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安倍能成の情報 (あべよししげ)
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安倍 能成さんについて調べます

■名前・氏名
安倍 能成
(読み:あべ よししげ)
■職業
教育者
■安倍能成の誕生日・生年月日
1883年12月23日
未年(ひつじ年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
愛媛出身

安倍能成と同じ1883年生まれの有名人・芸能人

安倍能成と同じ12月23日生まれの有名人・芸能人

安倍能成と同じ出身地愛媛県生まれの有名人・芸能人


安倍能成と関係のある人

難波弘之: また、1968年に中学三年生の15歳にしてSF短編『青銅色の死』で安倍能成文学賞(初等科から大学までの、学習院在学中のすべての学生を対象とした賞)を受賞した。


岩波茂雄: 漱石没後は安倍能成らと「漱石全集」を刊行した。


長与善郎: 筑摩叢書、1963年、復刊1983年、解説安倍能成


中野重治: 翌年3月中野は『学芸封鎖の悪令』(読売新聞)で「国民は飢ゑてゐて天皇とその一家は肥え太っている」と皇室を、『安倍さんの「さん」』(読売報知)では文部大臣安倍能成を批判する。


田辺元: したがって田邊がのちに対決することになる西田幾多郎の最初の全集の編者に名を連ねている安倍能成と田邊は、義理の従兄弟同士となる。


清水幾太郎: 『世界』常連執筆者の清水は、以後「最も遠い雑誌になった」と述懐しており、『世界』(1966年9月号)に、「安倍能成学習院院長追悼の辞」を寄稿した以外は、『世界』に執筆していない。


小宮豊隆: 1950年(昭和25年)3月には当時学習院院長だった安倍能成に招聘され、学習院女子短期大学の初代学長に就任。


和辻哲郎: 阿部次郎との親密な交流が始まる、また安倍能成とも終生交流した。


島村宜伸: 学習院大学入学後、学習院院長の安倍能成から頼まれ、皇太子(明仁親王)の学友になった。


和辻哲郎: この間、別の離れに安倍能成、阿部次郎も住み、交流。


森田草平: 『人及芸術家としてのトルストイ並にドストイエフスキー』(メレジユコーフスキー、安倍能成共訳、玄黄社) 1914


小宮豊隆: 同学年に安倍能成、中勘助、藤村操、尾崎放哉、岩波茂雄がいた。


中勘助: 同級には、江木定男(江木鰐水の孫)、山田又吉、安倍能成、小宮豊隆、野上豊一郎、尾崎放哉、藤村操らがいた。


幸田露伴: 葬儀は、三間しかない小さな自宅でささやかに行われたが、片山哲と安倍能成が出席、衆議院と参議院からは弔詞が捧げられた。


神谷美恵子: 戦時中の新潟県知事としての勤務を大政翼賛会に関係していたとして咎められた多門は、翌年1月に辞職したが、美恵子はその後も後任の安倍能成大臣の要請で文部省における仕事を続け、事務嘱託の身分でGHQ教育情報部との折衝にあたった。


小山久二郎: 安倍能成が小山について以下のように語っている。


清水幾太郎: 1953年、学習院大学に在学していた皇太子時代の明仁親王(後の天皇および上皇)が、6月のエリザベス2世の戴冠式列席他の海外公務により、出席日数が足りなくなり、安倍能成が教授会で「皇太子は特別の身分のかたであり、落第は不名誉なことなのだから、外遊中の見聞や語学の上達を考慮して進級を認めてもらいたい」と外国訪問を授業の代わりとして単位を与えるとする案が出されたが、清水は「異議があります」と手を挙げて口論となったが、清水は他の学生が苦労して単位を取得しているのに皇太子だけを特別扱いするべきではなく、それならば聴講生になっていただければ良いという論旨で反対したとされる。


佐々木孝丸: 第6集「くにのあゆみ 戦後教育の幕あき」(1977年) - 安倍能成


吉村昭: 当初は学習院側から講堂の使用許可が下りなかったため、院長の安倍能成の自宅を訪ねて直談判し、使用許可を取り付けている。


野上豊一郎: 同級生に安倍能成・藤村操・岩波茂雄がいて、共に夏目漱石に師事した。


小山久二郎: 出版社・小山書店の設立者で、安倍能成の甥。


鈴木大拙: 墓所は金沢市野田山墓地の鈴木家墓所と、北鎌倉東慶寺、なお同じ境内に、岩波書店初代店主岩波茂雄や、西田幾多郎・和辻哲郎・安倍能成らの墓がある。


足立正: 容貌が哲学者の安倍能成に似ている。


前田多門: 幣原内閣でも留任したが戦時中の在任歴から公職追放の可能性があるとされたため、後継に安倍能成を指名して辞職した。


岩波茂雄: 安倍能成『岩波茂雄傳』 岩波書店、1957年、新装版1978年、復刊1993年、改訂版2012年/岩波文庫(解説十重田裕一)、2023年8月


志賀直哉: 敗戦が近づくと直哉は外務大臣(当時)の重光葵の意向を汲み、安倍能成、加瀬俊一、田中耕太郎、谷川徹三、富塚清、武者小路実篤、山本有三、和辻哲郎とともに「三年会」を結成する。


谷川徹三: 戦後短期間、博物館次長に在任中に館長の安倍能成、和辻哲郎、田中耕太郎らと昭和天皇の話し相手をしたことをたびたび述べることで、象徴天皇制を擁護している。


