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武藤敬司の情報 (むとうけいじ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【1月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

武藤敬司の情報(むとうけいじ) 格闘家/プロレス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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武藤 敬司さんについて調べます

■名前・氏名
武藤 敬司
(読み:むとう けいじ)
■職業
格闘家
プロレス
■武藤敬司の誕生日・生年月日
1962年12月23日 (年齢62歳)
寅年(とら年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
山梨出身

(昭和37年)1962年生まれの人の年齢早見表

武藤敬司と同じ1962年生まれの有名人・芸能人

武藤敬司と同じ12月23日生まれの有名人・芸能人

武藤敬司と同じ出身地山梨県生まれの有名人・芸能人


武藤敬司と関係のある人

神奈月: 以降は、それまで深夜番組で披露していた武藤敬司などの実験的なものまねもゴールデンタイムで披露できるようになった。


新崎人生: 2001年2月18日には白覆面の姿で新日本プロレスの武藤敬司対村上一成戦の最中に登場。


船木誠勝: 同期は武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也、野上彰(現:AKIRA)、森村方則(現:リッキー・フジ)。


辻義就: 2023年2月21日、プロレスリング・ノア東京ドーム大会にて武藤敬司vs蝶野正洋の実況を急遽行った。


小熊絵理: その際の衣装は、武藤ベアー(武藤敬司選手のコラボレーションキャラクター)のTシャツ。


如月さや: 「第2世代恵比寿マスカッツ」メンバー及び武藤敬司が旗揚げしたプロレス団体WRESTLE-1の公式サポーター「Cheer♡1」メンバーとして活躍。


大張正己: アントニオ猪木を「心の師匠」「(自分は)猪木と同じAB型」と語るほどの格闘技好きであるが、中でも主に新日本プロレスで活躍した武藤敬司の大ファンであり、「動画のタイミングは武藤敬司から学んだ」「(アーケードゲーム『闘魂列伝3』で)日本で1番、武藤を使って戦える」と明言している。


ダンディ坂野: 西原物産「DSG」(2019年 - 、石川ローカルCM)武藤敬司と共演


ウェイン=ブルーム: 翌1990年8月にはイーノスとのコンビで再来日し、両国国技館にて武藤敬司&蝶野正洋のIWGPタッグ王座に挑戦した。


清野茂樹: 武藤敬司の富士山からムーンサルトプレス(2023年7月1日、YBSラジオ)


武藤嘉紀: FC東京時代のチャントは、プロレスラー・武藤敬司の登場曲「HOLD OUT」が原曲。


真壁刀義: 9月21日に全日本プロレスへ流出したIWGPヘビー級王座を所持する武藤敬司とのタイトル戦に臨むも敗戦。


天龍源一郎: 年間最高試合賞(天龍源一郎 vs 武藤敬司、IWGPヘビー級選手権試合、5月3日・福岡国際センター)(1999年)


タイガー戸口: 2018年2月16日、武藤敬司がプロデュースするPRO-WRESTLING MASTERSの後楽園ホール大会に参戦、グレート小鹿&百田光雄と全日本プロレスOBトリオを組み、平成維震軍の越中詩郎、青柳政司、齋藤彰俊組から勝利を収めた。


丸藤正道: 武藤敬司は丸藤のレスラーとしての特徴を「三沢って、デーッとして力強さがあったりして、かといって寡黙な感じだけど、丸藤の方がもっと柔軟性に富んだ、要領のいいところを感じるんだよ」と2017年のインタビューにおいて三沢光晴との比較で表現している。


馳浩: 潮崎豪、清宮海斗とタッグを組み、武藤敬司、丸藤正道、田中将斗と対戦し勝利を収めた。


ディック=マードック: 1987年に新日本プロレスで勃発したNEWリーダー(長州力、藤波辰巳、前田日明、木村健吾、スーパー・ストロング・マシン)対NOWリーダー(アントニオ猪木、坂口征二、マサ斎藤、星野勘太郎、藤原喜明、武藤敬司)の対抗戦では、ゴングが鳴らんとする直前に猪木がマイクを持ち、「おーい出て来い」のGOサインで花道から現われ、星野に代わるNOWリーダーの助っ人として活躍した。


高田延彦: 数々のトラブルと選手離脱により倒産が現実味を帯びたUWFインターは新日本プロレスとの対抗戦に踏み切り、1995年10月9日「新日本プロレス VS UWFインターナショナル全面戦争」における大将戦・武藤敬司(IWGPヘビー級王者)戦に敗北したことで、最強を標榜してきた高田とUWFインターは決定的なイメージダウンを受ける。


秋山準: 三冠ベルトは大森、武藤敬司、太陽ケアの挑戦を退け4度の防衛を果たしたが、8月26日、船木誠勝に試合時間4分37秒で敗れて手放した。


ドリー=ファンク・ジュニア: 全日本プロレスUSA道場を設営するなど、全日本の社長だった武藤敬司とも良好な関係を築いていた。


辻義就: マサ斎藤を「獄門鬼」「戦うネロンガ」、橋本を「破壊天子」「爆殺シューター」、蝶野を「熱血バタフライ宣言」「極悪バタフライ」、武藤敬司を「プロレスファンタジー」「セクシャルターザン」「Sir.promenade」「ときめきのバージンレッド」、野上彰を「ムササビ殺法」、越中詩郎を「戦う白袴」「ド演歌ファイター」「ダイヤモンドより堅い尻」、大谷晋二郎の得意技「スワンダイブ」、小島聡の「日本一のラリアッター」「コジマカッター」(後に「コジコジカッター」で現在も定着)、高岩竜一の得意技「餅つき式パワーボム(エンドレスパワーボム)」、佐々木健介の「マッスルエリート」「マッスルボルケーノ」、などのネーミングは辻のオリジナルによるもの。


菊タロー: くいしんぼう仮面との「大阪名物世界一選手権試合」を中心とした爆笑を呼ぶ抗争、入場時のお賽銭パフォーマンス、武藤敬司のコピーである「えべ藤さん」、アブドーラ・ザ・ブッチャーのコピーの「えべドーラ・ブーチャン」など、有名レスラーの完璧なコピーで人気を博した。


尾崎由衣: 武藤敬司☆SHOW アシスタント(2007年、FIGHTING TV サムライ)


田上明: 9月27日に日本武道館で行われた三沢の追悼興行で、田上は全日本の武藤敬司と社長タッグを結成したが小橋&高山善廣組に敗れた。


清宮海斗: 途中、会場内の大型モニターにて、2月21日に東京ドームで行われる武藤敬司引退興行KEIJI MUTO GRAND FINALの全対戦カードが発表された。


スコット=ビガロー: 当初は敵対していたベイダーともスーパーヘビー級のコンビを組み、1992年3月1日に武藤敬司&馳浩からIWGPタッグ王座を奪取、6月26日にリック&スコットのスタイナー・ブラザーズに敗れるまでタイトルを保持した。


ブルーザー=ブロディ: 新日本プロレスから永久追放された半年後の1986年8月9日、新日本プロレスはハワイ遠征(参加したのは猪木、坂口征二、藤波辰巳、木村健吾、武藤敬司)を行ったが、遠征先にはブロディも参戦していた。


棚橋弘至: 師である藤波辰爾のドラゴン殺法や武藤敬司から影響を受けた技が多く、これら以外にクイック技を好んで使用する。


船木誠勝: 2010年1月3日、武藤敬司と組んで、太陽ケア・鈴木みのるが保持する世界タッグ王座に挑戦。


小島聡: 怪我で長期欠場していた復帰後の1998年、小島は武藤敬司に誘われ、nWo JAPANに加入、自身初のヒールに転向する。


武藤敬司の情報まとめ

もしもしロボ

武藤 敬司(むとう けいじ)さんの誕生日は1962年12月23日です。山梨出身の格闘家
プロレスのようです。

もしもしロボ

ドラマ、卒業、事件、脱退、テレビ、引退、映画、結婚、家族、現在、父親に関する情報もありますね。去年の情報もありました。武藤敬司の現在の年齢は62歳のようです。

武藤敬司のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

武藤 敬司(むとう けいじ、1962年12月23日 - )は、日本の元男性プロレスラー、俳優、タレント。山梨県富士吉田市出身。最終所属はプロレスリング・ノア。血液型B型。

1990年代から2000年代にかけてプロレス界を牽引した闘魂三銃士の1人。山梨県観光大使。武藤塾塾長。娘はシンガーソングライターの霧愛(むぅあ)こと武藤愛莉。

出生時は4000gの体重があった。富士吉田市立下吉田第一小学校2年生のときに、ドラマ「柔道一直線」を見て柔道を習い始める。学年で一番背が高く大柄であったが、バク転やバク宙、鉄棒の大車輪を器用にこなす運動神経の持ち主であった。小学校5年生で柔道と並行して少年野球チームにも入り、エースで4番を任された。

富士吉田市立下吉田中学校に入学後、一度は野球部に入部するも、すぐに柔道部に転部。中学校3年生で初段黒帯となった。山梨県立富士河口湖高等学校に進学し、国体出場。高校卒業後は、東北柔道専門学校(現・学校法人東北柔専 仙台接骨医療専門学校)に進学。全日本ジュニア柔道体重別選手権大会95kg以下級3位。全日本強化指定選手にも選ばれる。学校では柔道整復師免許を取得する。

1984年、新日本プロレスの選手が利用していた接骨院に勤務する東北柔道専門学校の先輩から新日本プロレスを紹介され21歳で入門。後に闘魂三銃士となる蝶野正洋は同日入門であり、橋本真也はその前日の入門だった。船木誠勝、野上彰も同期生である。入門三日ほどで基礎練習の繰り返しに「俺はずっと柔道でこんなのやってきてるからかったるいよ」と周囲の同期にもらし、当時コーチであった山本小鉄に辞めたいと言ったことがあるが、山本は「あと1週間だけ辛抱してみろ、それでも嫌なら辞めても構わない」と励まし、武藤は自分への期待に自信をつけ、残る決意を固めた。共に練習していた蝶野は、「武藤が『あの逸材だから』相手がどう反応するか判っていて駆け引きをしていたようだ」と語っている。その厳しいトレーニングも、前田日明、藤原喜明、高田延彦らが第一次UWFへ移籍し、半年後には長州軍13人が全日本プロレスへ移籍してしまったため、怖い先輩がいなくなったことで随分楽になったという。同年10月4日にデビュー。相手は同じくデビュー戦の蝶野であった。

木村健悟の付き人を務めたため、プロレスの師匠は木村健悟である。

新弟子時代、週に1回のちゃんこ番の際はそれまで料理などしたことが無かったため、武藤の場合はポン酢を作って材料を鍋に放り込むだけでできる簡便な「豚ちり」を作るのが定番であったが、これがレスラーから不評であった。武藤の新弟子時代は新日本も羽振りが良く、ちゃんこ番は朝晩の食費である3万円を1日に使い切ることが使命であったが、当時は上質な肉や高級米であろうと余った食材は全部その日の内に捨てるほどの飽食ぶりであった。そんな武藤と対照的に橋本は料理が上手かったと2018年のインタビューで振り返っている。

柔道の猛者であったため入門当初からアントニオ猪木、坂口征二、藤原喜明らと互角にスパーリングをする実力と天性の運動神経とルックスから、早くから将来のエース候補と目され、ヤングライオン杯優勝を経ることなく、1985年11月に初の海外修行に出立。当時デューク・ケオムカとヒロ・マツダが運営していたアメリカ南部のNWAフロリダ地区において、ホワイト・ニンジャのリングネームで活動する。当初はベビーフェイスのポジションだったが、タッグマッチでパートナーのワフー・マクダニエルを裏切りヒールに転向した。

フロリダでは、1986年5月21日にケンドール・ウインダムからNWAフロリダ・ヘビー級王座を奪取、タイトル初戴冠を果たした。しかし、反則を犯していたことがビデオで判明し、翌月に王座を返還させられる。その後はアラバマのコンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリングで活動し、同年9月1日、NWA USジュニアヘビー級王座を獲得した。

帰国後、「スペース・ローン・ウルフ」なるギミックで売り出される。当時はリング登場時のコスチュームに宇宙飛行士のヘルメット(そのスタイルの初期のみ着用、というより頭に被らずに手に携えてリングインするという感じであった)をかぶり、ブルゾンタイプのガウンに胸元に“610”(「ムトウ」の意)と書かれたものを着用していた。本人曰く、ヘルメットをかぶったのは猪木から「ヘルメットのスポンサーが付くかもしれないからかぶれ」と言われたのが理由だったが、スポンサー申し出は来なかったという。所々ラメの入った青いロングタイツに白いリングシューズで真っ直ぐのふさふさした頭髪は『ジャニーズ系レスラー』であると、プロレス雑誌に書かれた。テーマ音楽は「ファイナル・カウントダウン」で、リングに入場する際はロープ間を跨ぐようなことはせず、鉄棒の前転のようにロープ上を宙返りしリングインする派手なパフォーマンスをしていた。ところが、当時新日本はUWFの抗争真っ最中であり、おおらかなアメリカンプロレスを身に付けた武藤はファンの支持を得られず失敗。とはいえ、早い時期から藤波辰巳とのシングルマッチを実現するなど特別な扱いを受けていた。またナウリーダーとニューリーダーとの世代闘争にも参加しており何故かナウリーダー側として5対5のイリミネーション・マッチ等に参戦していた。

1988年1月から、二度目の海外遠征に出発。カルロス・コロンが主宰するプエルトリコのWWCではベビーフェイスのスーパー・ブラック・ニンジャとして活動し、1988年2月6日にインベーダー1号からTV王座を、同年5月14日にミゲル・ペレス・ジュニアからプエルトリコ・ヘビー級王座をそれぞれ奪取した。

そうした中、7月16日にブルーザー・ブロディ刺殺事件が起こり、WWCを離れフリッツ・フォン・エリックが主宰するダラスのWCCWに活動拠点を移す。そこでの活躍で、NWAのジム・クロケット・プロモーションズ(後のWCW)へスカウトされ、ギミック上はザ・グレート・カブキの息子という設定のグレート・ムタ(後述)として、ヒールのポジションで登場。当時のアメリカでの悪役人気は絶大で、スティングやリック・フレアーとの対決で活躍した。帰国後も、武藤は度々ムタとして登場した。

1990年4月に凱旋帰国。同時に赤(時折オレンジ色)のショートタイツにコスチュームを変え、やがて人気・実力ともに絶頂期を迎える(当時の実況担当の辻義就は「セクシーターザン」「ときめきバージンレッドの熱い風」と形容した)。

