炭谷銀仁朗の情報(すみたにぎんじろう) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
炭谷 銀仁朗さんについて調べます
■名前・氏名 |
炭谷銀仁朗と関係のある人
水口大地: 初出場:2016年3月30日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(福岡ヤフオク!ドーム)、9回表に炭谷銀仁朗の代走として出場 森友哉: 2018年は本格的に捕手に挑戦し、炭谷銀仁朗や岡田雅利がスタメンマスクを被る試合ではDHという起用法で出場を続けた。 ジェフリー=リーファー: 初出場:2006年4月25日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(インボイスSEIBUドーム)、7回裏に炭谷銀仁朗の代打で出場 タイシンガーブランドン大河: 西武の新人で初安打が初本塁打は2014年の山川穂高以来、またチームの新人で3月中に本塁打は2006年の炭谷銀仁朗以来15年ぶりだった。 小園海斗: 高卒の新人選手がオープン戦で複数本塁打を放ったのは炭谷銀仁朗以来でドラフト制後2人目。 髙山俊: 7月27日の対巨人戦(東京ドーム)では、7回裏から右翼の守備に就くと、延長10回裏一死一・二塁で炭谷銀仁朗が打った大飛球を、前進守備の態勢から背走しながらダイビングキャッチ。 瀧中瞭太: 特に7月に移籍してきた炭谷銀仁朗とバッテリーを組むようになってからはその安定感が増し、20試合の先発で10勝5敗・防御率3.21を記録し、飛躍の1年となった。 光山英和: 炭谷銀仁朗に猛練習を課し、レギュラーを取るための下地を作り、炭谷とは楽天でもコーチと選手の関係になった。 松川虎生: これは1955年の谷本稔(大映)、2006年の炭谷銀仁朗(西武)に次ぐ史上3人目の高卒新人捕手開幕スタメン、球団でも1955年の榎本喜八、1965年の山崎裕之、2019年の藤原恭大以来史上4人目となる高卒新人開幕スタメンとなった。 宇部銀次: 2023年は、9月22日に初めて一軍に昇格すると、同25日の日本ハム戦(エスコンフィールドHOKKAIDO)では炭谷銀仁朗の代打として出場し、伊藤大海から決勝適時打を放った。 立田将太: 初奪三振:同上、9回表に炭谷銀仁朗から空振り三振 高山俊: 7月27日の対巨人戦(東京ドーム)では、7回裏から右翼の守備に就くと、延長10回裏一死一・二塁で炭谷銀仁朗が打った大飛球を、前進守備の態勢から背走しながらダイビングキャッチ。 谷本稔: 1年目の同年は3月27日の東映戦(駒澤)に捕手で開幕戦スタメンデビューを果たすが、これは日本プロ野球史上初の「高卒ルーキー捕手の開幕戦スタメンデビュー」であり、2006年の炭谷銀仁朗(西武)まで51年間出なかったという非常に稀な出来事でもあった。 小川龍成: 初盗塁:2021年10月2日、対東北楽天ゴールデンイーグルス22回戦(楽天生命パーク宮城)、5回表に二盗(投手:岸孝之、捕手:炭谷銀仁朗) 郡司裕也: 初盗塁:2023年7月27日、対東北楽天ゴールデンイーグルス18回戦(楽天モバイルパーク宮城)、5回表に二盗(投手:石橋良太、捕手:炭谷銀仁朗) 茂木栄五郎: 初盗塁:2016年4月2日、対埼玉西武ライオンズ2回戦(楽天Koboスタジアム宮城)、3回裏に二盗(投手:岡本洋介、捕手:炭谷銀仁朗) ※三塁走者・ゼラス・ウィーラーと重盗 涌井秀章: 開幕から高卒ルーキーの炭谷銀仁朗と「10代バッテリー」を組んでいたが、配球を読まれるようになり、完封後の2戦では2敗を喫し、炭谷は二軍降格となった。 星秀和: 先発マスクを被っていた炭谷銀仁朗も7回で代打を送られ途中交代。 正田耕三: 大学出身ではない選手が労組選手会会長に就いたのは2017年12月の炭谷銀仁朗(高校からプロ入り)就任まで正田のみであった。 内海哲也: 2018年12月20日に国内FAを宣言をした埼玉西武ライオンズの炭谷銀仁朗を巨人が獲得したことによる人的補償として、西武への移籍が巨人球団から発表された。 武田勝: 2013年シーズンは、開幕戦である3月29日の西武戦(西武ドーム)で自身初の開幕投手を務めたが、4回裏に先頭打者の炭谷銀仁朗を一ゴロに打ち取った際、左脹脛の張りを訴え、降板。 細川亨: 2006年は前年の守備難もあり、開幕時期こそ高卒新人・炭谷銀仁朗に先発出場を明け渡したが、4月下旬から正捕手を奪い返し、涌井秀章の先発時以外はほぼ先発出場した。 髙橋大樹: 2年時の夏は、京都府予選で同校のOBである炭谷銀仁朗がもつ1大会4本塁打にあと1本と迫る3本塁打を放ち優勝に貢献する。 羽月隆太郎: 初盗塁:2021年4月10日、対読売ジャイアンツ2回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、6回裏に二盗(投手・チアゴ・ビエイラ、捕手・炭谷銀仁朗) 星秀和: 本人は引退後に出演した野球Youtuberトクサンの動画内で、「入団した翌年に炭谷銀仁朗が入ってきて、2秒で捕手をクビになった」と語っている。 落合博満: 他球団で実績のある捕手の嶋基宏(当時は楽天)、炭谷銀仁朗(当時は西武)を、FAで獲得する可能性を中日が調査したとの報道があったが、いずれも実現していない。 谷川原健太: 初盗塁:2021年9月2日、対東北楽天ゴールデンイーグルス17回戦(福岡PayPayドーム)、8回裏に二盗(投手:アラン・ブセニッツ、捕手:炭谷銀仁朗) 星孝典: 2013年も開幕を一軍で迎え、チームの捕手としては炭谷銀仁朗に次いで2番目に多い39試合に出場した。 岡田雅利: 開幕後は炭谷銀仁朗のバックアップとして起用されていたが、4月下旬から先発起用されるようになり、この年は22試合で先発出場した。 原田英彦: 炭谷銀仁朗 |
炭谷銀仁朗の情報まとめ
炭谷 銀仁朗(すみたに ぎんじろう)さんの誕生日は1987年7月19日です。京都出身の野球選手のようです。
