吉川英治の情報(よしかわえいじ) 作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
吉川 英治さんについて調べます
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吉川英治と関係のある人
大沢在昌: 1991年、同作で第44回日本推理作家協会賞、第12回吉川英治文学新人賞をダブル受賞。 井川伊勢吉: なかでも吉川英治が好き。 高橋治: 1996年 『星の衣』で第30回吉川英治文学賞受賞。 山岡荘八: 1968年『徳川家康』により、第2回吉川英治文学賞を受賞。 鈴木光司: その続編である『らせん』は1995年、第17回吉川英治文学新人賞を受賞した。 北方謙三: 1983年 - 『眠りなき夜』で第1回日本冒険小説協会大賞(日本軍大賞)、第4回吉川英治文学新人賞受賞。 貴志祐介: 2000年 -『青の炎』で第21回吉川英治文学新人賞候補、第13回山本周五郎賞候補。 薬丸岳: 2014年 - 『友罪』で第35回吉川英治文学新人賞候補。 石山透: 鳴門秘帖(吉川英治原作。 黒川博行: 2024年 - 『悪逆』で第58回吉川英治文学賞 畠山重篤: 2012年、国連のフォレスト・ヒーローズ(森の英雄)、第46回吉川英治文化賞受賞。 エドウィン=マクレラン: 吉川英治著、『忘れ残りの記』講談社、東京、1993年。 桐野夏生: 2023年 - 『燕は戻ってこない』で第57回吉川英治文学賞を受賞。 小野不由美: 翌2020年、『十二国記』シリーズで第5回吉川英治文庫賞を受賞。 吉村昭: 吉川英治文学賞、オール読物新人賞、大宅壮一ノンフィクション賞、新田次郎文学賞、太宰治賞、大佛次郎賞の選考委員を務めた。 溝口健二: 翌1955年には自身初のカラー映画として、大映と香港のショウ・ブラザーズの合作映画『楊貴妃』を撮影し、その次にカラー映画2作目となる吉川英治原作の『新・平家物語』を撮影した。 帚木蓬生: 2018年 - 『守教』で第52回吉川英治文学賞、第24回中山義秀文学賞 尾崎秀樹: 日本近代文学館常務理事、神奈川近代文学館理事、日本中国文化交流協会代表理事、吉川英治記念財団評議員、新田次郎財団理事長もつとめた。 池波正太郎: 同年、「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」を中心とした作家活動によって、第11回吉川英治文学賞受賞。 小嵐九八郎: 1994年、『おらホの選挙』で第110回直木三十五賞候補、『刑務所ものがたり』で第16回吉川英治文学新人賞受賞。 朝倉かすみ: “吉川英治文学新人賞〔受賞作品一覧〕”. 本間一夫: 1977年 吉川英治文化賞 津本陽: 1995年 - 『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞 早乙女貢: 1976年『北条早雲』で吉川英治賞候補。 井上ひさし: また多くの文学賞等の選考委員を務めており直木三十五賞、読売文学賞、谷崎潤一郎賞、大佛次郎賞、川端康成文学賞、吉川英治文学賞、岸田國士戯曲賞、講談社エッセイ賞、日本ファンタジーノベル大賞、小説すばる新人賞が挙げられる。 高橋克彦: 2000年 - 『火怨』で第34回吉川英治文学賞 林真理子: 2022年現在、直木賞のほか、講談社エッセイ賞、吉川英治文学賞、中央公論文芸賞の各選考委員を務めている。 栗塚旭: ※原作:吉川英治 高橋竹山: 1975年、第9回吉川英治文化賞・第12回点字毎日文化賞 新田次郎: 1956年(昭和31年)『強力伝』で直木賞、1974年『武田信玄』等で吉川英治文学賞受賞。 |
吉川英治の情報まとめ
吉川 英治(よしかわ えいじ)さんの誕生日は1892年8月11日です。神奈川出身の作家のようです。
現在、再婚、結婚、解散、映画、兄弟、離婚、事故、趣味、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。1962年に亡くなられているようです。
吉川英治のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)吉川 英治(よしかわ えいじ、1892年〈明治25年〉8月11日 - 1962年〈昭和37年〉9月7日)は、日本の小説家。本名:吉川 英次(よしかわ ひでつぐ)。現在の神奈川県横浜市中区出身。文化功労者、文化勲章受章者。位階・勲等は従三位・勲一等。 様々な職についたのち作家活動に入り、『鳴門秘帖』などで人気作家となる。1935年(昭和10年)より連載が始まった『宮本武蔵』は多くの読者を獲得し、大衆小説の代表的な作品となった。戦後は『新・平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆。幅広い読者層に親しまれ「国民文学作家」と呼ばれた。宝塚市千種の地名の名付け親。 