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河合栄治郎の情報 (かわいえいじろう)
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【9月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

河合栄治郎の情報(かわいえいじろう) 社会思想家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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河合 栄治郎さんについて調べます

■名前・氏名
河合 栄治郎
(読み:かわい えいじろう)
■職業
社会思想家
■河合栄治郎の誕生日・生年月日
1891年2月13日 (年齢1944年没)
卯年(うさぎ年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
東京出身

河合栄治郎と同じ1891年生まれの有名人・芸能人

河合栄治郎と同じ2月13日生まれの有名人・芸能人

河合栄治郎と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


河合栄治郎と関係のある人

鶴見和子: 1934年頃から、父と親交のあった河合栄治郎の「国家権力に対する言論闘争」に共感、影響を受ける。


賀屋興宣: 一高の同級生には英法科では河上丈太郎、神川彦松、河合栄治郎(経済学者)、渋沢正雄、ほか独法科の田中耕太郎、永野護など。


有澤廣巳: また河合栄治郎の講義を熱心に聴いた。


徳冨蘆花: 一高の弁論部員河合栄治郎は、「私共は息つく間もない位にひきずりこまれて、唯感心してしまった」と書き記した。


新渡戸稲造: その新たな学風づくりの試みは、河合栄治郎などに影響を与えた。


安井琢磨: 東京大学で河合栄治郎に師事。


フェルディナント=ラサール: 逆に反マルクス主義者の小泉信三や河合栄治郎らから注目されるようになり、彼らと彼らの門下生を中心にラッサール研究が進められるようになった(


武田清子: 武田清子(著)、国際基督教大学社会科学研究所(編)「河合栄治郎の自由主義論 : 昭和前期における思想的位置」『社会科学ジャーナル』第21巻第2号、1983年3月、1-25頁、ISSN 0454-2134、OCLC 5172695547。


大河内一男: 粕谷一希は、その著書『河合栄治郎』の中(147ページ)で「『大河内理論』なるものは『社会政策とは労働者政策ではなく、労働力政策である』という有名な命題を中心としているが、マルクスの資本論を巧みに解釈したその体系は、河合栄治郎の生涯を賭けた人格主義とは無縁であり、自らの立場を、『総資本対総労働』という体系のなかで、どこへでも移行できる便利な理論である。


木川田一隆: 東大時代は河合栄治郎の講義を最前列で聴き、河合の唱える理想主義的自由主義に傾倒した。1926年の卒業後、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)の採用面接を受けた際、河合栄治郎直伝の労働法を披露したため、会社側から警戒され、採用されなかった。


平賀譲: 東大経済学部において土方成美筆頭の国家主義派と河合栄治郎筆頭の自由主義派の教授の対立が起こり、平賀譲は荒木貞夫文部大臣に喧嘩両成敗で両者の休職を具申した。


大河内一男: しかし平賀譲総長から慰留され、対処をめぐって改めて師の河合栄治郎、河合門下の三羽烏と呼ばれた木村健康・安井琢磨と相談をしたところ、あくまで辞表を撤回するなとする師のメッセージに、それまで持っていた師のイメージが変わってしまい、師と袂を分かつ決意をする。


鶴見祐輔: 1916年(大正5年)12月から、東京市内の麻布宮村町の自宅に帝大や一高の学生生徒を招き、月に1回、 河合栄治郎をはじめ官財界の様々な人物を講師とする「火曜会」(別名「ウィルソン倶楽部」)を開催、のちの新自由主義協会設立に発展した。


猪木正道: 東京大学在学中は河合栄治郎の演習に参加し、自由主義と社会主義双方に立脚した考えをもとにした人格主義的理想主義から共産主義と軍部の政治関与のいずれをも批判する態度に共鳴し、戦後日本の平和主義に潜む危険性に警鐘を鳴らしていた。


蝋山政道: 特に雑誌『社会思想』の同人であった河合栄治郎のすすめから、イギリス社会主義の研究をはじめ、その後の民主社会主義理論家としての素地を作る。


武田清子: 武田清子(著)、国際基督教大学社会科学研究所(編)「河合栄治郎の自由主義論—承前—「大学の自由」をめぐって」『社会科学ジャーナル』第24巻第1号、1985年10月、1-21頁、ISSN 0454-2134、OCLC 5172696564。


