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中村武志の情報 (なかむらたけし)
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【6月13日】今日誕生日の芸能人・有名人

中村武志の情報(なかむらたけし) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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中村 武志さんについて調べます

■名前・氏名
中村 武志
(読み:なかむら たけし)
■職業
野球選手
■中村武志の誕生日・生年月日
1967年3月17日 (年齢57歳)
未年(ひつじ年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
京都出身

(昭和42年)1967年生まれの人の年齢早見表

中村武志と同じ1967年生まれの有名人・芸能人

中村武志と同じ3月17日生まれの有名人・芸能人

中村武志と同じ出身地京都府生まれの有名人・芸能人


中村武志と関係のある人

矢野輝弘: 当時の中日監督で、後に阪神でも指揮を執った星野仙一が生前に語ったところによれば、当初は正捕手の中村武志を放出する前提で阪神と交渉していて、交渉が成立した場合には矢野を中村の後釜に据えていたという。


矢野燿大: 当時の中日監督で、後に阪神でも指揮を執った星野仙一が生前に語ったところによれば、当初は正捕手の中村武志を放出する前提で阪神と交渉していて、交渉が成立した場合には矢野を中村の後釜に据えていたという。


武山真吾: オフに背番号を自身の尊敬する中村武志が現役時代に着けていた「39」に変更。


野口茂樹: 中村武志とバッテリーを組んで勝利した際、ヒーローインタビューで「中村さんのおかげです」、「中村さんのミットめがけて投げました」としばしばコメントしていた。


相川亮二: 2002年は谷繁の移籍により初の開幕スタメンを果たすなど正捕手候補と期待されたが、度重なる故障で離脱を繰り返し、谷繁と入れ替わる形で加入した中村武志がレギュラーに就いた。


檜山進次郎: オフに中日の中村武志と複数トレードの話が持ち上がったが、本社からNGが出たため破談になっている(このトレードは最終的には関川浩一+久慈照嘉と大豊泰昭+矢野燿大となった)。


与田剛: 前述の4月7日の対大洋戦での初登板時にはホームでのクロスプレーをめぐり、捕手の中村武志に激しいタックルをした清水義之に激怒し乱闘寸前の騒ぎになった。


谷繁元信: 横浜は中日からのFA補償として金銭を選択したが、当時中日の正捕手であった中村武志が出場機会を求め、トレードを志願し、金銭トレードで横浜へ移籍。


与田剛: 与田の直球を受けていた捕手の中村武志は「瞬きできない。


岩瀬仁紀: 意識して動かしてはいないが自然にムーヴィング・ファストボールとなっており、入団して初めての春季キャンプで当時正捕手だった中村武志がキャッチボールを捕り損ねて突き指してしまったほどであった。


清水将海: 翌2006年に背番号を中村武志の着用していた39へ変更。


スティーブ=コックス: しかしデビュー14試合目の2003年6月2日・対広島東洋カープ8回戦(福島県営あづま球場)で2回表の走塁中に左脹脛を痛めて途中交代し、15試合目の2003年6月5日・対ヤクルトスワローズ11回戦(横浜スタジアム)にて中村武志の代打で出場したのが最後の出場機会となった。


中尾孝義: 中尾の後任には高卒4年目の中村武志が正捕手として抜擢された。


武山真吾: 横浜時代の応援歌は2010年5月から若菜嘉晴、中村武志らに使用されていたものが使われていた。


新沼慎二: 初出場:2003年10月7日、対中日ドラゴンズ28回戦(横浜スタジアム)、5回裏に中村武志の代打で出場


矢野燿大: それだけに、2歳年上の中村武志がレギュラー捕手として全盛期を迎えていた中日からドラフト会議で指名されたことに不安を感じていた。


星野仙一: 中日での監督時代は緩慢なプレーをした選手を殴っており、中村武志はほとんど毎日のように殴られ、小島弘務は血だらけになった口元をタオルで押さえていたこともあったという。


槙原寛己: しかし、救援した木田優も失点を重ね中村武志に代打満塁本塁打を打たれて同点、そして延長10回にまたも中村にサヨナラ本塁打を打たれて、球団史上初の8点差からの逆転負けを喫した。


