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村田兆治の情報 (むらたちょうじ)
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【4月4日】今日誕生日の芸能人・有名人

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村田 兆治さんについて調べます

■名前・氏名
村田 兆治
(読み:むらた ちょうじ)
■職業
野球選手
■村田兆治の誕生日・生年月日
1949年11月27日 (年齢2022年没)
丑年(うし年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
広島出身

(昭和24年)1949年生まれの人の年齢早見表

村田兆治と同じ1949年生まれの有名人・芸能人

村田兆治と同じ11月27日生まれの有名人・芸能人

村田兆治と同じ出身地広島県生まれの有名人・芸能人


村田兆治と関係のある人

小宮山悟: この年は村田兆治の引退年でもあり、同じチームで一年間様々なことを学ばせてもらい、また村田のトレーニング量の多さに驚愕したと語っている。


金田正一: 翌24日の韓国アマ選抜との試合では1点先行されたが、6回に同点、9回には決勝の1点を奪い、三井・成重春生・小川清一・村田兆治の継投で逃げ切った。


野村克也: 当時ロッテの投手だった村田兆治は「足の遅い私にとっては鈍足の野村さんは憧れの選手」、また村田によると「野村さんは川勝オーナーが金田監督に頼んでロッテへ移籍してきた」と述べている。


門田博光: 村田兆治は門田に生涯14本の本塁打を打たれているが、門田について次のように語っている。


米田哲也: 村田兆治はフォークを練習し始めた頃、ベンチに座って試合中も指先を鍛練している米田をじっと観察し、ついにその球の握りを盗み取ったという。


松沼博久: 川崎球場でのロッテオリオンズとのレギュラーシーズン最終戦が引退試合となったが、相手チーム先発の村田兆治もこの試合限りでの引退を表明している。


石毛宏典: 初盗塁:同上、1回表に二盗(投手:村田兆治、捕手:土肥健二)


弓岡敬二郎: 初安打:1981年4月9日、対ロッテオリオンズ前期3回戦(川崎球場)、4回表に村田兆治から単打


高柳秀樹: 初盗塁:1979年5月29日、対ロッテオリオンズ前期8回戦(川崎球場)、5回表に二盗(投手:村田兆治、捕手:高橋博士)


大石友好: 初本塁打:1981年4月4日、対ロッテオリオンズ前期1回戦(川崎球場)、5回表に村田兆治からソロ


杉下茂: 1974年には、ロッテオリオンズの投手コーチだった植村義信からの依頼で村田兆治にフォークボールの投げ方を教えた。


武田一浩: なお、NPB史上最多勝利と最優秀救援投手の両方を獲得した投手は、武田以外では江夏豊・金城基泰・村田兆治・山沖之彦(このうち村田は、厳密には最優秀救援ではなく最多セーブ)の4人のみである。


吉武真太郎: 1995年は、春季キャンプで村田兆治コーチの指導を受けて才能が開花。


金田留広: 同20日の第4戦(後楽園)では6回を3失点に抑え、村田兆治に繋いでシリーズ初勝利を記録、24年ぶりの日本一にも大きく貢献した。


成重春生: 雨天練習場で投げていた木樽正明・村田兆治らの剛速球に度肝を抜かれたが、成重は合格。


近藤貞雄: ロッテ時代には、若手有望株であった村田兆治の投球フォーム改造に取り組み、その完成形は「マサカリ投法」として村田の代名詞となった。


菊矢吉男: また同シーズンには14暴投を記録しており、これは1990年に村田兆治(ロッテオリオンズ)が更新するまでプロ野球記録だった。


菊地大稀: 離島甲子園の際に指導を受けた村田兆治とはプロ入り後も連絡があり、対談した時にはフォークボールを伝授された。


濃人渉: 同年のドラフト会議で、植村義信投手コーチの進言で村田兆治を1位指名。


三井雅晴: 三井は後に自らの経験を村田兆治(1982年に肘を故障)に話し、忠告を受け入れた村田は術後リハビリに専念したことで復活を遂げた。


井上コオ: 第28巻 村田兆治 - 男のこだわり マサカリ投法よ永遠なれ(作:奥田益也)


大石弥太郎: 1976年4月11日のロッテ戦(宮城)で村田兆治と投げ合い、2年ぶりの勝利と復帰後初勝利を完封で飾った。


小沢誠: 初盗塁:1982年4月8日、対ロッテオリオンズ前期2回戦(平和台球場)、9回表に二盗(投手:村田兆治、捕手:土肥健二)


小山正明: 入団したばかりの村田兆治が徹夜麻雀から朝帰りした時にランニングへ出かける小山と鉢合わせして、村田はとっさに何も言わず自分の部屋に逃げ込んだ。


杉下茂: 私と村山実、村田兆治、野茂英雄、佐々木主浩だ」と言い、現在の投手がフォークボールと称して投げているのはスプリットだと語っているほか、失投でないフォークボールが打たれたのは長嶋茂雄に一度だけだと語っている。


寺岡孝: 監督には王貞治が就任し、初年度のコーチスタッフに寺岡、高橋慶、達川光男といった広島OBや、広島県出身の村田兆治というメンバーで固めた。


江本孟紀: その後、ロッテオリオンズの田丸仁スカウト(元法政大学監督)からドラフト外での入団を誘われたが、当時のロッテには小山正明、成田文男、木樽正明、村田兆治といったエース級の投手が数多く在籍しており、先発ローテーションに加わるのは難しいと考えて断ったという。


小宮山悟: 近藤昭仁監督が就任した1997年は3本柱だった伊良部秀輝、エリック・ヒルマンの退団もあり、3年ぶりに開幕投手を務め、球団では村田兆治以来2人目となる無四球完封で開幕戦を勝利する。


森田芳彦: 村田兆治が一軍公式戦通算200勝を達成した5月13日の対日本ハム戦(山形県野球場)では、「9番・遊撃手」としてスタメンに起用されると、決勝打を放って村田の名球会入りに花を添えている。


鈴木葉留彦: 1980年には開幕から一軍入りし、4月18日のロッテ戦(西武)で吉本博の代打で奥江英幸からシーズン初安打を放つと、2日後の20日には8回裏に村田兆治から逆転の3点適時二塁打を放ち勝利打点を挙げるなど好調で4月は代打で8打数4安打、5打点と勝負強さを見せた。


村田兆治の情報まとめ

もしもしロボ

村田 兆治(むらた ちょうじ)さんの誕生日は1949年11月27日です。広島出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

引退、病気、テレビ、現在、家族、ドラマ、子役、事件に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2022年に亡くなられているようです。

村田兆治のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

村田 兆治(むらた ちょうじ、1949年11月27日 - 2022年11月11日)は、日本のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。広島県豊田郡本郷町(現:三原市)出身。

現役時代は東京オリオンズ→ロッテオリオンズで活躍した。そのダイナミックな投球フォームは、「マサカリ投法」と呼ばれていた。通算暴投の日本記録保持者(148回)。

村田がプロ野球選手を志したのは小学5年のとき、父に連れられて広島市民球場へナイターを観戦しに行ったことがきっかけだった。初めて生で見るプロの試合に鳥肌が立つほど興奮し、それ以来、プロ野球選手以外の将来は考えられなくなったという。

速くて球質が重い、剛速球は天賦の才と言ってよく、進学した福山電波工業高校(現:近畿大学附属広島高等学校福山校)時代から、スピードガンがあればその球速は既に152、153 km/hを記録していただろうと言われ、県内でも屈指のピッチャーとして有名だった。1年上には浅野啓司がおり、2年生の秋からエースとなる。当時の広島県には、山本和行を擁する広島商、大田垣耕造のいた尾道商、1967年に夏の甲子園準優勝を果たした広陵高など強豪がひしめいており、厳しい競争が続いた。

1966年秋季中国大会県予選で準々決勝に進出するものの広陵高に惜敗。翌年夏の県予選でも3回戦で呉港高に敗れ、甲子園出場の悲願は叶わなかった。しかし、広島カープの木庭教スカウトから間接的に「ドラフト1位で指名する」と伝えられていたため、村田は「カープに入れる」と喜んでいた。東京オリオンズは1位指名を誰にするか決めかねていたが、濃人渉監督が、植村義信投手コーチを呼び「お前が決めろ」と一任し、植村が映像を観て、肩の強さや体の柔らかさをスカウトから聞いた上で村田の指名を進言する。この年第3回ドラフトは、予備抽選で指名順位を決め、1番くじを引いた球団から順に1人ずつ指名していく方式で、広島は12番目。その前の6番くじを引いた東京オリオンズが1位指名した。

1967年のドラフト1位で東京オリオンズに入団。背番号はエースナンバーの「18」を希望するも、叶わず「29」となった。この「29」番が後に村田の代名詞となっていく。

1年目の1968年は振るわなかった。当時はドラフト1位の契約金を持て余し、パチンコや麻雀など遊びに明け暮れていた。そのようなある日、徹夜の麻雀を終えて独身寮に朝帰りして来た時、日課のロードワークに出発しようとしていた小山正明と鉢合わせになる。その時既にベテランだった小山が、若手の自分よりも遥かに厳しい練習を自分に課していることに衝撃を受け、そのまま逃げるように自分の部屋に帰ってしまった。その後、練習中に小山に謝りに行ったところ、「お前ほどの才能がありながら、それを無駄にするのはさびしくないか」と諭された。球界を代表する大投手からの叱咤激励に感激した村田は、以降別人のように練習に打ち込むようになったという。村田の若手時代のロッテには小山以外にも成田文男、木樽正明、坂井勝二、金田留広と名投手がおり、村田は彼らから投球術を学んでいった。また、73年から監督に就任した金田正一からコンディショニング方法を学んだ。打撃の練習に対して非常に厳しい姿勢を見せていた榎本喜八にも、プロ野球選手として影響を受けた。