1892年(明治25年)8月11日(戸籍面は13日)、神奈川県久良岐郡中村根岸(現在の横浜市中区山元町2丁目18番地付近)に、旧小田原藩士・吉川直広、イクの次男として生まれた。自筆年譜によると出生地は中村根岸となっている。 父・直広は県庁勤務の後小田原に戻り、箱根山麓で牧畜業を営みさらに横浜へ移って牧場を拓く。イクとは再婚で、先妻との間に兄正広がいた。英治が生まれた当時、直広は牧場経営に失敗し、寺子屋のような塾を開いていた。その後、貿易の仲買人のようなことを始め、高瀬理三郎に見出されて横浜桟橋合資会社を設立。一時期安定するが、直広が高瀬と対立し、裁判を起こし敗訴すると刑務所に入れられ、出所後は生活が荒れ、家運が急激に衰えていく。 山内尋常高等小学校に入学。当時騎手の馬屋に近く、将来は騎手になることを考えていた。また10歳の頃から雑誌に投稿をするようになり、時事新報社の『少年』誌に作文が入選した。家運が衰えたのはこの頃で、異母兄と父との確執もあり、小学校を中退。いくつもの職業を転々としつつ、独学した。18歳の時、年齢を偽って横浜ドックの船具工になったが、ドックで作業中船底に墜落、重傷を負う。 1910年(明治43年)に上京、象嵌職人の下で働く。浅草に住み、この時の町並みが江戸の町を書くにあたって非常に印象に残ったという。またこの頃から川柳を作り始め、井上剣花坊の紹介で「大正川柳」に参加する。 1914年(大正3年)、「江の島物語」が『講談倶楽部』誌に3等当選(吉川雉子郎の筆名)するが、生活は向上しなかった。のちに結婚する赤沢やすを頼って大連へ行き、貧困からの脱出を目指したが変わらず、この間に書いた小説3編が講談社の懸賞小説に入選。 1921年(大正10年)に母が没すると、翌年より東京毎夕新聞社に入り、次第に文才を認められ『親鸞記』などを執筆する。関東大震災により東京毎夕新聞社が解散すると、作品を講談社に送り様々な筆名で発表し、「剣魔侠菩薩」を『面白倶楽部』誌に連載、作家として一本立ちする。 1925年(大正14年)より創刊された『キング』誌に連載し、初めて吉川英治の筆名を使った「剣難女難」で人気を得た。この時本名の「吉川英次」で書くように求められたが、作品が掲載される際に出版社が名を「英治」と誤植してしまったのを本人が気に入り、以後これをペンネームとするようになった。キング誌は講談社が社運をかけた雑誌だが、新鋭作家吉川英治はまさに期待の星であり、「坂東侠客陣」「神洲天馬侠」の2長編を発表し、多大な読者を獲得した。 執筆の依頼は増え、毎日新聞からも要請を受け、阿波の蜂須賀重喜の蟄居を背景とした作品「鳴門秘帖」を完成させた。これを収録した『現代大衆文学全集』もよく売れ、また作品も多く映画化された。 こうして巨額な印税が入ったが、貧しいときから寄り添っていた妻やすは、この急激な変化についていけず、次第にヒステリーになっていく。これを危惧し、印税を新居に投じ、さらに養女を貰い家庭の安定を図った。こののち、『万花地獄』『花ぐるま』といった伝奇性あふれる小説や、『檜山兄弟』『松のや露八』などの維新ものを書く。 しかし妻のヒステリーに耐えかね、1930年(昭和5年)の春に半年ほど家出し、この間『かんかん虫は唄ふ』などが生まれた。この頃から服部之総と交友を結ぶ。 1933年(昭和8年)、全集の好評を受け、大衆文学の研究誌・衆文を創刊、1年続き純文学に対抗する。松本学の唱える文芸懇談会の設立にも関わり、また青年運動を開始し、白鳥省吾・倉田百三らと東北の農村を回り講演を開いた。 1935年(昭和10年)、『親鸞』を発表。同年の8月23日から「宮本武蔵」の連載を始め、これが新聞小説史上かつてない人気を得、4年後の1939年(昭和14年)7月21日まで続いた。剣禅一如を目指す求道者宮本武蔵を描いたこの作品は、太平洋戦争下の人心に呼応し、大衆小説の代表作となる。 1937年(昭和12年)、やすと離婚、池戸文子と再婚する。1939年2月より「新書太閤記」を連載。7月の「宮本武蔵」完結後、8月より「三国志」を連載。個人を追究したものから、2作品は人間全体を動かす力を描こうとしているのがうかがえる。『宮本武蔵』終了後も、朝日新聞からは連載の依頼が続き、「源頼朝」「梅里先生行状記」など歴史に名を残す人物を描いた作品を発表した。 1941年(昭和16年)12月24日、大政翼賛会の肝いりで開催された文学者愛国大会では、大会の締めに「皇軍へ感謝するの文」を読み上げるなど時流に合わせた活動も行った。1942年(昭和17年)、海軍軍令部の勅任待遇の嘱託となり、海軍の戦史編纂に携わった。山口多聞、加来止男の戦死を受けて、「提督とその部下」を朝日新聞に執筆し、安田義達の戦死後は「安田陸戦隊司令」を毎日新聞夕刊に連載している。またこの年には日本文学報国会理事に就任した。 敗戦後は、その衝撃から筆を執る事ができなくなってしまった。親友の菊池寛の求めでようやく書き始め、『高山右近』『大岡越前』で本格的に復活する。