山崎武司: これは中日と楽天でチームメイトであった中村武志と区別する意味もある。


大宮龍男: 1988年に大島康徳・曽田康二との交換トレードで田中富生と共に中日ドラゴンズへ移籍すると、中村武志の2番手捕手として起用される。


藤本敦士: 初盗塁:2001年6月14日、対中日ドラゴンズ13回戦(大阪ドーム)、3回裏に二盗(投手:メルビン・バンチ、捕手:中村武志


加藤匠馬: その強肩を見て2018年オフより中日のヘッドコーチに就任した伊東勤は「ソフトバンクの甲斐に匹敵するくらいの肩の強さの選手がいた」、バッテリーコーチの中村武志は「今まで見たプロ野球選手の中で肩は1番。


吉田裕太: 「元気になる曲を」とバッテリーコーチの中村武志によるサプライズだったが、打席に入る本人は曲を耳にして苦笑いだった。


高橋光信: 初盗塁:2002年9月21日、対横浜ベイスターズ25回戦(ナゴヤドーム)、3回裏に二盗(投手:森中聖雄、捕手:中村武志


福田功: その後は一軍作戦兼バッテリーコーチ(1993年 - 1994年)→二軍バッテリーコーチ(1995年)→一軍総務(1996年 - 1997年)→一軍総合コーチ(1998年 - 1999年)→二軍ヘッドコーチ(2000年)→一軍バッテリーコーチ(2001年)→一軍バッテリー総合コーチ(2002年)を歴任し、1999年には11年ぶりのリーグ優勝に貢献したほか、捕手では星野政権下で正捕手だった中村武志の指導に当たり、二軍時代の矢野燿大や鈴木郁洋を育てた。


吉原孝介: 球団側はベテラン捕手獲得を目指していたため、直後に同じ捕手である光山英和との交換トレードが発表され中日ドラゴンズへ移籍するが、当時の中日には中村武志、後にオリックスでも同僚となる鈴木郁洋といった捕手がいたため、3番手捕手にとどまった。


小山源喜: 『目白三平』(中村武志・原作 1957 - 58年)では主役のサラリーマン役。


上坂太一郎: 初盗塁:2000年9月9日、対中日ドラゴンズ23回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に二盗(投手:メルビン・バンチ、捕手:中村武志


神山一義: 開幕戦代打本塁打:1989年4月9日、対横浜大洋ホエールズ1回戦(ナゴヤ球場)、8回裏に中村武志の代打で斉藤明夫から2ラン(セ・リーグ4人目)


中野栄一: 入団当初は、打撃力があるので当時の正捕手であった中村武志の後継者として期待されていた。


中村武志の情報まとめ

もしもしロボ

中村 武志(なかむら たけし)さんの誕生日は1967年3月17日です。京都出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

人物、詳細情報などについてまとめました。引退、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。中村武志の現在の年齢は57歳のようです。

中村武志のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

中村武志の39ちゃんねる

中村 武志(なかむら たけし、1967年3月17日 - )は、京都府京都市右京区出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者・評論家。現役時代は主に中日ドラゴンズ(在籍期間:1985年 - 2001年)でプレーし、1980年代末期から2000年代初期に正捕手として活躍、1988年・1999年にはそれぞれ中日のセントラル・リーグ優勝に貢献した。

愛称は「たけし」。

元在日韓国人で、韓国名は姜 武志。中日時代の1988年8月24日付で日本に帰化している。

花園高校での3年間は新聞配達をしながら過ごし、その際の給与からバットやミットを購入した。1984年の鳳凰大旗全国高等学校野球大会において、在日韓国人チームの正捕手として出場し準優勝を果たした。1984年のドラフトで、竹田光訓(明治大学)の交渉権獲得に失敗した中日ドラゴンズから外れ1位として指名を受け、入団。正捕手・中尾孝義の肩に不安があったことで、遠投120メートルとも言われた強肩を買われての指名であった。

