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佐藤康光の情報 (さとうやすみつ)
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【5月27日】今日誕生日の芸能人・有名人

佐藤康光の情報 (さとうやすみつ) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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佐藤 康光さんについて調べます

■名前・氏名
佐藤 康光
(さとう やすみつ)
■職業
将棋棋士
■佐藤康光の誕生日・生年月日
1969年10月1日 (年齢54歳)
酉年(とり年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
京都出身

佐藤康光と同じ1969年生まれの有名人・芸能人

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佐藤康光と関係のある人

村山聖: 当時、羽生を筆頭として10代でプロ棋士になった者らは恐るべき勢いで勝ち進み、新人類棋士、チャイルドブランドなどと呼ばれ、羽生、佐藤康光、森内俊之と村山の4名が、その有力なメンバーであった。


藤井猛: 後述のように升田幸三賞を2度受賞しているが、特別賞以外の升田幸三賞を2度受賞している棋士は藤井、佐藤康光、青野照市、千田翔太の4人のみである(2023年6月現在)。


木村一基: 挑戦者決定戦では佐藤康光を破り、永瀬拓矢王座へ挑戦を決めた。


豊田利晃: 将棋棋士を目指して9歳で関西奨励会に入会したが、同時期に関西奨励会員であった村山聖(九段)や佐藤康光(九段、永世棋聖資格者、タイトル13期、日本将棋連盟会長)らの才能を見て自らの限界を悟り、17歳の時に自ら退会した。


谷川浩司: 7勝1敗同士の森内俊之とのプレーオフを制して佐藤康光名人へのリターンマッチの権利を得たものの、「井上君には申し訳なかった」と語った。


滝誠一郎: 2013年の引退時に仲間内で開かれた慰労会には、幹事時代に奨励会員だった羽生善治・佐藤康光・森内俊之・郷田真隆らが顔を揃えた。


北浜健介: 第3期叡王戦では予選で3連勝し、初の本戦進出を決めた(初戦で佐藤康光に敗戦)。


中井広恵: 続く2回戦では当時棋聖を保持していた佐藤康光をあと一歩のところまで追い詰めた。


鈴木大介: 2006年、第77期棋聖戦挑戦者決定戦で羽生善治を下し、佐藤康光へ挑戦したが、3連敗を喫して初タイトル奪取に失敗。


郷田真隆: 棋聖位は、翌年、佐藤康光に奪われる。


村山聖: 翌年、1990年10月1日、第13回若獅子戦決勝で佐藤康光を破り、棋戦初優勝。


永瀬拓矢: 第37期竜王戦では、1組ランキング戦の初戦で佐藤康光九段、5位決定戦の初戦でも菅井竜也八段に敗れ、初の2組降級となった。


森下卓: 紅組で4勝1敗となるが、佐藤康光にプレーオフで敗退。


丸山忠久: 2006年度、第19期竜王戦で1組ランキング戦を優勝し、本戦も突破して挑戦者決定戦に進出するが、佐藤康光を相手に2連敗で敗退した。第56期王将戦では王将リーグを4勝2敗で終えてプレーオフに初進出したが、再び佐藤康光を相手に敗退となった。


青野照市: 佐藤康光とのA級順位戦で後手番一手損角換わり戦法を採用し、敗れはしたものの戦法が流行するきっかけを作った。


森内俊之: 佐藤康光の免許取り立て無謀運転 通称「いろは坂事件」


三浦弘行: 第65期も4勝5敗と負け越し、佐藤康光(3位)・丸山(5位)・藤井(6位)・久保(7位)・深浦(9位)と6人が相星で並ぶ(最下位は阿部隆の2勝7敗)異例の展開となったが、幸運なことに3期連続で順位の差が味方して土俵際の8位に踏みとどまる。