ただしこの頃、『宮本武蔵』の版権をめぐって講談社と六興出版(英治の弟晋が勤めていた)との間で騒動が起きた。 1949年4月11日、東京財務局が発表した所得番付では、作家の中では最高額の250万円を記録している。 1950年(昭和25年)4月より、『週刊朝日』にて敗れた平家と日本の姿を重ねた「新・平家物語」の連載を開始する。連載7年におよぶ大作で、この作品で第1回菊池寛賞(1953年)を受賞。また『文藝春秋』からの強い要望で、1955年(昭和30年)より自叙伝「忘れ残りの記」を連載。なお、この頃身を隠していた辻政信に会い、逃亡資金を渡している。「新・平家物語」終了後は、「私本太平記」「新・水滸伝」を連載する。「私本太平記」は、従来逆賊といわれてきた足利尊氏の見方を改めて描く。 1960年(昭和35年)、文化勲章を受章。しかし通俗作家と見なされ、芸術院には入れなかった。 「私本太平記」の連載終了間際に肺癌にかかり、翌年夏に悪性腫瘍が転移し悪化。1962年(昭和37年)9月7日、肺癌のため築地の国立がん研究センター中央病院で死去。享年70歳。法名は、崇文院殿釋仁英大居士。贈従三位(没時叙位)、贈勲一等瑞宝章(没時叙勲)。 1892年(明治25年) - 神奈川県久良岐郡中村根岸(現・横浜市中区)に生誕。 1898年(明治31年) - 横浜市千歳町の私立山内尋常高等小学校に入学。 1900年(明治33年) - 横浜市清水町に移転し太田尋常高等小学校に転校。 1903年(明治36年) - 家運傾き小学校を中退。 1909年(明治42年) - 年齢を偽って横浜ドック船具工となる。 1910年(明治43年) - 上京。菊川町(現在の墨田区立川4丁目)のラセン釘工場の工員なる。 1911年(明治44年) - 蒔絵師の家に住み込み徒弟となる。また川柳の世界に入り、雉子郎(きじろう)の筆名で作品を発表。 1914年(大正3年) - 三越百貨店が各種文芸を募集した「文芸の三越」の川柳部門で応募作が一等に当選。講談倶楽部に投稿した「江の島物語」が一等に当選。 1921年(大正10年) - 旅先から応募していた講談社の懸賞小説三篇入選。山崎帝國堂広告文案係を経て暮れに東京毎夕新聞社入社。 1923年(大正12年) - 人気芸妓だった赤沢やすと結婚。関東大震災を機に、文学で生計を立てることを決意する。 1925年(大正14年) - 『キング』誌が創刊され「剣難女難」を連載、人気を得る。初めて吉川英治の筆名を使う。 1926年(大正15年) - 「鳴門秘帖」を連載。大人気となり、時代小説家として大衆文学界の新鋭となる。 1930年(昭和5年) - 現代小説「かんかん虫は唄ふ」を『週刊朝日』に連載。このころから「貝殻一平」や「松のや露八」などの維新物を発表しはじめる。 1935年(昭和10年) -「宮本武蔵」の連載を開始。 1937年(昭和12年) - 日中戦争勃発。『毎日新聞』の特派員として現地を視察。旅行中やすとの離婚成立。料理屋で働いていた池戸文子と結婚。文子16歳、英治45歳の歳の差夫婦だった。 1938年(昭和13年) - ペンの部隊として南京、漢口作戦に従軍。「三国志」の執筆開始。 1944年(昭和19年) - 西多摩郡吉野村(現在の青梅市)に疎開、疎開地が後に記念館になる。 1945年(昭和20年) - 終戦とともに一時執筆活動を休止。 1947年(昭和22年) - 執筆再開。 1948年(昭和23年) - 「高山右近」を『読売新聞』に連載。 1950年(昭和25年) - 「新・平家物語」を『週刊朝日』に連載。 1953年(昭和28年) - 「新・平家物語」で第1回菊池寛賞受賞。 1956年(昭和31年) - 「新・平家物語」で朝日文化賞受賞。 1960年(昭和35年) - 文化勲章受章。 1962年(昭和37年) - 毎日芸術賞受賞。癌が悪化、死去。 2013年(平成25年) - 前年が没50年の年であり、元日をもって当時の著作権法に従い著作権が消滅、作品がパブリックドメインとなる。青空文庫などで多数の作品が公開された。 『吉川英治全集』(平凡社:全18巻、講談社:旧版全56巻、新版全58巻) 『吉川英治文庫』(講談社文庫:全161巻) 『吉川英治歴史時代文庫』(講談社文庫:全85巻) 『親鸞記』東京毎夕新聞社、1923年1月。 『坂東侠客陣』大日本雄辯會講談社、1926年11月。 『神州天馬侠』全3巻(1926年11月 - 1929年1月、大日本雄辯會講談社)
『神州天馬侠』 第2巻、大日本雄辯會講談社、1927年10月15日。NDLJP:1873879。 『神州天馬侠』 第3巻、大日本雄辯會講談社、1929年1月。 『剣難女難』大日本雄辯會講談社、1926年12月。 『鳴門秘帖』全2巻(1927年3月 - 1933年11月、大阪毎日新聞社・東京日日新聞社)
『鳴門秘帖』 後編、大阪毎日新聞社・東京日日新聞社、1933年11月。 『ひよどり草紙』大日本雄辯會講談社、1927年9月。 『万花地獄』平凡社、1929年6月。 『江戸三国志』全3巻(1927年7月 - 1929年4月、大日本雄辯會講談社) 『貝殻一平』全2巻(1929年12月 - 1930年4月、先進社)