1985年当時、高校時代にバイト代で購入したミットがかなり劣化していたため、見かねたコーチが中村に新品のミットを2つ買い与えた。

1986年オフにフロントの整理対象選手に挙げられていた。

1987年、初出場を果たす。同年、中日の監督に就任した星野仙一は中村に猛練習を課し、時には過度に殴りつけ、「これ以上やったら死にます!」とコーチが止めに入ることもあったという。これがのちに「なんかあったら、オレが監督に殴られてやるから大丈夫!」という投手への殺し文句となる。決して言い訳せず、常に責任を負う男気は投手陣から信頼を得た。また、中村の強肩は「あんな送球、見たことない。手が腫れる」と遊撃手の宇野勝が評価するほどであった。

1988年、前年に盗塁阻止率.396でリーグトップの中尾を、怪我の頻発を理由に外野手へコンバートする。これにより、大宮龍男・大石友好らのサポートを受けながらではあったが、中村は6月ごろから正捕手としてレギュラーに定着。広島の機動力を封じるなどしてリーグトップとなる盗塁阻止率.448を記録し、6年ぶりのリーグ優勝に貢献。日本一は逸したが、優勝旅行にて「一緒に写真を撮ろう」と中村に声を掛けた星野は、その場に居合わせたカメラマンに「コイツのおかげで優勝できたんや」と絶賛した。この年以降、10年以上にわたり正捕手として活躍する。

1991年7月19日の対読売ジャイアンツ戦(ナゴヤ球場)では、足を痛めた影響からスタメンを外れていた。8回裏、中日が7点差を猛追し4点差満塁のチャンスで代打出場し、木田優夫から同点となる満塁本塁打を放った。試合は延長戦となり、10回裏に巨人の抑え水野雄仁から再び本塁打を打ちサヨナラ勝ちを収めた。1試合で同点満塁ならびにサヨナラ本塁打を放つ快挙を成し遂げチームを勝利に導いた。

中日の本拠地が、ナゴヤ球場からナゴヤドームへと移転した1997年は、打撃・守備ともに不振に陥る。特に盗塁阻止率は自身唯一となる1割台で、矢野輝弘にスタメンを譲る機会が増した。同年オフ、阪神タイガースがトレードによる中村の獲得を打診したが、結果的に矢野が移籍することとなった。

1999年、4月6日の対横浜ベイスターズ戦では、6回一死満塁の打席で川村丈夫から、6月12日の対横浜戦では2回一死満塁の打席で福盛和男からそれぞれ満塁本塁打を放った。同年5月25日の対阪神タイガース戦では1-1で同点の9回一死満塁の打席で福原忍からサヨナラ安打、8月29日の対横浜戦では1点を追う9回二死二・三塁の打席で島田直也から逆転サヨナラ2点適時打の2度サヨナラ安打を放つなど、11年ぶりのリーグ優勝に貢献。

2001年、安打数は自己最高を記録したが盗塁阻止率.218と守備面で精彩を欠く。同年オフに山田久志が新監督に就任した中日はドラフト1・2位に捕手を指名。さらに横浜の正捕手・谷繁元信をFAで獲得したことから、中村は出場機会を求めてトレードを志願し、金銭トレードで横浜へ移籍。中村は中日残留を悩んだが、同僚の立浪和義から「まだ野球が出来るなら出来るところに行ったほうがいい」とアドバイスを受け、横浜への移籍を決意した。

2002年は開幕から相川亮二との併用を前提とし、中村の肩の調子が思わしくなかったため球団は急遽光山英和を獲得。相川が怪我で長期離脱している間に当時2年目の吉見祐治とバッテリーを組み、石川雅規(ヤクルトスワローズ)との新人王争いをサポート。新人王こそ逃したものの、吉見はこの年11勝を記録。一方でチーム防御率は4.09に低迷し、チーム自体も開幕から不調が続き8年ぶりのリーグ最下位に終わった。

2003年、西武ライオンズから中嶋聡が加入。右肩痛のためキャンプから出遅れ、開幕スタメンは中嶋に譲ることとなった。5月23日の対巨人戦(横浜スタジアム)ではゲーリー・ラス、河本育之、岡島秀樹から1試合3本塁打(自身初)を放つなど、打率.268・11本塁打という成績を収めた。しかし、チーム防御率は4.80と最下位になり、守備の衰えは隠しきれなくなった。