球団名がロッテとなった2年目の1969年に頭角を現し、5月中旬には先発の一角に抜擢される。同年は6勝(そのうち5勝は完封)8敗を記録し、初めて規定投球回(20位、防御率3.58)にも達した。1970年にはリーグ優勝を経験、1971年、後に監督となる金田正一のアドバイスを元に、近藤貞雄投手コーチによる投球フォームを大幅に改造し、後に村田の代名詞となる「マサカリ投法」の原型を編み出した。同年は12勝8敗、防御率3.34(リーグ10位)の好成績を残す。

1974年のロッテのリーグ優勝の際にも大車輪の活躍を見せた。中日ドラゴンズとの日本シリーズでは4試合に登板。第1戦(中日球場)では9回裏に抑えとして登板するが、高木守道に逆転サヨナラ二塁打を喫する。第2戦(中日球場)、第4戦(後楽園球場)は抑えとして勝利に貢献し、第4戦(後楽園球場)では前日の鈴木孝政(中日)に続いて「ロッテ・オリオンズ」の選手としてシリーズ初セーブを記録した。最終第6戦(中日球場)では先発登板し、松本幸行、星野仙一との投手戦を制し延長10回まで投げて、完投勝利し、最優秀投手賞に選出された。

1976年にはフォークボールを習得する。人並み外れた長い指が生み出す切れ味鋭い変化は、ことごとく打者のバットに空を切らせた。9月10日の対日本ハムファイターズ戦(後楽園球場)では5度の完封勝利を含む初のシーズン20勝目を挙げ、同年シーズンは257回を投げて21勝を記録すると同時に、防御率1.82で最優秀防御率のタイトルを獲得。202奪三振もリーグ最多であった。捕手に頼らず「ノーサイン」で自分で投球を組み立てていたため、同年から1979年まで4年連続で2桁暴投を記録した。1979年は32試合に先発登板して自己最多の21完投、230奪三振を記録。

1981年には開幕11連勝を飾り、シーズンでは阪急の今井雄太郎と並ぶ19勝で最多勝のタイトルも獲得し、鈴木啓示、山田久志、東尾修らと共に昭和50年代のパ・リーグを代表する投手となった。

1982年、4月3日の南海との開幕戦(川崎球場)では9回5失点でシーズン初勝利を完投で飾った。続く同月8日の対西武ライオンズ戦(平和台球場)、同月13日の対西武戦(西武球場)で2試合連続で完封勝利を挙げたが、同月21日に右肘を故障。様々な治療法に取り組む傍ら、宮本武蔵の「五輪書」を愛読し和歌山県白浜町のお水場・十九渕で座禅を組み、深夜白衣を纏い滝に打たれるといった荒行も行っていた。同年オフには一向に人気が向上しないロッテに対する不満からセ・リーグの人気球団である阪神タイガースへの移籍を志願したものの、交換要員が決まらずロッテに残留した。12月10日付の『中日スポーツ』によれば、9日にはかつてロッテ投手コーチとして村田を指導した近藤貞雄が監督を務めていた中日ドラゴンズの球団代表・鈴木恕夫がロッテの球団代表・石原照夫に獲得の意思があることを連絡したのを皮切りに、阪神や読売ジャイアンツ(巨人)、村田本人や当時ロッテ監督を務めていた山本一義の地元である広島県に本拠地を置く広島東洋カープといったセ・リーグ各球団も次々と交換トレードに向けて動いており、ヤクルトスワローズも金銭トレードでの獲得を希望、横浜大洋ホエールズも関根潤三監督の意向を踏まえて獲得を検討する見込みである――と報じられていたが、同月13日にはロッテ球団オーナーの重光武雄が村田に対し、球団社長の松井静郎を通じてトレードは認めない旨を伝えた。村田はこれを不服としていたが、最終的にトレードは成立しなかった。

翌1983年も一向に肘の症状が改善されないため、渡米しスポーツ医学の権威であるフランク・ジョーブの執刀の下、左腕の腱を右肘に移植する手術(トミー・ジョン手術)を受けた。以降2年間をリハビリに費やし、1984年シーズン終盤に復帰する。

1985年、4月14日の西武との開幕戦(川崎球場)から7月7日の対南海戦(新大分球場)まで開幕11連勝(うち、4月14日から5月26日まで日曜日7連勝)を挙げるという鮮烈な復活劇を見せ、最終的に17勝5敗の成績でカムバック賞を受賞。前年に続くロッテのリーグ2位に貢献した。この年の開幕からの11連戦11連勝記録はプロ野球記録である。同年から、中6日で日曜日のみに登板する先発ローテーションを取るようになったため、「サンデー兆治」とも呼ばれるようになった。当時、中6日で登板する先発投手は、他には同年に台頭した郭泰源くらいしか見当たらず、郭とともに中6日ローテの先駆的存在にもなった。また、日本球界では長年、投手の肘にメスを入れることはタブーとされていたが、村田の復活によって有効な治療法として認識されることになった。

1986年、4月6日の阪急との開幕戦(川崎球場)では力投しながら打線の援護がなく、8回に4連続安打を打たれて敗戦投手となり、5月11日の対西武戦(西武球場)で3失点完投負けで開幕5連敗を喫した。同月25日の対阪急戦(阪急西宮球場)で1失点完投勝ちでシーズン初勝利を挙げるが、シーズン通算では8勝11敗と不本意な成績に終わった。オフの12月19日の契約更改では100万円減の年俸4300万円(推定)でサインした。

1987年、4月10日の近鉄バファローズの開幕戦(藤井寺球場)では同姓の村田辰美と投げ合い、5回7失点で敗戦投手となった。同月19日の対阪急戦(川崎球場)では5年ぶりの完封でシーズン初勝利を挙げた。7月5日の対近鉄戦(釧路市民球場)では6年ぶりの無四球完投で2度目のシーズン2度目の完封勝利、9月20日の対西武戦(川崎球場)では3回に石毛宏典から空振り三振を奪い、史上13人目の通算2000奪三振を達成したものの、4回4失点で敗戦投手となった。オフの12月15日の契約更改では2パーセント増の年俸4400万円(推定)でサインした。

1988年、4月8日の日本ハムとの開幕戦(東京ドーム)で7回2失点でシーズン初勝利を挙げた。4月24日の対南海戦(宮城球場)ではシーズン唯一の完封勝利、10月3日の対阪急戦(川崎球場)では8回途中まで投げ、2失点で3年ぶりの2桁勝利を記録した。オフの12月12日の契約更改では1100万円増の年俸5500万円(推定)でサインした。

1989年、4月9日の西武との開幕戦(西武球場)でシーズン初勝利を完封で飾った。5月13日の対日本ハム戦(山形県野球場)で通算200勝を達成。200勝に王手をかけていた4月16日の対近鉄戦(川崎球場)では延長11回を投げ切りながら敗戦投手になったが、その試合を「〇曜ナイター」が試合終了まで中継し、本来「笑点」が放送される17:20 - 17:39の時間帯の視聴率はその日の夜の巨人-大洋戦を上回る22.4%(関東地区)を記録した(全体では10.9%)。6月28日の対日本ハム戦(東京ドーム)でシーズン2度目の完封勝利、 7月12日の対福岡ダイエーホークス戦(川崎球場)では11奪三振で10年ぶりシーズン3度の完封勝利を飾り、通算203勝は当時、歴代18位の堀内恒夫と並んだ。オールスターゲーム第1戦(明治神宮野球場)では先発登板し、3回2安打3奪三振無失点の成績でMVPに選出された。同年、39歳にして3回目の最優秀防御率のタイトルを獲得した。オフの12月28日の契約更改では1900万円増の年俸7400万円(推定)でサインした。

コーチ兼任で臨んだ翌1990年、4月8日の対オリックス・ブレーブスとの開幕戦(阪急西宮球場)で1失点完投勝利で江夏豊と並ぶ通算206勝目を挙げた。8月24日の対西武戦(西武球場)では通算600試合登板をシーズン初完封で飾った。10月13日のレギュラーシーズン最終戦の対西武戦(川崎球場)では5回降雨コールドゲームで同年2度目の完封含む10勝を記録し、10度目の2桁勝利を記録する。若林忠志以来41年ぶり、史上2人目となる40歳代での2桁勝利を記録し、最終戦での引退セレモニー実施で現役を引退した。

引退後はNHK解説者・日刊スポーツ評論家(1991年 - 1994年)を経て、王貞治監督の招聘で、福岡ダイエーホークス一軍投手コーチ(1995年 - 1997年)を務めた。在任中は12球団最弱の投手陣で上手く行かないことが多く、マウンドでは「すまんな。監督が代われと言っているから交代」が口癖であり、1997年シーズン終盤には体調を崩して入院した。