阿久津主税: そして2008年度の第2回朝日杯将棋オープン戦では、タイトルホルダー(棋王)の佐藤康光を破るなどして決勝進出。


土佐浩司: 第20期(2012年度)の銀河戦本戦Bブロックの最多勝者となり、決勝トーナメント進出(1回戦で佐藤康光に敗れた。


植山悦行: 一次予選決勝では佐藤康光を、二次予選決勝では大山康晴を破った。


佐藤天彦: 佐藤康光九段に2連勝して渡辺明棋王(竜王)への挑戦を決めたが、1勝3敗で敗れた。


山崎隆之: 2013年に佐藤康光が評した所によれば、


深浦康市: 2016年度、第75期順位戦における佐藤康光とのA級順位戦の対局が、深浦にとっては敗局だが、第44回将棋大賞の名局賞に選ばれた。


藤井猛: 従来の矢倉とは異なる、脇システムと片矢倉(天野矢倉)を組み合わせた独自の駒組み(藤井流早囲いと呼ばれる)から先行を目指そうとする積極的な指し回しは、その年度に森内俊之や佐藤康光も対局で採用するなど、早くも他の有力棋士に影響を与えた。


米長邦雄: 翌日の対局は、佐藤康光棋聖が相手であったが、佐藤は米長に敬意を払い和服(羽織袴)を着用して下座に着いていた(本来はタイトル保持者の佐藤が上座)。


佐藤天彦: 名人位奪取による九段昇段は谷川浩司・佐藤康光・丸山忠久・森内俊之に次ぐ14年ぶり5人目である。


森内俊之: 後に「島研」とも呼ばれた島朗六段主宰の研究会は、森内が二段くらいの頃に島に誘われ、森内が佐藤康光も紹介し始まった。


丸山忠久: NHK杯では再びベスト4に入り、銀河戦では決勝に進出した(佐藤康光に敗れ準優勝)。


屋敷伸之: 第46回(1996年度)NHK杯戦で村山聖・佐藤康光・島朗らに勝ち決勝進出。


永瀬拓矢: そのためか、現役棋士で千日手の出現率が最多であり、自身初出場のNHK杯将棋選手権・対佐藤康光戦において同棋戦初の2連続千日手、第5期叡王戦での千日手1回・持将棋2回によるタイトル戦最多の計1418手に及ぶ激戦、第93期棋聖戦でのタイトル戦初の1日3局の対局などを記録している(それ以前にも2連続千日手の例はあるが、後日指し直しとなっているため)。


佐藤康光

もしもしロボ

佐藤 康光(さとう やすみつ)さんの誕生日は1969年10月1日です。京都出身の将棋棋士のようです。

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棋風、エピソード・人物などについてまとめました。テレビ、父親、卒業、現在、趣味、引退、事故、事件に関する情報もありますね。今年の情報もありました。佐藤康光の現在の年齢は54歳のようです。

佐藤 康光(さとう やすみつ、1969年10月1日 - )は、将棋棋士。タイトル通算13期(歴代8位)。永世棋聖の資格保持者。棋士番号は182。田中魁秀九段門下。京都府綴喜郡八幡町(現八幡市)出身。いわゆる「羽生世代」の一人に数えられる。2011年4月から2017年1月まで日本将棋連盟の棋士会会長、2017年2月から2023年6月まで日本将棋連盟会長。

6歳で将棋を覚える。この時期に憧れていた棋士は米長邦雄。八幡市に隣接する大阪府枚方市にあった田中魁秀の将棋教室に通うようになった頃、『米長の将棋』という本で勉強した。また、最初に読んだ棋書は有吉道夫の自戦記『玉頭位取り戦法』であり、真っ黒でボロボロになるまで繰り返し読んだという。

1981年の春、小学生将棋名人戦に6年生として出場し、NHK教育テレビで全国放送される準決勝に進出して3位となる。

1982年12月(中学1年の冬)、6級で関西奨励会に入会。その半年後、谷川浩司が史上最年少の21歳で名人となる。関西将棋会館の控え室で詰将棋を棋士・奨励会員数名が解けずに悩んでいたところに谷川が現れて数十秒で解き、皆を唖然とさせる。この光景を目撃した佐藤は子供心に「A級の恐ろしさ」を知ったという。

奨励会入会後、僅か1年弱で2級に昇級。その直後(中2の終わり)父親の転勤のため八幡から東京都区内に転居したことで関東奨励会に移籍する。このとき「名人候補を東京に取られた」と関西の棋士たちが嘆いたという。プロの対局の記録係を務めるため中学校を頻繁に休んでいたことから、「学校やすみつ君」とからかわれていた。佐藤本人は「中学校でどうだったかは記憶にないが、高校では間違いなく言われていた」と述懐している。佐藤はその後、國學院高校に進学し、卒業をしている。