『貝殻一平』 下巻、先進社、1930年4月12日。NDLJP:1184840。 『女来也』先進社、1930年4月。 『龍虎八天狗』全4巻(1929年8月 - 1931年6月、博文館)
『龍虎八天狗』 第2巻、博文館、1929年12月16日。NDLJP:1028716。 『龍虎八天狗』 第3巻、博文館、1930年6月23日。NDLJP:1033657。 『龍虎八天狗』 第4巻、博文館、1931年6月24日。NDLJP:1034407。 『飢えたる彰義隊』新潮社、1930年9月。 『恋ぐるま』大日本雄辯會講談社、1931年3月。 『江戸城心中』全2巻(1931年6月 - 7月、先進社)
『江戸城心中』 つゞき、先進社、1931年7月13日。NDLJP:1223487。 『かんかん虫は唄ふ』春陽堂、1932年7月9日。NDLJP:1110166。 『檜山兄弟』全2巻(1932年7月 - 1933年3月、新潮社) 『雲霧閻魔帳』新潮社、1933年5月15日。NDLJP:1214760。 『燃える富士』新潮社、1934年4月。 『女人曼荼羅』中央公論社、1934年5月3日。NDLJP:1213481。 『桜田事変』改造社、1934年12月。 『あるぷす大将』改造社、1934年12月。 『松のや露八』新潮社、1935年4月。 『草思堂随筆』新英社、1935年9月20日。NDLJP:1233470。 『自選傑作集』新英社、1935年10月17日。NDLJP:1238394。 『遊戯菩薩』新英社、1935年11月20日。NDLJP:1232320。 『青空士官』新英社、1936年1月20日。NDLJP:1214138。 『胡蝶陣』湯川弘文社、1936年2月。 『右近・左近』大日本雄弁会講談社、1936年5月。 『宮本武蔵』全6巻(1936年5月 - 1939年9月、大日本雄弁会講談社)(1949年3月 - 1950年4月、六興出版) 『現代青年道』新英社、1936年7月20日。NDLJP:1228632。 『恋山彦』新英社、1936年8月。 『野槌の百』新小説社、1936年9月25日。NDLJP:1257233。 『新編忠臣蔵』全2巻(1936年12月、新潮社)
『新編忠臣蔵』 下巻、新潮社、1936年12月12日。NDLJP:1025741。 『窓辺雑草』育生社、1938年7月5日。NDLJP:1256169。 『親鸞』全2巻(1938年7月 - 11月、大日本雄弁会講談社)
『親鸞』 地の巻、大日本雄弁会講談社、1938年11月。 『無明夕明』興亜書房、1939年3月。 『悲願三代塔』大日本雄弁会講談社、1939年6月。 『随筆宮本武蔵』朝日新聞社、1939年7月。 『かんかん虫は唄ふ』朝日新聞社、1939年8月6日。NDLJP:1108216。 『江戸長恨歌・恋易者』非凡閣、1939年10月16日。NDLJP:1023469。 『柳生月影抄』朝日新聞社、1939年11月。 『茶漬三略』朝日新聞社、1939年12月。 『三国志』全14巻(1940年5月 - 1946年9月、大日本雄弁会講談社) 『天兵童子』全2巻(1940年6月 - 8月、大日本雄弁会講談社)
『天兵童子』 下巻、大日本雄弁会講談社、1940年8月20日。NDLJP:1717174。 『源頼朝』全2巻(1940年12月 - 1941年3月、朝日新聞社)
『源頼朝』 下巻、朝日新聞社、1941年3月20日。NDLJP:1136021。 『新書太閤記』全9巻(1941年4月 - 1945年2月、新潮社)、全11巻(1950年 - 1951年、六興出版) 『梅里先生行状記』全2巻(1941年9月 - 11月、朝日新聞社) 『虚無僧系図』文林道双魚房、1941年11月。 『梅颸の杖』春陽堂書店、1941年12月。 『日本名婦伝』全国書房、1942年1月20日。NDLJP:1136020。 『上杉謙信』朝日新聞社、1942年9月。 『南方紀行』全国書房、1943年1月。 『剣の四君子』全国書房、1943年4月。 『黒田如水』朝日新聞社、1943年11月。 『高山右近』全2巻(1949年6月、読売新聞社) 『大岡越前』同志社、1950年1月。 『新・平家物語』全24巻(1951年6月 - 1957年5月、朝日新聞社) 『平の将門』六興出版、1952年12月。 『折々の記』六興出版、1953年12月。 『忘れ残りの記』文藝春秋新社、1957年7月。 『随筆新平家』朝日新聞社、1958年6月。 『私本太平記』全13巻(1959年3月 - 1962年3月、毎日新聞社) 『新・水滸伝』全6巻(1960年11月 - 1963年2月、講談社) 『随筆私本太平記』毎日新聞社、1963年3月。 