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泉大八: ^ 坪内祐三、福田和也『羊頭狗肉 のんだくれ時評65選』Vol.62「皆お世話になったポルノ小説の宇能鴻一郎が純文学で“復活”」(扶桑社SPA! BOOKS、2014年) 桜井淑敏: 文・構成は福田和也 近衛文麿: また福田和也は、伊藤博文から小泉純一郎までの明治・大正・昭和・平成の総理大臣を点数方式で論じた著書の中で、そのあまりの無責任さがゆえに近衞に歴代総理の中での最低の評価点を与えている。 石丸元章: 『不謹慎 酒気帯び時評50選』坪内祐三, 福田和也著 石丸構成 扶桑社 2012 江藤淳: 門人には福田和也・兵頭二十八・大久保喬樹らがいる。 坂本忠雄: 福田和也は世に出る前、江藤淳に目にかけられていたが、感謝しながらも、「やはり先行する世代と戦わなければ、本当の意味で一人前の批評家とはいえないと考え、自分のスタイルの確立の必要性を感じていた。 村上春樹: 福田和也は、『作家の値うち』(飛鳥新社、2000年)の中で村上を夏目漱石以降で最も重要な作家と位置づけた。 横森理香: 福田和也は『ぼぎちん』を極めて高く評価している。 網野善彦: 西尾幹二や福田和也も、著書で網野の史論を批判しているほか、小谷野敦は『日本売春史』において、網野の「遊女」像を批判している。 乃木希典: こうした乃木の変化について、文芸評論家の福田和也は、西南戦争で軍旗を喪失して以来厭世家となった乃木が、空論とも言うべき理想の軍人像を体現することに生きる意味を見いだしたと分析している。 松原隆一郎: 『皆殺しブック・レヴュー かくも雅かな書評鼎談』佐藤亜紀、福田和也共著(四谷ラウンド、1997年) 前間孝則: 半藤一利、秦郁彦、前間孝則、鎌田伸一、戸高一成、江畑謙介、兵頭二十八、福田和也 ほか『零戦と戦艦大和』文春新書、2008年8月20日。 柴崎友香: 作家の保坂和志から高い評価を受けるが、三島由紀夫賞選考では保坂との作風の類似も指摘されている(福田和也の評)。 柄谷行人: 『新潮』2004年8月にて福田和也と「現代批評の核」と題した対談を行う。 矢作俊彦: 1997年の大作『あ・じゃ・ぱん』は、日本列島の東西が共産主義と資本主義で独立国家として分裂する、という大胆な設定の大作で、全篇にわたって虚実を問わず膨大な事象から引用・パロディ・剽窃が組み込まれた技巧的な結構が福田和也をはじめとした批評家から高い評価を受けた。 柳美里: この年福田和也、リリー・フランキー、坪内祐三と共に、文芸誌『en-taxi』を創刊。なお福田和也とは一時激しく敵対していたが、その後和解。 柳美里: 2003年 - 福田和也、リリー・フランキー、坪内祐三と共に、文芸誌『en-taxi』を創刊。 リリー・フランキー: 2003年、福田和也、柳美里、坪内祐三との共同編集で、季刊の文芸誌『en-taxi』を創刊する。 吉田拓郎: 福田和也は、「吉田拓郎はメロディメーカーとしても、すごい独特。 石丸元章: 『男の教養 トンカツ放談』福田和也共著 ベストセラーズ 2010 永江朗: 2001年には、文芸評論家福田和也の『作家の値うち』に示唆され、同時代の44人の批評家を論じた読み物『批評の事情』を出したが、批評家・山形浩生に周到に反論された。石原慎太郎、小林よしのりら保守系の文化人や、保守派の政治家を嫌い、痛烈に罵倒しているが、福田和也に対する正面からの批判は避けている。 立川談春: 福田和也の勧めにより季刊文芸誌『en-taxi』(扶桑社)にて、談志との逸話や前座時代のエピソードを記したエッセイ『談春のセイシュン』を連載(NO.9 - NO.19)。 坪内祐三: 2003年3月、福田和也、リリー・フランキー、柳美里と共に同人参加し、超世代間をウリにした季刊文芸誌『en-taxi』を扶桑社より創刊。 