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田淵幸一の情報 (たぶちこういち)
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【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

田淵幸一の情報(たぶちこういち) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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田淵 幸一さんについて調べます

■名前・氏名
田淵 幸一
(読み:たぶち こういち)
■職業
野球選手
■田淵幸一の誕生日・生年月日
1946年9月24日 (年齢78歳)
戌年(いぬ年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和21年)1946年生まれの人の年齢早見表

田淵幸一と同じ1946年生まれの有名人・芸能人

田淵幸一と同じ9月24日生まれの有名人・芸能人

田淵幸一と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


田淵幸一と関係のある人

村山実: 村山は捕手の田淵幸一に「今日は全部フォーク。


谷村智啓: 公式戦と同じ田淵幸一とのバッテリーであったが、専任捕手として出場した野村克也に1回に先制打、3回には勝ち越し2ラン本塁打を浴びて降板。


山崎武司: 2000本安打を達成せず、400本塁打を達成した(日本球界では他に田淵幸一、タフィ・ローズがいる)。


竹之内雅史: 1979年、田淵幸一・古沢憲司とのトレードで真弓明信・若菜嘉晴・竹田和史と共に阪神タイガースへ移籍し、開幕から4番打者に座る。


立石充男: 引退後は南海→ダイエーで二軍守備・走塁コーチ(1987年 - 1988年)→一軍守備・走塁コーチ(1989年 - 1992年)を務め、ダイエー時代は田淵幸一監督と言い合ったこともあった。


東田正義: 開幕から田淵幸一、ハル・ブリーデンの後の6番打者として起用され、7月中旬まで3割に近い高打率を維持するがその後は腰痛のため失速した。


堀井和人: 1年上の田淵幸一・山本浩司らに続く下位を打って活躍し、優勝した1968年春季リーグでは打率.410の好成績をあげている。


奥宮種男: 同年は若菜嘉晴の控え捕手として自己最多の53試合に出場したが、1979年には田淵幸一・野村克也の加入もあり、出場数が激減。


八田有加: 1981年に当時西武ライオンズの選手だった田淵幸一と結婚し、芸能界から引退。


いしいひさいち: ただし、モデルになった田淵幸一は大らかな性格で、『タブチくん!!』の愛読者だったと伝えられている。


山本浩二: 投手として法大野球部に入部したが、1年生部員だけで70~80人いた当時の法大では台頭できず、すぐにエリートコース(合宿組)に入った田淵幸一と違って、富田勝、桑原秀範らと共に一般部員の立場に甘んじていた。


アレックス=カブレラ: 934試合での300本塁打は田淵幸一の1072試合を大きく更新する最速記録となった。


本原正治: プロ5年目の1990年シーズン途中、支配下選手登録され、打撃練習に投げ始めた矢先の6月14日、トレード期限間際に、投手陣の故障者が相次ぎ最下位に喘いでいた福岡ダイエーホークスの田淵幸一監督の要望により、山田武史とともに実質無償(2人で100万円の金銭トレード)で移籍する。


手塚一志: 2002年から2年間、阪神タイガースの田淵幸一バッティングコーチの下で打撃指導を行った。


森田まさのり: 特にホームラン王・田淵幸一の大ファンである。


関川浩一: 1995年シーズンは捕手としてはチーム最多の94試合に出場(先発マスクでは86試合出場)初の規定打席到達(阪神の捕手では1988年の木戸以来、生え抜きのドラフト指名選手では田淵幸一・木戸以来三人目の達成者)を果たした。


松下賢次: 田淵幸一のホームラン・スタジアム(1985年)


立花義家: 田淵幸一、土井正博、山崎裕之、大田卓司、スティーブ・オンティベロスら強打者が好調で打順が上がらなかったため、「恐怖の7番打者」と評された。


木戸克彦: 大学の先輩である田淵幸一が西武へ移籍して以来4年間空番になっていた背番号「22」が与えられるが、1年目の1983年はプレッシャーもあって腰痛が悪化して戦線離脱。


長池徳士: 」、同年3位で3年連続優勝を逃し、田淵幸一が引退し、4年目でまだ4本塁打だった秋山幸二を「4番にしてくれ」と口説かれた。


村田康一: 0-0の3回表、中日の攻撃で、2死ながら二塁走者に田尾安志を置き、右打席に平野謙が立ったが、彼の打球は西武の一塁手・田淵幸一の右を抜きながらも、その打球が一塁塁審の村田の足を直撃した。


中谷仁: 将来の正捕手候補として期待され、背番号は歴代の正捕手である田淵幸一や木戸克彦が着用していた22となった。


渡辺直人: 11日には、山崎武司が「出すべき選手ではなかった」と渡辺のトレードに疑問を投げかけ、前述の契約更改の様子を聞いたコーチの田淵幸一も「渡辺だけは出すべきじゃなかった」とコメントしたと報じられた。


阿部慎之助: 300本塁打:2013年4月21日、対広島東洋カープ6回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回表に中村恭平から右越2ラン ※史上38人目(捕手では野村克也・田淵幸一に次いで3人目)


阿部慎之助: 1000打点:2014年6月7日、対埼玉西武ライオンズ4回戦(東京ドーム)、5回裏に岸孝之から右越ソロ ※史上42人目(捕手では野村克也・田淵幸一・古田敦也・谷繁元信に次いで5人目)


西本聖: 第5戦にも先発したが、この途中の4回表、田淵幸一に本塁打を打たれるまでに、(81年シリーズから通算で)日本シリーズ連続イニング無失点記録を25年ぶりに更新(26→29イニング)した。


中内正: お前はその専門家を使う人間にならなきゃいけない」と、当時監督の田淵幸一を解任し、後任に根本が監督に就任した。


村山実: 8月26日の広島戦(甲子園)では田淵幸一が頭部死球を受けて死線をさまよい、江夏は心臓疾患でニトログリセリンが手放せなくなった。


池辺巌: 更に、この時阪神は田淵幸一(こちらもファウルチップが当たったため交代)、大島忠一(代打起用済)と捕手全員を使い切っていた。


遠井吾郎: それから二死一塁で星野、竹田和史と投手を代えてきた中日が田淵幸一を迎えたところで鈴木孝政へとスイッチしたが、ここで田淵が左中間へと運ぶ逆転の2ラン本塁打を放つ。


田淵幸一の情報まとめ

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田淵 幸一(たぶち こういち)さんの誕生日は1946年9月24日です。東京出身の野球選手のようです。

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引退、テレビ、父親、結婚、家族、母親、病気、映画、離婚、再婚、現在、事件、ドラマ、事故に関する情報もありますね。今年の情報もありました。田淵幸一の現在の年齢は78歳のようです。

田淵幸一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

田淵 幸一(たぶち こういち、1946年9月24日 - )は、東京都豊島区出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)・指導者(監督、コーチ)、野球解説者、野球評論家、タレント。阪神タイガースOB会会長(第6代)。

株式会社タブチエンタープライズ所属(生島企画室にも業務提携で在籍)。ニックネームは「ブチ」「ブッちゃん」「タブタ」「オッサン(東尾修が使用)」。3代目ミスタータイガースとも称される。

現役時代は阪神タイガースの主砲として活躍し、1979年に移籍した西武ライオンズではチームの2年連続リーグ優勝・日本一に貢献した。引退後は福岡ダイエーホークス監督、阪神・楽天のコーチを歴任。また、北京オリンピック野球日本代表ヘッド兼打撃コーチも務めた。

妻は元女優・タレントのジャネット八田(八田有加)で、長男はフジテレビアナウンサーの田淵裕章。次男は元俳優の田淵帝次。

父親が毎日新聞社の山形地区販売担当をしていたとき、当地寒河江市で農業を営む母の家に新聞販売で訪れ、知り合い、上京して結婚し幸一が生まれた。父親が毎日新聞社に勤めていたこともあり、裕福な家庭で生まれ育った。両親と姉の4人家族。豊島区立高田中学校(現・豊島区立千登世橋中学校)在学中に野球を始め、2年生には五番打者となる。

法政大学第一高等学校に進学。1年生時の秋季東京都高等学校野球大会では正捕手として準決勝に進出するが、日大一高に7回日没コールド負けを喫し、選抜大会出場を逃す。3年生の時の全国高等学校野球選手権東京大会では準々決勝まで進むが、日大二高に9回サヨナラ負けを喫し、全国選手権出場には届かなかった。

1965年4月に法政大学経済学部に進学。1年生の春から東京六大学野球リーグに出場。同年にはマニラで開催された第6回アジア野球選手権大会日本代表(東京六大学選抜チームが派遣)に選出され、日本の優勝に貢献した。この時の正捕手は早大の大塚弥寿男だったが、2年後の同大会では中心打者として完全優勝を飾っている。山中正竹らとバッテリーを組み、在学中3度のリーグ優勝を経験。リーグ通算97試合出場、342打数94安打、打率.275、78打点。ベストナイン3回選出(4年の1968年秋季は早大阿野鉱二が選出され自身はベストナイン特別賞)。山本浩二・富田勝と共に「法政三羽烏」と呼ばれ、3年生の春にそれまでの本塁打リーグ通算記録(8本)を早々と更新、通算で22本塁打まで伸ばし、1997年に慶大・高橋由伸に破られるまでリーグ記録だった。なお、高橋に新記録となる23本目の本塁打を打たれた投手が、田淵の母校・法政大学所属で後にプロでも田淵と同じ阪神タイガースに入団することになる安藤優也である。安藤は法政大学野球部の新年会で田淵に「お前、とんでもないことをしてくれたな」と言われ、以後安藤は田淵への謝罪を込めてお中元やお歳暮を贈っているという。