奨励会二段の頃、島朗主宰の、いわゆる「島研」に、森内俊之とともに参加。二人が対局し、残った一人が記録係を務めるという、一風変わった研究会であった。そして、17歳の頃、二段の途中から8連勝して三段へ昇段。さらに続けて13勝1敗で四段(プロ)に昇段(1987年3月25日)。合わせて21勝1敗というラストスパートでのプロ入りを果たす。

1987年のプロ入りから約3年後の1990年、五段のとき第31期王位戦で、谷川浩司王位への挑戦権を得、タイトル戦に初登場。フルセットの3-4で退けられる。

同年(1990年)、第9回早指し新鋭戦で、決勝で森内俊之を破り棋戦初優勝。翌年(1991年)も決勝で森下卓を破って2連覇。1990年度は、将棋大賞の新人賞を受賞している。

1993年、六段のとき第6期竜王戦で挑戦者となる(これにより規定で七段へ昇段)。当時の竜王は五冠王の羽生善治であったが七番勝負を4-2で制して羽生から竜王位を奪取し、初のタイトル獲得を果たす。しかし、翌年(1994年)の第7期竜王戦では、逆に羽生の挑戦を受け2-4で失冠し、羽生に史上初の六冠王を許してしまう。以後1年間、「前竜王」の称号を名乗った。その翌年(1995年)の第8期竜王戦は、また逆に佐藤が羽生に挑戦し3年連続の同一カードとなったが、奪取はならなかった。

1996年にA級八段となる。そして、A級参加2期目(1997年度)のA級順位戦において6勝3敗同士でのプレーオフで羽生善治を下し、第56期(1998年)名人戦で谷川浩司名人への挑戦権を得る。そして、七番勝負を4-3で制して初の名人位獲得。また、名人1期獲得の規定により九段に上り詰めた。

1999年、第57期名人戦では谷川と2年連続の対決。2勝3敗で迎えた第6局では、2日目深夜に及ぶ203手の激戦に勝ってフルセットの戦いに持ち込み、最終局でも勝って、名人位を防衛。

2000年、丸山忠久の挑戦を受けた第58期名人戦は、丸山の得意戦法を逃げずに堂々と受けて立つシリーズとなったが、3勝4敗で名人失冠。

2002年(2001年度)、第51期王将戦の挑戦者決定リーグで全勝して羽生善治に挑戦。4-2で王将位を奪取。

2002年度、第73期棋聖戦で郷田真隆に挑戦、3-2で奪取に成功。初めて二冠(棋聖・王将)となる。さらに王座戦で羽生に挑戦したが敗退し、一気の三冠達成はならなかった。また、王将の防衛戦は、羽生を挑戦者に迎え前年と同一カードとなったが、0-4で羽生に奪還され、棋聖のみの一冠に後退した。

2003年、第74期棋聖戦で丸山忠久の挑戦を3-0で退け防衛。羽生善治(当時七冠)が棋聖位を失ってから、棋聖位保持者は7年連続で入れ替わっていたが、この防衛によって終止符が打たれた。同年、第11期銀河戦で中川大輔を下して優勝、タイトル戦以外の全棋士参加棋戦での初優勝を飾った。

2004年、第75期棋聖戦で森内俊之の挑戦を3-0で退け防衛。JT将棋日本シリーズでは、決勝で久保利明を下して初優勝。

2005年、第76期棋聖戦で羽生善治の挑戦ーを3-2で退け防衛。第55期王将戦の挑戦者決定リーグで全勝して挑戦権を獲得。王将戦の挑戦者決定リーグで複数回全勝したのは、佐藤康光が初である。しかし羽生に3-4で敗れて、王将獲得はならなかった。

2006年度は、佐藤にとって大活躍の年となる。まず、第77期棋聖戦で鈴木大介の挑戦を3-0で退け防衛。これで通算5期となり、規定により永世棋聖の資格を得る。JT将棋日本シリーズは決勝で郷田真隆を破り2度目の優勝。NHK杯も決勝で森内俊之を破り優勝(3度目の決勝進出にして初優勝)。史上初のタイトル戦5連続挑戦の記録を作り、うち、森内俊之から棋王位を奪取。再び二冠(棋聖・棋王)となる。また、成績だけではなく、「佐藤新手」と呼ばれる数々の新手や独創的な戦法を大勝負で用いたことは評価された。これらの活躍により、将棋大賞の最優秀棋士賞と升田幸三賞を同時受賞する(いずれも初受賞)。

