真壁刀義の情報(まかべとうぎ) 格闘家/プロレス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
真壁 刀義さんについて調べます
■名前・氏名 |
真壁刀義と関係のある人
武藤敬司: その後、準優勝の真壁刀義、リベンジに挑んだ中邑に勝利して、4度の防衛に成功。 オカダ・カズチカ: 1月21日、2年連続で行われたプロレスリング・ノアとの対抗戦では真壁刀義とのタッグで清宮海斗&稲村愛輝と対戦したが、清宮による自身への顔面蹴りにより試合度外視の大乱闘となってしまいノーコンテストとなる。 棚橋弘至: 肉体的にほぼ完成されていた棚橋は入寮から半年後の10月10日、後楽園ホール大会にて真壁伸也(現:真壁刀義)を相手にデビュー。 山本小鉄: 若手レスラーには「自分が強くなれば、誰も文句を言わなくなるよ」という趣旨の言葉を度々話しており、入団当時小柄だった鈴木みのるや先輩からの理不尽なしごきに辛酸を舐めていた真壁刀義は、その言葉に励まされたと後年語っている。 古澤琢: アナウンサーとしての最後の仕事は、7月1日に両国国技館にて開催され、朝日ニュースター(CS放送)で生中継を行った『全日本プロレス&新日本プロレス創立40周年記念興行』のメインイベント(IWGPヘビー級選手権試合/棚橋弘至vs真壁刀義戦)の実況アナウンスであった。 征矢学: 2012年2月19日に開催されたALL TOGETHER第2回仙台大会において、真壁刀義とタッグを組み、杉浦貴&高橋裕二郎組と対戦。 矢野通: 同年5月に帰国後、矢野も「ブラック・ニュージャパン」入りし真壁刀義とともに反則三昧のプレーを展開した。 柴田勝頼: その後、KING OF PRO-WRESTLING、POWER STRUGGLEといった新日本のビッグマッチにスポット参戦し、いずれも真壁刀義&井上亘組を相手に勝利を収める。 越中詩郎: 2006年10月、天山広吉の呼び掛けで真壁刀義らとG・B・Hを結成し、古巣の新日本プロレスで活躍を始めた。 藤田和之: 同期には真壁伸也(後の真壁刀義)がいる。 あべみほ: 2016年6月18日、後楽園ホールにて行われた3度目の鈴木軍興行「We are SUZUKIGUN3」にて行われた第3試合、真壁刀義、本間朋晃、田口隆祐 vs TAKAみちのく、タイチ、シェルトン・X・ベンジャミン戦において、入場時、真壁に迫った際にトップロープから転落しブラホックが外れてしまう。 石狩太一: NEW JAPAN CUP以降、小島は真壁刀義とのシングルマッチの抗争を展開、それと同時に1対1の真剣勝負に執着するようになり、試合開始直前に小島にリングから追い出されるようになった事をキッカケに不信感を抱くようになった。 中邑真輔: 4月5日、真壁刀義とのシングルマッチでレフェリー不在の中、矢野通が乱入し真壁を椅子で殴打。 二階堂綾乃: 真壁刀義「UNCHAINED GORILLA」Tシャツ(2017) 高山善廣: 2012年1月4日の新日本東京ドーム大会にて、新日本のリングで因縁が深まっていた真壁刀義とシングルで激突。 獣神サンダー・ライガー: 6月10日、BEST OF THE SUPER Jr.最終戦で組まれた6人タッグマッチに出場し、真壁刀義、タイガーとのタッグで鈴木軍(鈴木&TAKAみちのく&タイチ)と対戦した。 大谷晋二郎: また「熱さ」を前面に出す反面、大谷が教育係を務めた真壁刀義によると、後輩に対して「無理を言わない」「理に適ったことを言う」といった理知的な一面を併せ持つ。 田口隆祐: 主役のゴキブリマスク(棚橋弘至)が相棒のギンバエマスク(田口隆祐)とのタッグで、ドラゴンジョージ(オカダ・カズチカ)&スイートゴリラ丸山(真壁刀義)と対峙する。 