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野口二郎の情報 (のぐちじろう)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

野口二郎の情報(のぐちじろう) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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野口 二郎さんについて調べます

■名前・氏名
野口 二郎
(読み:のぐち じろう)
■職業
野球選手
■野口二郎の誕生日・生年月日
1920年1月6日 (年齢2007年没)
申年(さる年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
愛知出身

野口二郎と同じ1920年生まれの有名人・芸能人

野口二郎と同じ1月6日生まれの有名人・芸能人

野口二郎と同じ出身地愛知県生まれの有名人・芸能人


野口二郎と関係のある人

岩本章: 阪急では山田伝・野口二郎らと併用されるなど、準レギュラー格であった。


白木義一郎: 春は2回戦で中京商業の野口二郎と投げ合うが0-4で敗れる。


阿部八郎: このシーズンはチームでは野口二郎(15勝)に次ぐ14勝を挙げた。


古川清蔵: 5月12日の対南海軍戦で川崎徳次からサヨナラ本塁打を放つと、5月24日の大洋戦では、2点ビハインドの9回に野口二郎から同点本塁打を放っている。


今西錬太郎: 1948年には自己最多の23勝(17敗)、1949年は19勝(19敗)し、野口二郎・天保義夫らと共に1リーグ時代の阪急の中心投手して活躍した。


浜崎真二: この1947年の公式戦は9月28日南海戦で総監督ながらマウンドに上がり別所昭と投げ合い、初回先頭打者の安井亀和に本塁打を打たれるも6回を2失点に抑え、野口二郎の救援を仰いで45歳で初登板初勝利。


平松政次: 2024年現在、NPBの200勝投手の中で春の選抜高校野球または夏の甲子園の優勝投手でもあるのは野口二郎(1937年夏、1938年春・プロ237勝)と平松政次(1965年春・プロ201勝)の2人だけである。


天野久: 1959年(昭和34年)の三選目では保守陣営の反天野派が山梨日日新聞社社長の野口二郎の擁立を試みるが失敗し、小林信一が対抗馬として立候補した。


島秀之助: 実際にカウント0-2から古川清蔵が、野口二郎から起死回生の同点2ランホームランを放ち、試合は28回(3時間47分)の死闘となった。


天保義夫: 1946年から5年連続2桁勝利を挙げ、戦後から両リーグ分立前後にかけて、野口二郎・今西錬太郎らとともに阪急の主戦投手を務めた。


仲野太賀: 1942年のプレイボール(2017年8月12日、NHK総合) - 野口二郎


別所毅彦: 同年11月10日の対大洋戦で初登板、野口二郎と投げ合い1失点で完投するが、1-0で敗戦投手となっている。


西沢道夫: 大洋の鉄腕野口二郎と投げあい、世界最長となる延長28回を311球で完投した。


藤村隆男: 野口明・野口二郎、金田正一・金田留広と並んで、最も実績を残した兄弟選手の一つと言える。


五井孝蔵: 1951年、9月16日の対阪急ブレーブス戦で、野口二郎からパ・リーグ史上初、日本プロ野球史上3人目の代打サヨナラ本塁打を放っている。


中尾碩志: この試合の4回には、無死一塁から野口二郎にライト前に落ちる打球を打たれるが、右翼手・中島治康の好返球で、一塁走者尾茂田叶が二塁封殺され、ライトゴロになる幸運もあった。


小野正一: 入団当初は一塁手も兼ねていたが、野口二郎コーチの目に留まり投手に専念する。


石本秀一: 戦前の大投手・野口二郎の著書『私の昭和激動の日々』にも石本の件が出ている。


田所善治郎: 全試合完封勝利でのセンバツ優勝は戦前の野口二郎、大島信雄に次ぐ史上3人目であった。


青田昇: 1946年は野口二郎とクリーンナップを組んで3番を打ち、リーグ11位の打率.294を記録。


杉浦忠: 1960年も31勝を挙げ、シーズン30勝以上を2度以上記録したのも杉浦以外にはスタルヒン、野口二郎、別所毅彦、杉下、稲尾和久、金田正一、権藤博だけの大記録を達成した。


