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吉田豊彦の情報 (よしだとよひこ)
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【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

吉田豊彦の情報(よしだとよひこ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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吉田 豊彦さんについて調べます

■名前・氏名
吉田 豊彦
(読み:よしだ とよひこ)
■職業
野球選手
■吉田豊彦の誕生日・生年月日
1966年9月4日 (年齢58歳)
午年(うま年)、乙女座(おとめ座)
■出身地・都道府県
大分出身

(昭和41年)1966年生まれの人の年齢早見表

吉田豊彦と同じ1966年生まれの有名人・芸能人

吉田豊彦と同じ9月4日生まれの有名人・芸能人

吉田豊彦と同じ出身地大分県生まれの有名人・芸能人


吉田豊彦と関係のある人

廣瀬純: 初打席:2001年4月5日、対阪神タイガース3回戦(広島市民球場)、8回裏に吉田豊彦の前に空振り三振


野林大樹: 初打席:1989年4月12日、対福岡ダイエーホークス2回戦(大阪スタヂアム)、9回裏に栗橋茂の代打として出場、吉田豊彦の前に三振


田村藤夫: 1000本安打:1994年4月30日、対福岡ダイエーホークス2回戦(東京ドーム)、9回裏に吉田豊彦から ※史上176人目


松修康: ^ 松の入団前は、1989年から1990年途中まで山内和宏、1993年オフまで村田勝喜、1997年オフまで渡辺智男、1998年途中まで吉田豊彦


王貞治: 試合は初回、秋山幸二の本塁打で先制したものの、先発の吉田豊彦が逆転を許し、9回表に吉永幸一郎の本塁打で1点差まで迫るが、2-3で近鉄に敗れた。


伊藤敦規: 1998年は葛西稔・弓長起浩・吉田豊彦とともに貴重な中継ぎ投手として起用され、一軍公式戦50試合の登板で2勝3敗・防御率2.87を記録し、シーズン終了後には年俸4,900万円(推定)で契約更改した。


吉永幸一郎: 最優秀バッテリー賞:1回 (1994年 投手:吉田豊彦


タイラー=バークレオ: 初本塁打・初打点:同上、4回裏に吉田豊彦から右越満塁本塁打


宅和本司: のちに南海の後身である福岡ダイエーホークスや大阪近鉄バファローズにも所属した吉田豊彦は遠戚に当たるという(宅和の父が、吉田の父方の祖母ときょうだい)。


濱将乃介: このシーズンより監督に就任した吉田豊彦の指導で体力増強に励んだ。


上田浩明: 初安打:1994年6月26日、対福岡ダイエーホークス8回戦(西武ライオンズ球場)、2回裏に吉田豊彦から


内川聖一: 父親が大分県立国東高等学校の野球部の監督を務めていた頃の教え子が吉田豊彦であり、子供の頃からの知り合いだった。


平間凜太郎: 高知在籍当時の監督だった吉田豊彦は、「普段はとても礼儀正しく真面目で素直な良い子ですが、野球に関する話題になると我が強すぎて、指導者の意見を受け入れられないこともある」と評している。


濱将乃介: 高知ファイティングドッグスの監督である吉田豊彦は守備に対しての集中力を欠いている点や、スランプ時に考えすぎる点、三振する際はいつも同じパターンである点を指摘しつつも濱の素材を評価している。


斉藤貢: ^ “王”間違い!ピッチャー吉田豊彦のはずが…


吉岡雄二: 1996年は、オープン戦でダイエーホークスのヒデカズ、吉田豊彦、武田一浩という主力投手から3本塁打を放つなど好調で、開幕を一軍で迎える。


新庄剛志: 3月28日、開幕2戦目となる大阪ドームでの大阪近鉄バファローズ戦で吉田豊彦から、北海道日本ハムとしての球団第1号本塁打を記録。


上田浩明: 初盗塁:同上、2回裏に二盗(投手:吉田豊彦、捕手:安田秀之)