1995年2月にスコット・ノートンに敗れてスランプ状態に陥ったものの、5月3日、福岡ドームで当時最多防衛記録を樹立していた橋本真也を破って第17代IWGPヘビー級王者となった。8月15日、同じく橋本真也を破り、IWGP王者としては初となるG1 CLIMAX優勝者となった。さらに、10月9日東京ドームでの「激突!!新日本プロレス対UWFインターナショナル全面戦争」のメインイベントでの高田延彦戦は、敢えてこの決戦用にドラゴンスクリューからの足4の字固めという古典的な技を復活させて勝利。これらの活躍が評価され同年のプロレス大賞MVPを受賞。なお、G1で優勝した際の副賞としてガウンを贈呈されたのをきっかけに、以後のビッグマッチにおいてガウンを着用するようになる(それまではTシャツ姿で入場)。

1997年2月、蝶野正洋率いるnWo JAPANからTシャツを渡されたり、背中に「nWo」とスプレーで書かれるなどの演出などにより勧誘を受ける。4月12日の東京ドーム大会でグレート・ムタとして蝶野に勝利するが、試合後二人は共鳴し、WCWでのアメリカ遠征で正式にムタとしてnWoに加入。6月に正規軍の武藤として、当時王者だった橋本に挑むが敗戦。その試合後、nWoジャパンの控え室に戻ったことから、本格的に正規軍を離脱する。その後のシリーズから「nWo JAPANのムタ」としてG1に参戦するなど活躍したが、膝の故障や度重なるタッグマッチでの亀裂、試合前のペイントする時間が多忙などが重なったことから、ムタをやり切ることに限界を感じ、9月23日にはムタから武藤に変身し、武藤としてnWoに加入。赤から黒のショートタイツに変わり、その後イラストや英語の文字が記入された黒のロングタイツを着用。髭を伸ばし、黒バットなどの凶器を使用して黒スプレーで小原道由の背中に「犬」と書いた上でリング外へ絞首刑にするなど(犬事件)ヒールに徹し、武藤は新日本正規軍とnWoジャパン両軍に属した唯一の選手となった。

1998年7月、膝の手術から復帰した後、ムタとして渡米することになって髭を剃り、“ナチュラル・ボーン・マスター”(生まれながらの天才)と呼ばれるようになる。この直後、nWo JAPANの総帥であった蝶野が負傷し長期離脱。武藤が軍団の舵を取り「I AM BOSS」と連呼するようになり、欠場明けの小島聡をnWo JAPANに勧誘、年末に行われたG1タッグも小島とのタッグで優勝し、そのインタビューでは、「これは俺が作り上げたnWoだ! 蝶野の名前は出さないでくれ!」と発言。1999年、第24代IWGPヘビー級王者となると、蝶野と武藤との関係はこじれた。蝶野は復帰後、nWo JAPANを脱退して独自のユニット「TEAM 2000」を結成した。以後、「nWoジャパン VS TEAM 2000」の抗争が勃発し、最終的に2000年、1月4日の東京ドームで武藤が蝶野に敗れてnWo JAPANは消滅する。なお、1999年は1年間王者に君臨したことが評価され、プロレス大賞MVPに選ばれている。

その後、武藤は新日本とは距離をおきWCWを中心に活動するつもりで渡米し、グレート・ムタとして再びWCWのリングに上がる。しかし、WWF(当時)より移ってきたビンス・ルッソー(英語版)らからは評価されず、試合の機会を満足に与えられず帰国。WCWへの復帰はエリック・ビショフを通して了解を得ていたが、渡米した時には興行成績の不振からビショフは解雇されており、ルッソーらからは「何しに来たんだ?」と屈辱的な事を言われ、露骨に嫌そうな扱いを受けたという。

2000年12月31日の大阪ドームで開催されたINOKI BOM-BA-YE 2000で国内復帰(この間、武藤が猪木との対談DVDを出すなどしていたことから、蝶野が一時期、武藤までも猪木にとりこまれたか?と警戒感を示したこともあった)。高田延彦と一夜限りのタッグを組み、ドン・フライ、ケン・シャムロック組と対戦。この試合は高田のバックドロップでシャムロックより勝利。武藤がスキンヘッドになったのはこの試合からである(後述)。

2001年より新日本プロレスに復帰。1月28日、全日本プロレス・東京ドーム大会に参戦し太陽ケアに勝利。以後、定期的に全日本に参戦することになる。団体の垣根を超えた超党派ユニット「BATT(BAD ASS TRANSLATE TRADING)」を結成する。武藤は新必殺技シャイニング・ウィザードを引っ提げ、史上初の六冠王者(三冠ヘビー級王座、IWGPタッグ王座、世界タッグ王座(当時のプロレス誌のグラビアに、横たわった武藤の胴体や顔にまで6本のベルトが巻かれた写真があった)。ただし三冠ヘビー級王座と世界タッグ王座は事実上それぞれ一つのタイトルであるので実際は三冠王者)となった。さらに全日本プロレスの年末恒例の大場所である世界最強タッグ決定リーグ戦も制して、同年のプロレス大賞MVPに選ばれる。10月には全日本のリングで新日本プロレス所属同士で蝶野正洋と三冠戦が行われた。新日本プロレス、全日本プロレスの主力ベルトで、その時点で保持していないのは過去に自らも保持していたIWGPヘビー級王座のみとなり、武藤自身も次の標的は「猪木イズムの継承者」藤田和之と示唆していたものの、既に格闘技路線への疑問を公言していたこともあり、実現しなかった。

2002年1月、藤田和之を中心とした格闘技路線に重心を移した新日本プロレスでは自身のアメリカでの実績なども潰されることになると考え、弟分の小島聡、ケンドー・カシンおよび新日本のフロントスタッフ5名と共に新日本プロレスを突如退団。2月26日に全日本プロレスに入団する。この時武藤は「全日本プロレスに骨の髄までしゃぶっていただきたいと思います」という名言を残した。なお、事前には「骨を埋める覚悟で」と言うつもりであったが、あがっていたせいで「骨の髄まで」に変わってしまったと述べている。その他に馳浩からの勧誘もあったとされる。

移籍直後のチャンピオン・カーニバルでは初出場にして優勝を果たした。G1クライマックスとチャンピオン・カーニバルの両方を制覇したレスラーは武藤が初めてである(2005年には佐々木健介、2010年には小島聡、2011年には永田裕志も達成)。 7月20日の日本武道館大会では、黒師無双⇒武藤敬司⇒グレート・ムタと1日3変化で3試合をこなして、すべて勝利している。8月30日の日本武道館大会では、自らプロデュース興行を行った。10月には馬場元子社長から全日本プロレスの株式を譲り受け、オーナー兼社長となった。同年中には、K-1の石井和義と組み、エンターテイメントの要素を強く取り入れたプロレス「ファンタジーファイトWRESTLE-1(-レッスル・ワン)」という興行も行っている。2003年1月の東京ドーム大会では、ビル・ゴールドバーグとの夢の黄金タッグが実現。クロニックとの対決に勝利した。

2003年2月には盟友、橋本真也率いるZERO-ONEに全日本プロレスの選手を率いて乱入。「全面戦争、やるのかやらないのかはっきりしろよ!」という言葉で宣戦布告する。この後、全日本プロレスとZERO-ONEは激しい抗争を繰り広げる。また、4月29日に行われた「BAPE STA!! PROWRESTLING ZEPP TOUR」のZEPP FUKUOKA大会では覆面レスラーTHE APEMAN PLATINUMに変身した。

2004年から他団体のリングに積極的に進出するようになる。2年ぶりに新日本のリングに上がり、1月4日にはボブ・サップとタッグを組み、蝶野&天山広吉に勝利。その後、10月9日には、付き人を務めた西村修と組み、棚橋弘至&中邑真輔と対戦したが敗れている。ZERO-ONEのリングでは、2月29日に大森隆男と対戦して勝利。4月25日には、橋本とタッグを結成して勝利を収めたが、奇しくもこれが最後となった。 武藤と並ぶ天才としてプロレスファンから対戦を熱望されていた三沢光晴との対戦アングルが開始された。(試合ではないがこれ以前に2001年にPlayStation 2用ソフト『オールスタープロレスリング2』のCMとデモムービーの撮影で2人は共演している。また2人の対談は『リングの魂』(テレビ朝日)において実現している)。2004年7月10日に行われたNOAH東京ドーム大会で初対戦(三沢・小川良成組 vs 武藤・太陽ケア組)。この試合では敗れたが、「夢の続き、見ませんか?」と三沢にメッセージを送った。これがきっかけに加えて、小島の対戦直訴により、三沢は古巣である全日本プロレスへの参戦を果たした。10月31日、両国国技館での武藤敬司デビュー20周年記念興行において武藤は三沢とドリームタッグを結成。馳浩・佐々木健介組と対戦して勝利を収めた。

2005年5月14日、新日本・東京ドーム大会でロン・ウォーターマンに勝利。3年ぶりに三冠戦に挑戦したものの、小島に敗北。その後、大相撲の横綱であった曙を呼び、プロレスラーとして育てた。その年の、最強タッグ準優勝に、プロレス大賞では最優秀タッグチーム賞にも輝いた。

2006年、年末の最強タッグリーグ戦には、闘魂三銃士とプロレス四天王のタッグとして川田利明と組み話題性があったものの、小島&天山の「テンコジ」にリベンジされて敗退。優勝を明け渡したが、2007年1月4日の新日本・東京ドーム大会で8年ぶりに蝶野とタッグを組み、テンコジに勝利した。3月には3度目のチャンピオン・カーニバル優勝を果たし、7月の三冠戦(鈴木みのる)には敗れたが、年末の最強タッグリーグ戦では、ジョー・ドーリングと組んで、6年ぶりに優勝。

2008年1月3日、タッグリーグ戦に優勝した勢いで世界タッグ王座を獲得した。4月27日、新日本・大阪大会で中邑を破り、1999年以来となるIWGPヘビー級王者になった。8月31日には、全日本のリングで初めてIWGPヘビー級選手権試合が行われて、G1 CLIMAX2008優勝者の後藤洋央紀を破って防衛に成功。その後、準優勝の真壁刀義、リベンジに挑んだ中邑に勝利して、4度の防衛に成功。三冠王者になったムタの活躍も併せて評価されて、7年ぶりにプロレス大賞を受賞した。

2009年1月4日、レッスルキングダムIIIで棚橋に敗れてIWGPヘビー級王座5度目の防衛に失敗。3月14日、ムタとして高山善廣に敗れて三冠王座も失った。その後、FIGHTING TV サムライの企画で蝶野と対談。お互いにデビュー25周年興行を行い協力することになり、8月30日にデビュー25周年興行を開催。24年ぶりに同期生の船木誠勝とタッグを結成して、蝶野&鈴木みのる組に勝利した。

また、6月13日に三沢が急逝したため、ライセンス、コミッショナー問題を含めて、再びノアと交流。9月27日に5年ぶりにノアへ参戦。田上明と社長タッグを結成して、小橋建太と初対戦したが敗れた。10月12日に、蝶野のデビュー25周年記念試合で新日本、全日本、ノアによる6人タッグマッチが実現。武藤、蝶野、小橋がトリオを結成して勝利。これで武藤は旧全日本の「プロレス四天王」全員とのタッグ結成となった。

2010年4月5日、変形性膝関節症による右膝関節内遊離体除去の手術を行い成功。全日本に移籍後初となる長期欠場となったが、9月10日、船木誠勝とのシングルマッチで復帰。9月20日後楽園ホールではKAIとのシングルマッチに勝利するとその日の世界ジュニアヘビー級王座戦後のリングに上がり、最多の連続防衛を記録した王者のカズ・ハヤシに挑戦表明。大幅な減量が必要となるジュニアヘビー級への挑戦表明に武藤は翌日会見を開き、「気分は(あしたのジョーの)力石。そこにカズ・ハヤシがいるから(挑戦する)」とコメントし、1か月で約10kg体重を減らして挑むも敗れた。

2011年の新春シャイニングシリーズでは、船木誠勝の仲介により、敵対関係にあった鈴木みのるとタッグを結成。1月2日、3日と立て続けに鈴木に誤爆してしまうが、鈴木のほうから歩み寄りを見せ、3日の試合後に握手。タッグチームとしてタイトルも狙っていくことを発表した。また、全日本プロレス正月恒例のバトルロイヤルにも参加し、史上初の同一年でのヘビー級、ジュニアヘビー級優勝を果たした。

2011年6月7日、平井伸和が試合後に急性硬膜下血腫で倒れた事件の責任を取り、全日本プロレスの代表取締役社長を辞任した。なお、選手としては引き続き所属する。

同年8月27日、ALL TOGETHERに参加。小橋健太とタッグを組んで飯塚高史・矢野通組と対戦、小橋と共にムーンサルトプレスを披露した。その後、この試合は年間プロレス大賞年間最高試合(ベストバウト)賞に認定される。

2012年3月20日両国大会、秋山準が保持する三冠ヘビー級王座に挑戦したがスターネスダストで敗れた。

2013年5月31日、全日本プロレスの取締役会長を辞職、ならびに選手契約を解除。翌日に全日本は新たに役員体制を発表した。

2013年7月10日、新団体WRESTLE-1の旗揚げを発表した。また、WRESTLE-1の運営会社であるGENスポーツエンターテインメントの代表取締役社長の就任を発表した。

2014年11月1日、自身のデビュー30周年記念大会にて河野真幸が保持するWRESTLE-1チャンピオンシップに挑戦し勝利。同王座を戴冠し、2015年3月8日に王座を失うまで、2度の防衛を果たす。

2015年10月、プロレスラー養成専門校「プロレス総合学院」が設立され、同校の初代校長に就任した。また、2017年2月にはWRESTLE-1の別ブランドとして、ベテランのレスラーを中心とした、「プロレスリング・マスターズ」が初開催された。

2017年4月1日、GENスポーツエンターテインメントの代表取締役会長に就任。

2018年3月に両膝を人工関節にする手術を受け、長期欠場に入る。そして、翌年の6月26日の長州力引退試合で復帰した。

2020年4月1日をもってWRESTLE-1は団体としての活動を停止し、所属選手は全て契約解除となり、武藤も例外ではなく、それ以降はフリーランスの立場でプロレスリング・ノアを中心に試合を行った。

2021年2月12日、ノア日本武道館大会で潮崎豪を下しGHCヘビー級王座を初戴冠。佐々木健介、高山善廣に次ぐ史上3人目のメジャー3団体のヘビー級シングル王座のグランドスラムを達成した。

2021年2月15日に開かれたサイバーファイトの会見において、プロレスリング・ノアに入団することが発表された。契約期間は2月15日から2年間となる。メジャー3団体と所属契約を行った史上5人目の日本人選手となる。また11月13日、丸藤正道とのタッグでGHCタッグ王座を獲得。高山善廣に次ぐ史上2人目のメジャー3団体のヘビー級シングル王座及びタッグ王座のグランドスラムを達成した選手となった。