宗宮房之助: 優勝時のメンバーに野口二郎(のち翼軍,西鉄軍,阪急)、原田徳光(のち中日)、石井豊(のち翼軍、大洋軍。


杉下茂: 名球会が発足した当時の存命者では別所毅彦、野口二郎、藤本英雄(通算200勝以上)、川上哲治(通算2000本安打以上)も同様の理由で対象外となっている。


若林忠志: 以後シーズン20勝以上を6度記録し、ヴィクトル・スタルヒンや野口二郎と共に、戦中から戦後復興期の日本を代表する投手として活躍を続けた。


今西練太郎: 1948年には自己最多の23勝(17敗)、1949年は19勝(19敗)し、野口二郎・天保義夫らと共に1リーグ時代の阪急の中心投手して活躍した。


野上正義: 破れた肉体(1969年) - 野口二郎


吉原正喜: 主将として出場した1937年夏の甲子園では川上とバッテリーを組むが、決勝戦で野口二郎を擁する中京商に惜しくも敗れ、2度目の準優勝となった。


野口明: 1937年は、春・秋ともに最多投球回数を投げ、その鉄腕は弟の野口二郎を彷彿とさせるものであった。この試合で大洋軍の先発投手として28回を1人で投げ切ったのは弟の野口二郎であった。


田中達夫: 野口二郎との投げ合いを制し、初勝利を挙げている。


石本秀一: こういうことは石本が初めてだろう、と前述の野口二郎の著書にも書かれている。


野口二郎の情報まとめ

もしもしロボ

野口 二郎(のぐち じろう)さんの誕生日は1920年1月6日です。愛知出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

兄弟、現在、引退、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。2007年に亡くなられているようです。

野口二郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

野口 二郎(のぐち じろう、1920年1月6日 - 2007年5月21日)は、日本のプロ野球選手。愛知県名古屋市生まれ。

通算237勝。シーズン無四球(13無四球)、シーズン完封(19完封)の日本記録保持者。また、史上3人目のシーズン防御率0点台を達成した。

明、二郎、昇、渉とプロ野球選手を輩出した野口四兄弟の次兄。中等学校野球で2度の優勝を飾り、プロ入り後は多投の中で好記録を残したことから「鉄腕」と称された。

また、投打に活躍した選手であり、元祖「二刀流」選手である。

中京商業学校(現・中京大学附属中京高等学校)時代は1937年夏と1938年春の甲子園大会で瀧正男とバッテリーを組み、主戦投手として優勝。1937年夏の決勝は川上哲治の熊本工業学校に投げ勝つ。1938年春は、ノーヒットノーラン1試合(対海草中学)を含む4試合連続完封勝利という選抜大会記録を作る。

中京商から旧制法政大学に進むが中退し1939年に東京セネタースに入団。1年目に33勝をあげると、翌1940年も33勝、さらに防御率0.93で最優秀防御率のタイトルを獲得。1942年5月23日の朝日戦ではあわやノーヒットノーランの快投を演じた。林安夫に安打を打たれ大記録はならなかったが、翌24日の対名古屋軍戦(後楽園球場)も先発登板する。この試合では当時世界最長の延長28回を344球で先発完投(名古屋軍の先発投手・西沢道夫も共に完投)。前日との完投と合わせて37回の連投だった。同年は66試合に登板しリーグ1位の40勝、264奪三振を記録した。シーズン40勝はヴィクトル・スタルヒン・稲尾和久(ともに42勝)に次ぐ記録で、戦後の一時期にスタルヒンの記録が40勝とされていたときには日本記録保持者でもあった。この年のシーズン19完封は翌年に藤本英雄がタイ記録を作ったものの、現在もプロ野球タイ記録。翌1943年25勝をあげて応召。

戦後の1946年に阪急に復帰。1947年には56試合に登板し24勝とタフさは変わらぬように見えたが、応召によって筋力は低下しており、以後徐々に打者としての出場が増加していったが、1946年に当時日本記録の31試合連続安打(8月29日 - 10月26日)を記録した。1953年限りで選手を引退

投手として実働12年で登板517試合、通算237勝。特に戦前・戦中は5年間で平均登板58試合、平均勝数31勝、平均投球回数は419回に及び、「鉄腕」の名にふさわしいタフネスぶりを発揮した。

一方、打者としても優秀であり、登板しない日は野手として出場するという「二刀流」を10年以上続けた。また、高校野球でよく見られるような、野手として先発出場した日にリリーフ登板する試合もあった。規定投球回数と規定打席の両方を満たしたシーズンが6回あり、そのうち1940年と1946年は両方でベスト10入りしている。上記の通り連続試合安打記録を樹立するなどし、通算830安打を記録。