杉浦貴: 2010年は、1月4日のレッスルキングダムで新日本プロレスの後藤洋央紀を相手にGHCベルト初防衛に成功し、2月28日にプロレスリング・ノア「The Second Navig. '10」最終戦で後藤と同じ新日本プロレスの真壁刀義相手に勝利を収めたほか、高山・秋山準・潮崎・森嶋猛など強敵を相手に防衛を続け、1年間ベルトを守り通した。 長州力: 2019年6月26日、後楽園ホールで行われた「POWER HALL2019」における、藤波辰爾、武藤敬司、真壁刀義戦をもって現役を引退した(パートナーは越中詩郎、石井智宏)。 清野茂樹: 真壁刀義とスイーツを食べる会やオカダ・カズチカとちゃんこを食べる会など女子会イベントを企画した。 清宮海斗: 第4試合に組まれたオカダ&真壁刀義 VS 清宮&稲村愛輝はIWGP世界ヘビー級王者・オカダとGHCヘビー級王者・清宮との対戦となり、発表時から注目されたタッグマッチとなった。 棚橋弘至: 9月9日に開催された『Road to DESTRUCTION』にて天山広吉&真壁刀義&タイガーマスク組と防衛戦を行い勝利。 ハチミツ二郎: これは新日本プロレス・真壁刀義をオマージュしたものである。 小島聡: 10月11日に真壁刀義に挑戦、IWGPヘビー級王座を奪取した。 天山広吉: 10月、真壁刀義、越中詩郎らと共にヒール・ユニット、G・B・Hを結成する。 飯伏幸太: 9月23日、新日本岡山・桃太郎アリーナ大会にて真壁刀義の保持するNEVER無差別級王座に挑戦するも敗北。 小島聡: G1からコスチュームを変更したが、最終日の試合でTARUの乱入によって真壁刀義に敗れ、決勝進出を逃した。 星野勘太郎: 魔界倶楽部総裁としては、場外乱闘や試合への乱入も辞さない悪の総裁としてのイメージがあるが、元来は反則攻撃の類を嫌っており、なかでも2008年9月21日の武藤敬司対真壁刀義のIWGPヘビー級王座選手権では当初は新日本所属の真壁の肩を持つ発言をしていたが、試合ではG・B・Hのあまりのラフファイトぶりに怒り、G・B・Hを鉄拳パンチで制裁した。 田口隆祐: 1月30日、宮城・仙台サンプラザホールで行われた「Road to THE NEW BEGINNING」の第7試合にて、矢野通、真壁刀義とのタッグで、石森太二、タンガ・ロア、タマ・トンガ組が持つNEVER無差別級6人タッグ選手王座に挑戦。 |
真壁刀義の情報まとめ
真壁 刀義(まかべ とうぎ)さんの誕生日は1972年9月29日です。神奈川出身の格闘家
プロレスのようです。
卒業、引退、ドラマ、テレビ、現在、母親、家族、映画、兄弟に関する情報もありますね。今年の情報もありました。真壁刀義の現在の年齢は52歳のようです。
真壁刀義のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)真壁 刀義(まかべ とうぎ、1972年9月29日 - )は、日本の男性プロレスラー、俳優、タレント、YouTuber。本名及び旧リングネームは真壁 伸也(まかべ しんや)。神奈川県相模原市出身。新日本プロレス所属。神奈川県立城山高等学校を経て帝京大学経済学部出身。血液型B型。 中学時代から柔道を経験し、帝京大学在学中に二段を習得。また、プリン真壁のリングネームで学生プロレスで活躍、サークルの後輩にDDTプロレスリングのHARASHIMA、AV男優のミートボール吉野がいた。卒業後の1996年4月に新日本プロレスへ入門。同期入門者には藤田和之がいる。 1997年2月15日、神奈川県いすゞ自動車大和体育館での大谷晋二郎戦で本名の真壁伸也としてデビューを果たす。 しかし、藤田と比べ身体能力・技術に著しく劣る上に、地味な風貌と一言多い性格が災いし、藤田や鈴木健想ら同期・後輩が続々とブレイクする中、真壁だけは何年もの間、長州力の雑用係をつとめながら前座のリングに立ちつづける不本意な日々を強いられた。 