藤井皓哉: トライアウト後は独立リーグ、台湾プロ野球、社会人野球から接触があった中、監督の吉田豊彦が直接出向いて「先の安定を求めるなら社会人。


徳元敏: その後はベテランの吉田豊彦が不調で二軍落ち、後半には抑えの福盛和男、ベテランの小倉恒が2度の二軍落ちするなどリリーフ陣に陰りが見えても1軍に昇格できず、僅か2試合の登板に終わり10月2日に球団から戦力外通告を受けた。


加藤正樹: 8月14日には一軍で吉田豊彦から初ホームランを放ち、10.19では代打として出場している。


前田大輔: 初打席:同上、9回表に吉田豊彦から中飛


大田勇治: 初安打:1992年4月16日、対福岡ダイエーホークス2回戦(平和台球場)、5回表に田中実の代打として出場、吉田豊彦から


杉浦忠: 投手陣では吉田豊彦が10勝を挙げてローテーション入り、加藤伸一が初の二桁勝利の12勝を挙げ、井上が27SPでチーム初のタイトル(最優秀救援投手)を取った。


吉永幸一郎: 同期入団には吉田豊彦、大道典嘉、村田勝喜、柳田聖人などがいた。


藤田浩雅: 1988年6月18日の南海戦(西宮)で吉田豊彦から日本プロ野球史上5人目となる代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放つ。


吉川勝成: 開幕第2戦の北海道日本ハムファイターズ戦で、9回表に吉田豊彦からSHINJOが勝ち越し3ラン本塁打を放った後に登板し、エンジェル・エチェバリアを3球三振で抑えると、その裏に相手失策などでの2死満塁からラリー・バーンズ・中村紀洋の連打でチームは逆転サヨナラ勝ちを収め、幸運なプロ初勝利を挙げた。


山崎武司: 7月12日の対阪神戦で7回裏に吉田豊彦から史上114人目となる通算150号本塁打を放つ。


加藤正樹: 初安打・初打点・初本塁打:1988年8月14日、対南海ホークス16回戦(大阪スタヂアム)、6回表に吉田豊彦から右越ソロ


藤本俊彦: 初安打・初打点:同上、吉田豊彦から


吉田豊彦の情報まとめ

もしもしロボ

吉田 豊彦(よしだ とよひこ)さんの誕生日は1966年9月4日です。大分出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

卒業、事件、引退に関する情報もありますね。去年の情報もありました。吉田豊彦の現在の年齢は58歳のようです。

吉田豊彦のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

吉田 豊彦(よしだ とよひこ、1966年9月4日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。

小学3年時に野球を始める。大分県立国東高等学校に進学し、高校1年秋からエース。2年生時には1983年夏の甲子園大分大会決勝に進出するが、中津工に延長11回2-4で敗退し、甲子園行きはならなかった。当時の監督は、内川聖一の父である内川一寛。1学年下には吉田と同じサウスポーの弓長起浩がいる。卒業後は本田技研熊本に進む。1987年の都市対抗にニコニコドーの補強選手として出場。

同年のドラフト会議で立浪和義を外した南海ホークスにドラフト1位で指名され、契約金5500万円、年俸600万円(いずれも推定)で入団(ただし、スポーツニッポンの選手名鑑においては、契約金の項目が2800万円と記されている)。契約金で実家の牛を買った。ドラフト1位指名であったものの、球団からは「1位で指名したが、君の評価は3位。だからウチは3位としての契約金や年俸しか払えない。それでもよかったらウチに来てくれ」と言われたという。プロ入りが夢だった吉田はこれを受け入れたが、身売り前の南海球団は財政難だったため、契約金・年俸共に分割払いとなった。

1988年は速球とチェンジアップを武器に、ルーキーながら一軍に定着し、主にリリーフとして登板し、防御率4点台と安定感を欠いたものの43試合に登板し、チームに貢献した。