1992年には小学5年生向けの道徳の教材に「逆境を克服した生き方」の教材として、村田が右肘手術からの復活した時の様子が取り上げられた。

ダイエー退団後はNHK解説者・日刊スポーツ評論家(1998年 - 2015年)を再び務め、2005年3月からは日本プロ野球OB13人と共に長崎県対馬市に「対馬まさかりドリームス」を設立し、投手兼監督に就任。

2005年1月16日、野球殿堂入りを果たす。

「離島甲子園」(全国離島交流中学生野球大会)を提唱し、2008年から全国の離島を巡り開催しており、野球を通じた離島振興活動をライフワークとしている。

2022年11月11日3時15分頃、東京都世田谷区成城の自宅から出火し、木造2階建て住宅の2階部分約40平方メートルを焼失。村田は救急隊により2階の室内の床に座ったまま意識不明の状態で発見され病院へ搬送されたが、一酸化炭素中毒により同日5時57分に死亡が確認された。72歳没。出火原因は不明で、この火災による大きな火傷や外傷はなく、捜査によるとリビングと同じ階にある部屋で発見され、遺書はなく施錠していたことなどから他人が侵入した可能性は低いという。近所の火災発見者によると、2階の窓ガラスが割れて数メートルもの大きな火の手が見えたという。名球会入会資格者で病気以外の原因によって死去したのは村田が初であった。

村田の訃報を受けて、ZOZOマリンスタジアムでの秋季練習最終日であった千葉ロッテマリーンズは半旗を掲げ、選手・コーチ陣がグラウンドで黙祷を捧げた。また、川崎球場跡地に建てられた川崎富士見球技場(富士通スタジアム川崎)の事務所内に献花台が設けられることも発表された。

2007年5月26日のセ・パ交流戦、ロッテ対横浜戦で始球式投手を務める。

2013年8月30日のロッテ対日本ハム戦で始球式に登板した。

2016年3月30日のロッテ対楽天戦で始球式に登板した。

2018年8月21日、ロッテオリオンズ誕生50周年特別試合として行われたロッテ対西武戦で始球式に登板した。

2020年8月22日、ロッテ対ソフトバンク戦で始球式に登板した(球速の表示は無し)。

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索: "村田兆治" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2024年8月)
2007年5月26日、球速は135km/hと表示された。 この間、2012年2月9日放送のテレビの企画で球速を計測したところ、122km/h - 129km/hであった(後述)。 2013年8月30日、球速は135km/hと表示された。この表示は事前に村田からこの表示が出るよう調整を依頼していたとのことで、実際は120km/h台後半だったという。 2016年3月30日、球速は131km/hと表示された。 2018年8月21日、球速は112km/hと表示された。

テレビ番組内での投球">OB戦の登板や、テレビ番組内での投球

1992年に茨城県水戸市で行われた世界少年野球大会水戸大会での日米OBオールスターゲームでは、この年から「千葉ロッテマリーンズ」に球団名を改名して採用された「サンライズ・ピンク」ロゴのホーム用ユニフォームを着用して出場し、現役時代の1988年に同僚だったビル・マドロック(ロサンゼルス・ドジャースのホーム用ユニフォームを着用)と対戦した。当時、ロッテでは29番が村田の引退後、1994年まで空き番となっていたため、このデザインでの29番のユニフォームは非公式ながら村田が初めての着用だった。 2010年1月2日に東京ドームで行われた「プロ野球OBオールスター・アスリートカップ セ・パ対抗戦」に登板。 2012年2月9日放送のクイズ☆タレント名鑑では、62歳現在での球速の限界に挑戦する企画に挑戦したところ、1球目は122km/hだったが徐々に記録を伸ばし、最終的に129km/hまで記録した。

選手としての特徴

この現役時代の選手としての特徴に関する文献や情報源が必要です。 出典を明記するためにご協力をお願いします。 (2010年4月)
村田の投球フォームは、左足を地面と水平に高く蹴り上げてから大きく踏み込み、右腕を勢いよく振り下ろす独特のオーバースローで、その動作が鉞を打ち下ろす様子に例えられた事で「マサカリ投法」の異名をとった。左足を蹴り上げている間は尻を打者に大きく突き出し、右手を右足太股付近まで下ろして全身に力を溜めてから投じるため、打者にボールの握りを曝露しやすい欠点はあったが、村田はこの投法を入団4年目に完成させて以降は引退に至るまで貫き通し、引退後も2020年時点に至るまでこの投球フォームを維持し続けた。 村田の代名詞であるフォークボールについて、元阪急ブレーブスの山田久志は「昔、うちの打者に『次、フォーク』と予告して、実際にフォークを投げ空振りさせた」と語り、また元南海ホークスの野村克也は「村田のフォークボールの癖はすぐ分かったけど(野村によれば、村田がフォークボールを投げるときはモーションに入る前にグラブの中をちらと覗いていたという)、分かっていても打てなかった」と語るなど、その威力に関するエピソードは数知れない。杉下茂も「私は、日本人の投げるフォークボールは厳密にはSFFが大半だと思うが、村田君は間違いなく『本物のフォークボール』を投げていた」と述べている。 入団当時のオリオンズ監督だった濃人渉は、同じ広島県出身の村田を大変可愛がったが、速球の威力が落ちることを恐れ、フォークボールの練習だけは禁止していた。しかし村田は、濃人監督の目を盗んではフォークボールの練習を続けていた。たまたまその様子を濃人監督に見つかったこともあったが、「今投げたのは何だ?」と聞かれると「カーブです」ととぼけていたという。その頃の村田のフォークボールはコントロールが悪く、使いものにならなかった。そこで、当時のフォークの名手・村山実に教えを請うたところ、「24時間ボールを握る」というアドバイスをされ、実践した。指にボールを挟んだまま縄でくくりつけて眠ることで、フォークの握りを体に覚えさせようとしたのである。しかし、あまりの激痛に就寝どころではなくなり、結局一度試しただけで二度とやらなかったという。また、フォークボールの握りを深くしようとするあまり、人差し指と中指の間にナイフで切り込みを入れたこともある。習得後も、右手の中指と人差し指の間に牛乳瓶や特注の鉄の球を挟んだり、ドアを開けるときもノブを中指と人差し指で挟んで開けるなど、日々のトレーニングを欠かさなかった。夫人によれば、村田が中指と人差し指でビール瓶をはさむと、夫人が引っ張っても抜けないという。 通算暴投数148は日本記録で、2位の石井一久(115)を30個以上も引き離している。これほどの暴投数を記録した要因は、村田のフォークボールが非常に鋭いものであったのもさることながら、捕手とサインを交わさず自分で投球を組み立てていたため、いつフォークボールが投げられるか捕手に予測しきれなかったことが一番大きいという。また袴田英利曰く「村田さんは目が悪かったため、サイン違いをすることが多く、それならば先入観のないノーサインで投げて貰ったほうが捕球しやすかった」と現役引退後に語っている。村田自身は、これほどの暴投数にもかかわらず暴投による失点が非常に少ないため、この記録に大変誇りを持っているという。 独特の投球フォームに対して、野村兼任監督時代のドン・ブレイザーなど、相手チームの三塁コーチが村田の握りを見て、指でボールを挟んでいた時は口笛を吹いてバッターに知らせることで、打者に狙い打たれたことがあったという。しかし、それに気づいた村田は、投球モーション中に直球からフォーク、フォークから直球へと握りを自在に変える投法を編み出し、口笛作戦を封じている。 先発ローテーション投手としての起用が多かったが、速球とフォークボールを生かすため、金田監督の意向で2度ほどリリーフ陣に回ったこともある。選手生活末期にも1度リリーフに回り、その後再度先発に戻ったが、村田はこれについて「あれは僕の主義主張よりも、太ももなど下半身が登板間隔の短いリリーフにはついてこなかったから戻してもらった」と述べている。村田も先発完投に強くこだわり、引退の理由にこのこだわりをプレーで果たせなくなったことを挙げた。引退後も座右の銘は「人生先発完投」であり、サインにも書き添える。 現役時代から凄まじいトレーニング量をこなすことで有名で、引退後も球速維持のために長く続けており、トレーニング量に関する逸話は非常に多い。現役最晩年、1年だけ同時期に所属していたことがある小宮山悟は、「一年間、一緒にやりましていろんなことを教わってね。物凄いトレーニングするんですよ、僕ら若手が走るのについていこうとしてもついていけないような…いやぁ、こんな人本当にいるんだなって、思いましたね」と、感想を述べている(2013年8月30日 千葉ロッテ対北海道日本ハムファイターズの始球式の時の実況より)。 引退の1990年シーズン、広島から移籍しキャンプで練習ペアを組んだ白武佳久によると、村田はウォーミングアップから90mの遠投を軽々とこなしており面食らったという。また村田から『俺のグラブには1キロの鉄板が入っている』と明かされ、実物を見せてもらうと鉄板はグラブの親指の箇所に入っており、練習でも試合でも絶妙にバランスを取り投げていた。 長年相手役を務めた袴田英利が新人の頃、村田は「1アウト、ランナー満塁。このとき確実に抑えるにはどうしたらいい?」と尋ねた。袴田は迷わず「ゲッツーです」と答えたが、「じゃあ、その次は?」と聞かれ、答えに困っていた。村田は笑って「一番いいのは三振だ、バカ。ゲッツーはエラーがある」と語った(「勇者のスタジアム」村田兆治・袴田英利バッテリーの特集回より)。村田が奪三振にこだわっていたことを表すと共に、「だからお前はしっかり捕れよ、信じてるからな」と袴田に発破をかけた逸話である。 "一匹狼"で、現役時代は誰とも群れることはなかった。 球種はストレート、カーブ、フォーク、スライダー。ブーマー・ウェルズ(元阪急ブレーブス)は、村田にはフォークよりスライダーに苦しめられたと語っている。