真壁が学生プロレスの出身だったことも災いし、当時は理不尽なまでのシゴキを受けていたが、山本小鉄にはトレーニングに取り組む様子を評価されていたという。 その後、長州をパートナーにIWGPタッグ王座挑戦やBEST OF THE SUPER Jrに初出場、全日本プロレスのアジアタッグ王座を巡ったトーナメントに出場する機会を得るも、いずれも成果を残せなかった。 2000年に開催されたヤングライオン杯にて、準優勝を果たす。同年には挑戦者として獣神サンダー・ライガーと組み、金本浩二&田中稔組相手にIWGPジュニアタッグ王座に初挑戦するも敗北を喫する。2001年にはプエルトリコに武者修行に出発。これを機にヘビー級へ転向。 海外遠征から帰国後の2002年、KAIENTAI-DOJOの藤田ミノルと結託しヒールへ転身する。しかしなかなか花を咲かせずにいた。 そんな折、2003年に入るとフリーランスの高山善廣とタッグを結成。同年6月、突如プロレスリング・ノアの後楽園ホール大会に現れ、当時GHCヘビー、GHCタッグ(タッグパートナーは本田多聞)の二冠を保持していた小橋建太とのタイトルマッチを要求し、秋山準らノアの選手と乱闘を繰り広げた。7月16日の大阪府立体育会館大会で高山とのタッグで小橋&本田組とGHCタッグ王座をかけて対戦。小橋のショートレンジ式剛腕ラリアットで敗北を喫するも、この試合で奮闘を見せつけ自身の評価を上げた。2004年8月、G1 CLIMAXに初出場を果たしたのを機に、リングネームを真壁刀義に変更。 2005年、G1公式リーグ戦2日目に対戦した対中邑真輔戦でアキレス腱断裂の重傷を負い長期欠場となった。この時期は新日本が最も低迷していた時期でもあり、真壁も一度は本気で引退を考えたが、友人の応援で現役を続行することを決める。 2006年1月に復帰、新日本の別ブランドWRESTLE LANDでUNCHAINED GORILLAのキャッチフレーズを付与され、これをきっかけにブルーザー・ブロディと同じ入場テーマ曲である移民の歌に変更、入場の際にも首から掛けた鎖をブロディと同様にトレードマークとして使用し始めた。また、この頃よりメインイベンターとなりつつあった棚橋弘至や中邑真輔に対し「キレイどころはまかせる、あいつらにはできないプロレスをやる」というスタンスを取りデスマッチ路線に進出開始。インディー団体への出撃も積極的に行うようになる。 9月24日、アパッチプロレス軍が主催する興行のメインイベントに出場、ストリートファイト有刺鉄線バリケードマットチェーン・デスマッチルールで金村キンタローを破りWEWヘビー級王座を奪取する。真壁はこの一戦を皮切りに新日本、アパッチで怒涛のブレイクを果たし、「これが現実だ!」が決め台詞として定着。インディーの至宝とも呼べるWEW王座を乗っ取ったことで、「悪の王者」としてインディーファンから多くのブーイングを受けた。新日本では、天山広吉の呼びかけに応じる形でヒールユニット、G・B・Hのメンバーの一員として活動。徹底的に嫌われるヒールを目指した姿勢が評価され、徐々に人気を上げて行く。 2007年3月に開催されたNEW JAPAN CUP(略称 : NJC)では決勝で永田裕志に敗れ準優勝に終わった。7月6日には永田が持つIWGPヘビー級王座に初挑戦、G1 CLIMAXでは初の決勝トーナメントに進出を果たす。12月には同じくG・B・Hに所属する矢野通と共に東京スポーツプロレス大賞最優秀タッグチーム賞を受賞した。 2008年1月4日、矢野と組みTNAのチーム3D(ブラザー・レイ & ブラザー・ディーボン)とハードコアマッチルール対戦したが敗戦した。2月17日、同タッグでジャイアント・バーナード & トラヴィス・トムコ組の保持するIWGPタッグ王座に挑戦、キングコングニードロップでトムコを破り第51代王者に戴冠する。