柄谷行人: 1996年、『新潮』5月号に絓秀実、福田和也との座談会「20世紀の批評を考える」が掲載される。 絲山秋子: 文庫版『海の仙人』の後書きを手掛けた文芸評論家の福田和也は『SPA!』2008年10月21日号の坪内祐三との連載対談で、『ばかもの』を絶賛して、絲山が村上春樹を駆逐する存在になるのではないか、と評した。 綿矢りさ: 選考委員の福田和也、島田雅彦より高い評価を受ける。 松原隆一郎: 『本日の論点 1』鹿島茂、福田和也共著(飛鳥新社、2006年) 富岡幸一郎: 座談会本『皆殺し文芸批評』では絓秀実・福田和也等と討論している。 富岡幸一郎: 『皆殺し文芸批評--かくも厳かな文壇バトル・ロイヤル』(柄谷行人 絓秀実 清水良典 島弘之 大杉重男 福田和也 東浩紀座談、四谷ラウンド 1998年) 石原慎太郎: 文芸評論家福田和也は、日本の現役小説家を採点した自著『作家の値うち』(2000年)の中で『わが人生の時の時』に100点満点中96点と最高点を付け、情景の鮮烈さが特に魅力的で、「数世紀後に、20世紀日本文学をふり返った時に名前が挙がるのはこの作品ではないだろうか」と評した。 |
福田和也
福田 和也(ふくだ かずや)さんの誕生日は1960年10月9日です。東京出身の文芸評論家のようです。
保守論客として、家族などについてまとめました。映画、テレビ、家族に関する情報もありますね。福田和也の現在の年齢は63歳のようです。
福田 和也(ふくだ かずや、1960年(昭和35年)10月9日 - )は、日本の文芸評論家。慶應義塾大学環境情報学部名誉教授。株式会社BSフジ番組審議会委員を務める。 東京都北区田端出身。高校生の時に神奈川県葉山町へ転居した 。お茶の水女子大学附属小学校、お茶の水女子大学附属中学校、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学文学部文学科仏文学専攻で古屋健三に師事し 、フランス文学研究の主流への激しい反発から「誰もテーマに選ぼうとしなかった」ファシズム作家を研究対象とし、第二次世界大戦時にナチス・ドイツへ積極的に協力したフランスの文学者(コラボラトゥール作家)を研究テーマに選択する。初出版は1989年12月に『奇妙な廃墟――フランスにおける反近代主義の系譜とコラボラトゥール』で、国書刊行会の編集者・佐々木秀一に要請され執筆した。著述は難航し、大学院在学中の1983年4月から1985年3月まで2年、大学を出て家業の福田麺機製作所を手伝いながら3年、執筆に専念して2年、と計7年間を費やした。本作で江藤淳に見出される。 1990年、当時の編集長白川浩司の強いサポートにより月刊『諸君!』に「遥かなる日本ルネサンス」を連載開始、多大な反響を起こし論壇に登場した。近代日本の文芸評論を軸に文筆活動を開始した。『新潮』1991年4月号に「虚妄としての日本―モダニズムの地平と虚無の批評原理」を発表。1993年5月、『日本の家郷』(新潮社、1993年2月)で第6回三島由紀夫賞を受賞。なお同時受賞は車谷長吉『鹽壺の匙』(新潮社、1992年10月)だった。1996年、『甘美な人生』(新潮社、1995年5月)で第24回平林たい子文学賞評論部門を受賞する。なお小説部門の受賞は村上龍『村上龍映画小説集』(講談社、1995年6月)だった。1997年9月の第29回から新潮新人賞の選考委員を務める。1999年12月から、新たに創設された角川春樹小説賞の選考委員を務めるも2000年12月の第2回選考で辞任する。 2000年5月の第13回選考から三島由紀夫賞の選考委員を務める。2002年7月から週刊誌『SPA!』で坪内祐三と連載対談を開始する。2002年11月、『地ひらく』で第11回山本七平賞を受賞する。2006年、『悪女の美食術』(講談社、2006年4月)で第22回講談社エッセイ賞を受賞する。