末松安晴: 教養は河合栄治郎著の『百冊の本』から選んで手当たり次第に読んだ。


小野塚喜平次: 弟子に吉野作造、南原繁、河合栄治郎、蠟山政道、矢部貞治等多数。


粕谷一希: 『河合栄治郎 闘う自由主義者とその系譜』日本経済新聞社 1983


三輪寿壮: その後は広義国防を中心とする政治活動に加え、河合栄治郎の公判の弁護を側面から支援し、ゾルゲ事件では尾崎秀実の親族の依頼を受け、官選弁護人の選任を務めている。


鶴見祐輔: 同年10月、河合教授事件で河合栄治郎の著書が発禁となり、鶴見は係争中の河合を支援。


住田良能: 大学時代は、河合栄治郎と弟子たちの系譜に連なる「社会思想研究会」に参加していた。


粕谷一希: 学生時代には河合栄治郎、和辻哲郎、波多野精一、猪木正道、蠟山政道、丸山眞男の著作を読み、高坂正顕、鈴木成高、西谷啓治、高山岩男など敗戦後否定されていた京都学派の戦中期の著作にも影響を受けた。


美濃部亮吉: 助手となるが、マルクス主義と処世の両立を安易に信じているような態度で挨拶に行ったことが反マルクス派の河合栄治郎の怒りを買い、母校の経済学部に講師として残ることが不可能になる。


河上丈太郎: 一高英法科の同級生に賀屋興宣、河合栄治郎などがいる。


蝋山政道: 1939年4月に行なわれた東大経済学部の人事処分(平賀粛学)をめぐり、親交のあった河合栄治郎が休職処分とされたことに殉ずる形で抗議の辞任を行い、大学在職時から続けていた雑誌等での言論活動に主軸を移す。


土方成美: この頃の経済学部では土方の国家主義派(革新派)と河合栄治郎らの自由主義派、及び大内兵衛の左派の派閥抗争が激化しており、河合については著書発禁を受けての処分も待たれているところであった。


大河内一男: 大学では河合栄治郎に師事した。


河合栄治郎の情報まとめ

もしもしロボ

河合 栄治郎(かわい えいじろう)さんの誕生日は1891年2月13日です。東京出身の社会思想家のようです。

もしもしロボ

現在、父親、卒業、事件に関する情報もありますね。1944年に亡くなられているようです。

河合栄治郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

河合 栄治郎(かわい えいじろう、1891年2月13日 - 1944年2月15日)は、日本の経済学者、社会思想家。東京帝国大学経済学部教授。第二次世界大戦前夜における著名な自由主義知識人の一人として、共産主義とファシズムに抵抗した。

東京府南足立郡千住町(現在の東京都足立区千住2丁目)の酒屋を営んでいた家に生まれる。戸籍には誤りで「栄次郎」と記載されるが、本人は「栄治郎」で通した。尾崎行雄を崇拝していた父親の影響で、少年時代から社会的関心が強く、特に徳富蘇峰の平民主義に惹かれていた。

東京府立第三中学校(現・東京都立両国高等学校)、第一高等学校をへて、1915年東京帝国大学法科大学政治学科卒業、銀時計受領。在学中に農商務省が刊行した『職工事情』を読み、「労働問題は人間の問題である」と感奮し、労働問題に生涯を捧げる決意をもって農商務省に入省する。1918年、工場法の研究のため米国に出張し、ジョンズ・ホプキンス大学に滞在、米国労働総同盟(AFL-CIO)会長のサミュエル・ゴンパーズら労働運動の指導者と会見する。帰国後第1回ILO(国際労働機関)会議に対する日本政府方針草案の起草に尽力したが、その改革案は容れられず辞職した。この間の経緯を『朝日新聞』紙上に1919年11月17日から12月2日まで「官を辞するに際して」として連載し、自己の所信を論じて世上の話題となった。