1968年度ドラフト会議にて阪神タイガースから1位指名を受け、入団。ドラフト会議前には巨人の指名が確実視され本人もそれを望んでいたとされたが、山本浩二や関西出身の富田を指名すると噂されていた阪神が、「在京ならまだしも関西球団はちょっと……」という田淵を1位指名した。ドラフト前に巨人関係者と会食し、「君には背番号2を用意している」と言われ感激したが、ドラフト指名がこのような結果になってしまい、落胆した。一方、諦めきれない巨人側も、田淵を一度阪神に入団させ後に巨人へ移籍させる「三角トレード」を提案、また密かに田淵との会談を画策したが、阪神側はトレードを拒否。巨人入りが絶望的となり田淵は阪神と契約した。阪神側から指名前の挨拶は一切なかった。

ドラフト指名後の記者会見で、母親が田淵を「ボクちゃん」と呼んでいることが発覚し、記者たちの度肝を抜いた。

阪神入団後はオープン戦で本塁打を2本放ち、強肩、強打の捕手として1年目からレギュラーに定着。22本塁打を放ち、捕手として初めての新人王を受賞した。新人でのシーズン22本塁打は2021年に佐藤輝明が並ぶまで球団記録であった。

2年目の1970年は8月上旬には20本塁打に到達するなど、ハイペースで本塁打を量産する。しかし、8月26日の対広島戦で外木場義郎から左こめかみに死球を受け昏倒。耳からの出血もありすぐさま救急車で病院に搬送され、以降のシーズンを棒に振った。このときのケガは「田淵の体質がこれで全て変わってしまった」と言われるほど大きなもので、翌年以降まで尾を引き、入団当時「もやし」「キリン」のあだ名をつけられるほどやせていたが、だんだんと太りだしてしまったとされる。一方で、田淵自身に死球の瞬間の記憶が残っておらず、死球後遺症としての内角球恐怖症にはならなかったという。

1971年は死球禍も癒えてオープン戦から快調に本塁打を打つが、3月末に風邪をこじらせて急性腎炎を発症し、入院加療を行う。6月17日の大洋戦から戦列に復帰するが、まだ入院中でしばらく病院から球場に通い、23日にようやく退院した。この年は大事を取って、主に一塁または外野に回り、捕手としての出場は1試合に留まった。

この頃より打撃フォームを一本足打法にしてから飛距離が伸び始め、1972年には34本塁打を記録した。江夏豊とのコンビは「黄金バッテリー」と呼ばれた。

1973年4月から5月にかけて、巨人を相手に同一カード7打数連続本塁打という記録を作っている。

同年9月9日の対ヤクルト25回戦で、ヤクルトの安田猛が続けていた連続イニング無四死球のプロ野球新記録の更新を81で止める。安田は7月17日の対阪神15回戦、8回表一死二塁で田淵を敬遠で歩かせたのを最後にその試合の9回から無四死球を続け、1950年の白木義一郎の74を破って記録を更新していたが、この試合、2-2の9回二死二塁で田淵を敬遠したことによりその記録が止まった。

1974年に父親が他界。当日試合前に知らせの電報を受け取り、監督・金田正泰も「試合を気にせんと帰ったれ」と田淵を気遣ったが、それらを振り切ってあえて出場し、平松政次から本塁打を2発放った。

1975年には王貞治の14年連続本塁打王を阻止する43本塁打を打ち、初タイトルを獲得した。この前年、田淵は自己最多の45本塁打(自身初のシーズン40本塁打)を放ちながらも4本差で本塁打王を逃していたが、1975年は怪我で出遅れた王を尻目に開幕から打ちまくり、最終的に王に10本差をつけてタイトルを獲得した。死球を受け、左手をまともに使えない状況で右手だけを使い、打った本塁打も含まれている。

1978年11月15日の深夜に大阪梅田のホテル阪神にて、クラウンライターライオンズから生まれ変わったばかりの西武ライオンズにトレード通告される。阪神から田淵・古沢憲司の2人、クラウンから真弓明信・竹之内雅史・若菜嘉晴・竹田和史の4人という大型トレードであった。このシーズンは阪神が球団史上初の最下位に沈んで後藤次男監督が1年で解任され、次期監督に球団OBではないドン・ブレイザーを招聘することが決まっていた。

このトレードは深夜に呼び出されて通告されるという異例のものであり、田淵にとっても不満は大きかった。球団側の「今度行く西武の根本監督は良い監督だから、行ってよく勉強して来い」という説得に対し、「じゃあ、(阪神の)ブレイザー監督は良い監督ではないんですか?」と言い返したという。その後もテレビのインタビューで不満をぶちまけるなど、すったもんだの末にようやく決着した。

阪神在籍10シーズンで4番打者としての出場数812試合(チーム歴代3位)本塁打247本(チーム歴代1位)574打点(チーム歴代3位)と、3代目ミスタータイガースと呼ぶに相応しい成績を残した。

西武で体を鍛え直し、1980年に一塁手に転向、指名打者でも活躍した。5年ぶりとなる40本塁打以上(43本塁打)を記録(西武球団史上初の40本塁打でもある)。1982年・1983年には阪神時代に成しえなかったリーグ優勝と日本一も経験した。1983年には5月8日対ロッテ戦で3年ぶりの盗塁に成功し、7月10日(チーム67試合目)までに29本塁打を放ち、当時のシーズン最多本塁打記録(55本)更新とセ・パ両リーグ本塁打王獲得が期待されたが、13日の近鉄戦で柳田豊から死球を受け左手首骨折により長期欠場。復帰はシーズン終盤の10月4日となった。1983年の日本シリーズでは第1戦で江川卓から3ランを放つと、第5戦では日本シリーズ29イニング連続無失点中であった西本聖を攻略するために野球人生で初めてバットを短く持って打席に立ち、本塁打にするなどの活躍をし、このシリーズの優秀選手賞を受賞した。1984年9月23日現役引退を表明。9月29日、西宮球場の対阪急戦が現役最終試合となり、試合後に胴上げされた。この試合では阪急の応援演奏をおこなう阪急百貨店吹奏楽団の「ラッパ隊」が、田淵のために「六甲おろし」を奏でて贈った。後述にもあるように怪我や病気の多さで有名でもあったが一番の決め手は花粉症による病状が引退の決め手と言われている。結果的に言えば、この引退により翌年、「ミスタータイガース」が阪神相手に日本シリーズを戦うことを回避することになる。

引退後の1985年から5年間、TBS(テレビ・ラジオ)の解説者を務める。1985年オフに西武の監督広岡達朗が解任。後任監督にオーナーの堤義明の希望で田淵の名前が挙がり球団フロントは参謀役に前年退団していた森昌彦を充てようと考えたが、森は首を縦に振らず田淵の監督起用を断念、森が西武の監督に就任した。

1987年オフに阪神の監督吉田義男が解任。後を継いだ新監督村山実からヘッド兼打撃コーチ就任を依頼されたが、過去にトレードに出された際の球団の不手際もあり、復帰を断った(村山の希望とは裏腹に阪神球団は田淵の復帰を望んでいなかった)。田淵は「村山タイガースなら帰るが阪神タイガースへなら帰りたくない」と述べた。

1990年にダイエーの監督に就任。ヘッドコーチに黒田正宏(法大の1年後輩捕手)、打撃コーチに大田卓司、スコアラーに豊倉孝治と西武OBを招聘しょうへいした(黒田はホークスOBでもある。また大田・豊倉は西武の前身で福岡に本拠を置いていた西鉄→太平洋→クラウンに在籍経験がある)。選手補強では就任間もないドラフト会議で嘗ての自身と同じく巨人を熱望する元木大介を野茂英雄の外れ1位で指名したが入団には至らず。西武時代同僚の杉本正、広橋公寿(福岡出身)を懇意の星野監督率いる中日からトレードで獲得。西武式の練習を取り入れ、「俺はいくら阪神でホームランを打っても優勝できなかったけど、西武の広岡野球で二度の優勝を味わった。やはり緻密じゃないと勝てないんだ。」、監督就任後の秋のキャンプでは二言目には「西武では〜」、「広岡さんは〜」と言ったという。1年目はチーム順位・打率、本塁打、得点、失点、防御率はすべてリーグ最下位に終わった。85敗、勝率.325は2リーグ制以降の球団のワースト記録。1年目は早々に竹之内雅史打撃コーチ(現役時代のトレード相手)は意見が合わずに退団、中西邦之投手コーチは成績不振のため休養、また、トニー・バナザード、ウィリー・アップショー両外国人選手との確執を残すなど、人事面で大きなトラブルが相次いだ。10月28日にはセレクション会議(12球団が一堂に会するトレード会議)に参加するに当たって、「ウチは金銭ならいいが、交換トレードとなると苦しいね。交換できる選手がいない。その点、浩二(広島・山本監督)とこはいいよな。長嶋や長内がリストに入っているらしい。2人とも他のチームならレギュラークラスだ」と発言。他球団のトレード要員を漏洩したため、広島の松田オーナー代行が激怒し、ダイエー球団から厳重注意、減俸10%の処分を科された。1991年は権藤博を投手コーチに招へい、門田博光が復帰したほか古巣・阪神との大型トレードで獲得した池田親興(法大の後輩)がストッパーで再起、大野久は盗塁王となるが5位、1992年は4位と順位こそ上がったものの、長い低迷から脱することはできずに解任された。なお、後述の長男・裕章によると、この3年間、東京の自宅には生卵や自転車が投げ込まれたり、裕章自身もこの子供の頃に父親のことでからかわれるなど、田淵家は大変だったということである。そして、後任として根本陸夫が監督に就任した。1993年から2001年までは、再びTBSの解説者を務める。