野崎歓『赤ちゃん教育』(青土社、2005年7月)が同時受賞。以降『文藝春秋』『週刊新潮』『産経新聞』『週刊現代』『SPA!』『週刊文春』などで執筆している。ラジオはニッポン放送の様々な番組にコメンテーターとして出演し、 テレビはBSフジの『メッセージ.jp』の聞き手を除いて出演していなかったが、2006年4月から毎月第三金曜日に「とくダネ!」でレギュラー出演している。1996年9月から慶應義塾大学環境情報学部勤務となったが、学会活動はしていないと公言し、江藤淳の奨めでかつては比較文学会に所属していたが、この時期あたりにはどの学会にも所属していないとされる。慶應で非常勤講師を始めた際に江藤から、批評に専念するのではなかったのかと叱責されたが、その後江藤が慶大助教授の職を斡旋してくれたと語っている。福田ゼミ出身者には、一青窈、佐藤和歌子、酒井信、大澤信亮、鈴木涼美などがいる。2001年の秋学期には慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスでの福田和也研究会に菊地成孔を招いた。 2003年に柳美里、坪内祐三、リリー・フランキーと共同編集で文芸誌『en-taxi』を創刊し、のちに柳が抜ける。坪内とは『SPA!』で、対談を長年続け深い関係だった。『en-taxi』ではしばしば立川談志へのインタビューを行っており、落語への造詣も深い。立川談春の文才を見抜き『en-taxi』誌上で『談春のセイシュン』(のちに単行本『赤めだか』、講談社エッセイ賞受賞)の連載もスタートさせた。2007年5月、第20回選考で三島由紀夫賞選考委員を辞任した。 2010年9月、第9回選考から新潮ドキュメント賞の選考委員を務める。2011年、妻を置いて恋人とアパートに家出する。なお、福田と親しくしていた西部邁(評論家)は「…色欲、暴食…など色々と「人間関係の安定化」にとって有害との理由で禁じられて然るべきプロペンシティ(性向)が人間にはある」と述べている。2016年8月、第15回選考で新潮ドキュメント賞選考委員を辞する。2016年9月、新潮新人賞選考委員も辞任する。2018年4月、長年『SPA!』に連載した坪内祐三との対談が最終回となる。2022年、慶大教授を定年前に退職、名誉教授となる。なお2010年代後半から大病を患っており、本格的な著述活動を控えていた。 保守論客としてデビュー後しばらくは「ファシストのパンク右翼」を自称し、『日本クーデター計画』を出版するなど世の良識を逆撫でする発言を繰り返した。ファシズムの思想史的意義を強調する一方で「失敗したファシズムが丁度良い」 などとも発言する。 左翼思想の変種とも揶揄されるポストモダニズムを、マルティン・ハイデガーを介してファシズムに繋げたが、一時期「友人」を名乗っていた「護憲派」の大塚英志からは「実は左翼」などと評された。 2000年に出版した『作家の値うち』で、純文学と大衆文学の現役作家を五十人ずつ、全百人の主要作品を百点満点で採点し、多くの有名作家作品を「読んでいると恥ずかしい」レベルなどと評し、浅田彰や安原顕からは厳しく批判された。師匠の江藤が評価しなかった古井由吉や村上春樹を評価し、江藤が絶賛した中上健次の『千年の愉楽』を「インチキポルノ」と評するなど、江藤とは文学の評価にかなりのズレがある。柳美里『ゴールドラッシュ』、島田雅彦「無限カノン三部作」を厳しく批評し、二人の反撥を招いたが、対談で手打ちをしている。 家族妻は慶應義塾大学文学部の同級生で、岳父は大岡山在住の医師(医学部教員)でカトリック信者。 2024/05/26 12:20更新
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fukuda kazuya
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