御誂治郎吉格子(1928年) 牢獄の花嫁 前篇(1931年) 牢獄の花嫁 解決篇(1931年) 御誂次郎吉格子(1931年) 春秋編笠ぶし(1932年) 神変麝香猫 悲願復讐篇(1932年) 神変麝香猫 大江戸戦慄篇(1932年) 神変麝香猫 火焔解決篇(1932年) 江戸城心中 前篇(1933年) 江戸城心中 後篇(1933年) 燃える富士 東海散華の巻(1933年) 燃える富士 王道戦花の巻(1933年) 燃える富士 修羅暁闇の巻(1933年) 雲霞閻魔帳 前篇 春秋緑林篇(1934年) 雲霞閻魔帳 後篇 流星(1934年) 野火の兄弟(1934年) 恋山彦 風雲の巻(1937年) 恋山彦 怒濤の巻(1937年) 牢獄の花嫁 前篇(1939年) 牢獄の花嫁 解決篇(1939年) 天兵童子 第一話 幼き英雄(1941年) 天兵童子 第二話 日本の子(1941年) 柳生月影抄(1941年) 天兵童子 第三話(1941年) 天兵童子 第四話 甦る力(1941年) 梅里先生行状記 龍神剣(1942年) 千両肌(1950年) 悲恋華(1950年) 阿修羅判官(1951年) 万花地獄(1951年) 平安群盗伝 袴だれ保輔(1951年) 剣難女難 女心伝心の巻(1951年) 剣難女難 剣光流星の巻(1951年) 御誂 治郎吉格子(1952年) 柳生の兄弟(1952年) ひよどり草紙(1952年) ひよどり草紙(1954年) 竜虎八天狗 第一部 水虎の巻(1954年) 竜虎八天狗 第二部 火竜の巻(1954年) 竜虎八天狗 第三部 鳳凰の巻(1954年) 竜虎八天狗 完結篇 追撃の巻(1954年) 月笛日笛 第一篇 月下の若武者(1955年) 月笛日笛 第二篇 白馬空を飛ぶ(1955年) 月笛日笛 第三篇 千丈ケ原の激斗(1955年) 麝香屋敷(1955年) 浪人吹雪(1955年) 天兵童子 第一篇 波濤の若武者(1955年) 虚無僧系図(1955年) 天兵童子 第二篇 高松城の密使(1955年) 天兵童子 完結篇 日の丸初陣(1955年) 牢獄の花嫁(1955年) かんかん虫は唄う(1955年) 隠密七生記 剣雲碓氷峠の乱陣(1956年) 続隠密七生記 龍攘虎搏の決戦(1956年) 江戸三国志(1956年) 江戸三国志 疾風篇(1956年) 江戸三国志 完結迅雷篇(1956年) 勤王?佐幕?女人曼陀羅(1956年) 続勤王?佐幕?女人曼陀羅(1956年) 修羅時鳥(1957年) さけぶ雷鳥(1957年) さけぶ雷鳥 第二部(1957年) さけぶ雷鳥 解決篇(1957年) 黄金の伏魔殿(1957年) 神変麝香猫(1958年) 隠密七生記(1958年) 恋山彦(1959年) 親鸞(1960年) 続 親鸞(1960年) 裁かれる越前守(1962年) 雲切獄門帖(1963年) 妻 やす、文子
二男 英穂 長女 曙美 二女 香屋子 養女 園子 - 東京大空襲で戦災死。 吉川家は江戸時代、小田原藩の下級武士であり祖父・銀兵衛は徒士並五石二人扶持で根府川番所につとめた。元々は「きっかわ」とよんだと吉川英治は語っている(『忘れ残りの記』)。 銀右衛門━銀右衛門━銀右衛門・・・勇助━銀兵衛━直広━┳英次━┳英明 ┣くに ┣英穂 ┣きの ┣曙美 ┣かゑ ┣香屋子 ┣素助 ┗園子 ┣はま ┣きく ┣ちよ ┣すえ ┗晋 記念施設
エピソード馬主しかし、1956年(昭和31年)の第23回東京優駿(日本ダービー)で、出走した愛馬エンメイが1コーナーで発生した混乱に巻き込まれて落馬・転倒する事故が起き、エンメイは脚部骨折のために予後不良と診断され殺処分となり、鞍上だった阿部正太郎騎手も騎手生命を絶たれる瀕死の重傷を負った。当日の吉川は仕事のために大阪におり、競馬場で直接事故を目撃したわけではなく、事故に対して勿論吉川は一切非が無かったのだが、この一件で大きなショックを受け、程なく競馬の世界からすっぱりと手を引いてしまい、二度と戻ることは無かった。 その後の吉川は、当時は体調が優れなかったこともあり医師の勧めでゴルフを始め、これが競馬に代わる晩年の趣味となったという。 他の多くの文士と同様、長野県軽井沢町に別荘を所有していた。文士仲間とのゴルフにも興じた。近所の三笠宮崇仁親王の別荘に招かれたこともあった。また吉川は夏だけでなく秋まで滞在していたようで、「人がいなくなってから、高原はほんとうに高原のよさを見せてくる」などと随筆に記している。 軽井沢での交友関係は以下の通り。 「秋というと、近所隣も、みな空家ばかりだが、夏の軽井沢は、人間離れどころではない。ジャーナリズム網も張られているので、雑魚のぼくらまで御難にかかる。放送、座談会、対談、口述、写真、訪問記など、いやおうなく、現地徴用にひっかかる。また友人たちにもしきりに会った。池島信平氏、獅子文六氏、立野信之氏、舟橋聖一氏、服部之総氏、松本新八郎氏、野村胡堂氏、石坂洋次郎氏、佐佐木茂索氏、川口松太郎氏、村山知義氏。かぞえきれない。とくに珍客は、嘉治隆一氏が、おりふし夏季講座に来ていたハアヴアド大学で文学専攻のミラア教授夫妻を案内されたことだった。短期間だったが、ミラア教授とのはなしは非常におもしろかった。