2022年1月1日の日本武道館大会で、田中将斗&望月成晃組を下し、GHCタッグ王座初防衛。しかし、2月8日に左股関節唇損傷による長期欠場、これに伴う王座返上を会見で発表した

2022年6月12日に開催された「サイバーファイトフェスティバル2022」において、持病の股関節痛のため、2023年春までに引退すると発表した。引退までに数試合は行うとしている。9月7日の会見で2023年2月21日ノア東京ドーム大会で引退することを発表した。(詳細後述)

2023年2月21日、東京ドームでの「KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO-WRESTLING "LAST" LOVE〜HOLD OUT〜」にて内藤哲也、蝶野正洋と引退試合を行い、プロレスラーを引退した。

2023年3月16日、グレート・ムタとしてWWE殿堂入りすることが発表された。

2023年6月8日、白内障と診断されたことを明らかにした。

武藤は1990年代末以降、自らプロレスへの深い愛の存在を各所で表明している。武藤のプロレスへの愛は彼自身が考案した「プロレスLOVE」というキャッチフレーズで知られている。両手で手話の「狐」のような形を作って投げキッスのように腕を展開する「プロレスLOVEポーズ」も有名である(その際「イャーーッ」の声もかかる)。このプロレスLOVEポーズの元ネタはウルフパックポーズである。

「プロレスLOVE」を武藤が考案するきっかけとなったのは、2001年1月28日の全日本プロレス東京ドーム大会「王道新世紀2001 〜ジャイアント馬場三回忌追悼興行〜」における太陽ケアとの対戦である。武藤はこの時、初めて全日本プロレスで試合をしたが、それまで全く知らなかった対戦相手のケアに惚れこみ、当時、総合格闘技路線に走っていた新日本プロレスに疑問を投げかける意味で「プロレスLOVEなやつら集まれ!」という思いが内面から湧いてきたと述懐している。

社長としての武藤もプロレス本来の魅力を大切にしたマッチメイクを心がけており、ヒール軍団を軸に据えた抗争、渕正信や荒谷望誉、NOSAWA論外らによるコミカルな試合、多彩なマイク・パフォーマンス、バックステージでのドラマ展開、TAKAみちのくを中心にしたルチャリブレ、そしてトップレスラー同士の激しいぶつかりあいを堪能出来るプロレス団体を作り上げた。

性格的には、非常に正義感が強く、橋本などが行っていた後輩へのいじめにも否定的であり、また、先輩に対しても、酔うと誰も止められなくなる前田日明に正面から制止するなど筋道を通す性格である。初めて渡米した頃の日本プロレス界の体質を「封建的」と述べており、アメリカ滞在時はとても居心地が良かったと語っている。

練習や肉体管理など調整に関しては合理主義の立場を取っており「実際、根性論には限界があるよな。1週間根性論やったところで、根性をもう少し落として1年やってる奴には絶対勝てない。さらに、もっと落として10年やってる奴には勝てない」と持論を語ったことがある。クレアチンが日本で認可を受けると早々と使用を開始、近年スレンダーなレスラーが流行っていることを受けて「キレイサプリ」を使用することで4ヶ月の間に10kgの減量を敢行するなどサプリメント使用にも適応している。選手としてのみならずプロレス団体経営者としての立場から「今の時代、理不尽なんていらないよ。」とも発言している。

武藤はアメリカでの活動経験から、プロレスはスポーツと格闘技と舞台芸術が融合された「エンターテインメント」であるという価値観を強く持っている。それ故、総合格闘技を「競技」と言い切っている。武藤によれば、柔道の強化選手として、格闘技の頂点、自らの格闘者としての限界を垣間見たため、格闘技の追求には何ら幻想を抱いていないと言う。またUWFスタイルに対しても「柔道と同じ」と表現する等、いわゆる格闘技路線には価値を見い出していない。格闘技路線で売り出していた小川直也とグレート・ムタとして対戦した際は、背負い投げで投げたり腕をとってのドラゴンスクリューの様な技など正統な技に加え、小川の帯を抜き取って首を絞め、三角絞めで組まれた際に顔面への毒霧噴射などの反則も交えて終始圧倒、最後は指2本をとっての腕ひしぎ逆十字でTKO勝ちを納めた(ちなみに、この試合のレフェリーは猪木が務め、彼に毒霧を吐き、ビンタを受けて試合は始まった)。しかし、新日本プロレス所属時代の1996年9月23日、北尾光司を始めとする日本人を次々と撃破していたバーリトゥードの猛者ペドロ・オタービオと異種格闘技戦(プロレス)を行って、マウントパンチでギブアップ勝ちしたこともある。また2000年WCWから帰国後自分の道が見えずにいた武藤は、何故か小川とのバーリトゥードでの一騎討ちを望んだが、小川が乗り気でなかったため実現しなかった。

ムーンサルトプレスなど、膝に負担のかかる技を使い続けたため、両膝の軟骨の減少・摩滅等、膝に持病を抱えており、直立したつもりでも膝が「く」の字に曲がっている。後遺症は重く、カニ歩き(横向き)でないと階段を昇り降り出来ない、プライベートでは300m以上は断続的でなければ歩けない状態である。2015年3月20日放送の日本テレビ系『アナザースカイ』では、日常生活での膝への負担軽減の為、車いすを使用することがあるとナレーションされた(番組ではアメリカTNA遠征の際、中之上靖文が押す車いすで移動した。)。これは1988年に手術後のリハビリを充分に行う事無く、プエルトリコへの海外遠征(この遠征ではブルーザー・ブロディ刺殺事件が発生。)を行ったことが致命的だったと自伝などで語っている。また、武藤がショートタイツからロングタイツへと変えたのは、膝に何重にも巻かれたテーピングを隠すためである。

2010年までに、右膝を4度、左膝を1度手術をしているが、現代の医学では完全回復は不可能だと医師から告げられており、2013年頃から人工関節を入れる手術を行うことを検討していたが、プロレスが出来なくなるとして、手術をためらっていた。しかし、ドラマで共演した武田幸三に紹介してもらった医師により、2018年3月に膝関節を人工関節にする手術を行いながらも、現役を続行することができ、膝の故障は快方へ向かったが、その後、股関節に負担がかかり人工関節となるかもしれない状況で、股関節が人工関節となると「プロレスはできなくなる」と医師からドクターストップを受けた形で引退することとなった。

引退直前の段階では番組収録のあるラジオ局の駐車場から収録スタジオまで辿り着くのもやっとの思いであった。

かつて身体障害者手帳を交付してもらうために診断を受けたところ「肢体不自由(下肢)7級」と診断された。ただし障害のある箇所が膝以外に認められなかったため、実際に手帳の交付はされなかった。

武藤はプロレスをやる傍ら、俳優やタレント業の仕事も多くこなすレスラーとしても知られており、プロレスラーの中でもかなりの人気・知名度を得ている。映画初主演した「光る女」は、プロレスラーとしては実に力道山以来の主演映画となった。

しかし、俳優の仕事は自分を売るためだけにやっており、決まったことをやる俳優よりも、リング場で自分の思うままに演じられるプロレスラーの方がおもしろいと語っている。また、前もって渡された台本を全く覚えてこないため、撮影現場ではNGを連発することでも知られている。

2008年11月19日、東京都港区麻布十番に飲食店「麻布武藤」をオープンし、武藤の故郷である山梨の野菜やうどん、鶏を扱った。本人が店に出ることもあり、店の前には本人の手形が飾られていたが、2010年10月31日に閉店した。また、2008年12月10日に、兵庫県朝来市和田山町に武藤本人プロデュースによる「焼肉 武藤道場」を開店。店内に設置された大型テレビで試合のDVD映像を放映するほか、試合コスチュームの展示、オリジナルグッズの販売など北近畿地域に数店舗を展開した。

近年バラエティ番組やYouTubeなどで長州力と共演することが多く、長州の自由奔放な行動に振り回される様子が人気を博している。特に『1億3000万人のSHOWチャンネル』(日本テレビ)では、両者が秘湯を目指す旅を行う持ちコーナー『長州力・武藤敬司の楽して行ける秘湯旅』が放送されていたほどだった。なお、長州が自身のYouTubeチャンネルにて武藤に「引退したらどうするんだ?」と聞いたところ、「はい、髪伸ばします」と返していたことを明かしたが、未だ髪は伸びていない。

子供の頃、母が和食ばかり作り、その中でもマグロの刺身ばかり食べさせた影響で手料理や魚料理に飽きており、小中学生時代に地元に出店したモスバーガーや、電子レンジで加熱してすぐ食べられるインスタントピザなどのジャンクフード、肉料理に憧れていたという。中学生の頃地元にチェーン店が開店したすかいらーくでビーフシチューを食べたのも本人にとっては良い思い出であり、「うちのおふくろ、まずシチューなんて作らないからね」と語っている。

高校への進学は、当初は山梨県立吉田高等学校への進学を希望していたが、当時の山梨県の高校入試は受験者自身が志望校を決められない総合選抜制度が採用されていたため、山梨県立富士河口湖高等学校へ進学する事になった。1978年当時の富士河口湖高等学校は開校して2年目と間もない頃であったため、校内で柔道のまともな練習が出来ずに地元の道場へ通っていた。柔道の合宿が行われた際、木村政彦の打ち込みの相手を務めたこともある。木村に関して「なんとかグレイシーじゃ勝てないよ」と述べている。

妻は元タレントの芦田久恵。全日本プロレスでは経理を担当し、チケット販売を行うなど内助の功として支えた。久恵夫人は同期・蝶野の中学校での同級生で、試合会場に蝶野を訪問したところ、「かわいい」と惚れ惚れ状態だった武藤と橋本が蝶野に紹介してくれと頼み、「より危なくない方(武藤)を選んだ」蝶野が武藤を紹介し交際がスタート。1992年に結婚、1996年に長男、2000年に長女・愛莉が誕生。TBSの生活情報番組「ジャスト」のお宅訪問コーナーでは、進行担当のミスターちんが武藤邸を訪問し家族が紹介された。武藤が山梨出身で久恵夫人が新潟出身なので、武田信玄と上杉謙信のことでたまに言い争いがあると携帯サイトの日記で記している。

多くのプロレスラー、練習生を見てきた長州力は「入門当時から素質・素材ともにそろっていたのは武藤と蝶野だけ」と述べている。

練習生時代の武藤の脱走談は枚挙に遑が無く、入門初日から早々に脱走を企てたことを同期である蝶野と橋本が証言している。また、彼らによれば武藤から一緒に道場を脱走するための具体的な計画を持ちかけられたことがあるが、蝶野は厳しい練習をネタにした冗談と受け止めて本気だとは思わず、橋本に至っては話を完全に忘れて爆睡しており脱走計画は失敗に終わった。

初主演映画「光る女」は、当初プロレス好きの映画スタッフの推薦により前田日明に主演を頼もうとしていた。しかし相米慎二監督が新日の試合を生観戦した際、武藤の方を気に入ってしまいそのまま主演に抜擢されたというエピソードがある。

前述した2000年12月31日に、サプライズで現在のようなスキンヘッドにした理由は本人曰く、「ゴールドバーグやストーン・コールド・スティーブ・オースチンを意識した」とのこと。

CSチャンネルサムライの番組で「おれは木村健吾さんの付き人で楽でよかった、あの人は怒らないから」とコメントし、周りを笑わせた。

海外修行時代にWWCからWCCWへ活動拠点を移した理由は、1988年7月にプエルトリコの野球場で開催された5日連続のビッグショーの初日当日に、ブルーザー・ブロディ刺殺事件が発生。翌日にホセ・ゴンザレスが実行犯と分かると、アメリカから来た選手は激怒してアメリカへ帰っていった。武藤はケンドー・ナガサキに相談したが、ナガサキに「先々を考えたら出るわけにいかねえだろ」と言われ、ナガサキが居住していたテキサス州ダラスへ移動してナガサキの世話となった後にWCCWへ活動拠点を移したという。

アメリカ修行からの帰国直後(オレンジ・ショートタイツ時代)にリングネームを募集したことがあるが、良いものが無く、結局本名の武藤敬司でいくことにした。

メガネスーパーがSWSとしてプロレス団体を作ろうとしたさい、武藤も引き抜き対象としてリストアップされ、武藤本人もSWSから提示された条件に魅力を感じ引き抜きに応じ、当時新日本プロレスの社長だった坂口征二に退団の挨拶に行くが、驚いた坂口がその場でメガネスーパーの社長であった田中八郎氏に電話をし「武藤はそちらには行かせませんから」とその場で断り、SWSへの移籍はなくなっている。なお、武藤は当時を振り返り「(最終的にSWSへ行かなかったのは)自分に自信がなかったのが大きかった。いくら米国で頑張っていても日本では実績がないから。何も“作品”をつくってもねえのに行っても、うまくいかなかったと思う。だから、今振り返ってみても行かなくてよかったんじゃないかな。」と回想している。

麻雀が好きで、『THEわれめDEポン』など麻雀番組にも出演している。新日本所属時、同じく麻雀好きの坂口征二に可愛がられていたが、「あれはよく一緒に麻雀を打ったから」と述懐している。

達筆であり、1995年の『ワールドプロレスリング』内では毛筆で写経する武藤の姿が映し出されたこともある。

アメリカでも抜群の知名度を持つが、WWEの興行ではレスラーとして一度も試合をしていない。これは、武藤がデビューした翌年に新日と当時のWWFが提携を打ち切り絶縁状態となった事や、渡米後は新日との契約の関係でNWA系の団体やWCW等、WWFと敵対していた団体を主戦場としていた事、WCWが活動を停止した当時は全日のエースとして団体を牽引しなければならない状況であり、WWEと契約できる状況ではなかった事、そして膝の状態など様々な要因が重なっていたためで、スティングと同じく『WWEに上がらない最後の大物レスラー』と言われた事もある。

WWE日本公演で来日していたリック・フレアーに食事に誘われた際、武藤は後輩の小島を伴ってフレアーの元に向かった。その場にはトリプルH・ステファニー・マクマホン夫妻も同席しており、夫妻は(片言ではあるが)日本語で挨拶をし、2人にお時儀をして迎え入れたという。偉大なレスラーと普通に談笑する武藤を見た小島は「武藤さんの凄さを改めて知った」と語っている。また、フレアーはリングで、日本で戦った戦友を紹介したとき、「ジャンボ鶴田、天龍、グレート・ムタ(武藤敬司)」と挙げた。この時、武藤は解説席にゲストで来ており、(武藤ファンを公言していた)スーパースターのザ・ロックやクリス・ジェリコが入場する際には、わざわざ武藤の前に来て握手を交わすレスラーもいた(ただし、クリス・ジェリコにはビンタを喰らい、武藤はパフォーマンスでモニターで殴りかかろうとするジェスチャーをしたが、これも事前に2人が打ち合わせて行った演出である)。