家族に関する情報もありますね。去年の情報もありました。炭谷銀仁朗の現在の年齢は37歳のようです。
炭谷銀仁朗のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 炭谷 銀仁朗(すみたに ぎんじろう、1987年7月19日 - )は、京都府京都市左京区出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 労働組合日本プロ野球選手会第9代会長。 小学校から野球を始める。当初は左翼手だったが捕手へ転向。中学3年生までは投手も兼任したが、平安高校入学後は捕手専任となり、高校2年の時は、当時の平安のエース服部大輔の変化球を捕れず三塁手に転向したが、3年時に再び捕手となる。3年夏の京都大会では満塁で敬遠され、準決勝でその年の選手権大会準優勝の京都外大西に2-3で敗れ、ベスト4。高校通算本塁打は48本。 2005年10月3日の高校生ドラフト会議にて西武ライオンズから1位指名を受け、契約金7000万円、年俸700万円で仮契約し、入団した。背番号は37。 2006年は、キャンプから頭角を現し、オープン戦で2本塁打、5割近い盗塁阻止率を記録したため、谷繁元信以来17年ぶりとなる高卒新人捕手の開幕一軍入り、3月25日の対オリックス・バファローズ戦で谷本稔以来51年ぶりとなる高卒新人捕手の開幕戦スタメンデビュー、飯田幸夫以来40年ぶりとなるパ・リーグ高卒新人開幕スタメンまで果たした。この開幕戦で7回に中堅へ安打を打ったが、高卒新人が開幕戦で安打を打ったのは、立浪和義以来2リーグ制後4人目であった。翌3月26日は19歳の涌井秀章とバッテリーを組み、初勝利。これは1989年の横浜大洋ホエールズの石井忠徳・谷繁バッテリー以来17年ぶりとなる10代バッテリーでの勝利であった。同月29日の対福岡ソフトバンクホークス戦(北九州市民球場)では、2回表にD.J.カラスコからプロ初本塁打となる満塁本塁打を打った。高卒新人がルーキーイヤーに満塁本塁打を記録したのは清原和博以来20年ぶりで、かつ高卒新人捕手としては史上初の快挙であった。同試合の6回表には2号本塁打を打ち、松井秀喜以来となる高卒新人の1試合2本塁打も記録した。しかし、その後は打率.160と不振に陥り、リード面においても課題を指摘されたことから、5月以降細川亨に正捕手の座を奪われ、5月12日に一軍登録を抹消された。6月6日に一軍へ復帰すると同日の試合で即スタメン起用され先制点を挙げるなど活躍し、再び一軍に定着した。同日の勝利投手は10代コンビの涌井であり、以降は涌井の先発時のみスタメンという起用法が続いた。終盤には細川のケガによる離脱により再び先発マスクを被ることが多くなった。 2007年から登録名を「銀仁朗」へ変更。この時から「朗」に異体字を用いている。開幕は二軍で迎えたが、二軍で打率.325を残し、守備でも安定した活躍を見せ、5月30日に一軍へ昇格。しばらくは出場機会に恵まれなかったが、9月はほぼ全試合に出場した。しかし、打率.174に終わり、安打数の2倍以上の三振を喫した。 2008年は、出場が46試合と前年よりも増えた反面、64打数の半分近くで三振を喫するなど打撃面における課題は克服できず、細川の正捕手としての立場を脅かすには至らなかった。読売ジャイアンツとの日本シリーズでは控え捕手として出場選手登録された。第5戦の2回裏、細川が一塁ベースに滑り込んだ際、右肩を脱臼し、負傷交代したため、代走として日本シリーズ初出場を果たし、残り2試合はいずれも先発出場し、チームの日本一に貢献した。 2009年は、背番号を2へ変更。これは師匠と仰ぐ城島健司と同じ番号を付けたいとする本人の希望によるものであった。細川のケガによる長期離脱もあり、正捕手として起用され、自己最多の112試合に出場した。チーム最多の14犠打を決め、盗塁阻止率はリーグ2位の.333を記録した。課題とされる打撃についても打率.220と自己最高の成績を残したものの代打を送られた回数は46回と両リーグ最多であった。オフには涌井と共に最優秀バッテリー賞に選ばれ、初のタイトルを受賞。選考会議においてはソフトバンクの杉内俊哉・田上秀則バッテリーを推す評議員も多く、決選投票でも3対3と意見が分かれたが、最後は選考委員会の司会であった中畑清の「投手との共同作業である盗塁阻止率(.462)を評価したい。若い銀仁朗の今後の活躍に期待して」という意見が決め手となり涌井・銀仁朗バッテリーが受賞することとなった。 2010年は、3月7日の阪神タイガースとのオープン戦にて内野ゴロを打ち一塁へ駆け込んだ際に左足を負傷し、途中退場。当初は「大腿骨の骨挫傷」と診断されていたが、再検査の結果「左膝内側半月板損傷および左前十字靱帯断裂」であることが判明し、3月に手術を受けた。ほぼ1年を棒に振る形となったものの、本人曰く「自分でもびっくりするぐらい早い」回復で9月29日に一軍へ昇格され、公式戦最終戦とクライマックスシリーズファーストステージ第1戦の計2試合に出場した。 2011年は、前年のオフに細川がFA権を行使し、ソフトバンクへ移籍したため、正捕手争いの一番手として期待され、開幕戦から出場。途中、怪我で戦線離脱。一時スタメンの座を上本達之や金銭トレードで加入した星孝典に奪われることもあったが、自身最多の122試合に出場した。12月6日に背番号27への変更と登録名を「炭谷銀仁朗」へ変更することが発表された。 2012年は、正捕手に定着。終盤に左足を痛め、左足立方骨の亀裂骨折と判明するが、最終戦まで強行出場し、自己最多の139試合に出場。自身初となるゴールデングラブ賞も受賞した。打率は2割に達せず、規定打席には32打席足りなかったが、もし規定打席に到達していた場合、1982年の山倉和博(読売ジャイアンツ)以来の「規定打席に到達して打率2割未満」となる可能性があった。また本塁打はなかった。オフの11月6日に「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表に選出された。