また、同日に怪我から復帰した天山をG・B・Hから追放し二代目リーダーとしてユニットの指揮をとった。真壁はこの頃から甘党だったと矢野は語っている。 7月、ZERO1-MAXの火祭りに初出場しAブロックを1位で通過。決勝にコマを進めるが田中将斗に敗れ準優勝に終わった。日を間もなくして開催されたG1 CLIMAXでも決勝で後藤洋央紀に敗れ去り準優勝に終わる。9月21日に全日本プロレスへ流出したIWGPヘビー級王座を所持する武藤敬司とのタイトル戦に臨むも敗戦。G1 TAG LEAGUEでは矢野とのIWGPタッグ王者として出場するも、テンコジ(天山 & 小島聡組)に敗れて準優勝に終わった。 2009年1月4日、ハードコアマッチルールでチーム3Dの挑戦を受けるも、ピンフォール負けを喫して王座から陥落。2月15日にリマッチとして同タッグチームと対戦するが、自身がピンフォール負けを喫した。 4月5日、Resolution'09にて、中邑とシングルマッチで対決する。試合中に乱入してきた矢野から椅子攻撃を喰らう裏切りを受け、敗戦した。後に矢野は中邑と旧G・B・Hメンバーと共に新たなヒールユニットCHAOSを結成。唯一G・B・Hに残留した本間朋晃と共にCHAOSと抗争劇を繰り広げ、この頃からベビーフェイス色が強まっていった。6月20日、DOMINION 6.20にて、矢野とのシングルマッチで対戦。双方のセコンドが乱入する中、最後は試合に介入してきた中邑から顔面への膝蹴りを喰らい、矢野から鬼殺しでピンフォール負けを喫した。7月20日、再び同カードが組まれて勝利を収めた。 8月のG1 CLIMAXでは2敗1分と苦戦を強いられるも、その後は勝利を積み重ねていき、勝ち点7点でAブロックを1位で通過。準決勝でプロレスリング・ノアの杉浦貴を破り、決勝で中邑と対戦、キングコングニードロップでピンフォール勝ちを収め初優勝を果たした。 9月27日、空位となったIWGPヘビー級王座を賭けた試合で中邑と再戦するも、ボマイェでピンフォールを奪われ戴冠はならなかった。さらに試合後のコメントブースで飯塚高史の襲撃を受け因縁が勃発していった。11月8日に飯塚とチェーン・デスマッチを敢行しK.O.勝ちを収めるも、次シリーズで幾度となく襲撃され、12月5日に再度同じルールで対戦。コーナーで逆さ吊り状態となった飯塚の首をチェーンで締め上げ、レフェリーストップとなり抗争に終止符を打つ。12月8日、東京スポーツプロレス大賞で敢闘賞を受賞した。 2010年1月4日、プロレスリング・ノア対抗戦の先陣を切りモハメド・ヨネと対戦。キングコングニードロップで快勝した。9日に開催されたNOAHのグローバル・タッグ・リーグ戦では本間朋晃とのタッグで初出場。2月28日、日本武道館大会では杉浦貴の持つGHCヘビー級王座に挑戦したが敗れた。 5月3日、中邑の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦し、立ち上がろうとした中邑の顔面に「キングコング・ニーアタック」を投下し、ピンフォール勝ちを収め同王座に初戴冠した。潮崎豪、中邑、田中を相手に3度の防衛に成功するも、同年に開催されたG1 CLIMAXで初の所属外選手として優勝を果たした小島に敗れ、王座から陥落した。その後、真壁は本間をパートナーにG1 TAG LEAGUEに出場するも、リーグ戦消化中に抗争を繰り広げていた田中のハードコア殺法を受けて首を負傷しリーグ戦も途中棄権となった。 2011年1月4日、首の負傷が完治しない中でレッスルキングダムVのセミファイナルで田中と対決し勝利。その後は小島と抗争を繰り広げ、幾度となくシングルマッチで激突。5月3日のシングル戦で小島に勝ち越しを収めた試合後は一度バックステージへ姿を消したが、タイチ、TAKAみちのく、さらに突如現れた鈴木みのるの襲撃を受けていた小島を救出し、握手を交わす。 