1920年に東京帝大助教授となり経済学史を担当する。1922年よりイギリスに留学し、イギリス理想主義、とりわけトーマス・ヒル・グリーンの社会哲学に強い感銘を受ける。1925年8月に帰国し、翌1926年に教授となり、社会政策講座を受け持った。河合の学問の対象はアダム・スミス、ベンサム、J・S・ミル、グリーン、を経てフェビアン協会、イギリス労働党に至るイギリスの社会思想史であり、それに基づいて社会政策学を構築した。その成果は『社会思想史研究』(1923年)、『トーマス・ヒル・グリーンの思想体系』(1930年)、マルクス経済学も取り入れた『社会政策原理』(1931年)であった。

また、河合門下三羽烏と呼ばれる大河内一男・安井琢磨・木村健康らを育てた。河合は、以前より存在した東大経済学部の勢力争いの中、多数派の領袖格として行動し、少数派のマルクス主義派と対峙していた。1936年3月31日から1年間、経済学部長。妻、国子は初代経済学部長であった金井延の娘である。

その後、ファシズムが勢力を伸ばしてくると、河合はファシズム批判の論陣を張った。それがために、右派陣営からの攻勢は強まり、かつて河合についていた教授も国家主義派(革新派)土方成美の派閥に鞍替えするなど、学部では勢力を失いつつあった。1938年に『ファッシズム批判』など4点の著作が内務省により発売禁止処分に付され、翌年これらの著作などにおける言論が「安寧秩序を紊乱するもの」として、出版法違反に問われ起訴された。また学内においても、河合の対立勢力であった土方らとの対立が激しくなり、1939年総長平賀譲の裁定により、1月31日、河合は休職を発令されるに至った(平賀粛学)。この過程で、「粛学抗議の辞表を撤回するべからず」との師の言に逆らって経済学部に残留した大河内・安井は事実上の破門となった。退官後は裁判闘争に明け暮れることとなったが、1943年に大審院の上告棄却により、有罪が確定した。以上が河合栄治郎事件と呼ばれる。

晩年は1940年(昭和15年)に『学生に与う』を箱根の旅館で執筆するなど、学生叢書の刊行を継続しながら学生・青年に理想主義を説き続けた。また、河合と共に辞職した山田文雄や木村健康、門下の猪木正道、関嘉彦、土屋清らと定期的に勉強会を開き、研究を継続していた。1944年、バセドウ病による心臓麻痺のため逝去した。2日前に53歳の誕生日を迎えたばかりであった。墓所は青山霊園にある(1イ1-22)。

粕谷一希は、河合は日本人には珍しい自己の哲学を持つ思想家であったと評している。その思想は理想主義、人格主義、教養主義であった。河合は教養主義者として、学外では『学生叢書』『教養文献解説』を編集発行し、『学生に与う』を著し、学内では社会科学古典研究会を主催して、人格陶冶と教養の意義を説いた(昭和教養主義)。

河合は社会思想を、現実社会に対する保守、改良、変革などの態度とし、そのために現実社会の科学的分析と、どのような社会が望ましいのかの社会哲学とが必要であるとした(社会思想モデルを提示)。

河合は自らの自由主義を「第三期自由主義」と称していた。河合によると、それは資本主義を無条件で肯定する第一期自由主義とも、資本主義の弊害を認め適宜是正していく改良主義=第二期自由主義とも異なり、個々人の人格の成長に最高の価値を置く理想主義を根底とし、社会の成員全ての人格の成長が実現される社会を理想とするものであり、共産主義や社会主義とは鋭く対立する、というものであった。また、多元的国家論も主張した。

河合は早くから、理想主義(イデアリスム)、人格主義、自由主義の立場から、マルクス主義の否を打ち鳴らし、コミンテルンの批判、マルクス主義理論の批判を行った。

さらに時代状況が軍国主義の色合いを濃くする中、次第にファシズム批判の立場を強めていった。1936年に二・二六事件が起こると、河合は『帝大新聞』に軍部批判論文「二・二六事件の批判」を寄稿し、軍部批判・抵抗の姿勢を明確にした。ファシズム最盛期において、面と向かってファシズム批判論を展開したことは画期的なことである。満州事変以降、日中戦争、太平洋戦争直前まで時局評論も行った。