11月16日の試合では、先制本塁打を放った。12月4日には第3回WBC日本代表候補選手34人に選出された。 2013年は、2月20日に第3回WBC日本代表選手28人に選出された。3月12日の二次ラウンドオランダ戦ではスタメン出場した。レギュラーシーズンでは自己最多出場を更新する141試合に出場し、初めて規定打席に到達した。オフの11月には台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された。 2014年も引き続き、正捕手として出場したが終盤はルーキーの森友哉が捕手として出場することが多くなり、規定打席には到達しなかった。この年に国内FA権を取得したが、権利を行使せず西武に残留した。 2015年は開幕から正捕手となったが、8月まで毎月の打率が軒並み1割台、OPSも4割台で、スタメン出場は多かったものの、中盤は岡田雅利と途中交代する場面が見受けられた。しかし9月には月間打率.349 OPS.951を記録。同シーズンの4本塁打はすべて9月に打ったものである。結局この年は規定打席にちょうど到達し、自身の打率を.211にまで持ち直したが規定打席を満たした打者ではリーグワーストとなった。10月9日に第1回WBSCプレミア12の最終ロースター28名に選出された。11月10日に3年ぶり2回目となる三井ゴールデン・グラブ賞を受賞。11月24日には初のベストナインに選ばれている。 2016年は、2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出された。開幕後から正捕手として起用されたが岡田に先発マスクを奪われることも多く、8月からは森の起用が増え、この年の出場試合は117試合で例年に比べ、減少。打率も.218に終わった。11月29日の選手会納会で2017年から選手会長を務めることが発表された。 2017年は、当初第4回WBC日本代表選手28人から漏れたが、嶋基宏の負傷による離脱に伴う補充選手として2大会連続で選出された。大会では小林誠司の好調さもあり、前回同様、控え捕手の位置付けであったが二次ラウンドキューバ戦と準決勝のアメリカ戦(いずれも9回の1イニング)の2試合にいずれも小林に代打が出たあとの守備で出場した(打席機会はなし)。またロサンゼルス・ドジャースとの強化試合では一塁も守った。岡田に先発を譲る試合もあり出場試合こそやや減少したが、打撃面では自己最高の打率(.251)を残し、本塁打・打点も前年を大きく上回った。12月4日、球団から2年契約を提示されるも断り、1000万円増の推定年俸1億1000万円で単年契約した。12月7日、嶋基宏の後を継ぎ、労働組合日本プロ野球選手会の第9代会長に選出された。高校から直接プロ入りした選手としては初。 2018年は、辻監督の方針で森友哉・岡田雅利との併用という形になり、開幕直後は主に菊池雄星・榎田大樹・ブライアン・ウルフと先発バッテリーを組んでいた。3, 4月は月間打率3割超えと好調だったが、5月以降は月間打率が1割台~2割前半と低迷。森の台頭・岡田の打撃面での成長もあり、徐々に出場機会を失い、3人の中で最も少ない47試合の出場にとどまった。オフにスタメンマスク(41試合)の半分以上バッテリーを組んだ菊池雄星がメジャー挑戦を表明。翌年以降のさらなる出場機会減少が見込まれることもあり「野球人としてもう一回勝負したい」と海外FA権を行使した。11月24日、読売ジャイアンツへの移籍を表明。11月26日、NPBから公示された。 2018年11月26日、監督の原辰徳同席のもと入団会見が行われた。背番号は西武時代と同じ27。3年契約で推定年俸は1億5000万円。西武での炭谷の年俸ランクはBであり、内海哲也が人的補償として西武へ移籍した。 2019年のキャンプ前に「シーズン全試合フルイニング出場」を掲げた。しかし、開幕戦でスタメン出場を逃したため早くも逃すことになった。開幕第2戦の3月30日の広島戦で移籍後初出場初先発し、打撃は無安打だったが守備でテイラー・ヤングマン、後を受けたリリーフ陣をリードしてチームをシーズン初勝利に導いた。それ以降は髙橋優貴や桜井俊貴が先発の時にマスクをかぶることが多く、6月13日の西武戦では古巣相手に3点本塁打を打つ活躍を見せ、前年までのホーム球場・メットライフドームでヒーローインタビューを受けた。7月28日の阪神戦では3回に2ラン、6回にはプロ1年目以来となる13年ぶりの満塁本塁打を打つなど1試合2本塁打、6打点と、リードだけでなく打撃面でも貢献した。8月2日の広島東洋カープ戦で守備中に人差し指に打球を受け途中交代し、骨折と診断され、翌日一軍登録抹消されたが1か月後に一軍に昇格。前年の西武時代から2年連続となるリーグ優勝を経験した。シーズンの成績では離脱の影響もあり、138打席にとどまるも前年のシーズンを上回る58試合の出場で自己最高の打率.262、前年0本だった本塁打も6本記録した。3年契約の1年目を終え、現状維持の1億5000万円で契約を更改した。 2020年は打率.180・OPS.482と成績を落とすも、経験を買われ、戸郷翔征ら若手投手の先発時を中心に正捕手の大城卓三(71試合)に次ぐ35試合でスタメンマスクを被った。3年契約の2年目を終え、現状維持の1億5000万円で契約を更改した。 2021年は大城に次ぐ2番手捕手として、後述の移籍まで44試合に出場し、打率.188、1本塁打、7打点を記録していた。 2021年7月4日に金銭トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍することが発表された。背番号は26。移籍に際し、原監督と話し合いを重ね、最終的に炭谷自身の意思を尊重する形となった。 7月6日の対オリックス戦(京セラドーム)で9回裏に守備に就き、移籍後初出場。7月11日の対西武戦(楽天生命パーク)では移籍後初本塁打を記録し、史上7人目となる同一シーズンに2球団での本塁打となった。