特筆

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妻の淑子は元航空会社のグラウンドホステスで、短大の英文科出身で語学学校にも通い英語が堪能だった。村田が右ひじの治療とその後の診察のためにアメリカに渡るときには付き添い、通訳を務めた。村田の右肘痛の原因を突き止めるため、村田と共に全国にある名医と呼ばれる病院を探しては駆け巡り、村田を励まし続けた。その時の様子が1986年にテレビ朝日系列の月曜ワイド劇場で「サンデー兆治の妻」としてドラマ化され、放映された。村田役に名高達郎、妻の淑子役に星野知子という配役で、稲尾和久や落合博満も本人役で出演している。弟がいる。

監督・金田正一との関係

金田正一とはジプシー・ロッテ時代に突入した1973年から終了した1978年、および1990年にロッテ・オリオンズの監督と選手という関係であったが、村田は金田を恩師として崇め、金田は村田を愛弟子としており、師弟関係にあった。出会いのきっかけは村田がプロ2年目の時の指宿キャンプで、金田が現役引退直後に評論家として取材に来ていた時にブルペンで投球練習をしていた村田に「お前、いいピッチャーになるぞ」と声を掛けたことである。村田は選手時代の金田を鮮明に知っており、偉大な実績を残した大先輩からの一言に背中を押された気持ちになり、不安が自信に変わったという。金田はロッテ監督就任後は、投手としての「準備の大切さ」を学び、引退まで先発・完投を貫くが、村田は金田の影響と考えている。金田も1974年の日本シリーズでは村田をフルに起用し、日本一に王手のかかった第6戦では先発起用するなど村田に大きな信頼を寄せていた。金田は2019年10月6日に他界したが、金田本人の生前の希望により、10月13日に営まれた金田の葬儀・告別式では村田が弔辞を読んだ。

詳細情報

年度別投手成績

年度 球団 登板 先発 完投 完封 無四球 勝利 敗戦 セ丨ブ ホ丨ルド 勝率 打者 投球回 被安打 被本塁打 与四球 敬遠 与死球 奪三振 暴投 ボ丨ク 失点 自責点 防御率 WHIP
1968 東京ロッテ 3 0 0 0 0 0 1 -- -- .000 29 7.0 8 0 1 0 0 5 0 0 3 3 3.86 1.29
1969 37 20 5 5 0 6 8 -- -- .429 615 146.1 110 11 80 2 2 90 5 0 64 58 3.57 1.30
1970 21 12 2 0 0 5 6 -- -- .455 351 79.0 76 7 43 2 3 48 3 0 51 42 4.78 1.51
1971 43 27 8 1 0 12 8 -- -- .600 813 194.1 183 25 61 1 7 122 9 0 82 72 3.33 1.26
1972 16 5 0 0 0 3 3 -- -- .500 213 46.0 56 10 22 0 3 30 3 0 34 33 6.46 1.70
1973 40 24 6 1 1 8 11 -- -- .421 672 157.0 134 6 79 3 4 104 6 2 69 56 3.21 1.36
1974 32 28 8 1 0 12 10 1 -- .545 765 180.2 151 10 87 1 11 108 11 1 75 54 2.69 1.32
1975 39 17 11 2 0 9 12 13 -- .429 759 191.2 128 15 65 2 6 120 3 0 56 47 2.20 1.01
1976 46 24 18 5 0 21 11 4 -- .656 1037 257.1 209 13 73 3 8 202 13 0 67 52 1.82 1.09
1977 47 28 15 2 1 17 14 6 -- .548 975 235.0 216 15 62 2 8 180 10 0 85 70 2.68 1.18
1978 37 27 17 3 2 14 13 3 -- .519 907 223.1 188 18 58 2 15 174 10 0 84 72 2.91 1.10
1979 37 32 21 3 4 17 12 2 -- .586 1035 255.0 224 26 55 2 5 230 10 0 99 84 2.96 1.09
1980 27 22 11 1 2 9 9 2 -- .500 772 178.0 169 14 83 3 8 135 2 0 90 77 3.89 1.42
1981 32 31 16 2 2 19 8 0 -- .704 970 230.2 237 18 55 0 6 154 6 0 99 76 2.97 1.27
1982 6 6 3 2 0 4 1 0 -- .800 166 40.1 35 4 11 0 2 27 0 0 14 13 2.90 1.14
1984 5 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 39 9.0 13 1 0 0 0 3 0 0 6 6 6.00 1.44
1985 24 24 10 0 0 17 5 0 -- .773 752 173.2 181 20 65 0 7 93 11 1 89 83 4.30 1.42
1986 23 23 5 0 0 8 11 0 -- .421 658 155.1 164 23 32 2 8 106 4 1 82 68 3.94 1.26
1987 21 21 3 2 1 7 9 0 -- .438 573 130.2 151 15 42 1 4 74 12 1 68 63 4.34 1.48
1988 20 20 5 1 0 10 7 0 -- .588 599 145.2 123 22 45 1 6 120 7 0 65 63 3.89 1.15
1989 22 22 16 3 1 7 9 0 -- .438 739 179.2 143 17 69 0 5 135 6 1 58 50 2.50 1.18
1990 26 19 4 2 0 10 8 2 -- .556 524 115.2 120 14 56 0 6 103 17 1 62 58 4.51 1.52
通算:22年 604 433 184 36 14 215 177 33 -- .548 13963 3331.1 3019 304 1144 27 124 2363 148 8 1402 1200 3.24 1.25
    各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPB歴代最高

    東京(東京オリオンズ)は、1969年にロッテ(ロッテオリオンズ)に球団名を変更

    最多勝利:1回(1981年)

    最優秀防御率:3回(1975年、1976年、1989年)

    最多奪三振:4回(1976年、1977年、1979年、1981年)※当時連盟表彰なし、パシフィック・リーグでは、1989年より表彰

    最多セーブ投手:1回(1975年)

    ベストナイン:1回(1981年)

    野球殿堂競技者表彰(2005年)

    月間MVP:1回(1981年4月)

    カムバック賞(1985年)

    日本シリーズ最優秀投手賞:1回(1974年)

    オールスターゲームMVP:1回(1989年 第1戦)

    前後期MVP:2回 (1977年後期、1981年前期)

    パ・リーグプレーオフMVP:1回(1974年)

    パ・リーグプレーオフ敢闘賞:1回(1981年)

    新語・流行語大賞 特別部門人語一体・語録賞(1990年、「昭和生まれの明治男」、妻と共同で受賞)

    都民文化栄誉賞(1990年)

    ベスト・ファーザー イエローリボン賞(1994年)

    HEROs AWARD 2021 男性部門(2021年)

    初登板:1968年10月8日、対南海ホークス27回戦(大阪スタヂアム)、5回裏に3番手で救援登板、3回無失点

    初奪三振:同上、5回裏に三浦清弘から

    初先発・初勝利・初完投勝利・初完封勝利:1969年5月23日、対南海ホークス7回戦(大阪スタヂアム)

    初セーブ:1974年9月19日、対南海ホークス後期12回戦(大阪スタヂアム)、8回裏に3番手で救援登板・完了、2回無失点

    初本塁打:1971年8月22日、対南海ホークス22回戦(大阪スタヂアム)、渡辺泰輔から(通算で唯一)

    1000奪三振:1977年9月27日、対阪急ブレーブス後期12回戦(西京極球場)、6回裏に島谷金二から ※史上54人目

    100勝:1978年5月12日、対南海ホークス前期8回戦(川崎球場)、9回3失点(自責点2)完投勝利 ※史上73人目

    1500奪三振:1980年6月22日、対南海ホークス前期11回戦(川崎球場)、5回表に久保寺雄二から ※史上28人目

    150勝:1981年8月6日、対日本ハムファイターズ後期6回戦(宮城球場)、9回完封勝利 ※史上35人目

    500試合登板:1986年6月1日、対阪急ブレーブス9回戦(川崎球場)、先発登板で7回1/3を2失点(自責点1) ※史上57人目

    2000奪三振:1987年9月20日、対西武ライオンズ22回戦(川崎球場)、3回表に石毛宏典から空振り三振 ※史上13人目

    200勝:1989年5月13日、対日本ハムファイターズ7回戦(山形県野球場)、9回5失点完投勝利 ※史上21人目

    600試合登板:1990年8月24日、対西武ライオンズ16回戦(西武ライオンズ球場)、9回完封勝利 ※史上27人目

    通算148暴投(プロ野球記録)

    1試合16奪三振:1979年6月8日、対近鉄バファローズ前期9回戦(日生球場)

    1試合3暴投:3回(1987年5月28日、1987年6月14日、1990年5月15日)

    1イニング3暴投:1987年6月14日、対近鉄バファローズ11回戦(ナゴヤ球場)

    開幕投手:13回(1975年 - 1982年、1986年 - 1990年)

    オールスターゲーム出場:13回(1971年、1974年、1975年、1976年、1977年、1978年、1979年、1980年、1981年、1985年、1986年、1988年、1989年)