労働問題研究(岩波書店, 1922年)

社会思想史研究(岩波書店, 1923年)

在欧通信(改造社, 1926年)

英国労働党のイデオロギー(千倉書房, 1929年)

トーマス・ヒル・グリーンの思想体系(1,2巻)(日本評論社, 1930年/改装版, 1938年)

社会政策原理(日本評論社, 1931年)

大学生活の反省(日本評論社, 1931年)

書斎の窓から(日本評論社, 1932年)

学生思想問題(岩波書店, 1932年)

マルキシズムとは何か(タイムス出版社, 1932年)

欧州最近の動向(日本評論社, 1934年)

ファッシズム批判(日本評論社, 1934年)

第一学生生活(日本評論社, 1935年)

社会思想家評伝(日本評論社, 1936年)

時局と自由主義(日本評論社, 1937年)

第二学生生活(日本評論社, 1937年)

英国社会主義史研究(日本評論社, 1938年)

金井延の生涯と学績(日本評論社, 1939年)

学生に与う(日本評論社, 1940年/オンデマンド版「学生に与う」文元社, 2004年)

国民に愬う(日本評論社, 出版差止, 全集収録, 1941年)

明治思想史の一断面(日本評論社, 1941年)

自由主義の擁護(白日書院, 1946年)

社会思想と理想主義(実業之日本社, 1947年)

教壇生活二十年(鬼怒書房, 1948年)

学問と政治(社会思想研究会出版部, 1948年)

自由主義の歴史と理論(社会思想研究会出版部, 1948年)

唯一筋の路(日本評論社, 1948年)

学窓記(社会思想研究会出版部, 1948年)

自由に死す――河合栄治郎法廷闘争記(中央公論社, 1950年)

私の社会主義(社会思想研究会出版部, 1950年)

学生叢書(河合単独編集、全12巻、日本評論社, 1936~1941年)

    学生と教養

    学生と生活

    学生と先哲

    学生と社会

    学生と読書

    学生と学園

    学生と科学

    学生と歴史

    学生と日本

    学生と芸術

    学生と西洋

    学生と哲学

    教養文献解説(木村健康との共著、日本評論社, 1941年)

    河合栄治郎全集(全23巻、社会思想社、1967-70年) 蠟山政道、山田文雄、塩尻公明、木村健康、安井琢磨、土屋清、関嘉彦、猪木正道、音田正巳、吉田忠雄編

    第1巻『トーマス・ヒル・グリーンの思想体系Ⅰ』

    第2巻『トーマス・ヒル・グリーンの思想体系Ⅱ』(解説:木村健康)

    第3巻『社会政策原理』(解説:山田文雄)

    第4巻『社会思想史研究』附録「経済学史講義案」(解説:木村健康)

    第5巻『英国社会主義史研究』「英国労働史上に於ける石炭罷業」(解説:関嘉彦)

    第6巻『欧州最近の動向』『英国労働党のイデオロギー』(解説:関嘉彦)

    第7巻『社会思想家評伝』(解説:安井琢磨)

    第8巻『明治思想史の一断面――金井延を中心として』(解説:山田文雄)

    第9巻『自由主義の歴史と理論』「ドイツ社会民主党史論」(解説:猪木正道)

    第10巻『労働問題研究』(解説:音田正巳)

    第11巻『ファッシズム批判』(解説:土屋清)

    第12巻『時局と自由主義』『マルキシズムとは何か』(解説:土屋清)

    第13巻『社会思想と理想主義』『私の社会主義』(解説:土屋清)

    第14巻『学生に与う』『国民に愬う』(解説:猪木正道)

    第15巻『大学生活の反省』『書斎の窓から』(解説:安井琢磨)

    第16巻『第一学生生活』(解説:安井琢磨)

    第17巻『第二学生生活』『在欧通信』(解説:安井琢磨)