2001年12月20日には親友である星野仙一の阪神監督就任に伴い、古巣・阪神のチーフ打撃コーチに就任。自身にとっては24年ぶりの阪神復帰となった。背番号は88。翌2003年のリーグ優勝に大きく貢献する。「うねり打法」と称した打撃理論で濱中おさむ・関本健太郎などを育成する。星野は著書の中で「うねり打法、3割打線だ、と終始注目を集めてきた通り、大型、小型のバッターをミックスして、上手く振り分けて、ポイントを一つも外さないで攻撃態勢を作ってくれた。和田とオマリーの協力を得ながら3人で、弱い打線のレベルを一気に引き上げてくれたのである」と記している。その反面、成績が振るわない選手や見込みがない選手に対しては早々に見限るシビアな側面もあった。デリック・ホワイトの成績不振に対しては「もう(あいつに)直接教える事はない。後は本人次第で頑張ってもらうだけだから」と「戦力外」の烙印を押し、後にホワイトの解雇につながったが、「ホワイトに骨折が判明し、試合に出られる状態ではないのにベンチに入って声を出していた姿に感激して、おそらく解雇になるだろうホワイトの幸運を祈った」と自著に記している。

普段は対等の友達感覚で付き合っていたが、ユニフォームを着ればベンチでも「どうしますか、代えますか」と常に敬語で接し、遠征先で連れ立って食事に出ると、必ずホテルに宿泊している和田への土産だといって寿司やお好み焼きを包ませた。

星野が記者団を相手に昼食をとっていると、午前中から蒸し暑い神宮の室内練習場で特訓を見てきた田淵が茹でダコのようになって引きあげて来たこともあったほか、星野がベンチから練習を見ている時に雨の中で突っ立ってバッティングケージにしがみつき、打者の至近距離で、軸回転で打っているか、コンパクトなスイングがしっかりできているかをチェックするため、キャッチャーマスクとプロテクターを付けて現われたこともあった。

田淵のような専任コーチ経験のない監督経験者が、監督退任後にヘッドコーチ以外のコーチに就いた例は、中西太、杉下茂など兼任監督だったケースが大半で、田淵のケースは珍しい例である。田淵自身は、星野の下でコーチを務めていた頃から「俺は監督に向いていない、せいぜいヘッドコーチまでだ」とたびたび周囲に漏らしていた。2003年オフ、星野が健康上の理由から監督を勇退した際には、「俺は監督と一蓮托生」と自身も10月31日に退団した。また、同年オフに、星野の推薦で後任監督候補に挙がったが、本人は固辞した。

2004年、三たびTBS解説者として復帰。TBS時代は、いずれもスポーツニッポン評論家との兼務である。2007年1月29日、星野が北京五輪日本代表監督に就任、再び星野の下でヘッド兼打撃コーチとなる。この時、星野からコーチ就任を依頼された際の言葉は「行くぞ」だけであった。結果は振るわず4位に終わり、チーム打率.233は決勝トーナメントに出場した4カ国の中で最低の成績で長打力.362は打率と共にワーストであった。

2009年秋、阪神タイガースOB会の第6代会長に就任したが、わずか1年で辞任している。2011年からは星野が監督に就任した東北楽天ゴールデンイーグルスのヘッド兼打撃コーチに就任(星野が球団に田淵のコーチ招聘を要請)。阪神、北京五輪日本代表に続き、楽天でも星野をサポートすることになった。しかし、チームの極度の打撃不振から6月5日付で打撃コーチ職を解任。ヘッドコーチ専任となり、翌2012年もヘッドコーチを務めたが、同年シーズン終了を以って解任となった。

2013年には、TBSテレビ(復帰後は2013年のみ地上波中継への出演なし、2014年より地上波中継にも復帰)・ラジオの野球解説者・スポーツニッポンの野球評論家へ復帰し、タレントとしても復帰した。しかし2018年からはTBSラジオが野球中継から撤退したため、BS-TBSやTBSチャンネルの野球解説者の傍ら、阪神OBとして在阪放送局(朝日放送テレビ・朝日放送ラジオ・テレビ大阪・サンテレビ)のゲスト解説者としても活動している。

2020年1月14日、野球殿堂入り(エキスパート表彰)が発表された。同年8月18日、東京ドームホテルにおいて殿堂表彰式が執り行われた。

飛距離の長さ、大きく美しい放物線を描くホームランの軌道から「ホームラン・アーチスト(“アーティスト”とホームランを示す“アーチ”を合わせた造語)」と呼ばれていた。落合博満も「本当のホームランバッターは田淵さんと秋山幸二だけ」と認めていた。特に外角球に強かったが、この長打力には田淵の左腕が右腕より3cmあまり長かったことも影響したとされる。これを発見したのは、新人時代に田淵のスーツを仕立てた洋服屋であった。ただし、晩年は、この腕の長さが原因で思うような打撃ができなかったという。

毎年多くの四球を選ぶ選球眼も武器の一つ。通算本塁打474本は歴代12位(2024年シーズン終了時点)の記録であるが、田淵の特筆すべき点として、本塁打1本を打つのに要する打数の少なさが挙げられる。2024年シーズン終了時点で通算300本塁打を記録した選手は45人いるが、田淵の本塁打率(打数を本塁打で割った数字=本塁打1本を打つのに要する打数)は王貞治に次いで2番目に少ない。

※カブレラは300本塁打到達時点での本塁打率は田淵を上回っていたが、その後のペースダウンにより最終的には田淵を下回る数字で引退した。

特に1983年には、故障で82試合しか出場していないにも拘らず30本塁打を打っており、プロ野球では初めて「規定打席に未到達で30本塁打」を記録した選手となった。この記録は2024年シーズン終了時点で田淵を含めて6人が記録しているが、田淵以外はいずれも外国人選手によるものである。

本塁打に目覚めたきっかけは高校3年の時にかぜで練習を3日休んだ病み上がりの合宿であった。この時、体調が完全に戻っておらず、体にあまり力が入らなかったが、打撃練習では打球は思った以上によく飛んで行った。この時に「打撃は力ではない」「ボールとバットが当たる場所さえ合えばボールは飛ぶ」と悟り、このことがきっかけで滞空時間の長い独特な放物線を描く本塁打を打てるようになったという。

デビューは対大洋戦での江夏豊の代打。平松政次と対戦し、シュートに手が出ず三振だった。これ以後シュートを極端に意識するようになり、若い頃の田淵は本塁打を打つと球種が何であろうと取材には「打ったのはシュート」と答えていた。取材したスポーツ記者はこれだけで記事を書かなければならず苦労したという。なお、デビュー戦ではグリップの位置が高かったが、翌日からは下げるように改めた。

1983年の日本シリーズ(西武×巨人)第2戦(西武球場)で、巨人投手の西本聖の内角へ鋭く曲がるシュートに対して凡打の山を築いた。このため、第5戦(後楽園球場)で西本が再び先発した際には、西本のシュート対策として自分のバットのグリップエンド部分にテープを巻いて太くし、バットコントロールをしやすくすることを企図したという。その結果、第5戦の4回表に西本のシュートを捉え左翼ポールに当てる本塁打を放っている。

対巨人戦に強い打者であり、巨人がV9を達成した1973年には、シーズン37本塁打のうち16本を巨人戦で放っている。また同シーズンには1試合3本塁打を2度記録しているが、2度とも巨人戦である。また、巨人戦で5試合連続で9本塁打、7打数連続本塁打(前述)を記録。優勝争いをしていた10月10日の巨人戦では2-5の劣勢をひっくり返す逆転満塁本塁打を放った。しかし、翌日の巨人戦は一度は7-0とリードしながら江夏がKOされ、10-10の引き分け。これは田淵にとってプロ入り初の満塁本塁打だった。残り3試合でマジック1だったにもかかわらず広島、中日に連敗、巨人との最終決戦(10月22日、甲子園)にも敗れ、優勝はならなかった。後に本人も「このとき優勝していれば自分の野球人生は変わっていた」と語っている。

打撃に対する姿勢も天才肌であった。西武時代に同僚だった野村克也が、大鏡の前で素振りもせずただ構えをチェックしている田淵を見つけ、何をしているのかと聞くと「僕は構えさえ決まれば打てるんです」と答えた。野村は「構えは確かに大事だが、いい構えだけでさあ何でも来いというのは田淵だけや」と呆れたという。