28日の試合で6人タッグながら初めて小島とタッグを組み勝利し、試合後の小島の握手に応えたことで晴れて共同戦線を張った。ただし、タッグとしての共闘は互いの目的と利害が一致していただけであり、信頼関係でできたタッグでない暫定的なものである事を小島と共に主張している。6月18日、DOMINION 6.18にて、鈴木軍 の鈴木 & ランス・アーチャー組と対戦するが、小島が鈴木にピンフォールを奪われ敗戦。9月19日にG1で黒星を喫しているランス戦でリベンジを果たすと、10月10日に鈴木と対戦。鈴木のゴッチ式パイルドライバーで敗北した後、鈴木のセコンドに付いていた高山にエベレストジャーマンで追い打ちを掛けられたことで高山との因縁が勃発した。 2012年1月4日、レッスルキングダムVIの舞台で高山と対戦、キングコング・ニードロップでピンフォール勝ちを収めて雪辱を果たした。 4月のNEW JAPAN CUPでは優勝こそは逃すものの、新日本参戦後の鈴木に初勝利を収めた。6月16日、DOMINION 6.16にて、軍団抗争決着戦と銘打たれた鈴木と再度シングルマッチで対戦し勝利。一連の抗争に終止符を打つと、全試合終了後の勝利者インタビューで真壁はオカダ・カズチカを破ってIWGPヘビー級王座に返り咲いた棚橋の前に姿を現し、挑戦を表明する。7月1日、全日本プロレスとの共同興行サマーナイトフィーバー in 両国 WE ARE PRO-WRESTLING LOVE!におけるトリプルメインイベントのトリを飾り、棚橋の保持するIWGP王座に挑戦するもハイフライフローで敗北を喫した。 9月23日、DESTRUCTIONで、G1 CLIMAX最終日にリング上に現れた桜庭和志 & 柴田組の試合終了後に乱入し「この俺が喧嘩を買ってやる」とマイクパフォーマンスを行った。同じく喧嘩を買って出た井上亘とのタッグで二度対戦するが、いずれも敗戦。さらに試合を重ねるうちに柴田との因縁が激化し、シングルマッチを要求した。 2013年1月4日、レッスルキングダム7で柴田と対戦。後頭部へのキングコング・ニードロップを炸裂させ、勝利を収めた。 その後、CHAOSの高橋裕二郎と抗争を開始。THE NEW BEGINNING、NJC一回戦 での対戦を経て、5月3日、レスリングどんたくにて決着戦を行い、試合はキングコングニードロップで勝利を収め、抗争に終止符を打つ。同日行われたIWGPヘビー級選手権試合で防衛に成功したオカダに対して同王座への挑戦をアピールした。6月22日、DOMINION6.22にてオカダの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦するも、レインメーカーでピンフォール負けを喫して王座奪取に失敗。 8月、G1 CLIMAXに出場。決勝進出に王手をかけた状態で最終日を迎え、公式リーグ戦の最後の相手であるプリンス・デヴィットと対戦。デヴィットのセコンドについていたバッドラック・ファレの介入を受けて、最後はピンフォール負けを喫し予選落ちとなってしまった。また、この一連の出来事をキッカケにデヴィット率いるBULLET CLUB(以下BC)との抗争に身を投じることとなり、9月29日、DESTRUCTIONでの棚橋 vs デヴィットによるランバージャック・デスマッチで、棚橋のセコンドにつき、試合に乱入してきたBCのメンバーを一掃し、棚橋を勝利に導いた。 11月に開催されたWORLD TAG LEAGUEでは、本間とのタッグG・B・Hとして出場。リーグ戦を制し、準決勝でBCのカール・アンダーソン & ドク・ギャローズ組と対戦するも、試合中にファレによる襲撃を受けて身動きが取れなくなり、リング上で孤立した本間がピンフォール負けを喫した。試合後もファレの暴走は止まらず、自身が入場時に首からさげているチェーンで首を絞められ、失神状態に追い込まれてしまった。