    第18巻『学窓記』(解説:塩尻公明)

    第19巻『学生思想問題』「時事評論集」(解説:山田文雄)

    第20巻「随想集」「研究ノート」(解説:吉田忠雄)

    第21巻「裁判記録」=「序言」(木村健康)「弁論要旨」(木村健康)「控訴院及び大審院」(木村健康)

    第22巻「日記Ⅰ」

    第23巻「日記Ⅱ」

    別巻『河合榮治郎伝』(江上照彦著)「年譜」(河合武)

    猪間驥一(中央大学教授、人口問題)

    山田文雄(愛知大学学長、工業経済学)

    山田盛太郎(東京大学教授、マルクス経済学)

    馬場敬治(東京大学教授、経営学)

    柳川昇(弘前大学学長、経営学)

    木下広居(専修大学・創価大学教授、政治評論家、イギリス議会制度)

    大河内一男(東京大学総長、社会思想史、社会政策)

    飯塚浩二(東京大学教授、人文地理学)

    今野源八郎(東京大学教授、交通経済学)

    戸田武雄(駒沢大学教授、社会経済学)

    山下信庸(獨協大学教授、図書館学)

    木村健康(東京大学教授、近代経済学)

    安井琢磨(大阪大学教授、近代経済学)

    山本和(関東学院大学教授、キリスト教神学)

    江上照彦(相模女子大学教授、イギリス文学)

    関嘉彦(東京都立大学教授、社会思想史)

    石上良平(成蹊大学教授、社会思想史)

    猪木正道(京都大学教授・防衛大学校校長、政治学社会思想史)

    熊谷尚夫(大阪大学教授、近代経済学)

    音田正巳(大阪府立大学教授、社会政策)

    木川田一隆(東京電力社長)

    山際正道(日本銀行総裁)

    長尾春雄(日本生命)

    宇佐美洵(慶應義塾、日本銀行総裁)

    佐々木直(日本銀行総裁)

    美作太郎(新評論社長)

    菊地庄次郎(日本郵船社長)

    竹内俊夫(トーメン社長)

    土屋清(朝日新聞論説委員、評論家)

    外山茂(日本銀行理事)

    山中宏(明治生命保険会長)

    水野勲(新日本製鐵顧問)

    二宮俊夫(日本証券代行会長)など

    ^ 河合栄治郎「グレート・ワークスの世界 -近現代日本の思想と学問-」、神奈川県立図書館

    ^ 『東京帝国大学一覧 從大正4年至大正5年』東京帝国大学、1916年、p.120

    ^ 『東京帝国大学一覧 從大正9年至大正10年』東京帝国大学、1921年、p.617

    ^ 『東京帝国大学一覧 從大正15年至昭和2年』東京帝国大学、1927年、p.398

    ^ 『東京帝国大学一覧 從大正15年至昭和2年』東京帝国大学、1927年、p.370

    ^ 松井慎一郎『評伝河合栄治郎: 戦闘的自由主義者の生涯』120頁

    ^ 「河合教授の四著書発禁」(東京堂年鑑編輯部編『出版年鑑 昭和14年版』東京堂、1939年、pp.79-80)

    ^ このことを最初に指摘したのは粕谷一希である。粕谷一希『河合栄治郎』日本経済新聞社、1983年。その思想の体系性を指摘し、図解したのは青木育志である。青木育志『河合栄治郎の社会思想体系』春風社、2011年。

    ^ このことを最初に本格的に採り上げたのは渡辺かよ子である。渡辺かよ子『近現代日本の教養論』行路社、1997年。教養主義者河合を描いたのは青木育志である。青木育志『教養主義者・河合栄治郎』春風社、2012年。