いしいひさいちの『がんばれ!!タブチくん!!』では、極めて短足で「ドタドタ」と重そうに走る様子が描かれ、「絶対に不可能なことの例え」として「タブラン(田淵のランニングホームランの略)」という言葉が出てくるが、星野によれば法大時代の田淵は俊足であった。長嶋茂雄の六大学記録に迫っていた時、ランニングホームランで達成しそうになり「失礼だ」という理由で三塁で止まったこともある。プロ生活ではランニングホームランは一度もなく、盗塁も18個しか記録していない。また、球界屈指の長足でもあったが、それゆえにバッティングフォームの重心が高く、確実性に欠けるとの指摘もされていた。江夏は「田淵ほど、何もしない、何も考えないでホームランを打った男を知らない。オレがいままで見た野球選手のなかで、天才と呼べるのはただ一人、田淵幸一だけや」と述べている。西武時代監督だった広岡達朗は「あれには注文をつけても仕方がない。ホームランさえ打ってくれたらそれで十分だ」と述べている。

長打力のある選手に多めの傾向があるとされる三振だが、田淵は三振の少ない選手であり、1シーズンに100以上の三振を記録したことは一度もない。公式戦における犠打はゼロである。

本塁打数の割に安打数が比較的ながらも少ないことが特徴でもあり、日本球界において、通算400本塁打以上を放ちながら2000本安打に到達しなかった日本人選手は田淵と山崎武司の2人だけである(外国人選手を含めるとタフィ・ローズを加えて3人となる)。

阪神時代と西武時代に1回ずつ4者連続本塁打に絡んだ。

若い頃は巨体ながら捕手としての動きは俊敏で、大学時代には俊足の高田繁との対決が見せ場であった。プロ入りしてからもボールを受けてから二塁に投げるまでの速さはトップクラスで、加えて強肩でもあり、20代の頃は盗塁阻止率4割以上を記録している。1977年7月13日の大洋戦で田村政雄から死球を受けて右手親指を骨折し、この影響で入団5年目まで5割以上の盗塁阻止率を誇っていた肩が衰えていた。

しかし、既述の外木場から受けた死球の影響により聴力の低下や体質変化(肥満)のためにプレーが緩慢になっていったと言われる。よく挙げられるのは、阪神時代に何でもないキャッチャーフライを見失い、落球したというプレーである。また、当時の阪神には辻佳紀・辻恭彦など守備の得意な捕手がいたこともあり、怪我をして以降は一塁や外野でも出場、西武に移籍後は主に指名打者として出場していた。江夏豊によると、田淵が捕手として大成できなかった要因は大雑把な神経にあるという。

一般に曲者ぞろいとされる捕手の中では珍しい、非常に大らかな人物である。江夏豊もその人間性について「ブチほど純粋で裏表のない人間はいない」と述べている。目が合って一言でも挨拶してしまうと途端に相手が敵とは思えなくなり、まともな勝負ができなくなってしまうため、試合前に対戦相手の選手とできるだけ目を合わせないようにしていた、「当たると痛い」のでインコースギリギリに投げて打者を威嚇するようなサインは絶対に出さなかった(江本孟紀による)、コーチに「サインが盗まれているから隠せ」と言われても「そんなこすっからいことする人いません」と取り合わなかったなど、人の良さを示す逸話は枚挙に暇がない。また、サイン盗みは卑怯なやり方として絶対に使おうとせず、正々堂々と勝負することを常としていた。

野村克也は現役の頃から「捕手としての田淵」を疑問視し、野村は「捕手出身者が監督になって駄目だった例」として田淵の名をよく挙げており、数多くの著書で田淵の捕手や指導者としての能力を酷評している。

1975年頃の阪神は田淵に限らず、江夏、和田徹、遠井吾郎など力士のような肥満体型の選手が目立っていたため、「相撲部屋」と揶揄やゆされていた。このようなことから同年、中川卓爾が東京教育大学より引き抜かれてトレーニングコーチに就任した。

1977年から、入団当時に比べ太ってしまった田淵をモチーフとした漫画『がんばれ!!タブチくん!!』(いしいひさいち作)が連載され、単行本がベストセラーになった。漫画の中ではタブチの良きパートナーとしてヤクルトの安田猛(実生活では東京六大学以来の好敵手である)や大矢明彦、また当時ヤクルトの監督で後に西武の監督に就任する広岡達朗もキャラクターとして登場、1979年には映画にもなった。

『がんばれ!!タブチくん!!』に出てくる夫人・ミヨコは、前夫人がモデルである。田淵本人は最初知らなかったが、家庭内のネタは前夫人が情報源であったことをテレビ番組内で語っている。自身をネタにされているにもかかわらず田淵自身この漫画の大ファンで、いつも読んでは大笑いしていたという。NHK教育テレビ『YOU』(1984年)に出演した際には「マンガまで書いて応援してくれるなんて嬉しい。作者に会ってお礼が言いたい」とまで語っている。

また、タレントのダンカンが江夏から直接聞いた話として、劇場アニメ化された際に江夏と2人で鑑賞に行った際、「自分をモデルにした映画だと言うから観に来てみたら、お客さんが全然入っていな〜いじゃないか!」と内容ではなく観客の入りの少なさを怒っていたという。この言葉に江夏は「ま、昼間やから仕方ないやろ。夜やったら満席やでぇ」と慰めたという(DVD-BOX同梱の解説書より) 。

なおYouTubeプロ野球OBクラブ公式チャンネルで2021年に江夏と田淵の対談が行われた際、「タブチくん」の映画を江夏と観たという上記の話の真相を確認したところ、田淵はそもそもその映画を観ていないと完全に否定し、江夏と共々呆れていた。

田淵が現役引退(1984年)した翌年の1985年1月9日、『球界のスーパー・ヒーロー引退に捧ぐ!』という副題で、劇場第1作目が日本テレビ『水曜ロードショー』で記念放送された。

現夫人は野球にはまったく興味がなく、この漫画で田淵の存在を初めて知った。その結果として彼女と結婚できたので、田淵自身は「この漫画には不満などなく、むしろ感謝している」と、後年テレビ番組内で語っている。

2020年1月に田淵が野球殿堂入りを果たした際にコメントを求められたいしいは、「タブチくんのコメント」として「殿堂入りは当然と思います。もう2度と足を引っ張ったりしません。おめでとうございます」と祝福した。

1975年1月に離婚歴のある一般女性と結婚。スター選手の姉さん女房として注目の的となった夫人はマスメディアにも度々取り上げられたが、1981年1月に協議離婚。その際に、金田正一ら後援者による協議会が実施されるなど、泥沼離婚劇がマスコミで大きな話題となった。

1981年5月に女優のジャネット八田(八田有加)と再婚。いわゆるできちゃった結婚であり、田淵は当時バツイチで年齢も35歳であったため話題を呼んだ。2人の間に2男があり、長男はフジテレビアナウンサーの田淵裕章。

江本孟紀は法政大学の1学年後輩で、江本の阪神移籍後は学生時代以来のバッテリーを組んだ。古沢憲司を含む3人でよく一緒に行動し、田淵が西武へのトレードを伝えられるために呼び出された日にも3人でゴルフをし、場所を変えて球団の再建策を話し合っていたという。

星野仙一、山本浩二とは親友である。もともと大学時代、広島の田舎から出てきた山本に田淵が東京を案内したのがきっかけ。この2人と富田の三羽烏があまりに仲がいいので、星野が嫉妬して割って入ってきた。現役時代、広島遠征時には、敵味方に分かれているにもかかわらず山本と一緒に食事をしたり、山本の家に遊びに行ったりしていたという。

田淵自身は公私混同を避けるため、阪神コーチ時代は星野との友達関係を捨てて一線を画した。しかし、星野を取り上げた日本テレビ系『スーパーテレビ』では、3人の会食・裏話も飛び出す談笑が放送されており、この中では完全に友達関係であった。阪神コーチ退任時の会見では「ようやくこれからは前みたいに"仙ちゃん"と呼んで、普通に話ができるよ」と発言した。2018年の正月に星野から田淵へ宛てられたメールの文末には「いつもありがとう!」と綴られていて、星野からこのような感謝の言葉を直接もらったことはおろか文面でも見たことがなかった田淵はまさかとは思っていたが、星野の訃報が入ったのはこの3日後のことであった。

『がんばれ!!タブチくん!!』がアニメ映画化された際に主人公・タブチの声を演じた西田敏行とは、西田自身が阪神ファンであることもあって親交を深め、その縁で西田が「局長」を務めた時期の朝日放送の『探偵!ナイトスクープ』に田淵も番組顧問として不定期に出演していた。また、西田が主演の映画『釣りバカ日誌』シリーズへの出演を田淵に依頼したこともあるが、実現しないままシリーズが終了した。

以下に記す通り、田淵は、毎年のように大きなケガや病気に見舞われていた。

1969年:左肘打撲

1970年:腰痛、右足首捻挫、左側頭部死球(前述。この影響で左耳が難聴である)

1971年:急性腎臓炎、左手首・左足打撲

1972年:左手首打撲、頭部打撲

1973年:急性腰筋痛(3回)

1974年:左手関節挫傷、左前腕打撲、右肘関節挫傷

1975年:右足挫傷

1976年:右膝打撲、左側頭部打撲

1977年:左肘痛、右手親指骨折

1978年:腰痛

1979年:アキレス腱痛

1980年:前頭部打撲、右膝打撲

1981年:右膝打撲(2回)