それから一夜が明けて、真壁はファレに対して「完全決着」ルールによるシングルマッチを要求した。 1月4日、レッスルキングダム8の舞台で、K.O.、T.K.O、ギブアップのみで決着となる変則ルール、キング・オブ・デストロイヤーマッチでファレと対戦。ファレの必殺技、バッドラックフォールを喰らわされるもカウント9で立ち上がり、場外に設置されたテーブルに向けてパワーボムを放つと形勢逆転。最後はキングコング・ニードロップを二連発で決め、ファレからK.O.勝ちを収めた。 4月19日、Road to レスリングどんたく 2014にて、棚橋とのタッグでIWGPタッグ王者組のアンダーソン & ギャローズ組とノンタイトルマッチで対戦し、棚橋がアンダーソンからピンフォール勝ちを収めた。さらに5月3日のレスリングどんたく 2014にて行われたイリミネーションマッチにおいて、棚橋、内藤哲也、ライガーと組み、BC(アンダーソン & ギャローズ & ファレ & タマ・トンガ)と対戦し、最後は棚橋と共に生き残り勝利。試合後にマイクを握ると、棚橋とのタッグでIWGPタッグ王座に挑戦を表明したが、直後に後藤洋央紀 & 柴田勝頼がリング上に現れ、自分たちこそが次期挑戦者であると主張した。同月25日、BACK TO THE YOKOHAMA ARENAにて、棚橋とタッグを組み、IWGPタッグ王座ナンバーワン・コンテンダーマッチと銘打たれた試合で後藤 & 柴田組と対戦。試合終盤、後藤の放ったミドルキックが顎を直撃し出血するも、最後は後藤からキングコングニードロップでピンフォール勝ちを収めて挑戦権を獲得。しかし、試合後も出血が止まらない状態が続き診断の結果、下顎歯槽骨骨折を負っていたことが発表された。6月21日、DOMINION 6.21のセミファイナルにて復帰。棚橋とのタッグでIWGPタッグ王座を保持するアンダーソン & ギャローズ組に挑戦するも、終始負傷箇所である顎を攻め込まれ、最後はマジックキラーでピンフォール負けを喫し王座奪取とはならなかった。 その後、顎の負傷の原因を作った後藤と抗争を開始。7月21日より開催されたG1 CLIMAX公式戦で後藤と対戦するも、最後は顎にヘッドバットを喰らい、昇天・改を決められピンフォール負け。その後も戦績は振るわず、4勝6敗という結果に終わった。G1閉幕後も後藤と抗争を展開していき、DESTRUCTION in KOBEにて、再び後藤とシングルマッチで激突。最後はキングコングニードロップでピンフォール勝ちを収めた。翌々23日、DESTRUCTION in OKAYAMAにて、今度は後藤とタッグマッチで対戦し、その試合後に後藤と握手を交わし和解を果たした。 11月8日、POWER STRUGGLEにて、NEVER無差別級選手権試合として行われた石井智宏 vs 後藤戦で後藤のセコンドに付く。試合は後藤が敗戦しリング上で後藤を介抱する中、王座防衛に成功した石井に挑発され、同王座への挑戦が決定的となった。 2015年1月4日、レッスルキングダム9にて、石井の保持するNEVER無差別級王座に初挑戦し、最後はキングコング・ニードロップでピンフォール勝ちを収め、第6代王者となる。2月14日、THE NEW BEGINNING in SENDAIにて、石井を挑戦者として迎えた初防衛戦のカードが組まれていたが、前日にインフルエンザに感染したことから欠場が発表され王座を返上。NEVER王座は真壁のリザーバーである本間朋晃と石井で争われ、試合は石井が制して第7代王者となった。インフルエンザから回復した後は引き続き石井と抗争を繰り広げ、4月29日、レスリング火の国にて、再び石井とNEVER王座を賭けて対戦。最後は立ち上がろうとする石井の顔面に「キングコング・ニーアタック」を投下させて勝利を収め、第8代王者に返り咲いた。