プロ通算237勝は甲子園大会で優勝経験のある投手としては最多勝記録であり、NPBの200勝投手の中で春の選抜甲子園または夏の甲子園の優勝投手でもあるのは野口二郎(1937年夏、1938年春・プロ237勝)と平松政次(1965年春・プロ201勝)の2人だけである。そして、200勝投手の中でプロで現役選手として優勝を経験していないのもまた野口と平松のみである(いずれも2024年時点)。

1950年の与四球14は2022年に加藤貴之に更新されるまでシーズン規定投球回到達者の最小与四球記録だった。

大正生まれのため、200勝投手ではあるが名球会への入会資格対象外となっている。

引退後は毎日・阪急のコーチ、近鉄二軍監督などを歴任した。西本幸雄と親しく、これらの球団でも西本が監督のときにコーチなどを務めることが多かった。後に西本は「野球の経歴は彼の方がよっぽど輝かしいが、偉ぶることもなく献身的に支えてくれた」とふりかえった。1989年に野球殿堂入り。

2007年5月21日に肺炎のため兵庫県宝塚市の病院で死去。87歳没。

阪急時代の1946年8月29日から10月26日にかけて、野口は出場した31試合連続安打の記録を達成したが、これは当時の日本プロ野球記録だった。翌10月27日の対巨人戦において、巨人の先発藤本英雄に75球の当時の日本最少投球記録でチームは完封負けしており、野口も藤本に3打席無安打に抑えられ、連続試合安打記録は途切れている。

達成当時は日本記録として知られることはなく、翌1947年に金星スターズの坪内道則が25試合連続安打を記録した際にはこれが日本記録とされている(その後、中日ドラゴンズの西沢道夫も1949年に野口の記録発掘前にタイ記録を達成)。これは野口が野手ではなく、投手だったために試合出場が飛び飛びであった事が理由で見落とされたと考えられ(とは言え、1946年シーズン104試合中96試合に出場しているのでその理由も信憑性は薄く、戦後まもなくであり記録の把握が十分にされていなかっただけと思われる)、1949年に日本プロ野球の記録に関する再調査が行われた際に、野口が記録していたことが判明している。この記録を「発見」したのはパ・リーグ記録員だった瀬上保男だったが、当時は同じく記録員の山内以九士によるものとされ、瀬上が自身であることを公表したのは1991年のことだった。この発表はシーズン中におこなわれたため、野口はリーグに記録と表彰を申請し、シーズン最終日に特別表彰が実施された。

連続試合安打記録中の野口の記録は、31試合で131打数48安打で、二塁打3本、三塁打3本 本塁打0本、15打点、打率.368。この間、投手として13試合に登板、5勝5敗の成績で、うち7試合に先発し3試合に完投、12奪三振、自責点12で防御率は2.60だった。 この年、野口は投手として20試合に先発している一方で、57試合で外野手として先発出場している。

野口は坪内の26試合連続安打記録のかかった1947年9月6日対金星戦に登板して、坪内を4打数0安打で抑えて連続試合安打記録を止めており、結果として自分が記録していたことを知らずに、自らの投球で自らの記録を守った形になった。

1971年7月6日、阪急の長池徳二が野口の記録を更新したが、この時野口は阪急のコーチをつとめており、記録達成の場に居合わせることになった。

各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPBにおける歴代最高

セネタースは、1940年途中に翼(翼軍)に球団名を変更

大洋(大洋軍)は、1943年に西鉄(西鉄軍)に球団名を変更

セネタース(東京セネタース)は、1940年途中に翼(翼軍)に球団名を変更

大洋(大洋軍)は、1943年に西鉄(西鉄軍)に球団名を変更

最多勝利:1回 (1942年)

最優秀防御率:2回 (1940年、1941年)※2年連続は歴代3位タイ

最多奪三振:1回 (1942年)※当時連盟表彰なし

野球殿堂競技者表彰(1989年)

2年連続防御率0点台(1940年-1941年、史上唯一)

シーズン19完封勝利(1942年。藤本英雄と並ぶ世界タイ記録)

シーズン13無四球試合(1948年)

シーズン14与四球(1950年)※規定投球回数到達者最少記録の歴代2位。2022年までのプロ野球記録。

54.1投球回連続無四死球(1950年10月22日 - 11月19日)