同じくWWEに所属するグレゴリー・ヘルムズは、シャイニング・ウィザードを自らの得意技として取り入れている。既存の技の名前を、使用するレスラーの「必殺技」として新たに名前を設定する傾向のあるWWEの中にあって、ヘルムズは敢えて技の名前を変えずに使用している。この点について「自分が尊敬する武藤敬司の技だからこそ、彼に敬意を表す意味でそのままの名称にしている」とインタビューでコメントしている。

『名探偵コナン』第316、317話「汚れた覆面ヒーロー」にて、登場人物の毛利蘭がシャイニング・ウィザードで犯人のプロレスラーを一撃KOした回がある。武藤本人がアニメ化されることはなかったが、高木刑事が「武藤の…」と言いかけた場面があり、名前だけは登場した(原作:単行本38巻File5 - File7)。

2005年にマルホン工業より、パチンコ機「CR武藤敬司」がリリースされた。2020年には豊丸産業より、パチンコ機「Pほのかとクールポコと、ときどき武藤敬司」がリリースされた。後者の機種では機種名の通り、武藤扮する、ムタと黒師無双を足したような外見をした「蝉丸」はめったに出現しないが、出現するだけで大当たりの期待度が高くなっている。

『武藤敬司のスポーツ大百科』に編集長として出演。プロレスラーで選手名が付いた地上波の冠番組はこれが初めてである。

CSを含めてこれまでトーク番組のホストを長年こなしてきたことでも分かるように、プロレスと同様、その場の流れを掴む話術に長けている。ただし、学園祭などトークショーでは下ネタ乱発となることから、テレビ番組では編集が入っていることも多いと思われる。明石家さんまからは、「武藤はあかん」「武藤は危ない」と評され、トーク技術に好評価を受けていた。

口癖は「差し当たって、」で、タレントの神奈月が武藤のものまねをする時に連発する。武藤も神奈月のものまねを気に入り評価しており、神奈月と「ダブル武藤」のタッグを組んで、「F-1タッグ選手権」などでプロレスとお笑いを融合した試合を行った。このほか同期の船木誠勝は若手時代の武藤が「かったるいよ」が口癖でよく聞いた印象があると述べている。

以前インタビューでオカマキャラをやりたいと語っていたが、実現しておらず、オカマキャラとして、ランジェリー武藤がいる。

2000年代後半になると、ヒールのムタではなく武藤として試合をしているときにも、イス攻撃などをアクセントに使うことが増えた。しかし、リングサイドの観客からイスを奪う際、実際は小声で「すみません、貸してください」と丁寧に断わりを入れている。

台湾のトップミュージシャン伍佰と親交があり、入場曲を提供されている。2008年に全日本プロレスが台北遠征を実現できたのは、彼の力添えがあったためである(なお、団体としては22年ぶりの海外遠征であった)。2009年11月にも台湾興行を敢行している。

グレート・ムタ(Great Muta)は、武藤敬司扮する忍者をモチーフにした日本のペイントレスラー。漢字表記は愚零闘武多。

マネージャー兼ブッカーのプレイボーイ・ゲーリー・ハートによってプロデュースされた。ギミック上は武藤の第二の人格とされ、魔界の住人という設定である。武藤自身はムタになっている時はその時の記憶を一切覚えていないとされ、代理人として記者会見などでムタの代わりにコメントをすることもある。正式なプロフィールによると、1989年4月2日アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身。また、同じくゲーリー・ハートがマネージャーとなったザ・グレート・カブキの息子という設定である。ちなみに「ムタ」の由来は、「グレート・ムトウ」と外国人が「ムトウ」とうまく発音できないために、武藤自身が呼びやすい名前にした(ただし、現地のWCWのテレビ放送において、「Great Mutou」とテロップを出すところを誤って「Great Muta」と表示されてしまったことから始まるという説もある)。そのため日本での意味は「グレート・ムトウ」ということになる。さらに英語しか喋れないという設定だが、試合に負けるなどして武藤が激高や疲労し、設定を忘れて日本語を喋ってしまうことがあった。後述のWWE殿堂入り式典に至っては、ムタとしてマスクを着用しつつも終始素の武藤敬司の様な状態でスピーチを行っている。また、実況の辻よしなりやマサ斎藤がムタのことを「武藤」と呼んでしまうことが度々あった。特にマサ斎藤が実況席にいる際のムタ戦では「この武藤、いま戦っているのはムタなんですがね」等々の発言が必ずあるため、ファンの間ではマサ斎藤の人柄を表す語り草になっている。

ムタの誕生は1987年、プエルトリコのWWCでの海外武者修行時代に遡る。修行先ではスーパー・ブラック・ニンジャ(Super Black Ninja)のリングネームを名乗って活動していた。スーパー・ブラック・ニンジャは黒装束をまとった忍者ギミックのベビーフェイスであり、まだペイントを施していなかったが、武藤が童顔であったためフェイスペイントをするよう促されたこともあり、簡易的な線等を書いて試合をしていた。1988年にはインベーダー1号ことホセ・ゴンザレスとTV王座を争った。

これがNWAのプロモーターの目にとまり、ゲーリー・ハートのアドバイスにより、ザ・グレート・カブキの息子という設定でグレート・ムタが誕生。以後本格的に顔に毒々しくペイントを施し始めた(色は試合ごとに変えていた。ごくまれに目の周りを黒く隈取をすることもあり、日本では1992年、長州力戦で初披露。これが観客に支持され、以後2000年までムタのペイントの基本形になった)。

1989年4月2日、WCWの対スティーブ・ケーシー戦において初登場(初登場時の入場コスチュームには「伊賀流」の刺繍が入っていた)。月面水爆を必殺技に、スティングやリック・フレアーとの抗争を経てヒールの人気レスラーとなった。1989年から1990年にかけてはテリー・ファンクとのJ・テックス(J-Tex)で活躍し、1989年10月28日のPPV "Halloween Havoc" ではブルーノ・サンマルチノを特別レフェリーに迎え、フレアー&スティングの頂上コンビとサンダードーム・ケージ・マッチで対戦している。

1990年12月16日にセントルイスのキール・オーディトリアムで開催された『NWAスターケード1990』には、マサ斎藤との「日本代表チーム」としてインターナショナル・タッグチーム・トーナメントに出場。1回戦でニュージーランド代表のロイヤル・ファミリー(ジャック・ビクトリー&リップ・モーガン)、2回戦でソビエト代表のサルマン・ハシミコフ&ビクトル・ザンギエフ(英語版)を破って勝ち進んだが、決勝でアメリカ代表のスタイナー・ブラザーズ(リック・スタイナー&スコット・スタイナー)に敗れた。

1990年9月7日、大阪府立体育会館でのサムライ・シロー(現:越中詩郎)戦で日本初登場。この時は、日本のプロレスファンが想像し期待していたムタ像と、自身がアメリカで培ったムタのファイトスタイルにずれがあり、やや消化不良な試合となってしまったが、同年9月14日、広島サンプラザでの馳浩戦にて馳を大流血させ勝利し、アメリカとは異なる日本におけるグレート・ムタ像を作り上げる。これ以後、新日本プロレス所属選手となり、年に何度か登場しては対戦相手を流血と毒霧地獄に追い込む凄惨な試合を展開した。

1992年8月16日の長州力戦でIWGPヘビー級王座・グレーテスト18クラブ王座を獲得すると、一気に人気レスラーの仲間入りを果たし、1993年1月4日に行われた東京ドームでの蝶野正洋戦では、試合中に毒霧や凶器などを使用しない普段とは違った正統派ファイトで臨み勝利。NWA世界ヘビー級王座を獲得した。同年5月3日には福岡ドームでWWF(現:WWE)の大物ハルク・ホーガンとの対決を実現。9月23日には横浜アリーナでタッグを組み、ヘルレイザーズと対戦している。そして同時期に父親であるザ・グレートカブキと対戦。それぞれの主戦場だったWARと新日本プロレスで二度に渡って「親子」対決を繰り広げた。ちなみにこの1度目のWAR参戦の際には阿修羅・原とも対戦し、勝利している。1994年にはアントニオ猪木が自身の引退興行と銘打った「イノキファイナルカウントダウンシリーズ」にて、猪木の初戦相手を務めた。その後長らく武藤はムタを封印する。

1996年4月29日、新崎"白使"人生戦でおよそ2年ぶりに復活。入場曲を一新し、衣装もさらに派手になった。テレビカメラの前で白使が持参した卒塔婆に白使の流血した血で「死」と書くなどこれまで以上の残忍な試合を展開。後にこの試合は、ムタを代表する試合の一つとなり現在でも入場などで映像が流されることがある。10月にはWARにサプライズ参戦し、天龍源一郎と対戦する。敗北したものの、この試合もファンの間では名勝負と名高いものとなった。また同時期に獣神サンダーライガーとも対戦。序盤から圧倒しマスクをはぎ取るが、その下から禍々しいペイントを施した顔が現れる。これはライガーがムタ打倒のために打ち出した秘策で、後にこの姿は『鬼神ライガー』と呼ばれるようになった。自身の得意技である毒霧を吹きかけられ、容赦ない凶器攻撃に苦戦するが、一瞬の隙を突き、月面水爆で辛くも勝利した。その後の1997年1月4日にパワー・ウォリアーとお互いのギミックの封印を賭け、試合を行い敗北。再び封印された。

同年2月16日に平成維震軍のリーダーとなった越中詩郎に『負けたらムタの維震軍入り』を賭けて2度目の試合を迫られ、無理矢理復活させられる。本人も不本意の復活だっため、試合当日は怒りをあらわにし維震軍ののぼり旗に毒霧を吐くなど暴挙に出た。この試合はムタの勝利で終わったため維震軍入りはしなかった。しかし、同年4月12日の東京ドーム大会で当時nWoジャパンの総帥だった蝶野に勝利。試合後二人は共鳴し、ムタはnWoジャパンに加入した。以後フェイスペイントもnWoロゴをモチーフにした黒いものが中心となり、正規軍や当時プロ格闘家だった小川直也と激戦を展開した。またこの時期、G1にも参戦している。さらに同年から2000年にかけては蝶野と古巣WCWと新日本プロレスを行き来する形になり、nWo本体とも合流した。しかしその最中、1998年にカブキが引退を表明。これに際し、ムタは「一緒に試合がしたい」という慨のコメントを武藤を通じて発表した。そして8月の新日本プロレス大阪ドーム大会でムタとカブキは「親子」タッグを結成。(この時は赤のペイントで顎に『Goodbye daddy』と書かれていた)後藤達俊、小原道由組と対戦し、勝利。カブキの引退に花を添えた。翌99年には大仁田厚扮する自身の偽者グレート・ニタに不快感を示したことがきっかけで神宮球場を舞台に電流爆破デスマッチルールで一騎打ちした。ニタの武器である鎌を奪い、2度毒霧を吹きかけるなど圧倒的な強さを見せつけ勝利を収めた。

武藤が帰国し、スキンヘッドになるとムタを一時封印して、後述の黒使(師)無双が武藤の化身として登場していたが、2002年に全日本プロレスに移籍後、毒蜘蛛をモチーフとするSFX用ラバーマスクとペイントを組み合わせた新しいスタイルで復活を遂げた(マスク制作は特殊メイクアーティスト、JIROによる)。天龍源一郎から三冠ヘビー級王座を奪った他、自身の偽物である『GREAT MUTA』と対戦。さらに、ファンタジーファイトWRESTLE-1でボブ・サップと対戦。敗北したが、試合後に魔術を使ってリングごとサップを行方不明にさせた。2005年にはWRESTLE-1 GRAND PRIX 2005(上記のものとは無関係の興行)で佐々木健介、曙と対戦した。2006年には小島聡と三冠ヘビー級王座を賭け対戦するも、敗北を喫した。また、同じ毒霧の使い手であるTAJIRIとも対戦し、その後タッグも組んで、ゴールドダスティン、白使組らと激突している。

2007年6月17日にはハッスルに参戦し、タレントレスラー相手に巧みな試合コントロールを見せた。中でもインリンのM字固めを切り返した直後、股間に毒霧を噴射したシーンは当日の興行においても名場面として高く評価され、直後に発売された週刊プロレスの表紙も飾った。後にこの噴射によりインリンが失神をするが「ご懐卵」したというギミックが付加され、公式設定としては初のムタの実子が誕生することとなった。当初はニューリン様の例から考えると娘(=ムタスタイルのインリン・クローン)と思われていたが、実際に誕生したのは息子、それも文字通りの怪物と呼ぶに相応しいモンスター・ボノであった。12月31日のハッスルの試合では、天龍源一郎らがボノをキャメルクラッチで捕獲、レイザーラモンRGが生肛門攻撃しようとした瞬間、時計の音が鳴り響き入場ゲートの床が突き出始め、中からグレート・ムタが降臨するというパフォーマンスで登場。試合はTAJIRIに対し毒霧を出した後、親子3人でフォールし勝利を収めた。

2008年1月4日に新日本プロレスに7年8ヶ月ぶりに参戦。後藤洋央紀と対戦し、月面水爆で勝利を収めた。9月28日には、諏訪魔を破り第38代三冠ヘビー級選手権者となった。その後鈴木みのる相手に防衛戦を行い、これを打ち破るが、2009年に高山善廣に奪われた。その後はVOODOO-MURDERSと抗争を繰り広げた。

2013年にWRESTLE-1(前2つとは無関係の団体)に移籍。2014年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に降臨。矢野通と組み、鈴木みのる、シェルトン・X・ベンジャミン組と対戦し、勝利した。5月にはTAJIRIと組んでタッグマッチに臨んでいる他、6月に武藤の愛弟子真田聖也とシングルマッチを行い、勝利した。同時期に真田やTAJIRIと共にTNAにも参戦している。その後、人工股関節を入れる手術を受けたため、長期休養に入る。

そして2019年4月6日、米団体「HOG」の「CULTURE CRASH19」に参戦。メインイベントの6人タッグで昨年3月25日のDDT両国大会以来となる1年ぶりの復帰を果たした。さらにその夜、新日本プロレスのマジソン・スクエア・ガーデン(MSG)大会にサプライズ降臨。第0試合の30人参加1分時間差バトルロイヤルで、30番目に登場し、獣神サンダー・ライガーと対戦した。7月14日には九州プロレスにて国内復帰を果たし、11月2日にプロレスリング・ノアのリングに上がる。ムタとしてはこれが初になり、丸藤正道と対戦し、閃光妖術を決め勝利。その後ノア所属選手となり、丸藤の化身魔流不死とタッグを組み、清宮海斗を試合後車で攻撃するなど、変わらぬ残虐性を見せつけた。2022年6月17日の会見で、引退ロードが発表された。(詳細後述)