2004年、シーズン前(3月)に愛車のベンツを盗まれる被害に遭う。その後、車体は発見されたが野球道具一式(ミット・バット・スパイクなど)はみつからなかった。シーズン前半は相川を中心に併用されていたが、相川のアテネ五輪日本代表選出による離脱に伴い正捕手となる。だが、チームは失速し、自身が故障した間に台頭した鶴岡一成の存在もあり、最終的には47試合の出場にとどまった。11月25日、無償トレードで新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。

2005年、藤井彰人に次ぐ2番手捕手として64試合に出場。7月31日の西武戦(インボイスドーム)では、有銘兼久とのバッテリーで楽天球団創立初の完封・完投勝利を果たした。同年シーズンオフに戦力外通告を受け、その後現役引退を表明した。

通算2000試合出場まであと45試合を残しての引退であった。21年間の現役は同期入団の中では最長である。

2006年、横浜二軍「湘南シーレックス」バッテリーコーチに就任。2008年には一軍バッテリーコーチに昇格。正捕手である相川の怪我の影響もあり、シーレックス時代の教え子である若手の斉藤俊雄・武山真吾に一軍の経験を積ませ指導したが、成績低迷の責任を取る形で退団。

2009年、古巣・中日の二軍捕手コーチに就任。谷繁とはコーチと選手という立場の違いはあれど、トレード劇から8年越しで同チーム所属となった。2010年からは一軍バッテリーコーチとなり、2年連続リーグ優勝に貢献する。2012年退団。

2013年、千葉ロッテマリーンズ一軍バッテリーコーチに就任。江村直也・田村龍弘・吉田裕太ら若手捕手の育成に尽力した。

2014年10月5日、翌年の契約を結ばないと球団から発表。同年11月、韓国プロ野球・起亜タイガース一軍バッテリーコーチに就任。2017年、8年ぶりのレギュラーシーズン優勝と韓国シリーズ制覇に貢献。2018年より二軍バッテリーコーチに配置転換されたのち退団。

2019年から古巣・中日に一軍バッテリーコーチとして復帰することが発表された。2020年には木下拓哉が成長し、長らく課題だった正捕手不在が解消された。8年ぶりのAクラス(3位)に貢献する。

2021年2月21日、胃の手術のためチームから離脱することを球団が発表。療養を経た3月18日に現場復帰を果たした。のちに胃癌であったことを明かしている。シーズンを終えた10月29日、同年限りでの退団が発表された。

2022年からは中京テレビ・J SPORTS・DAZNの野球解説者、スポーツニッポンの野球評論家として活動する。3月23日には自身のYouTubeチャンネル『中村武志の39ちゃんねる』を開設した。

2023年12月20日、起亜タイガースのバッテリーコーチに就任し、5年振りに同チームに復帰した。

人物

若手時代の応援歌は『コンバット!』のオープニングテーマ。主力となった以降の応援歌は楽天移籍後にも使用された。横浜移籍後は若菜嘉晴の応援歌を引き継いだ。

真面目で温厚な性格。制球が乱れがちな野口茂樹や吉見祐治などが投げる時は、ど真ん中にミットを構えたり、際どくストライクゾーンから外れても「うんうん」と頷くなど、現役時代を通じて投手に対し配慮していた。特に野口は、ヒーローインタビューで常に「中村さんのミットめがけて投げました」「中村さんのおかげです」とコメントしている。横浜・楽天の投手陣らもヒーローインタビューではバッテリーを組んだ中村の名を頻繁に挙げるなど、所属した全球団で投手から慕われている。特に山本昌とは非常に深く通じ合っており、山本が中村からの返球を受けてサインを覗くときには、すでに予想した球種で握りやすい向きにボールをセットしていた。技術的には変化球で追い込んでストレートで勝負するタイプであった。また投手陣からの信頼も厚く、中村が餞別としてビデオメッセージを贈った、ポーカーフェイスで知られる今中慎二が涙を流す一面も見られた。