    4ディケードプレイヤー:1960年代から1990年代までの4年代にわたって活躍 ※史上4人目、投手では史上初

    29(1968年 - 1990年)

    81(1995年 - 1997年)

    『右腕の傷あと』(1989年、マガジンハウス)

    『先発完投わが人生』(1990年、徳間書店)

    『哀愁のストレート - もっと速い球を!』(2001年、青春出版社)

    『速球の流儀 - 中年よ、不安に打ち勝つ体を鍛えろ!』(2002年、ワニマガジン社)

    『まだ、現役には負けられない! - 自分の人生、自分がエース! 先発完投で生き抜いて』(2004年、プレジデント社)

    『還暦力 60歳でストレート140キロを投げる秘密』(2009年、朝日新聞出版)

    NHK特集「甦(よみがえ)った男〜投手・村田兆治の挑戦〜」(NHK総合、1985年6月14日)

    NHKプロ野球 - 解説者として出演

    月曜ワイド劇場「サンデー兆治の妻・愛のカムバック」(テレビ朝日、1986年4月7日)

    鶴瓶の家族に乾杯(NHK総合、2007年7月2日・9日)

    サンデーモーニング(TBS、2010年11月14日) - 2012年3月25日「週刊御意見番」助っ人

    ディープピープル(NHK総合、2011年2月11日) - 牛島和彦、佐々木主浩と共に「フォークボール」について鼎談した。

    武田和歌子のぴたっと。(朝日放送ラジオ、2015年3月5日) - 「福本豊のあの人は今 元・プロ野球選手名鑑」にゲスト出演。

    アウトデラックス(フジテレビ、2016年1月14日)

    ロッテ電子工業「ホカロン」(1981年)

    中田食品「中田の梅干」(1985年)

    松下電器産業「ナショナルIHジャー炊飯器にっぽん炊き」 - 俵孝太郎と共演。

    サントリー「セサミン」(2010年)

    DHC 「スーパーエイチツー」(2018年。衛星放送(BS・CS)のみ)

    SunSet Swish「ありがとう」(2007年8月22日) - 有藤通世と共演。

    ^ それぞれ、4月29日の対南海ホークス戦(宮城球場)、7月2日の対南海戦(大阪スタヂアム)、7月25日の対阪急戦(阪急西宮球場)、8月4日の対南海戦(宮城球場)、9月2日の対南海戦(宮城球場)で計5度の完封勝利を記録。

    ^ この日は11個の三振を奪い、歴代通算奪三振記録でも村山実と並ぶ2271個に到達した。

    ^ もっとも、カーブのコントロールも悪かったそうであり、「ナンだ!?」では共に出演した東尾に「この人ほどカーブのコントロール悪い人いなかった」、「村田さんほどひどいカーブを投げる人、今はプロに入ってこない」と酷評されている。また、高校時代はカーブはあくまで見せ球でしか使わなかったという。

    ^ 「ロッテのエースは村田さん」と紹介された後、村田は「冬のエースは『ホカロン』です」と言う。後ろには野球帽を被り、バットを持った雪だるまが5体(※ロッテを除くパ・リーグの各球団を模したもの)並ぶが、表情は異なる。

    ^ 「村田兆治氏、火災死 球界ショック…暴行事件からわずか2カ月 「マサカリ投法」で人気」『Sponichi Annex』スポーツニッポン、2022年11月12日。2024年11月11日閲覧。

    ^ 中田ボンベ@dcp(編)、2021年10月27日「村田兆治、石井一久、新垣渚…通算100回到達はわずかに3人。意外と知らない「暴投」の歴代記録」『週刊ベースボールONLINE』ベースボール・マガジン社。2022年8月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月14日閲覧。

    ^ 『永久保存版・日本プロ野球名投手100人』村田兆治の項目(1989年、ベースボール・マガジン社)

    ^ 『スポーツニッポン我が道 村田兆治、2017年7月5日』

    ^ 『スポーツニッポン我が道 村田兆治、2017年7月6日』

    ^ 週刊現代 (7 2017). “週現『熱討スタジアム』「マサカリ投法」村田兆治を語ろう 袴田英利×福本豊×植村義信”. 講談社 (2017/7/15日号): 142–145. 

    ^ 「お家芸"大逆転"で中日先勝 高木守、劇的サヨナラ ロッテ 木樽、村田継投及ばず」『北海道新聞』(縮刷版) 1974年(昭和49年)10月17日付朝刊、12面(スポーツ面)。

    ^ 「ロッテ 猛打でタイに 渋谷に連続アーチ 村田好救援、中日ふり切る」『北海道新聞』(縮刷版) 1974年(昭和49年)10月21日付朝刊、11面(スポーツ面)。

    ^ 「ロッテ、24年ぶりの日本一 当たり屋弘田、決勝打 延長10回村田完投 中日、大島悪役命取り」『北海道新聞』(縮刷版) 1974年(昭和49年)10月24日付朝刊、13面(スポーツ面)。

    ^ 「シリーズ表彰選手」『北海道新聞』(縮刷版) 1974年(昭和49年)10月24日付朝刊、13面(スポーツ面)。

    ^ 「ロッテ、江夏に2発 村田、初完封で3勝目」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1976年(昭和51年)4月30日付朝刊、17面。

    ^ 「村田が完封 ロッテ、初戦に快勝」『北海道新聞』(縮刷版) 1976年(昭和51年)7月3日付朝刊、13面(スポーツ面)。

    ^ 「抜けガラ阪急 はつらつロッテ」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1976年(昭和51年)7月26日付朝刊、19面。

    ^ 「村田が4安打完封 パ天王山、ロッテ5連勝」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1976年(昭和51年)8月5日付朝刊、17面。

    ^ 「ロッテ0.5差に肉薄 村田、南海を5安打完封」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1976年(昭和51年)9月3日付朝刊、16面。

    ^ 「村田、4連続完投で初の20勝目」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1976年(昭和51年)9月11日付朝刊、17面。

    ^ 「パの全日程終わる」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1976年(昭和51年)10月14日付朝刊、17面。

    ^ 「マジック目前 ロッテ高笑い 勇者突き放す 山田強襲(第一)村田11連勝(第二)」『北海道新聞』(縮刷版) 1981年(昭和56年)6月8日付朝刊、15面(スポーツ面)。

    ^ 「パ・リーグ 全日程終了 7日から"日・ロ決戦"」『北海道新聞』(縮刷版) 1981年(昭和56年)10月5日付朝刊、15面(スポーツ面)。

    ^ 「村田、踏んばり完投 打線も18長短打の援護」『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)4月4日付朝刊、14面(スポーツ面)。

    ^ 「村田(ロッテ)完封で2勝目 西武打線を散発5安打」『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)4月9日付朝刊、15面(スポーツ面)。

    ^ 「村田が2連続完封」『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)4月14日付朝刊、15面(スポーツ面)。

    ^ 「村田「右ひじ痛い」」『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)4月22日付朝刊、15面(スポーツ面)。

    ^ 山田隆道『粘着!プロ野球むしかえしニュース』宝島社、2013年、P8-10。当時の報道によると阪神側の交換要員として伊藤宏光、益山性旭、植松精一、加藤博一が挙げられていたという。

    ^ 【12月13日】1982年(昭57) 村田兆治、セへ移籍志願もオーナー一蹴 引退騒動へ

    ^ 『中日スポーツ』1982年12月10日号(第10380号)第5版1頁「スワッ村田(ロッテ)争奪戦 中日 熱烈コール 色めくセ5球団、年末大騒動 交換要員に大物の名」「右ヒジ痛は疲労のせい 恐怖心さえ除けば…医師太鼓判」「中日 イの一番に申し込み電話 V2へ厚みつけたい」「巨人 新浦か浅野か淡口で」「広島 出血は覚悟」(中日新聞社)

    ^ 『中日スポーツ』1982年12月14日号(第10384号)第5版1頁「ロッテ重光オーナーが断 村田は出さん 屈服か任意引退か 追い詰められたパの看板投手 ”わがまま男で内乱” 『よう使わぬ』と山本監督」「トレードはもうなし」「巨人はあきらめない」(中日新聞社)

    ^ 村田兆治氏「ジョーブ博士がいなければ仏料理店経営してた」

    ^ 「村田 気迫の復活 3年ぶり完投勝ち 故障を克服 熱投155球」『北海道新聞』(縮刷版) 1985年(縮刷版)4月15日付朝刊、15面(スポーツ面)。

    ^ 【4月14日】1985年(昭60) 男泣きした村田兆治 クールな主砲は熱い思いで応えた

    ^ 「兆治、久びさ日曜登板 自己タイ11連勝」『北海道新聞』(縮刷版) 1985年(昭和60年)7月8日付朝刊、17面(スポーツ面)。

    ^ オリ・西、開幕7戦7勝!昨年のマー君より凄いゆうちゃん

    ^ 日本で初めてトミー・ジョン手術を受けたのは村田の後輩である三井雅晴だが、三井は以前の球威を取り戻せず引退を余儀なくされていた。

    ^ 後には桑田真澄などが肘の手術を受けて復帰している。

    ^ 「村田、KOにも強気」『北海道新聞』(縮刷版) 1986年(昭和61年)4月7日付朝刊、16面(スポーツ面)。

    ^ 「巧みな配当で完投 落合には2ラン食う」『北海道新聞』(縮刷版) 1986年(昭和61年)4月7日付朝刊、16面(スポーツ面)。

    ^ 「東尾が巧投 ロッテかわす」『北海道新聞』(縮刷版) 1986年(昭和61年)5月12日付夕刊、7面。

    ^ 「サンデー兆治 トンネル脱出 阪急、首位転落」『北海道新聞』(縮刷版) 1986年(昭和61年)5月26日付朝刊、15面(スポーツ面)。

    ^ 「球界ルポ 19日 村田は100万円減」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1986年(昭和61年)12月20日付朝刊、17面(スポーツ面)。