嘉治氏がそのときの印象を十一月号の小説公園に書いている。笠信太郎氏、浦松佐美太郎氏などがみえたときは、土地の正宗白鳥氏だの、梅原龍三郎画伯、横山美智子氏、川口氏、野村氏、石坂夫人、ぼく夫婦などを、一夕招宴してくれた。室生犀星氏は微症で見えなかったが、当夜の会も愉快だった。去年は、やはりこういう顔ぶれに志賀直哉氏を加えて、改造社の山本実彦氏がきもいりの会をしてくれたが、その山本氏は今年はもう他界の人だった。そういえば、その山本実彦氏の未亡人と御子息が、ことし山荘を訪ねてくだすった日は、軽井沢特有な霧小雨の日で、実彦氏の生前ばなしが出るたびに、未亡人の瞼があからむのに胸の傷いたむおもいを共にした。」(吉川英治『随筆 新平家』, 1958年) 吉川死後には、軽井沢野間省一邸にて故吉川英治の一周忌が軽井沢の仲間内で行なわれている。集まった人物は、円地文子、生沢朗(生沢徹父)、石坂洋次郎、丹羽文雄、川端康成、川口松太郎、源氏鶏太、井上靖、壺井栄、芝木好子、白川渥、水上勉、阿川弘之、井上友一郎、柴田錬三郎、石川達三、富田常雄。 2011年には、軽井沢で蕎麦店を経営していた吉川英治の孫が大麻所持容疑で逮捕されている。 ^ 「吉川英治と明治の横浜 : 自伝小説『忘れ残りの記』を解剖する」(横浜近代文学研究会編)は、山元町商店街の「梅ノ湯」という銭湯の辺りとする。現在ではマンション「ランドシティ横濱」 ^ 文壇・詩壇・歌壇の三百五十人が参加『東京朝日新聞』(昭和12年1月19日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p705 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年 ^ 『回想の日本海軍』(原書房)所収の、「吉川英治先生と海軍」 ^ 「吉川英治氏が250万円で筆頭 芸能人の所得番付」『日本経済新聞』昭和24年4月12日2面 ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、377頁。ISBN 4-00-022512-X。 ^ “菊池賞受賞者一覧”. 日本文学振興会. 2021年8月22日閲覧。 ^ 文化財ニュース 2003, p. 第3号. ^ 「吉川英治記念館 入館者減で閉館 20日最終日」毎日新聞2019年3月17日 ^ “吉川英治記念館、あすオープン 青梅市の施設として再出発 「新たなファン開拓したい」:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2021年2月26日閲覧。 ^ “旧吉川英治邸(草思堂)が国の登録有形文化財(建造物)として正式に登録されました”. 吉川英治記念館. 2024年9月8日閲覧。 ^ “魅力なスポット再発見 ウォーキングコースの紹介”. 佐倉市. 2024年9月8日閲覧。 ^ “作家・吉川英治の文学碑お披露目 作品にも登場の園芸会社に”. 毎日新聞. 2024年9月8日閲覧。 ^ “吉川英治文学碑”. 呉市. 2024年9月8日閲覧。 ^ 吉川英治『随筆 新平家』(1958年)青空文庫リンク : 随筆 新平家 ^ 『石坂洋次郎』(学習研究社, 1973年)176頁 ^ 吉川英治氏の孫を大麻所持容疑で逮捕 神奈川県警 日本経済新聞(2011年2月10日) 『新潮日本文学アルバム 29 吉川英治』尾崎秀樹 編・評伝、永井路子 巻末エッセイ、新潮社、1985年8月。ISBN 978-4-10-620629-0。https://www.shinchosha.co.jp/book/620629/。 『吉川英治とわたし 復刻版 吉川英治全集月報』講談社、1992年9月。ISBN 4-06-205904-5。https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000175902。 - 注記:吉川英治生誕百年記念。 『現代日本文学館 第32 吉川英治・獅子文六』小林秀雄 責任編集、杉森久英 解説、文藝春秋、1967年。 吉川英明 編著『吉川英治の世界』講談社文庫、1984年2月。ISBN 978-4-06-183249-7。https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000159440。 墨田区教育委員会事務局生涯学習課文化財担当編集『文化財ニュース第1号〜第37号』墨田区教育委員会、2003年、第3号頁。 尾崎秀樹『吉川英治 伝記』講談社、1970年。
尾崎秀樹『吉川英治 人と文学』新有堂、1980年7月。 松本昭『人間吉川英治』六興出版、1987年9月。ISBN 978-4-8453-7156-3。 - 著者は編集担当者。 吉川英明『父吉川英治』六興出版、1987年9月。ISBN 978-4-8453-7157-0。
