回(1997年、1998年) 日本プロスポーツ大賞
殊勲賞:1回(2000年) 報知プロスポーツ大賞:1回(1998年) 毎日スポーツ人賞ファン賞:1回(1998年) 新人王(2000年)※アジア人史上2人目、日本人史上2人目 Topps ルーキーオールスターチーム(英語版)(右投手部門:2000年) Baseball Digest ルーキーオールスターチーム(英語版)(リリーフ投手部門:2000年) 新語・流行語大賞年間大賞:『ハマの大魔神』(1998年) 初登板:1990年4月7日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤ球場)、10回裏に4番手として救援登板・完了、1回無失点 初奪三振:同上、10回裏に落合博満から 初セーブ:1990年4月11日、対広島東洋カープ2回戦(横浜スタジアム)、8回表に4番手として救援登板、2回1失点 初先発登板:1990年5月13日、対中日ドラゴンズ6回戦(宮城球場)、4回1/3を3失点で敗戦投手 初勝利・初先発勝利:1990年5月24日、対ヤクルトスワローズ8回戦(明治神宮野球場)、5回3失点 100セーブ:1995年9月27日、対読売ジャイアンツ26回戦(東京ドーム)、8回裏二死に3番手として救援登板・完了、1回1/3を無失点 ※史上8人目 150セーブ:1997年8月7日、対阪神タイガース17回戦(横浜スタジアム)、8回表二死に5番手として救援登板・完了、1回1/3を無失点 ※史上2人目 200セーブ:1998年9月4日、対中日ドラゴンズ18回戦(ナゴヤドーム)、10回裏二死に4番手として救援登板・完了、1/3回無失点 ※史上初 250セーブ:2005年4月14日、対ヤクルトスワローズ2回戦(横浜スタジアム)、9回表に4番手として救援登板・完了、1回無失点 ※史上2人目 3者連続3球三振:1991年8月28日、対広島東洋カープ23回戦(広島市民球場)、9回裏に達川光男・原伸樹・音重鎮から ※史上10人目(セ・リーグ6人目) 月間セーブ:14(1997年8月) ※NPB記録 連続試合セーブ:22(1998年4月26日 - 6月30日) ※NPB記録 連続試合セーブポイント:22(1998年4月26日 - 6月30日) ※セ・リーグ記録 シーズン・セーブポイント:46(1998年) ※NPB記録 通算セーブポイント:289 ※NPB記録 オールスターゲーム出場:8回(1992年、1993年、1995年、1996年、1997年、1998年、1999年、2004年) MLBオールスターゲーム選出:2回(2001年、2002年) 22(1990年 - 2005年) 日本ジュエリーベストドレッサー賞(男性部門:1999年) ベストフォーマリスト(男性部門:2003年) ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー(1997年) ゆうもあ大賞(1997年) 宮城県民栄誉賞(1998年) 新語・流行語大賞 年間大賞(1998年、「ハマの大魔神」) 漫画『ササキ様に願いを』(みずしな孝之)- 自称「ササキ様」で傲慢かつ乱暴なキャラとして登場している。漫画の知名度が上がったため実際の佐々木も「ササキ様」と呼ばれるようになった。 パチンコCR大魔神 - 2005年3月リリース S☆1 BASEBALL S☆1(準レギュラー) みんなのKEIBA(不定期出演) 競馬BEAT(関西テレビ・不定期出演) 人間ビジョンスペシャル「心の中の国境〜無国籍投手スタルヒンの栄光と挫折〜」(2004年2月15日、北海道テレビ放送制作・テレビ朝日系全国ネット) ほか 武蔵 MUSASHI(2003年NHK、大河ドラマ)- 大野治房 役 孤独のグルメ Season8 第1話(2019年10月4日、テレビ東京) - 店の客 役 オールドルーキー 第1話(2022年6月26日、TBS)- 佐々木主浩(本人役) 役 サンドナイツがプロ野球選手だけの居酒屋はじめました 第1話(2023年1月6日〈予定〉 - 、テレビ東京 他) TBSラジオ エキサイトベースボール - TBSラジオがプロ野球中継から撤退した2017年度まで出演 スポーツBOMBER(TBSラジオ) ショウアップナイタープレイボール(ニッポン放送) 佐々木主浩のスポーツKING!(ニッポン放送) ニッポン放送ショウアップナイター - 2018年度から解説者として出演 ほか 日清食品「ごんぶと」 ネスレ日本「ネスレ・ミロ」 常盤薬品工業「ビタシーゴールド」 任天堂「モバイルアダプタGB」 キリンビール「麒麟淡麗〈生〉」 文部科学省「薬物濫用防止キャンペーン」 サントリー「烏龍茶」 - 江川卓、達川光男、新庄剛志と共演。 ほか 大魔神伝(2000/5・集英社) ISBN 4087803112 ロッカールーム―僕とメジャーリーガーたちの栄光と屈辱(2003/3・祥伝社) ISBN 4396611838 奮起力。 (2010/04・創英社 ISBN 4881421921 break new ground(2000年3月1日) - 前田たかひろ作詞、小室哲哉作曲・編曲・プロデュース。1998年8月に佐々木がglobeのコンサートに赴いた際、小室が「横浜が優勝したら曲を作る」と約束。その後優勝した際、約束通りに提供した。 2006年に馬主デビュー。当初はホッカイドウ競馬で馬を所有していた。その後、アドマイヤの冠名で知られる近藤利一と知り合い中央競馬の馬主になることをすすめられ、近藤所有馬として既にデビューしていたアドマイヤマジンを共同保有することになった。おおむね一世代に1頭ないし2頭を保有している。佐々木は「尻尾がない馬」として有名だったハルーワスウィートのファンであり、下記の馬もほとんどがハルーワスウィート産駒もしくはその血を引く馬である。 太字は勝利GI ヴィルシーナ(2013年・2014年ヴィクトリアマイル、2012年 クイーンカップ、桜花賞2着、優駿牝馬2着、秋華賞2着、エリザベス女王杯2着) マジンプロスパー(2012年阪急杯、2012年・2013年CBC賞) ヴィブロス(2016年秋華賞、2017年ドバイターフ) シュヴァルグラン(2016年阪神大賞典、アルゼンチン共和国杯、2017年ジャパンカップ) ブラヴァス(2020年新潟記念) ディヴィーナ(2023年府中牝馬ステークス)
ヴィルシーナ
マジンプロスパー
ヴィブロス
シュヴァルグラン
ブラヴァス
ディヴィーナ
^ NPB・最優秀救援投手5個 ^ NPB・最優秀選手1個、ベストナイン1個 ^ MLB・新人王 ^ MLBでも "Daimajin" という異名で呼ばれ、大映(現 KADOKAWA)の同名の特撮キャラクターの大魔神と商品展開や宣伝などでもタイアップを行ってきた。 ^ 生まれた時間が2月22日2時22分だったこと、プロ宣告が告げられた日が12月22日、連続試合セーブ数が22、娘の誕生が2時22分だったなど、22に縁のある出来事が続いたエピソードが、NHKのテレビ番組・『あさイチ』で「大魔神の奇縁」として紹介された。 ^ 佐々木や同じく背番号22を背負ってリリーフ投手として活躍した高津臣吾(ヤクルト他)の登場以降、背番号22はクローザーを務める選手に与えられることが多くなり、当時阪神タイガースの藤川球児は同じ背番号を着けることになった際、「佐々木さんや高津さんと同じ背番号で光栄」と語っている。 ^ 後年の近藤の証言によれば、横浜球団は高木豊らベテラン6選手の戦力外通告問題を巡って球団に不満を抱いていた佐々木をオリックス・ブルーウェーブに放出して鈴木一朗(後のイチロー)を獲得するトレードの打診を行っていたが、オリックスの新監督に就任した仰木彬の反対で流れたという。 ^ 佐々木と親交が深い、ニッポン放送の松本秀夫アナウンサーが「大魔神」と命名したという話もある「ニッポン放送番組審議会だより 第219回ニッポン放送番組審議会議事概要 - ウェイバックマシン(2002年7月14日アーカイブ分)」『ニッポン放送』 ニッポン放送、1998年10月20日。 ^ サンケイスポーツだけは魔神という表記を続け、またグループ企業のニッポン放送の番組では引退後も「魔神」と呼ばれることが多い。 ^ この45セーブは計算上3試合に1セーブを記録していることになり、46セーブを記録している岩瀬仁紀(3.17試合)、藤川球児(3.13試合)を超える記録(非公式)であり、現に岩瀬は140試合目で、藤川は142試合目で45セーブに到達している。防御率0点台かつ30セーブ以上を2度記録した投手は他に藤川がいるが、佐々木はストッパーとして唯一の2年連続防御率0点台を記録している。 ^ お賽銭は全額横浜市社会福祉協議会に寄付された。 ^ 佐々木はマリナーズ時代の2002年10月13日に行われた野村弘樹の引退試合で砂原幸雄オーナー(TBS会長 / TBSは同年から横浜球団のオーナー企業)と初対面した際、将来的に横浜に復帰したい意向を直訴していた。 ^ 当時、背番号22は吉見祐治(東北福祉大の後輩)が着用していたが、佐々木(22を着用)の復帰に伴い「21」に変更した。またこれに伴い、若田部健一(背番号21)も背番号を「14」に変更した。 ^ 通称「新人ベストナイン」。選出対象となる新人扱い選手を両リーグ統一した中で、各守備位置ごとに各球団監督の投票により選出される(例えばシルバースラッガー賞のように各リーグごとに選出されるのではない)。投手部門には2009年まで「右投手」「左投手」の2部門があり、2010年以降は「リリーフ投手」が追加されて基本3部門がある。 ^ 「佐々木 主浩(横浜ベイスターズ) | 個人年度別成績 | NPB.jp 日本野球機構」。2023年4月16日閲覧。 ^ 佐々木主浩 | プロフィール・成績・速報・ドラフト・ニュースなど選手情報 - 週刊ベースボールONLINE ^ 「ホントに大きい!」『大魔神カノン』主演女優・里久鳴祐果、リアル大魔神・佐々木主浩のデカさに口あんぐり ^ CR大魔神 ^ ダイマンCR 佐々木和弘 野球フィギュア 日本大栄海寿ソフビ ^ 佐々木主浩『奮起力。―人間「佐々木主浩」から何を学ぶのか』創英社/三省堂書店、2010年、25頁。ISBN 978-4-881-42192-5。 ^ 佐々木主浩『奮起力。―人間「佐々木主浩」から何を学ぶのか』創英社/三省堂書店、2010年、29頁。ISBN 978-4-881-42192-5。 ^ 佐々木主浩『奮起力。―人間「佐々木主浩」から何を学ぶのか』創英社/三省堂書店、2010年、32頁。ISBN 978-4-881-42192-5。 ^ 佐々木主浩『奮起力。―人間「佐々木主浩」から何を学ぶのか』創英社/三省堂書店、2010年、34頁。ISBN 978-4-881-42192-5。 ^ 『東京新聞』1999年11月22日夕刊三面3頁「US SPORTS ONLINE 樋口浩一 災い転じて大魔神」(中日新聞東京本社 樋口浩一 スポーツライター=在ロサンゼルス) ^ 佐々木主浩『奮起力。―人間「佐々木主浩」から何を学ぶのか』創英社/三省堂書店、2010年、67頁。ISBN 978-4-881-42192-5。 ^ 佐々木主浩『奮起力。―人間「佐々木主浩」から何を学ぶのか』創英社/三省堂書店、2010年、80頁。ISBN 978-4-881-42192-5。 ^ 阿見俊輔「魔神が古巣へ復帰?「もしならばベイスターズしかない」」『SANSPO.COM』産業経済新聞社、2004年1月13日。2004年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2004年1月14日閲覧。 ^ 「【11月26日】1989年(平元) 史上最多8球団指名、野茂英雄と外れ1位」『スポーツニッポン』2007年11月26日。2008年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月26日閲覧。 ^ 「【オリックス】東北福祉大の154キロ右腕・椋木蓮 「一番ビリ」からドラ1に成長 愛称は「ムック」」『スポーツ報知』2022年10月12日。2022年5月13日閲覧。 ^ 朝日新聞、1989年12月17日付朝刊 (14版、25面) ^ 「先発と救援のレジェンドがバチバチ! 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大下弘, 小鶴誠 81 飯田徳治, 岩本義行 83 三原脩 85 杉下茂, 白石勝巳, 荒巻淳 88 長嶋茂雄, 別当薫, 西本幸雄, 金田正一 89 島秀之助, 野村克也, 野口二郎 90 真田重蔵, 張本勲 91 牧野茂, 筒井修, 島岡吉郎 92 廣岡達朗, 坪内道則, 吉田義男 93 稲尾和久, 村山実 94 王貞治, 与那嶺要 95 杉浦忠, 石井藤吉郎 96 藤田元司, 衣笠祥雄 97 大杉勝男 99 中西太, 広瀬叔功, 古葉竹識, 近藤貞雄 00 米田哲也 01 根本陸夫, 小山正明 02 山内一弘, 鈴木啓示, 福本豊, 田宮謙次郎 03 上田利治, 関根潤三 04 仰木彬 05 村田兆治, 森祇晶 06 門田博光, 高木守道, 山田久志 07 梶本隆夫 08 山本浩二, 堀内恒夫 09 若松勉 10 東尾修 11 落合博満 12 北別府学, 津田恒実 13 大野豊 14 野茂英雄, 秋山幸二, 佐々木主浩 15 古田敦也 16 斎藤雅樹, 工藤公康 17 伊東勤 18 松井秀喜, 金本知憲 19 立浪和義 22 髙津臣吾, 山本昌 23 アレックス・ラミレス 24 谷繁元信, 黒田博樹 25 イチロー, 岩瀬仁紀 09 青田昇 10 江藤慎一 11 皆川睦雄 13 外木場義郎 16 榎本喜八 17 星野仙一, 平松政次 18 原辰徳 19 権藤博 20 田淵幸一 23 ランディ・バース 25 掛布雅之 59 正力松太郎, 平岡凞, 青井鉞男, 安部磯雄, 橋戸信, 押川清, 久慈次郎, 沢村栄治, 小野三千麿 60 飛田忠順, 河野安通志, 桜井彌一郎 62 市岡忠男 64 宮原清 65 井上登, 宮武三郎, 景浦將 66 守山恒太郎 67 腰本寿 68 鈴木惣太郎, 田邊宗英, 小林一三 69 三宅大輔, 田部武雄, 森岡二朗, 島田善介, 有馬頼寧 70 田村駒治郎, 直木松太郎, 中馬庚 71 小西得郎, 水野利八 72 中野武二, 太田茂 73 内海弘蔵, 天野貞祐, 広瀬謙三 74 野田誠三 76 小泉信三 77 森茂雄, 西村幸生 78 伊丹安広, 吉原正喜, 岡田源三郎 79 平沼亮三, 谷口五郎 80 千葉茂 81 佐伯達夫, 