野間宏の情報(のまひろし) 作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
野間宏と関係のある人
関根弘: 作家・野間宏との間でいわゆる「狼論争」を引き起こした 遠藤周作: 9月末にアジア・アフリカ作家会議に出席するため、伊藤整、加藤周一、野間宏らとともに渡ソ。 加瀬昌男: 1964年、現代演劇作家批評家集団「鴉の会」の結成に参加(他メンバーはいいだもも、井上光晴、岩田宏、内田栄一、遠藤利男、木島始、小林祥一郎、塩瀬宏、清水邦夫、武井昭夫、竹内泰宏、野間宏、長谷川四郎、花田清輝、廣末保、松本俊夫、宮本研、笠啓一)。 井上俊夫: 野間宏、小野十三郎に師事。 佐多稲子: 戦後の民主化運動に貢献するも、戦後50年問題、日ソ共産党の関係悪化など日本共産党との関係には苦しみ、とりわけ部分的核実験禁止条約を巡っては、批准に反対していた同党に対し、野間宏らと批判を繰り返していたことから、最終的には除名されるにいたった。 木島始: 1953年野間宏の跋文を得て『木島始詩集』を刊行、1954年専修大学講師、1963年法政大学第一教養部講師となり、助教授、教授を務める。 寺島幹夫: 翌年に野間宏原作の『真空地帯』弓山学徒兵役で初舞台を踏む。 日野啓三: 敗戦後は父親の故郷広島県福山市に引き揚げ、広島県立府中中学校(現広島県立府中高等学校)を経て、1946年に旧制一高入学、この頃野間宏、椎名麟三などの戦後文学に関心を持ち、大岡信、丸山一郎(佐野洋)らと同人誌『二十代』、次いで同じメンバーで『現代文学』を作り、文芸評論を執筆した。 富士正晴: 野間宏 石垣りん: 1952年 『銀行員の詩集』(選者伊藤信吉、野間宏)に「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」を含む4篇が収録される。 三島由紀夫: 同年10月6日、芦田内閣総辞職の号外の鈴が鳴り響く晩、神田の喫茶兼酒場「ランボオ」の2階で、埴谷雄高、武田泰淳、野間宏、中村真一郎、梅崎春生、椎名麟三の出席する座談会(12月の同人誌『序曲』創刊号)に三島も加わった。 塩見鮮一郎: この作品は新日本文学会の第1回文学賞で最終選考まで残り、野間宏から高く評価されたが、同和教育の実践家の福地幸造はそのこと自体を「とほうもない痴呆状態の典型」と批判した。 佐江衆一: 1980年、足尾銅山の大河小説「亡国」を野間宏・小田実らの「使者」と井上光晴の「辺境」に長期連載。 宮本顕治: 1954年には、『新日本文学』誌上で大西巨人と、野間宏の作品『真空地帯』の評価や新日本文学会の組織問題をめぐって論争するなど、1950年代前半は文芸評論家としての活躍が目立っていた。 横光利一: 編集長は木村徳三で、作家の三島由紀夫、安部公房、野間宏、遠藤周作、堀田善衛らが寄稿し、有力な文芸雑誌となり、GHQ/SCAP民間情報教育局(CIE)の調査でも「代表的文芸誌」とされていた。 岩橋邦枝: 1965年から『小説現代』を中心に中間小説を書くが、1972年これをやめ、1974年野間宏の励ましで17年ぶりの純文学作品「日時計」を『文藝』に発表。 日高六郎: (木下順二・野間宏と共編)『知識人の思想と行動 : 新しい連帯のために』(麦書房、1964年) 笹山栄一: 新演劇研究所「真空地帯」(1953年1月、野間宏 原作、鈴木政男 脚色、下村正夫 演出、飛行館ホール) 安部公房: 5月、花田清輝、佐々木基一、関根弘、野間宏、勅使河原宏、長谷川龍生らと「記録芸術の会」を結成する。 島尾敏雄: 『VIKING』へ掲載した中篇「単独旅行者」、「島の果て」が野間宏の目に触れ、1948年5月、『近代文学』系の雑誌『芸術』へ「単独旅行者」が転載されることとなり文壇に認められた。 郷静子: 戦後、結核の療養を送りながら新日本文学会の日本文学学校に通い、野間宏に影響を受ける。 富士正晴: 1932年、野間宏(のちに富士の妹と結婚して義弟となる)や桑原静雄とともに、詩の同人誌『三人』を創刊。 