シーズンでは太田光と併用されることが多く、炭谷は主に岸孝之、田中将大、瀧中瞭太の先発時にスタメンマスクを被った。同年のシーズンオフに5500万円減の推定年俸9500万円で契約を更改した。 2022年は太田光が前年オフに受けた手術の影響で出遅れ、正捕手候補として開幕戦でスタメンマスクを被ったドラフト2位ルーキーの安田悠馬が新型コロナウイルスに感染して離脱したこともあり、出場試合数を増やし最終的にチーム最多の98試合に出場した。打撃では打率.237、4本塁打、18打点という成績を残し、7月20日の対ソフトバンク戦(北九州市民球場)では2019年以来となる1試合2本塁打を記録した。また7月17日の対オリックス戦(楽天生命パーク)では相手先発の田嶋大樹との相性の良さを買われ自身初となる指名打者として出場し、3打数3安打と活躍して期待に応えた。守備面ではリーグ3位となる盗塁阻止率.339を記録した。オフには500万円増となる推定年俸1億円で契約を更改した。 2023年は65試合の出場に留まり、10月13日に戦力外通告を受けた。その後、10月25日に古巣の西武が獲得調査をしていると報じられた。 2023年11月16日、古巣となる埼玉西武ライオンズへの入団が発表された。6年ぶりの復帰となり、背番号は第一次在籍時と同じく27。推定年俸は3500万円となった。 二塁送球タイムはスポニチアネックスによると「コンスタントに1.9秒台を叩き出す」とのこと。巨人へのFA移籍時点で、谷繁元信は「捕手としての能力は、配球、スローイング、ブロッキングなど、どれをとっても球界の上位にある」と評した。 右打ちの捕手としては俊足であり、一塁到達3.95秒を記録している。 右投げ右打ちだが元々は左利きであり、ペンや箸も左手で持つ。 愛称は「銀ちゃん」。名前の「銀仁朗」は本宮ひろ志の漫画『硬派銀次郎』から付けられた。 小学生時代には水泳選手として活躍、バタフライでジュニアオリンピックに出場したこともある。 西武ではプロ1年目の新人合同自主トレの一環として西武園競輪場での競輪トレーニングが毎年行われているがプロ2年後以降も2007年・2011年の2度にわたり、飛び入りで参加している。 登場曲は2006年当初は『ターミネーターのテーマ』を使っていて、その後は蒲田行進曲を使用していた。これは前述の通り、愛称が「銀ちゃん」であることが由来と思われる。2007年からは近藤真彦の『ギンギラギンにさりげなく』に変更した。これは「自らの名を連呼するようなサビが気に入った」ことが由来らしい。さらに2009年からは、湘南乃風の『SHOW TIME』を使用している。サビの部分の「打て、打て、打て、打て、打て」は西武のホーム側応援席全体で合唱される。 応援歌に前奏を持つ選手。「銀仁朗!銀仁朗!炭谷銀仁朗!」のコールを何度か繰り返したあと前奏に入り、さらに「銀仁朗銀仁朗銀仁朗!」とコールを入れた後に応援歌に入る。同曲は本来「汎用選手の代打テーマ」として使用する予定で制作されたものだったが、当時炭谷以外の使用者がおらず、炭谷専用の応援歌に変更されたという経緯を有する。 2015年から7期連続で、難病の子どもへの支援として「公益社団法人 難病の子どもとその家族へ夢を」の家族を試合に招待し、交流会をしたり、先発キャッチャーとして出場した試合で、西武、巨人、楽天が勝利を挙げた際に寄付したりするなど、積極的に社会貢献活動を行っている。 2024年度シーズン終了時 2024年度シーズン終了時 各年度の太字はリーグ最高 太字年はゴールデングラブ賞受賞 ベストナイン:1回(捕手部門:2015年) ゴールデングラブ賞:2回(捕手部門:2012年、2015年) 最優秀バッテリー賞:2回(2009年 投手:涌井秀章、2017年 投手:菊池雄星) JA全農Go・Go賞:1回(最多盗塁阻止賞:2012年7月) 初出場・初先発出場:2006年3月25日、対オリックス・バファローズ1回戦(インボイスSEIBUドーム)、8番・捕手で先発出場 初打席:同上、2回裏に川越英隆から遊撃ゴロ併殺打 初安打:同上、7回裏に川越英隆から中前安打 初本塁打・初打点:2006年3月29日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(北九州市民球場)、2回表にD.J.カラスコから左越満塁本塁打 初盗塁:2009年7月16日、対東北楽天ゴールデンイーグルス12回戦(西武ドーム)、3回裏に二盗(投手:長谷部康平、捕手:中谷仁) 1000試合出場:2016年8月16日、対福岡ソフトバンクホークス16回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、9番・捕手で先発出場 ※史上481人目 200犠打:2020年8月20日、対阪神タイガース10回戦(東京ドーム)、5回裏に青柳晃洋から投前犠打 ※史上43人目 1500試合出場:2023年6月4日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、9回表に辰己涼介の代打で出場 ※史上203人目 同一シーズン2球団で本塁打:2021年 ※史上7人目 オールスターゲーム出場:3回(2011年、2015年、2016年) 37(2006年 - 2008年) 2(2009年 - 2011年) 27(2012年 - 2021年7月4日、2024年 - ) 26(2021年7月5日 - 2023年) 9(2017年WBC) 炭谷 銀仁朗(すみたに ぎんじろう、2006年) 銀仁朗(ぎんじろう、2007年 - 2011年) 炭谷 銀仁朗(すみたに ぎんじろう、2012年 - ) 「ギンギラギンにさりげなく」近藤真彦(2007年 - 2008年) 「SHOW TIME」湘南乃風(2009年 - 2018年) 「2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-」郷ひろみ(2011年) 「英雄」doa(2011年) 「Follow Me」E-girls(2013年) 「HANABI」Mr.Children(2013年) 「逆転満塁ホ→ムラン☆♪。」