小川正太郎 82 鈴木龍二, 外岡茂十郎 83 内村祐之 84 桐原眞二 85 田中勝雄, 山内以九士 86 中河美芳, 松方正雄 87 藤田信男, 山下実 88 横沢三郎, 芥田武夫, 永田雅一 89 池田恒雄, 伊達正男 90 佐伯勇 91 中澤良夫 92 吉田正男 94 廣岡知男 95 呉昌征, 村上實 96 牧野直隆, 保坂誠 97 山本英一郎 98 中尾碩志, 井口新次郎 99 吉國一郎 00 福島慎太郎 01 武田孟, 長谷川良平 02 中澤不二雄, 生原昭宏 03 松田耕平 04 秋山登 05 志村正順 06 川島廣守, 豊田泰光 07 松永怜一 08 嶋清一 09 大社義規, 君島一郎 10 古田昌幸 12 長船騏郎, 大本修 13 福嶋一雄 14 相田暢一 15 林和男, 村山龍平 16 松本瀧藏, 山中正竹 17 郷司裕, 鈴木美嶺 18 瀧正男 19 脇村春夫 20 前田祐吉, 石井連藏 21 川島勝司, 佐山和夫 22 松前重義 23 古関裕而 24 谷村友一 25 富澤宏哉 02 フランク・オドール, 正岡子規 03 ホーレス・ウィルソン, 鈴鹿栄 表 話 編 歴 金田正一 稲尾和久 小山正明 米田哲也 梶本隆夫 皆川睦雄 村山実 鈴木啓示 堀内恒夫 山田久志 江夏豊 平松政次 東尾修 村田兆治 北別府学 佐々木主浩 高津臣吾 工藤公康 野茂英雄 山本昌広 岩瀬仁紀 黒田博樹 上原浩治 藤川球児 平野佳寿 山内一弘 榎本喜八 野村克也 長嶋茂雄 広瀬叔功 張本勲 王貞治 江藤慎一 土井正博 高木守道 松原誠 柴田勲 大杉勝男 藤田平 衣笠祥雄 福本豊 山崎裕之 山本浩二 有藤通世 若松勉 谷沢健一 加藤秀司 門田博光 大島康徳 新井宏昌 秋山幸二 駒田徳広 立浪和義 鈴木一朗(イチロー) 清原和博 古田敦也 野村謙二郎 石井琢朗 松井秀喜 田中幸雄 前田智徳 金本知憲 松井稼頭央 小笠原道大 稲葉篤紀 宮本慎也 小久保裕紀 アレックス・ラミレス 中村紀洋 谷繁元信 井口資仁 和田一浩 新井貴浩 福留孝介 荒木雅博 青木宣親 阿部慎之助 鳥谷敬 内川聖一 福浦和也 坂本勇人 栗山巧 大島洋平 表 話 編 歴 1977 王貞治 1978 広岡達朗 1979 西本幸雄 1980 古葉竹識 1981 藤田元司 1982 広岡達朗 1983 田淵幸一 1984 衣笠祥雄 1985 吉田義男 1986 森祇晶 1987 工藤公康 1988 門田博光 1989 藤田元司 1990 森祇晶 1991 秋山幸二 1992 石井丈裕 1993 野村克也 1994 長嶋茂雄, イチロー 1995 イチロー 1996 仰木彬 1997 古田敦也 1998 佐々木主浩 1999 王貞治 2000 松井秀喜 2001 若松勉 2002 原辰徳 2003 王貞治, 星野仙一 2004 伊東勤 2005 ボビー・バレンタイン 2006 王貞治 2007 落合博満 2008 渡辺久信 2009 原辰徳 2010 西村徳文 2011 秋山幸二 2012 原辰徳, 阿部慎之助 2013 星野仙一 2014 秋山幸二 2015 工藤公康 2016 栗山英樹 2017 デニス・サファテ 2018 工藤公康 2019 工藤公康 2020 工藤公康 2021 高津臣吾 2022 中嶋聡 2023 岡田彰布 2024 三浦大輔 2004 イチロー 2013 田中将大 2021 稲葉篤紀, 大谷翔平 2022 村上宗隆 2023 栗山英樹, 大谷翔平 2024 大谷翔平 表 話 編 歴 1968 西城正三 1969 読売ジャイアンツ 1970 大鵬幸喜 1971 長嶋茂雄 1972 松本勝明 1973 沢村忠 1974 王貞治 1975 広島東洋カープ 1976 王貞治 1977 王貞治 1978 ヤクルトスワローズ 1979 具志堅用高 1980 具志堅用高 1981 中野浩一 1982 落合博満 1983 広岡達朗 1984 衣笠祥雄 1985 ランディ・バース 1986 落合博満 1987 岡本綾子 1988 千代の富士貢 1989 千代の富士貢 1990 野茂英雄 1991 辰吉丈一郎 1992 貴花田光司 1993 三浦知良 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 尾崎将司 1997 中田英寿 1998 佐々木主浩 1999 松坂大輔 2000 松井秀喜 2001 イチロー 2002 FIFAワールドカップ日本代表 2003 松井秀喜 2004 朝青龍明徳 2005 朝青龍明徳 2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 2007 浦和レッドダイヤモンズ 2008 石川遼 2009 石川遼 2010 白鵬翔 2011 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表 