開高健: 1960年、中国訪問日本文学代表団(野間宏団長)の一員として大江健三郎らとともに中国を訪れ、毛沢東、周恩来らと会見。 丸木俊: 俊と位里は1964年6月に朝倉摂、出隆、国分一太郎、佐多稲子、佐藤忠良、野間宏、本郷新、山田勝次郎、宮島義勇、渡部義通とともに党改革の意見書を提出し、翌月に日本共産党を除名される。 井上光晴: 戦後派作家の中では埴谷雄高、野間宏と特に親しかった。 團伊玖磨: 中国で野間宏の『真空地帯』が上映された際にも、「音楽 段伊玖磨」と直された。 司修: そこで野間宏や大江健三郎、武田泰淳、三島由紀夫ら有名作家の著作本の装丁に携わるうち、「現代文学を読み解き、他者の問題を自分に引き付けて考えるようになった」。 瀬木慎一: 風に鳴る樹々 全国結核療養者詩集 野間宏・安東次男共編 朝日書房 1954 黒古一夫: 2019年6月からは、批評家生活40年を記念して『黒古一夫 近現代作家論集』(全6巻、第1巻北村透谷論・小熊秀雄論、第2巻大江健三郎論・林京子論、第3巻村上春樹論、第4巻村上龍・立松和平論、第5巻小田実論・野間宏論・辻井喬論、第6巻三浦綾子論・灰谷健次郎論・井伏鱒二論アーツアンドクラフツ)を刊行する。 丸木位里: 位里と俊は1964年6月に朝倉摂、出隆、国分一太郎、佐多稲子、佐藤忠良、野間宏、本郷新、山田勝次郎、宮島義勇、渡部義通とともに党改革の意見書を提出し、翌月に日本共産党を除名される。 |
野間宏の情報まとめ
野間 宏(のま ひろし)さんの誕生日は1915年2月23日です。兵庫出身の作家のようです。
結婚、卒業、事件、家族に関する情報もありますね。1991年に亡くなられているようです。
野間宏のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)野間 宏(のま ひろし、1915年(大正4年)2月23日 - 1991年(平成3年)1月2日)は、日本の小説家・評論家・詩人。 大学時代の左翼運動と出征経験から、戦後『暗い絵』を書いて第一次戦後派の先頭に立ち、特に『真空地帯』は大きな反響を呼んで戦後文学の記念碑的名作となった。その後は社会全体の構造をとらえる全体小説を志向し、次々と大作を発表。文学の国際交流にも尽力し、また最晩年まで社会的な発言を多く行った。部落外の出身者だが部落解放同盟中央委員となった 僧侶(在家の新しい流派を建てたので、既存の寺院に属してはいなかった)を父として、兵庫県神戸市長田区に生まれる。大阪府立北野中学校に進学する。 1932年、旧制第三高等学校在学中、同人誌「三人」を富士正晴(野間は富士の妹と結婚したので義兄)、竹之内静雄と創刊。 1935年、京都帝国大学文学部仏文科に進学し、反戦学生運動に参加。 1938年、京都帝国大学文学部仏文科卒業。 1938年から大阪市役所に勤務し、被差別部落関係の仕事を担当した。 1941年に応召し、中国やフィリピンを転戦するも、マラリアに感染したため帰国。 1943年、社会主義運動の前歴を憲兵に追及され、思想犯として大阪陸軍刑務所で半年間服役。年末に出所後、監視つきで原隊に復帰。 1944年2月、召集解除。大阪の軍需工場に勤務していた時、敗戦を迎える。 敗戦後、日本共産党に入党。 1946年、『暗い絵』を発表し、作家生活に入る。 1951年、前年創刊された雑誌『人民文学』の編集にかかわる。 1952年、『真空地帯』で毎日出版文化賞を受賞。 1954年、詩集『スターリン讃歌』編集に参加。同書のためにスターリンを賛美した詩『星の歩み』『スターリン』を執筆。 1964年、ソ連に追随したとして、日本共産党から除名処分を受ける。 1971年、『青年の環』で谷崎潤一郎賞を受賞。 1973年、『青年の環』がロータス賞を受賞。 1974年、「日本アジア・アフリカ作家会議」の初代議長に選出される。 1977年、『差別・その根源を問う』『狭山裁判』など部落問題に関する言論活動が評価され、松本治一郎賞を受賞。 1989年、 『野間宏作品集』(全14巻・岩波書店)をはじめとする文学への貢献により、1988年度朝日賞を受賞。 