ハジ→(2014年) 「喧嘩上等」氣志團(2014年-2015年) 「負けてたまるか」佐々木清次(2015年 - 2018年、第一打席のみ) 「BIG UP」湘南乃風(2015年) 「ザクセル」佐々木清次(2017年 - ) 「PRIDE」高梨康治(2021年6月3日) 2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 2015 WBSCプレミア12 日本代表 2017 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 ^ 「3年総額6億円」とも報道されていた。 ^ 2021年6月3日の西武戦でも本塁打を記録しており、同じチーム相手に同一シーズンに2球団で本塁打を記録したのは1952年の深見安博以来69年ぶり2人目となった。 ^ 捕手が21歳での受賞記録、バッテリー平均年齢21.5歳の記録はいずれも最年少記録。最年少捕手の従来の記録は、1999年の城島健司(22歳)だった。最年少バッテリーの従来記録は、1995年の平井正史(19歳)と中嶋聡(26歳)の平均年齢22.5歳だった。年齢は、いずれもその年の開幕時点での年齢である。 ^ 内海哲也投手が巨人時代に使用していた登場曲である。 ^ 「西武 - 契約更改 - プロ野球」『日刊スポーツ』。2024年12月4日閲覧。 ^ 「現役の皆さんに聞きました キャッチャーの魅力を教えてください」 『週刊ベースボール』2009年6月1日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20441-6/1、20-21頁。 ^ 「伊東監督のような捕手に/炭谷が西武と仮契約」四国新聞社、2005年11月15日。2016年11月13日閲覧。 ^ プロ野球在籍者名簿 す NPB.jp ^ 「銀仁朗は今季絶望…左ひざ半月板手術決断」日刊スポーツ、2010年3月25日。2021年8月26日閲覧。 ^ 「【西武】銀仁朗が3月の手術後初の練習」日刊スポーツ、2010年5月28日。2021年8月26日閲覧。 ^ 「12/6 登録名・背番号変更のお知らせ」埼玉西武ライオンズオフィシャルサイト、2011年12月6日。2021年3月29日閲覧。 ^ 「侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー」NPB公式サイト、2012年11月6日。2015年4月14日閲覧。 ^ 「2013WBC日本代表候補選手発表」日本野球機構、2012年12月4日。2015年4月3日閲覧。 ^ 「2013WBC日本代表28選手の発表」日本野球機構、2013年2月20日。2015年4月2日閲覧。 ^ 「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ トップチーム」野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト。2015年3月30日閲覧。 ^ 「FA注目の西武・炭谷が残留「西武でやりたい」」SANSPO.COM、2014年11月1日。2015年3月31日閲覧。 ^ 「2015年度 パシフィック・リーグ 個人打撃成績(規定打席以上)」日本野球機構。2016年11月13日閲覧。 ^ 「「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!!」野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト、2015年10月9日。2015年10月9日閲覧。 ^ 「炭谷選手、秋山選手が「第44回三井ゴールデン・グラブ賞」受賞!」埼玉西武ライオンズ、2015年11月10日。2016年11月13日閲覧。 ^ 「炭谷選手、中村選手、秋山選手がベストナイン受賞!」埼玉西武ライオンズ、2015年11月24日。2016年11月13日閲覧。 ^ 「3月開催の侍ジャパン強化試合、出場26選手発表!」野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト、2016年2月15日。2016年2月17日閲覧。 ^ 「西武炭谷が選手会長留任、老朽化施設の環境改善願う」日刊スポーツ、2016年11月29日。2021年3月29日閲覧。 ^ 「嶋代役に炭谷 WBC侍日本メンバー/写真名鑑」日刊スポーツ、2017年3月5日。2021年8月26日閲覧。 ^ 「西武炭谷1000万増、2年提示も決意の単年契約」『日刊スポーツ』2017年12月4日。2021年3月18日閲覧。 ^ 「労組日本プロ野球選手会の新会長に西武炭谷!高卒初」日刊スポーツ、2017年12月7日。2017年12月7日閲覧。 ^ 「フリーエージェント宣言選手契約締結合意 2018年度公示」日本野球機構。2021年3月29日閲覧。 ^ 「巨人・炭谷が誕生!日本一奪回へ「少しでも力になれれば」」『SANSPO.COM(サンスポ)』2018年11月26日。2018年11月29日閲覧。 ^ 「西武・炭谷、FAで巨人入り表明 3年総額6億円」日本経済新聞、2018年11月24日。2021年5月11日閲覧。 ^ 「FA炭谷、巨人移籍を表明「もう一度、勝負したい」」サンケイスポーツ、2018年11月24日。2021年5月11日閲覧。 ^ 「トレード 2018年度公示」日本野球機構。2021年7月4日閲覧。 ^ 「巨人・炭谷、今季目標「捕手フルイニング出場」 過去ノムさん、城島だけ達成の偉業」サンケイスポーツ、2019年1月12日。2021年3月29日閲覧。 ^ 「巨人・炭谷、移籍後初先発「先制点を与えないようにリードできた」」サンケイスポーツ、2019年3月30日。