その後、7月5日、DOMINION 7.5 in OSAKA-JO HALLにて、三度NEVER王座を賭けて石井と対戦し、勝利を収めて初防衛に成功した。 7月、G1 CLIMAXにNEVER王者として出場したが、最終日を待たずして予選落ちが確定してしまい、4勝5敗という成績で終わった。その中でも最終公式戦で対戦した飯伏幸太に敗北を喫したことから因縁が芽生え抗争に発展。9月23日、DESTRUCTION in OKAYAMAにて、NEVER王座の防衛戦として飯伏と対戦。最後は本邦初公開となったスパイダードラゴン・スープレックスからキングコング・ニードロップを炸裂させ、2度目の防衛に成功した。10月12日、KING OF PRO-WRESTLINGにて、NEVER王座3度目の防衛戦として石井と対戦したが敗戦し同王座から陥落した。 11月、WORLD TAG LEAGUEに本間とのタッグG・B・Hとして出場。開幕して以降2連敗を喫するも、その後は連勝を重ねていき、Aブロック1位で決勝に進出する。12月9日、優勝決定戦としてBブロック1位で通過したロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(内藤哲也 & EVIL)と対戦。最後は本間がEVILからピンフォール勝ちを収め、初優勝を飾った。 2016年1月4日、レッスルキングダム10にて本間とのタッグG・B・Hとして、BCのアンダーソン & ギャローズ組の保持するIWGPタッグ王座に挑戦。最後はキングコング・ニードロップでギャローズからピンフォール勝ちを収め、本間と共に第69代王者組に就いた。2月14日、THE NEW BEGINNING in NIIGATAにて、IWGPタッグ王座の初防衛戦として前王者組のアンダーソン & ギャローズ組と再び対戦。試合は本間がアンダーソンからピンフォール勝ちを収め初防衛に成功。4月10日、INVASION ATTACK 2016にて、IWGPタッグ王座2度目の防衛戦としてゲリラズ・オブ・デスティニー(タマ・トンガ & タンガ・ロア)と対戦したが本間がピンフォール負けを喫してしまい、王座から陥落した。 11月、WORLD TAG LEAGUEに、前年と同じく本間とのタッグG・B・Hとして出場。BブロックにてSANADA & EVIL組と勝ち点10点で並ぶも、直接対決で勝利したことにより1位となり決勝に進出する。12月10日、優勝決定戦としてAブロック1位で通過したタマ・トンガ & タンガ・ロア組と対戦。最後は真壁がタンガからキングコング・ニードロップでピンフォール勝ちを収め、優勝・2連覇を飾った。 2017年1月4日、レッスルキングダム11にて本間とのタッグG・B・Hとして、タマ・トンガ & タンガ・ロア組の保持するIWGPタッグ王座に挑戦。CHAOSの矢野通 & 石井智宏組も交えた3ウェイマッチの結果、矢野がタンガからピンフォール勝ちを収め、真壁組の王座奪取とはならなかった。その後、2月5日のTHE NEW BEGINNING in SAPPORO、2月11日のTHE NEW BEGINNING in OSAKAでも、G・B・Hとして3ウェイ式のIWGPタッグ王座戦を戦ったが、いずれも矢野組の勝利に終わった。特に2月5日の試合では、真壁が矢野にピンフォール勝ちを献上する結果となってしまった。 2月21日、後楽園ホールにて真壁のデビュー20周年記念興行である 真壁刀義 20th anniversary を開催。メインイベントにてノンタイトルながら真壁 & 本間組対矢野 & 石井組戦を行い、最後は真壁が矢野からキングコング・ニードロップでピンフォール勝ちを収めた。試合後、再度のIWGPタッグ王座の矢野組への挑戦、および「新日本プロレスをさらなるランクアップさせるため、俺にしかできないことがある」との理由で3月からのNEW JAPAN CUPを出場辞退する意向を表明した。