2007年、第78期棋聖戦で渡辺明竜王の挑戦を3-1で退けて防衛し、6連覇。一方、同年の竜王戦では、逆に渡辺に2年連続で挑戦するも2-4で再び奪取に失敗し、三冠制覇のチャンスを逃す。互いに自分のタイトルを防衛・連覇し合う結果となった。

2007年度、初の生放送となるNHK杯戦決勝(2008年3月16日)で鈴木大介を破り優勝。47、48期(1998、99年度)の羽生善治以来、同大会9年ぶり3人目の連覇を達成した。また、第33期棋王戦では羽生を3勝2敗で下して防衛に成功、1勝2敗の角番からの粘りで二冠を死守した。しかしながら、A級順位戦では苦戦する。残留争いのライバル2名(行方尚史・久保利明)との直接対決が残っていたため、残り3局を3連勝すれば残留できるという「自力残留」の目が残されていた。まず、行方を破り、次に久保を破る。そして最終9回戦では、挑戦者争いにも残留争いにも絡んでいない木村一基が対戦相手であった。木村は羽織袴を着て闘志(「米長哲学」)を露わにして佐藤の前に登場するも、佐藤はこの一局に勝ち、A級の座を死守した。

2008年6月からの第79期棋聖戦でも羽生を挑戦者として迎える。初戦から2連勝して早々に防衛に王手をかけたが、そこから3連敗して棋聖位を奪取され、一冠(棋王)に後退。大山康晴に並ぶ棋聖戦7連覇の達成はならなかった。

2009年(2008年度)の第34期棋王戦では、久保利明に2連敗後の2連勝でフルセットまで持ち込んだが、最終局に敗れ3連覇を逃し、7年ぶりに無冠となる(久保にとっては初タイトル)。

第68期(2009年度)順位戦A級の8回戦、対・藤井猛戦(2010年2月3日)で敗れ、B級1組への陥落が決定。A級連続在籍(名人在位2期を含む)は14でストップし、順位戦・竜王戦を通じて自身初の降級を喫する。翌朝、久保棋王への挑戦者(リターンマッチ)として、第1局のため9時前に羽田空港に集合し、上海へ移動。対局場の検分と前夜祭を済ませ、2月5日に対局という過酷なスケジュールであったが、筋違い角の乱戦を制して先勝する。この五番勝負は前期と同じくフルセットとなったが、第5局(3月30日)で190手の熱戦の末に敗れ、昨年奪われた棋王位をすぐに取り返すことはできなかった。この一局は、翌日に行われた第37回将棋大賞の選考で、名局賞に選ばれた。また2009年度最後の対局である棋王戦第5局で敗れたことにより、同年度はデビュー以来初の負け越し(24勝25敗)となった。

降級して迎えた第69期(2010年度)順位戦では、A級14期連続在位の貫禄を見せつけ、9勝3敗の成績でA級に返り咲きを果たした。勝率こそ7割を超えた(34勝14敗)ものの、タイトル戦線に絡むことはなかった。

第61期(2011年度)王将戦挑戦者決定リーグ戦で5勝1敗の成績を残し、同星だった豊島将之六段との決定戦も勝利し挑戦者の権利を得る。2012年1月から、久保利明二冠に挑んだ王将戦七番勝負では、第1局から久保を圧倒し3連勝。久保の地元である兵庫県加古川市で行われた第4戦こそ敗れたが、第5戦に勝ち4勝1敗で王将位を奪取。王将位在位は11年ぶり2期目。佐藤自身も約3年ぶりのタイトル奪取となった。しかし第62期(2012年度)王将戦で渡辺明に対し1-4で敗れ、王将位から失冠した。

第29期(2016年度)竜王戦にて1組の5位決定戦1回戦で阿久津主税と対局するも敗れ、24期連続で保持してきた1組の座から陥落することになった。その後、第30期竜王戦において2組準優勝となり、本戦進出と1組に復帰が決定している。