2019年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月29日閲覧。 ^ 「巨人・炭谷 右手人差し指の骨折で登録抹消」スポニチ Sponichi Annex、2019年8月2日。2021年8月26日閲覧。 ^ 「巨人・炭谷、3年契約2年目へ現状維持の1・5億円でサイン「競争勝ち抜く」」サンケイスポーツ、2019年11月28日。2021年5月11日閲覧。 ^ 「巨人・炭谷 現状維持1億5000万円で更改 「レギュラー獲るつもりで」正捕手争いへ意欲」スポーツニッポン、2020年12月9日。2021年5月11日閲覧。 ^ 「楽天、巨人から金銭トレードで炭谷銀仁朗の獲得を発表 貴重なベテラン捕手が加入」Full-Count、2021年7月4日。2021年7月5日閲覧。 ^ 「炭谷 銀仁朗選手 金銭トレードに関して」東北楽天ゴールデンイーグルス、2021年7月4日。2021年7月4日閲覧。 ^ 「楽天が巨人炭谷銀仁朗を獲得、16年目33歳ベテラン捕手を金銭トレードで」日刊スポーツ、2021年7月4日。2021年7月5日閲覧。 ^ 「楽天移籍の炭谷「僕の意思を尊重していただいた」巨人原監督と話し合い重ね」日刊スポーツ、2021年7月5日。2021年8月26日閲覧。 ^ 「巨人から移籍の楽天炭谷が初マスク 松井を好リード「ホッとしました」」日刊スポーツ、2021年7月6日。2021年8月26日閲覧。 ^ 「【データ】69年ぶり!楽天炭谷移籍1号は2球団で同一シーズン同球団から」日刊スポーツ、2021年7月11日。2021年8月26日閲覧。 ^ 「楽天炭谷銀仁朗、来季の目標は「輝」 5500万円減からの奮起を誓う」日刊スポーツ、2021年12月22日。2022年1月28日閲覧。 ^ 「【楽天】炭谷銀仁朗が19年以来の1試合2発「いってくれ!」守備でも滝中2勝目へ導く好リード」『日刊スポーツ』2022年7月20日。2023年2月22日閲覧。 ^ 「【楽天】“田嶋キラー”炭谷銀仁朗、3打数3安打で石井監督の期待に応える 通算8打数6安打に」『日刊スポーツ』2022年7月17日。2023年2月22日閲覧。 ^ 「楽天・炭谷銀仁朗、1億円で更改 先発マスク「譲らず」(写真=共同)」『日本経済新聞』2022年11月27日。2023年2月22日閲覧。 ^ 「選手契約に関して」『東北楽天ゴールデンイーグルス』2023年10月13日。2023年10月13日閲覧。 ^ 「西武、楽天退団の炭谷銀仁朗を獲得調査 加入なら6年ぶり復帰、ベテランの経験値に期待」『西スポWEB OTTO!』2023年10月25日。2023年11月16日閲覧。 ^ 木下大輔「【西武】炭谷銀仁朗6年ぶり復帰を発表 渡辺GM「戦力として戻ってきてもらいます」背番号27」『日刊スポーツ』2023年11月16日。2023年11月16日閲覧。 ^ 「炭谷銀仁朗、06年から13年間プレーした古巣・西武に復帰へ」『スポーツ報知』2023年11月16日。2023年11月16日閲覧。 ^ 「炭谷銀仁朗選手の入団についてのお知らせ」『埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト』2023年11月16日。2023年11月16日閲覧。 ^ 「西武復帰の炭谷「初心に返って」 1年契約で年俸3500万円」『デイリースポーツ』2023年12月8日。2024年4月17日閲覧。 ^ 「小豆畑が“球界最速”二塁送球タイム1・71秒マーク」スポニチ、2013年11月20日。2024年5月4日閲覧。 ^ 「谷繁元信は炭谷銀仁朗の移籍に懐疑的。「決断が2、3年遅かった」」web Sportiva、2018年12月9日。2021年5月11日閲覧。 ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2014』廣済堂出版、2014年、78頁。ISBN 978-4-331-51810-6。 ^ 「「銀次」「銀仁朗」に続いて…楽天に3人目の『銀ちゃん』ドラフト3位・前田銀治の夢は「本塁打王」」『中日スポーツ・東京中日スポーツ』2021年10月20日。2021年10月26日閲覧。 ^ 「巨人・炭谷、「銀仁朗」命名由来を明かす」『サンケイスポーツ』2020年5月5日。2021年3月18日閲覧。 ^ 「チームに勝利を!こどもたちに笑顔を!炭谷選手が難病と闘うこどもの支援を開始!」埼玉西武ライオンズ、2015年3月23日。2021年3月29日閲覧。 ^ 「日本代表個人成績」日本野球機構。2017年6月1日閲覧。 ^ 「西武 炭谷 1000試合出場 プロ11年目で達成」『スポーツニッポン』2016年8月16日。2023年6月4日閲覧。 ^ 「巨人炭谷銀仁朗が通算200犠打達成 史上43人目」『日刊スポーツ』2020年8月20日。2023年6月4日閲覧。 ^ 「【楽天】炭谷銀仁朗、通算1500試合出場達成「自分の中ではまだ通過点だと思っています」」『日刊スポーツ』2023年6月4日。2023年6月4日閲覧。 ベースボール・マガジン社 編『ベースボール・レコード・ブック』 2022日本プロ野球記録年鑑、ベースボール・マガジン社、2021年、52,296頁。ISBN 978-4-583-11429-3。 ベースボール・マガジン社 編『ベースボール・レコード・ブック』 2023日本プロ野球記録年鑑、ベースボール・マガジン社、2022年、52頁。ISBN 978-4-583-11546-7。 ベースボール・マガジン社 編『週刊ベースボール別冊新春号』 2023プロ野球総決算号、ベースボール・マガジン社、2023年12月26日、91頁。ASIN B0CPQ6FZRV。 ベースボール・マガジン社 編『週刊ベースボール別冊新春号』 2024プロ野球総決算号、ベースボール・マガジン社、2024年12月17日、95頁。ASIN B00OR75QSS。 