1983年:左手尺骨下端骨折

1984年:花粉症(本人曰く、「花粉症が騒がれる以前(1970年代以前)から春先は風邪のような症状があり、春の田淵は調子が悪いと言われていた」)

ケガのせいでタイトルを棒に振ったシーズンも多く、また、腎臓炎治療の際の投薬治療が原因で太るようになったと言われる。全試合出場は1975年、1976年の2度しか記録できなかった。王の連続シーズン本塁打王をストップしたのは田淵だが、王は田淵について「瞬間的爆発力という点ではすごかったと思うけど、何しろ怪我が多かったからね。(タイトル争いの上では)怪我らしい怪我をほとんどしない山本浩二や衣笠のほうが不気味だったね」と語っている。

各年度の太字はリーグ最高

太字年はダイヤモンドグラブ賞の受賞

本塁打王:1回(1975年)

新人王(1969年)

ベストナイン:5回(1972年 - 1976年)

ダイヤモンドグラブ賞:2回(1973年 - 1974年)

正力松太郎賞:1回(1983年)※選手として表彰

日本シリーズ優秀選手賞:1回(1983年)

パ・リーグプレーオフ優秀選手賞:1回(1982年)

月間MVP:2回(1975年4月、1983年5月)

野球殿堂エキスパート部門(2020年)

初出場:1969年4月12日、対大洋ホエールズ1回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に江夏豊の代打で出場

初打席:同上、9回裏に平松政次の前に三振

初先発出場:1969年4月13日、対大洋ホエールズ3回戦(阪神甲子園球場)、7番・捕手で先発出場

初安打・初本塁打・初打点:同上、6回裏に池田重喜から左越ソロ

初4番:1970年4月26日、対広島東洋カープ3回戦(広島市民球場)

100本塁打:1973年4月26日、対読売ジャイアンツ3回戦(後楽園球場)、9回表に菅原勝矢から左越3ラン ※史上75人目

150本塁打:1974年6月15日、対ヤクルトスワローズ9回戦(明治神宮球場)、9回表に浅野啓司から左越同点ソロ ※史上37人目

200本塁打:1975年6月19日、対中日ドラゴンズ13回戦(中日スタヂアム)、7回表に松本幸行から中越ソロ ※史上21人目

250本塁打:1976年9月14日、対読売ジャイアンツ9回戦(後楽園球場)、1回表に加藤初から左越3ラン ※史上12人目

1000試合出場:1977年8月31日、対ヤクルトスワローズ23回戦(明治神宮野球場)、4番・一塁手で先発出場 ※史上195人目

300本塁打:1978年6月5日、対ヤクルトスワローズ8回戦(明治神宮野球場)、5回表に井原慎一朗から左越ソロ ※史上10人目

1000安打:1978年8月17日、対広島東洋カープ22回戦(広島市民球場)、9回表に松原明夫から中前安打

350本塁打:1980年4月29日、対ロッテオリオンズ前期5回戦(宮城球場)、1回表に仁科時成から左越先制2ラン ※史上9人目

400本塁打:1981年9月6日、対ロッテオリオンズ後期10回戦(西武ライオンズ球場)、9回裏に村田兆治から左越2ラン ※史上7人目

1500試合出場:1982年6月1日、対日本ハムファイターズ前期9回戦(後楽園球場)、5番・指名打者で先発出場 ※史上71人目

1000打点:1982年9月14日、対近鉄バファローズ後期8回戦(日生球場)、3回表に井本隆から中前適時打 ※史上16人目

450本塁打:1983年6月11日、対日本ハムファイターズ10回戦(後楽園球場)、6回表に佐藤誠一から左越2ラン ※史上6人目

3000塁打:1983年7月2日、対近鉄バファローズ12回戦(西武ライオンズ球場)、4回裏に山村達也から左中間へ2ラン ※史上23人目

1500安打:1984年5月11日、対近鉄バファローズ6回戦(西武ライオンズ球場)、5回裏に鈴木啓示から投手前内野安打 ※史上48人目

4打数連続本塁打:1973年5月9日 - 5月10日 ※史上5人目、歴代2位タイ

13打席連続出塁:1974年8月6日 - 8月8日

3イニング連続本塁打:1976年8月25日、対広島東洋カープ戦(阪神甲子園球場)、6回から8回にかけてソロ、ソロ、2ラン ※史上4人目

通算0犠打 ※通算6875打席での記録は史上3番目の多さ、日本人史上最多

通算125敬遠 ※リーグ最多敬遠を記録していない選手の中では歴代最多

オールスターゲーム出場:11回(1969年 - 1976年、1978年、1979年、1984年)

22(1969年 - 1984年)

81(1990年 - 1992年)

88(2002年 - 2003年、2011年 - 2012年)

六つの星(1976年5月1日発売、メインボーカルは細川たかし)

SAMURAI BASEBALL(2013年のみTBSニュースバード・BS-TBS向けのみ出演、2014年より地上波中継に復帰)

サンテレビボックス席(2015年よりゲスト出演)

TBSラジオ エキサイトベースボール(自社での放送とネットワーク配信は2017年まで。2018年からはDeNA主催ゲームのJRN系列局向け裏送りのみ継続)

文化放送ライオンズナイター(2018年 - 。西武OBとしてゲスト出演)

RKBエキサイトホークス(2017年まではTBSラジオ制作の、2018年からはニッポン放送制作の裏送り分に出演)

MBSベースボールパーク(MBSラジオがJRN担当となる月・金曜にゲストとして出演があった。他にTBSからの裏送りやネット受けもあり)

ABCフレッシュアップベースボール(ABCラジオがJRN担当となる火 - 木・土・日曜にゲスト出演があった。他にTBSからの裏送りやネット受けもあり)

この他、TBSラジオからの系列各局向けの裏送り中継も担当。楽天コーチ就任以前は、RCC向けのDeNAまたは巨人主催広島戦(Veryカープ! RCCカープナイター/カープデーゲーム中継)以外への裏送り中継への出演は少なかったが、2013年の復帰後は逆にパ・リーグの試合の裏送りの出演機会が多くなっている。

YOU(1985年4月 - 8月、NHK教育)司会の三田寛子のパートナーとして数回出演

探偵!ナイトスクープ

生島ヒロシのおはよう一直線

オールスター感謝祭

小西六・サクラカラー100年プリント(ジャネット八田他家族全員で参加)

男どアホウ甲子園(阪神選手時代は同僚)

野球狂の詩(アニメでは、声 - 田中崇〈現:銀河万丈〉で、水原勇気のドリームボールと対決する)

あぶさん(漫画連載時は選手として、またダイエー時代は監督)

エプロンおばさん 第2話(1983年1月17日、フジテレビ

ミスター・ルーキー - ABCの野球中継解説者として出演。

がんばれ!!タブチくん!! - いしいひさいち原作の漫画。主人公のタブチコーイチは、選手時代の田淵がモデルとなっている。

^ この事態に衝撃を受けた球界は、以後耳つきヘルメットを使用することになった。

^ 現在に至るまで捕手としては最後の本塁打王獲得者。

^ 田淵以前の例として、阪神などの監督を歴任後に、西鉄ライオンズの投手コーチや初代監督だった広島カープのヘッドコーチを務めた石本秀一がいるが、石本はプロ野球での選手経験がない一方でアマチュア野球の指導者を経験している点が田淵とは異なる。

^ 日本プロ野球関係者の野球殿堂表彰式はその年のオールスターゲームの際に執り行われるのが通常であるが、2020年度は新型コロナウイルス感染症拡大の影響でオールスターゲームが開催中止となったため、別途表彰式の機会を設けられた。

^ ただしシーズンで最速30本塁打を記録した王貞治のように最終的に規定打席に達しながらも、規定打席に達していない段階でシーズン30本を打った事例はある。

^ タブチを含むこの漫画の主要キャラクターの多くは、スターシステムで以降のいしいひさいちの漫画に登場している(現在は『ののちゃん』の体育教師タブチとして20数年朝日新聞に登場し続けている)。

^ 1989年正月に朝日放送で放映された「新春ビッグ放談」ではこの3人による対談が行われた。

^ 2018年は文化放送制作分への出演実績がなかった。

^ TBS・LF・QR・ABC発のRCC向けは、裏送りであっても本番カード主体の中堅以上のアナウンサーや解説者が務める例が多かった。

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^ 最終話【大事なのは〇〇】日ハム・新庄剛志監督、中日・立浪和義監督。レジェンドふたりはどうみてる?. YouTubeプロ野球OBクラブ公式チャンネル. 該当時間: 3分32秒-4分25秒. 2023年2月8日閲覧。

^ 「タブチくんが田淵氏祝福「殿堂入り当然と思います」」『日刊スポーツ』2020年1月14日。2020年1月26日閲覧。

^ 週刊平凡 1981年2月12日号

^ 「田淵幸一氏「『おい早いよ』と言いたい」 星野さんと背番号まで長生きする約束あった」『サンケイスポーツ』2018年1月8日。2020年6月14日閲覧。

^ Sports Graphic Number 編「山本浩二」『豪打列伝2』文藝春秋〈文春ビジュアル文庫〉、1991年、頁。ISBN 4-16-810817-1。 