誰からも愛されるキャラクターである。デーブ大久保や中根仁(中村と同学年)からは、同学年のプロ野球選手の中で一番ぶっ飛んでいてネタの宝庫だと言われている。

中日から移籍後も、シーズンオフにはCBCラジオ「久野誠のドラゴンズワールド」へ毎年ゲスト出演していた。

星野が亡くなる2ヶ月前(2017年11月)、体調を労わり一助を担おうとしたが「お前の世話には死んでもならん」と拒否されたという。先述のように、星野とは「(あくまでも表面的な態度は)厳しい師匠」「そんな師匠でも心から慕っていた弟子」という関係を最後まで貫いた。

詳細情報

年度別打撃成績

年度 球団 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁死 犠打 犠飛 四球 敬遠 死球 三振 併殺打 打率 出塁率 長打率 OPS
1987 中日 43 119 113 12 24 3 0 3 36 11 2 0 1 0 3 0 2 19 5 .212 .246 .319 .565
1988 98 306 267 30 63 18 0 5 96 21 2 0 8 1 29 7 1 63 2 .236 .312 .360 .672
1989 125 420 352 23 95 12 0 7 128 41 2 2 9 2 55 19 2 94 7 .270 .370 .364 .734
1990 97 282 256 22 64 9 0 7 94 21 1 1 6 1 18 6 1 43 4 .250 .301 .367 .668
1991 104 370 333 42 90 13 0 20 163 62 5 4 9 4 24 1 0 74 5 .270 .316 .489 .805
1992 113 391 351 25 86 16 4 6 128 31 1 1 3 1 34 5 2 57 7 .245 .314 .365 .679
1993 127 461 404 38 88 11 0 18 153 46 0 0 8 1 48 8 0 116 8 .218 .300 .379 .679
1994 125 456 398 37 102 16 0 9 145 50 1 0 8 0 46 8 4 48 14 .256 .339 .364 .703
1995 94 335 301 26 77 10 0 8 111 32 2 3 2 0 31 1 1 57 11 .256 .327 .369 .696
1996 115 422 376 45 102 11 1 12 151 37 2 0 2 2 40 9 2 51 17 .271 .343 .402 .745
1997 102 314 280 27 65 15 0 8 104 36 0 0 2 3 26 5 3 42 11 .232 .301 .371 .672
1998 128 468 407 27 96 18 4 5 137 42 2 0 7 2 49 12 3 65 10 .236 .321 .337 .658
1999 127 439 395 31 79 12 0 6 109 42 3 1 13 3 28 6 0 65 9 .200 .275 .276 .551
2000 126 417 356 26 87 10 0 4 109 34 2 2 16 1 43 9 1 68 12 .244 .302 .306 .608
2001 134 455 412 29 109 16 0 2 131 27 1 0 10 1 31 5 1 59 17 .265 .317 .318 .635
2002 横浜 107 302 283 22 57 8 0 5 80 19 0 0 1 2 15 4 1 72 5 .201 .243 .283 .526
2003 79 230 209 23 56 8 0 11 97 37 3 0 8 1 12 5 0 35 6 .268 .306 .464 .770
2004 47 111 101 6 20 4 0 1 27 8 0 0 5 0 5 2 0 19 5 .198 .236 .267 .503
2005 楽天 64 121 111 8 20 4 0 0 24 7 0 0 3 0 7 0 0 25 3 .180 .229 .216 .445
通算:19年 1955 6419 5705 499 1380 214 9 137 2023 604 29 14 121 25 544 112 24 1072 158 .242 .309 .355 .664