京都府出身の人物一覧 埼玉西武ライオンズの選手一覧 読売ジャイアンツの選手一覧 東北楽天ゴールデンイーグルスの選手一覧 個人年度別成績 炭谷銀仁朗 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、MLB 27 炭谷 銀仁朗 選手名鑑 - 埼玉西武ライオンズオフィシャルサイト 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE 銀仁朗後援会オフィシャルサイト 炭谷銀仁朗 (@ginjiro_sumitani27) - Instagram 表 話 編 歴 74 西口文也 91 鳥越裕介(ヘッド) 81 豊田清(投手チーフ) 95 大石達也(投手) 96 中田祥多(バッテリー) 78 仁志敏久(野手チーフ兼打撃) 83 立花義家(打撃) 80 大引啓次(内野守備走塁) 84 熊代聖人(外野守備走塁) 79 小関竜也(監督) 72 土肥義弘(投手総合) 98 渡辺智男(投手) 93 青木勇人(投手) 85 榎田大樹(投手) 82 野田浩輔(二軍バッテリー) 87 黒田哲史(二軍野手) 77 辻竜太郎(二軍野手) 86 赤田将吾(二軍野手) 88 大島裕行(二軍野手) 97 青木智史(三軍総合) 76 田辺徳雄(三軍野手) 94 鬼﨑裕司(三軍野手) 89 木村文紀(三軍野手) 11 上田大河 12 渡邉勇太朗 13 髙橋光成 15 與座海人 16 隅田知一郎 17 松本航 19 佐藤隼輔 20 田村伊知郎 21 武内夏暉 23 糸川亮太 25 平井克典 29 青山美夏人 34 甲斐野央 36 山田陽翔 41 成田晴風 42 ボー 43 羽田慎之介 45 ウィンゲンター 46 狩生聖真 47 杉山遙希 48 今井達也 52 篠原響 56 ラミレス 57 黒田将矢 58 中村祐太 61 平良海馬 69 水上由伸 70 豆田泰志 71 菅井信也 22 古賀悠斗 27 炭谷銀仁朗 37 柘植世那 53 牧野翔矢 64 龍山暖 65 古市尊 0 児玉亮涼 2 齋藤大翔 4 山野辺翔 5 外崎修汰 6 源田壮亮 10 佐藤龍世 30 元山飛優 32 山村崇嘉 39 平沢大河 40 セデーニョ 50 髙松渡 59 古賀輝希 60 中村剛也 62 滝澤夏央 66 渡部健人 67 野村大樹 99 村田怜音 1 栗山巧 8 渡部聖弥 9 蛭間拓哉 26 ネビン 31 平沼翔太 33 古川雄大 35 松原聖弥 44 林冠臣 51 西川愛也 63 長谷川信哉 68 岸潤一郎 75 奥村光一 111 浜屋将太 112 大曲錬 114 上間永遠 115 佐々木健 116 ロペス 117 宮澤太成 120 井上広輝 121 三浦大輝 123 冨士大和 125 シンクレア 127 森脇亮介 129 川下将勲 131 木瀬翔太 133 佐藤爽 136 黒木優太 113 野田海人 122 是澤涼輔 118 野村和輝 126 谷口朝陽 128 佐藤太陽 130 金子功児 134 川野涼多 138 福尾遥真 140 仲田慶介 119 モンテル 124 ガルシア 132 ラタナヤケ・ラマル・ギービン 135 仲三河優太 137 澤田遥斗 139 オケム 表 話 編 歴 初代:中畑清 2代:原辰徳 3代:岡田彰布 4代:正田耕三 5代:古田敦也 6代:宮本慎也 7代:新井貴浩 8代:嶋基宏 9代:炭谷銀仁朗 10代:會澤翼 表 話 編 歴 1950 土井垣武 1951 土井垣武 1952 土井垣武 1953 松井淳 1954 C.ルイス 1955 C.ルイス 1956 野村克也 1957 野村克也 1958 野村克也 1959 野村克也 1960 野村克也 1961 野村克也 1962 野村克也 1963 野村克也 1964 野村克也 1965 野村克也 1966 野村克也 1967 野村克也 1968 野村克也 1969 岡村浩二 1970 野村克也 1971 野村克也 1972 野村克也 1973 野村克也 1974 村上公康 1975 野村克也 1976 野村克也 1977 加藤俊夫 1978 中沢伸二 1979 梨田昌崇 1980 梨田昌崇 1981 梨田昌崇 1982 中沢伸二 1983 香川伸行 1984 藤田浩雅 1985 伊東勤 1986 伊東勤 1987 伊東勤 1988 伊東勤 1989 山下和彦 1990 伊東勤 1991 伊東勤 1992 伊東勤 1993 田村藤夫 1994 吉永幸一郎 1995 中嶋聡 1996 吉永幸一郎 1997 伊東勤 1998 伊東勤 1999 城島健司 2000 城島健司 2001 城島健司 2002 伊東勤 2003 城島健司 2004 城島健司 2005 城島健司 2006 里崎智也 2007 里崎智也 2008 細川亨 2009 田上秀則 2010 嶋基宏 2011 細川亨 2012 鶴岡慎也 2013 嶋基宏 2014 伊藤光 2015 炭谷銀仁朗 2016 田村龍弘 2017 甲斐拓也 2018 森友哉 2019 森友哉 2020 甲斐拓也 2021 森友哉 2022 甲斐拓也 2023 森友哉 2024 佐藤都志也 表 話 編 歴 投 大谷翔平 捕 炭谷銀仁朗 一 中田翔 二 田中賢介 三 中村剛也 遊 中島卓也 外 柳田悠岐 / 秋山翔吾 / 清田育宏 指 李大浩 表 話 編 歴 1972 種茂雅之 1973 野村克也 1974 村上公康 1975 有田修三 1976 有田修三 1977 加藤俊夫 1978 中沢伸二 1979 梨田昌崇 1980 梨田昌崇 1981 梨田昌崇 1982 大宮龍男 1983 梨田昌崇 1984 藤田浩雅 1985 伊東勤 1986 伊東勤 1987 伊東勤 1988 伊東勤 1989 中嶋聡 1990 伊東勤 1991 伊東勤 1992 伊東勤 1993 田村藤夫 1994 伊東勤 1995 伊東勤 1996 高田誠 1997 伊東勤 1998 伊東勤 1999 城島健司 2000 城島健司 2001 城島健司 2002 城島健司 2003 城島健司 2004 城島健司 2005 城島健司 2006 里崎智也 2007 里崎智也 2008 細川亨 2009 鶴岡慎也 2010 嶋基宏 2011 細川亨 2012 炭谷銀仁朗 2013 嶋基宏 2014 伊藤光 2015 炭谷銀仁朗 2016 大野奨太 2017 甲斐拓也 2018 甲斐拓也 2019 甲斐拓也 2020 甲斐拓也 2021 甲斐拓也 2022 甲斐拓也 2023 若月健矢 2024 甲斐拓也 表 話 編 歴 投 田中将大 捕 炭谷銀仁朗 一 稲葉篤紀 二 本多雄一 三 小谷野栄一 遊 中島裕之 外 陽岱鋼 / 糸井嘉男 / 岡田幸文 表 話 編 歴 投 涌井秀章 捕 炭谷銀仁朗 一 中田翔 二 L.