2012 阿部慎之助 2013 田中将大 2014 錦織圭 2015 ラグビー日本代表 2016 大谷翔平 2017 福岡ソフトバンクホークス 2018 大谷翔平 2022 井上尚弥 2023 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 表 話 編 歴 49 ロイ・シーバース(英語版) 50 ウォルト・ドローポ(英語版) 51 ギル・マクドゥガルド(英語版) 52 ハリー・バード(英語版) 53 ハービー・キーン 54 ボブ・グリム(英語版) 55 ハーブ・スコア 56 ルイス・アパリシオ 57 トニー・クーベック 58 アルビー・ピアーソン(英語版) 59 ボブ・アリソン 60 ロン・ハンセン(英語版) 61 ドン・シュウォール(英語版) 62 トム・トレッシュ(英語版) 63 ゲイリー・ピーターズ(英語版) 64 トニー・オリバ 65 カート・ブレファリー(英語版) 66 トミー・エイジー 67 ロッド・カルー 68 スタン・バーンセン(英語版) 69 ルー・ピネラ 70 サーマン・マンソン 71 クリス・チャンブリス 72 カールトン・フィスク 73 アル・バンブリー 74 マイク・ハーグローヴ 75 フレッド・リン 76 マーク・フィドリッチ 77 エディ・マレー 78 ルー・ウィテカー 79 ジョン・カスティーノ(英語版)、アルフレッド・グリフィン 80 ジョー・シャボニュー 81 デイブ・リゲッティ 82 カル・リプケン・ジュニア 83 ロン・キトル 84 アルビン・デービス 85 オジー・ギーエン 86 ホセ・カンセコ 87 マーク・マグワイア 88 ウォルト・ワイス 89 グレッグ・オルソン 90 サンディー・アロマー・ジュニア 91 チャック・ノブロック 92 パット・リスタッチ 93 ティム・サーモン 94 ボブ・ハムリン(英語版) 95 マーティ・コードバ 96 デレク・ジーター 97 ノマー・ガルシアパーラ 98 ベン・グリーブ 99 カルロス・ベルトラン 00 佐々木主浩 01 イチロー 02 エリック・ヒンスキー 03 アンヘル・ベローア 04 ボビー・クロスビー 05 ヒューストン・ストリート 06 ジャスティン・バーランダー 07 ダスティン・ペドロイア 08 エバン・ロンゴリア 09 アンドリュー・ベイリー 10 ネフタリ・フェリス 11 ジェレミー・ヘリクソン 12 マイク・トラウト 13 ウィル・マイヤーズ 14 ホセ・アブレイユ 15 カルロス・コレア 16 マイケル・フルマー 17 アーロン・ジャッジ 18 大谷翔平 19 ヨルダン・アルバレス 20 カイル・ルイス 21 ランディ・アロサレーナ 22 フリオ・ロドリゲス 23 ガナー・ヘンダーソン 表 話 編 歴 1950 小鶴誠 1951 川上哲治 1952 別所毅彦 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 川上哲治 1956 別所毅彦 1957 与那嶺要 1958 藤田元司 1959 藤田元司 1960 秋山登 1961 長嶋茂雄 1962 村山実 1963 長嶋茂雄 1964 王貞治 1965 王貞治 1966 長嶋茂雄 1967 王貞治 1968 長嶋茂雄 1969 王貞治 1970 王貞治 1971 長嶋茂雄 1972 堀内恒夫 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 山本浩二 1976 王貞治 1977 王貞治 1978 若松勉 1979 江夏豊 1980 山本浩二 1981 江川卓 1982 中尾孝義 1983 原辰徳 1984 衣笠祥雄 1985 R.バース 1986 北別府学 1987 山倉和博 1988 郭源治 1989 W.クロマティ 1990 斎藤雅樹 1991 佐々岡真司 1992 J.ハウエル 1993 古田敦也 1994 桑田真澄 1995 T.オマリー 1996 松井秀喜 1997 古田敦也 1998 佐々木主浩 1999 野口茂樹 2000 松井秀喜 2001 R.ペタジーニ 2002 松井秀喜 2003 井川慶 2004 川上憲伸 2005 金本知憲 2006 福留孝介 2007 小笠原道大 2008 A.ラミレス 2009 A.ラミレス 2010 和田一浩 2011 浅尾拓也 2012 阿部慎之助 2013 W.