    ^ 「コミンテルンの崩壊」『社会政策時報』1934年3月。後『コミンテルンの運命』弘文堂、1950年。『マルキシズムとは何か』タイムス出版社、1932年。

    ^ 青空文庫「二・二六事件に就て」

    ^ 従来その評論に対しては、ファシズム批判と矛盾するとの説と、単に愛国的言動であるとの説があった。前者では名古忠行『フェビアン協会の研究』(法律文化社、1987年)、岩本典隆『近代日本のリベラリズム』(文理閣、1996年)、後者では扇谷正造「一記者の見た河合教授」(『河合栄治郎全集第6巻月報』1968年)、粕谷一希『河合栄治郎』(日本経済新聞社、1983年)あり。最近では松井慎一郎『評伝河合栄治郎』(玉川大学出版部、2004年)、青木育志『河合栄治郎の社会思想体系』(春風社、2011年)あり。

    ^ 河合は短い期間に多くの著作を発表した。その多産性とその秘密を指摘したのは青木育志であった。多産性については『河合栄治郎の社会思想体系』春風社、2011年、308-309頁、その秘密については『教養主義者・河合栄治郎』春風社、2012年、194-198頁。

    ^ 『学窓記』は『学生叢書』への執筆論文を集めたものである。

    ^ 河合が指導した学生から多くの学者が育った。その数の多さとその理由について解明したのは青木育志である。青木育志『教養主義者・河合栄治郎』春風社、2012年、109-112頁。

    河合栄治郎・伝記と追想(社会思想研究会編, 社会思想研究会出版部, 1948年, 1952年)

    河合栄治郎伝(江上照彦, 河合栄治郎全集別巻、社会思想社, 1971年)

      新装版 河合栄治郎教授(講談社学術文庫, 1981年)

      日本の知識人-その系譜と役割(日本文化会議編, PHP研究書, 1980年)

      河合栄治郎-戦う自由主義者とその系譜(粕谷一希, 日本経済新聞社, 1983年)

      昭和史のなかの社会政策-河合栄治郎と二・二六事件(佐野稔, 平原社, 1993年)

      河合栄治郎文献目録(青木育志編、河合栄治郎研究会、1994年)

      近代日本のリベラリズム-河合栄治郎と永井隆太郎の理念をめぐって(岩本典隆, 文理閣, 1996年)

      近現代日本の教養論 1930年代を中心に(渡辺かよ子、行路社、1997年)

      戦闘的自由主義者河合栄治郎(松井慎一郎, 社会思想社, 2001年)

        改訂版 評伝河合栄治郎(玉川大学出版部, 2004年)

        教養の思想(河合栄治郎研究会編, 社会思想社, 2002年)

        評伝河合栄治郎 不撓不屈の思想家(遠藤欣之助、毎日ワンズ, 2004年)

        河合栄治郎 戦闘的自由主義者の真実 (松井慎一郎, 中公新書, 2009年)

        河合栄治郎の社会思想体系――マルクス主義とファシズムを超えて(青木育志, 春風社, 2011年)

        教養主義者・河合栄治郎(青木育志, 春風社, 2012年)

        断固たる精神・河合栄治郎(川西重忠, 桜美林大学東北アジア総合研究所, 2012年)

        イギリス理想主義の展開と河合栄治郎――日本イギリス理想主義学会設立10周年記念論集(行安茂編, 世界思想社, 2014年)

        理想主義 (アイディアリズム)、イギリス理想主義

        人格主義

        教養主義

        学生叢書

        学生に与う

        社会思想、社会思想史

        自由主義(第三期自由主義)

        イギリス社会主義(フェビアン主義)

        多元的国家論

        民主的社会主義

        マルクス主義批判

        ファシズム批判(二・二六事件批判)

        河合栄治郎事件(平賀粛学)

        日本評論社

        河合栄治郎:作家別作品リスト - 青空文庫

        伊原吉之助教授の読書室

        青木育志の書斎

        河合栄治郎の十五年戦争観

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        IdRef

        河合栄治郎

        日本の経済学者

        20世紀日本の哲学者

        日本の教養主義

        日本の自由主義

        日本の反共主義者

        社会政策学者

        戦前日本の学者

        日本の商工官僚

        東京大学の教員

        東京大学出身の人物

        旧制第一高等学校出身の人物

        東京都立両国高等学校出身の人物

        東京都区部出身の人物

        1891年生

        1944年没

2024/09/26 09:41更新

kawai eijirou


河合栄治郎と同じ誕生日2月13日生まれ、同じ東京出身の人

二宮 寛(にのみや ひろし)
1937年2月13日生まれの有名人 東京出身

二宮 寛(にのみや ひろし、1937年2月13日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 慶應義塾大学法学部政治学科在学中の1957年10月23日の北京市との試合で日本代表として初出…