各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

年度 球団 捕手
試合 刺殺 捕殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1987 中日 42 190 13 1 2 1 .995 17 13 4 .235
1988 98 513 54 8 12 5 .986 58 32 26 .448
1989 121 624 76 4 12 8 .994 64 31 33 .516
1990 95 440 56 3 6 5 .994 53 34 19 .358
1991 101 596 62 3 10 6 .995 75 53 22 .295
1992 112 635 55 3 7 6 .997 68 47 21 .309
1993 127 884 82 3 16 9 .997 52 27 25 .481
1994 125 803 55 3 15 6 .997 51 36 15 .294
1995 94 573 56 3 8 4 .995 54 26 28 .519
1996 114 784 72 8 11 7 .991 82 50 32 .390
1997 96 560 45 5 11 11 .992 77 62 15 .195
1998 128 868 74 1 10 3 .999 81 43 38 .407
1999 127 769 73 3 11 7 .996 78 50 28 .359
2000 125 810 73 3 13 4 .997 104 69 35 .337
2001 134 964 77 5 12 5 .995 101 79 22 .218
2002 横浜 107 643 52 5 11 5 .993 82 61 21 .256
2003 79 438 38 1 7 1 .998 56 42 14 .250
2004 43 246 18 2 6 1 .992 30 21 9 .300
2005 楽天 64 233 20 0 3 2 1.000 41 31 10 .244
通算 1932 11573 1051 64 183 96 .995 1224 807 417 .341

各年度の太字はリーグ最高

表彰

月間MVP:1回(野手部門:1991年7月)

最優秀バッテリー賞:2回(1993年 投手:山本昌広、1999年 投手:野口茂樹)

記録

初出場:1987年4月14日、対広島東洋カープ1回戦(ナゴヤ球場)、6回裏に石井昭男の代走として出場

初先発出場:1987年5月29日、対広島東洋カープ7回戦(ナゴヤ球場)、8番・捕手として先発出場

初三振:1987年5月30日、対広島東洋カープ8回戦(ナゴヤ球場)、3回裏に北別府学から

初安打:同上、7回裏に北別府学から二塁打

初本塁打・初打点:1987年5月31日、対広島東洋カープ9回戦(ナゴヤ球場)、5回裏に白武佳久から

初盗塁:1987年7月7日、対阪神タイガース13回戦(石川県立野球場)、8回裏に二盗(投手:浜田知明、捕手:木戸克彦)

1000試合出場:1996年7月17日、対読売ジャイアンツ12回戦(東京ドーム)、8番・捕手として先発出場 ※史上331人目

100本塁打:1997年5月7日、対阪神タイガース4回戦(ナゴヤドーム)、3回裏に川尻哲郎から逆転決勝2ラン ※史上189人目

1000本安打:1999年7月18日、対横浜ベイスターズ18回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に矢野英司から左前安打 ※史上197人目

1500試合出場:2000年9月2日、対読売ジャイアンツ24回戦(ナゴヤドーム)、8番・捕手として先発出場 ※史上130人目

1000三振:2003年4月29日、対ヤクルトスワローズ4回戦(明治神宮野球場)、8回表に石川雅規から ※史上30人目

オールスターゲーム出場:8回(1988年 - 1991年、1993年、1996年、1998年、2001年)

背番号

39(1985年 - 2005年)

86(2006年 - 2008年)

83(2009年 - 2011年、2024年 - )

80(2012年、2019年 - 2021年)

82(2013年 - 2018年)

2024/06/13 07:19更新

nakamura takeshi


中村武志と同じ誕生日3月17日生まれ、同じ京都出身の人

玉森 裕太(たまもり ゆうた)
【Kis-My-Ft2】
1990年3月17日生まれの有名人 東京出身

玉森 裕太(たまもり ゆうた、1990年3月17日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント。男性アイドルグループ・Kis-My-Ft2のメンバー。愛称は、玉ちゃん、タマ。 東京都出身。STARTO E…

早見 あかり(はやみ あかり)
1995年3月17日生まれの有名人 東京出身

早見 あかり(はやみ あかり、1995年〈平成7年〉3月17日 - )は、日本の女優。東京都出身。スターダストプロモーション所属。既婚。 東京都出身。小学校卒業間近に、現在の事務所にスカウトされ芸…

南 なつ(みなみ なつ)
2001年3月17日生まれの有名人 東京出身

南 なつ(みなみ なつ、2001年3月17日 - )は、日本のアイドル。女性アイドルグループ・CANDY TUNEのメンバー。アソビシステム所属。東京都出身。 2018年から2022年11月までグ…

山本 陽子(やまもと ようこ)
1942年3月17日生まれの有名人 東京出身

山本 陽子(やまもと ようこ、1942年〈昭和17年〉3月17日 - 2024年〈令和6年〉2月20日)は、日本の女優。東京府東京市(現東京都)中野区出身。株式会社三陽企画所属。國學院高等学校卒業。 …