1試合344投球数(1942年5月24日、プロ野球記録)※延長28回での記録

31試合連続安打(1946年8月29日 - 10月26日)※歴代3位。達成当時はプロ野球記録。

1000試合出場:1951年9月1日(9人目)

毎回奪三振:1940年5月6日、延長11回を15奪三振。延長回までの毎回奪三振は日本プロ野球初

最高勝率無しでの通算勝率.6303 ※2000投球回以上での歴代最高

18 (1939年 - 1943年、1946年 - 1953年)

1 (1954年)

55 (1955年 - 1956年)

52 (1957年 - 1961年)

30 (1962年 - 1966年)

62 (1969年 - 1973年)

67 (1979年 - 1985年)

太賀 - 「1942年のプレイボール」(NHK総合「土曜ドラマスペシャル」、2017年8月12日)

^ 元々二刀流としての出場をする選手であり、この年は投手として33試合、野手として63試合に出場した。

^ “大竹寛の「17シーズン目に100勝」は史上最遅。「12勝以上のシーズンなしで100勝」も史上初(宇根夏樹)”. Yahoo!ニュース. (2019年8月13日). https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d697cecb0d3edbaf9ede3f19c5a81b0644e9b0a4 2020年3月22日閲覧。 

^ 野口 二郎 - 野球殿堂博物館

^ 年度別成績 1940年

^ 『プロ野球に関する12章』(新大阪新聞社、1954年)45頁

^ 年度別成績 1942年

^ 年度別成績 1946年

^ “日本ハム・加藤貴之が72年ぶりに記録更新 規定投球回到達でのシーズン最少与四球「11」”. サンスポ (2022年9月26日). 2022年9月26日閲覧。

^ 『毎日新聞』2007年5月22日付朝刊 (14版、19面)

^ 『朝日新聞』1989年1月21日付朝刊 (14版、25面)

^ 『読売新聞』2007年5月22日付朝刊 (14版、35面)

^ この節の出典は 講談社刊 宇佐美徹也著「プロ野球記録大鑑(昭和11年‐平成4年)」286ページ とする

^ 室靖治『「記録の神様」山内以九士と野球の青春』道和書院、2022年、pp.175 - 176

^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」692ページ

^ “太賀さん主演『1942年のプレイボール』制作開始!”. NHKドラマトピックス (NHKオンライン). (2017年5月29日). http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/6000/271676.html 2017年6月27日閲覧。 