伊勢 みはと(いせ みはと)
1991年2月13日生まれの有名人 東京出身

伊勢 みはと(いせ みはと、1991年2月13日 - )は、日本のタレント、グラビアアイドル、女優。旧芸名はみはと。東京都出身。グリーンメディア所属。 現在の事務所に所属する前にティーン向けファッシ…

栗山 絵美(くりやま えみ)
1983年2月13日生まれの有名人 東京出身

栗山 絵美(くりやま えみ、1983年2月13日 - )は、日本の女優・ファッションモデルである。所属芸能事務所は、株式会社スペースクラフト・エージェンシー。 1983年(昭和58年)、東京都生まれ…

矢埜 愛茉(やの えま)
1996年2月13日生まれの有名人 東京出身

矢埜 愛茉(やの えま、1996年2月13日 - )は、日本のAV女優、元グラビアアイドル、女優。東京都出身。BBT→Alp所属。旧芸名は前田 美里(まえだ みさと)。 アプリ「美少女時計」モデルに…

藤白 れもん(ふじしろ れもん)
1999年2月13日生まれの有名人 東京出身

上原 れもん(うえはら れもん、1999年2月13日 - )は、日本のアイドル、グラビアアイドル。東京都出身。元夢みるアドレセンス。2024年8月20日から「上原れもん」として活動している。 202…

美翔 芽里(みしょう めり)
1975年2月13日生まれの有名人 東京出身

美翔 芽里(みしょう めり、1975年2月13日 - )は、日本の元レースクイーン。テレビのバラエティー番組 『出動!ミニスカポリス』(1997年、テレビ東京)へのレギュラー出演でも知られた。 埼玉…

山本 百合子(やまもと ゆりこ)
1960年2月13日生まれの有名人 東京出身

山本 百合子(やまもと ゆりこ、1960年2月13日 - )は、日本の声優、女優、歌手、ナレーター。東京都日野市出身。青二プロダクション所属。 小さい頃から、泳ぐのが好きで、スイミングスクールに通っ…

松野 有里巳(まつの ありみ)
1973年2月13日生まれの有名人 東京出身

松野 有里巳(まつの ありみ、1973年2月13日 - )は、日本の歌手、女優、スポーツインストラクター。本名、高橋 有里巳(たかはし ありみ)。旧姓、松野。 東京都世田谷区出身。グローバルプロモー…

生田 智子(いくた ともこ)
1967年2月13日生まれの有名人 東京出身

生田 智子(いくた ともこ、本名:中山智子(旧姓:生田)、1967年2月13日 - )は、東京都板橋区出身の女優、モデル、声優。東宝芸能所属。特技は、ダンス・乗馬・フラメンコなど幅広い面を持つ。現在、…

保坂 知寿(ほさか ちず)
1962年2月13日生まれの有名人 東京出身

保坂 知寿(ほさか ちず、1962年2月13日 - )は、日本のミュージカル女優。東京都出身。 大妻高校3年生の夏、劇団四季の夏期研修会でミュージカルの手ほどきを受けたのがきっかけで劇団四季付属研究…

佳川 紘子(かがわ こうこ)
2月13日生まれの有名人 東京出身

佳川 紘子(かがわ こうこ、1942年10月6日 - )は、日本の声優、女優。東京都出身。旧芸名は菊池 紘子(きくち こうこ)。 八代白百合学園高等学校、東京アナウンスアカデミー卒業。テアトル・エコ…


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河合栄治郎と近い名前の人

河井 英里(かわい えり)
1965年5月8日生まれの有名人 東京出身

河井 英里(かわい えり、1965年5月8日 - 2008年8月4日)は、日本の歌手・作詞家・作曲家・編曲家・スタジオミュージシャン・ナレーター。本名、河井 英理(読み同じ)。旧芸名:エリ、Erie。…