松尾 嘉代(まつお かよ)
1943年3月17日生まれの有名人 東京出身

松尾 嘉代(まつお かよ、1943年〈昭和18年〉3月17日 - )は、日本の女優。東京市(現東京都)目黒区下目黒出身。 1970年代末から1990年代前半において、サスペンス(2時間)ドラマに多…

牧 よし子(まき よしこ)
1921年3月17日生まれの有名人 東京出身

牧 よし子(まき よしこ、1921年3月17日 - 没年不詳)は、東京都出身の女優。山脇学園高等女学校卒。趣味は朗読。 本名は大木よし子。 以前は劇団俳優座、仕事に所属していた。 ウルトラQ …

郷田 真隆(ごうだ まさたか)
1971年3月17日生まれの有名人 東京出身

郷田 真隆(ごうだ まさたか、1971年3月17日 - )は、将棋棋士。棋士番号は195。東京都練馬区出身。大友昇九段門下。いわゆる「羽生世代」の一人。駿台学園中学校・高等学校卒業。 3歳の頃に、…

宮下 典子(みやした のりこ)
3月17日生まれの有名人 東京出身

宮下 典子(みやした のりこ、3月17日 - )は、日本の女性声優。オフィス薫所属。東京都出身。 オフィス薫附属声優養成所第13期卒業生。 人物 音域はメゾソプラノ〜アルト。 趣味は観劇、歌…

伊藤 牧子(いとう まきこ)
1937年3月17日生まれの有名人 東京出身

伊藤 牧子(いとう まきこ、1937年3月17日 - )は、日本の女優、声優。東京市四谷区(現・東京都新宿区)出身。 夫は劇団俳優座の加藤剛。加藤とは早稲田大学演劇サークル「自由舞台」(のちの早稲…

伊崎 充則(いさき みつのり)
1977年3月17日生まれの有名人 東京出身

伊嵜 充則(いさき みつのり、1977年3月17日 - )は、日本の俳優。東京都出身。ABP inc.所属。身長167cm、血液型はAB型。妻は写真家の齋藤真理。芸名を伊崎 充則としていたが、現在は「…

石川 郁二郎(いしかわ いくじろう)
1892年3月17日生まれの有名人 京都出身

3月17日生まれwiki情報なし(2024/06/13 04:35時点)


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1946年1月15日生まれの有名人 群馬出身

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中村 豪(なかむら つよし)
【やるせなす】
1975年3月22日生まれの有名人 東京出身

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中村 豪_(野球)(なかむら たけし)
1942年6月28日生まれの有名人 愛知出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 中村 豪(なかむら たけし、1942年6月28日 - )は、愛知県名古屋市出身の高校野球指導者。 選手としての現役時代は名古屋電気…

中村 茂_(政治家)(なかむら しげる)
1920年11月9日生まれの有名人 長野出身

中村 茂(なかむら しげる、1920年(大正9年)11月9日 - 2012年(平成24年)12月19日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。 長野県小県郡殿城村(現上田市)生まれ。19…

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中村 茂(なかむら しげる、明治34年(1901年)4月2日 - 昭和53年(1978年)2月6日)は、NHKのアナウンサー。 東京府出身。1923年東京商科大学(現一橋大学)附属商学専門部卒業…

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中村 愛(なかむら あい、1986年2月25日 - )は、日本のタレント。愛知県名古屋市生まれ。身長162cm、B88cm、W59cm、H86cm、足のサイズ23.5cm。血液型A型。浅井企画所属。本…

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井澤 愛(いざわ あい、旧姓:中村。1981年6月4日 - )は、NHKの元アナウンサーでフリーアナウンサー。 小学生時代、「ひらけ!ポンキッキ」の体操(ダンス?)のコーナーに出演。國學院大學久我…

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中村 容子(なかむら ようこ、1966年9月5日 - )は山梨県出身のアナウンサー、タレント。 NHK甲府放送局所属のキャスターを経て、現在は古舘プロジェクトに、タレントとして所属。 ニュース番組や…

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