    ^ 「真喜志 勝ち越し3ラン 有藤ロッテ 村田崩れる」『北海道新聞』(縮刷版) 1987年(昭和62年)4月11日付朝刊、20面(スポーツ面)。

    ^ 「有藤・ロッテ両目 勇者殺し 村田5年ぶり完封」『北海道新聞』(縮刷版) 1987年(昭和62年)4月20日付朝刊、14面(スポーツ面)。

    ^ 「"サンデー兆治" 釧路で快腕 猛牛打線を完封 6年ぶり無四球 水上も祝砲」『北海道新聞』(縮刷版) 1987年(昭和62年)7月6日付朝刊、14面(スポーツ面)。

    ^ 「村田"手負い"の二千奪三振 固め打ちレオ快勝 東尾は無四球完投」『北海道新聞』(縮刷版) 1987年(昭和62年)9月21日付朝刊、15面(スポーツ面)。

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    ^ 「村田、年輪の初勝利 西崎は2連続押し出し 日ハムも初戦落とす」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1988年(昭和63年)4月9日付朝刊、18面(スポーツ面)。

    ^ 「村田、完封で無傷3連勝 200勝へあと「9」 藤本修3安打好投フイ」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1988年(昭和63年)4月25日付朝刊、18面(スポーツ面)。

    ^ 「村田、200勝へあと2 愛甲、決勝の16号2ラン」『北海道新聞』(縮刷版) 1988年(昭和63年)10月4日付朝刊、15面(スポーツ面)。

    ^ 「「欲もあるが、満足しなければ」 村田、"不惑"の5500万」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1988年(昭和63年)12月13日付朝刊、19面(スポーツ面)。

    ^ 「39歳149球開幕初完封 村田200勝あと「1」 146キロ剛球"秋山封じ"」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1989年(平成元年)4月10日付朝刊、18面(スポーツ面)。

    ^ 「村田 苦難超え200勝 東尾以来5年ぶり21人目 ロッテナイン懸命の逆転援護 122球完投 上川3ラン、森田がV打」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1989年(平成元年)5月14日付朝刊、19面(スポーツ面)。

    ^ 「村田182球も200勝逃す 39歳にも快記録への重圧 惜しい序盤の失点 延長11回力尽きる」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1989年(平成元年)4月17日付朝刊、18面(スポーツ面)。

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    ^ 「村田 不惑の開幕勝利 「力」で重量打線ねじ伏せた! 11奪三振」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1990年(平成2年)4月9日付朝刊、18面(スポーツ面)。

    ^ 「ロッテ・村田兆治投手(四〇)が、江夏と村山の記録に並ぶ」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1990年(平成2年)4月9日付朝刊、18面(スポーツ面)。

    ^ 「村田「600試合目」完封で飾る 西武1年ぶり雪辱 ディアズ千金22号」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1990年(平成2年)8月25日付朝刊、19面(スポーツ面)。

    ^ 「村田さすが!お別れ完封 41年ぶり『40代2ケタ勝利』で引退に花」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1990年(平成2年)10月14日付朝刊、21面(スポーツ面)。

    ^ 【悼む】村田兆治さん、駆け出し記者相手でも「送っていってやろうか」 豪快に見えて繊細、人にやさしい本当にいい人

    ^ 「村田、森氏 殿堂入り」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2005年(平成17年)1月17日付朝刊、17面(スポーツ面)。

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    ^ 【村田兆治さん追悼】「投手生命終わってもいい」復帰登板で155球完投…サンデー兆治の真実(4) - スポーツ報知

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    ^ 『週刊ポスト』2018年5月4・11日号「葬式ではあの人に弔辞を読んでほしい」より、金田談。

    ^ 「首位打者 白 最多勝 東尾 本塁打 土井(太平洋) パ・リーグ公式日程終了」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1975年(昭和50年)10月11日付朝刊、15面。

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    ^ それまでレギュラーコメンテーターを務めていた大沢啓二の死去に伴う措置として、毎週1名が「助っ人」として出演。

    ^ 中田食品

    ^ 「DHC「スーパーエイチツー」イメージキャラクター 村田兆治さん起用のお知らせ 2018年5月7日(月)より全国でオンエア開始」『株式会社 PR TIMES』2018年5月10日。2022年11月11日閲覧。

    ^ 「SunSet Swishのニュー・シングル“ありがとう”のプロモ・クリップに村田兆治と有藤通世が出演」『タワーレコードオンライン』タワーレコード、2007年8月10日。2022年11月11日閲覧。

    広島県出身の人物一覧

    千葉ロッテマリーンズの選手一覧

    沢村栄治賞 - 2008年から2021年まで(2015年は欠席、2022年は辞退)選考委員を務めていた(稲尾和久の後任、死去後の後任は工藤公康)

    居酒屋兆治

    個人年度別成績 村田兆治 - NPB.jp 日本野球機構

    選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)