第75期(2016年度)順位戦A級では、勝ち星が振るわず、第68期(2009年度)以来の降級の危機となったが、辛くも順位差により降級を回避した。

第66回NHK杯テレビ将棋トーナメント初戦となる2回戦で増田康宏四段、3回戦で斎藤慎太郎六段(当時)、準々決勝で前年度の準優勝となる千田翔太六段、準決勝で佐藤天彦名人にそれぞれ勝利し、決勝戦で初の決勝進出となる佐藤和俊六段に勝利し、9年ぶり三度目のNHK杯を優勝した。

2017年7月28日の第76期順位戦A級で広瀬章人八段に勝ち、史上9人目の公式戦通算1000勝(特別将棋栄誉賞)を達成した。

第76期(2017年度)順位戦A級では、自身も含めた6人が6勝4敗の同率トップとなり、6人による挑戦者決定プレーオフになる。プレーオフでは佐藤は2回戦から参加することになったものの、豊島将之に敗れた。

第69期(2021年度)王座戦では挑戦者決定戦まで進出するも、木村一基に敗れ、50代でのタイトル挑戦とはならなかった。

羽生世代がタイトル戦など将棋の表舞台から姿を消しつつある中、ただ一人A級に在籍していたが、第81期(2022年度)順位戦A級では、1勝8敗の成績で降級となった。

佐藤は連盟会長として「超多忙」で自身の研究に割く時間がなかなか取れないにもかかわらず各棋戦で健闘しており、ファンとの指導対局にも力を入れているという。

2023年4月4日、将棋連盟会長の職を今季限りで退任すると発表した。任期は6月9日まで。

2024年1月11日、第37期竜王戦1組ランキング戦での広瀬章人との対局に勝利し、通算成績1100勝(710敗)に到達。

棋風

若手時代は既存の定跡形を多く指していたが、2005年前後からは創造的で新基軸な序盤作戦を選ぶことが多くなっている。

若手時代から「緻密流」と称される読みの深さで知られ、懇意にしていた室岡克彦から「1秒間に1億と3手読む」と形容されたほどである。

非常に独特な駒組から腕力で相手をねじ伏せる剛腕ぶりから、インターネット上では「丸太」と表現されることもある。

後述のように升田幸三賞を2度受賞している。特別賞ではない升田幸三賞を2度受賞しているのは、佐藤康光と青野照市、藤井猛、千田翔太の4人のみである(2022年4月現在)。

同年代の羽生などが強過ぎで定跡だけでは勝てないため、佐藤康光が編み出した「ひねくれた定跡はずし」の棋風で強さを発揮し、丸太を振り回す猛者のような棋風と言われる。

NHKの「将棋の日」など将棋の地方巡業番組の観客に出題されるクイズ「次の一手」では、あまりにひねくれた戦法で他の棋士が予測できない手ばかりを繰り出すとして話題になる。

エピソード・人物

プロとして最初の公式戦(1987年5月26日・早指し将棋選手権予選)の対局相手であった木村嘉孝が、事情により欠場したため、プロ初白星が不戦勝という、棋界では非常に珍しい記録を残すことになった。

2000年の第58期名人戦においては、挑戦者であった丸山忠久の得意戦法(丸山が先手の場合は角換わり戦法、丸山が後手の場合は横歩取り8五飛車戦法)を堂々と受けて名人位を防衛しようとした。しかし、結果的に3勝4敗で丸山に名人位を奪われた。

2002年の第51期王将戦では、おやつに大量のキウイフルーツを食べつづけ、羽生善治から王将を奪取したことから、ネットで話題になった。

渡辺明に挑戦した2006年の第19期竜王戦の第6局で、渡辺の初手▲7六歩に対して2手目△3二金と指し、居飛車党の渡辺を「挑発」した(3二の金は、相手が振り飛車の場合には適さない位置とされる)。結果は、挑発に乗って不慣れな振り飛車を採用した渡辺の負け。そして迎えた最終の第7局でも、振り駒で後手となった佐藤は再び2手目△3二金と指したが今度は矢倉戦になり、結果は渡辺が勝って防衛。そして渡辺に2年連続で挑戦した第20期竜王戦の第6局でも、佐藤は2手目△3二金を採用。プロ棋界では非常に珍しい相中飛車に進み、最終的に渡辺が勝利を収めた。

久保利明に挑戦した第61期王将戦の第1局で、久保のゴキゲン中飛車に超速戦法で応戦、乱戦に持ち込んだところに▲5七玉という空前絶後の妙手を指し、度肝を抜いた(対局は111手で佐藤の勝ち)。本局を含めた意欲的な指し回しが評価され、佐藤は第18回升田幸三賞を受賞している。