1989年(2年目)は先発ローテーション入りし、初の2桁となる10勝を記録した。

1990年は田淵幸一が監督に就任したが、この年は5勝10敗・防御率5.01と成績を落とした。

1991年も4勝6敗・防御率4.17と成績を落とした。

1992年は2度目の2桁勝利(11勝)で、初のオールスターゲームに出場した。3完封は前年の初完封の相手でもある日本ハムファイターズから全て挙げた。

1993年からは根本陸夫監督の下福岡ドーム元年となったが同年は7勝14敗・防御率4.62の成績で終わった。

1994年は開幕投手を務め、4月には4勝3完投1完封で月間MVP受賞、2度目のオールスターゲーム出場を果たした。同年はオールスター前に2桁勝利リーグ一番乗りをし、8月5日時点でハーラートップの11勝(5敗)を挙げチームは1位西武とゲーム差1の2位となり自身も最多勝のタイトルの可能性があったものの、ここから吉田は1勝6敗と大きく負け越しチームも吉田の不調をカバーするのがやっとの5割前後の勝率しかできず4位に終わる。自身は自己最多12勝を挙げたが11敗と貯金がわずか1に終わった。またシーズン終了後、同期入団で3歳下の吉永幸一郎と共に最優秀バッテリー賞を受賞した。

1995年は新監督に王貞治が就任した。同年はチーム二位の8勝(8敗)の成績を残した。

1996年は不振に陥り、18試合の登板で1勝3敗・防御率5.41でシーズンを終えた。5月9日の「生卵事件」が起きた日の試合は先発投手だった。

1997年は先発での登板は3試合の登板に終わり、中継ぎで投げることが多かった。最終的に27試合に登板したものの防御率6.14と安定感を欠いた。オフにはFA権の行使を示唆するも、王監督らの慰留があり、行使せずに残留した。

1998年は入団以来の背番号11をエースナンバー18に変更し心機一転を図るが、開幕から一軍での登板はなくシーズン途中に金銭トレードで阪神タイガースに移籍した。この期間の吉田の様子を追った番組「にんげんドキュメント"二軍"」(NHK制作)が放送され話題となった。番組では、吉田が雁ノ巣球場で若手選手と共に汗を流す様子や、当時の二軍監督だった石毛宏典が二軍選手達を集めて吉田のトレードが決定したことを伝え、「野球選手である以上トレードはある意味で宿命である」と訓示を述べるシーンが登場した。

監督の吉田義男、投手コーチの小山正明の下で、制球難を克服するために投球フォームをスリークォーターに改造した。移籍直後の1998年は当初は先発として期待されたが結果が残せず、チームのリリーフ左腕不足もあり主に中継ぎとして44試合に登板したが防御率5.19と安定感を欠いた。

1999年は野村克也が監督に就任し、先発で14試合に登板した。5月15日対中日戦では、9回二死無走者2ストライク(2ボール)まで0点に抑えて5年ぶりの完封まで“あと1球”だったが、その後四球・四球・安打で完封はならず、後を継いだベン・リベラも打たれて勝利投手を逃し、野村に「何年ぶりかの完封というから・・・。もう温情はかけん」と言われた。同年の最終的な登板数は23試合だったが2勝8敗とこの年も成績を残せなかった。

2000年は再び中継ぎとなったが安定感を欠き、24試合しか登板できなかった。

2001年はわずか8試合の登板にとどまり、オフに戦力外通告を受けた。結局、阪神時代の4年間はわずか7勝しか挙げられなかった。オフに大阪近鉄バファローズのテストを受けて近鉄に入団。

2002年は中継ぎの敗戦処理での起用が多かったものの徐々に監督の梨田昌孝からの信頼を得るようになりシーズン終盤では試合の勝敗を左右する場面を任されるまでに至った。42試合に登板して防御率2.10を記録した。またこの年近鉄は2位となり自身初めてのAクラス入りを経験した。