    選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

    NHK特集 甦った男〜投手・村田兆治の挑戦〜 - NHK放送史

    60 ヴィクトル・スタルヒン

    62 池田豊

    63 中島治康

    64 若林忠志

    65 川上哲治, 鶴岡一人

    69 苅田久徳

    70 天知俊一, 二出川延明

    72 石本秀一

    74 藤本定義, 藤村富美男

    76 中上英雄

    77 水原茂, 西沢道夫

    78 松木謙治郎, 浜崎真二

    79 別所毅彦

    80 大下弘, 小鶴誠

    81 飯田徳治, 岩本義行

    83 三原脩

    85 杉下茂, 白石勝巳, 荒巻淳

    88 長嶋茂雄, 別当薫, 西本幸雄, 金田正一

    89 島秀之助, 野村克也, 野口二郎

    90 真田重蔵, 張本勲

    91 牧野茂, 筒井修, 島岡吉郎

    92 廣岡達朗, 坪内道則, 吉田義男

    93 稲尾和久, 村山実

    94 王貞治, 与那嶺要

    95 杉浦忠, 石井藤吉郎

    96 藤田元司, 衣笠祥雄

    97 大杉勝男

    99 中西太, 広瀬叔功, 古葉竹識, 近藤貞雄

    00 米田哲也

    01 根本陸夫, 小山正明

    02 山内一弘, 鈴木啓示, 福本豊, 田宮謙次郎

    03 上田利治, 関根潤三

    04 仰木彬

    05 村田兆治, 森祇晶

    06 門田博光, 高木守道, 山田久志

    07 梶本隆夫

    08 山本浩二, 堀内恒夫

    09 若松勉

    10 東尾修

    11 落合博満

    12 北別府学, 津田恒実

    13 大野豊

    14 野茂英雄, 秋山幸二, 佐々木主浩

    15 古田敦也

    16 斎藤雅樹, 工藤公康

    17 伊東勤

    18 松井秀喜, 金本知憲

    19 立浪和義

    22 髙津臣吾, 山本昌

    23 アレックス・ラミレス

    24 谷繁元信, 黒田博樹

    25 イチロー, 岩瀬仁紀

    09 青田昇

    10 江藤慎一

    11 皆川睦雄

    13 外木場義郎

    16 榎本喜八

    17 星野仙一, 平松政次

    18 原辰徳

    19 権藤博

    20 田淵幸一

    23 ランディ・バース

    25 掛布雅之

    59 正力松太郎, 平岡凞, 青井鉞男, 安部磯雄, 橋戸信, 押川清, 久慈次郎, 沢村栄治, 小野三千麿

    60 飛田忠順, 河野安通志, 桜井彌一郎

    62 市岡忠男

    64 宮原清

    65 井上登, 宮武三郎, 景浦將

    66 守山恒太郎

    67 腰本寿

    68 鈴木惣太郎, 田邊宗英, 小林一三

    69 三宅大輔, 田部武雄, 森岡二朗, 島田善介, 有馬頼寧

    70 田村駒治郎, 直木松太郎, 中馬庚

    71 小西得郎, 水野利八

    72 中野武二, 太田茂

    73 内海弘蔵, 天野貞祐, 広瀬謙三

    74 野田誠三

    76 小泉信三

    77 森茂雄, 西村幸生

    78 伊丹安広, 吉原正喜, 岡田源三郎

    79 平沼亮三, 谷口五郎

    80 千葉茂

    81 佐伯達夫, 小川正太郎

    82 鈴木龍二, 外岡茂十郎

    83 内村祐之

    84 桐原眞二

    85 田中勝雄, 山内以九士

    86 中河美芳, 松方正雄

    87 藤田信男, 山下実

    88 横沢三郎, 芥田武夫, 永田雅一

    89 池田恒雄, 伊達正男

    90 佐伯勇

    91 中澤良夫

    92 吉田正男

    94 廣岡知男

    95 呉昌征, 村上實

    96 牧野直隆, 保坂誠

    97 山本英一郎

    98 中尾碩志, 井口新次郎

    99 吉國一郎

    00 福島慎太郎

    01 武田孟, 長谷川良平

    02 中澤不二雄, 生原昭宏

    03 松田耕平

    04 秋山登

    05 志村正順

    06 川島廣守, 豊田泰光

    07 松永怜一

    08 嶋清一

    09 大社義規, 君島一郎

    10 古田昌幸

    12 長船騏郎, 大本修

    13 福嶋一雄

    14 相田暢一

    15 林和男, 村山龍平

    16 松本瀧藏, 山中正竹

    17 郷司裕, 鈴木美嶺

    18 瀧正男

    19 脇村春夫

    20 前田祐吉, 石井連藏

    21 川島勝司, 佐山和夫

    22 松前重義

    23 古関裕而

    24 谷村友一

    25 富澤宏哉

    02 フランク・オドール, 正岡子規

    03 ホーレス・ウィルソン, 鈴鹿栄

    金田正一

    稲尾和久

    小山正明

    米田哲也

    梶本隆夫

    皆川睦雄

    村山実

    鈴木啓示

    堀内恒夫

    山田久志

    江夏豊

    平松政次

    東尾修

    村田兆治

    北別府学

    佐々木主浩

    高津臣吾

    工藤公康

    野茂英雄

    山本昌広

    岩瀬仁紀

    黒田博樹

    上原浩治

    藤川球児

    平野佳寿

    山内一弘

    榎本喜八

    野村克也

    長嶋茂雄

    広瀬叔功

    張本勲

    王貞治

    江藤慎一

    土井正博

    高木守道

    松原誠

    柴田勲

    大杉勝男

    藤田平

    衣笠祥雄

    福本豊

    山崎裕之

    山本浩二

    有藤通世

    若松勉

    谷沢健一

    加藤秀司

    門田博光

    大島康徳

    新井宏昌

    秋山幸二

    駒田徳広

    立浪和義

    鈴木一朗(イチロー)

    清原和博

    古田敦也

    野村謙二郎

    石井琢朗

    松井秀喜

    田中幸雄

    前田智徳

    金本知憲

    松井稼頭央

    小笠原道大

    稲葉篤紀

    宮本慎也

    小久保裕紀

    アレックス・ラミレス

    中村紀洋

    谷繁元信

    井口資仁

    和田一浩

    新井貴浩

    福留孝介

    荒木雅博

    青木宣親

    阿部慎之助

    鳥谷敬

    内川聖一

    福浦和也

    坂本勇人

    栗山巧

    大島洋平

    1953 大友工

    1954 杉下茂

    1955 別所毅彦

    1956 稲尾和久

    1957 稲尾和久

    1958 稲尾和久

    1959 杉浦忠

    1960 秋山登

    1961 堀本律雄

    1962 安藤元博

    1963 高橋明

    1964 J.スタンカ

    1965 宮田征典

    1966 城之内邦雄

    1967 城之内邦雄

    1968 金田正一

    1969 高橋一三

    1970 堀内恒夫

    1971 堀内恒夫

    1972 堀内恒夫

    1973 堀内恒夫

    1974 村田兆治

    1975 山田久志

    1976 足立光宏

    1977 足立光宏

    1978 松岡弘

    1979 山根和夫

    1951 川上哲治, 野口明, 林義一

    1952 飯島滋弥

    1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男

    1954 中西太, 山内和弘

    1955 山内和弘, 西沢道夫

    1956 森下正夫, 吉田義男

    1957 大下弘, 宮本敏雄

    1958 宮本敏雄, 中西太

    1959 山内和弘, 中利夫

    1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲

    1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎

    1962 ブルーム, 張本勲

    1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅

    1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ

    1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一

    1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識

    1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男

    1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司

    1969 土井正博, 船田和英

    1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎

    1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司

    1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩

    1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之

    1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲

    1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博

    1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司

    1977 若松勉, 野村克也, 王貞治

    1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之

    1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二

    1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊

    1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博

    1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之

    1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満

    1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓

    1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美

    1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章

    1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博

    1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三

    1989 村田兆治, 彦野利勝

    1990 R.ブライアント, 清原和博

    1991 古田敦也, 広沢克己

    1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広

    1993 清原和博, T.オマリー

    1994 秋山幸二, G.ブラッグス

    1995 落合博満, 松井秀喜

    1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲

    1997 松井稼頭央, 清原和博

    1998 川上憲伸, 松井秀喜

    1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志

    2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博

    2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋

    2002 G.アリアス, 的山哲也

    2003 高橋由伸, 金本知憲

    2004 松坂大輔, SHINJO

    2005 金城龍彦, 前田智徳

    2006 青木宣親, 藤本敦士

    2007 A.ラミレス, 阿部慎之助

    2008 山﨑武司, 荒木雅博

    2009 青木宣親, 松中信彦

    2010 阿部慎之助, 片岡易之

    2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀

    2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼

    2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一

    2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐

    2015 藤浪晋太郎, 會澤翼

    2016 筒香嘉智, 大谷翔平

    2017 内川聖一, A.デスパイネ

    2018 森友哉, 源田壮亮

    2019 森友哉, 近本光司

    2020 (中止)