2023年1月22日、横浜アリーナでの「GREAT MUTA FINAL " BYE-BYE"」をもって引退した。その後、3月16日にWWE殿堂入りが発表された。

ムタのファイトスタイルは、前述の通り、対戦相手を流血に追い込むほどのラフ攻撃や凶器攻撃、毒霧攻撃などが主体だが、初期の頃は素顔の武藤敬司が使用する技は極力使用せず、忍者らしいアクロバティックな動きなども意識し、試合運びの面においても武藤のものと差別化を図っていた(後述のように例外もある)。しかし、素顔の武藤のファイトスタイルや身体のコンディションの変遷とともに、武藤とムタのファイトスタイルに差異はなくなってきている。

1996年の復活から試合ごとに入場衣装が目まぐるしく変わるようになり、入場もムタの魅力の一つとなった。2002年からはマスクマンになったためマスクにもモチーフが反映されるようになった。基本の頭巾を被った忍者風コスチューム(頭巾の前面にどくろや鬼のマスクがある場合もある)、カブトムシを意識した黒いコスチューム('97蝶野戦など)、異形の怪物を意識したメカニックコスチューム('99ニタ戦)、蜘蛛と忍者を掛け合わせたもの('02コジ戦など)、ジェイソン('04サップ戦)、悪魔('04MUTA戦)、ダース・ベイダー('05健介戦など)、海外遠征によるメキシコでの世界遺産、イギリスでの騎士('07白使&ゴールドダスティン戦)、プエルトリコでのパイレーツ('07ハッスル参戦時)、中国をイメージしたもの('08鈴木戦など)、蜂の巣('14真田戦など)など毎試合工夫をこらしている。

グレート・ムタには偽者が2人登場している。2002年10月に新日本プロレスに初登場したMUTAと、2004年11月に全日本プロレスに登場した前述のMUTAである。どちらもムタと違い全身コスチューム系覆面レスラー(一応ペイントもしている)で、どちらも同じコスチュームだが中身は別人である。

全日本版MUTAは本物のムタに敗れたのち、マスクを脱いで素顔のジョニー・ザ・ブル・スタンボリーとして参戦、VOODOO-MURDERSを結成した。

なお、2002年に新日本に登場したMUTAは、正体を明かしておらず不明である。

別レスラーのオマージュとして宮本和志のグレート・カズシ、大仁田厚のグレート・ニタ、小島聡の愚零斗孤士(グレート・コジ)、TARUのグレート・ルタ、曙のグレート・ボノ、吉江豊の具冷斗油太(グレート・ユタ)、竹村豪氏のグレート・タケ、雷陣明のKIYOSHIなどがある。女子としては工藤めぐみが同系統のキャラクターに扮したことがあったが、予告無しであったためリングネームはそのまま。後付けで「女愚魅」と呼ばれることはある。カブキ直系(本人が連れてきた等)のギミックはムタとユタ、タケとカブキシートのみである。また2008年、全日本所属だった雷陣明がトライアウトを経て、KIYOSHIのリングネームでTNA所属となり、ムタを彷彿とさせる黒いフェイスペイントで活躍していた。

2011年10月23日の「2011 プロレスLOVE in 両国 vol.13」では、「ももいろクローバーZ」ならぬ「グレートクローバーZ」が参戦し、リング上で毒霧を吐いたり場外乱闘を演じた。

2014年にはTNAで真田聖也がパートナーの本家グレート・ムタを背後からイスで襲撃しグレート・サナダに転身した。

2023年11月27日に開催されたプロレスリング・ノアの興行『MONDAY MAGIC ep4』において、ムタの娘と名乗る『愚零闘咲夜』が登場し、その日は試合は行わなかったが、対戦相手に毒霧を噴射し、翌年2024年1月3日の同じくノアの有明アリーナ大会にて正式にデビューしている。また、咲夜とは別に2023年12月29日のアクトレスガールズ後楽園ホール大会にて、ムタの落とし子を名乗る『グレート朝子』が登場しており、現在ムタの娘は二人存在している。

ムタの顔にはしばしば「炎」や「忍」などの漢字が書かれているが、これは武藤が鏡を見ながら自ら文字を書いているため、「忍」の字が裏文字になっている。(NWA時代は「忍」「者」であった)

武藤としての項目で記載した通り、WWEに出場したことはないものの、WCWでの活躍から未だもってアメリカでのネームバリューは高く、人気・知名度ともに日本人レスラーの中ではトップクラスである。事実、前述のTNA所属のKIYOSHIのプロモ映像で武藤としてスティングと共に出演し、スティングはかつてムタと戦ったことに触れながらKIYOSHIに期待するコメントを送り、ナレーターも彼の弟子であることを強調するなど、現在でも影響力の大きいことが窺える。(同時期、TNAの番組内においてバックステージでインタビュー中のクリスチャンの元へも現れ、失礼な質問をした彼を毒霧で威嚇する様子が見られている。)

試合中にバックステージに退場して武藤からムタに変身した試合が2度(1994年4月、1997年3月)、ムタから武藤に変身した試合が1度(1997年9月)あり、いずれも蝶野が絡んでいる。武藤からムタの一つとして、1994年4月の広島グリーンアリーナにおける天龍源一郎とのタッグマッチにおいて試合当初から締りの無い試合運びをする武藤を見かねた天龍が試合中に、マイクを持ち「だらしない試合をしやがって。ムタで来いよ」という喝ともいえる挑発があり、すかさずパートナーの蝶野をリング内に一人にし、およそ4分でムタとなりリングに戻ってきた。

闘魂三銃士で唯一、猪木とのシングルマッチを実現させて、IWGPヘビー級王座のタイトルを最も早く獲得したのはムタである。

諏訪魔戦では三冠ヘビー級チャンピオンに返り咲き、別キャラクターではあるが、同一選手がIWGPヘビー級と三冠ヘビー級のベルトを同時に保持したのは、2005年の小島聡以来二人目である。

かねてよりムタの大ファンであると公言しているザ・ロックとは、お互い携帯電話の番号を交換している仲。ザ・ロックはそのことを「俺はグレート・ムタから電話してもらったことがあるんだぜ。すごいだろ?」と周りのレスラーに自慢している。

妻の芦田久恵と婚約した頃、ムタとして試合に登場し、そのファイトぶりでリングサイドで観戦していた彼女の両親をひかせてしまい、結婚を考え直した方がいいんじゃないかという話にまで発展したことがある。

2007年にテレビ朝日系列で放送されたSmaSTATION!!での花粉症特集で武藤敬司として出演した際に、「グレート・ムタで試合をする時に毒霧を吹かなきゃいけないのに、試合前に鼻づまりが起きて、呼吸困難になるかなという不安感があったが、結果的には大丈夫だった」と、花粉症にかかったことを明かしている。

2019年、ムタとして初めてノアのリングに登場し丸藤正道と闘った際、カメラマンの持っていたハンディカメラを破損させてしまった事がある他、2021年にはABEMAのドローンカメラに毒霧を吹きかけ、使用不能にしてしまった事がある。

黒師無双(こくしむそう)は、武藤敬司扮する日本のペイントレスラー。ギミック上の武藤の第三人格で、天界に住んでいる聖人とされる。

2001年8月19日、みちのくプロレス宮城ニューワールド屋外駐車場特設会場で白使とタッグを組んで対ヒロ斎藤&後藤達俊組戦で初登場。9月16日には新日本プロレスで白使とタッグを組んで対蝶野正洋&マイク・バートン組戦で登場。さらに2002年5月1日、全日本プロレスで白使とタッグを組んで対愚零斗孤士&ジョージ・ハインズ組戦で登場し、2003年8月10日、プロレスリングZERO-ONEでロウ・キーとタッグを組んで対トム・ハワード&ジョシュ・ダニエルズ組戦で登場した。この時にはロウ・キーも顔や体に黒師無双のようなペイントを施していた。2009年6月1日、武藤祭で白使とタッグを組んで対TARU&歳三組戦で再登場を果たしている。

武藤自身が使う技に加え、毒霧や白使が使用する念仏パワーボム、拝み渡りといった技も使用する。蝶野、マイク・バートン組戦の時に毒霧を初使用するが、その時には水を代用した。新日本プロレス再見参のAKIRA、ジャイアント・シルバ戦以降はちゃんとした毒霧を使用するになった。

なお、新日本プロレス時代は黒「使」無双のリングネームだったが、全日本プロレスに移籍してからは黒「師」無双と名前を変えている。ギミックのモチーフは上記の白使と武藤の好きな麻雀の役名「国士無双」から。白使と違って体にはお経ではなく「Pro-wres Love」など英語の文章が書かれている。また、黒師が生まれた背景には、2000年に武藤が髪の毛を剃りスキンヘッドにした為、ムタとして登場しにくくなったということがある。(後にマスクマンという形で復活した)。

なお、武藤・ムタが引退後の2023年3月5日にみちのくプロレスの大会内にて行われたトークショーで、黒師無双は引退していない事が武藤から明かされた。

WWE殿堂(2023年)

NWA世界ヘビー級王座:1回(第80代)

NWA世界TV王座:1回

WCW世界タッグ王座:1回(グレート・ムタとして。パートナーはバンピーロ)

バトルボウル優勝:1回(1992年)

NWAフロリダ・ヘビー級王座:1回

NWA USジュニアヘビー級王座:1回

WWC TV王座:1回

WWCプエルトリコ・ヘビー級王座:1回

三冠ヘビー級王座:3回(第27代、第30代、第38代)

世界タッグ王座:5回(パートナーは第45代太陽ケア→第48代嵐→第54代ジョー・ドーリング→第56代船木誠勝→第60代KENSO)

初代F-1タッグ選手権

チャンピオン・カーニバル優勝:3回(2002年・2004年・2007年)

新春ジュニアヘビー級バトルロイヤル優勝(2011年)

新春ヘビー級バトルロイヤル優勝(2011年)

世界最強タッグ決定リーグ戦優勝:3回(2001年・2007年・2009年)

IWGPヘビー級王座:4回(第13代、第17代、第24代、第49代)

IWGPタッグ王座:6回(パートナーは第4代越中詩郎→第12・33代蝶野正洋2回→第17・24代馳浩2回→第42代太陽ケア)

グレーテスト18クラブ王座:1回(第2代)

G1 CLIMAX優勝:1回(1995年)

G1 TAG LEAGUE(SG TAG LEAGUE)優勝:5回(1993年・1994年・1997年・1998年・1999年)

GHCヘビー級王座:1回(第34代)

GHCタッグ王座:1回(第57代、パートナーは丸藤正道)

WRESTLE-1チャンピオンシップ:1回(第2代)

F-1タッグチャンピオンシップ:1回(初代)

1986年度プロレス大賞 新人賞

1989年度プロレス大賞 特別功労賞

1990年度プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞(with蝶野正洋)

1995年度プロレス大賞 最優秀選手賞

1998年度プロレス大賞 殊勲賞(冬木弘道も受賞)

1999年度プロレス大賞 最優秀選手賞、ベストバウト賞 (5/3 天龍源一郎戦)をダブル受賞。

2001年度プロレス大賞 最優秀選手賞

2005年度プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞(with曙)

2008年度プロレス大賞 最優秀選手賞

2011年度プロレス大賞 ベストバウト賞(8/27 with小橋建太VS矢野通&飯塚高史戦)

2021年度プロレス大賞 ベストバウト賞(2/12 VS潮崎豪戦)

2023年度プロレス大賞 ベストバウト賞(1/1 VS中邑真輔戦)(グレート・ムタとして)

2022年度スポーツ功労者顕彰

技に対するこだわりが強く、一つ一つの技を極めて大切にする選手であり、他のレスラーが使う技でも必ず独自の改良を加え、自分なりの「美学」を形成している。そのため技術を感じられない技や観客を無視した技への嫌悪感は強く、越中詩郎のダイビング・フットスタンプを「あんな技うちの息子だってできる」と言い放ったこともある。武藤の技全体に見られる特徴として、緩急の差の大きさがあげられる。また、ラリアットに対して「あんなの、ただ腕を横に出すだけ」と言い放ったこともある。

コーナーポストの相手に串刺し式で放つ。

コーナーポストに座っている相手に、コーナーを駆け上りながら放つ。

レフェリーの肩を踏み台として放つ。

ブリッジしている味方選手の腹部を踏み台にして放つ。

相手を味方選手に肩車させ、コーナー上から放つ(シャイニング・インパクト)。

立っている相手に放つ。

後頭部に放つ。

パワーボムの返し技として用いる。

技を放った後そのまま体固めに移行する。

グレート・ムタや黒師無双として使用する際は、「ダークネス・ウィザード(閃光妖術または暗黒魔術)」と呼称される場合もあり、イス攻撃した上でそのイスを踏み台にするなどのムーブが加わる。

サー・オリバー・フンパーディンク(フロリダ/ホワイト・ニンジャ)

ジェネラル・スカンドル・アクバ(ダラス/スーパー・ブラック・ニンジャ)

プレイボーイ・ゲーリー・ハート(WCW/グレート・ムタ)

他の闘魂三銃士やプロレス四天王が入場テーマ曲をほぼ固定化しているのに対し、武藤は頻繁に入場テーマ曲を変更しており、引退までに武藤として12曲、ムタとして10曲、黒師として2曲の合計24曲(バージョン違い含む)が使用された。

2022年6月12日、「サイバーファイトフェスティバル2022」に来場し、2023年春での引退を発表した。

6月17日、プロレスリングノア記者会見にて武藤敬司引退ロード「ファイナルカウントダウンシリーズ」を東京・愛知・大阪の3大会、またグレート・ムタのラストマッチを2023年1月22日に横浜アリーナで開催することを発表した。

9月7日、記者会見にて、引退興行を2023年2月21日・東京ドームでの開催を発表。また蝶野正洋が登場し当日の解説ゲストとして来場が決定した。また団体の垣根を超えたオールスター戦を予定しており、武藤に縁のある選手たちが集まる予定であり、ノア所属選手も全員ではなくカードが組まれた選手のみ出場する。チケット価格はVIP席50万円と プロレス興行としては破格の値段設定を発表したが、翌日から開始されたファンクラブ先行予約にて予定枚数を上回る申し込みにより一般販売を待たずしてVIP席、ロイヤルシート10万円の完売を発表した。