2008年度の第58回NHK杯3回戦・金井恒太との対局で、時間が迫り「▲5九飛車」と指す場面で飛車駒を落としてしまう。しかし指し手の位置である5九を指で示し「飛車」と発言したことから時間内に指したとされ事なきを得た(駒を落とした場合について連盟の対局規定第5条に従った形)。

3人兄妹の長男。弟は歌舞伎役者の市川段一郎である。

特技はヴァイオリン演奏。将棋を覚える以前の4歳から習っており、奨励会入会の中学1年生まで週1回レッスンに通っていたと語っている。棋聖戦の就位式に演奏を披露していたこともあった。将棋雑誌の企画でヴァイオリニストの千住真理子と対談した際に、千住の目の前で演奏を披露し、腕前を絶賛されたこともある。

高校進学を悩んだ時期もあったが、米長邦雄の著作の影響を受け、進学を決意した。國學院高校を選んだ理由として「千駄ヶ谷の将棋会館から1番近い高校ということで受験して合格した」と語っている(都立高校も検討したとのこと。)。

若手時代に、そのルックスと名前に引っ掛けて先崎学から「もてみつ君」というあだ名を付けられる。それが由来で、ファンの間では「モテ」と呼ばれる。他に、父親が製薬会社勤務だったことから、米長邦雄にはその勤務先に引っ掛けて「グロンサン」と呼ばれていた。

将棋マガジン(日本将棋連盟)のコーナーである「佐藤康光と森内俊之のなんでもアタック」の1996年2月号の企画で、目隠し五面指し(目隠しした佐藤が、目隠ししていない5人のアマチュアと同時に対局)に挑戦し、反則なしの五戦全勝で見事に成功した。

熱血漢でアツくなり易いという一面を持っており、対局で負けたときは涙を流して悔しがることもある。

タイトル戦以外でも、ここ一番の大勝負(挑戦者決定戦やTV棋戦の決勝など)では和服で対局に臨む。

竜王奪取の前年(1992年)にゴルフにはまり、「趣味はゴルフ」と公言するまでになった。

2006年、米長邦雄会長(当時)からBonanza戦を打診され、佐藤はプロ棋士が将棋ソフトに負けたら恥で引退も覚悟しなければならないとして悩んだ末に「固くお断りします」という佐藤に対して、米長が「負けたところで恥になるわけでもない、考えてみろ。しょせん遊びだ。機械相手に数時間遊びで指してくれれば、1000万円以上の収入になる」というと、佐藤は「米長先生、そこに正座してください。プロが将棋を指すのに”遊び”ということがありますか。先生はそんな気持ちで将棋を指していたんですか。私は固くお断りをいたします」と米長を諭した(米長著「われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る」より)。将棋は遊戯ボードゲームだがプロ棋士として仕事で指している真面目な佐藤に米長が遊びと称したことに佐藤は立腹し、打診を拒否した佐藤の代わりに渡辺明が挑戦して勝利した。

2008年10月、フランスのパリで行われた第21期竜王戦七番勝負第1局(渡辺明竜王対羽生善治名人)の記録係を務めていた中村太地が会場設営の際に感電する事故があり、解説で同行していた佐藤(当時棋王)は「もしものことがあれば私が記録係を務めます」と申し出ていた。(大事には至らず、中村が記録係を務めた。)

2016年10月10日 島朗宅で行われた将棋ソフト不正使用疑惑に関する会合に参加し、後に三浦弘行の出場停止処分について、苦渋の決断と発言した。

NHK「将棋講座」講師を3回務めている。(1994年度冬期、2007年度後期、2015年度前期)

朝食は大の納豆派で、パン食のときも必ず納豆をつけるほど。本人曰く「納豆はデザートだと思っている」。冷やし中華に餅追加で話題になったが「2度とやらない」とのこと。

佐藤が運転免許取り立ての頃、「王将戦」第2局(1995年1月24日)の対局会場の栃木県日光市中禅寺湖付近まで、冬の装備のない車を佐藤自ら初運転して日光いろは坂経由で向かおうとしたが、冬の装備が不十分であることを理由に同乗の森内俊之に制され、途中の日光駅までの運転に切り替えた。帰路では羽生善治も同乗したが、この日が初運転であることを佐藤から告げられた森内・羽生が、佐藤のあまりの運転未熟さに肝を冷やしたという(いろは坂事件)。当時の棋譜研究はプロ棋士や奨励会員であっても現地観戦するしかなく、康光は免許取り立てで運転したくてドライブと棋譜研究ができる一石二鳥だとして森内を誘って行った。これ以後、羽生は佐藤が運転する車には同乗していない、森内はその後も若干数であるが乗車している。