1991年、食道癌の合併症により東京慈恵会医科大学附属病院で死去。 エセー集『時空』(福武書店)と、大作『生々死々』(未完、講談社)が出された。 藤原書店で、『完本 狭山裁判』(上中下、1997年)と、『作家の戦中日記 一九三二-四五』(2001年)が出された。また『野間宏の会』を主催している。 影書房で、『野間宏集』(戦後文学エッセイ選9、2008年)が出された。 全22巻の『野間宏全集』(筑摩書房)、全14巻『野間宏作品集』(岩波書店)があるが、スターリンを賛美した作品は収録されなかったという。 藤原書店より、『完本 狭山裁判』(上中下、1997年)と、『作家の戦中日記 一九三二-四五』(2001年)が出された。また『野間宏の会』を主催している。 影書房で『野間宏集』 (戦後文学エッセイ選9、2008年)が出された。 『真空地帯』発表時、大西巨人は、軍隊があまりに単純に悪として描かれていると批判し、「俗情との結託」と呼び、のち自ら軍隊を描いた『神聖喜劇』を発表した。 三高から京大時代の数年間にわたる日記は、没後に『作家の戦中日記』として藤原書店から刊行されたが、それによると野間は痴漢行為や公衆便所の窃視の常習犯であり、若い女性に尾行と性器露出を繰り返し、友人たちから「野獣」と呼ばれ、自らも「淫らな変態性欲者」と自嘲していた。ただし警察に捕まったことはなかった。 1974年春に『青年の環』の担当編集者の田邊園子(当時37歳)を突然口説き始めて田邊を啞然とさせたが、その場は来客があり、ことなきを得た。それから半年以上経ち、1974年秋の夜、野間は田邊を新宿駅東口のタクシー乗り場に呼び出し、無言のまま田邊を自動車でどこかへ連れ去ろうとしたが抵抗され、何もできなかった。後に判明したところによると、野間はこの晩、男女が肉体的に結ばれる場面を田邊相手に自ら演じて書く予定だった。しかし野間はこの出来事を歪曲し「田邊が野間を誘惑して失敗した」と一部の人々にまことしやかに話し、信じさせた。田邊は「当時、私は勤務先の社長から奇妙な厭味を言われ、その後も長く、作家たちや他社の編集者から哀れみや同情、慰めの言葉、時には蔑みの視線を受けてきたことを忘れることが出来ない。野間夫人すら私の"失恋"を疑わなかった」、「ほとんどの人々は、常日ごろ"人権擁護"を標榜している作家が、他者の人権を踏みつけるような嘘を人に話して聞かせるとは信じないだろう」と記している。しかし野間は自らの言動を「小説家は嘘をつくものです」と正当化していた。 『暗い絵』真善美社 1947 のち新潮文庫
『暗い絵・崩解感覚』(新潮文庫) 『暗い絵・第三十六号』(旺文社文庫) 『暗い絵・顔の中の赤い月』(講談社文芸文庫) 『崩解感覚』丹頂書房 1948
『小説入門』真善美社 1948 「文章入門」旺文社文庫、レグルス文庫 『星座の痛み 詩集』河出書房 1949 『青年の環』第1-2部 河出書房 1949-1950 のち岩波文庫(以下同) 『顔の中の赤い月』目黒書店(自選作品集)1951 『雪の下の声が……』未來社 1952 『文学の探求』正続 未來社 1952-1953 『真空地帯』河出書房 1952 のち岩波文庫、角川文庫、新潮文庫、旺文社文庫 『人生の探求』未來社 1953 『野間宏詩集』三一書房(日本国民詩集)1953 『野間宏作品集』全3巻 三一書房 1953 『現代文学の基礎 いかに人間を考えるか』理論社 1954 『思想と文学』未來社 1954 『志津子の行方』河出新書 1955 『文学の方法と典型 社会主義リアリズムにむかって』青木書店 1956 『地の翼 上巻』河出書房 1956 『真実の探求 現代文学の方法』理論社(私の大学・文学の教室)1956 『今日の愛と幸福』中央公論社 1957 『黄金の夜明ける』未來社 1959 『さいころの空』文藝春秋新社 1959 のち角川文庫 『車の夜』東京書房 1959 『感覚と欲望と物について 評論集』未來社 1959 『若い日の文学探求』青春出版社(青春教養大系)1960 『文章読本』新読書社出版部 1960 『干潮のなかで』新潮社 