2003年は自身3度目となるオールスターゲームにも出場した。第1戦の9回に登板したが、読売ジャイアンツの高橋由伸に同点本塁打を打たれ勝利に導けなかった。シーズンでは前年まで抑えを務めた大塚晶文が中日ドラゴンズに移籍したこともあり抑え投手不在となったことから15年ぶりのセーブを記録するなど自己最多の60試合に登板して2年連続で防御率2点台を記録し、セットアッパー並びにストッパーとして好成績を収めた。

2004年8月22日の対北海道日本ハムファイターズ戦で500試合登板、同月25日の対西武ライオンズ戦では1500投球回数、9月22日のオリックス戦では1000奪三振、と節目の記録を続々と達成した年となった。なお、9月22日の対オリックス・ブルーウェーブ戦では早川大輔から三振を奪ってゲームを締めてセーブ投手となったが、これは近鉄球団最後のセーブとなった。シーズン通しては過去2年間の蓄積疲労からかやや打ち込まれる場面が目立ち負け数が6を記録し、防御率こそ4点台に悪化したが左のリリーフとして56試合に登板した。その後、11月に行われた球団合併に伴う分配ドラフトで新規球団の東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍する。

2005年は初代監督田尾安志の下でプレー。この年の楽天は実績はあるものの他球団を戦力外となった選手や無償トレードで入団した選手などが多く、峠を越えたベテラン選手が多かった。それらの選手が結果を残せず二軍に降格する選手も多く、チームも100敗ペースで負け続けるなど選手層の薄さが露呈していた。吉田もベテランとなったが主にセットアッパーとしてチーム最多の50試合に登板し、衰えを感じさせない投球を見せて防御率3.40を記録した。

2006年は阪神を戦力外となった時の監督でもある野村克也が監督に就任し、同一チームになった。野村が茶髪、長髪、ヒゲ禁止令を出したため、トレードマークであったヒゲを剃り落とした。9月5日の対オリックス17回戦で600試合登板を達成した。同年も前年に多くのベテラン選手を解雇したとはいえ、駒不足の解消には至らなかったが層の薄い投手陣の中で41試合に登板、防御率3.19と安定感ある成績を収めたが、中でも31イニング投げ被本塁打0の好成績だった。

2007年は開幕一軍入りしたが怪我の影響もあってか打ち込まれ、開幕から20日ほどで二軍落ちした。その後も一軍に復帰しては再度降格を繰り返した。吉田と同じ左腕の有銘兼久、渡邉恒樹など若手の台頭もあり、出番は少なかったが、安定感ある投球が戻りつつあった。しかし、9月30日に現役引退を表明。

引退試合は10月4日の千葉ロッテマリーンズ23回戦(フルキャストスタジアム宮城)の9回からリリーフ登板、先頭打者の竹原直隆にセンター前ヒットを打たれるも、今江敏晃から3球三振を奪い、20年に及ぶ選手生活を終えた。この試合では野村克也に直訴し、かつてのトレードマークであったヒゲを復活させて登場した。引退セレモニーでは関川浩一の後に引退挨拶をした。セレモニーでは大粒の雨の中、「まだまだ投げたい!!」と叫んだ。

吉田は南海の一軍でプレーした最後の現役選手で、その後の移籍などの結果、南海→ダイエーへの身売り、近鉄球団消滅、楽天球団創設を全て経験した唯一の選手となった。この年の対読売ジャイアンツ戦(6月9日、東京ドーム)では8回裏に吉田がリリーフ登板すると、代打大道がコールされ、元南海選手同士の最後の対決が実現した。結果は大道のライト前ヒットだった。

2007年の秋季キャンプからは楽天二軍投手コーチに転身し、11月2日に就任会見を行った。なお11月30日に自由契約公示された。2009年より同二軍育成コーチ(投手担当)に就任し2011年まで務めた。