    2021 菊池涼介, 島内宏明

    2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐

    2023 柳田悠岐, 万波中正

    2024 牧秀悟,佐藤都志也

    1950 荒巻淳

    1951 江藤正

    1952 野口正明

    1953 川崎徳次

    1954 宅和本司, 田中文雄

    1955 宅和本司

    1956 三浦方義

    1957 稲尾和久

    1958 稲尾和久

    1959 杉浦忠

    1960 小野正一

    1961 稲尾和久

    1962 久保征弘

    1963 稲尾和久

    1964 小山正明

    1965 尾崎行雄

    1966 米田哲也

    1967 池永正明

    1968 皆川睦男

    1969 鈴木啓示

    1970 成田文男

    1971 木樽正明

    1972 山田久志, 金田留広

    1973 成田文男

    1974 金田留広

    1975 東尾修

    1976 山田久志

    1977 鈴木啓示

    1978 鈴木啓示

    1979 山田久志

    1980 木田勇

    1981 今井雄太郎, 村田兆治

    1982 工藤幹夫

    1983 東尾修, 山内和宏

    1984 今井雄太郎

    1985 佐藤義則

    1986 渡辺久信

    1987 山沖之彦

    1988 渡辺久信, 西崎幸広, 松浦宏明

    1989 阿波野秀幸

    1990 渡辺久信, 野茂英雄

    1991 野茂英雄

    1992 野茂英雄

    1993 野田浩司, 野茂英雄

    1994 伊良部秀輝

    1995 K.グロス

    1996 K.グロス

    1997 西口文也, 小池秀郎

    1998 西口文也, 武田一浩, 黒木知宏

    1999 松坂大輔

    2000 松坂大輔

    2001 松坂大輔

    2002 J.パウエル

    2003 斉藤和巳

    2004 岩隈久志

    2005 杉内俊哉

    2006 斉藤和巳

    2007 涌井秀章

    2008 岩隈久志

    2009 涌井秀章

    2010 和田毅, 金子千尋

    2011 D.ホールトン, 田中将大

    2012 攝津正

    2013 田中将大

    2014 金子千尋

    2015 大谷翔平, 涌井秀章

    2016 和田毅

    2017 東浜巨, 菊池雄星

    2018 多和田真三郎

    2019 有原航平

    2020 千賀滉大, 石川柊太, 涌井秀章

    2021 山本由伸

    2022 山本由伸

    2023 山本由伸

    2024 有原航平, 伊藤大海

    1950 米川泰夫

    1951 阿部八郎

    1952 柚木進

    1953 米川泰夫

    1954 宅和本司

    1955 河村久文

    1956 梶本隆夫

    1957 梶本隆夫

    1958 稲尾和久

    1959 杉浦忠

    1960 杉浦忠

    1961 稲尾和久

    1962 米田哲也

    1963 稲尾和久

    1964 尾崎行雄

    1965 尾崎行雄

    1966 田中勉

    1967 鈴木啓示

    1968 鈴木啓示

    1969 鈴木啓示

    1970 鈴木啓示

    1971 鈴木啓示

    1972 鈴木啓示

    1973 成田文男

    1974 鈴木啓示

    1975 東尾修

    1976 村田兆治

    1977 村田兆治

    1978 鈴木啓示

    1979 村田兆治

    1980 木田勇

    1981 村田兆治

    1982 松沼博久

    1983 山沖之彦

    1984 佐藤義則

    1985 佐藤義則

    1986 渡辺久信

    1987 阿波野秀幸

    1988 小川博

    1989 阿波野秀幸

    1990 野茂英雄

    1991 野茂英雄

    1992 野茂英雄

    1993 野茂英雄

    1994 伊良部秀輝

    1995 伊良部秀輝

    1996 工藤公康

    1997 西口文也

    1998 西口文也

    1999 工藤公康

    2000 松坂大輔

    2001 松坂大輔

    2002 J.パウエル

    2003 松坂大輔

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    2006 斉藤和巳

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    2009 杉内俊哉

    2010 ダルビッシュ有

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    2012 田中将大

    2013 金子千尋

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    2015 則本昂大

    2016 則本昂大

    2017 則本昂大

    2018 則本昂大

    2019 千賀滉大

    2020 千賀滉大, 山本由伸

    2021 山本由伸

    2022 山本由伸

    2023 山本由伸

    2024 今井達也

    1950 荒巻淳

    1951 柚木進

    1952 柚木進

    1953 川崎徳次

    1954 宅和本司

    1955 中川隆

    1956 稲尾和久

    1957 稲尾和久

    1958 稲尾和久

    1959 杉浦忠

    1960 小野正一

    1961 稲尾和久

    1962 久保田治

    1963 久保征弘

    1964 妻島芳郎

    1965 三浦清弘

    1966 稲尾和久

    1967 足立光宏

    1968 皆川睦男

    1969 木樽正明

    1970 佐藤道郎

    1971 山田久志

    1972 清俊彦

    1973 米田哲也

    1974 佐藤道郎

    1975 村田兆治

    1976 村田兆治

    1977 山田久志

    1978 鈴木啓示

    1979 山口哲治

    1980 木田勇

    1981 岡部憲章

    1982 高橋里志

    1983 東尾修

    1984 今井雄太郎

    1985 工藤公康

    1986 佐藤義則

    1987 工藤公康

    1988 河野博文

    1989 村田兆治

    1990 野茂英雄

    1991 渡辺智男

    1992 赤堀元之

    1993 工藤公康

    1994 新谷博

    1995 伊良部秀輝

    1996 伊良部秀輝

    1997 小宮山悟

    1998 金村暁

    1999 工藤公康

    2000 戎信行

    2001 N.ミンチー

    2002 金田政彦

    2003 斉藤和巳, 松坂大輔

    2004 松坂大輔

    2005 杉内俊哉

    2006 斉藤和巳

    2007 成瀬善久

    2008 岩隈久志

    2009 ダルビッシュ有

    2010 ダルビッシュ有

    2011 田中将大

    2012 吉川光夫

    2013 田中将大

    2014 金子千尋

    2015 大谷翔平

    2016 石川歩

    2017 菊池雄星

    2018 岸孝之

    2019 山本由伸

    2020 千賀滉大

    2021 山本由伸

    2022 山本由伸

    2023 山本由伸

    2024 L.モイネロ

    1974 佐藤道郎

    1975 村田兆治

    1976 佐藤道郎

    1977 江夏豊

    1978 山口高志

    1979 金城基泰

    1980 金城基泰

    1981 江夏豊

    1982 江夏豊

    1983 森繁和

    1984 山沖之彦

    1985 石本貴昭

    1986 石本貴昭

    1987 牛島和彦

    1988 吉井理人

    1989 井上祐二

    1990 鹿取義隆

    1991 武田一浩

    1992 赤堀元之

    1993 赤堀元之

    1994 赤堀元之

    1995 平井正史

    1996 赤堀元之, 成本年秀

    1997 赤堀元之

    1998 大塚晶文

    1999 B.ウォーレン

    2000 R.ペドラザ

    2001 R.ペドラザ

    2002 豊田清

    2003 豊田清

    2004 三瀬幸司, 横山道哉

    2005 小林雅英

    2006 MICHEAL

    2007 馬原孝浩

    2008 加藤大輔

    2009 武田久

    2010 B.シコースキー

    2011 武田久

    2012 武田久

    2013 益田直也

    2014 平野佳寿

    2015 D.サファテ

    2016 D.サファテ

    2017 D.サファテ

    2018 森唯斗

    2019 松井裕樹

    2020 増田達至

    2021 益田直也

    2022 松井裕樹

    2023 松井裕樹

    2024 則本昂大

    1980 門田博光

    1985 村田兆治

    1991 小野和義, 白井一幸

    1998 西村龍次

    2001 盛田幸妃

     投  村田兆治

     捕  梨田昌崇

     一  柏原純一

     二  落合博満

     三  有藤道世

     遊  石毛宏典

     外  福本豊 / 島田誠 / テリー.W

     指  門田博光

    1950 榎原好

    1951 星野武男

    1952 野村武史

    1953 野村武史

    1954 清水宏員

    1955 荒巻淳

    1956 荒巻淳

    1957 植村義信

    1958 荒巻淳

    1959 荒巻淳

    1960 小野正一

    1961 小野正一

    1962 坂井勝二

    1963 小野正一

    1964 堀本律雄

    1965 小山正明

    1966 妻島芳郎

    1967 小山正明

    1968 坂井勝二

    1969 坂井勝二

    1970 木樽正明

    1971 木樽正明

    1972 成田文男

    1973 木樽正明

    1974 成田文男

    1975 村田兆治

    1976 村田兆治

    1977 村田兆治

    1978 村田兆治

    1979 村田兆治

    1980 村田兆治

    1981 村田兆治

    1982 村田兆治

    1983 水谷則博

    1984 水谷則博

    1985 深沢恵雄

    1986 村田兆治

    1987 村田兆治

    1988 村田兆治

    1989 村田兆治

    1990 村田兆治

    1991 小宮山悟

    1992 小宮山悟

    1993 小宮山悟

    1994 小宮山悟

    1995 伊良部秀輝

    1996 園川一美

    1997 小宮山悟

    1998 小宮山悟

    1999 黒木知宏

    2000 黒木知宏

    2001 黒木知宏

    2002 N.ミンチー

    2003 N.ミンチー

    2004 清水直行

    2005 清水直行

    2006 久保康友

    2007 清水直行

    2008 小林宏之

    2009 清水直行

    2010 成瀬善久

    2011 成瀬善久

    2012 成瀬善久

    2013 成瀬善久

    2014 成瀬善久

    2015 涌井秀章

    2016 涌井秀章

    2017 涌井秀章

    2018 涌井秀章

    2019 石川歩

    2020 石川歩

    2021 二木康太

    2022 石川歩

    2023 小島和哉

    2024 小島和哉

    1位:村田兆治

    2位:岡田光雄(入団拒否)

    3位:島谷金二(入団拒否)

    4位:榊親一

    5位:藤村正美(入団拒否)

    6位:吉岡邦広

    7位:中村裕二(入団拒否)

    8位:金子勝美(入団拒否)

    9位:堀田芳信

    10位:吉岡悟

    11位:池田和雄(入団拒否)

    12位:西脇正彦(入団拒否)

    ISNI

    VIAF

    日本

    韓国

    CiNii Books

    CiNii Research

    村田兆治

    日本の野球選手

    千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手

    最多勝利 (NPB)

    最優秀防御率 (NPB)

    最多奪三振 (NPB)

    最多セーブ投手及び最優秀救援投手 (NPB)

    カムバック賞 (NPB)

    NPBオールスターゲーム選出選手

    NPBオールスターゲームMVP

    日本の野球指導者

    福岡ソフトバンクホークス関連人物

    名球会

    日本の野球殿堂表彰者

    野球解説者

    トミー・ジョン手術を受けた野球選手

    火災で死亡した人物

    広島県出身のスポーツ選手

    1949年生

    2022年没

    野球に関する記事

    プロジェクト人物伝項目

2025/04/01 19:19更新

murata chouji


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村田 洋子(むらた ようこ)
1982年7月16日生まれの有名人 千葉出身

村田 洋子(むらた ようこ、1982年7月16日 - )は、日本の元女優・タレント。千葉県出身。1990年代後半から2010年3月まで活動を行った。 2005年から2008年までは「黒沢ひろ(くろさわ…

村田 玲奈(むらた れいな)
1992年8月27日生まれの有名人 兵庫出身

村田 玲奈(むらた れいな、1992年8月27日 - )は、日本のファッションモデル、タレント、女優。 オスカープロモーション所属。 小学6年生の時に第10回全日本国民的美少女コンテストでファイナ…

村田 麻衣子(むらた まいこ)
8月1日生まれの有名人 静岡出身

村田 麻衣子(むらた まいこ、8月1日 - )は、日本の俳優、声優。 学園迷宮(仁科佐知) 髪結橋のロビン・グッドフェロー(明子) 桜SAKURAサクラ(蛭子) しあわせになりたい(由香子) ハッピ…

村田 和美(むらた かずみ)
1978年12月25日生まれの有名人 神奈川出身

村田 和美(むらた かずみ、1978年12月25日 - )は、日本の元女優、元タレント、元スポーツキャスター。元アイドル、元歌手。神奈川県伊勢原市出身。ビッグアップルに所属していた。身長161cm(2…


村田 香織(むらた かおり)
1957年10月20日生まれの有名人 東京出身

村田 香織(むらた かおり、1957年10月20日 - )は、日本のダンサー、元女優。 東京都生まれ。3歳からモダンダンス、6歳からクラシックバレエを始める。15歳の頃から本格的にモダンの創作にも芽…

村田 あゆみ(むらた あゆみ)
1982年1月12日生まれの有名人 東京出身

村田 あゆみ(むらた あゆみ、1982年1月12日 - )は、日本の元女性アイドル、元女優。東京都江戸川区出身。ワイルドブルーヨコハマの初代キャンペーンガールである。 中学3年生当時に父親が経営して…

村田 秋乃(むらた あきの)
1974年10月29日生まれの有名人 東京出身

村田 秋乃(むらた あきの、1974年10月29日 - )は、日本の女優、声優。東京都出身。所属事務所はフェイスプランニング。母は女優の北林早苗。 幼少期から劇団ひまわりの児童劇団員としてテレビや舞…

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