安倍能成の情報まとめ

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安倍 能成(あべ よししげ)さんの誕生日は1883年12月23日です。愛媛出身の教育者のようです。

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受賞・栄典、業績などについてまとめました。卒業、結婚に関する情報もありますね。

安倍能成のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

安倍 能成(あべ よししげ、1883年〈明治16年〉12月23日 - 1966年〈昭和41年〉6月7日)は、日本の哲学者、教育者、政治家。位階は正三位。法政大学教授、京城帝国大学教授、第一高等学校校長、貴族院勅選議員、文部大臣、貴族院帝国憲法改正案特別委員会委員長を歴任し、学習院院長などを務めた。

医師安倍義任(よしとう)、品(しな)の八男として松山城下の小唐人町(後の愛媛県松山市大街道)に生まれた。松山中(後の愛媛県立松山東高等学校)から第一高等学校を経て、東京帝国大学文科大学へと進む(ただし、家庭の経済事情により中学卒業後1年間、母校の助教諭心得(講師)として英語を教えているため、第一高等学校進学は1902年(明治35年)のことである)。

帝国大学在学当時の哲学科同期生には伊藤吉之助、小山鞆絵、宮本和吉らがいた。同窓生の一人に、藤村操がおり、その妹・恭子と1912年(大正元年)に結婚した。また、一高を中途退学した同期の岩波茂雄との交流は終生続き、後年は岩波書店の経営に「哲学叢書」の編集者として関与し、岩波の没後には、公式伝記も執筆した。

在学中、夏目漱石や波多野精一、高浜虚子の影響を受けた。1906年(明治39年)、東京帝国大学1年生時に、友人が夏目漱石の元を訪問するのに同行して以来、漱石を深く尊敬して師事した。「ホトトギス」などに文芸評論を発表し1911年(明治44年)には阿部次郎ら4人の合著による「影と声」を刊行する。小宮豊隆・森田草平・阿部次郎(鈴木三重吉とする説もある)と並んで「漱石門下の四天王」と称された。鈴木三重吉や寺田寅彦との出会いも、漱石を通じてのものであった。漱石が修善寺の大患(1910年)に陥った時、安倍たちが駆けつけると、来たからには「あんばいよくなる」と言われたとの挿話があった。

1909年(明治42年)、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業後、朝日新聞に自然主義文学批判の文芸評論を手がける一方、1913年(大正2年)に「予の世界」を刊行してからは哲学に活動の場を移し、「西洋古代中世哲学史」「西洋近世哲学史」「カントの実践哲学」などを発表した。安倍は特にルドルフ・オイケンの思想を日本に紹介し、この思想は大正期の理想主義思潮の形成に影響を与えた。また、この期間には女子英学塾、日蓮宗大学、慶應義塾大学、一高の各講師を務めた。1920年(大正9年)、法政大学教授に着任。1924年(大正13年)から1926年(大正15年)にかけてヨーロッパへ留学。ハイデルベルクには、文部省在外研究員として東大同窓の宮本和吉も滞在していた。

帰国後、1926年(大正15年)に京城帝国大学教授となり、哲学・哲学史第一講座を担当した。朝鮮の文化を詳細に検討し、日本人の朝鮮蔑視感情を諌めている。1940年(昭和15年)に、母校一高校長となり名校長と謳われた。その一方で軍部が進める高等学校の年限短縮に反対したり、近衛文麿に早期和平の進言をしたために、憲兵隊から監視対象になったとされている。

1945年(昭和20年)、貴族院議員となった(12月19日 - 1947年5月2日)戦後の1946年(昭和21年)、幣原改造内閣で文部大臣に就任するも、数箇月間務めたのちに辞任した(就任期間:1946年1月~5月)。在職中の第一次アメリカ教育使節団の来日歓迎挨拶では、アメリカが力でなく「正義と真理」によって日本に臨むよう申し入れている。

文相退任後も、帝室博物館総長・国立博物館館長を務めるかたわら、教育刷新委員会委員長として学制改革や教育基本法制定など教育制度改革に尽力したほか、国語審議会会長として当用漢字表、現代かなづかいの制定を推進した(なお後に「新仮名としたのは一世一代の過ちであった」と悔恨。国語学者の山田孝雄から「一世一代の過ちですむか」と叱責されたという)。同時期に新制学習院院長となり、没時まで在任した。

1966年(昭和41年)6月7日、デューリング病(疱疹状皮膚炎)に顆粒白血球減少症を併発し、東京都文京区本郷の順天堂医院で死去した。享年82。戒名「慈仙院学堂能成居士」。墓地は東慶寺(神奈川県鎌倉市山ノ内、北鎌倉駅近く)にある。

受賞・栄典

1957年:『岩波茂雄伝』で読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞。

位階

年月日不明 - 正六位

1929年(昭和4年)5月15日 - 従五位

勲章

1945年(昭和20年)5月17日 - 勲二等瑞宝章

1964年(昭和39年)11月3日 - 勲一等瑞宝章

業績

哲学者として

雑誌『世界』と平和運動

平和運動にも参画し、岩波書店の『世界』創刊期の代表責任者となり、一方で1951年(昭和26年)結成の平和問題談話会に発起人として参加、代表を務めた。戦前・戦後を通じて一貫した自由主義者であり、戦前の軍国主義に対する批判のみならず、戦後の社会主義への過大な評価に対しても批判的な態度を取った。太平洋戦争後の平和条約締結問題では全面講和論と中立主義を説き、世論に大きな反響をもたらした。

2024/06/29 19:54更新

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