バレンティン 2014 菅野智之 2015 山田哲人 2016 新井貴浩 2017 丸佳浩 2018 丸佳浩 2019 坂本勇人 2020 菅野智之 2021 村上宗隆 2022 村上宗隆 2023 村上頌樹 2024 菅野智之 表 話 編 歴 1974 星野仙一 1975 鈴木孝政 1976 鈴木孝政 1977 鈴木孝政 1978 新浦寿夫 1979 江夏豊 1980 江夏豊 1981 角三男 1982 山本和行 1983 斉藤明夫 1984 山本和行 1985 中西清起 1986 斉藤明夫 1987 郭源治 1988 郭源治 1989 津田恒実 1990 与田剛 1991 大野豊 1992 佐々木主浩 1993 石毛博史 1994 高津臣吾 1995 佐々木主浩 1996 佐々木主浩 1997 佐々木主浩 1998 佐々木主浩 1999 高津臣吾 2000 E.ギャラード 2001 高津臣吾 2002 E.ギャラード 2003 高津臣吾 2004 五十嵐亮太 2005 岩瀬仁紀 2006 岩瀬仁紀 2007 藤川球児 2008 M.クルーン 2009 岩瀬仁紀 2010 岩瀬仁紀 2011 藤川球児 2012 岩瀬仁紀, T.バーネット 2013 西村健太朗 2014 呉昇桓 2015 T.バーネット, 呉昇桓 2016 澤村拓一 2017 R.ドリス 2018 山﨑康晃 2019 山﨑康晃 2020 R.スアレス 2021 R.スアレス 2022 R.マルティネス 2023 岩崎優 2024 R.マルティネス 表 話 編 歴 1967 小川健太郎 1968 江夏豊 1969 高橋一三 1970 平松政次 1971 平松政次 1972 堀内恒夫 1973 高橋一三 1974 堀内恒夫 1975 外木場義郎 1976 池谷公二郎 1977 小林繁 1978 新浦寿夫 1979 小林繁 1980 江川卓 1981 江川卓 1982 北別府学 1983 遠藤一彦 1984 山根和夫 1985 小松辰雄 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 小野和幸 1989 斎藤雅樹 1990 斎藤雅樹 1991 佐々岡真司 1992 斎藤雅樹 1993 今中慎二 1994 山本昌広 1995 斎藤雅樹 1996 斎藤雅樹 1997 山本昌 1998 佐々木主浩 1999 上原浩治 2000 工藤公康 2001 藤井秀悟 2002 上原浩治 2003 井川慶 2004 川上憲伸 2005 黒田博樹 2006 川上憲伸 2007 高橋尚成 2008 S.グライシンガー 2009 D.ゴンザレス 2010 前田健太 2011 吉見一起 2012 内海哲也 表 話 編 歴 投 佐々木主浩 捕 谷繁元信 一 駒田徳広 二 R.ローズ 三 江藤智 遊 石井琢朗 外 松井秀喜 / 鈴木尚典 / 前田智徳 表 話 編 歴 1991 西村龍次 - 古田敦也 1992 岡林洋一 - 古田敦也 1993 山本昌広 - 中村武志 1994 桑田真澄 - 村田真一 1995 T.ブロス - 古田敦也 1996 斎藤雅樹 - 村田真一 1997 田畑一也 - 古田敦也 1998 佐々木主浩 - 谷繁元信 1999 野口茂樹 - 中村武志 2000 五十嵐亮太 - 古田敦也 2001 藤井秀悟 - 古田敦也 2002 上原浩治 - 阿部慎之助 2003 井川慶 - 矢野輝弘 2004 川上憲伸 - 谷繁元信 2005 藤川球児 - 矢野輝弘 2006 川上憲伸 - 谷繁元信 2007 高橋尚成 - 阿部慎之助 2008 S.グライシンガー - 阿部慎之助 2009 D.ゴンザレス - 阿部慎之助 2010 前田健太 - 石原慶幸 2011 吉見一起 - 谷繁元信 2012 内海哲也 - 阿部慎之助 2013 前田健太 - 石原慶幸 2014 菅野智之 - 阿部慎之助 2015 石川雅規 - 中村悠平 2016 野村祐輔 - 石原慶幸 2017 菅野智之 - 小林誠司 2018 大瀬良大地 - 會澤翼 2019 山口俊 - 小林誠司 2020 大野雄大 - 木下拓哉 2021 柳裕也 - 木下拓哉 2022 青柳晃洋 - 梅野隆太郎 2023 東克樹 - 山本祐大 2024 菅野智之 - 小林誠司 表 話 編 歴 76 王貞治 77 王貞治 78 若松勉 79 掛布雅之 80 山本浩二 81 江川卓 82 中尾孝義 83 原辰徳 84 衣笠祥雄 85 R.バース 86 北別府学 87 桑田真澄 88 郭源治 89 斎藤雅樹 90 斎藤雅樹 91 佐々岡真司 92 古田敦也 93 広沢克己 94 桑田真澄 95 斎藤雅樹 96 松井秀喜 97 古田敦也 98 佐々木主浩 99 上原浩治 00 松井秀喜 01 古田敦也 02 松井秀喜 03 今岡誠 04 嶋重宣 05 金本知憲 06 福留孝介 07 阿部慎之助 08 小笠原道大 09 坂本勇人 10 前田健太 11 浅尾拓也 12 阿部慎之助 13 阿部慎之助 14 菅野智之 15 山田哲人 16 新井貴浩 17 菅野智之 18 大瀬良大地 19 丸佳浩 20-21 中止 表 話 編 歴 …じゃあ〜りませんか チャーリー浜 