9月21日(現地時間)、ニューヨーク・アーサーアッシュスタジアムにて収録開催されたAEWのリングに、サプライズでグレート・ムタが乱入。捕まっていたスティングを助ける形で握手を交わした。翌日、ムタの引退興行である横浜アリーナ大会にスティングの参戦が発表された。

9月29日、参戦予定のなかった福岡大会に急きょ出場が決定。

10月26日、新日本プロレス後楽園大会に、グレート・ムタがサプライズ登場し、試合中のグレート-O-カーンへ毒霧を浴びせた。その後、11月20日の新日本プロレス・スターダム合同興行『Historic X-over』への参戦が決定した。

10月30日、有明アリーナ大会にて、2023年1月1日、武道館大会の第1弾カードとしてグレート・ムタ対中邑真輔が発表された。WWE所属選手の他団体参戦は異例である。

2023年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に参戦、新日本ラストマッチを行った。

1月21日、新日本プロレス横浜アリーナ大会、メイン終了後に解説席にいた武藤がリングに上がり、退場する内藤哲也を呼び止め、引退試合の相手として指名した。

1月22日、プロレスリング・ノア横浜アリーナ大会にて、東京ドーム大会の全対戦カードが発表された。メインをもってグレート・ムタとしては引退(セレモニー等はなし)。

閃光妖術

光る女(1987年) - 松波仙作 役 ※主演。秋吉満ちる、安田成美と共演

ポップコーンLOVE(1990年) - 赤いスーツの男 役

妖獣伝説 ドラゴンブルー(1996年) - 竜崎慎 役 ※田中広子とダブル主演

新・空手バカ一代 格闘者(2003年) ※友情出演

実録ヒットマン 北海の虎. 望郷(2003年) - ロマノフ藤原 役 ※誠直也とダブル主演

力道山(2004年) - ハロルド坂田 役

不良少年(ヤンキー)の夢(2005年) - 山口芳之 役

天地明察(2012年) - 平助 役

ミロクローゼ(2012年) - 賭場オーナー 役

サブイボマスク(2016年) - 甚平茂雄 役

デルシネ「エル・シュリケンvs新昆虫デスキート」(2016年10月15日京都国際映画祭・2017年4月23日沖縄国際映画祭、他上映) - 解説者・武藤敬司 役

リングサイド・ストーリー(2017年) - 武藤敬司(本人) 役

毎度おさわがせしますIII(1987年1月 - 5月、TBS) - 武藤敬司(本人) 役

Age,35 恋しくて(1996年、フジテレビ

武蔵 MUSASHI(2003年、NHK総合) - 阿厳 役

西遊記 第4話(2006年1月30日、フジテレビ) - 岩傑 役

佐々木夫妻の仁義なき戦い 第8話(2008年3月9日、TBS) - クライアント 役

土曜時代劇 陽炎の辻2〜居眠り磐音 江戸双紙〜 第5回(2008年10月4日、NHK) - 薬王寺 役

崖っぷちのエリー〜この世でいちばん大事な「カネ」の話 第3話(2010年7月23日、テレビ朝日・ABC) - 強面の男 役

ここが噂のエル・パラシオ 第8話(2011年11月25日、テレビ東京) - 武藤敬司(本人) 役

逃亡者 おりんスペシャル「最終章」(2012年1月12日、テレビ東京) - 牟多 役

一休さん2 第2話(2013年5月5日、フジテレビ) - 大男侍 役

「辞令は突然に…」second season 〜奥様はさすらいの女子アナ編〜(2013年8月29日・9月5日、読売テレビ) - 武藤部長 役

超限定能力(2015年12月20日、フジテレビ) - 橋田美雪の父親

浅田次郎 プリズンホテル 第8話(2017年12月2日、BSジャパン) - 武藤剛士/ダークネス武藤 役

焼肉プロレス(2019年7月4日 - 9月19日、テレビ大阪) - 宝條竜司 役

俺の家の話 第3話(2021年2月5日、TBS) - 武藤敬司(本人) 役

君と世界が終わる日に 入門編 完全新作SP(2023年3月19日、日本テレビ)- ボスゴーレム 役

倒産回避請負人 裁きの銀(2002年) - 弁護士 役

誇り高き野望 1 - 6(2005年・2006年) - 城東組直参内田組組長 内田恵三 役

武藤敬司の「喝!」(1997年、文化放送) - 約半年間放送。毎週土曜日夕方5時15分 - 5時45分。アシスタントは伊藤佳子アナウンサーでスポンサーは山之内製薬(当時、現・アステラス製薬)

武藤敬司の富士山からムーンサルトプレス(2023年7月1日、YBSラジオ)

武藤敬司 プロレスの砦(FIGHTING TV サムライ)

武藤敬司のスポーツ大百科(2006年11月 - 2007年1月、東海テレビ

武藤敬司☆SHOW(2007年8月 - 、FIGHTING TV サムライ)

銀玉王(サンテレビ) - リーチボーイズとして出演

芸能人パチンコバトル P・リーグリターンズ(2008年1月 - 2008年3月、テレビ愛知)

ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!大晦日スペシャル!!第1部(2008年12月31日、日本テレビ

秘密のケンミンSHOW(読売テレビ) - 山梨県民のパネラーとして出演

出没!アド街ック天国(テレビ東京) -「横浜 青葉台」「河口湖」の回で出演

run for money 逃走中(2012年4月8日、フジテレビ

ワラッチャオ!(2013年、NHK BSプレミアム) - デビルイヤーとして出演

雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク! (2014年2月6日、テレビ朝日) - 「柔道部芸人」回に出演

戦闘車(2017年10月6日 - 27日、Amazonプライム・ビデオ)

相席食堂(2020年7月21日、8月4日、朝日放送)

他多数

学生新聞 ※表紙

他多数

LET IT DIE(2017年、ガンホー・オンライン・エンターテイメント) - カーネル・ジャクソン 役(声の出演)

龍が如く 極2(2017年12月7日、セガゲームス) - 武藤不動産社長・武藤敬司 役

サントリーフーズ 「サントリーコーヒーボス 贅沢微糖」 - 贅沢武藤役。伊藤淳史ほかと共演

Mobage「神撃のバハムート」 - バッハ武藤シリーズ

江崎グリコ 「パワープロダクション」

スパイク 「キングオブコロシアムII」

ユークス 「レッスルキングダム」 「闘魂列伝」

セガ 「ゴールデンアックス2」

東洋水産 「マルちゃん 昔ながらのソース焼きそば」 - 蝶野正洋と共演。他に「焼きそばバゴォーン」、「俺のドロ」

アキレス 「アキレスシューズ」

フジボウ 「B.V.D.」 - 蝶野正洋と共演

アテナ 「プロ麻雀・極 NEXT II」

ウッドホーム

ピーキャストワークス

日刊スポーツ『日汗してます篇』 - スカイ・Aスポーツプラスで放送

サントリー 「-196℃ストロングゼロ<ダブルレモン>」 『記者会見で説教篇』(2010年2月2日 - ) - 石原さとみ、蝶野正洋と共演

TOTO 「TOTOグリーンチャレンジ【ハイドロテクト篇】」(2011年 -)

TOYOTA「トヨタ・プリウス」(2013年)

花王「バスマジックリン スーパークリーン」『新発売篇』(2018年5月 -)

北斗建設(才木玲佳と共演)

他多数

トリプル丼(サークルKサンクスより発売された弁当)

武藤敬司の絶賛キムチ(サークルツー食品より発売されたキムチ)

The Great Soldier(クロサワ楽器より発売されたギター)

レスリー・キー写真集『SUPER TOKYO』(2010年)

ジュマンジ・ロック(2018年、武藤敬司・愛莉with神奈月名義)映画「ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」キャンペーンソング

『烈闘生 - 傷だらけの履歴書』 (幻冬舎、1999年4月) - 橋本真也、蝶野正洋との共著

『野心90%』 (アミューズブックス、2002年4月)

『武藤敬司プロレスの砦』(白夜書房、2003年6月)

『全日本プロレス代表取締役社長武藤敬司』(扶桑社、2003年8月) - 2005年に文庫化

『武藤敬司自叙伝 - 骨の髄までしゃぶり尽くせ!』(経済界、2004年12月)

『武藤敬司のBUMP人生 - 全日本プロレス3年半の軌跡』(扶桑社、2005年7月)

『プロレスで生きる。』(エンターブレイン、2009年12月)

『闘魂三銃士30年―今だから明かす武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也、それぞれの生きざま』(ベースボール・マガジン社、2014年12月)- 蝶野正洋、橋本かずみとの共著

『生涯現役という生き方』(KADOKAWA、2016年6月23日)- 蝶野正洋との共著

『グレート・ムタ伝』(辰巳出版、2021年5月20日)

『骨の髄まで -武藤敬司のラストメッセージ-』(ベースボール・マガジン社、2023年2月)ISBN 978-4583115801

^ 元「マハリーガールズ」メンバー2011年に卒業

^ しかし真相は本家nWoの権利を持つWCWとの契約が満了したといわれている。

^ 2009年6月10日にも同様に行われ、すべて勝利した。

^ 過去には永源遙、垣原賢人、KENTA、金丸義信。

^ プライムフーズ株式会社 兵庫県豊岡市

^ 主に滑舌がただでさえ聞き取りにくかったり、急に話題を変えたりする等のことを指す。

^ これに対し長州は「本当に伸びるのか?」と疑っていた。

^ 山梨は元々マグロ消費が盛んな県であり、2016年の都道府県別マグロ消費量ランキングでは2位を記録している。

^ なお、当該のすかいらーく富士吉田店はガストへの転換を経ながらも現存しており、2024年現在もガスト富士吉田松山店として営業を続けている。

^ 山梨県立富士河口湖高等学校は武藤が高校に入学する前年の1977年に開校しており、武藤は当校の2期生にあたる。

^ スキンヘッドにする数年前から頭頂部の髪が薄くなり始めており、橋本から「Hold Out」のメロディーに乗せて「ムトちゃんはハゲるー♪」と歌われて弄られることもあった。また抜け毛の原因となるので、試合で相手レスラーに髪を掴まれるのを嫌がっていた。

^ なお、武藤が退団する旨を伝えに行った日は坂口征二の引退式当日で、引退の労いのために自分の所に来たと思っていた坂口は武藤からSWSへの移籍の挨拶に来た事に驚き激怒し、武藤はかなり怒られ、海外から帰国して間もなかった事もあり強制的にリング上で凱旋帰国扱いで挨拶させられ、移籍出来ない状況にさせられたという。

^ ただし、『愚零闘咲夜』はムタの娘としてムタ本人も登場するプロモーションビデオ等の活動をしており、ムタ公認となっているが、『グレート朝子』は「グレート・ム●の落し子”と噂される」と微妙に言葉を濁しており、ムタの公認を得ているのかは不明。

^ 2002年のNHK紅白歌合戦に白組応援としてゲスト出演した。

^ 武藤敬司の愛娘が語る「普通に生きるな」父の教えと、プロレス界の天才が家族にだけ見せていた素顔-武藤敬司とムタから学んだこと - gooニュース 2023/02/26

^ 「日本プロレス界の至宝」武藤敬司を鍛えあげたメシの話【レスラーめし】 メシ通 2018-11-27(リクルート、2019年3月8日閲覧)

^ 『武藤敬司自叙伝 - 骨の髄までしゃぶり尽くせ!』 経済界

^ “【武藤敬司連載#3】木村政彦先生はメチャクチャ強かった!〝なんとかグレイシー〟じゃ勝てないよ”. 東京スポーツ (2023年1月12日). 2023年2月3日閲覧。

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^ 武藤敬司25周年記念 特別インタビュー最終回 (1/2)

^ 「武藤敬司 20th ANNIVERSARY 両国直前SPECIAL!」でのインタビュー

^ “武藤敬司が社長を辞任 暴行事件の責任取り=全日本プロレス”. スポーツナビ (2011年6月7日). 2011年6月7日閲覧。

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^ 私にとっての天才・武藤敬司とは…(船木誠勝). Masakatsu FunakiのYouTubeチャンネル. 27 November 2019.

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稲葉大樹

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HAYATA

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スペル・クレイジー

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モハメド・ヨネ

小峠篤司

Hi69

大原はじめ

清宮海斗

拳王

アレハンドロ

カイ・フジムラ(フリー)

晴斗希(道頓堀プロレス)

ガレノ(フリー)

HAYATA

タダスケ

YO-HEY

菊池悠斗(道頓堀プロレス)

ジャック・モリス(フリー)

ダガ(英語版)(フリー)

OZAWA

オオワダサン

オモス(WWE)

遠藤哲哉(DDTプロレスリング)

ヨシタツ(フリー)

岡本保朗(代表取締役社長)

高木規(高木三四郎)(取締役副社長)

丸藤正道(取締役副社長)

西垣彰人(取締役)

武田有弘(取締役)

鈴木裕之(代表取締役/リデットエンターテインメント代表取締役社長)

新原孝一(取締役会長COO)

内田雅之(元取締役会長・リデット社顧問)

不破洋介(元代表取締役社長)

西永秀一(チーフ)

中山真一

塚越佳祐

G-Man

奥田亮(フリー)

ケビン・フォン・エリック

力皇猛

浅子覚(メディカルトレーナー)

大川正也(リングアナ)

難波信二(異動、リングアナ)

味方冬樹(リングアナ)

山本義浩(レフェリー)

松丸元気(フリーリングアナ)

福田明彦(チーフレフェリー)

GHCヘビー級

GHCナショナル

GHCタッグ

GHCジュニアヘビー級

GHCジュニアヘビー級タッグ

GHC女子

GHCハードコア王座

N-1 VICTORY

グローバル・タッグ・リーグ戦

グローバル・ジュニア・ヘビー級リーグ戦

グローバル・ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦(日テレG+杯)

モーリシャス杯争奪リーグ戦

プロレスリング・セム

東京ドーム大会

GREAT VOYAGE'09

CyberFight Festival

MONDAY MAGIC

LIMIT BREAK

浅子覚

太田一平

伊藤旭彦

力皇猛

小橋建太

田上明

森嶋猛

平柳玄藩

友寄志郎

NOSAWA論外

武藤敬司

原田大輔

小川良成

齋藤彰俊

百田義浩(取締役)

三沢光晴(創設者・初代代表取締役)

ラッシャー木村(終身名誉選手会長)

ジョー樋口(初代監査役・初代GHC管理委員長)

バイソン・スミス

仲田龍(元取締役・リングアナウンサー)

永源遙(元常務取締役)

ハーリー・レイス(2代GHC管理委員長)

マイティ井上(レフェリー)

TNAレスリング

MLW

AAA

IWRG

新日本プロレス

KAIENTAI DOJO

ROH

WLW

CyberFight(運営会社)

ノア・グローバルエンタテインメント(旧運営会社)

サイバーエージェント(親会社)