^ 「【データ】村上宗隆プロ野球新5打席連続本塁打 20人「打数」と13人「打席」の両方を更新」『日刊スポーツ』2022年8月2日。2023年1月13日閲覧。

^ 講談社刊 宇佐美徹也著「プロ野球記録大鑑」435ページ

^ 「【データ】巨人中田翔プロ通算6245打席目で初の犠打 6000打席以上は73年張本勲以来2人目」『日刊スポーツ』2022年5月13日。2022年5月14日閲覧。

テリー伊藤『お笑いプロ野球殿堂 ダメ監督列伝』光文社〈知恵の森文庫〉、2004年。ISBN 4-334-78325-2。 

河村英文『これでいいのかダイエー野球』葦書房、1991年。OCLC 674351949。 

『ホークス九州20年史 1989-2008』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK 553, スポーツシリーズ No.427〉、2008年。ISBN 978-4-583-61543-1。 

『炎のエース-ザトペック投法の栄光』ベースボール・マガジン社、1993年

東京都出身の人物一覧

法政大学の人物一覧

阪神タイガースの選手一覧

埼玉西武ライオンズの選手一覧

ビーンボール#頭部死球による事故

個人年度別成績 田淵幸一 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)

60 ヴィクトル・スタルヒン

62 池田豊

63 中島治康

64 若林忠志

65 川上哲治、鶴岡一人

69 苅田久徳

70 天知俊一、二出川延明

72 石本秀一

74 藤本定義、藤村富美男

76 中上英雄

77 水原茂、西沢道夫

78 松木謙治郎、浜崎真二

79 別所毅彦

80 大下弘、小鶴誠

81 飯田徳治、岩本義行

83 三原脩

85 杉下茂、白石勝巳、荒巻淳

88 長嶋茂雄、別当薫、西本幸雄、金田正一

89 島秀之助、野村克也、野口二郎

90 真田重蔵、張本勲

91 牧野茂、筒井修、島岡吉郎

92 廣岡達朗、坪内道則、吉田義男

93 稲尾和久、村山実

94 王貞治、与那嶺要

95 杉浦忠、石井藤吉郎

96 藤田元司、衣笠祥雄

97 大杉勝男

99 中西太、広瀬叔功、古葉竹識、近藤貞雄

00 米田哲也

01 根本陸夫、小山正明

02 山内一弘、鈴木啓示、福本豊、田宮謙次郎

03 上田利治、関根潤三

04 仰木彬

05 村田兆治、森祇晶

06 門田博光、高木守道、山田久志

07 梶本隆夫

08 山本浩二、堀内恒夫

09 若松勉

10 東尾修

11 落合博満

12 北別府学、津田恒実

13 大野豊

14 野茂英雄、秋山幸二、佐々木主浩

15 古田敦也

16 斎藤雅樹、工藤公康

17 伊東勤

18 松井秀喜、金本知憲

19 立浪和義

22 髙津臣吾、山本昌

23 アレックス・ラミレス

24 谷繁元信、黒田博樹

09 青田昇

10 江藤慎一

11 皆川睦雄

13 外木場義郎

16 榎本喜八

17 星野仙一、平松政次

18 原辰徳

19 権藤博

20 田淵幸一

23 ランディ・バース

59 正力松太郎、平岡凞、青井鉞男、安部磯雄、橋戸信、押川清、久慈次郎、沢村栄治、小野三千麿

60 飛田忠順、河野安通志、桜井彌一郎

62 市岡忠男

64 宮原清

65 井上登、宮武三郎、景浦將

66 守山恒太郎

67 腰本寿

68 鈴木惣太郎、田邊宗英、小林一三

69 三宅大輔、田部武雄、森岡二朗、島田善介、有馬頼寧

70 田村駒治郎、直木松太郎、中馬庚

71 小西得郎、水野利八

72 中野武二、太田茂

73 内海弘蔵、天野貞祐、広瀬謙三

74 野田誠三

76 小泉信三

77 森茂雄、西村幸生

78 伊丹安広、吉原正喜、岡田源三郎

79 平沼亮三、谷口五郎

80 千葉茂

81 佐伯達夫、小川正太郎

82 鈴木龍二、外岡茂十郎

83 内村祐之

84 桐原眞二

85 田中勝雄、山内以九士

86 中河美芳、松方正雄

87 藤田信男、山下実

88 横沢三郎、芥田武夫、永田雅一

89 池田恒雄、伊達正男

90 佐伯勇

91 中澤良夫

92 吉田正男

94 廣岡知男

95 呉昌征、村上實

96 牧野直隆、保坂誠

97 山本英一郎

98 中尾碩志、井口新次郎

99 吉國一郎

00 福島慎太郎

01 武田孟、長谷川良平

02 中澤不二雄、生原昭宏

03 松田耕平

04 秋山登

05 志村正順

06 川島廣守、豊田泰光

07 松永怜一

08 嶋清一

09 大社義規、君島一郎

10 古田昌幸

12 長船騏郎、大本修

13 福嶋一雄

14 相田暢一

15 林和男、村山龍平

16 松本瀧藏、山中正竹

17 郷司裕、鈴木美嶺

18 瀧正男

19 脇村春夫

20 前田祐吉、石井連藏

21 川島勝司、佐山和夫

22 松前重義

23 古関裕而

24 谷村友一

02 フランク・オドール、正岡子規

03 ホーレス・ウィルソン、鈴鹿栄

1977 王貞治

1978 広岡達朗

1979 西本幸雄

1980 古葉竹識

1981 藤田元司

1982 広岡達朗

1983 田淵幸一

1984 衣笠祥雄

1985 吉田義男

1986 森祇晶

1987 工藤公康

1988 門田博光

1989 藤田元司

1990 森祇晶

1991 秋山幸二

1992 石井丈裕

1993 野村克也

1994 長嶋茂雄, イチロー

1995 イチロー

1996 仰木彬

1997 古田敦也

1998 佐々木主浩

1999 王貞治

2000 松井秀喜

2001 若松勉

2002 原辰徳

2003 王貞治, 星野仙一

2004 伊東勤

2005 ボビー・バレンタイン

2006 王貞治

2007 落合博満

2008 渡辺久信

2009 原辰徳

2010 西村徳文

2011 秋山幸二

2012 原辰徳, 阿部慎之助

2013 星野仙一

2014 秋山幸二

2015 工藤公康

2016 栗山英樹

2017 デニス・サファテ

2018 工藤公康

2019 工藤公康

2020 工藤公康

2021 高津臣吾

2022 中嶋聡

2023 岡田彰布

2024 三浦大輔

2004 イチロー

2013 田中将大

2021 稲葉篤紀, 大谷翔平

2022 村上宗隆

2023 栗山英樹, 大谷翔平

2024 大谷翔平

1957 豊田泰光

1958 中西太

1959 杉山光平

1960 近藤和彦

1961 塩原明

1962 岩下光一

1963 王貞治

1964 K.ハドリ

1965 林俊彦

1966 長嶋茂雄

1967 D.スペンサー

1968 柴田勲

1969 足立光宏

1970 黒江透修

1971 黒江透修

1972 長嶋茂雄

1973 高田繁

1974 山崎裕之

1975 中沢伸二, 外木場義郎

1976 B.ウイリアムス

1977 福本豊

1978 若松勉

1979 水谷実雄

1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰

1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正

1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義

1983 田淵幸一, テリー, 中畑清

1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊

1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二

1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実

1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己

1988 清原和博, 森山良二, 郭源治

1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸

1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤

1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎

1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也

1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也

1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦

1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾

1996 大島公一, 鈴木平, イチロー

1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛

1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広

1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司

2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成

2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満

2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之

2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎

2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信

2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁

2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲

2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博

2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広

2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一

2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平

2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩

2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー

2013 田中将大, 銀次, 内海哲也

2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太

2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太

2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔

2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大

2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃

2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩

2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐

2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎

2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆

2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸

2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ

1950 大島信雄

1951 松田清

1952 佐藤孝夫

1953 権藤正利

1954 広岡達朗

1955 西村一孔

1956 秋山登

1957 藤田元司

1958 長嶋茂雄

1959 桑田武

1960 堀本律雄

1961 権藤博

1962 城之内邦雄

1964 高橋重行

1966 堀内恒夫

1967 武上四郎

1968 高田繁

1969 田淵幸一

1970 谷沢健一

1971 関本四十四

1972 安田猛

1974 藤波行雄

1976 田尾安志

1977 斉藤明雄

1978 角三男

1979 藤沢公也

1980 岡田彰布

1981 原辰徳

1982 津田恒美

1983 槙原寛己

1984 小早川毅彦

1985 川端順

1986 長冨浩志

1987 荒井幸雄

1988 立浪和義

1989 笘篠賢治

1990 与田剛

1991 森田幸一

1992 久慈照嘉

1993 伊藤智仁

1994 藪恵市

1995 山内泰幸

1996 仁志敏久

1997 澤﨑俊和

1998 川上憲伸

1999 上原浩治

2000 金城龍彦

2001 赤星憲広

2002 石川雅規

2003 木佐貫洋

2004 川島亮

2005 青木宣親

2006 梵英心

2007 上園啓史

2008 山口鉄也

2009 松本哲也

2010 長野久義

2011 澤村拓一

2012 野村祐輔

2013 小川泰弘

2014 大瀬良大地

2015 山﨑康晃

2016 髙山俊

2017 京田陽太

2018 東克樹

2019 村上宗隆

2020 森下暢仁

2021 栗林良吏

2022 大勢

2023 村上頌樹

1950 小鶴誠

1951 青田昇

1952 杉山悟

1953 藤村富美男

1954 青田昇

1955 町田行彦

1956 青田昇

1957 青田昇, 佐藤孝夫

1958 長嶋茂雄

1959 桑田武, 森徹

1960 藤本勝巳

1961 長嶋茂雄

1962 王貞治

1963 王貞治

1964 王貞治

1965 王貞治

1966 王貞治

1967 王貞治

1968 王貞治

1969 王貞治

1970 王貞治

1971 王貞治

1972 王貞治

1973 王貞治

1974 王貞治

1975 田淵幸一

1976 王貞治

1977 王貞治

1978 山本浩二

1979 掛布雅之

1980 山本浩二

1981 山本浩二

1982 掛布雅之

1983 山本浩二, 大島康徳

1984 宇野勝, 掛布雅之

1985 R.バース

1986 R.バース

1987 ランス

1988 C.ポンセ

1989 L.パリッシュ

1990 落合博満

1991 落合博満

1992 J.ハウエル

1993 江藤智

1994 大豊泰昭

1995 江藤智

1996 山崎武司

1997 D.ホージー

1998 松井秀喜

1999 R.ペタジーニ

2000 松井秀喜

2001 R.ペタジーニ

2002 松井秀喜

2003 A.ラミレス, T.ウッズ

2004 T.ローズ, T.ウッズ

2005 新井貴浩

2006 T.ウッズ

2007 村田修一

2008 村田修一

2009 T.ブランコ

2010 A.ラミレス

2011 W.バレンティン

2012 W.バレンティン

2013 W.バレンティン

2014 B.エルドレッド

2015 山田哲人

2016 筒香嘉智

2017 A.ゲレーロ

2018 N.ソト

2019 N.ソト

2020 岡本和真

2021 村上宗隆, 岡本和真

2022 村上宗隆

2023 岡本和真

2024 村上宗隆

 投  堀内恒夫

 捕  田淵幸一

 一  王貞治

 二  J.シピン

 三  長嶋茂雄

 遊  三村敏之

 外  柴田勲 / 高田繁 / 若松勉

 投  高橋一三

 捕  田淵幸一

 一  王貞治

 二  J.シピン

 三  長嶋茂雄

 遊  藤田平

 外  若松勉 / 柴田勲 / 江尻亮

 投  堀内恒夫

 捕  田淵幸一

 一  王貞治

 二  高木守道

 三  長嶋茂雄

 遊  藤田平

 外  G.マーチン / 末次利光 / 若松勉

 投  外木場義郎

 捕  田淵幸一

 一  王貞治

 二  大下剛史

 三  衣笠祥雄

 遊  三村敏之

 外  井上弘昭 / 山本浩二 / ロジャー.R

 投  池谷公二郎

 捕  田淵幸一

 一  王貞治

 二  D.ジョンソン

 三  掛布雅之

 遊  三村敏之

 外  張本勲 / 谷沢健一 / 若松勉

1972 大矢明彦

1973 田淵幸一

1974 田淵幸一

1975 大矢明彦

1976 大矢明彦

1977 大矢明彦

1978 大矢明彦

1979 若菜嘉晴

1980 大矢明彦

1981 山倉和博

1982 中尾孝義

1983 山倉和博

1984 達川光男

1985 木戸克彦

1986 達川光男

1987 山倉和博

1988 達川光男

1989 中尾孝義

1990 古田敦也

1991 古田敦也

1992 古田敦也

1993 古田敦也

1994 西山秀二

1995 古田敦也

1996 西山秀二

1997 古田敦也

1998 谷繁元信

1999 古田敦也

2000 古田敦也

2001 古田敦也

2002 阿部慎之助

2003 矢野輝弘

2004 古田敦也

2005 矢野輝弘

2006 谷繁元信

2007 谷繁元信

2008 阿部慎之助

2009 谷繁元信

2010 城島健司

2011 谷繁元信

2012 谷繁元信

2013 阿部慎之助

2014 阿部慎之助

2015 中村悠平

2016 石原慶幸

2017 小林誠司

2018 梅野隆太郎

2019 梅野隆太郎

2020 梅野隆太郎

2021 中村悠平

2022 中村悠平

2023 坂本誠志郎

2024 山本祐大

春日由三

吉本明光

中山晋平

春日由三

吉川義雄

春日由三

吉川義雄

川村専一

狩野近雄

河上英一

笹本恭彦

明瀬裕

池田太郎

牧定忠

春日由三

吉川義雄

渋沢秀雄

横山隆一

西崎緑

貝谷八百子

田付辰子

メイ牛山

春日由三

吉川義雄

岩田専太郎

勅使河原蒼風

千代の山雅信

小山いと子

吉村公三郎

市川翠穂

マヤ片岡

春日由三

吉川義雄

三國連太郎

小西得郎

栃錦清隆

青木茂高

河上牧子

水木洋子

坂西志保

田村佐紀子

吾妻徳穂

吉川義雄

田中角栄

菊田一夫

若乃花勝治

金田正一

奥むめお

森田たま

細川ちか子

近藤百合子

吉川義雄

横山泰三

水原茂

稲垣浩

朝汐太郎

沢田美喜

杉村春子

戸川エマ

赤堀全子

吉川義雄

木下惠介

大宅壮一

杉浦幸雄

若羽黒朋明

長谷川春子

大濱英子

榊淑子

谷桃子

吉川義雄

秋山登

唐島基智三

柏戸剛

松本幸四郎

中村汀女

田中絹代

秋山ちえ子

江上トミ

長沢泰治

土門拳

高田元三郎

仲代達矢

大鵬幸喜

和田夏十

勅使河原霞

村山リウ

森光子

長沢泰治

工藤昭四郎

東郷青児

森英恵

大山康晴

山内一弘

佐田の山晋松

藤間紫

岡田茉莉子

十返千鶴子

浪花千栄子

長沢泰治

細川隆元

丹羽文雄

實川延若

中西太

栃ノ海晃嘉

飯田蝶子

貞閑晴

新珠三千代

花柳壽輔

佐久間良子

長沢泰治

大林清

北葉山英俊

林与一

古賀忠道

春風亭柳橋

岩下志麻

司葉子

長谷川町子

林美智子

吉屋信子

坂本朝一

円地文子

安達曈子

入江美樹

藤村志保

小絲源太郎

松下幸之助

ファイティング原田

緒形拳

坂本朝一

樫山文枝

五代利矢子

浜美枝

山崎豊子

大佛次郎

尾上菊之助

加藤芳郎

鶴ヶ嶺昭男

中山卯郎

福島慎太郎

木村秀政

西本幸雄

石坂浩二

福原美和

栗原小巻

塩月弥栄子

平岩弓枝

中山卯郎

江夏豊

王馬熙純

榊原仟

鈴木俊一

曽野綾子

高田敏子

藤田弓子

三船敏郎

中山卯郎

浅丘ルリ子

市川海老蔵

今井通子

大谷直子

菅野義丸

佐藤愛子

鶴岡一人

平幹二朗

中道定雄

坂東玉三郎

樋口久子

小林弘

三田佳子

志村喬

武原はん

玉の海正洋

中山律子

仲代達矢

小野田勇

浪花家辰造

大場政夫

宇田川竜男

堀内寿子

大山英子

村山加代子

中山きよ子

樫山文枝

山口果林

高橋信雄

山下迪子

館弘子

石田芳夫

中山紀子

井沢つま

森戸辰男

溝尾正志

花本方美

為久優子

成田知子

桑田たつ子

村上巳里

山下誠

小川善三郎

河野久枝

桑原永子

田川由紀子

佐藤太圭子

山田三智穂

大谷豊二

高橋優子

貴ノ花利彰

赤塚洋文

平内義幸

富岡雅寛

平賀輝子

中川時子

加藤稔

池内淳子

中原誠

森英恵

小林桂樹

中村汀女

井上ひさし

中野貴代

神田好武

真木洋子

輪島大士

高橋洋子

生沼スミエ

棟方志功

村上元三

京マチ子

サトウサンペイ

高田ユリ

尾上菊五郎

寺島純子

北の湖敏満

根本良夫

橋本明治

杉村春子

尾上松緑

栗原小巻

堀江謙一

檀ふみ

魁傑將晃

新垣留美子

根本良夫

尾上梅幸

高橋展子

吉永小百合

加藤剛

三林京子