かわい えいじ(川合 栄次)
1985年11月26日生まれの有名人 北海道出身

かわい えいじ(川合 栄次、1985年11月26日 - )は、日本の男性シンガーソングライター、作曲家、編曲家。北海道出身、血液型AB型。もじゃもじゃヘアが特徴。 自身の2ndシングルまで漢字表記で…

河合 映治(かわい えいじ)
1967年9月7日生まれの有名人 出身

河合 映司(かわい えいじ、1967年9月7日 - )は、日本の実業家。株式会社セリアの第2代代表取締役社長。セリア創業者の河合宏光は叔父。 1990年に同志社大学経済学部を卒業後、1990年4月に…

河合 悠祐(かわい ゆうすけ)
1981年2月22日生まれの有名人 埼玉出身

河合 悠祐(かわい ゆうすけ、1981年〈昭和56年〉2月22日 - )は、日本の政治家、実業家。前埼玉県草加市議会議員。 京都市北区出身。京都市立紫野高等学校、京都大学総合人間学部卒業、同志社大学…

河合 郁人(かわい ふみと)
【A.B.C-Z】
1987年10月20日生まれの有名人 東京出身

河合 郁人(かわい ふみと、1987年〈昭和62年〉10月20日 - )は、日本の俳優、アイドル、タレント、コメンテーター。男性アイドルグループ・A.B.C-Zの元メンバー。 東京都武蔵村山市出身。…

河合 ふゆみ(かわい ふゆみ)
1978年9月29日生まれの有名人 東京出身

河合 ふゆみ(かわい ふゆみ、1978年9月29日 - )は、日本の元グラビアアイドル、元タレント。東京都練馬区出身。愛称は「ふゆみん」。現在は、芸能界を引退している。 GIRLS²(1999年4月…

河合 風花(かわい ふうか)
2月25日生まれの有名人 長野出身

河合 風花(かわい ふうか、2月25日 - )は、日本の元グラビアアイドル、元女性タレント、女優。長野県出身。グラヴィティに所属していた。 長野県にて3人姉妹の長女(妹が2人いる)として生まれる。2…

河合 薫(かわい かおる)
1965年10月23日生まれの有名人 千葉出身

河合 薫(かわい かおる、女性、1965年(昭和40年)10月23日 - )は、日本のタレント、気象予報士、健康社会学者である。長岡技術科学大学非常勤講師、東京大学非常勤講師、早稲田大学エクステンショ…

河合 いよ(かわい いよ)
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河合 いよ(かわい いよ、1989年3月26日 - )は、日本の元グラビアアイドル、元タレント。静岡県焼津市出身。プラチナムプロダクションに所属していた。 静岡県立焼津中央高等学校卒業。 2007年…

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河合 美智子(かわい みちこ、1968年〈昭和43年〉6月13日 - )は、日本の女優、歌手である。本名、鈴木 一栄(すずき かずえ)。オーロラ輝子(オーロラ てるこ)として歌手活動を行う。 神奈川…

河合 奈保子(かわい なおこ)
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河合 その子(かわい そのこ、1965年〈昭和40年〉6月20日 - )は、日本のタレント・歌手。愛知県東海市出身。女性アイドルグループ・おニャン子クラブの元メンバーで、会員番号は12番。 現役当時…

河合 義隆(かわい よしたか)
1947年1月18日生まれの有名人 新潟出身

河合 義隆(かわい よしたか、1947年1月18日 - 1990年4月30日)は、日本の映画監督、演出家。映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』の監督。 1947年(昭和22年)生まれ。…

河合 紗希子(かわい さきこ)
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河合 紗希子(かわい さきこ、2月16日 - )は、日本の女性声優。東京都出身。アミュレート所属。以前はマック・ミックに所属していた。 白百合学園幼稚園、白百合学園小学校、白百合学園中学校・高等学校…

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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「河合栄治郎」を素材として二次利用しています。

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