「うれしいような、かなしいような」「はだかのおつきあい」 きんさんぎんさん Jリーグ 川淵三郎(Jリーグチェアマン) すったもんだがありました 宮沢りえ / イチロー(効果) イチロー(オリックス・ブルーウェーブ) / 同情するならカネをくれ 安達祐実 無党派 青島幸男(東京都知事) / NOMO 野茂英雄(ロサンゼルス・ドジャース) / がんばろうKOBE 仰木彬(オリックス・ブルーウェーブ監督) 自分で自分をほめたい 有森裕子(マラソン選手) / 友愛 / 排除の論理 鳩山由紀夫(民主党代表) / メークドラマ 長嶋茂雄(読売ジャイアンツ監督) 失楽園(する) 渡辺淳一、黒木瞳 ハマの大魔神 佐々木主浩(横浜ベイスターズ) / だっちゅーの パイレーツ(お笑い芸人) ブッチホン 小渕恵三(内閣総理大臣) / リベンジ 松坂大輔(西武ライオンズ) / 雑草魂 上原浩治(読売ジャイアンツ) おっはー 慎吾ママ / IT革命 木下斉(商店街ネットワーク社長・早稲田大学高等学院三年) 「小泉語録」(米百俵・聖域なき構造改革・恐れず怯まず捉われず・骨太の方針・ワイドショー内閣・改革の「痛み」) 小泉純一郎(内閣総理大臣) タマちゃん 佐々木裕司(川崎市民)、黒住祐子(フジテレビ・レポーター) / W杯(中津江村) 坂本休(中津江村・村長) 毒まんじゅう 野中広務(元衆議院議員) / なんでだろ〜 テツandトモ(お笑いグループ) / マニフェスト 北川正恭(早稲田大学教授) チョー気持ちいい 北島康介(競泳選手) 小泉劇場 武部勤(自由民主党幹事長)ほか / 想定内(外) 堀江貴文(ライブドア社長) イナバウアー 荒川静香(プロスケーター) / 品格 藤原正彦(数学者) (宮崎を)どげんかせんといかん 東国原英夫(宮崎県知事) / ハニカミ王子 石川遼(アマチュアゴルフ選手) グ〜! エド・はるみ / アラフォー 天海祐希 政権交代 鳩山由紀夫(内閣総理大臣) ゲゲゲの - 武良布枝(『ゲゲゲの女房』作者) 表 話 編 歴 1999:ともさかりえ 2000:加藤あい 01:深田恭子 02:上原多香子 03:上戸彩 04:後藤真希 05:松浦亜弥 06:BoA 07:長澤まさみ 08:堀北真希 09:成海璃子 10:福田沙紀 11:前田敦子 12:武井咲 13:川島海荷 14:川口春奈 15:橋本環奈 16:小松菜奈 17:中条あやみ 18:岡田結実 19:浜辺美波 20:Kōki, 21:森七菜 22:芦田愛菜 23:ラウール 1990:紺野美沙子 91:安田成美 92:今井美樹 93:牧瀬里穂 94:松雪泰子 95:石田ゆり子 96:飯島直子 97:梅宮アンナ 98:鶴田真由 99:松嶋菜々子 2000:安室奈美恵 01:本上まなみ 02:米倉涼子 03:菊川怜 04:伊東美咲 05:長谷川京子 06:小雪 07:倖田來未 08:加藤ローサ 09:広末涼子 10:ベッキー 11:黒木メイサ 12:大島優子 13:剛力彩芽 14:吉高由里子 15:桐谷美玲 16:井上真央 17:西内まりや 18:菜々緒 19:吉岡里帆 20:有村架純 21:新木優子 22:広瀬アリス 23:永野芽郁 1990:池上季実子 91:古手川祐子 92:島田陽子 93:名取裕子 94:樋口可南子 95:黒木瞳 96:石川さゆり 97:かたせ梨乃 98:川島なお美 99:高島礼子 2000:財前直見 01:中村江里子 02:川原亜矢子 03:小島奈津子 04:水野真紀 05:天海祐希 06:深津絵里 07:篠原涼子 08:中谷美紀 09:滝川クリステル 10:観月ありさ 11:木村佳乃 12:米倉涼子* 13:松嶋菜々子* 14:吉瀬美智子 15:深田恭子* 16:松下奈緒 17:柴咲コウ 18:上戸彩* 19:橋本マナミ 20:木村文乃 21:戸田恵梨香 22:佐々木希 23:田中みな実 1990:村山勝美 91:沢田研二 92:阿川泰子 93:篠ひろ子 94:小池百合子 95:和田アキ子 96:田丸美寿々 97:小林幸子 98:小柳ルミ子 99: 天童よしみ 2000:安藤優子 01:林真理子 02:萬田久子 03:浅田美代子 04:黒木瞳* 05:大竹しのぶ 06:大地真央 07:YOU 08:江角マキコ 09:真矢みき 10:大塚寧々 11:草刈民代 12:檀れい 13:永作博美 14:鈴木保奈美 15:宮沢りえ 16:吉田羊 17:石田ゆり子* 18:遼河はるひ 19:常盤貴子 20:藤原紀香 21:小池栄子 22:アンミカ 23:松嶋菜々子 1990:芳村真理 91:岩下志麻 92:若尾文子 93:佐久間良子 94:野際陽子 95:三田佳子 96:浅丘ルリ子 97:中村玉緒 98:島倉千代子 99:五月みどり 2000:瀬川瑛子 01:木の実ナナ 02:由美かおる 03:松坂慶子 04:桃井かおり 05:秋吉久美子 06:小池百合子* 