ピーアールエヌ(旧:株式会社プロレスリング・ノア)

GPWA

プロレスリング・ノア中継(日本テレビ

ディファ有明

力道山杯

ディファカップ

ALL TOGETHER

NOAH “NEW HOPE”(ABEMA)

NOAH ABEMA中継

WRESTLE UNIVERSE

武藤敬司

近藤修司

河野真幸

土肥孝司

征矢学

羆嵐

伊藤貴則

カズ・ハヤシ

アンディ・ウー

稲葉大樹

吉岡世起

児玉裕輔

芦野祥太郎

藤村康平

立花誠吾

頓所隼

タナカ岩石

ペガソ・イルミナル

本田竜輝

藤村加偉

仁木琢郎

才木玲佳

ボラ・デ・アロス

皇壮馬(海外遠征中)

馬場拓海

入江茂弘

レネ・デュプリ

CIMA

T-Hawk

エル・リンダマン

MAZADA

三富政行

新井健一郎

エル・イホ・デル・パンテーラ

Enfants Terribles

神林大介

石亀貴規

櫻田愛実

小川朝美

桑原弘樹(コンディショニングコーチ)

武藤敬司(代表取締役会長)

林和広(取締役社長)

近藤修司(取締役副社長)

高木三四郎(元相談役)

チャンピオンシップ

タッグチャンピオンシップ

クルーザーディビジョン王座

リザルトチャンピオン王座

F-1タッグチャンピオンシップ

TNAレスリング

オールスター・レスリング

EWP

AGPW

ファイティングエンターテインメント WRESTLE-1

武藤塾

GENスポーツパレス

プロレス総合学院

Wrestling New Classic

Cheer♡1

馬場正平 1972-1981

松根光雄 1982.1-1989.3

馬場正平 1989.4-1999.1

三澤光晴 1999.5-2000.6

馬場元子 2000.7-2002.9

武藤敬司 2002.10-2011.6

内田雅之 2011.6-2012.10

内田雅之 2012.11-2013.5

白石伸生 2013.6-2013.9

井上博太 2013.9-2014.6

秋山潤 2014.7-2019.7

福田剛紀 2019.7-現在

全日本プロレス

1 ジャンボ鶴田

2 天龍源一郎

3 ジャンボ鶴田

4 テリー・ゴディ

5 スタン・ハンセン

6 テリー・ゴディ

7 スタン・ハンセン

8 ジャンボ鶴田

9 スタン・ハンセン

10 三沢光晴

11 スティーブ・ウィリアムス

12 川田利明

13 スタン・ハンセン

14 三沢光晴

15 田上明

16 小橋健太

17 三沢光晴

18 川田利明

19 小橋健太

20 三沢光晴

21 川田利明

22 ベイダー

23 三沢光晴

24 ベイダー

25 小橋健太

26 天龍源一郎

27 武藤敬司

28 川田利明

29 天龍源一郎

30 グレート・ムタ

31 橋本真也

32 川田利明

33 小島聡

34 太陽ケア

35 鈴木みのる

36 佐々木健介

37 諏訪魔

38 グレート・ムタ

39 高山善廣

40 小島聡

41 浜亮太

42 鈴木みのる

43 諏訪魔

44 秋山準

45 船木誠勝

46 諏訪魔

47 曙

48 大森隆男

49 諏訪魔

50 ジョー・ドーリング

51 潮崎豪

52 曙

53 秋山準

54 諏訪魔

55 宮原健斗

56 石川修司

57 宮原健斗

58 諏訪魔

59 ジョー・ドーリング

60 宮原健斗

61 ゼウス

62 宮原健斗

63 諏訪魔

64 ジェイク・リー

65 宮原健斗

66 ジェイク・リー

67 諏訪魔

68 宮原健斗

69 永田裕志

70 青柳優馬

71 中嶋勝彦

72 安齊勇馬

73 青柳優馬

74 デイビーボーイ・スミスJr.

75 斉藤ジュン

1 ジャンボ鶴田&谷津嘉章

2 スタン・ハンセン&テリー・ゴディ

3 ジャンボ鶴田&谷津嘉章

4 天龍源一郎&阿修羅・原

5 ジャンボ鶴田&谷津嘉章

6 スタン・ハンセン&テリー・ゴディ

7 ジャンボ鶴田&谷津嘉章

8 天龍源一郎&スタン・ハンセン

9 ジャンボ鶴田&谷津嘉章

10 天龍源一郎&スタン・ハンセン

11 天龍源一郎&スタン・ハンセン

12 テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス

13 ジャンボ鶴田&ザ・グレート・カブキ

14 テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス

15 スタン・ハンセン&ダニー・スパイビー

16 テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス

17 三沢光晴&川田利明

18 テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス

19 ジャンボ鶴田&田上明

20 三沢光晴&川田利明

21 テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス

22 川田利明&田上明

23 スタン・ハンセン&テッド・デビアス

24 三沢光晴&小橋健太

25 三沢光晴&小橋健太

26 川田利明&田上明

27 スタン・ハンセン&ゲーリー・オブライト

28 川田利明&田上明

29 三沢光晴&秋山準

30 スティーブ・ウィリアムス&ジョニー・エース

31 川田利明&田上明

32 小橋健太&ジョニー・エース

33 スティーブ・ウィリアムス&ゲーリー・オブライト

34 小橋健太&ジョニー・エース

35 川田利明&田上明

36 小橋健太&秋山準

37 ジョニー・エース&バート・ガン

38 大森隆男&高山善廣

39 三沢光晴&小川良成

40 小橋健太&秋山準

41 ベイダー&スティーブ・ウィリアムス

42 川田利明&田上明

43 太陽ケア&ジョニー・スミス

44 天龍源一郎&安生洋二

45 武藤敬司&太陽ケア

46 ブライアン・アダムス&ブライアン・クラーク

47 小島聡&太陽ケア

48 武藤敬司&嵐

49 小島聡&カズ・ハヤシ

50 永田裕志&ケンドー・カシン

51 太陽ケア&ジャマール

52 川田利明&太陽ケア

53 小島聡&TARU

54 武藤敬司&ジョー・ドーリング

55 太陽ケア&鈴木みのる

56 武藤敬司&船木誠勝

57 太陽ケア&曙

58 KONO&ジョー・ドーリング

59 グレート・ムタ&KENSO

60 ダーク・オズ&ダーク・クエルボ

61 大森隆男&征矢学

62 真田聖也&ジョー・ドーリング

63 大森隆男&征矢学

64 大森隆男&征矢学

65 秋山準&潮﨑豪

66 諏訪魔&ジョー・ドーリング

67 秋山準&大森隆男

68 秋山準&大森隆男

69 曙&吉江豊

70 潮﨑豪&宮原健斗

71 ゼウス&ボディガー

72 関本大介&岡林裕二

73 ゼウス&ボディガー

74 真霜拳號&KAI

75 ゼウス&ボディガー

76 ジェイク・リー&野村直矢

77 関本大介&岡林裕二

78 秋山準&大森隆男

79 諏訪魔&石川修司

80 宮原健斗&ヨシタツ

81 ゼウス&ボディガー

82 崔領二&ディラン・ジェイムス

83 諏訪魔&石川修司

84 関本大介&岡林裕二

85 諏訪魔&石川修司

86 ゼウス&崔領二

87 諏訪魔&石川修司

88 宮原健斗&青柳優馬

89 諏訪魔&芦野祥太郎

90 石川修司&佐藤耕平

91 芦野祥太郎&本田竜輝

92 諏訪魔&KONO

93 宮原健斗&野村卓矢

94 青柳優馬&野村直矢

95 拳王&征矢学

96 宮原健斗&青柳優馬

97 斉藤ジュン&斉藤レイ

98 諏訪魔&鈴木秀樹

99 斉藤ジュン&斉藤レイ

1 アントニオ猪木

2 藤波辰巳

3 藤波辰巳

4 ビッグバン・ベイダー

5 サルマン・ハシミコフ

6 長州力

7 ビッグバン・ベイダー

8 長州力

9 藤波辰爾

10 ビッグバン・ベイダー

11 藤波辰爾

12 長州力

13 グレート・ムタ

14 橋本真也

15 藤波辰爾

16 橋本真也

17 武藤敬司

18 高田延彦

19 橋本真也

20 佐々木健介

21 藤波辰爾

22 蝶野正洋

23 スコット・ノートン

24 武藤敬司

25 天龍源一郎

26 佐々木健介

27 佐々木健介

28 スコット・ノートン

29 藤田和之

30 安田忠夫

31 永田裕志

32 高山善廣

33 天山広吉

34 中邑真輔

35 天山広吉

36 佐々木健介

37 ボブ・サップ

38 藤田和之

39 佐々木健介

40 天山広吉

41 小島聡

42 天山広吉

43 藤田和之

44 ブロック・レスナー

45 棚橋弘至

46 永田裕志

47 棚橋弘至

48 中邑真輔

49 武藤敬司

50 棚橋弘至

51 中西学

52 棚橋弘至

53 中邑真輔

54 真壁刀義

55 小島聡

56 棚橋弘至

57 オカダ・カズチカ

58 棚橋弘至

59 オカダ・カズチカ

60 AJスタイルズ

61 棚橋弘至

62 AJスタイルズ

63 オカダ・カズチカ

64 内藤哲也

65 オカダ・カズチカ

66 ケニー・オメガ

67 棚橋弘至

68 ジェイ・ホワイト

69 オカダ・カズチカ

70 内藤哲也

71 EVIL

72 内藤哲也

73 飯伏幸太

1 ハルク・ホーガン

2 アントニオ猪木

3 アントニオ猪木

1 ブロック・レスナー

2 カート・アングル

3 中邑真輔

1 藤波辰巳&木村健吾

2 前田日明&木戸修

3 藤波辰巳&木村健吾

4 越中詩郎&武藤敬司

5 前田日明&高田伸彦

6 藤原喜明&山崎一夫

7 藤波辰巳&木村健吾

8 長州力&マサ斎藤

9 スーパー・ストロング・マシン&ジョージ高野

10 長州力&飯塚孝之

11 マサ斎藤&橋本真也

12 武藤敬司&蝶野正洋

13 馳浩&佐々木健介

14 スーパー・ストロング・マシン&ヒロ斎藤

15 馳浩&佐々木健介

16 リック・スタイナー&スコット・スタイナー

17 武藤敬司&馳浩

18 ビッグバン・ベイダー&クラッシャー・バンバン・ビガロ

19 リック・スタイナー&スコット・スタイナー

20 スコット・ノートン&トニー・ホーム

21 ホーク・ウォリアー&パワー・ウォリアー

22 スコット・ノートン&ヘラクレス・ヘルナンデス

23 ホーク・ウォリアー&パワー・ウォリアー

24 武藤敬司&馳浩

25 蝶野正洋&天山広吉

26 橋本真也&平田淳嗣

27 山崎一夫&飯塚高史

28 蝶野正洋&天山広吉

29 藤波辰爾&木村健悟

30 長州力&佐々木健介

31 中西学&小島聡

32 佐々木健介&山崎一夫

33 武藤敬司&蝶野正洋

34 蝶野正洋&天山広吉

35 天龍源一郎&越中詩郎

36 天山広吉&小島聡

37 佐々木健介&越中詩郎

38 後藤達俊&小原道由

39 中西学&永田裕志

40 天山広吉&小島聡

41 西村修&藤波辰爾

42 武藤敬司&太陽ケア

43 蝶野正洋&天山広吉

44 吉江豊&棚橋弘至

45 西村修&天山広吉

46 鈴木みのる&高山善廣

47 棚橋弘至&中邑真輔

48 蝶野正洋&天山広吉

49 中西学&大森隆男

50 ジャイアント・バーナード&トラヴィス・トムコ

51 真壁刀義&矢野通

52 ブラザー・レイ&ブラザー・ディーボン

53 ブルータス・マグナス&ダグ・ウィリアムズ

54 ブラザー・レイ&ブラザー・ディーボン

55 高橋裕二郎&内藤哲也

56 永田裕志&井上亘

57 ジャイアント・バーナード&カール・アンダーソン

58 天山広吉&小島聡

59 矢野通&飯塚高史

60 天山広吉&小島聡

61 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr.

62 天山広吉&小島聡

63 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr.

64 カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ

65 後藤洋央紀&柴田勝頼

66 カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ

67 マット・ターバン&マイケル・ベネット

68 カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ

69 真壁刀義&本間朋晃

70 タマ・トンガ&タンガ・ロア

71 ジェイ・ブリスコ&マーク・ブリスコ

72 タマ・トンガ&タンガ・ロア

73 矢野通&石井智宏

74 天山広吉&小島聡

75 ハンソン&レイモンド・ロウ

76 タマ・トンガ&タンガ・ロア

77 ハンソン&レイモンド・ロウ

78 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr.

79 EVIL&SANADA

80 マット・ジャクソン&ニック・ジャクソン

81 タマ・トンガ&タンガ・ロア

82 EVIL&SANADA

83 タマ・トンガ&タンガ・ロア

84 ジュース・ロビンソン&デビッド・フィンレー

85 タマ・トンガ&タンガ・ロア

86 棚橋弘至&飯伏幸太

87 タイチ&ザック・セイバーJr.

88 タマ・トンガ&タンガ・ロア

89 タイチ&ザック・セイバーJr.

90 内藤哲也&SANADA

91 タイチ&ザック・セイバーJr.

92 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI

93 ジェフ・コブ&グレート-O-カーン

94 バッドラック・ファレ&チェーズ・オーエンズ

95 グレート-O-カーン&ジェフ・コブ

96 ダックス・ハーウッド&キャッシュ・ウィーラー

97 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI

98 マーク・デイビス&カイル・フレッチャー

99 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI

100 ヒクレオ&エル・ファンタズモ

101 KENTA&チェーズ・オーエンズ

102 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI

103 KENTA&チェーズ・オーエンズ

104 マイキー・ニコルス&シェイン・ヘイスト

105 グレート-O-カーン&HENARE

106 マシュー・ジャクソン&ニコラス・ジャクソン

1 三沢光晴

2 秋山準

3 小川良成

4 高山善廣

5 三沢光晴

6 小橋建太

7 力皇猛

8 田上明

9 秋山準

10 丸藤正道

11 三沢光晴

12 森嶋猛

13 佐々木健介

14 秋山準

15 潮崎豪

16 杉浦貴

17 潮崎豪

18 森嶋猛

19 KENTA

20 森嶋猛

21 永田裕志

22 丸藤正道

23 鈴木みのる

24 丸藤正道

25 杉浦貴

26 潮崎豪

27 杉浦貴

28 中嶋勝彦

29 エディ・エドワーズ

30 拳王

31 杉浦貴

32 清宮海斗

33 潮崎豪

34 武藤敬司

35 丸藤正道

36 中嶋勝彦

37 藤田和之

38 潮崎豪

39 小島聡

40 拳王

41 清宮海斗

42 ジェイク・リー

43 拳王

44 イホ・デ・ドクトル・ワグナー・Jr.