いろは坂事件の際は1995年1月で当時25歳の若気の至りもあり青年でワイルド(野性的)で猪突猛進であったが、それからわずか10年強の2006年に、米長邦雄会長(当時)の将棋ソフトとの対戦打診を断った際は達観して熟考した上に断っているほど変化が大きい。

2011年4月1日から日本将棋連盟の棋士会長を務める。

2017年2月、谷川浩司の会長辞任を受け、第二次世界大戦後16人目となる日本将棋連盟会長に就任した。

2017年(第3期)からタイトル戦に昇格する叡王戦において、七番勝負の持ち時間について「対局者が持ち時間の長さを選択する」という変則ルールを考案した。

2023年6月9日を以って日本将棋連盟会長を退任。

2024/05/24 02:29更新

satou yasumitsu


佐藤康光と同じ誕生日10月1日生まれ、同じ京都出身の人

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星奈 美紗希(ほしな みさき、1996年10月1日 - )は、日本のタレント。ミス東スポ2021準グランプリ。 元バクステ外神田一丁目メンバー(9期生)。当時の名義は星奈 美咲(読み同じ)。 日本…

神田 沙也加(かんだ さやか)
1986年10月1日生まれの有名人 東京出身

神田 沙也加(かんだ さやか、1986年〈昭和61年〉10月1日 - 2021年〈令和3年〉12月18日)は、日本の女優、歌手、声優、YouTuber。 東京都出身。グリーンパークミュージック、ファ…

片山 萌美(かたやま もえみ)
1990年10月1日生まれの有名人 東京出身

片山 萌美(かたやま もえみ、1990年10月1日 - )は、日本の女優、グラビアアイドル、タレント、モデル。身長170cm。 東京都出身。ウイントアーツ所属。麗澤大学経済学部経済学科卒業。 1…

うつみ 宮土理(うつみ みどり)
1942年10月1日生まれの有名人 東京出身

うつみ 宮土理(うつみ みどり、1942年〈昭和17年〉10月1日 - )は、日本のタレント、女優、作家。本名、井川 三重子(いかわ みえこ)。旧姓、内海。旧芸名は、うつみ みどり(読み同じ)。株式会…

小川 ローザ(おがわ ろーざ)
1946年10月1日生まれの有名人 東京出身

小川 ローザ(おがわ ローザ、1946年〈昭和21年〉10月1日 - )は、日本のモデル。東京都世田谷区出身。本名は小川 静代(おがわ しずよ)。身長162cm、B80cm、W59cm、H88cm(1…

南 悠子(みなみ ゆうこ)
1923年10月1日生まれの有名人 東京出身

南 悠子(みなみ ゆうこ、1923年10月1日 - 2013年3月2日)は、女優、元宝塚歌劇団団員(月組・星組主演男役)。本名は上野悠子(うえのゆうこ)。東京府出身。宝塚歌劇団時代の公称身長は161c…

水倉 久美子(みずくら くみこ/みなくら くみこ)
10月1日生まれの有名人 東京出身

水倉 久美子(みずくら くみこ/みなくら くみこ、10月1日 - )は、日本の元女優、声優。活動の場を声優からナレーションに移行の際、福純 寛子(ふくずみ ひろこ)に改名。東京都出身。株式会社アクトゥ…

中村 こずえ(なかむら こずえ)
1951年10月1日生まれの有名人 東京出身

中村 こずえ(なかむら こずえ、1951年〈昭和26年〉10月1日 - )は関東を中心に活動する元エフエム東京(TOKYO FM)出身のフリーアナウンサー。東京都墨田区出身。 中学生時代は放送研究…

滝川 クリステル(たきがわ くりすてる)
1977年10月1日生まれの有名人 東京出身

滝川 クリステル(たきがわ クリステル、Christel Takigawa、1977年10月1日 - )は、フリーアナウンサー、動物愛護生物保全活動家。結婚前の本名は滝川 ラルドゥ クリステル 雅美 …