2011年12月、2012年度より四国アイランドリーグplus・高知ファイティングドッグスの投手コーチに就任することが決まった。

2019年10月1日、駒田徳広の後任として、2020年シーズンより監督に就任することが発表された。2020年のNPBドラフト会議では石井大智が阪神から8順目で指名された。2021年は、9月に12年ぶりとなる後期優勝を達成。年間総合優勝をかけた、前期優勝の香川オリーブガイナーズとのリーグチャンピオンシップには0勝2敗で敗退した。2021年のNPBドラフト会議では、宮森智志が東北楽天ゴールデンイーグルスから育成選手枠1巡目で指名を受けた。2022年前期も優勝を達成、後期優勝の徳島インディゴソックスと対戦したリーグチャンピオンシップを2勝0敗で制し、高知に13年ぶりのリーグ年間総合優勝をもたらした。シーズン終了後にリーグから「年間最優秀監督」の表彰を受けた。2023年のシーズン終了後、同年シーズンの契約期間満了をもって監督を退任することが発表された。藤井皓哉、石井、宮森を育成した。

新聞や雑誌等でも選手名を「吉田豊」と表記されることが多く、ファンだけでなく、首脳陣や選手からも「よしだゆたか」と間違えて呼ばれることがよくあったと言う。逆に、中央競馬で吉田豊と言う騎手がいたことから、「俺、実は週末は騎手やってるんよ、騎手の欄に吉田豊と書いているやろ」と冗談で話すこともあったと言う。

楽天の本拠地・フルキャストスタジアム宮城では「鉄腕」と場内放送されていた。

南海ホークスで新人王を獲得した宅和本司は、遠戚に当たるという(吉田の父方の祖母が、宅和の父ときょうだい)。

各年度の太字はリーグ最高

南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

月間MVP:1回(投手部門:1994年4月)

最優秀バッテリー賞:1回(1994年 捕手:吉永幸一郎)

初登板:1988年4月10日、対西武ライオンズ2回戦(西武ライオンズ球場)、3回裏に2番手で救援登板、2回5失点(自責点0)

初奪三振:同上、3回裏に辻発彦から

初先発登板・初勝利・初先発勝利:1988年4月30日、対西武ライオンズ3回戦(大阪球場)、5回0/3を2失点

初セーブ:1988年5月22日、対近鉄バファローズ7回戦(秋田市営八橋球場)、8回裏に2番手で救援登板・完了、2回1失点

初完投勝利:1988年9月1日、対ロッテオリオンズ21回戦(川崎球場)、9回4失点

初完封勝利:1991年8月21日、対日本ハムファイターズ22回戦(山形県野球場)

初ホールド:2005年4月30日、対西武ライオンズ7回戦(フルキャストスタジアム宮城)、10回表に4番手で救援登板、1回無失点

1000投球回:1995年6月6日、対千葉ロッテマリーンズ10回戦(宮城球場) ※史上260人目

500試合登板:2004年8月22日、対北海道日本ハムファイターズ24回戦(大阪ドーム)、7回表に5番手で救援登板、1回無失点 ※史上74人目

1500投球回:2004年8月25日、対西武ライオンズ25回戦(西武ドーム)、7回裏三死目に柴田博之を左飛で達成 ※史上154人目

1000奪三振:2004年9月22日、対オリックス・ブルーウェーブ25回戦(大阪ドーム)、9回表に早川大輔から ※史上113人目

600試合登板:2006年9月5日、対オリックス・バファローズ17回戦(フルキャストスタジアム宮城)、9回表に救援登板、2/3回無失点 ※史上32人目

オールスターゲーム出場:3回(1992年、1994年、2003年) ※1990年も選出されるも出場辞退

11(1988年 - 1997年)

18(1998年)

91(1998年途中 - 2001年)

49(2002年 - 2007年)

82(2008年 - 2011年)

84(2012年 - 2023年

^ なお、南海では最後のドラフト1位指名選手である。

^ なお、近鉄、楽天時代のチームメイトの福盛和男も、球団身売り、球団消滅、球団創設を経験している。

^ 南海・ダイエー在籍時は1988年 - 1990年に吉田博之、1994年途中 - 1998年途中に吉田修司、阪神在籍時は全期間に吉田浩、2000年 - 2001年に吉田剛が同時に在籍していたため。