愛知県出身の人物一覧

法政大学の人物一覧

翼軍の選手一覧

西鉄軍の選手一覧

オリックス・バファローズの選手一覧

兄弟スポーツ選手一覧

個人年度別成績 野口二郎 - NPB.jp 日本野球機構

60 ヴィクトル・スタルヒン

62 池田豊

63 中島治康

64 若林忠志

65 川上哲治、鶴岡一人

69 苅田久徳

70 天知俊一、二出川延明

72 石本秀一

74 藤本定義、藤村富美男

76 中上英雄

77 水原茂、西沢道夫

78 松木謙治郎、浜崎真二

79 別所毅彦

80 大下弘、小鶴誠

81 飯田徳治、岩本義行

83 三原脩

85 杉下茂、白石勝巳、荒巻淳

88 長嶋茂雄、別当薫、西本幸雄、金田正一

89 島秀之助、野村克也、野口二郎

90 真田重蔵、張本勲

91 牧野茂、筒井修、島岡吉郎

92 廣岡達朗、坪内道則、吉田義男

93 稲尾和久、村山実

94 王貞治、与那嶺要

95 杉浦忠、石井藤吉郎

96 藤田元司、衣笠祥雄

97 大杉勝男

99 中西太、広瀬叔功、古葉竹識、近藤貞雄

00 米田哲也

01 根本陸夫、小山正明

02 山内一弘、鈴木啓示、福本豊、田宮謙次郎

03 上田利治、関根潤三

04 仰木彬

05 村田兆治、森祇晶

06 門田博光、高木守道、山田久志

07 梶本隆夫

08 山本浩二、堀内恒夫

09 若松勉

10 東尾修

11 落合博満

12 北別府学、津田恒実

13 大野豊

14 野茂英雄、秋山幸二、佐々木主浩

15 古田敦也

16 斎藤雅樹、工藤公康

17 伊東勤

18 松井秀喜、金本知憲

19 立浪和義

22 髙津臣吾、山本昌

23 アレックス・ラミレス

24 谷繁元信、黒田博樹

09 青田昇

10 江藤慎一

11 皆川睦雄

13 外木場義郎

16 榎本喜八

17 星野仙一、平松政次

18 原辰徳

19 権藤博

20 田淵幸一

23 ランディ・バース

59 正力松太郎、平岡凞、青井鉞男、安部磯雄、橋戸信、押川清、久慈次郎、沢村栄治、小野三千麿

60 飛田忠順、河野安通志、桜井彌一郎

62 市岡忠男

64 宮原清

65 井上登、宮武三郎、景浦將

66 守山恒太郎

67 腰本寿

68 鈴木惣太郎、田邊宗英、小林一三

69 三宅大輔、田部武雄、森岡二朗、島田善介、有馬頼寧

70 田村駒治郎、直木松太郎、中馬庚

71 小西得郎、水野利八

72 中野武二、太田茂

73 内海弘蔵、天野貞祐、広瀬謙三

74 野田誠三

76 小泉信三

77 森茂雄、西村幸生

78 伊丹安広、吉原正喜、岡田源三郎

79 平沼亮三、谷口五郎

80 千葉茂

81 佐伯達夫、小川正太郎

82 鈴木龍二、外岡茂十郎

83 内村祐之

84 桐原眞二

85 田中勝雄、山内以九士

86 中河美芳、松方正雄

87 藤田信男、山下実

88 横沢三郎、芥田武夫、永田雅一

89 池田恒雄、伊達正男

90 佐伯勇

91 中澤良夫

92 吉田正男

94 廣岡知男

95 呉昌征、村上實

96 牧野直隆、保坂誠

97 山本英一郎

98 中尾碩志、井口新次郎

99 吉國一郎

00 福島慎太郎

01 武田孟、長谷川良平

02 中澤不二雄、生原昭宏

03 松田耕平

04 秋山登

05 志村正順

06 川島廣守、豊田泰光

07 松永怜一

08 嶋清一

09 大社義規、君島一郎

10 古田昌幸

12 長船騏郎、大本修

13 福嶋一雄

14 相田暢一

15 林和男、村山龍平

16 松本瀧藏、山中正竹

17 郷司裕、鈴木美嶺

18 瀧正男

19 脇村春夫

20 前田祐吉、石井連藏

21 川島勝司、佐山和夫

22 松前重義

23 古関裕而

24 谷村友一

02 フランク・オドール、正岡子規

03 ホーレス・ウィルソン、鈴鹿栄

1936秋 沢村栄治

1937春 沢村栄治

1937秋 西村幸生, V.スタルヒン, 野口明

1938春 V.スタルヒン

1938秋 V.スタルヒン

1939 V.スタルヒン

1940 須田博

1941 森弘太郎

1942 野口二郎

1943 藤本英雄

1944 若林忠志

1946 白木義一郎

1947 別所昭

1948 川崎徳次, 中尾碩志

1949 V.スタルヒン

1936秋 内藤幸三

1937春 沢村栄治

1937秋 沢村栄治

1938春 亀田忠

1938秋 V.スタルヒン

1939 V.スタルヒン

1940 亀田忠

1941 中尾輝三

1942 野口二郎

1943 藤本英雄

1944 藤本英雄

1946 真田重蔵

1947 別所昭

1948 中尾碩志

1949 武末悉昌

1936秋 景浦將

1937春 沢村栄治

1937秋 西村幸生

1938春 西村幸生

1938秋 V.スタルヒン

1939 若林忠志

1940 野口二郎

1941 野口二郎

1942 林安夫

1943 藤本英雄

1944 若林忠志

1946 藤本英雄

1947 白木義一郎

1948 中尾碩志

1949 藤本英雄

1941 三富恒雄

1942 野口二郎

1943 野口二郎

VIAF

日本

日本の野球選手

中京大学附属中京高等学校出身の野球選手

法政大学野球部の選手

翼軍及び東京セネタースの選手

西鉄軍及び大洋軍の選手

オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手

千葉ロッテマリーンズ関連人物

大阪近鉄バファローズ関連人物

日本の野球監督

最多勝利 (NPB)

最優秀防御率 (NPB)

最多奪三振 (NPB)