クルーズ 三 松田宣浩 遊 今宮健太 外 清田育宏 / 秋山翔吾 / 柳田悠岐 表 話 編 歴 1991 工藤公康 - 伊東勤 1992 石井丈裕 - 伊東勤 1993 金石昭人 - 田村藤夫 1994 吉田豊彦 - 吉永幸一郎 1995 平井正史 - 中嶋聡 1996 西口文也 - 伊東勤 1997 西口文也 - 伊東勤 1998 西口文也 - 伊東勤 1999 工藤公康 - 城島健司 2000 吉田修司 - 城島健司 2001 田之上慶三郎 - 城島健司 2002 豊田清 - 伊東勤 2003 斉藤和巳 - 城島健司 2004 三瀬幸司 - 城島健司 2005 渡辺俊介 - 里崎智也 2006 斉藤和巳 - 的場直樹 2007 成瀬善久 - 里崎智也 2008 岩隈久志 - 藤井彰人 2009 涌井秀章 - 銀仁朗 2010 杉内俊哉 - 田上秀則 2011 田中将大 - 嶋基宏 2012 吉川光夫 - 鶴岡慎也 2013 田中将大 - 嶋基宏 2014 金子千尋 - 伊藤光 2015 大谷翔平 - 大野奨太 2016 石川歩 - 田村龍弘 2017 菊池雄星 - 炭谷銀仁朗 2018 多和田真三郎 - 森友哉 2019 増田達至 - 森友哉 2020 千賀滉大 - 甲斐拓也 2021 山本由伸 - 若月健矢 2022 山本由伸 - 若月健矢 2023 山本由伸 - 若月健矢 2024 有原航平 - 甲斐拓也 表 話 編 歴 90 小久保裕紀 73 奈良原浩(ヘッド) 72 権藤博(投手) 80 稲葉篤紀(打撃) 87 仁志敏久(内野守備・走塁) 79 大西崇之(外野守備・走塁) 84 村田善則(バッテリー) 10 松井裕樹 11 菅野智之 12 秋吉亮 14 則本昂大 15 宮西尚生 17 藤浪晋太郎 19 増井浩俊 20 石川歩 30 武田翔太 34 岡田俊哉 35 牧田和久 41 千賀滉大 66 平野佳寿 9 炭谷銀仁朗 22 小林誠司 27 大野奨太 2 田中広輔 3 松田宣浩 4 菊池涼介 6 坂本勇人 13 中田翔 23 山田哲人 1 内川聖一 7 青木宣親 8 平田良介 25 筒香嘉智 51 鈴木誠也 55 秋山翔吾 表 話 編 歴 88 山本浩二 78 東尾修(投手総合) 99 梨田昌孝(野手総合) 92 与田剛(投手) 81 立浪和義(打撃) 63 高代延博(内野守備・走塁) 73 緒方耕一(外野守備・走塁) 75 橋上秀樹(戦略) 11 涌井秀章 14 能見篤史 15 澤村拓一 16 今村猛 17 田中将大 18 杉内俊哉 20 前田健太 21 森福允彦 26 内海哲也 28 大隣憲司 35 牧田和久 47 山口鉄也 50 攝津正 2 相川亮二 10 阿部慎之助 27 炭谷銀仁朗 1 鳥谷敬 3 井端弘和 5 松田宣浩 6 坂本勇人 7 松井稼頭央 41 稲葉篤紀 46 本多雄一 9 糸井嘉男 13 中田翔 24 内川聖一 34 長野久義 61 角中勝也 表 話 編 歴 90 小久保裕紀 73 奈良原浩(ヘッド) 79 大西崇之(外野守備・走塁) 80 稲葉篤紀(打撃) 87 仁志敏久(内野守備・走塁) 88 矢野燿大(バッテリー) 89 鹿取義隆(投手) 10 松井裕樹 11 菅野智之 14 則本昂大 15 澤村拓一 16 大谷翔平 18 前田健太 19 増井浩俊 21 西勇輝 22 大野雄大 24 山﨑康晃 29 小川泰弘 30 武田翔太 35 牧田和久 27 炭谷銀仁朗 37 嶋基宏 52 中村悠平 2 今宮健太 3 松田宣浩 5 川端慎吾 6 坂本勇人 9 中島卓也 13 中田翔 23 山田哲人 60 中村剛也 7 中村晃 8 平田良介 25 筒香嘉智 55 秋山翔吾 表 話 編 歴 希望入団枠:松永浩典 3巡目:吉見太一 4巡目:西川純司 5巡目:山本歩 1巡目:炭谷銀仁朗 3巡目:田沢由哉 4巡目:田中靖洋 日本の野球選手 龍谷大学付属平安高等学校出身の野球選手 埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 東北楽天ゴールデンイーグルスの選手 NPBオールスターゲーム選出選手 アジアシリーズ選手 野球日本代表選手 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表選手 WBSCプレミア12日本代表選手 2015 WBSCプレミア12選手 2013 ワールド・ベースボール・クラシック選手 2017 ワールド・ベースボール・クラシック選手 京都市出身の人物 京都府出身のスポーツ選手 1987年生 存命人物 ISBNマジックリンクを使用しているページ 記事名の制約を受けている記事 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 2025/01/28 12:10更新
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sumitani ginjirou
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