07:阿川佐和子 08:風吹ジュン 09:夏木マリ 10:戸田恵子 11:高畑淳子 12:余貴美子 13:高橋惠子 14:浅野温子 15:片平なぎさ 16:沢口靖子 17:賀来千香子 18:浅野ゆう子 19:紫吹淳 20:松下由樹 21:斉藤由貴 22:真矢ミキ 23:永作博美 1997:森英恵 98:朝丘雪路 99:雪村いづみ 2000:市原悦子 01:デヴィ・スカルノ 02:白川由美 03:黒柳徹子 04:十朱幸代 05:野際陽子* 06:八千草薫 07:岩下志麻* 08:阿木燿子 09:森山良子 10:髙橋真梨子 11:八代亜紀 12:浅丘ルリ子* 13:由紀さおり 14:竹下景子 15:伊藤蘭 16:和田アキ子* 17:桃井かおり* 18:大竹しのぶ* 19:森昌子 20:原田美枝子 21:田中美佐子 22:宮崎美子 23:大地真央 1992:岡田眞澄 93:山城新伍 94:カールスモーキー石井 95:鹿賀丈史 98:小林旭 99:佐々木主浩 2000:高橋由伸 01:西城秀樹 02:新庄剛志 03:氷川きよし 04:坂口憲二 05:中村獅童 06:清原和博 07:速水もこみち 08:谷原章介 09:松山ケンイチ 10:佐藤隆太 11:伊藤英明 12:佐藤浩市 13:東山紀之 14:市原隼人 15:哀川翔 16:DAIGO 17:三浦春馬 18:福士蒼汰 19:舘ひろし 20:田中圭 21:横浜流星 22:北村匠海 92: ジュリー・ドレフュス 93: ヒロコ・グレース 2001: 高橋尚子 08: 松坂大輔 10: イ・ビョンホン、鳩山幸 11: ウォンビン、蓮舫 12: 少女時代、本田圭佑 13: KARA、内村航平 14: 松本潤 15: 髙橋大輔、May J. 16: ももいろクローバーZ、市川海老蔵 17: 福原愛 18: 浅丘ルリ子、村田諒太 19: コシノジュンコ、加山雄三 20: 浅田真央、高橋英樹 21: 内田篤人 22: 水谷隼 表 話 編 歴 1位:佐々木主浩 2位:東瀬耕太郎 3位:平塚克洋 4位:今久留主成幸 5位:川端一彰 6位:知野公昭 表 話 編 歴 松田博明 伊藤義博 竹内昭文 望月教治 大谷孝司 葛西稔 小宮山悟 酒井光次郎 佐々木主浩 岡林洋一 水尾嘉孝 竹下潤 中西美之 瀬戸輝信 三輪隆 大森剛 岡本圭治 深水康博 藤田隆弘 奈良原浩 長谷高成泰 矢野輝弘 町田公二郎 大塚孝二 黒須陽一郎 内匠政博 比嘉孝也 本田智久 宮本晃司 表 話 編 歴 春日由三 吉本明光 中山晋平 春日由三 吉川義雄 春日由三 吉川義雄 川村専一 狩野近雄 河上英一 笹本恭彦 明瀬裕 池田太郎 牧定忠 春日由三 吉川義雄 渋沢秀雄 横山隆一 西崎緑 貝谷八百子 田付辰子 メイ牛山 春日由三 吉川義雄 岩田専太郎 勅使河原蒼風 千代の山雅信 小山いと子 吉村公三郎 市川翠穂 マヤ片岡 春日由三 吉川義雄 三國連太郎 小西得郎 栃錦清隆 青木茂高 河上牧子 水木洋子 坂西志保 田村佐紀子 吾妻徳穂 吉川義雄 田中角栄 菊田一夫 若乃花勝治 金田正一 奥むめお 森田たま 細川ちか子 近藤百合子 吉川義雄 横山泰三 水原茂 稲垣浩 朝汐太郎 沢田美喜 杉村春子 戸川エマ 赤堀全子 吉川義雄 木下惠介 大宅壮一 杉浦幸雄 若羽黒朋明 長谷川春子 大濱英子 榊淑子 谷桃子 吉川義雄 秋山登 唐島基智三 柏戸剛 松本幸四郎 中村汀女 田中絹代 秋山ちえ子 江上トミ 長沢泰治 土門拳 高田元三郎 仲代達矢 大鵬幸喜 和田夏十 勅使河原霞 村山リウ 森光子 長沢泰治 工藤昭四郎 東郷青児 森英恵 大山康晴 山内一弘 佐田の山晋松 藤間紫 岡田茉莉子 十返千鶴子 浪花千栄子 長沢泰治 細川隆元 丹羽文雄 實川延若 中西太 栃ノ海晃嘉 飯田蝶子 貞閑晴 新珠三千代 花柳壽輔 佐久間良子 長沢泰治 大林清 北葉山英俊 林与一 古賀忠道 春風亭柳橋 岩下志麻 司葉子 長谷川町子 林美智子 吉屋信子 坂本朝一 円地文子 安達曈子 入江美樹 藤村志保 小絲源太郎 松下幸之助 ファイティング原田 緒形拳 坂本朝一 樫山文枝 五代利矢子 浜美枝 山崎豊子 大佛次郎 尾上菊之助 加藤芳郎 鶴ヶ嶺昭男 中山卯郎 福島慎太郎 木村秀政 西本幸雄 石坂浩二 福原美和 栗原小巻 塩月弥栄子 平岩弓枝 中山卯郎 江夏豊 王馬熙純 榊原仟 鈴木俊一 曽野綾子 高田敏子 藤田弓子 三船敏郎 中山卯郎 浅丘ルリ子 市川海老蔵 今井通子 大谷直子 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2025/01/29 14:20更新
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sasaki kaduhiro
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