1961 『わが塔はそこに立つ』講談社 1962 のち文庫、講談社文芸文庫 『肉体は濡れて』東方社(イースト・ブックス)1965 『青年の環 第3』河出書房新社 1966 『人生と愛と幸福』合同出版(パピルス双書)1967 『文学論』合同出版 1967 『青年の問題文化の問題』合同出版(パピルス双書)1967 『青年の環 第4』河出書房新社 1968 『サルトル論』河出書房 1968 『歎異抄』(私の古典)筑摩書房 1969 のち河出文庫、ちくま文庫 『野間宏全集』全22巻 筑摩書房 1969-1974 『野間宏評論集』全2巻 未來社 1969-1970 『創造と批評』筑摩書房 1969 『全体小説への志向 対話集』田畑書店 1969 『全体小説と想像力』河出書房新社 1969 『青年の環 5』河出書房新社 1971、のち新版、岩波文庫 『鏡に挾まれて 青春自伝』創樹社 1972 『親鸞』岩波新書 1973 『心と肉体のすべてをかけて 文学自伝』創樹社 1974 『文学の旅 思想の旅』文藝春秋(人と思想)1975 『忍耐づよい鳥』河出書房新社 1975 『狭山裁判』岩波新書 1976 『現代の王国と奈落 現代文明の危機についての文学者の考察』転轍社 1977 『野間宏全詩集』文和書房 1979 『新しい時代の文学』岩波書店 1982 『戦後 その光と闇』福武書店 1982 『東西南北浮世絵草書 わたしの読書と生活』集英社 1987 『野間宏作品集』全14巻 岩波書店 1987-1988 『解放の文学その根元 評論・講演・対話集』解放出版社 1988 『生々死々』講談社 1991 『時空』福武書店 1991 『天の穴、地の穴野間宏生命対話』立松和平編 社会思想社(現代教養文庫) 1991 『作家の戦中日記』藤原書店 2001 山繭 詩集 井口浩、富士正晴共著 明窗書房 1948 世界解放詩集 長田弘共編訳 飯塚書店 1951 愛と革命(編)河出新書 1953 日本抵抗詩集(編)三一書房 1953 風に鳴る樹々 全国結核療養者詩集 安東次男、瀬木慎一共編 朝日書房 1954 フランス解放詩集 小内原文雄共編 河出文庫 1954 学生たちの記録 永丘智郎共編 河出書房 1956 知識人の思想と行動 新しい連帯のために 木下順二、日高六郎共編 麦書房 1964 文章のつくり方 三一書房 1966(高校生新書) 小説の書き方 明治書院 1969(作法叢書) 差別・その根源を問う 安岡章太郎共編 朝日新聞社 1977.7 のち選書 狭山差別裁判 三一新書 1978.6 人間のゆくえ 渡辺格対談 新泉社 1979.4 『危機の中から 対話集』小学館創造選書 1981 アジアの聖と賤 被差別民の歴史と文化 沖浦和光共著 人文書院 1983.4 日本の聖と賤 沖浦和光共著 人文書院 1985-1987 親鸞から親鸞へ 現代文明へのまなざし 三国連太郎対談 藤原書店 1990.12 日本の名随筆 100 命 作品社 1991.2 万有群萌 ハイテク病・エイズ社会を生きる 山田国広対談 藤原書店 1991.12 日本の聖と賤 近代篇 沖浦和光 人文書院 1992.4 神戸文学館 狭山事件 部落問題 ^ 『文学』1959年2月号、p.39。そのきっかけは、戦前から水平社とともに運動してきたことのほか、誤りを犯したことがきっかけで解放同盟に洗脳されたことであるといわれる。 ^ “朝日賞 1971-2000年度”. 朝日新聞社. 2022年8月29日閲覧。 ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)22頁 ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)256頁 ^ 田邊園子『伝説の編集者坂本一亀とその時代』37-38頁 ^ 『新日本文学』2001年11月号、田邊園子「野間宏の『嘘』」 ^ 田邊園子『女の夢 男の夢』