^ “ソフトバンク・内川父が監督 情報科学涙のサヨナラ負け”. スポニチ Sponichi Annex (2011年7月12日). 2022年8月28日閲覧。

^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

^ “【ダイエーホークス創世記(1)】薄給ブラックさも日本一…南海から脱皮”. サンケイスポーツ (2015年2月1日). 2015年2月1日閲覧。

^ 「負けたときはもっと厳しく書いて」 ダイエー監督時代の注文

^ 朝日新聞1999年5月15日大阪版20面

^ “【楽天】高浦氏ら4コーチと契約結ばず”. 日刊スポーツ (2011年10月20日). 2011年10月21日閲覧。

^ 高知FD 新投手コーチ決定のお知らせ 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2011年12月17日)

^ 吉田豊彦コーチ 新監督就任のお知らせ - 高知ファイティングドッグス(2019年10月1日)

^ 【四国リーグ・高知】吉田豊彦(元南海ほか)新監督就任。「監督として。変わる立場、変えないスタンス」(高田博史) - 個人 - Yahoo!ニュース

^ “阪神ドラ8石井大智、恩師の鉄腕吉田豊彦氏超え狙う”. 日刊スポーツ (2020年12月8日). 2020年12月8日閲覧。

^ “悔しさをばねに努力結実 高知ファイティングドッグス後期優勝”. 高知新聞. (2021年9月12日). https://www.kochinews.co.jp/article/detail/506015 2021年9月25日閲覧。 

^ 香川オリーブガイナーズ 3年ぶり7度目の総合優勝! - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2021年9月25日)2021年9月25日閲覧。

^ “楽天育成1位・宮森智志「田中将大投手のようになりたい」”. デイリースポーツ. (2021年10月11日). https://www.daily.co.jp/baseball/2021/10/11/0014753225.shtml 2022年9月25日閲覧。 

^ 前期優勝決定および4球団監督のコメント - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2022年6月6日)2022年9月25日閲覧。

^ 高知ファイティングドッグス 13年ぶり3度目の総合優勝! - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2022年9月24日)2022年9月25日閲覧。

^ https://www.iblj.co.jp/news/17512/ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2022年11月2日)2022年11月2日閲覧。

^ 吉田豊彦監督、勝呂壽統コーチ退任のお知らせ - 高知ファイティングドッグス(2023年10月30日)2023年10月30日閲覧。

^ “「これまた辛いニュース」「高知の功労者です」四国IL高知で12年間指導の名伯楽退団にファン衝撃、ソフトバンク藤井皓哉らNPBへ輩出”. 西スポ (2023年10月30日). 2023年11月2日閲覧。

^ 会津泰成 (2023年5月7日). “「引退試合はヒゲを生やして上がります」。寡黙な41歳、吉田豊彦の思わぬ直訴に野村克也監督は...”. 週プレNews. 2023年5月7日閲覧。