この「俺にしかできないこと」とは、NHKの大河ドラマ『おんな城主 直虎』への出演であり、撮影時期とNEW JAPAN CUPの開催時期が重なったための出場辞退であった。しかし3月3日の沖縄大会にて本間が負傷、中心性頸髄損傷により長期欠場となることから、IWGPタッグ王座への挑戦を辞退した。 7月からのG1 CLIMAXは4勝5敗に終わった。11月からのWORLD TAG LEAGUEは、本間の欠場が続いていたため、新パートナーに志願してきたトーア・ヘナーレとのタッグで出場。Bブロックにて1勝6敗に終わった。 1月27日、THE NEW BEGINNING in SAPPOROにて、鈴木みのるが棚橋弘至よりIWGPインターコンチネンタル王座を奪取後、テレビ放送席で解説を務めていた真壁を挑発。翌日の試合は、鈴木の試合後に真壁が乱入し、両者の因縁が勃発した。3月6日、大田区総合体育館での旗揚げ記念日大会にて、鈴木の所持するIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦。約3年ぶりとなるシングル王座を目指したが、鈴木からの右膝への攻撃などに苦戦し、最後はゴッチ式パイルドライバーにてピンフォールを奪われ、戴冠とならなかった。 3月9日、右膝の負傷によりドクターストップとなり、後楽園ホール大会を欠場。その後の3大会も欠場となった。 8月12日、日本武道館で開催された『G1 CLIMAX 28』はAブロック予選を中盤に6連敗して3勝6敗となってしまい、勝ち点6で同点最下位5人の内の1人となって敗退。 11月からのWORLD TAG LEAGUEは、前年と同じくヘナーレとのタッグで出場、4勝9敗に終わった。12月9日、岩手産業文化センター・アピオでの最終戦にて、矢野通が試合後もバッドラック・ファレに蹂躙されていたところ、テレビ放送席で解説していた真壁がリングに飛び込んで救出。矢野はかつてG・B・Hを裏切った相手であり、解説でも真壁は「俺は矢野の野郎とわだかまりがある」と語っていたが、一気に雪解けが予感される出来事となった。 1月4日、レッスルキングダム14の第0試合にて、NEVER無差別級6人タッグ王座の次期挑戦チームを決定するガントレット・マッチ(勝ち残り戦)に、矢野通、田口隆祐とのチームで出場。最も有利な5番目の入場で、鈴木みのる & デイビーボーイ・スミスJr. & ランス・アーチャー組に勝利。同王座への挑戦権を獲得した。 翌1月5日、後楽園ホールでのNEW YEAR DASH!!にて、NEVER無差別級6人タッグ王座の石森太二 & タンガ・ロア & タマ・トンガ組に、真壁 & 矢野 & 田口組で挑戦したが、高橋裕二郎とチェーズ・オーエンズの乱入もあり、真壁がロアにフォールされ王座奪取に失敗。 1月30日、仙台サンプラザホールでのRoad to THE NEW BEGINNING最終戦にて、再び真壁 & 矢野 & 田口組で同王座に挑戦。田口が石森からタップを奪い、第19代のNEVER無差別級6人タッグ王座に就いた。 IWGPヘビー級王座 : 1回(第54代) IWGPタッグ王座 : 2回(第51代, w / 矢野通、第69代, w / 本間朋晃) NEVER無差別級王座 : 2回(第6、8代) NEVER無差別級6人タッグ王座 : 1回(第19代, w /矢野通 & 田口隆祐) 暫定IWGPタッグ王座 : 1回(w / 越中詩郎) G1 CLIMAX 優勝 : 1回(2009年) WORLD TAG LEAGUE 優勝 : 2回(2015年、2016年, w / 本間朋晃) WEWヘビー級王座 : 1回(第2代) 英連邦インターコンチネンタル王座 : 1回 最優秀タッグ賞(2007年, w / 矢野通) 敢闘賞(2009年)
|