野間宏の会[1] 表 話 編 歴 第1回 小島信夫『抱擁家族』 第2回 遠藤周作『沈黙』 第3回 安部公房『友達』/大江健三郎『万延元年のフットボール』 第4回 受賞作なし 第5回 円地文子『朱を奪うもの』『傷ある翼』『虹と修羅』 第6回 埴谷雄高『闇のなかの黒い馬』/吉行淳之介『暗室』 第7回 野間宏『青年の環』 第8回 丸谷才一『たった一人の反乱』 第9回 加賀乙彦『帰らざる夏』 第10回 臼井吉見『安曇野』 第11回 水上勉『一休』 第12回 藤枝静男『田紳有楽』 第13回 島尾敏雄『日の移ろい』 第14回 中村真一郎『夏』 第15回 田中小実昌『ポロポロ』 第16回 河野多惠子『一年の牧歌』 第17回 後藤明生『吉野大夫』/深沢七郎『みちのくの人形たち』 第18回 大庭みな子『寂兮寥兮』 第19回 古井由吉『槿』 第20回 黒井千次『群棲』/高井有一『この国の空』 第21回 村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』 第22回 日野啓三『砂丘が動くように』 第23回 筒井康隆『夢の木坂分岐点』 第24回 受賞作なし 第25回 受賞作なし 第26回 林京子『やすらかに今はねむり給え』 第27回 井上ひさし『シャンハイムーン』 第28回 瀬戸内寂聴『花に問え』 第29回 池澤夏樹『マシアス・ギリの失脚』 第30回 辻井喬『虹の岬』 第31回 辻邦生『西行花伝』 第32回 受賞作なし 第33回 保坂和志『季節の記憶』/三木卓『路地』 第34回 津島佑子『火の山―山猿記』 第35回 高樹のぶ子『透光の樹』 第36回 辻原登『遊動亭円木』/村上龍『共生虫』 第37回 川上弘美『センセイの鞄』 第38回 受賞作なし 第39回 多和田葉子『容疑者の夜行列車』 第40回 堀江敏幸『雪沼とその周辺』 第41回 町田康『告白』/山田詠美『風味絶佳』 第42回 小川洋子『ミーナの行進』 第43回 青来有一『爆心』 第44回 桐野夏生『東京島』 第45回 受賞作なし 第46回 阿部和重『ピストルズ』 第47回 稲葉真弓『半島へ』 第48回 高橋源一郎『さよならクリストファー・ロビン』 第49回 川上未映子『愛の夢とか』 第50回 奥泉光『東京自叙伝』 第51回 江國香織『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』 第52回 絲山秋子『薄情』/長嶋有『三の隣は五号室』 第53回 松浦寿輝『名誉と恍惚』 第54回 星野智幸『焰』 第55回 村田喜代子『飛族』 第56回 磯﨑憲一郎『日本蒙昧前史』 第57回 金原ひとみ『アンソーシャル ディスタンス』 第58回 吉本ばなな『ミトンとふびん』 第59回 津村記久子『水車小屋のネネ』 第60回 柴崎友香『続きと始まり』 FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 チェコ 韓国 オランダ ポーランド CiNii Books CiNii Research IdRef 20世紀日本の小説家 日本の文芸評論家 20世紀日本の詩人 朝日賞受賞者 谷崎潤一郎賞受賞者 日本共産党の人物 京都大学出身の人物 旧制第三高等学校出身の人物 大阪府立北野高等学校出身の人物 神戸市出身の人物 部落解放同盟の人物 日本の仏教徒 食道癌で亡くなった人物 1915年生 1991年没 経歴が年譜のみになっている人物記事 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NKC識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 PLWABN識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/18 07:22更新
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noma hiroshi
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