日本の野球殿堂表彰者

二刀流の野球選手

愛知県出身のスポーツ選手

名古屋市出身の人物

1919年生

2007年没

野球に関する記事

プロジェクト人物伝項目

ウィキデータにある日本野球機構選手識別子

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2024/11/19 17:22更新

noguchi jirou


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野口二郎と近い名前の人

野口 征吾(のぐち せいご)
【FLAME】
1984年10月19日生まれの有名人 東京出身

野口 征吾(のぐち せいご、1984年10月19日 - )は、日本の実業家、歌手、俳優。ダンスユニットFLAMEの元メンバー。東京都出身。血液型はA型。ヴィジョンファクトリー、EMALFを経て芸能事務…


野口 幸司(のぐち こうじ)
1970年6月5日生まれの有名人 千葉出身

野口 幸司(のぐち こうじ、1970年6月5日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、指導者、解説者。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。 船橋市立船橋高等学校ではインターハイ2連覇、高校選…

野口 ちえこ(のぐち ちえこ)
1990年10月13日生まれの有名人 東京出身

現在、削除の方針に従って、この項目の一部の版または全体を削除することが審議されています。 削除についての議論は、削除依頼の依頼サブページで行われています。削除の議論中はこのお知らせを除去しないでくださ…

野口 綾子(のぐち あやこ)
1982年4月6日生まれの有名人 埼玉出身

ホリプロ・アナウンス室|野口綾子 野口 綾子(のぐち あやこ、1982年4月6日 - )は、タレントMC、元グラビアアイドル。 事務所はホリプロ(アナウンサーズプロモーション)。埼玉県さいたま市出…

野口 由佳(のぐち ゆか)
1988年1月8日生まれの有名人 埼玉出身

野口 由佳(のぐち ゆか、1988年1月8日 - )は、かつてテンカラットに所属していた日本の元ファッションモデル、女優。 現在は東京・表参道にある美容室『ROI』(ロイ)所属のヘアメイクアップアー…

野口 径(のぐち みちこ)
1981年7月4日生まれの有名人 神奈川出身

野口 径(のぐち みちこ、1981年7月4日 - )は、日本の女優。神奈川県出身。トゥフロント所属。文学座42期生。 銀狼怪奇ファイル〜二つの頭脳を持つ少年〜(1996年、日本テレビ) - 生徒 役…


野口 聖古(のぐち せいこ)
1981年1月13日生まれの有名人 静岡出身

野口 聖古(のぐち せいこ、1981年1月13日 - )は、日本の女優、声優、ナレーター。J.CLIP、リベルタ所属。静岡県出身。 小早川伸木の恋(2006年、フジテレビ) - 仁美 役 がきんちょ…

野口 ふみえ(のぐち ふみえ)
1938年10月13日生まれの有名人 東京出身

野口 ふみえ(のぐち ふみえ、1938年10月13日 - )は、日本の女優。本名、宇野 ふみえ。旧姓名は芸名と同じ。夫は東宝プロデューサーの宇野博之。 東京府(現・東京都) 世田谷区出身。調布高校卒…

野口 早苗(のぐち さなえ)
1963年10月20日生まれの有名人 千葉出身

野口 早苗(のぐち さなえ、1963年10月20日 - )は、日本の女優、声優。千葉県出身。身長162cm。体重47kg。 1982年に円演劇研究所入所。1985年演劇集団 円会員昇格。 木曜ゴー…

野口 かおる(のぐち かおる)
1976年5月6日生まれの有名人 千葉出身

野口 かおる(のぐち かおる、1976年5月6日 - )は、日本の女優・ナレーター。千葉県市川市出身。クリオネ所属。血液型はA型、身長162cm。 大妻中学校・高等学校、早稲田大学教育学部教育学科社…

野口 裕司(のぐち ひろし)
1972年2月25日生まれの有名人 茨城出身

野口 裕司(のぐち ひろし、1972年2月25日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 1994年に当時ジャパンフットボールリーグ所属の京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)…


野口 恵(のぐち めぐみ)
1986年3月24日生まれの有名人 東京出身

野口 恵(のぐち めぐみ、1986年3月24日 - )は、日本のフリーアナウンサー。西日本放送の元アナウンサーで、プロサッカークラブ「東京ヴェルディ1969」のチームスタッフメンバーを務めていた。 …

野口 竜(のぐち りゅう)
1944年1月1日生まれの有名人 福岡出身

野口 竜(のぐち りゅう、1944年〈昭和19年〉1月1日 - 2012年〈平成24年〉1月2日、本名:野口 勝)は日本の漫画家、デザイナー、イラストレーター。別名:野口まさる、久留米東、野口太陽。福…

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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「野口二郎」を素材として二次利用しています。

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