吉川英明『父吉川英治 新装版』講談社文庫、2012年6月。ISBN 978-4-06-277284-6。https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000205995。 - 初版は1978年 芸術対談 横山大観・吉川英治-NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス 大谷貴義 上椎葉ダム 宍戸梅軒 (俳人) 杉本苑子 柳家禽太夫 - 夫人が英治と親戚にあたる。 吉川英治賞 吉田満 吉川 英治:作家別作品リスト - 青空文庫
『年譜』:新字新仮名 - 青空文庫 吉川英治 - NHK人物録 ここに鐘は鳴る 吉川英治 - NHK放送史 吉川英治句碑 - 愛知県蟹江町公式ホームページ 公益財団法人吉川英治国民文化振興会 : 講談社 青梅市吉川英治記念館 : 青梅市 吉川英治 - 歴史が眠る多磨霊園 吉川英治氏と競馬 |馬競馬を愛した人々 |近代競馬150周年記念サイト - ウェイバックマシン(2017年12月23日アーカイブ分) 吉川英治文学碑|平川市 - ウェイバックマシン(2011年7月19日アーカイブ分) 表 話 編 歴 親鸞記 - 剣難女難 - 坂東侠客陣 - 神州天馬侠 - 神変麝香猫 - 菊一文字 - ひよどり草紙 - 鳴門秘帖 - 万花地獄 - 江戸三国志 - 女来也 - 一領具足組 - 貝殻一平 - 処女爪占師 - 恋ぐるま - 月笛日笛 - 金忠輔 - さけぶ雷鳥 -江戸城心中 - かんかん虫は唄う - 牢獄の花嫁 - 春秋編笠ぶし - 魔海の音楽師 - 桧山兄弟 - 隠密七生記 - 風神門 - 紅騎兵 - 心の一つ灯 - 燃える富士 - 恩讐三羽雁 - お千代傘 - あるぷす大将 - 女人曼陀羅 - 恋山彦 - 修羅時鳥 - きつね雨 - 胡蝶陣 - 大都の春 - 親鸞 - 讃母祭 - 松のや露八 - 虚無僧系図 - 新編忠臣蔵 - 青空士官 - 遊戯菩薩 - 朝顔夕顔 - 宮本武蔵 - 自雷也小僧 - 無明有明 - 善魔鬘 - 愛獄の父母 - やまどり文庫 - 母恋鳥 - 天兵童子 - 迷彩列車 - 魔粧仏身 - 悲願三代塔 - 夜の司令官 - 特急『亜細亜』 - 江戸長恨歌 - 新書太閤記 - 新版天下茶屋 - 三国志 - 源頼朝 - 彩情記 - 日本名婦伝 - 柳生石舟斎 - 梅里先生行状記 - 上杉謙信 - 黒田如水 - 色は匂へど - 大岡越前 - 高山右近 - 平の将門 - 新・平家物語 - 新・水滸伝 - 私本太平記 戯曲 新・平家物語 十五日の記 - 随筆 宮本武蔵 - 随筆 新平家 - 随筆 私本太平記 - 草思堂随筆 - 窓辺雑草 - 草思堂雑稿 - 草莽寸心 - 折々の記 - 折々の記以後 - 忘れ残りの記 江の島物語 - でこぼこ花瓶 - 馬に狐を乗せ物語 - 剣魔侠菩薩 - 金座大秘録 - 剣侠百花鳥 - 侠艶火焔車 - 因果針全伝 - 虚無僧寺夜話 - 明治残血録 - 宝暦日蝕変 - 鉄砲巴 - いたずら者 - 蜘蛛売紅太郎 - 邯鄲片手双紙 - 増長天王 - 龍虎八天狗 - 絞血煙火船 - 醤油仏 - 飢えたる彰義隊 - 八寒道中 - 梅颸の杖 - 銀河まつり - 戦国お千代舟 - 勤王田舎噺 - ナンキン墓の夢 - 治郎吉格子 - 明治秋風吟 - 本町紅屋お紺 - 佐幕忠臣蔵 - 函館病院 - 戦国後家 - 花街三和尚 - 無宿人国記 - 野槌の百 - 田崎草雲とその子 - 筑後川 - 雲務閻魔帳 - 下頭橋由来 - 退屈兵学者 - 蝎を飼う女たち - 玉堂琴士 - べんがら炬燵 - 黄昏の少将辻話 - 野火の兄弟 - 左近右近 - 慶応の朝 - 石を耕す男 - 桜田事変 - 六波羅の馬 - めくら笛 - 宗祖物語 親鸞聖人 - 篝火の女 - みじか夜峠 - 御鷹 - 大谷刑部 - 魔金 - 牡丹焚火 - 恋易者 - 朝顔更紗 - 悪党祭り - 鬼 - 悲願の旗 - 吉野太夫 - 春の雁 - 死んだ千鳥 - 春雨郵便 - 春燈辰巳読本 - 旗岡巡査 - 日出づる大陸 - 合戦小屋炉話 - 城乗り一番 - 濞かみ浪人 - 松風みやげ - 日本の迷子 - 皿山小唄 - さむらい行儀 - 夕顔の門 - 恋祭 - 夏虫行燈 - 山浦清麿 - 歩く春風 - 東雄ざくら - 柳生月影抄 - 茶漬三略 - 青田の風 - 林崎甚助 - 高橋泥舟 - 小野忠明 - 安田陸戦隊司令 - 人間山水図巻 - 続太閤記 - 袴だれ保輔 - あづち・わらんべ 太閤記 - 新・平家物語 - 新書太閤記 - 鳴門秘帖 - 宮本武蔵 - 太平記 - 人形歴史スペクタクル 平家物語 - 宮本武蔵 - 武蔵 MUSASHI - 宮本武蔵 ひよどり草紙 - 恋山彦 風雲の巻 - 恋山彦 怒濤の巻 - 恋山彦 (1959年の映画) - 牢獄の花嫁 - 新・平家物語#映像化作品 - 親鸞 - 鳴門秘帖 - 鳴門秘帖 完結篇 - 宮本武蔵 吉川英治原作のテレビドラマ 表 話 編 歴 第1回