大竹しのぶ

古葉竹識

三重ノ海五郎

池田彌三郎

浅丘ルリ子

中村梅之助

小野清子

村上隆

堤加蓉子

カロリーナ・ピレス・ド・リオ

若三杉壽人

川上哲治

川口幹夫

市川染五郎

上田利治

旭國斗雄

水島新司

川橋幸子

橋田壽賀子

新井春美

竹下景子

川口幹夫

北の湖敏満

岩下志麻

植村直己

八千草薫

安奈淳

森和人

森下洋子

山本浩二

加藤好雄

若山富三郎

ミヤコ蝶々

菅原文太

大原麗子

松本零士

重兼芳子

古葉竹識

多岐川裕美

加藤好雄

松本幸四郎

陳舜臣

佐久間良子

木田勇

向田邦子

島田陽子

鈴木喜久子

角田好雄

渡辺一雄

石毛宏典

古手川祐子

緒形拳

花井幸子

倉本昌弘

森光子

坂田栄男

高橋洋子

秋竜山

澤地久枝

香川宏

生沼スミエ

玉の海梅吉

森英恵

山藤章二

池上季実子

広岡達朗

村松友視

真野響子

滝田栄

橋田壽賀子

前橋汀子

市川猿之助

香川宏

三船敏郎

松本幸四郎

大原麗子

田淵幸一

樋口久子

松坂慶子

田中裕子

隆の里俊英

谷川浩司

林真理子

胡桃沢耕史

宮尾登美子

山口小夜子

役所広司

菊池綜一

江上由美

釜本邦茂

名取裕子

風間杜夫

石井幹子

連城三紀彦

里中満智子

衣笠祥雄

松坂慶子

市川海老蔵

遠藤利男

三田佳子

中村吉右衛門

高野悦子

小池一夫

武原はん

ジェームス三木

山口洋子

吉田義男

大地真央

北尾光司

中野正之

森光子

清原和博

森下洋子

雁屋哲

黒柳朝

加藤芳郎

山崎洋子

渡辺謙

加納みゆき

千代の富士貢

吉岡利夫

若尾文子

中井貴一

森瑤子

江藤俊哉

俵万智

逢坂剛

森口祐子

近藤真一

若村麻由美

北勝海信芳

今西陽一郎

三田佳子

片岡孝夫

伊藤京子

森祇晶

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伊勢桃代

新井満

山口智子

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沖清司

千代の富士貢

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村崎芙蓉子

西田敏行

石岡瑛子

斎藤雅樹

渡辺梓

沖清司

山本陽子

中村鴈治郎

諏訪内晶子

野田秀樹

コシノジュンコ

渡辺久信

森口祐子

松岡修造

沢口靖子

真田広之

小林由紀子

増井光子

山崎豊子

秋山幸二

芦原すなお

荻野アンナ

若花田勝

貴花田光司

緒形直人

鷲尾いさ子

田中好子

内林達夫

有森裕子

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富司純子

中田久美

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森光子

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宮尾登美子

川淵三郎

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田村亮子

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ミヤコ蝶々

曙太郎

古橋廣之進

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俵万智

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浅利純子

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松嶋菜々子

内館牧子

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田村亮子

津川雅彦

草笛光子

阿久悠

福嶋晃子

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伊東律子

田村亮子

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高橋尚子

渡辺謙

池内淳子

佐々木主浩

岡本綾

井上康生

木村佳乃

内藤國雄

出田幸彦

栃東大裕

川原亜矢子

室伏広治

竹田恆和

松岡佑子

唐沢寿明

平良とみ

天海祐希

藤田宜永

森下洋子

出田幸彦

朝青龍明徳

米倉涼子

市川新之助

阿川佐和子

宮本恒靖

仲間由紀恵

高橋由伸

恩田美栄

岩合光昭

岸惠子

中村季恵

浅野ゆう子

五木寛之

優香

三谷幸喜

村山由佳

末續慎吾

村主章枝

武田真治

有馬稲子

星野仙一

中村季恵

野口みずき

野村忠宏

橋田壽賀子

中村勘九郎

荒川静香

滝沢秀明

高島礼子

和田一浩

森光子

日野原重明

琴欧州勝紀

薬師丸ひろ子

野口聡一

長澤まさみ

山田洋次

森光子

上川隆也

眞鍋かをり

林家正蔵

栗原はるみ

渡辺謙

阿木燿子

リリー・フランキー

藤山直美

内野聖陽

横峯さくら

田口壮

吉田都

鎌田實

瀬戸内寂聴

宮﨑あおい

上田桃子

岡島秀樹

青木功

中村勘三郎

新垣結衣

茂木健一郎

坂東眞理子

陣内智則

藤原紀香

本木雅弘

吉田沙保里

太田雄貴

高橋尚子

松本幸四郎

松坂慶子

姜尚中

堀北真希

妻夫木聡

上野由岐子

白鵬翔

草刈民代

阿部寛

深田恭子

原辰徳

勝間和代

城田優

杉山愛

西田敏行

森光子

野口聡一

湊かなえ

岩崎夏海

寺島しのぶ

髙橋大輔

上野樹里

伊勢谷友介

仲間由紀恵

北大路欣也

武良布枝

大竹しのぶ

田中将大

コシノジュンコ

三谷幸喜

鈴木京香

佐々木則夫

鈴木明子

松山ケンイチ

松井冬子

琴奨菊和弘

綾瀬はるか

尾木直樹

澤穂希

中村勘九郎

樹木希林

桂文枝

吉田沙保里

入江陵介

菅野よう子

日馬富士公平

田中将大

滝川クリステル

宮藤官九郎

宮本信子

杉良太郎

風吹ジュン

岡田准一

片岡愛之助

阿川佐和子

中園ミホ

尾上松也

蜷川実花

山中伸弥

井上真央

阿部寛

仲間由紀恵

タモリ

黒柳徹子

羽生結弦

堺雅人

長澤まさみ

大泉洋

土屋太鳳

三宅宏実

上橋菜穂子

所ジョージ

有村架純

又吉直樹

高畑充希

辻沙絵

草刈正雄

新垣結衣

大谷翔平

萩野公介

伊調馨

秋本治

春風亭昇太

村田沙耶香

村田諒太

村上茉愛

加藤一二三

吉岡里帆

高橋一生

宮本信子

鈴木亮平

林真理子

阿部サダヲ

安藤サクラ

池江璃花子

小平奈緒

佐藤健

出川哲朗

永野芽郁

中村勘九郎

夏井いつき

野村萬斎

長谷部誠

井上尚弥

上沼恵美子

サンドウィッチマン

渋野日向子

瀬戸大也

田中圭

戸田恵梨香

中西麻耶

長谷川博己

広瀬すず

吉野彰

黒柳徹子

サンドウィッチマン

杉咲花

染谷将太

チコちゃん

宮崎美子

宮本亞門

室伏広治

吉沢亮

石川佳純

清原果耶

小池栄子

坂口健太郎

谷真海

三谷幸喜

芦田愛菜

黒柳徹子

西村宏堂

羽生結弦

坂東彌十郎

福原遥

松本潤

村上宗隆

森保一

吉田都

北口榛花

国枝慎吾

堺雅人

俵万智

寺島しのぶ

寺田宜弘

バカリズム

吉高由里子

77 星野仙一

88 田淵幸一

80 山本浩二

72 大野豊

11 川上憲伸

13 岩瀬仁紀

14 小林宏之

16 涌井秀章

18 ダルビッシュ有

19 上原浩治

27 藤川球児

28 長谷部康平

60 成瀬善久

10 阿部慎之助

22 里崎智也

39 矢野輝弘

6 井端弘和

7 西岡剛

17 荒木雅博

25 新井貴浩

36 宮本慎也

50 川﨑宗則

55 村田修一

5 和田一浩

9 大村三郎

23 青木宣親

29 森野将彦

41 稲葉篤紀

77 星野仙一

88 田淵幸一(ヘッド兼打撃)

72 大野豊(投手)

80 山本浩二(守備走塁)

11 川上憲伸

13 岩瀬仁紀

15 田中将大

16 涌井秀章

17 成瀬善久

18 ダルビッシュ有

19 上原浩治

21 和田毅

28 藤川球児

47 杉内俊哉

10 阿部慎之助

22 里崎智也

39 矢野輝弘

2 荒木雅博

3 中島裕之

6 宮本慎也

7 西岡剛

25 新井貴浩

52 川﨑宗則

55 村田修一

23 青木宣親

31 森野将彦

41 稲葉篤紀

46 佐藤隆彦

1位:田淵幸一

2位:植木一智

3位:猪狩志郎(入団拒否)

4位:小島健郎(入団拒否)

5位:楠橋高幸

6位:太田進(入団拒否)

7位:幡野正秋(入団拒否)

8位:長崎慶一(入団拒否)

高須一雄 1938 - 1939

三谷八郎 1939

高須一雄 1940

三谷八郎 1941 - 1942

加藤喜作 1942

高田勝生 1943

加藤喜作 1943 - 1944

鶴岡一人(山本一人) 1946 - 1965

(蔭山和夫 1965オフ)

鶴岡一人 1966 - 1968

飯田徳治 1969

野村克也 1970 - 1977

広瀬叔功 1978 - 1980

ドン・ブレイザー 1981 - 1982

穴吹義雄 1983 - 1985

杉浦忠 1986 - 1989

田淵幸一 1990 - 1992

根本陸夫 1993 - 1994

王貞治 1995 - 2008

秋山幸二 2009 - 2014

工藤公康 2015 - 2021

藤本博史 2022 - 2023

小久保裕紀 2024 - 現在

VIAF

田淵幸一

日本の野球選手

法政大学高等学校出身の人物

法政大学野球部の選手

阪神タイガース及びその前身球団の選手

埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手

セントラル・リーグ最優秀新人 (NPB)

本塁打王 (NPB)

NPBオールスターゲーム選出選手

NHK紅白歌合戦審査員

日本の野球監督

福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の監督

東北楽天ゴールデンイーグルス関連人物

野球解説者

日本の野球殿堂表彰者

生島企画室

東京都出身のスポーツ選手

東京都区部出身の人物

1946年生

存命人物

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2024/11/20 16:15更新

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