五木田 武信(ごきた たけのぶ)
1937年10月1日生まれの有名人 東京出身

五木田 武信(ごきた たけのぶ、1937年10月1日 - 2008年8月)は、日本のアナウンサー。NHKを経て民放でフリーアナウンサーとして活躍した。TBSによる大物アナの引き抜きの草分け的存在である…


佐藤康光と近い名前の人

佐藤 文康(さとう ふみやす)
1976年8月25日生まれの有名人 静岡出身

佐藤 文康(さとう ふみやす、1976年8月25日 - )は、TBSテレビのチーフアナウンサー。 静岡県富士市出身。静岡県立富士高等学校、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科(現・スポーツ科学部)卒…

佐藤 ちひろ(さとう ちひろ)
1998年1月5日生まれの有名人 福島出身

佐藤 ちひろ(さとう ちひろ、1998年1月5日 - )は、テレビ朝日のアナウンサー。 福島県いわき市生まれ、南相馬市出身。 福島市立杉妻小学校、南相馬市立石神中学校、福島県立原町高等学校、早稲…

佐藤 梨那(さとう りな)
1995年2月9日生まれの有名人 埼玉出身

佐藤 梨那(さとう りな、1995年2月9日 - )は、日本テレビのアナウンサー。 埼玉県桶川市出身。 埼玉県立浦和第一女子高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。 2017年日本テレビ入社…

佐藤 真知子(さとう まちこ)
7月9日生まれの有名人 京都出身

佐藤 真知子(さとう まちこ、1993年7月9日 - )は、日本テレビのアナウンサー。 東京都出身。身長156 cm。一人っ子。 幼稚園入学前まで約3年間をアメリカ・ワシントンで過ごす。 白百…

佐藤 隆輔(さとう りゅうすけ)
1934年8月12日生まれの有名人 東京出身

佐藤 隆輔(さとう りゅうすけ、1934年8月12日 - )は、日本のアナウンサー。 京都に勤務していた1964年、東京オリンピックのホッケー実況担当として抜擢され、その後、プロ・アマの野球を中心…

佐藤 龍文(さとう りゅうぶん)
1976年7月31日生まれの有名人 岩手出身

佐藤 龍文(さとう りゅうぶん、 1976年7月31日 - )は、NHKのシニアアナウンサー。故郷にゆかりのある「花巻イーハトーブ大使」を務めている。 岩手県花巻市出身、岩手県立花巻北高等学校を経…

佐藤 麗奈(さとう れな)
【アイドリング】
1998年11月9日生まれの有名人 埼玉出身

佐藤 麗奈(さとう れな、1998年〈平成10年〉11月9日 - )は、日本の女性タレント、モデル、ファッションブランドおよびデザインプロデューサー。通称「さとれな」。埼玉県出身。ボックスコーポレーシ…

佐藤 祐羅(さとう ゆら)
2000年6月17日生まれの有名人 山口出身

佐藤 祐羅(さとう ゆら、2000年(平成12年)6月17日 - )は、日本の元女優、元グラビアアイドル。 元所属事務所はエヴァーグリーン・エンタテイメント。山口県出身。 2021年3月28日に…

佐藤 夢(さとう ゆめ)
1990年12月11日生まれの有名人 大阪出身

佐藤 夢(さとう ゆめ、1990年12月11日 - )は、日本のタレント。大阪府出身。TRUSTAR所属。A型。 158cm・B87・W62・H84。Eカップ。 趣味は、漫画。いちごが大好きでグ…

佐藤 由加理(さとう ゆかり)
1988年11月22日生まれの有名人 静岡出身

佐藤 由加理(さとう ゆかり、1988年〈昭和63年〉11月22日 - )は、日本の元歌手、元タレント、元グラビアアイドルである。静岡県浜松市出身で、office48→AKS→アーティストハウス・ピラ…

佐藤 唯(さとう ゆい)
1986年3月29日生まれの有名人 山形出身

佐藤 唯(さとう ゆい、1986年3月29日 - )は、日本の女性タレント・アイドル、女優。山形県寒河江市出身。サンミュージックプロダクション所属。 サンミュージック新人タレントオーディションで最優…

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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「佐藤康光」を素材として二次利用しています。

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