八代目松本幸四郎 間宮芳生 第2回
土門拳 第3回
小林正樹 安川加壽子 第4回
内村直也 八代目坂東三津五郎 第5回
新藤兼人 第6回
三島由紀夫 第7回
市川崑 第8回
滝沢修 岡田謙三 第9回
第10回
茂木草介 東山魁夷 岩田藤七 第11回
平野謙 棟方志功 第12回
山田洋次 第13回
白川義員 第14回
宇野重吉 第15回
第16回
山田五十鈴 第17回
倉本聰 第18回
森繁久彌 第19回
黒川紀章 第20回
飯沢匡 林忠彦 第21回
篠山紀信 前進座 第22回
篠田一士 若杉弘 越路吹雪 第23回
藤原新也 第24回
八代目松本幸四郎 林康子 第25回
朝比奈隆 三代目市川猿之助 磯崎新 第26回
佐々木昭一郎 山本安英 第27回
第28回
安藤忠雄 NHK交響楽団 第29回
深町幸男 第30回
吉田簑助 渥美清 第31回
木下順二 第32回
本多秋五 森光子 第33回
第34回
佐々木昭一郎 山田太一 第35回
松村禎三 橋田壽賀子 第36回
幸田弘子 横尾忠則 第37回
江成常夫 ひょうご舞台芸術「GHETTO」 第38回
小栗康平 黒柳徹子 馬場あき子 第39回
入沢康夫 五代目坂東玉三郎 宮崎駿 第40回
森澄雄 十三代目片岡仁左衛門 第41回
岡井隆 河野多惠子 高倉健 第42回
大島渚 吉永小百合 第43回
麻実れい 鷹羽狩行 第44回
小澤征爾 清岡卓行 第45回
七代目竹本住大夫 第46回
前登志夫 観世栄夫 沼尻竜典 第47回
三木卓 奈良岡朋子 西村朗 李禹煥 第48回
篠弘 司修 二代目中村吉右衛門 篠原有司男 第49回
野田秀樹 平岩弓枝 細江英公 森山良子 第50回
舟越桂 永井路子 七代目尾上菊五郎 石内都 第51回
隈研吾 関正人 辻原登 遠山慶子 金子兜太 第52回
大峯あきら 村上龍 森村泰昌 吉田都 加山雄三 第53回
菊畑茂久馬 津島佑子 豊竹咲大夫 坂茂 由紀さおり 第54回
辰野登恵子 谷村新司 テレビマンユニオン 十代目坂東三津五郎 荒木経惟 第55回
平幹二朗 青木野枝 佐伯一麦 永六輔 第56回
鍵和田秞子 隠崎隆一 船本芳雲 柳家小三治 松浦寿輝 第57回
桐竹勘十郎 庄司紗矢香 菅木志雄 宮城谷昌光 是枝裕和 第58回
河口龍夫 黒沢清 筒井康隆 堤剛 坂本冬美 第59回
遠藤利克 髙村薫 仲川恭司 山路和弘 熊川哲也 第60回
栗木京子 内藤礼 永井愛 宮本輝 大林宣彦 第61回
逢坂剛 草笛光子 佐藤俊介 塩田千春 今野勉 第62回
西澤徹夫 鵜山仁 鴻池朋子 高樹のぶ子 水原紫苑 「半沢直樹」 第63回
皆川博子 下谷洋子 高橋睦郎 三島喜美代 吉野直子 第64回
遠藤彰子 加藤健一 桐野夏生 永田和宏 FAST ISNI VIAF WorldCat スペイン フランス BnF data カタルーニャ ドイツ イスラエル ベルギー アメリカ ラトビア 日本 チェコ 韓国 オランダ ポーランド CiNii Books CiNii Research Trove(オーストラリア)
IdRef 吉川英治 19世紀日本の小説家 20世紀日本の小説家 19世紀日本のジャーナリスト 20世紀日本のジャーナリスト 日中戦争のジャーナリスト 日本の歴史小説家 朝日賞受賞者 菊池寛賞受賞者 真宗関連の人物 日本文学報国会の人物 馬主 文化勲章受章者 勲一等瑞宝章受章者 従三位受位者 肺癌で亡くなった人物 横浜市出身の人物 1892年生 1962年没 多磨霊園に埋葬されている人物 Div colで3列を指定しているページ ウィキデータと異なるNHK人物録ID FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNE識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 CANTICN識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 KBR識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 LNB識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NKC識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 PLWABN識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 Trove識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/21 14:32更新
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yoshikawa eiji
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