45 清宮海斗

46 OZAWA

1 ベイダー&スコーピオ

2 三沢光晴&小川良成

3 大森隆男&高山善廣

4 森嶋猛&力皇猛

5 秋山準&齋藤彰俊

6 小橋建太&本田多聞

7 棚橋弘至&永田裕志

8 三沢光晴&小川良成

9 ダグ・ウイリアムス&スコーピオ

10 鈴木みのる&丸藤正道

11 森嶋猛&モハメド・ヨネ

12 小橋建太&本田多聞

13 森嶋猛&モハメド・ヨネ

14 秋山準&力皇猛

15 ディーロ・ブラウン&ブキャナン

16 丸藤正道&杉浦貴

17 バイソン・スミス&齋藤彰俊

18 佐々木健介&森嶋猛

19 力皇猛&モハメド・ヨネ

20 バイソン・スミス&キース・ウォーカー

21 高山善廣&佐野巧真

22 ジャイアント・バーナード&カール・アンダーソン

23 秋山準&齋藤彰俊

24 サモア・ジョー&マグナス

25 KENTA&マイバッハ谷口

26 潮﨑豪&齋藤彰俊

27 丸藤正道&杉浦貴

28 矢野通&飯塚高史

29 マイキー・ニコルス&シェイン・ヘイスト

30 森嶋猛&マイバッハ谷口

31 杉浦貴&田中将斗

32 マイキー・ニコルス&シェイン・ヘイスト

33 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr.

34 丸藤正道&矢野通

35 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr.

36 潮﨑豪&マイバッハ谷口

37 拳王&マサ北宮

38 杉浦貴&拳王

39 丸藤正道&マイバッハ谷口

40 潮崎豪&小峠篤司

41 モハメド・ヨネ&クワイエット・ストーム

42 中嶋勝彦&マサ北宮

43 潮崎豪&清宮海斗

44 中嶋勝彦&マサ北宮

45 丸藤正道&齋藤彰俊

46 中嶋勝彦&潮崎豪

47 マイバッハ谷口&火野裕士

48 モハメド・ヨネ&クワイエット・ストーム

49 中嶋勝彦&潮崎豪

50 杉浦貴&KAZMA SAKAMOTO

51 中嶋勝彦&潮崎豪

52 丸藤正道&望月成晃

53 イホ・デ・ドクトル・ワグナー・ジュニア&レネ・デュプリ

54 杉浦貴&桜庭和志

55 中嶋勝彦&マサ北宮

56 マサ北宮&清宮海斗

57 丸藤正道&武藤敬司

58 杉浦貴&鈴木秀樹

59 イホ・デ・ドクトル・ワグナー・ジュニア&レネ・デュプリ

60 マイケル・エルガン&マサ北宮

61 ティモシー・サッチャー&鈴木秀樹

62 杉浦貴&小島聡

63 マサ北宮&稲葉大樹

64 杉浦貴&谷口周平

65 ティモシー・サッチャー&サクソン・ハックスリー(英語版)

66 ジャック・モリス&アンソニー・グリーン

67 丸藤正道&杉浦貴

68 ジャック・モリス&オモス

1 河野真幸

2 武藤敬司

3 KAI

4 鈴木秀樹

5 KAI

6 征矢学

7 火野裕士

8 KAI

9 稲葉大樹

10 河野真幸

11 芦野祥太郎

12 征矢学

13 芦野祥太郎

14 T-Hawk

15 稲葉大樹

16 中嶋勝彦

17 カズ・ハヤシ

オーヴィル・ブラウン

ルー・テーズ

ホイッパー・ビリー・ワトソン

ディック・ハットン

パット・オコーナー

バディ・ロジャース

ジン・キニスキー

ドリー・ファンク・ジュニア

ハーリー・レイス

ジャック・ブリスコ

ジャイアント馬場

テリー・ファンク

ダスティ・ローデス

トミー・リッチ

リック・フレアー

ケリー・フォン・エリック

ロニー・ガービン

リッキー・スティムボート

スティング

藤波辰爾

蝶野正洋

ザ・グレート・ムタ

バリー・ウインダム

シェーン・ダグラス

クリス・キャンディード

ダン・スバーン

小川直也

ゲーリー・スティール(英語版)

マイク・ラパーダ(英語版)

サブゥー

スティーブ・コリノ

橋本真也

ケン・シャムロック

ロン・キリングス

ジェフ・ジャレット

AJスタイルズ

レイヴェン

ライノ

クリスチャン・ケイジ

アビス

アダム・ピアース

ブレント・オルブライト(英語版)

ブルー・デーモン・ジュニア

コルト・カバナ

ザ・シーク(英語版)

カハガス

ロブ・コンウェイ

小島聡

天山広吉

ジャックス・デイン

ティム・ストーム

ニック・オールディス

Cody

トレバー・マードック

マット・カルドナ

タイラス

EC3

トム・ラティマー(現在

1974 アントニオ猪木

1975 ジャイアント馬場

1976 アントニオ猪木

1977 アントニオ猪木

1978 アントニオ猪木

1979 ジャイアント馬場

1980 アントニオ猪木

1981 アントニオ猪木

1982 タイガーマスク

1983 ジャンボ鶴田

1984 ジャンボ鶴田

1985 藤波辰巳

1986 天龍源一郎

1987 天龍源一郎

1988 天龍源一郎

1989 前田日明

1990 大仁田厚

1991 ジャンボ鶴田

1992 高田延彦

1993 天龍源一郎

1994 橋本真也

1995 武藤敬司

1996 小橋健太

1997 蝶野正洋

1998 小橋健太

1999 武藤敬司

2000 桜庭和志

2001 武藤敬司

2002 ボブ・サップ

2003 高山善廣

2004 佐々木健介

2005 小島聡

2006 鈴木みのる

2007 三沢光晴

2008 武藤敬司

2009 棚橋弘至

2010 杉浦貴

2011 棚橋弘至

2012 オカダ・カズチカ

2013 オカダ・カズチカ

2014 棚橋弘至

2015 オカダ・カズチカ

2016 内藤哲也

2017 内藤哲也

2018 棚橋弘至

2019 オカダ・カズチカ

2020 内藤哲也

2021 鷹木信悟

2022 オカダ・カズチカ

2023 内藤哲也

2024 ザック・セイバーJr.

アンドレ・ザ・ジャイアント

アーノルド・スコーラン

ボボ・ブラジル

バディ・ロジャース

チーフ・ジェイ・ストロンボー

フレッド・ブラッシー

ゴリラ・モンスーン

ジェームズ・ダッドリー

アントニオ・ロッカ

アーニー・ラッド

ザ・ファビュラス・ムーラ

ジョージ・スティール

ザ・グラン・ウィザード

イワン・プトスキー

ペドロ・モラレス

ジミー・スヌーカ

ジョニー・ロッズ

キラー・コワルスキー

キャプテン・ルー・アルバーノ

バロン・マイケル・シクルナ

パット・パターソン

ザ・バリアント・ブラザーズ(ジミー・バリアント、ジョニー・バリアント)

ビンス・マクマホン・シニア

ビッグ・ジョン・スタッド

スーパースター・ビリー・グラハム

ボビー・ヒーナン

ドン・ムラコ

グレッグ・バレンタイン

ハーリー・レイス

ジェシー・ベンチュラ

ジャンクヤード・ドッグ

サージェント・スローター

ティト・サンタナ

ピート・ローズ

カウボーイ・ボブ・オートン

ハルク・ホーガン

ジ・アイアン・シーク

ジミー・ハート

ニコライ・ボルコフ

ポール・オーンドーフ

ロディ・パイパー

ザ・ブラックジャックス(ブラックジャック・マリガン、ブラックジャック・ランザ)

ブレット・ハート

エディ・ゲレロ

ジーン・オーカーランド

センセーショナル・シェリー

トニー・アトラス

バーン・ガニア

ウィリアム・ペリー

カート・ヘニング

ダスティ・ローデス

ジェリー・ローラー

ジム・ロス

ミスター・フジ

ニック・ボックウィンクル

ザ・シーク

ザ・ワイルド・サモアンズ(アファ・アノアイ、シカ・アノアイ)

ザ・ブリスコ・ブラザーズ(ジャック・ブリスコ、ジェリー・ブリスコ)

エディ・グラハム

ゴードン・ソリー

メイ・ヤング

ピーター・メイビア

リック・フレアー

ロッキー・ジョンソン

ビル・ワット

ザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク)

ハワード・フィンケル

ココ・B・ウェア

リッキー・スティムボート

ストーン・コールド・スティーブ・オースチン

ザ・フォン・エリックス(フリッツ、ケビン、デビッド、ケリー、マイク、クリス)

アントニオ猪木

ゴージャス・ジョージ

マッドドッグ・バション

スチュ・ハート

テッド・デビアス

ウェンディ・リヒター

ボブ・ユッカー

ショーン・マイケルズ

アブドーラ・ザ・ブッチャー

ボブ・アームストロング

ジム・ドゥガン

サニー

ザ・ロード・ウォリアーズ(ロード・ウォリアー・ホーク、ロード・ウォリアー・アニマル)& ポール・エラリング

ドリュー・キャリー

ザ・フォー・ホースメン(リック・フレアー、アーン・アンダーソン、タリー・ブランチャード、バリー・ウインダム)& J・J・ディロン

エッジ

ミル・マスカラス

ロン・シモンズ

ヨコズナ

マイク・タイソン

ボブ・バックランド

ブッカー・T

ブルーノ・サンマルチノ

ミック・フォーリー

トリッシュ・ストラタス

ドナルド・トランプ

カルロス・コロン

ジェイク "ザ・スネーク" ロバーツ

ポール・ベアラー

レイザー・ラモン

ジ・アルティメット・ウォリアー

リタ

ミスター・T

ザ・ブッシュワッカーズ(ブッチ・ミラー、ルーク・ウィリアムス)

ケビン・ナッシュ

ラリー・ズビスコ

ランディ・サベージ

リキシ

藤波辰爾

アランドラ・ブレイズ

アーノルド・シュワルツェネッガー

コナー・ミシャレック(英語版)(ウォリアー賞受賞者)

ビッグ・ボスマン

ザ・ファビュラス・フリーバーズ(マイケル・ヘイズ、テリー・ゴディ、バディ・ロバーツ、ジミー・ガービン)

ザ・ゴッドファーザー

ジャクリーン

スタン・ハンセン

スティング

スヌープ・ドッグ

ジョアン・ランデン(英語版)(ウォリアー賞受賞者)

以下レガシー部門 / ミルドレッド・バーク

フランク・ゴッチ

ジョージ・ハッケンシュミット

エド "ストラングラー" ルイス

パット・オコーナー

ルー・テーズ

"セーラー" アート・トーマス

カート・アングル

ザ・ロックンロール・エクスプレス(リッキー・モートン、ロバート・ギブソン)

セオドア・ロング

ダイヤモンド・ダラス・ペイジ

リック・ルード

ベス・フェニックス

エリック・ルグランド(英語版)(ウォリアー賞受賞者)

以下レガシー部門 / ヘイスタック・カルホーン

ジュディ・グレイブル(英語版)

ベアキャット・ライト

マーティン "ファーマー" バーンズ(英語版)

力道山

ルター・レンジ

ジューン・バイアーズ(英語版)

トゥーツ・モント(英語版)

ドクター・ジェリー・グラハム

ゴールドバーグ

ザ・ダッドリー・ボーイズ(ババ・レイ・ダッドリー、ディーボン・ダッドリー)

アイボリー(英語版)

ジェフ・ジャレット

ヒルビリー・ジム

キッド・ロック

マーク・ヘンリー

ジャリウス・ロバートソン(ウォリアー賞受賞者)

以下レガシー部門 / スタン・スタージャック

ロード・アルフレッド・ヘイズ

ダラ・シン

コーラ・コムズ(英語版)

エル・サント

ジム・ロンドス(英語版)

ルーファス・R・ジョーンズ

スプートニク・モンロー

ボリス・マレンコ

ヒロ・マツダ

ザ・ホンキー・トンク・マン

トリー・ウィルソン

ブルータス・ビーフケーキ

D-ジェネレーションX(ショーン・マイケルズ、トリプルH、チャイナ、ビリー・ガン、ロード・ドッグ、Xパック)

ハーレム・ヒート(ブッカー・T、スティービー・レイ)

ザ・ハート・ファウンデーション(ブレット・ハート、ジム・ナイドハート)

スー・アイチソン(ウォリアー賞受賞者)

以下レガシー部門 / ブルーザー・ブロディ

ワフー・マクダニエル

ルナ・バション

S・D・ジョーンズ

プロフェッサー・トール・タナカ

プリモ・カルネラ

ジョセフ・コーエン

新間寿

"プレイボーイ" バディ・ローズ

ジム・バーネット

ジョン "ブラッドショー" レイフィールド

ザ・ブリティッシュ・ブルドッグ

獣神サンダー・ライガー

ニュー・ワールド・オーダー(ハルク・ホーガン、ケビン・ナッシュ、スコット・ホール、ショーン・ウォルトマン)

ザ・ベラ・ツインズ

タイタス・オニール(ウォリアー賞受賞者)

以下レガシー部門 / レイ・スティーブンス

ブリックハウス・ブラウン

スティーブ・ウィリアムス

バロン・ミケーレ・レオーネ(英語版)

ゲーリー・ハート

ケイン

モーリー・ホーリー

エリック・ビショフ

オジー・オズボーン

ザ・グレート・カリ

ロブ・ヴァン・ダム

リッチ・ヘリング(ウォリアー賞受賞者)

以下レガシー部門 / ディック・ザ・ブルーザー

ペッツ・ワトレー

バズ・ソイヤー

エセル・ジョンソン(英語版)

ポール・ボーシュ(英語版)

ジ・アンダーテイカー

ベイダー

クイーン・シャーメル

ザ・スタイナー・ブラザーズ(リック・スタイナー、スコット・スタイナー)

シャド・ガスパード(ウォリアー賞受賞者)

レイ・ミステリオ

グレート・ムタ

ステイシー・キーブラー

アンディ・カウフマン

ティム・ホワイト(ウォリアー賞受賞者)

ポール・ヘイマン

ブル中野

USエクスプレス (バリー・ウインダム&マイク・ロトンド)

モハメド・アリ

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山梨県出身のスポーツ選手

1962年生

存命人物

2025/01/27 03:00更新

mutou keiji


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