^ 「ベースボール・レコード・ブック1991」ベースボール・マガジン社 1990年12月発売 808p

大分県出身の人物一覧

福岡ソフトバンクホークスの選手一覧

阪神タイガースの選手一覧

大阪近鉄バファローズの選手一覧

東北楽天ゴールデンイーグルスの選手一覧

個人年度別成績 吉田豊彦 - NPB.jp 日本野球機構 ウィキデータを編集

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube

藤城和明 2005 - 2007

定岡智秋 2008 - 2013

弘田澄男 2014 - 2015

駒田徳広 2016 - 2019

吉田豊彦 2020 - 2023

定岡智秋 2024 -

1991 工藤公康 - 伊東勤

1992 石井丈裕 - 伊東勤

1993 金石昭人 - 田村藤夫

1994 吉田豊彦 - 吉永幸一郎

1995 平井正史 - 中嶋聡

1996 西口文也 - 伊東勤

1997 西口文也 - 伊東勤

1998 西口文也 - 伊東勤

1999 工藤公康 - 城島健司

2000 吉田修司 - 城島健司

2001 田之上慶三郎 - 城島健司

2002 豊田清 - 伊東勤

2003 斉藤和巳 - 城島健司

2004 三瀬幸司 - 城島健司

2005 渡辺俊介 - 里崎智也

2006 斉藤和巳 - 的場直樹

2007 成瀬善久 - 里崎智也

2008 岩隈久志 - 藤井彰人

2009 涌井秀章 - 銀仁朗

2010 杉内俊哉 - 田上秀則

2011 田中将大 - 嶋基宏

2012 吉川光夫 - 鶴岡慎也

2013 田中将大 - 嶋基宏

2014 金子千尋 - 伊藤光

2015 大谷翔平 - 大野奨太

2016 石川歩 - 田村龍弘

2017 菊池雄星 - 炭谷銀仁朗

2018 多和田真三郎 - 森友哉

2019 増田達至 - 森友哉

2020 千賀滉大 - 甲斐拓也

2021 山本由伸 - 若月健矢

2022 山本由伸 - 若月健矢

2023 山本由伸 - 若月健矢

2024 有原航平 - 甲斐拓也

1938秋 鈴木芳太郎

1939 政野岩夫

1940 清水秀雄

1941 神田武夫

1942 神田武夫

1943 清水秀雄

1944 清水秀雄

1946 松川博爾

1947 別所昭

1948 別所昭

1949 柚木進

1950 柚木進

1951 江藤正

1952 江藤正

1953 柚木進

1954 大神武俊

1955 柚木進

1956 柚木進

1957 野母得見

1958 杉浦忠

1959 杉浦忠

1960 杉浦忠

1961 J.スタンカ

1962 J.スタンカ

1963 J.スタンカ

1964 三浦清弘

1965 杉浦忠

1966 森中千香良

1967 皆川睦男

1968 皆川睦男

1969 泉嘉郎

1970 西岡三四郎

1971 西岡三四郎

1972 西岡三四郎

1973 江本孟紀

1974 江本孟紀

1975 江本孟紀

1976 山内新一

1977 山内新一

1978 山内新一

1979 藤田学

1980 山内新一

1981 山内新一

1982 山内新一

1983 山内孝徳

1984 山内和宏

1985 山内孝徳

1986 山内孝徳

1987 山内孝徳

1988 西川佳明

1989 山内孝徳

1990 藤本修二

1991 村田勝喜

1992 村田勝喜

1993 村田勝喜

1994 吉田豊彦

1995 工藤公康

1996 工藤公康

1997 武田一浩

1998 工藤公康

1999 西村龍次

2000 西村龍次

2001 西村龍次

2002 田之上慶三郎

2003 斉藤和巳

2004 斉藤和巳

2005 和田毅

2006 斉藤和巳

2007 斉藤和巳

2008 杉内俊哉

2009 和田毅

2010 杉内俊哉

2011 和田毅

2012 攝津正

2013 攝津正

2014 攝津正

2015 攝津正

2016 攝津正

2017 和田毅

2018 千賀滉大

2019 千賀滉大

2020 東浜巨

2021 石川柊太

2022 千賀滉大

2023 大関友久

2024 有原航平

1位:吉田豊彦

2位:若井基安

3位:柳田聖人

4位:大道典良

5位:吉永幸一郎

6位:村田勝喜

日本の野球選手

大分県立国東高等学校出身の人物

Honda熊本硬式野球部及びその前身チームの選手

福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手

阪神タイガース及びその前身球団の選手

大阪近鉄バファローズ及びその前身球団の選手

東北楽天ゴールデンイーグルスの選手

NPBオールスターゲーム選出選手

日本の野球監督

高知ファイティングドッグス

大分県出身のスポーツ選手

1966年生

存命人物

外部リンクがリンク切れになっている記事/2017年10月

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2024/11/19 13:53更新

yoshida toyohiko


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吉田 とし(よしだ とし)
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